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朝鮮戦争 - (2011/08/10 (水) 23:59:56) の1つ前との変更点

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#CONTENTS ---- **朝鮮半島分断の原因は日本にあるの? この件で書くと非常に長くなるが、うんとはしょって大まかに書くと、分断の原因は二つ。 まずアメリカの怠慢。 アメリカは日本の占領政策に対しては大戦中から研究して人材も育成していたが、朝鮮半島な関しては何も考えていなかったに等しかった。 ソ連が朝鮮北部まで進出したのを見て、あわてて1945年9月8日に第24軍団を派遣するも、指揮官ホッジス中将は朝鮮に対する知識は全くなし。 軍団を歓迎して出迎えた朝鮮人を、暴徒と勘違いした日本の特別警察隊が発砲して2名死亡させるが、ホッジスはそれを追認する「斜め上」の始末。 9月6日には呂運亨(画像右)が朝鮮人民共和国の樹立を宣言するも、それを潰して軍政布く。 しかし朝鮮に対する知識がないので日本人の意見を丸飲みしたり、旧朝鮮総督府の日本人を大量再雇用して顰蹙を買ったり、英語の話せる朝鮮人を大衆の代表だと勘違いして、朝鮮人はみんな親米民主主義者だと思ったり、ソ連との管轄分割線の北緯38度線も、何も知らない少佐(だったかな)の二人がテキトーに決めたりしてた。 次に朝鮮側の問題。呂運亨の朝鮮人民共和国が潰された後、国外の朝鮮独立政府大韓民国臨時政府の李承晩、金九らが帰国するとイデオロギー、統一方法などから意見が対立しテロ暗殺が横行、呂運亨、金九といった有力者が次々に殺され、混迷を深める。 そんなほっとらかしとグチャグチャの中、1950年にソ連の後押しを受けた金日成がチャンスと見て北朝鮮軍が侵攻し朝鮮戦争になり分割、冷戦によってその状態が固定されたまま、現代に至ると。 アメリカが明確な占領独立政策を持ち、朝鮮側も一枚岩になってソ連に対抗すれば、分割どころか朝鮮戦争もなかったてことかな。 (軍事板) **朝鮮戦争の時、日本って掃海艇を何隻送ったの?司令官ってまさか戸塚道太郎なわけないよね? 海上保安庁の特別掃海隊が朝鮮海域に出動したのは昭和25年10月6日です。 掃海船20隻・巡視船4隻・試航船1隻で4個掃海隊を編成しました。 総指揮官は田村久三航路警戒本部長(海兵46期)。 12月15日の解隊までに27個の機雷を処分しましたが、MS14号を触雷で喪失し1名の死者および 18人の負傷者を出しました。(他にMS30号を座礁損失) #right(){(51:名無し軍曹)} **なぜアメリカは朝鮮半島で核を使わなかったのでしょうか? 朝鮮戦争と核 中国人民解放軍は核一発で引っ込むようなタマではないですから、繰り返し 使用するハメになり、中国との全面戦争につながったでしょう。中ソ関係の 悪化は1950年代の後半に入ってからですから、ソ連が在韓米軍に対して核を 使うことになった可能性もあり、その場合アメリカがどのような対応を迫られるか を考えると、リスクが高すぎたと言うことでしょう。 マッカーサー元帥は使うつもりでしたよ。 トルーマン大統領は中国の本格的介入を呼び、ひいては第三次世界大戦に発展しかねない として大反対しています。 この意見の対立から彼はマッカーサーを解任して総司令官をリッジウェーに代えたのです。 最も彼も後に原爆使用もありうると発言しており、このときは英首相アトリーが米国を訪問して トルーマンと会談し、原爆使用に反対を表明しています。 #right(){(52:760-761)} マッカーサーは北朝鮮だけでなく、人民解放軍(義援軍と称した)が 無限に待機する中国本土、そして軍事物資を供給するソ連の極東拠点に 対する核攻撃を進言し、首になったわけです。核の使用というのは 絨毯爆撃とはわけが違う、という事を理解できなかったのでしょう。 #right(){(52:765)} **朝鮮戦争における韓国軍の対戦車戦闘はどんなものだったんでしょうか? 戦車は「山がちの朝鮮半島では機動戦は難しいし起伏の多い地形では戦車の運用は 困難だろう」ということで戦車をほとんど配置していなかった。 韓国軍は僅かに2個中隊程度のM8装甲車を持っていただけで、駐留米軍もM24軽戦車 を主力にしていた。 これらは開戦初頭に北韓軍のT-34/85にあっさり蹴散らされてほぼ全滅する。 対戦車砲はあったが口径が小さすぎ(57mm)て歯が立たず、対戦車ロケットランチャー も口径が小さい上に弾薬の保管状態が悪くて不発が続出し、ちっとも役に立たなかった。 これに慌てた米軍がまだ開発テスト中のM20スーパーバズーカを急遽送ったのは有名。 あと、韓国軍の首脳部はみんな日本軍出身だったので、爆薬や地雷を抱いて戦車に 体当たりする日本軍伝来の戦法を現場に強要し、戦果と引き換えに多大な損害を出した。 アメリカ軍は体制が整うまでは北韓の戦車に対しては航空機からの爆撃で対抗、特に ナパーム攻撃が有効と言うことでナパームを使いまくった。 北韓の戦車部隊は釜山前面まで迫った段階で補給不足で急速に稼動数が減り、国連軍の 仁川上陸以後はスーパーバズーカの投入と航空攻撃でほぼ壊滅した。 #right(){(271:571)} **朝鮮戦争に参戦した中国軍の兵力は? 朝鮮戦争に参加したのは人民解放軍第四野戦軍。 これは、 「全体が六部隊に分かれ、各部隊には3万名からなる四個の部隊があり、その各部隊は一万人規模の3個師団から成っていた」 デビット・ハルバースタム「フィフティーズ」 **朝鮮戦争で、中国人民解放軍は強かったから米・国連軍を一時的に押し戻したのですか? >それともハワイ海戦のように、米側が油断していたから一方的に押し戻されただけなのでしょうか? >それと、米・国連軍は三十八度線で膠着状態に陥って北上できていませんよね? >やはり中国人民解放軍の人海戦術は、米軍に対して軍事的脅威を与えられるほど強い軍隊だったのでしょうか? > >民族感情を抜きにして客観的なお答えを頂けると喜ばしい限りです。 簡単に言えば物量が全て。 国連軍が押し戻されたのは、 ・マッカーサーが、中国軍の集結について警告を受けていたのにもかかわらず本気にしなかったから ・一気に北進したため各師団の連携が取れず、容易に中国軍の浸透を許したため ・朝鮮半島は北上すると東西に広くなるため、戦線が張れなかった ・中国軍の戦力を低く評価していたため その中国軍の人海戦術は、交戦初期の国連軍にショックを与えたが、攻撃衝力が持続せず、また火力が貧弱だった。 半島中部の山岳地帯では軽歩兵が活動しやすいため、中共軍に有利だったが、輸送力、補給能力の低さにより中共軍は大損害を出している。 また、元山に上陸した米海兵第3師団が突出しすぎたところを、中共軍1個集団軍9個師団が包囲追撃しているが、結局海兵3師団を取り逃がしている。 ここらへんで中国軍の限界が分かる。 **朝鮮戦争でマッカーサーが解任されずに北韓を壊滅させていれば、横田さんの慟哭は無かったのでは? >中国東北部への核攻撃こそ、倫理、道徳を排除した純粋なタクティクスとしてそうすべきだったと言う専門家も、今でもいますけど? そうしなくて良かったという専門家が圧倒的多数ですが? 具体的な専門家の名前を挙げて欲しいな。 まぁ、マッカーサー構想を実現するのは、恐らく物理的に不可能だったわけですが。 ちなみに、朝鮮戦争におけるマッカーサー構想として一番大規模なものは ・30~50個の原爆を満州に投下 ・蒋介石軍50万を中国本土に送り込む ・中朝国境に放射能コバルトをばら撒き、少なくとも半減期の間中国の介入を阻止する という、プランだったりします。 このプランを実行した場合、少なくとも西欧各国の支持を失うことは確実でしょうし、最悪の場合、西欧への報復攻撃が行われる可能性も否定できないでしょう。 実際、原爆の使用を仄めかしたトルーマンに対し、アトリーが物凄い勢いで考え直すように迫ってますから。 直接的な影響としては、フォールアウトが恐ろしいですな。「核の冬」とまでは言いませんが。 また、本国ががら空きになる台湾を維持できるかどうかも不安ですね。 アメリカもソ連も、ようやくWW2が終わって、もう総力戦をやろうっていう雰囲気じゃなかったんだよ。 そういうのを理解しなかったマッカーサーの政治的センスなんてそんなもん。 (軍事報道を考えるスレッドinマスコミ板) **中韓が国交正常化した時に、韓国は朝鮮戦争の侵略に対する謝罪と賠償は要求したのかな? 1994年の中韓国交樹立の際には、謝罪も補償も要求しませんでした。 (極東ニュース板) **「現在も朝鮮戦争は継続中(停戦中)であり決して終戦には至っていない。連合軍司令部は今も福岡にあり機能してるかどうかは別として消滅してはいない。よって北朝鮮は朝鮮戦争を宣戦布告無しにいつでもおっぱじめることが出来る」というのは本当ですか? 朝鮮戦争は建て前では、戦争が一時停止中なので、やろうと思えばできる。 国連軍司令部(戦闘司令部)があるのは韓国の竜山で、 国連軍司令部(後方司令部)があるのが神奈川の座間。 アメリカ、イギリス、オーストラリア、カナダ、フィリピン、フランス、ニュー・ジーランド、タイが国連軍司令部に人員を派遣しているが、アメリカ以外は駐在武官が兼ねている。 **映画『ブラザーフッド』で共産軍の「人海戦術」の映像をみました。こんな数百数千人の歩兵が無秩序に突撃するような光景は本当にあったのでしょうか? >小隊や分隊といった編成の意味がない気がするのですが、あれはあれで指揮統率が取れているのでしょうか。 例えば、1951年4月の共産軍の第五次攻勢は朝鮮戦争でも最大級の規模のものでしたが、 投入された戦力は約35万、これを国連軍の正面約250kmにわたって展開した大攻勢でした。 単純に割り算をすると、1kmあたり1400人を投入したことになります。 これは単純計算に過ぎるにしても、その密度は想像できるのでは。 実際、共産軍は大隊規模での夜襲などざらで、数十個の手榴弾がまとめて飛んできたりしたとか。 共産軍の指揮は銅鑼やチャルメラによる単純なもので、一回鳴らせば突撃、二回鳴らせば 投擲といった具合だったそうです。 #right(){(初心者スレ478:名無し軍曹◆Sgt/Z4fqbE)} **朝鮮戦争の時ってジェット戦闘機が活躍した様だけど、そんなに普及してたの? アメリカ軍側は3軍の主力戦闘機はジェット化されていた。 