「WW2車両」の編集履歴(バックアップ)一覧に戻る

WW2車両 - (2011/08/02 (火) 18:59:48) の編集履歴(バックアップ)



なんでヘッツァーって開発されたの?

いや、スキだけどさ、Ⅲ突だって生産ラインがあるからだけど、あのチビガメの彼は何故あの時期に開発されたんだろう?
機甲兵器総監グデーリアン上級大将が現有軽対戦車自走砲、牽引式対戦車砲の
代わりとして要求したからです。
戦時下とは言え、安くて安定していてそこそこ数が揃えられる、で、既存生産設備を
流用できるメリットがありますから。
しかも、車輌の戦闘能力はすでに寿命ですし。
(9:名無しさん@眠い人 ◆ikaJHtf2)

ヘッツァーの戦車砲って、Ⅲ突GやⅣ号H型戦車よりも強力って本当なんでしょうか?

ヘッツァーはPak39 L/48、III突GはStuk40 L/48、IV号HはKwK40 L/48
基本的にはヘッツァーのは対戦車砲、III突GはCannon砲、IV号Hは戦車砲
で、いずれもPak39の派生型です。
よって同じといえるでしょう。
もっとも150ミリ砲を積んだものもありましたから、それに比べると強力でしょうが。
(9:名無しさん@眠い人 ◆ikaJHtf2)

WWⅡのドイツでハーフトラックの兵員輸送車に代わるものとしてオールキャタピラーの兵員輸送車が計画されていたらしいのですが、ご存知の方いませんか?

Gepanzerte Mannschaftstransport-wagen "Katzchen"(子猫)の事かな?
(ドイツ語なので、間にウムラウトとかが入るけど許せ)

1944~45年に掛けて、アウトウニオンで試作されたもので、前方起動式で、
千鳥配列の鋼製リム転輪を持ち、180hpのマイバッハHL50を搭載したもの。
試作車2両が製造された。
そのうち、一両は米軍に捕獲されている。
(19:眠い人 ◆ikaJHtf2)

ドイツ軍が第二次世界大戦で使っていた軍用バイクってどんなのですか?

BMW R75
(21:336)

WW2では割とみんな使ってたハーフトラックって、なんで今誰も使ってないか教えてください

路外機動性に振るか、速度に振るかのバランスが
中途半端なうえ、機構的に複雑で割に合わないから。
(23:773)

ヘッツァーに無反動砲搭載タイプがあったらしいと聞いたのですが

翻訳の間違い。シュタールは無後座型の事。砲身が反動で後座しないタイプ。
車体の構造と重量で反動を吸収した。
(25:178)

2次大戦の時、日本にはアムトラックみたいな水陸両用車ってなかったんでしょうか?

日本では装軌式なら特二式、特四式内科艇という水陸両用戦車がありました。

装輪式なら、豊田自動車が自社のKC型戦時標準型トラックを基にした水陸両用トラックを試作しました。
これは砂浜を上がれない失敗作だったので、改めて、KCY型四輪駆動トラックを
基にした水陸両用トラックを製作し、1943年11月から44年8月までに198両を陸軍向けに製作しています。
確か「スキ車」と言ったような。

戦後、生き残りはボディを交換してバスになったはず。
(31:眠い人 ◆ikaJHtf2)

第二次大戦中のフランス製装甲車、パナール178という車両について

主砲:SA34 25mm対戦車砲
機銃:M31 7.5mm機関銃

フランスの自動車メーカーの老舗、パナール社製の装甲車で1933年に
陸軍騎兵科の索敵用機銃車(AMD:Auto-mitrailleuse de decouverte)
として製作されました。
1935年に正式採用され、1940年までに527両が生産され、騎兵科の軽
機械化師団、歩兵科の機械化歩兵師団に配属されていましたが、多くは
ドイツ軍に捕獲され、1941年の独ソ開戦時でも190両が東部戦線にありました。
また、鉄道警備用に鉄輪を付けたバージョンもありました。
パリ解放後は再びパナール社の手で、47ミリ砲を搭載した新型砲塔を取り
付けた、パナール178Bが生産され、インドシナ紛争で使用されています。

エンジンはパナール8気筒ガソリンエンジン110hpです。
(31:490,眠い人 ◆ikaJHtf2)

ハーフトラックのいい所って何よ?

