「WW2艦船」の編集履歴(バックアップ)一覧に戻る

WW2艦船 - (2011/07/14 (木) 22:12:12) の編集履歴(バックアップ)



2次大戦当時の日本艦船のスクリューを現代の技術で作ったものと交換するとどの程度違いがありますか?

たいして変わりません
スピードくらいしか変わらないです
重工業はおもったより進歩してないです当時よりは
(2:4)
そんなことはありません。
例えば、プロペラのキャビテーションを(ある程度)防止できる。(簡単に言うとプロペラ表面がぼろぼろになるのを防ぐ)
他には、潜水艦でいうとハイスキュープロペラを採用することによりキャビテーション防止と静粛性の増加などがあり、
昔と今の違いは一般的にはわかり難いですが、キャビテーションを防止できるということは、
ドックに入るのを少なくでき燃費も良くなりコスト面で大分違ってきます。
(FAQ掲示板)

第二次大戦の頃の軍艦のトイレは、汚物をタンクに溜めたののですか?

汚物捨管があって、そこから垂れ流しです。
(14:370)

震洋やマルレは、木製のようですが、夜間に出撃したかどうかわかりませんが、連合軍のレーダーに引っ掛かる可能性があったのでしょうか?

海の上には波があり、シークラッターという複雑なエコーが常に流動しています。
これは潜水艦のシュノーケルや水上艦のステルス化が一定以上進まない原因なのですが、
逆に補足する側にとっても障害になります。
つまり、ある程度波のある海上に浮かんでいるだけで、隠れ蓑をまとっているのと
同じ効果があるのです。
そのため、対水上レーダによる小型木造船の遠距離補足には現代でもある程度の
限界があります。
マラッカ海峡付近の海賊はこの原理を利用し、パンチュンという小型高速の
動力付き木造船を駆使して気付かれる前に大型タンカー等の死角に入り込もうと
する手口を使っています。
ただし、いってしまえばそれまでの事で、人員の少ない民間船ならともかく
警戒要因の多い警備や軍用艦船にとっては、闇夜に紛れて油断の合間を縫う
程度の効果しかなく、戦時下で警戒を厳にしていると厳しいものがあるでしょう。
なにせ、旧軍は夜間の対魚雷警戒すら目視で航跡を発見する方法で対処しています。
(657:378)

戦標船改E型の「焼玉エンジン」ってなんでしょうか?

「焼玉エンジン」は、ピストンで圧縮されたガスを、バーナーで熱した鋳物の球に接触して爆発させる機関で、通常は重油を燃料とする。
戦時中、特に、終戦間近には、石油不足で、魚油などが使 われた。
浦安市郷土博物館に実演展示されています
(5:834)

Eボートてなんですか?

Germanyの魚雷艇です。
ただ、Germanyの場合、快速の頭文字を取ってSボートと呼んでいましたが、
これに悩まされた英国など連合国側はこの艇のことをE-Boat(Eは敵を意味
するEnemy(綴りあってたかな?)の略)と呼んでいました。
(12:眠い人 ◆ikaJHtf2)

かなり前の神戸新聞の投稿欄に祖父が呉海軍工廠で特殊潜航艇を作っていた(回天か?)という50代くらいの女性の投稿があったのですが、

彼女の投稿によると祖父は設計の重要な立場に居たらしく家には資料があるとか。
そして彼女は祖父のことを誇りに思い、特殊潜航艇の他にも「水陸両用魚雷」なる物も開発していたと証言。
ソースは示せず、恐縮ですが、はたしてそんな兵器は存在するのでしょうか?
確証はありませんが、特4式内火艇のことではないでしょうか?

設計が呉工廠造船調査部で
製造が三菱重工、さらに改修が呉工廠で行われています。

設計は堀元美少佐一人で行われたそうなので(また堀氏は潜航艇建造には不参加)
この改修の際に関わられたの工廠関係者の方ではないかと
(10:名無し厨尉)
単に第二次大戦前までの「海防艦」というのは、単に旧式、二線級となった
軍艦の総称で、海防戦艦的な用途に使われたというのは些か穿ちすぎの
ような気がします。

単に「予備艦」という艦種であれば、そこに配属される将兵の士気にも関わ
りますし、国民の視線も冷ややかでしょう。
多少なりとも、軍艦っぽいネーミングにしてイメージ向上を行ったのが真相
ではないでしょうか。
(10:名無しさん@眠い人 ◆ikaJHtf2)

旧日本海軍の給油艦知床型(一番艦能登呂)は軍艦でしょうか?

旧海軍で軍艦は以下のものだけです。(太平洋戦争末期)
戦艦
航空母艦
1等巡洋艦
2等巡洋艦
水上機母艦
潜水母艦
敷設艦
練習戦艦
練習巡洋艦

というわけなので日本海軍の中では給油艦である知床型は軍艦ではないです。
(18:バッチ3)

なんで「水雷艇」って兵器は無くなったんですか?