ただ、これらは直線翼の非音速機で、「レシプロ機のエンジンだけジェットになった」というところ。 超音速が出せるような「ジェット戦闘機」は戦争中盤になってから登場した。 勿論、レシプロの戦闘機も普通に現役だった。 共産軍側の戦闘機はほぼレシプロ機で、登場するやアメリカ側をあっと言わせたMiG-15は「主力」という 程の数にはなっていない。 #right(){(初心者スレ493:816)} **朝鮮戦争で戦線が膠着した後、もう一度敵の後方に上陸作戦やろうという計画はなかったの? 1951年に入って38度線を境に国連軍と共産軍がにらみ合うようになってから、 後方への上陸を含む大規模な国連軍の反攻作戦は計画されていません。 これは、北進を強硬に主張していたマッカーサー元帥が解任されたことで 国連軍側が交渉による休戦を行うことに一本化されたことと、 国連軍と共産軍の戦力がほぼ拮抗したために38度線を越える大規模な反攻作戦が 難しくなったことがあります。 ただし、マッカーサー元帥は独自の構想として国府軍を国連軍に引き入れ、 米軍の増援の元に北朝鮮の北端の東西海岸に上陸させて中国軍の後方を遮断するという プランを持っていました。 その中には北朝鮮全域に大爆撃を行い、「放射性廃棄物」を散布して朝鮮と 満州を結ぶ補給ルートを遮断するという計画も含まれていました。 #right(){(524:名無し軍曹◆Sgt/Z4fqbE)} **韓国の軍事博物館にT-34がありますが、鹵獲して戦闘に使用したのでしょうか 戦闘に使用したかは不明ですが開戦劈頭でソウルを失陥してから一部で善戦しても 他が崩れては後退の連続で一時は釜山まで後退します(50年の8月あたり)。 釜山を中心とする円陣で何とか持ちこたえて米軍の増援を受けて(当初は日本駐留していた 陸軍師団が中心)、そして仁川上陸作戦でソウルをとり、今度は北朝鮮軍が総崩れに近い状態で 後退していきます。 ということで朝鮮半島での戦闘は停滞期に入るまでに何度か前線が半島を南北に大きく 上下していますから戦車のような手間が掛かり、長く走るのには道路と整備に燃料が必須 という大型機械は遺棄されることも多かったと考えられます。 ただし、博物館に置かれているわけですから、おそらくは来歴が脇の掲示板などに書かれている のではないでしょうか。おそらく博物館のガイドや韓国の掲示板などで聞かれたほうが 早く正確な回答を得られると思います。 #right{(351:929)} **朝鮮戦争では米軍と中国人民解放軍は直接戦闘したんですか? 建前上は直接戦闘していないことになっている。 中国の参戦はあくまで「抗美援朝義勇軍」で、正規軍の参戦ではないことになっているから。 じっさいは人民解放軍で。つまり直接戦闘しています。 #right(){(348:685,686)} **朝鮮戦争で中国の義勇軍は、日本軍の戦車を実戦に投入したのでしょうか? 九七式改と九五式が映ってる写真が存在する(朝鮮戦争時の撮影ではない、という異論もあるが)。 ただソビエトからの援助が本格的に届くようになったら、ただでさえ 稼動状態の低い(予備部品がないから)日本戦車は前線からは引き上げられた模様。 小火器も旧日本軍のものが大量に使用されててこちらは米軍の鹵獲兵器リストにも記載されている。 日本軍の小火器なら大量に投入されており、 義勇軍が九二式重機関銃を使っている写真が、床井雅美氏の著書にも収録されている。 太平洋戦争に従軍してた海兵隊員には共産軍は「前の戦争で聞いた音」の機関銃でよく撃ってきた、 という体験をした人が多くいたそうだ。 そこから「日本人が秘密裏に共産軍に参加している」「中国大陸で 戦っていた日本軍が共産軍に参加し、日本軍将校が共産軍を指導している」 というまことしやかな噂も流れたそうな。 進駐軍が共産主義運動を激しく警戒し、「警察予備隊」の創設命令を 出したことにはこの「噂」が大きく影響している、という説もあったりする。 #right(){(348:708-710)} **山や起伏に富んだ朝鮮戦争では、やはり迫撃砲は大活躍できたんでしょうか? 中国軍は、歩兵中心で、航空機や重火器が少なかったです。 日中戦争中から、迫撃砲は中国軍の得意兵器でした。 朝鮮戦争には、日中戦争を戦った、元国民党軍が使われた例が多いです。 また中国軍は補給能力が乏しく、大豆油を飲んでいました。 迫撃砲やその砲弾は、兵が人力で運べます。 国連軍や韓国軍にも、勿論迫撃砲はありました。 しかし、航空機や重火器がありました。 迫撃砲にそれほどの比重は無かっただろうと、想像します。 「 中国39軍が雲山に総攻撃を開始、迫撃砲とカチューシャ・ロケットによる攻撃の後、ラッパを鳴らしながら白兵戦を展開。雲山の防衛に当っていた米第1騎兵師団第8連隊と韓国軍第1師団第12連隊が包囲される。」 下記、朝鮮戦争後半戦(1) … 中国軍の介入を参照ください。 http://homepage3.nifty.com/time-trek/else-net/topics-06-08-01.html 霞ヶ浦の住人の回答。 