ドイツのハーフトラックは接地長が長いんで車輪だけで方向転換するのが難しくなった。
で、ハンドルを一定以上回すと左右のキャタピラの速度が変わるように設計されてる。

 つまり、メカ的に全装軌式車両と変わんない。
アメリカ式の簡単ハーフトラックじゃ全輪駆動と大差ない。
(37:392)

ラムタイガー知らない?

ラムタイガーはトーチカ体当たり攻撃用じゃなくて
攻撃経路上の障害物の撤去用だよ
一種の戦闘工兵車両だわな
ま、ドーザーブレードやクレーンや梱薬発射砲じゃなくて
装甲で勝負しようという発想は確かにドイツっぽくってステキだがね
(37:246)

第二次世界大戦当時の4輪タイプの装甲車で、後ろ向きにも操縦席が付いているのってどういうのがありますか?

ハンガリーのチャバ装甲車、英国のストラウスラー装甲車(この二つは設計者が同じ)。

あと、英国のディンゴとオッターもそうだったような。
1920年代だったらタトラの装甲車にも後部操縦席があったな。
(42:眠い人 ◆ikaJHtf2)

SU-122突撃榴弾砲の主砲の妙に太い所には何が入ってるんですか?

SU-122の姉妹車(?)、SG-122の図面見る限りでは、駐退機、複座機の類のようです。
(42:577)

ドイツの対戦車砲、43口径の薬きょうはストレートなのに48口径がボトルネックなのはなぜ?

長砲身化に伴って、発射薬量を大幅に増やしている。
(44:403)

ベルゲヘッツァーについてる「鋤」(ブルドーザーの先っちょ)はなんに使うのですか?

鋤のようなものは、牽引時に踏ん張るためのブレーキ用です
(46:75)

突撃砲ってのはガンガン敵陣に突っ込んで蹴散らすモノなんですか?

旧ドイツでは

対戦車自走砲は積極攻撃に不向きです。
走るのは、急場に駆けつけるたり、位置を変えたり、に便利だからです。

駆逐戦車と突撃砲は縦割り組織の縄張り争いで名前が違うだけで使われ方は似通ってます。
突撃砲は砲兵科なんで、歩兵支援よりの任務が多いけど、途中から戦車科が突撃砲を使ってるんで区別は難しいです。

アメリカの戦車駆逐車は、速度重視で(戦車を含む)味方のピンチに駆けつけられることを要求されてました。
(46:750)
自走砲や突撃砲は砲兵科の管轄です。自走砲の運用は普通の牽引砲とさほど変わりません。
牽引砲より陣地の移動がしやすいと言った程度です。
あと、突撃砲は敵陣にガンガン突っ込んだりはあまりしません。そういった任務は
戦車の仕事です。なんせ砲塔がありませんから、側面からの攻撃に弱いですし。
WW2のドイツの場合、突撃砲は歩兵とセットで運用され、敵の強化地点を破壊したら
後方に下がるケースが多かったようです。
(46:752)

キューベルワーゲンが欲しいのだけど・・・何処でレプリカ作ってたっけ?

インターメカニカという会社がレプリカを販売しています。
正規代理店に一度問い合わせてみては?
(52:211)

第二次世界大戦の漫画で、前がタイヤ、後ろがキャタピラと云う奇妙な自動車が登場していましたが、実在したのですか?