対艦ミサイルが発達したから。

もともと、長距離を疾駆する兵器として魚雷が使われたわけであって、
それよりも射程の長いものが発達してきて、それが小型艦艇にも載る
ので有れば、何も魚雷を装備する必要はないですから。

水雷艇というものが廃れてきたと言う意味で有れば、航洋性が余り無くて使われる水域が限られているため、
艦隊に随伴するのであれば、航洋性を確保するためには、大型化するしかないわけです。

で、水雷艇が脅威だから、水雷艇駆逐砲艇を作り、それを大型化して水雷艇の用途も兼ね備え、
水雷艇駆逐艦となり、最終的に大型化し駆逐艦に吸収されたということになるでしょう。
(18:眠い人 ◆ikaJHtf2)

モニター艦『エレブス』って、いったい何が目的の艦船なのですか?

沿岸を艦砲砲撃するためのものです。ノルマンディー上陸作戦にも参加しています。
(22:929)

「梨」→「わかば」の改装はどんなものだったのですか?

昭和20年屋代島沖で沈められました。
大蔵省が業者に売却して、昭和29年に引き上げられ、スクラップとして払い下げましたが、状態が良かったために、
その業者が防衛庁に売り込みを図り、紆余曲折の末、護衛艦となったものですね。

「梨」→「わかば」は、沈没していたために、多分船体内部の洗浄、機関修理は実施したでしょうが、
機関を撤去してまでするのであれば、貧乏所帯の海自は買わなかったでしょう。
あとは、武装を米式の対潜護衛艦並みに、更に電測兵装を追加しているだけのようです。

他にも枚挙に暇がありませんが、比較的有名なのが真珠湾で沈んだ戦艦の再生、
ツーロン港で自沈した駆逐艦の再生というのがあります。
(24:眠い人 ◆ikaJHtf2)

丹陽こと雪風が賠償艦として、国民党に貰われていったエピソードは有名ですが

丹陽は具体的に何年ごろから何年ごろまで、中華民国の旗艦だったのでしょうか?
丹陽について細かい話をこちらを見てください。
nttp://homepage1.nifty.com/HARPOON/UMAX15.html
なお、文中に出てくるグリーヴス級駆逐艦とは
DD421ベンソンとDD427ヒラリーPジョーンズで、54年に中華民国に引渡されております。
その他リヴァモア級駆逐艦2隻(DD431プランケット/DD456ロッドマン)も
59年と54年に引き渡されています。
(33:名無し軍曹)

WWⅡ時の戦艦や巡洋艦等の水上艦の砲はその交換はどこでどのように行ったのでしょうか。

とりあえず、摩耗して(規定された数だけ撃って)もすぐに弾を撃てなくなるわけではないので、
戦闘中に規定回数に達してもかまわず撃ち続けます(命中率は落ちますが)。
交換方法ですが、作業能力があれば工作艦ですませることもありますし、
なければ当然どこか適当な後方まで下がって行います。
予備砲身は後方に貯蔵されており、自信がスペアを搭載していることはないです。
ちなみに大型の砲の場合、砲身自体が二重構造となっており(外筒と内筒)、
その場合交換するのは内側だけです。
(43:724)

戦時中、帆船日本丸が輸送船として瀬戸内海を走ってたと聞いたのですが、知ってる方教えて下さい。

運輸省管轄で、石炭輸送を行っていたそうです。
(11:名無し厨尉)

イギリスのインコンパラブルって、カレイジャスやフューリアスと同じ流れなんですか?

まあ、率直に言えば。
発案者のフィッシャー提督の頭の中にはどうやら
「上陸支援用大型砲艦」という発想が根強く染み込んでいたようですね。

WW2時代の戦艦は、基本が「対戦艦戦用大型戦闘艦」という定義だったわけですが
その定義で見ればたしかにインコンパラブルの設計は奇妙なものに映るでしょうね。
でももとから戦艦を撃つために作られた艦艇じゃないので、いいんです、あれで。
用途が狭すぎて、結局は建造されていてもトンデモ艦と呼ばれるか、あるいは
たまたま投入された対艦戦闘で一撃死した公算が高いでしょうが……
(44:72)

第二次大戦時のノルマンディ上陸作戦で使われてた上陸艇って船のどこから発進するんですか?

LCVPなど小型のものは普通の内火艇と同じく、貨物船(AK)のボート
ダビッドから水面に下ろして発進しました。
また、ドック型揚陸艦(LSD)では内部に巨大なドックを設けてあり、
艦尾のドアを開けて発進させるようになっています。

LCT(8)、LSTは一応自力航行が可能です。
(45:眠い人 ◆gQikaJHtf2 )

正規工作艦明石の歴史と性能について教えて

昭和9年度の軍縮条約下に於ける第二次補充計画によって建造が計画され、
1937年に佐世保工廠で起工、1939.7.31に竣工しています。
この艦は当時最新鋭だった、米海軍の工作艦メデューサ級をタイプシップとして
建造されており、艦内には日本でも最新鋭のドイツ、米国製の精密加工機械を装備していました。

1942年の改○5計画によって三菱横浜にて同型2隻を建造する計画でしたが、
資源不足、戦局の推移によって実現しませんでした。
実現したら、「三原」「桃取」になっていたようです。