極秘電報の裏づけ資料がありました。 説明。 毛沢東よりスターリンへ。1952年12月17日。 「わが方の火砲と敵の火砲の比較すると、敵はさまざまな口径の一万四千門の大砲を所有し、 人民志願軍と朝鮮人民軍はさまざまな口径の一万三千門の大砲を所有している。 しかしわが方は、多くが軽迫撃砲とロケット砲であるのに対し、敵はほとんど半数がわれわれを上回る性能だ」。 朝鮮戦争の謎と真実―金日成、スターリン、毛沢東の機密電報による (単行本) アナトーリー・ワシリエヴィチ トルクノフ (著), 365ページ。 旧ソ連の機密解除された極秘電報の、朝鮮戦争関係を集めた本です #right(){(590:霞ヶ浦の住人 ◆iQXTBGahk.)} **朝鮮戦争で戦車戦はどれぐらいあったのか? まぁ現実には共産軍側の機甲戦力は戦車戦をするまでもなく航空攻撃で ボッコボコだからなぁ。 北朝鮮は開戦前にそれなりの数のT-34/85とSU-76、それにBA装甲車を 提供されているが、これらはみんな釜山橋頭堡の戦闘が終わった頃には 航空攻撃と補給不足で全滅状態になってたし。 でも、イギリス連邦軍のクロムウェルが肉薄攻撃で損傷したので放棄され たものを共産軍側が鹵獲して使用、夜戦で突撃の先鋒にして一度は戦線を 突破したが、増援で火消しに派遣されたセンチュリオンと交戦して撃破、 なんて記録もあったりするのが面白い。 朝鮮戦争でセンチュリオンが明確に戦車戦したのは記録に残ってるのは これだけとか・・・。 唯一の公式交戦記録が自軍の鹵獲車両相手ってのも凄いな。 #right(){(609:504)} **日中戦争では負け続けた中国軍が朝鮮戦争では強かった理由は? 朝鮮戦争で「抗美(美ってのはアメリカのことね)援朝義勇軍」として 参戦してきたのは毛沢東の率いる「中華人民共和国」人民解放軍。 こちらは内戦の結果蒋介石の「中華民国」軍を台湾に追い出して建国された「中国」の 軍隊で、制度上は中国共産党の私兵だが平民の志願兵で構成されて 「ようやく統一された国土を守れ!」と士気も高く、末端に至るまで将校、兵士の 気合が違っていた。 ただ、「抗美援朝義勇軍」の主力は満州出身者、つまりは「日本軍に支配されていた、 とは言え旗揚げ時からの同士ではなく、いつ裏切るかわからん連中」で、死んでも健闘 しなければ「やっぱりお前達使えないし信用できないからみんな強制収容所行きな」と いう恐怖があったことが、あれだけの強さを見せた原因だ、という見方もあってそれは 多分に正しい。 #right(){(321:580)} **北朝鮮側が使用していた小銃は何ですか? 北朝鮮人民軍は「ソビエト軍」として戦ってた部隊を中核に設立されたので、 装備はほぼ完全にソビエトからの供与品で、モシン・ナガンと(これは「小銃」 ではないけれども)PPsh41サブマシンガンでほぼ統一された、ソビエト軍に 準じた装備になっていた。 戦場で鹵獲してとりあえず…というのでなければ、国連軍の使用火器は 殆ど使っていない。 尚、後に参戦した中国軍、中国人民義勇軍はソビエトの援助品(多分にナチス ドイツからの鹵獲品が混じってる)から国民党から捕獲したドイツ系兵器、 日本軍から武装解除して引渡された日本製兵器まで相当に雑多な装備で、 軍装も「手製」のものまであるという統一感のなさだった。 米軍のリストだと、中国軍の鹵獲兵器で一番多いのは日本の小銃(おそらく 三八式)になっている。 何故か? 手榴弾だけは豊富で、中国義勇兵はみんな製造元不明(一応中国の 国産品だったらしい)の柄付き手榴弾をみな大量に持っていたとのこと。 #right(){(624:528)} **朝鮮戦争みたいに、敵味方入り乱れて訳わからなくなっている場合、武器、弾薬、食料などの補給はどうやっていたんですか? かや書房”多富洞の戦い”を読むと、とりあえず自分で担いでいけるだけ 担いで行動する。足りなくなると無念の涙を呑んで下がる。あるいは危険を承知で 民間人(兵役年齢を過ぎた男性など)の隊が補給物資を担いで前線まで届ける。 敵味方が混淆しているというか、第1師団の場合、いつのまにか隷下の連隊が 1個大隊を独自に編成して創り上げて戦場に投じてたり、列車の中で銃を配布して 操作を教えてそのまま兵として戦線に連れて行ったりと、かなり混乱している状況 だったのは確かなようだ。 #right(){(638:253)} **朝鮮戦争のときの中国人民軍と義勇軍の関係はどういうものなのでしょうか? 中国自体は戦争を東北部に波及させたくなかった。 只でさえ、まだ国民党残党が国境線付近にうろちょろしているし…。 とは言え、中国やソ連の隣に親米国家を樹立されたくなかった。 かくして、両者の思惑が一致し、兵器はソ連が供給し、人材は中国が供給する ことになります。 但し、正規軍の派遣は、中国本土への国連軍の侵攻を招く恐れがあるので、 義勇軍と銘打って派遣した訳です。 とは言え、中身は中国正規軍だったりします。 #right(){(107:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} ----