実在の車両。
トラックのような装輪車両は、不整地での機動能力がいまいち。
特にロシアの貧弱な道路事情では、普通のトラックだと不整地や泥濘に足を取られたりして×。
そこで車体後部を履帯にした「ハーフトラック」が活躍した。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%8A%E8%A3%85%E8%BB%8C%E8%BB%8A

前が一輪のケッテンクラートというどこかで聞いた名前の車両も実在した。
ttp://toy.belmo.com/item/4950344325023.html
(352:838,840)

ハーフトラックが廃れた理由は分かりますが、逆に何故ハーフトラックは一時期流行ったの?

過渡期の存在だったから。
兵員などの輸送に装軌車両を使うという考えが最初はなかった。
しかし、比較的簡単に作れるハーフトラックを使ってみると、けっこうよかった。
どうやってこれなしでやってこれたか、わからないぐらいだった。
でも不平が出てきた。装軌装甲車ができた。装輪技術が進んだ。装輪装甲車ができた。
さよなら、ハーフトラック。

ちなみに第一次世界大戦のときに戦車の一部は歩兵の搭乗用として使われています。
また戦間期には英国ではブレンガンキャリアなどの存在があり、装軌装甲車というのは
意外と早くから存在します。
ハーフトラックについては米軍やドイツ軍は使ったのですが、国によってもかなり違う面が
あるようです。

 戦車に跨乗については、米陸軍の軽歩兵の教範にも図解入りで説明されるなど
今でも行われています。なぜならば、軽歩兵は輸送車両の数が編制表上では限られている
がゆえであり、かつ、装輪輸送車両の踏破力では心もとないところへ進撃するのに
便利であるためでもあります。
 また、第二次世界大戦の欧州戦域でもM3ハーフトラックはありましたが、やはり跨乗は
広く行われていたようです。
 最近で有名な例では、2001年のアフガン侵攻で北部同盟のT-55だったかにムジャヒディンが
鈴なりとなってカブールに入城してるところをとった写真があったと思います。
ソヴィエトのように編制の上で戦車とともに行動させるために短機関銃を装備させた歩兵部隊を
作るようなところもあったのと比べると戦術上の必要性から行われているというのはあるのでしょうけども。
 ということで、戦場であるからこそ行われている例も一方ではあるのです。
(353:312-318)

大戦中、資材節約の為にコンクリート船というものを造ったそうですが、コンクリート製の戦車や装甲車は作られなかったのでしょうか?

英国本土決戦間近だった頃は、武器がなかったので、水道管に銃剣を括り付けた槍や、
パイプをねじ曲げた機関銃、コンクリート製装甲を載っけたトラック改造の装甲車が作られていました。
Pythonというのが一般的呼称だったか、と。
(340:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

ドイツでは敵戦車を撃破するために駆逐戦車などを生産していますが、日本でヘッツァーのようなものを作ることは不可能だったのでしょうか?

重さも15t程ですし、日本軍には適していると考えているのですが
つ一式砲戦車
生産数少ないようだがそもそも搭載する九〇式野砲の生産数自体が少なかったからあんなもん
より高初速な八八式高射砲は本土防空に取られてるし

九〇式野砲自体、フランスのM1897野砲が元になってるという点でシャーマンの主砲と同じ出自なのだが、生産数の他に戦車砲向きに改造する時間的余裕が無かった、
レアメタルと冶金技術が劣ってたせいで徹甲弾の性能が悪かったという理由であまり活躍できなかった
(655:567)

ヤフオクなどで買える陸王と大東亜戦争で使用された陸王では名前こそ同じバイクであっても全く別のものなのですか?

陸王RT2型 1971年製造とあるのですが。
陸王自体は、既に倒産して、昭和飛行機が引継ぎ、子会社を設立、しかし、
そこも倒産・消滅してるんですが。

で、倒産は1960年。
でもって、RTIIは1958年製造開始。
1971年製の陸王って何ってことになる?