太平洋戦争勃発時はフィリピン攻略部隊に属し、以後はトラック島に在泊し、
その陸上工作部と共同で損傷艦の修理に活躍しました。
1944.2.17~18に掛けての米軍のトラック空襲で大破し、3.30にパラオで空襲を受けて沈没しました。

排水量9000t、全長158.5×全幅20.5×喫水6.25m、機関タービン10,000shp、速力19.2kt、
武装として12.7cm連装高角砲2門を艦の前後に装備し、艦内に工作機械114台を設置、
工員433名が17の工場に分かれて、勤務していました。
(47:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

巡洋戦艦フッドは当時の英国でも今のマニアの間でも妙に人気のある艦のようですが、何が特筆すべき性能やエピソードでもあったんでしょうか?

当時最大の排水量を持っていた艦だからだと思います。
そんでもって悲劇的な最後を遂げた点が愛着を持たれているのでしょう。
イギリス人は「勝利より敗北を愛でる」とか言われていたと思いますので。
(50:マルサッカ)

二次大戦の時に使われていた「水上機母艦」とは一体どんなものだったのでしょうか?

基本構成は、発進のカタパルト、収納のクレーン、機体整備場兼駐機場の平らな甲板です
(50:171)

旧日本海軍の艦艇は大和級戦艦からバルバスバウが装備されていますが中身はバウソナーなのでしょうか?

詳細な資料が手元にないのですが、バルバスバウを装備しているのは大和型戦艦と翔鶴型空母
くらいです。
あとの艦はたいていスプーンバウかクリッパーバウのはず。
ソナーにしても装備している艦はそんなに多くなく、海防艦などがハルソナーを装備していて
バウソナーは装備していません。
バウソナーを装備しだしたのは戦後の艦です。
それに、大和型戦艦のバルバスバウって今の商船みたいに大きくないです。
(51:名無し軍曹)
大和の艦首には水中聴音器が装備されてます。
(51:437)

航空戦艦がどこの国でも研究のみで採用されなかったのはなぜですか?

中途半端だから。

同じ大きさの空母と比べると載せられる飛行機が少ないし飛行甲板が
短くなるので航空機の運用力で劣る。

同じ大きさの戦艦と比べると砲塔の数が少ないので攻撃力が低いし
飛行甲板がある分装甲防御で劣る(空母部分も戦艦並の装甲にしたら
重くなりすぎる)。

結局どっちにも十分な能力がないので存在意義がない。
(458:580)
伊勢/日向という航空戦艦が実在したんではないんですか?
そりゃ戦局には寄与しませんでしたけど

あれ、実質的に航空機運用した事ないぞ。役に立ったのは北号作戦で物資を空の格納庫に
詰め込んでの強攻輸送船といった方が正しいぞ。

伊勢/日向はなし崩しに改造しただけなので。
しかも、実戦機を搭載して「航空戦艦」として実戦運用されたことは一度もない。

第2次世界大戦前には、三段飛行甲板時代の赤城に20センチ連装砲ではなく36センチ砲載っけた
ような「航空戦艦」「戦艦空母」が各国で構想されていた。
(475:337-339(原文より一部修正)

航空戦艦なんてまじめに考えていたのは日本だけですか?

他の国でも検討した例が結構あるのでしょうか
WW1とWW2の間にアメリカでも似たような艦が考えられています。
ワシントン条約に巡洋艦の排水量25%を航空兵装に割り当ててもよい
という規定のおかげでどこもこのようなものは構想されてますね。

ロシアのモスクワ級とかキエフ級とか

スウェーデンのゴッドランド級航空巡洋艦を実際に建造してます。
アメリカでも同じようなフネを計画していたとは言われています。
あと日本の航空戦艦は真面目に考えていたわけではなく妥協したと言うのが正しいです。
本来は正規空母の予定でしたが期間などの問題からあの形になりました。
(333:70,71,72)

大戦中の日本の大型艦っていくどと蒸気タービンを機関としてるのに燃料がねえから作戦行動がとれないっておかしくないですか?

蒸気機関って石炭と水で動くはずなんで、石炭は日本で取れるんで問題ないんじゃないですか?

それは石炭燃焼缶の場合だろ。海軍のフネは重油燃焼缶だったので、大規模な改造が必要。

石炭を動力源にするか、重油を動力源にするかで、同じ蒸気タービンと言えど、出力や特性が全然違ってくる。
フェラーリ持ってきて、アルコールでも動くんじゃね?って言うのと一緒。

石油は液体なのでポンプで圧力を掛ければボイラー内に入っていくが、石炭は固体なので人が投げ込まねばならない。
また、石油はバーナーを奥まで伸ばせるのでボイラーの厚みを大きく出来るが、石炭だと人の投げ込める距離以上は
無意味なので厚く出来ない。
その分大型化できず数を揃えなければならなくなる。
このため石油が世界中の港の多くて入手できるようになると石炭専焼ボイラーや混焼ボイラーは廃れ、重油専焼ボイラーが主流となる。
また、日本国内で取れる石炭はあまり質が良くない。

蒸気機関だって、確かに燃料は選ばないがそれは構造が単純だから、釜に入れればとりあえず燃えるだけであって
蒸気を発生させるのに必要な燃料を投入しなければ、燃費の問題で逆に非効率になったり、出力不足で動きません
なんてことも普通だ。
極端な話、石炭の代わりに木炭とか紙とかで蒸気機関動力船を動かせなんて、どれだけ燃料積むんだよってことになるし
(507:290-315)

二次大戦のイギリス駆逐艦や巡洋艦を見れば(カウンティ級のぞく)平甲板のアメリカ駆逐艦と違って艦首甲板が一段高い構造になってますがなんでそうしているんですか?