#CONTENTS ---- **朝鮮半島分断の原因は日本にあるの? この件で書くと非常に長くなるが、うんとはしょって大まかに書くと、分断の原因は二つ。 まずアメリカの怠慢。 アメリカは日本の占領政策に対しては大戦中から研究して人材も育成していたが、朝鮮半島な関しては何も考えていなかったに等しかった。 ソ連が朝鮮北部まで進出したのを見て、あわてて1945年9月8日に第24軍団を派遣するも、指揮官ホッジス中将は朝鮮に対する知識は全くなし。 軍団を歓迎して出迎えた朝鮮人を、暴徒と勘違いした日本の特別警察隊が発砲して2名死亡させるが、ホッジスはそれを追認する「斜め上」の始末。 9月6日には呂運亨(画像右)が朝鮮人民共和国の樹立を宣言するも、それを潰して軍政布く。 しかし朝鮮に対する知識がないので日本人の意見を丸飲みしたり、旧朝鮮総督府の日本人を大量再雇用して顰蹙を買ったり、英語の話せる朝鮮人を大衆の代表だと勘違いして、朝鮮人はみんな親米民主主義者だと思ったり、ソ連との管轄分割線の北緯38度線も、何も知らない少佐(だったかな)の二人がテキトーに決めたりしてた。 次に朝鮮側の問題。呂運亨の朝鮮人民共和国が潰された後、国外の朝鮮独立政府大韓民国臨時政府の李承晩、金九らが帰国するとイデオロギー、統一方法などから意見が対立しテロ暗殺が横行、呂運亨、金九といった有力者が次々に殺され、混迷を深める。 そんなほっとらかしとグチャグチャの中、1950年にソ連の後押しを受けた金日成がチャンスと見て北朝鮮軍が侵攻し朝鮮戦争になり分割、冷戦によってその状態が固定されたまま、現代に至ると。 アメリカが明確な占領独立政策を持ち、朝鮮側も一枚岩になってソ連に対抗すれば、分割どころか朝鮮戦争もなかったてことかな。 (軍事板) **朝鮮戦争の時、日本って掃海艇を何隻送ったの?司令官ってまさか戸塚道太郎なわけないよね? 海上保安庁の特別掃海隊が朝鮮海域に出動したのは昭和25年10月6日です。 掃海船20隻・巡視船4隻・試航船1隻で4個掃海隊を編成しました。 総指揮官は田村久三航路警戒本部長(海兵46期)。 12月15日の解隊までに27個の機雷を処分しましたが、MS14号を触雷で喪失し1名の死者および 18人の負傷者を出しました。(他にMS30号を座礁損失) #right(){(51:名無し軍曹)} **なぜアメリカは朝鮮半島で核を使わなかったのでしょうか? 朝鮮戦争と核 中国人民解放軍は核一発で引っ込むようなタマではないですから、繰り返し 使用するハメになり、中国との全面戦争につながったでしょう。中ソ関係の 悪化は1950年代の後半に入ってからですから、ソ連が在韓米軍に対して核を 使うことになった可能性もあり、その場合アメリカがどのような対応を迫られるか を考えると、リスクが高すぎたと言うことでしょう。 マッカーサー元帥は使うつもりでしたよ。 トルーマン大統領は中国の本格的介入を呼び、ひいては第三次世界大戦に発展しかねない として大反対しています。 この意見の対立から彼はマッカーサーを解任して総司令官をリッジウェーに代えたのです。 最も彼も後に原爆使用もありうると発言しており、このときは英首相アトリーが米国を訪問して トルーマンと会談し、原爆使用に反対を表明しています。 #right(){(52:760-761)} マッカーサーは北朝鮮だけでなく、人民解放軍(義援軍と称した)が 無限に待機する中国本土、そして軍事物資を供給するソ連の極東拠点に 対する核攻撃を進言し、首になったわけです。核の使用というのは 絨毯爆撃とはわけが違う、という事を理解できなかったのでしょう。 #right(){(52:765)} **朝鮮戦争にソ連空軍のパイロットが乗っていたそうですが、どれくらいの割合でソ連のパイロットが乗っていたのですか? 中国義勇軍参加後にソ連軍は手を引いてますが ジェットなどパイロットと整備員全部は残留して参加してます。 #right(){(52:一等自営業 ◆JYO8gZHKO.)} **朝鮮戦争における韓国軍の対戦車戦闘はどんなものだったんでしょうか? 戦車は「山がちの朝鮮半島では機動戦は難しいし起伏の多い地形では戦車の運用は 困難だろう」ということで戦車をほとんど配置していなかった。 韓国軍は僅かに2個中隊程度のM8装甲車を持っていただけで、駐留米軍もM24軽戦車 を主力にしていた。 これらは開戦初頭に北韓軍のT-34/85にあっさり蹴散らされてほぼ全滅する。 対戦車砲はあったが口径が小さすぎ(57mm)て歯が立たず、対戦車ロケットランチャー も口径が小さい上に弾薬の保管状態が悪くて不発が続出し、ちっとも役に立たなかった。 これに慌てた米軍がまだ開発テスト中のM20スーパーバズーカを急遽送ったのは有名。 あと、韓国軍の首脳部はみんな日本軍出身だったので、爆薬や地雷を抱いて戦車に 体当たりする日本軍伝来の戦法を現場に強要し、戦果と引き換えに多大な損害を出した。 アメリカ軍は体制が整うまでは北韓の戦車に対しては航空機からの爆撃で対抗、特に ナパーム攻撃が有効と言うことでナパームを使いまくった。 北韓の戦車部隊は釜山前面まで迫った段階で補給不足で急速に稼動数が減り、国連軍の 仁川上陸以後はスーパーバズーカの投入と航空攻撃でほぼ壊滅した。 #right(){(271:571)} **朝鮮戦争に参戦した中国軍の兵力は? 朝鮮戦争に参加したのは人民解放軍第四野戦軍。 これは、 「全体が六部隊に分かれ、各部隊には3万名からなる四個の部隊があり、その各部隊は一万人規模の3個師団から成っていた」 デビット・ハルバースタム「フィフティーズ」 **朝鮮戦争で、中国人民解放軍は強かったから米・国連軍を一時的に押し戻したのですか? >それともハワイ海戦のように、米側が油断していたから一方的に押し戻されただけなのでしょうか? >それと、米・国連軍は三十八度線で膠着状態に陥って北上できていませんよね? >やはり中国人民解放軍の人海戦術は、米軍に対して軍事的脅威を与えられるほど強い軍隊だったのでしょうか? > >民族感情を抜きにして客観的なお答えを頂けると喜ばしい限りです。 簡単に言えば物量が全て。 国連軍が押し戻されたのは、 ・マッカーサーが、中国軍の集結について警告を受けていたのにもかかわらず本気にしなかったから ・一気に北進したため各師団の連携が取れず、容易に中国軍の浸透を許したため ・朝鮮半島は北上すると東西に広くなるため、戦線が張れなかった ・中国軍の戦力を低く評価していたため その中国軍の人海戦術は、交戦初期の国連軍にショックを与えたが、攻撃衝力が持続せず、また火力が貧弱だった。 半島中部の山岳地帯では軽歩兵が活動しやすいため、中共軍に有利だったが、輸送力、補給能力の低さにより中共軍は大損害を出している。 また、元山に上陸した米海兵第3師団が突出しすぎたところを、中共軍1個集団軍9個師団が包囲追撃しているが、結局海兵3師団を取り逃がしている。 ここらへんで中国軍の限界が分かる。 **朝鮮戦争でマッカーサーが解任されずに北韓を壊滅させていれば、横田さんの慟哭は無かったのでは? >中国東北部への核攻撃こそ、倫理、道徳を排除した純粋なタクティクスとしてそうすべきだったと言う専門家も、今でもいますけど? そうしなくて良かったという専門家が圧倒的多数ですが? 具体的な専門家の名前を挙げて欲しいな。 まぁ、マッカーサー構想を実現するのは、恐らく物理的に不可能だったわけですが。 ちなみに、朝鮮戦争におけるマッカーサー構想として一番大規模なものは ・30~50個の原爆を満州に投下 ・蒋介石軍50万を中国本土に送り込む ・中朝国境に放射能コバルトをばら撒き、少なくとも半減期の間中国の介入を阻止する という、プランだったりします。 このプランを実行した場合、少なくとも西欧各国の支持を失うことは確実でしょうし、最悪の場合、西欧への報復攻撃が行われる可能性も否定できないでしょう。 実際、原爆の使用を仄めかしたトルーマンに対し、アトリーが物凄い勢いで考え直すように迫ってますから。 直接的な影響としては、フォールアウトが恐ろしいですな。「核の冬」とまでは言いませんが。 また、本国ががら空きになる台湾を維持できるかどうかも不安ですね。 アメリカもソ連も、ようやくWW2が終わって、もう総力戦をやろうっていう雰囲気じゃなかったんだよ。 そういうのを理解しなかったマッカーサーの政治的センスなんてそんなもん。 (軍事報道を考えるスレッドinマスコミ板) **中韓が国交正常化した時に、韓国は朝鮮戦争の侵略に対する謝罪と賠償は要求したのかな? 1994年の中韓国交樹立の際には、謝罪も補償も要求しませんでした。 (極東ニュース板) **「現在も朝鮮戦争は継続中(停戦中)であり決して終戦には至っていない。連合軍司令部は今も福岡にあり機能してるかどうかは別として消滅してはいない。よって北朝鮮は朝鮮戦争を宣戦布告無しにいつでもおっぱじめることが出来る」というのは本当ですか? 朝鮮戦争は建て前では、戦争が一時停止中なので、やろうと思えばできる。 国連軍司令部(戦闘司令部)があるのは韓国の竜山で、 国連軍司令部(後方司令部)があるのが神奈川の座間。 アメリカ、イギリス、オーストラリア、カナダ、フィリピン、フランス、ニュー・ジーランド、タイが国連軍司令部に人員を派遣しているが、アメリカ以外は駐在武官が兼ねている。 **映画『ブラザーフッド』で共産軍の「人海戦術」の映像をみました。こんな数百数千人の歩兵が無秩序に突撃するような光景は本当にあったのでしょうか? >小隊や分隊といった編成の意味がない気がするのですが、あれはあれで指揮統率が取れているのでしょうか。 例えば、1951年4月の共産軍の第五次攻勢は朝鮮戦争でも最大級の規模のものでしたが、 投入された戦力は約35万、これを国連軍の正面約250kmにわたって展開した大攻勢でした。 単純に割り算をすると、1kmあたり1400人を投入したことになります。 これは単純計算に過ぎるにしても、その密度は想像できるのでは。 実際、共産軍は大隊規模での夜襲などざらで、数十個の手榴弾がまとめて飛んできたりしたとか。 共産軍の指揮は銅鑼やチャルメラによる単純なもので、一回鳴らせば突撃、二回鳴らせば 投擲といった具合だったそうです。 #right(){(初心者スレ478:名無し軍曹◆Sgt/Z4fqbE)} **朝鮮戦争の時ってジェット戦闘機が活躍した様だけど、そんなに普及してたの? アメリカ軍側は3軍の主力戦闘機はジェット化されていた。 