「WW2各国の戦車」の編集履歴(バックアップ)一覧に戻る

WW2各国の戦車 - (2020/05/13 (水) 00:06:48) の編集履歴(バックアップ)



2C戦車の砲塔の後ろのところにのっているエンジンみたいなのはなんでしょうか?また、車体側面にある機銃の正確な場所はどこでしょうか?

排気管が出ていますから、ガソリンエンジン用の機関室と思われます。
一応、ガソリンエンジンで発電機を回す方式でしたから。
で、思想的には第一次大戦の発想ですから、上面からの航空機の攻撃
は考慮されていなかったのではないでしょうか。

車体前方何ミリの所にあるのかは寡聞にして判りませんが、車体前方に2丁8ミリ機銃が装備されていました。
(11:名無しさん@眠い人 ◆ikaJHtf2)

イギリスの戦車で、砲塔の周りに白いペンキかなにかで、角度が書いてあるものがありますが、あれはなんのためなんですか?

某模型メーカーのセントー戦車の説明書によれば、
照準用目盛りだったと思います。
(10:名無し厨尉)
セントーのCSタイプなんで、支援砲撃用のものであって、直接照準用で
無いと思います。
なので、目盛りを書いても差し支えないのではないかと思いますね。

ノルマンディー上陸作戦時の第一ロイヤル海兵機甲支援連隊所属の
セントーIVですね。
(10:名無しさん@眠い人 ◆ikaJHtf2)
どのように目盛りを使って、目標を統一するんですか?
砲兵観測用でしょ。北を零として、「目標○時○分方向!」って
指示するのが普通です。もちろん、おおよその距離も知らせます。
で、艦上の観測員が正確な目標距離を算定し砲撃するのでは?
(24:一等自営業 ◆kawD31MU)
セントーMK.ⅣはRMASG(英国海兵隊機甲支援グループ)と呼ばれる部隊で戦車揚陸艇に
乗ったまま味方歩兵部隊を海上から火力支援する任務に就いていました。
砲塔の目盛りは海上から射撃を行うときに、たとえ視界不良でも複数のセントーが
同一方向へ射撃を行えるように基準として書き込んだものです。
1942年11月から950両が生産されたうち80両は、この95mm榴弾砲装備型でした。
クロムウェルとセントーの違いは前者がミーティアエンジン・後者がリバティーエンジンを
搭載していることです。
(53:130)

カリオペって対日戦でも使われたんでしょうか?

カリオペ・シャーマンは、私が知っている範囲で太平洋域のは見たことがありません。
でっかいロケット、ホイッツバンのランチャーをLVT(多分LVT-4)に載っけた例は太平洋であります。

あとカリオペで用いたれたロケットをダック(水陸両用トラック)にぎっしり載せた例もあり。
これは太平洋で用いられたとキャプションにありましたが、実戦写真では未確認です。
なんか、島に一気に上陸するんですから、大砲をえっちらおっちら揚げている間に、カリオペで凌ぐってありそうです。

勝手な想像ですが、道無き道のジャングルでは邪魔になるという以外に、
カリオペでは揚陸艦に載せにくそうに思います。
ところが、役に立つ。
そこで水陸両用車両にって事になったのかも
(26:朝日太郎)

戦時中のソビエト戦車の砲塔には何やらスローガン(?)が書いてありますがどんな事が書かれてるのでしょう?

ЗА Родину!(祖国の為に!)
ЗА СТАЛИНА(スターリンの為に!)
みたいな祖国賛美系

Смерть Фашистам(ファシストに死を)
みたいな敵に対する決意系

МОСКОВСКИИ КОЛХОЗНИК(モスクワ・コルホーズ)
みたいな戦車寄付先、生産工場の名前

АО Берлина(ベルリンへ)
みたいな地名、行き先
この様なものが描かれています。
(29:919)
3A?ってどういう意味?
~のために
という意味と推測できる。
しかし、3Aではない。ЗАである。
(29:928)

T-34/85やJSシリーズは戦後も多くの国で使われていますが、KVシリーズやT-34/76はなぜ使われなかったのでしょうか?