あれは船首楼という船の一形式です。
利点は見てのとおり、艦首部の甲板位置が高いため、波をかぶりにくいこと。
一方で一段下がることで強度上の連続性がなくなるデメリットもありますから、
平甲板型にして甲板位置を全体的に高める手法も用いられます。

船の形式には船首楼や平甲板の他、船尾楼等様々な種類がありますので
一度調べてみてください。
(338:772)

標的艦となった摂津に積まれた遠隔無線誘導装置の製造国・メーカーを教えてください

海軍の技術研究本部電気部が昭和三年に開発しました。
システムは速力管制装置と針路管制装置を組み合わせた物です。
動力の電動機と電池を使用して無線操縦をします。
但し、ボイラーの自動噴燃装置はドイツのアスカニア社が開発した物を輸入して機関の遠隔管制に使用しました。

参照図書はなんと! 歴史群像2001年12月号のp12です。
我ながら歴群を見直しましたね。

追記、
システムの予算化は昭和9年に認められました。 摂津の標的艦としての完成は昭和12年です。
操作関係に関してはWikiの標的艦摂津に記載されています。
(601:不動産屋のオッチャン ◆UMCByHJxYk)

旧日本海軍の艦艇の艦首には、フレアはあってもナックルは一部の駆逐艦にしかない、という印象なのですが、実際はどうだったのでしょうか。

当時の日本の軍艦はより良好な凌波性や高い速力を追求しまくっていたので、より自然なライン
を追求した当然の結果と思われる。艦首/艦尾形状、舵など、あらゆる部分について、熱心な
トライ&エラーが繰り返されていた。

ところが戦時になり、テクがどうこう言う前に「数」が足りなくなったので、「松」型駆逐艦に至って
ようやく簡素化されナックルになった。性能低下が心配されたが、予想に反して大したデメリット
は出なかったという。それまでが"凝りすぎ"だったというわけ。
(299:105)

日本軍の輸送艦で最大搭載量の艦ってなに?またどれくらい積めるの

二次大戦の輸送船は枢軸・連合とも一般商船を徴用したものがほとんどで、専用の輸送艦は開戦後に建造されている。
連合軍側最大の輸送船は豪華客船として有名なクイーン・メリーで8万1237総トン。
日本で最大は日本水産の捕鯨母船第3図南丸が1万9206総トンで、タンカーとして使った。
タンカー以外の特設運送艦では、日本郵船の浅間丸型1万6947総トンが最大かな。
まあ単純に排水量で言うと、戦艦や正規空母でさえ輸送任務についてるけど。
日本ではそもそも1万総トン超える商船自体数える程しかないし、新田丸型とか氷川丸型とかほとんどが豪華客船だな。
(俺初質スレ431:689)

軍艦の艦種で、「護衛駆逐艦」というものがありますが、「護衛巡洋艦」というものはないのでしょうか

護衛駆逐艦は、WW2のときに輸送船団を護衛するために作られた、量産の効く艦。
んで、巡洋艦とは、まあ、優れた航行性能を持ち、準主力として艦隊のワークホースになる艦。
「量産」と「優れた航行性能」は事実上相反する能力なので、当初から「護衛巡洋艦」と名づけられた艦はないです。
ただ、老朽巡洋艦が船団護衛専従みたいになることはあった。
(294:751)

WW2時の艦艇のレーダー対策

現代では垂直的構造物を控えレーダーの反射を押さえていますが,この簡単そうな原理は60年前でも
対策設計できたと厨房ながら思いますた。このような対策を施した兵器はあったのでしょうか?
当時の計算技術では、電波反射の複雑な計算が出来ないので、かなり厳しい。
実際、戦争末期、日本海軍のいくつかの潜水艦は、レーダー対策として、司令塔に斜めに傾けた板を貼り付けたりした。
しかし、若干レーダーに写りにくくなった程度で、あまり効果が無かった。
ステルスとは、そう簡単に作れる物じゃないのです。

後期のUボートには、そのような考えでセイルに逆テーパーをかけた物が有ります。
(356:265,325)

ドイツ海軍に「偵察艦」という艦種があった様なのですが、分類としては戦闘艦艇に入るんでしょうか?