ただ、これらは直線翼の非音速機で、「レシプロ機のエンジンだけジェットになった」というところ。 超音速が出せるような「ジェット戦闘機」は戦争中盤になってから登場した。 勿論、レシプロの戦闘機も普通に現役だった。 共産軍側の戦闘機はほぼレシプロ機で、登場するやアメリカ側をあっと言わせたMiG-15は「主力」という 程の数にはなっていない。 #right(){(初心者スレ493:816)} **朝鮮戦争で戦線が膠着した後、もう一度敵の後方に上陸作戦やろうという計画はなかったの? 1951年に入って38度線を境に国連軍と共産軍がにらみ合うようになってから、 後方への上陸を含む大規模な国連軍の反攻作戦は計画されていません。 これは、北進を強硬に主張していたマッカーサー元帥が解任されたことで 国連軍側が交渉による休戦を行うことに一本化されたことと、 国連軍と共産軍の戦力がほぼ拮抗したために38度線を越える大規模な反攻作戦が 難しくなったことがあります。 ただし、マッカーサー元帥は独自の構想として国府軍を国連軍に引き入れ、 米軍の増援の元に北朝鮮の北端の東西海岸に上陸させて中国軍の後方を遮断するという プランを持っていました。 その中には北朝鮮全域に大爆撃を行い、「放射性廃棄物」を散布して朝鮮と 満州を結ぶ補給ルートを遮断するという計画も含まれていました。 #right(){(524:名無し軍曹◆Sgt/Z4fqbE)} **韓国の軍事博物館にT-34がありますが、鹵獲して戦闘に使用したのでしょうか 戦闘に使用したかは不明ですが開戦劈頭でソウルを失陥してから一部で善戦しても 他が崩れては後退の連続で一時は釜山まで後退します(50年の8月あたり)。 釜山を中心とする円陣で何とか持ちこたえて米軍の増援を受けて(当初は日本駐留していた 陸軍師団が中心)、そして仁川上陸作戦でソウルをとり、今度は北朝鮮軍が総崩れに近い状態で 後退していきます。 ということで朝鮮半島での戦闘は停滞期に入るまでに何度か前線が半島を南北に大きく 上下していますから戦車のような手間が掛かり、長く走るのには道路と整備に燃料が必須 という大型機械は遺棄されることも多かったと考えられます。 ただし、博物館に置かれているわけですから、おそらくは来歴が脇の掲示板などに書かれている のではないでしょうか。おそらく博物館のガイドや韓国の掲示板などで聞かれたほうが 早く正確な回答を得られると思います。 #right{(351:929)} **朝鮮戦争では米軍と中国人民解放軍は直接戦闘したんですか? 建前上は直接戦闘していないことになっている。 中国の参戦はあくまで「抗美援朝義勇軍」で、正規軍の参戦ではないことになっているから。 じっさいは人民解放軍で。つまり直接戦闘しています。 #right(){(348:685,686)} **朝鮮戦争で中国の義勇軍は、日本軍の戦車を実戦に投入したのでしょうか? 九七式改と九五式が映ってる写真が存在する(朝鮮戦争時の撮影ではない、という異論もあるが)。 ただソビエトからの援助が本格的に届くようになったら、ただでさえ 稼動状態の低い(予備部品がないから)日本戦車は前線からは引き上げられた模様。 小火器も旧日本軍のものが大量に使用されててこちらは米軍の鹵獲兵器リストにも記載されている。 日本軍の小火器なら大量に投入されており、 義勇軍が九二式重機関銃を使っている写真が、床井雅美氏の著書にも収録されている。 太平洋戦争に従軍してた海兵隊員には共産軍は「前の戦争で聞いた音」の機関銃でよく撃ってきた、 という体験をした人が多くいたそうだ。 そこから「日本人が秘密裏に共産軍に参加している」「中国大陸で 戦っていた日本軍が共産軍に参加し、日本軍将校が共産軍を指導している」 というまことしやかな噂も流れたそうな。 進駐軍が共産主義運動を激しく警戒し、「警察予備隊」の創設命令を 出したことにはこの「噂」が大きく影響している、という説もあったりする。 #right(){(348:708-710)} **山や起伏に富んだ朝鮮戦争では、やはり迫撃砲は大活躍できたんでしょうか? 中国軍は、歩兵中心で、航空機や重火器が少なかったです。 日中戦争中から、迫撃砲は中国軍の得意兵器でした。 朝鮮戦争には、日中戦争を戦った、元国民党軍が使われた例が多いです。 また中国軍は補給能力が乏しく、大豆油を飲んでいました。 迫撃砲やその砲弾は、兵が人力で運べます。 国連軍や韓国軍にも、勿論迫撃砲はありました。 しかし、航空機や重火器がありました。 迫撃砲にそれほどの比重は無かっただろうと、想像します。 「 中国39軍が雲山に総攻撃を開始、迫撃砲とカチューシャ・ロケットによる攻撃の後、ラッパを鳴らしながら白兵戦を展開。雲山の防衛に当っていた米第1騎兵師団第8連隊と韓国軍第1師団第12連隊が包囲される。」 下記、朝鮮戦争後半戦(1) … 中国軍の介入を参照ください。 http://homepage3.nifty.com/time-trek/else-net/topics-06-08-01.html 霞ヶ浦の住人の回答。 極秘電報の裏づけ資料がありました。 説明。 毛沢東よりスターリンへ。