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大和型2 - (2011/09/28 (水) 22:20:59) の編集履歴(バックアップ)



レイテ沖海戦で武蔵が主砲を撃つたびに爆風で機銃手が海に落とされたときいたのですが本当でしょうか?

大和級戦艦の主砲発射時の爆風はすさまじく、主砲発射時に甲板に出ることは原則的に禁止され
ていたようです。また高角砲座などにはフードが被せられ、甲板の儀装品はしっかりと固定され、
観測機も格納するきまりでしたが、武蔵が航空攻撃を受け余裕が無くなったときは甲板の剥き出しの
機銃座に人がいてもお構いなく主砲をぶっ放していたようなので人が転落してもおかしくないでしょう
(48:818)

いかなる距離から射撃しても大和の砲塔前楯装甲に穴も開けることすらできないのでしょうか

いかなる距離からも貫けない・・・ってのは現にありえませんでしたね。
信濃用の砲塔前盾装甲を大砲で貫通した実物が、米海軍の砲撃実験場みたいな所にモニュメント
のような形で残されてます。
まぁ、正確な射撃実験データが残ってないので何とも言えません。一説には見せしめのために超
近距離から非現実的な状況で撃った。との説もあります。

まぁ、どの距離からの射撃でも貫通できないって事はありえません。現に貫かれたわけだから。
戦闘距離では・・・って意味ではまた違ってくるでしょうけど。
(50:814)
大和型の主砲前盾の装甲厚は 650mm。
仮に大和の主砲がゼロ距離で当たったとして、その貫通力は 864mm(w

もっとも、距離2万メートル前後だと、垂直装甲に対する直撃(角度が付いている)
で 494mm 打ち抜けるという試算だそうだから、これには耐えられますな。
(50:819)

大和と武蔵を見分けるにはどこを見ればいいのでしょうか?

武蔵と大和の外観上の差異ですが
竣工時では艦橋側面の18㌢双眼望遠鏡用のスポンソン(張り出し)
無線電話送信機の位置、信号指揮所の形状
艦橋背面のラッタル(階段)の形状などですね
絵を描くというのでしたら、艦橋側面のスポンソンの違いが
両艦を識別するうえでの特徴ということになりますね
大和も武蔵も、竣工してから細かい改装を重ねてますので
時期によって両艦の差も微妙に異なります
(52:153)
改装後だったら、高角砲を見るのが一番簡単に見分けるコツだよ。

◎→防盾付高角砲
○→普通の高角砲
△→3連装機銃+土嚢

大和艦橋はこうなってる
 ○ ○ ○
◎ ◎ ◎

武蔵艦橋はこうなってる
 ◎ ◎ ◎
△ △ △

武蔵は高角砲が間に合わなかったので、代わりに3連装機銃を積んでいます
(322:407,410)

戦艦武蔵の負傷者を見捨てた駆逐艦の艦長達は海戦後に処罰されたんでしょうか?

吉村昭著の「戦艦武蔵」では、沈没の数時間前に、武蔵が護衛駆逐艦に「負傷者を収容する為に横付けせよ」との信号を
発信したのにもかかわらず、「了解した」と返答するだけで、武蔵が沈没する際の渦にまきこまれるのを恐れ、横付けしな
かったとの記述がありました。
これは「命令」ではなく「要望」にしかならないので、処罰の対象にはなりません。
武蔵からの信号は艦長たる猪口さんの責任で打たれますが、
猪口さんには駆逐艦に命令する権限はありません。

武蔵を始終直衛していたのは清霜で、当時艦長だった梶本さんはその後の礼号作戦で戦死しているので
譴責はなかったとみるべきでしょう。
清霜に厳然たる命令を出せたのは長官たる栗田さんか2水戦の早川さんですが
早川さん自身、旗艦島風に乗って現場に行き、泳ぐ武蔵乗員を救助させていますが、
島風も横付けしてませんし、何より島風が被弾するや浜風を呼んで交代して退避してます。
早川さんも3次オルモック作戦で戦死しており、処罰を受けてはいません。
見るに見かねた利根の黛さんが減速して何人か引き上げてますが
本来所属する7戦隊から勝手に抜け出すわけにもいかず、島風到着を待たず置いていくのですが
さすがの黛さんでも「おらがやってやるよ」とは言わなかったわけで
梶本さんにしろ早川さんにしろ黛さんにしろ「猪口さんの気持ちもわかるけど…」の心境でしょうね。
(272:鷂 ◆Kr61cmWkkQ)

大和などの場合には艦首部分などに単装の機銃がありますが、これは手動ですよね。

九三式13mm機関銃に関しては人力です。
九六式25mm単装機銃に関しても同様。

でもって、連装以上の場合、大型艦の一部に搭載されたものを除き、その殆どは、
人力になります。
砲の左右に座った2名が操作し、右側が旋回方向、左側は俯仰調整となります。
(133:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

大和型戦艦の艦橋に装備されていた13mm機銃は、資料によって連装だったり4連装だったりしますが、どちらが正しいのでしょうか?

一応、福井静夫氏が1944年7月14日に調査した時には、艦橋部に機銃掃射対抗用として、連装の
13mm機銃が2基搭載されていました。
増備されたとすれば、そこから菊水作戦の前に行なわれたことになりますが、13mm四連装機関銃
は銃架重量が1200kgで、連装銃架の凡そ三倍になります。

突貫工事でもこれだけのものを搭載するのは、架台から強度を考えないといけないので、あり得ない
と思います。
また、四連装銃架自体も、従来から装備していた艦はいずれも撤去されており、1944年には砲架その
ものが残っていないか地上用に転用されていた可能性が高いです。
(155:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

大和型の建造資材ってどのくらいなんでしょうか?

大和型戦艦の船殻重量は21,063トン、防御装甲の重量は20,895トン。
ついでなので翔鶴型空母の船殻重量は12,623トン、防御装甲の重量は5169トン。
(702:672)


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