アメリカ風にいうなら「偵察巡洋艦」。フランス風にいうと「通報艦」。
ワシントン条約後の艦種分類では軽巡洋艦に入る。

艦隊決戦に先立って敵の主力艦隊を捜索する艦で、航続力が長くて速力が
それなりに高く、通信機器が充実いて(艦にもよるが)索敵水上機を搭載
して広範囲の索敵ができる巡洋艦。もちろん戦闘艦艇。

敵国の同種の艦との戦闘を考慮しているため、それなりに武装はしているが、
主任務は戦闘ではなく偵察。

アメリカの「オマハ級」軽巡洋艦が典型的なこの「偵察艦」。
(291:673)

ドイツ海軍所属のGrilleという偵察艦と言う艦種のグリーレなる艦が出てきたけど、テスト船?

総統ヨットのGrilleは、再軍備の暁には駆逐艦の主力機関となる高圧蒸気機関の試作も兼ねています。
平時には、要人の接待用ですが、戦時には機雷敷設艦、そして、Narvikでの艦隊旗艦兼防空指揮艦に
なっています。

そう言えば、1940~41年計画で偵察巡洋艦が計画され、Spaehkreuzer1~3が建造されていましたっけ。
海運王とかが持ってる、豪華客船とかその類似のクラスのヨットなのでしょうか?
まぁ、排水量2,560tですから(ぉ。

Yachtの定義的には、「快速船《個人所有で宿泊設備つきの遊覧用の豪華な船
通例エンジン付きで帆のないものが多い》となっているので、あながち間違い
ではありません。

堀江謙一さんが太平洋に漕ぎだしているのは、Sailing Boatと言われるそうな。

ちなみに、Grilleは賠償で英国に引き渡された後に、米国に渡り、其処で個人に
売却されて、1951年に座礁して失われています。
(291:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

大戦中のドイツ軍やソ連軍に、旧軍の装甲艇のような河川警備用の艦艇というのはありましたか?

ソ連の場合は、1932年建造のUdarnyi、Aktivnyi、1934~39年建造のZheleznyakov級の河用砲艦を建造したほか、
42tのType1124BKA、29tのType1125BKAの二種類の砲艇が作られました。
前者は、T-28またはT-35の戦車砲塔を2基流用したもの、後者はT-34/76 1940年型の砲塔1基を装備したものです。
なお、後者には一部カチューシャが搭載されています。

これらは、1941年の独ソ戦時には、85隻が発注され、68隻が建造中で、1941年8月18日には更に110隻が発注されています。

更に、その後継艇として、MBKが建造されました。
これは、T-34/85の砲塔2基を装備したもの、もしくは一部には10cm砲を搭載したものがあり、1944年から引き渡されました。
全三種の艇は1935~45年までに最低270隻建造され、90隻が失われています。

ドイツの場合は、1943~45年に掛けて20隻が建造されたLS1級と1945年に建造されたKS級があります。
これらは何れも河川用魚雷艇で、前者は、JunkersかDBのDieselを搭載して、450mm魚雷発射機2基を持ち、20mm機関砲を
装備しており、後者はガソリンエンジンで53.3cm魚雷発射機2基を装備したものです。
砲艇として用いられたものとして専用のものはありませんが、ドナウなどでは捕獲艇が用いられています。
(288:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

帝国海軍で「内火艇」を「うちびてい」と呼んでいたらしいけど、これって一体どこから出た呼び方なんじゃろか。

以上から見て、明治大正期には「うちびてい」と言っていたものが、昭和に入って遅くとも昭和10年までには「ないかてい」と呼称が変更されたものと考えます。
(684:370)

第二次大戦時に艦船の探照灯は、どれぐらい使用されたんでしょうか?

日本海軍の戦術では、夜襲に於て探照灯を使用した射撃と言うのがデフォでした。
従って、夜襲を行う場合は、探照灯を結構使用しています…としか回答出来ないなぁ。

但し、連合国の電探精度が上がると逆に目標にされて悲惨な目に遭うわけですが。
(286:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

帝国陸軍の河川用装甲砲艇は、日本軍の武装解除後に国共内戦やベトナム独立戦争で使用されたんでしょうか?

残念ながら、陸戦兵器の整備に手一杯で、(中国共産党の場合は)次いで空軍の整備、
水上兵力は後回しとなり、結局使用されていません。
尤も、利用する場所がありませんし。
(278:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

英国の対空砲艦というのはどのような艦なのですか?

対空砲艦には二種類有り、一つは1,800~6,800総トンの貨物船(前身は特設巡洋艦として徴用したもの)
に、4インチ連装高角砲を艦の前後に2基当て装備し、4連装2ポンド砲を船橋側面に2基配備したものが
Defaultの武装でした。
Alynbank、Foylebank、Palomares、Pozarica、Prince Robert、Ppringbank、Tynwald、Ulster Queenの各船
です。
このうち、Prince Robertはカナダ海軍のもので、元来特設巡洋艦だったものこの艦種に転換したものです。
後に、2ポンド砲は撤去され、40mmボフォース機関砲を4門と20mmエリコン機関砲を9門装備しています。
なお、武装強化では、他の生残りの艦は順次20mmエリコンが6門追加されています。
Springbankには、これに加えて、Fulmar戦闘機を1機カタパルトに装備していました。