ましてや、戦中製とも違う(戦前は三共製薬とか日本ハーレーだったりするし)。
(294:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

ドイツ軍の兵器にエレファントみたいなエンジンで発電してモーターで駆動する車両ってありましたけど

今でもあーいうギミックを積んだ車両はない気がするんですが、やはり問題のある機構なの?
ポルシェが電動モーター駆動にこだわったのは簡単に回転数や方向を変えられるので、
故障しやすい変速機など操向関係の機械がいらなくなると思ったから。
エンジンとモーターの双方を積むからスペースを食ったり、雑音電波がひどかったり、
アンダーパワーだったりと問題はあった。
つまり変速機などの信頼性や整備性が向上すればイラネってことになる。

現在の米軍でハイブリッド駆動は研究されたり一部の軍用車両では採用されたりしている。
大型軍用トラックHEMTT(最新型でハイブリッド化)
http://en.wikipedia.org/wiki/Heavy_Expanded_Mobility_Tactical_Truck
開発が中断してるFuture Tactical Truck Systems
http://en.wikipedia.org/wiki/International_FTTS
ハンヴィーの後継として開発されてるMillenWorks Light Utility Vehicle
http://en.wikipedia.org/wiki/Millenworks_Light_Utility_Vehicle
(668:462)

日本の海軍陸戦隊が装備していた、「機銃車」ってなんですか?

「機銃車」は操輪装甲車の事ではなく、海軍が陸軍に続いて購入した、Vickers Armstrong Carden-Loyd Mk.VIb
のことで、これは、「カ式機銃車」と呼ばれていました。
太平洋戦争初期にも、この車輌は使われていますので、同じものと言えるでしょう。
(292:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

日本にも装甲で覆われた軍用列車ってあったんでしょうか?

日本にもありました。
満州事変当時、第一、第二装甲列車隊、中国本土へは第十一装甲列車隊が配置されています。
装甲列車には二種類あり、軽装甲列車と重装甲列車があります。
軽装甲列車は、8両編成。山砲2門を装備し、10mm厚の装甲板で覆われていました。
重装甲列車は、九四式装甲列車と試製のものが作られ、十四年式10cm加濃砲2門、八八式7.5cm野戦高射砲2門、
重機関銃14丁を有し、主砲は旋回可能な砲塔に乗せられています。

また、中国軍の装甲列車も捕獲され使用されていますし、満鉄の機関車、貨車に、簡易急造の鉄板を張り巡らしたもの
もありました。
更に、九一式広軌牽引車という、スミダ(今のいすゞの一つ)の六輪トラックを改造して、道路上をタイヤで、線路上を鉄輪
で走る軌陸装甲車もありましたし、瓦斯電と三菱で製作された、九五式装甲軌道車という装軌と鉄輪を両方持ったものも
作られており、これらは8mmの装甲を持ち、偵察、前路警戒任務に使用されました。
(146:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

戦前、戦中に日本軍はオート三輪を制式採用してなかったのでしょうか?

戦前はオートバイのエンジンを輸入し、そのエンジンを用いて車体を作り上げるものが主流でした。
普及し始めたのは1925年頃からで大阪東区のウエルビー商会が製造したウエルビー号から始まりました。
その後、3年で2社しかなかったメーカーが35社に迄増えています。

こうして、市場が拡大していったのですが、所詮オートバイの亜種的な存在でした。
しかし、チェーンドライブ・片後輪駆動・バックギア無しでは使いづらく、シャフトを用いた後輪2輪駆動、バックギア付
の機種が市場に出回り、初期のオートバイ亜種は駆逐されます。
これらは非常に高い技術を要するもので、弱小の企業では太刀打ちできません。

次いで、輸入のバイク用エンジンに代って、水冷の国産エンジンが登場します。
特に発動機製造(今のダイハツ)が、嚆矢となり、次いで東洋工業(今のマツダ)が
それに続きます。
1933年のオート三輪登録台数は12,000台で小型車全体の保有台数の凡そ40%、
その後、1937年には15,000台にまで達します。
しかし、以後は戦時体制に組み込まれて行き、生産台数は減少しました。