1952年12月17日。 「わが方の火砲と敵の火砲の比較すると、敵はさまざまな口径の一万四千門の大砲を所有し、 人民志願軍と朝鮮人民軍はさまざまな口径の一万三千門の大砲を所有している。 しかしわが方は、多くが軽迫撃砲とロケット砲であるのに対し、敵はほとんど半数がわれわれを上回る性能だ」。 朝鮮戦争の謎と真実―金日成、スターリン、毛沢東の機密電報による (単行本) アナトーリー・ワシリエヴィチ トルクノフ (著), 365ページ。 旧ソ連の機密解除された極秘電報の、朝鮮戦争関係を集めた本です #right(){(590:霞ヶ浦の住人 ◆iQXTBGahk.)} **朝鮮戦争で戦車戦はどれぐらいあったのか? まぁ現実には共産軍側の機甲戦力は戦車戦をするまでもなく航空攻撃で ボッコボコだからなぁ。 北朝鮮は開戦前にそれなりの数のT-34/85とSU-76、それにBA装甲車を 提供されているが、これらはみんな釜山橋頭堡の戦闘が終わった頃には 航空攻撃と補給不足で全滅状態になってたし。 でも、イギリス連邦軍のクロムウェルが肉薄攻撃で損傷したので放棄され たものを共産軍側が鹵獲して使用、夜戦で突撃の先鋒にして一度は戦線を 突破したが、増援で火消しに派遣されたセンチュリオンと交戦して撃破、 なんて記録もあったりするのが面白い。 朝鮮戦争でセンチュリオンが明確に戦車戦したのは記録に残ってるのは これだけとか・・・。 唯一の公式交戦記録が自軍の鹵獲車両相手ってのも凄いな。 #right(){(609:504)} **日中戦争では負け続けた中国軍が朝鮮戦争では強かった理由は? 朝鮮戦争で「抗美(美ってのはアメリカのことね)援朝義勇軍」として 参戦してきたのは毛沢東の率いる「中華人民共和国」人民解放軍。 こちらは内戦の結果蒋介石の「中華民国」軍を台湾に追い出して建国された「中国」の 軍隊で、制度上は中国共産党の私兵だが平民の志願兵で構成されて 「ようやく統一された国土を守れ!」と士気も高く、末端に至るまで将校、兵士の 気合が違っていた。 ただ、「抗美援朝義勇軍」の主力は満州出身者、つまりは「日本軍に支配されていた、 とは言え旗揚げ時からの同士ではなく、いつ裏切るかわからん連中」で、死んでも健闘 しなければ「やっぱりお前達使えないし信用できないからみんな強制収容所行きな」と いう恐怖があったことが、あれだけの強さを見せた原因だ、という見方もあってそれは 多分に正しい。 #right(){(321:580)} **北朝鮮側が使用していた小銃は何ですか? 北朝鮮人民軍は「ソビエト軍」として戦ってた部隊を中核に設立されたので、 装備はほぼ完全にソビエトからの供与品で、モシン・ナガンと(これは「小銃」 ではないけれども)PPsh41サブマシンガンでほぼ統一された、ソビエト軍に 準じた装備になっていた。 戦場で鹵獲してとりあえず…というのでなければ、国連軍の使用火器は 殆ど使っていない。 尚、後に参戦した中国軍、中国人民義勇軍はソビエトの援助品(多分にナチス ドイツからの鹵獲品が混じってる)から国民党から捕獲したドイツ系兵器、 日本軍から武装解除して引渡された日本製兵器まで相当に雑多な装備で、 軍装も「手製」のものまであるという統一感のなさだった。 米軍のリストだと、中国軍の鹵獲兵器で一番多いのは日本の小銃(おそらく 三八式)になっている。 何故か? 手榴弾だけは豊富で、中国義勇兵はみんな製造元不明(一応中国の 国産品だったらしい)の柄付き手榴弾をみな大量に持っていたとのこと。 #right(){(624:528)} **朝鮮戦争みたいに、敵味方入り乱れて訳わからなくなっている場合、武器、弾薬、食料などの補給はどうやっていたんですか? かや書房”多富洞の戦い”を読むと、とりあえず自分で担いでいけるだけ 担いで行動する。足りなくなると無念の涙を呑んで下がる。あるいは危険を承知で 民間人(兵役年齢を過ぎた男性など)の隊が補給物資を担いで前線まで届ける。 敵味方が混淆しているというか、第1師団の場合、いつのまにか隷下の連隊が 1個大隊を独自に編成して創り上げて戦場に投じてたり、列車の中で銃を配布して 操作を教えてそのまま兵として戦線に連れて行ったりと、かなり混乱している状況 だったのは確かなようだ。 #right(){(638:253)} **朝鮮戦争のときの中国人民軍と義勇軍の関係はどういうものなのでしょうか? 中国自体は戦争を東北部に波及させたくなかった。 只でさえ、まだ国民党残党が国境線付近にうろちょろしているし…。 とは言え、中国やソ連の隣に親米国家を樹立されたくなかった。 かくして、両者の思惑が一致し、兵器はソ連が供給し、人材は中国が供給する ことになります。 但し、正規軍の派遣は、中国本土への国連軍の侵攻を招く恐れがあるので、 義勇軍と銘打って派遣した訳です。 とは言え、中身は中国正規軍だったりします。 #right(){(107:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} ----

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