1943年に生き残ったAlynbank、Prince Robert、Palomares、Ulster Queenのうち、Alynbankは1944年に閉塞船
としてノルマンディーに沈められ、残りは対空指揮艦となりました。

もう一つのものは、350~3,000t級の沿岸貨物船を改造したもので、6隻のスクリュー船と26隻の外輪船がこの
任務に当たっています。
後者のうち20隻は、特設掃海艇から改造されたものです。
武装は、初期の頃は2ポンド砲を艦の規模にも依りますが、2~6門と若干の機関銃、後に、2ポンド砲は20mm
エリコン機関砲に換装されています。
また、一部の艦は12ポンド砲1門、2ポンド砲2門、最大の艦である、Coronationは、20口径3インチ砲2門、2ポンド
砲2門を装備していました。
なお、この沿岸対空砲艦で喪われたのは、4隻ありました。

CAM-Shipは簡易的なもので、Hurricane戦闘機をカタパルトにくくりつけただけで、回収は考えていません。
乗員は、護衛艦艇の近くに着水して救助されるものです。
その装備位置は各艦まちまちですが、大抵の島型貨物船の場合、煙突後部のスペースに備えているものが、
多かったようですが、大型船の場合、艦尾にもあります。
いずれも、機体は横向きに撃ち出されるよう、固定されています。

北欧空戦史とか北海の戦い(朝日ソノラマ・絶版)に写真とかが掲載されていたか、と記憶しています。
(119:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

ドイツや英国の防空巡洋艦というのはどんなものだったんでしょうか?

外輪船改造は沿岸用で、船団護衛用に大型船を改造したものがあります。

ドイツの場合は、宿泊船として使われていた小型巡洋艦Gazelle級のArcona、Medusaを
1942年に対空砲台に改造していますし、ノルウェーやデンマークの海防戦艦を占領後に
接収して、練習艦兼防空砲台としています。

英国の防空巡洋艦は、C級の改造型で、Caledon、Coventry、Curlew、Cairo、
Calcuttaが改造されています。
主兵装はいずれも4in連装高角砲を3~4基に換装され、ポムポム砲を2基程度装備して
います(後に撤去され、40mm単装砲と20mm機関砲に換装されていますが)
またD級のDelhiは、1941~42年にかけて米国改造されたため、5in単装両用砲5門、
ポムポム砲2門に換装されています。
(119:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

大発って何ですか?ダイハツという車の会社と関係があるのでしょうか?

大発(大発動艇)は陸軍運輸部が開発した戦車・重量兵器用陸用舟艇です。
大正13年の訓令事項により
  • 武装兵約60名を搭載しえること
  • 馬匹・野砲・軍需品を搭載しえること
  • 重量六トンを限度とすること
などを条件として開発されました。、

大正14年に試作型であるA型(LB-A)が完成し、さらに改良型として船首の一部を
歩板にしたB型・船底肋骨を2本にしたC型・大型化して戦車の揚陸を可能としたD型が
製造されました。
D型は全長14.88メートル、自重9.5トンで八九式中戦車が搭載可能でした。

さらに戦車の重量増に対応して97式中戦車(13.5トン)搭載可能な15トン型特大発動艇
「〇セ(丸の中にセ)-LB」や26トン戦車搭載可能な30トン型大発動艇を
超大発動艇(S-N-LB)として試作しています。これは大型発動艇とも呼ばれました。
この他にも木製大発動艇・折畳式大発動艇などが開発されました。


また、兵員揚陸用として小発動艇が存在し、A~C型が製造されました。これは
C型で自重3.5トン、武装兵20名または物資3トンが搭載可能でした。
(124:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)

WW2の艦船で現役なのはありますか?

確かパキスタンであったような
2001年の段階では、Pakistanの旧英国大戦型駆逐艦は、英国の軍艦大バーゲンの際に
退役しています。
旧英国大戦型駆逐艦は、EgyptにZ級が1隻あり、EgyptはBlack Swan級護衛駆逐艦も1隻
未だに保有していますね。
旧米国大戦型駆逐艦・護衛駆逐艦は、MexicoにEdsall級護衛駆逐艦が1隻、C.Lawence級
護衛駆逐艦が3隻、ついでに、自前調達で、1936年建造のフリゲートが1隻、Philippinesに
Cannon級護衛駆逐艦(Viet Nam流れだったかな)が1隻、Auk級コルベットが1隻、その本家
Viet Namには、南から鹵獲したBarnegat級水上機母艦改造護衛駆逐艦が1隻があります。

旧米国の駆逐艦では、Gearing級のFRAM改造型が台湾に7隻、同じく韓国に5隻、Mexicoに2隻
供与されており、Fletcher級がMexicoに1隻あります。

このほか、第二次大戦中に計画され、戦後完成したものとして、旧英国のDaring級駆逐艦が1隻
Peruが保有し、PeruはNetherlandsの軽巡洋艦を未だに保有しています。
(127:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