ただ、軍事用は例外で、陸海軍共に内地や南方では重宝されています。
とは言え、野戦に於ける耐久性、不整地走行能力、機構的トラブルの問題と被弾時の措置に
研究の要有りとして、いずれも準軍用、あるいは非公式なものとの扱いでした。

戦時中は、前述の発動機製造、東洋工業、日本内燃機が指定工場となり、軍需、官需用に
オート三輪を製造しており、他にも沢山の海千山千の群小メーカーが製造しています。
日本内燃機のニューエラ号は後に一式として制式化されており、水運搬車も作られました。

まぁ、購買力の小さな農業人口が80%を超えているような国で、この数字ですから
十分に大きな生産台数だと思いますね。
ちなみに、車両価格は1台当り700円~1,500円で、平均価格が1,000円。
この時代、フォードが2,800円です。
シェア的には、発動機製造が30~35%程度、東洋工業が20~25%と、両社で市場の
半分以上を占有し、残りを日本内燃機(くろがね)、陸王内燃機、旭内燃機、帝国製鋲、
水野鉄工所、兵庫モータースが団栗の背比べをしていました。

蛇足ですが、東洋工業は、松田製作所、日本兵器製造を興した松田重治郎・恒次親子が
中心となった会社で、1920年に前身の東洋コルク工業に重治郎が取締役として迎えられ、
翌年、社長となって実権を握ります。
この会社は、瓶の栓や、氷で冷やす冷蔵港の断熱材としてのコルクを製造していました。

1927年、コルク製造から機械事業に打って出て行こうと社名を東洋工業に変更します。
この転換で、海軍から兵器製造の発注があり、また、各企業に加工機械を売り込んでそれら
が採用されます。
同時に、機械技術の当時の最高峰として考えられていた自動車製造に乗り出しますが、身の丈
を考え、まずは、1926年にトーヨーコーギョー号を言うオートバイを作り、30台ほど生産します。
次いで、島津楢造氏を迎え、自社製エンジンを開発し、それを搭載したオート三輪を生産し始めます。
ただ、販売チャネルが無かったので、三菱商事と組んで、国内や国外に打って出ます。
ブラジルの軍に採用されたのはマツダ号です。

ついでに、マツダランプは、東芝の前身の一つの会社が作っていた電球のブランド名だったか、と。
(154:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

日本軍のブルドーザーは結局試作で終わったそうですが、ブルドーザーの何が難しいんでしょうか?

一応、戦前に朝鮮や満州にCaterpillarのBulldozerが少数が輸入されて、建築現場で使われて
いましたし、1940年頃から陸軍が小松に命じて試作をしていたので、全く存在を知らなかったと言う
訳ではありません。

但し、北満湿地帯での道路建設用機械と認識してしまったため、これは使えないと早々に試作を
中止してしまいました。
南方での飛行場設営に思いが至らなかった訳で。

そして、次いで海軍が南方基地設置用建設機械として、ブルドーザーを同じく小松に発注しました。
こうして作られた小松一型は、牽引車に油圧式ドーザーを付けた代物で、本格的なものでもなく、
最初に作られた試作と増加試作6両はアッツ島に送られましたが、到着後に守備隊が玉砕して行方
不明になりました。

次いで、陸軍が航空基地整備用ブルドーザーの試作を小松に指令(また此処でも陸海軍の対立弊害
が出てくるわけで)し、小松は今度は1940年に試作した陸軍向け試作車を基に、海軍のものと同じ手法
で、ブルドーザーを試作しました。
しかし、これは効率が悪く、米国のものに比べると劣っていたので、よりCaterpillarを参考に、ブルドー
ザーらしくしたのが1944年の試作車です。
但し、資源不足で、1両しかできませんでした。

特に日本では油圧のシーリングの問題が大きく、なかなか油圧式ドーザーを動かすのに苦労した
みたいです。
(236:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

記事メニュー
目安箱バナー