日本の駆逐艦とか潜水艦にはアクティブソナーはあったんでしょうか。

それと米軍の行動中の潜水艦を駆逐艦で沈めたことはどの位あるんでしょうか。
一応、駆逐艦には、あると言えばありますが、潜水艦には無かったかと。

対潜用水測兵器としては、聴音機が最初米国製MV式、次いで、国産の九三式になりました。
探信儀は、九三式をずっと用いています。
後にGermanyのS装置を基にした、三式探信儀が誕生して以後はそれに切り替えられています。
また、後に聴音機は、四式が実用化され、松級の一部はこれを搭載しています。

ついでに、英国式のASDICを国産化したものも駆逐艦ではない、一部艦艇に搭載されていましたが、
後に三式に統一されています。

米軍の行動中の潜水艦を駆逐艦で沈めたのは、1942年2月のSharkを皮切りに、3月にPerch、1943年
1月にArgonaut、3月にGrampus、11月にSculpin、1944年2月にTrout、10月にShark(II)、11月にGlowler
と、最低でもこれくらいはありますね。
(127:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

大戦中、日本ではコンクリート製の輸送船が作られ、これが結構優れものだったと言いますが、

コンクリートで軍艦(砲雷撃艦は無理でしょうが、空母・護衛艦など)を作るのは無理でしょうか?
コンクリ船建造時の担当官の考え方としては、
 (1) 本格的な量産は考えない。コンクリ船は鋼船の補助的な存在程度のものであって、これにより
    幾分の補いは付くが、これだけに頼る訳にはいかない。
 (2) 鋼材の供給力が十分に成った時には廃止されるべきものであって、戦時中と雖も、便法とされる
    べきものである。
と言うものであり、期待はしていません。

逆に、
 (1) 船価は、鋼船の二倍になるので、特別の措置を必要とする。
 (2) 建造地には、冬期でもコンクリート工事施工可能な温暖な地を必要とすること。
 (3) 線材として、甲造船の際に余る鋼材を充てることになっていたが、甲造船そのものが少なくなったので、
    線材が利用出来なくなったこと。
 (4) コンクリートも良質のものが必要であること。
 (5) 鋼材の使用量は確かに少なくなるが、逆に型枠に使用する木材の使用量が二倍以上必要となること。
と言うデメリットが発生しており、また、普通のコンクリートでは、耐水性の問題で、没水部を薄板鋼板で覆っています。
耐水性コンクリートとして硫酸銅セメントを用いることが考えられ、小型船が進水間際まで行きました。

このほか、マグネシヤセメント船も研究されましたが、これとて、
 (1) 一隻当り所要資材のうち鋼材の使用量は余り減らないし、木材も従来の木造船の半分を消費する。
 (2) マグネシヤの原料は朝鮮あるいは関東州であり、内地にはない。
 (3) 構造から鑑みても、木造船に比べて工数と建造機関が掛かりすぎる。
と言う理由で、研究はされたものの、実用は見送られています。
(128:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

F型ライターとは、どんな船なんでしょうか?また、MGBとどう違うのか教えてください。

F型ライターとは、ドイツ海軍が第二次大戦中量産した、輸送艇MFPのことです。
用は自走艀で、排水量220t、長さ47.0m、主機ディーゼル(390馬力)、速力7.5kts/h、滞貨重量105tまたは兵員200名を輸送
出来る、米国のLCUに相当するもので、この艇体を利用して、砲や対空火器を増備した砲艇のD型、機雷敷設用のAM型など
がありました。
MGBはMotor Gun Boat、これは、英国で主に使用されたMotorboat型高速砲艇で、MFP-DとMGBがしばしば戦闘を繰り広げて
います。
Camper & NicholsonのMGBの場合、排水量115t、長さ35.7m、主機Packardガソリンエンジン(1350hp)×3、速力は31kts/hに達し、
兵装は、6ポンド砲1門を艇首に、20mm連装機銃1基、同単装機銃2門、45cm魚雷発射管4門と強力な武装を誇っています。
これらは、元々、ドイツ海軍のE-Boatに対抗する為のものでした。
(257:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

対潜兵器の「捕獲網」は、どのように使うのでしょうか?

日本の正規捕獲網艇は燕と鴎の2隻なので、2艘曳きトローリングと同じ要領と思っていましたが
特設捕獲網艇の場合、特設駆潜艇2隻と特設捕獲網艇1隻で1個駆潜隊を編制すると最近知りました。
1隻でどうやって曳くのでしょうか?
一四式一型あるいは二型が用いられています。
これは、長さ100m、幅35mの鋼索製の網で、五枚を一組とし、網の上方には浮子を、
下方には海底に達する索を取付け、重錘を以て海上に沈着させるものです。

特設捕獲網艇は、最大500~1000総トンの貨客船、客船、貨物船で、改造要領は、
船尾楼甲板上に鉄骨木製の捕獲網敷設台を設けます。
これは、大きく外舷から張り出した矩形平面のもので、両側には網を掛ける柵が
立っています。
後部船倉を網庫として、捕獲網は網庫内に四組搭載し、二組を敷設台上に組立て
てから敷設します。
敷設台後方には網用錨ダビッドがあり、網は台の後端から滑り落ちる仕掛けです。

要は曳航するのではなく、落っことして、置いておく様な感じでしょうか。
(143:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

日本の戦時標準船の「改E」系列は、きわめて評判が悪いようですが、

やはり改Eの大量産と言う方針は誤りだったのでしょうか?
1941年秋の状況で無限と言うほどの船腹量が必要になってきますが、
D型以上の建造は施設的にも材料的にも行き詰まってきたことで、その
改善が見込めず、全くの応急用としてのE型船量産という着眼点はそれ
なりに良かった訳でして。

その特徴として、
(1)小型であるため建造技術が簡単で必ずしも専門家、熟練工を多数必要としない、
(2)建造施設を簡易、かつ、急速に設備しうる。
(3)量産思想に依って、工作し得る程度の大きさである
(4)主要材料である厚板は、造船材を作成していない中小製鉄所の設備、技術でも量産可能。

と、誠に以て、良いことずくめで、特に軍備と競合しないので、海軍としては魅力的に写ったのだと
思いますが、量産したは良いものの…。

(1)冬季北方、日本海での使用は困難(航行できないと言うが、こんな所を走らせるために作ったんじゃない、
  と設計者は切って捨てていますが。)
(2)低速である(軽荷状態で強風を船首方向から受けると操舵、保針に困難が生じる、というのは認めましょう。)
(3)居住性不良(思想と観点の問題と、設計者は切って捨てていますが)
(4)工事粗漏(造船所の責任と、設計者は切って捨てていますが)
(5)機関故障(焼玉機関は焼玉としては出力過大だけど、これは油と発動機工場の質低下に帰する、と設計者は切って捨てていますが)
(6)焼玉揚貨機の不調(工作不良と運航者の問題と、設計者は切って捨てていますが)

と例によって、基礎技術の伴わない状況が出てきています。
また、船型の改善が難しく、播磨造船所では、貨物船を油槽船に切り替えるために、月間10隻の竣工予定が、7隻に落ち込んだりして
います。
(143:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

WWⅡでアメリカが駆逐艦等を改装した機雷敷設艦の一覧でも分りませんか?

WWIIの米国駆逐艦改装機雷敷設艦と言うことで良いのでしょうか?

Flush-Decker'sを改造したもので、
 Gamble(DD123 → DM15)
 Ramsay(DD124 → DM16)
 Montgomery(DD121 → DM17)
 Breese(DD122 → DM18)
 Tracy(DD214 → DM19)
 Preble(DD345 → DM20)
 Sicard(DD346 → DM21)
 Pruitt(DD347 → DM22)
Sumner級改造のものが、
 Robert H. Smith(DD735 → DM23)
 Thomas E. Fraser(DD736 → DM24)
 Shannon(DD737 → DM25)
 Harry F. Bauner(DD738 → DM26)
 Adams(DD739 → DM27)
 Tolman(DD740 → DM28)
 Henry A. Wiley(DD749 → DM29)
 Shea(DD750 → DM30)
 J. Willoam Ditter(DD751 → DM31)
 Linsey(DD771 → DM32)
 Gwin(DD772 → DM33)
 Adam Ward(DD773 → DM34)
(149:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

「護衛駆逐艦」「護送駆逐艦」とはなんでしょうか?

米国海軍的言い回しですと、Destroyer Escortになります。
英国海軍なら、Escort Destroyer。

駆逐艦の様に艦隊決戦に用いず、船団護衛に主に用いられるもので、魚雷発射管は殆ど搭載せず、
砲口径も小さく、対空火器と対潜装備を充実させたものです。
更に量産が効くように、各種装備は簡略化され、速度も船団維持と潜水艦の速力より高いくらいなので、
余り出せませんし、それを前提に、ディーゼル主機とかディーゼル電気推進、タービン艦でも、ボイラーは
三連成機関となっています。
(153:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

日本の駆逐艦で主砲塔を一基下ろして、機銃を載せるという改装をした艦があったと思うのですが

樅級は1943年頃から3番砲を撤去して代償に対空火器と電探を装備。
神風級は1943~44年に掛けて4番12cm砲を撤去してその跡と艦橋前部に25mm連装機銃2基づつを装備。
若竹級も12cm砲を2基降ろして対空機銃を増備。
睦月級は12cm砲1~2門を降ろして対空機銃を増備。
吹雪級は1943年後期頃から12.7cm3番砲塔を降ろして25mm三連装機銃2基と換装し、艦橋前面に25mm連装
機銃1基と2,3番魚雷発射管中間に25mm三連装機銃2基を追加。
初春級は1944年に入って、単装砲塔を撤去し、25mm三連装機銃1基と換装。
白露級も初春級と同様。
朝潮級は1944年頃に12.7cm2番砲塔を撤去して吹雪級と同様の改装を実施。
夕雲級は1944年以降に12.7cm2番砲塔を撤去して25mm三連装機銃2基と換装。
但し、最後期に建造されたものは、砲塔撤去が無かったです。

ついでに、千鳥級は後部主砲を撤去し、25mm連装機銃2基、単装4基を増強、
鴻級も同様ですが、25mm単装機銃の門数が5基になっています。
(155:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

記事メニュー
目安箱バナー