T-34/85やJSシリーズが長く使われたのは、戦後もソ連に生産ラインがあったり、採用した外国が自国に生産ラインを作ったからです。
戦車砲用弾薬や、交換部品の事を考えると、T-34/76やKVは使えないでしょう。
(32:861)
ソ連の武器援助は1944年後半から行われている。ソ連軍は戦車の損耗が激しかったため、この時期には既にT-34/76やKV戦車はほとんど残っていなかった。つまりKVシリーズやT-34/76はそもそも他国に送るものが無かった。
(hismed)

T-35という戦車があることを知りました。なんでソ連以外の国はこういう戦車を作らなかったんですか?

他国にも無いわけじゃないよ。流行らなかった理由は、でかくて重いくせに
装甲が薄くて機動性が低いから。
もともとT-35というヤツは、火力支援戦車って言う位置付けだったんで、
機動性は重視しなかったんだが、いざ使ってみるとドイツ戦車に歯が立たなかったんだな。
ドイツにはPzKpFw、NbFzという名の多砲塔戦車があったけどね。
あと日本の100トン戦車とか、イギリスのビッカースインディペンデントとか。
(結構あるな。)いずれも試作程度。ある程度台数が実戦参加したのはやはりT-35くらい。
(32:803)

M4の主砲である76ミリ砲は鉄鋼弾では75ミリ砲よりもすぐれたものだが、榴弾を撃つときにはその逆だったと以前読んだ事があります。

何かワケがあるのですか?
×鉄鋼弾 ○徹甲弾
簡単に言うと砲の口径が大きくなっても中に入ってる炸薬の量が少なければ、
威力は小さいということです。
で、どうしてそういう設計になったのですか?
設計の理由ですが、単純に言うと対戦車能力を重視したということです。
そして対応ですが、当時は75mmの貫徹力のなさが緊急の問題でして、問題とされた76mmの榴弾威力の少なさは
目をつぶることになりました。
ただ現場では炸薬量の多い75mmが歩兵支援用に好まれたので、76mm砲型に生産の主力が移行してからも
並行して生産されました。
あとさらに榴弾の威力の高い105mm砲型も生産されてます。
砲を改良せずに用途によって使い分けたということです。
(36:バッチ3)

T-34、JS-2等の車体横によく付いている横長のホームベースみたいな形をしたあれは一体何なんですか?

のこぎり…の事を言っていると推定。
日本ではあの形ののこぎりを大鋸というのだが、電動工具の普及ですたれた。
第2次世界大戦の車外装備でのこぎりを積んでるのはソ連くらいしか知らないな。
現用だと結構積んでる車体が多い。
(36:620)

T-34の34って、どう言う意味ですか?

T-34は、T-34の設計者コーキシンがソ連戦車部隊の増強が布告された1934年を記念して
「T-34」と名付けてもらえるよう主張したのでT-34となった。

つまりT-34の34は1934年の34。
(40:556)

T-34/76も砲の種類がいくつかあるような気がするんですが…??

T-34/76の主砲はL-11,F-32,F-34とあり、ほとんどがF-34搭載です。
F-34で使われた徹甲弾BR-350A、APDS弾BR-350P、榴弾F-354,OF-350をチェックした所、
76mmカノンUSV及びZIS-3(コレ辺りがラッチェ・ブム?)で使われていました。
(42:バッチ3)

Nahuel DL43 アルゼンチン中戦車ナフェル1943ってどんな戦車かご存知ありませんか。

Nahuelは、4人乗り75mm砲搭載の中戦車で、16両生産されています。
その後、M4など米軍の装備を供与されたのでこれ以上の発展はありませんでしたが。
(44:眠い人 ◆ikaJHtf2)

三式戦車対シャーマン戦の予測では60mでないとシャーマンが倒せないとされたものを読みました。

となると一式砲戦車対シャーマン戦で一式が善戦したらしいという記録が怪しくなるのですが、どちらの信憑性が高いでしょう?
一式砲戦車の戦果は主に防御戦闘時の側射陣地からの射撃による
斜射側射は防御火力を編成する上での基本で、敵戦車の攻撃方向を至当に見積り、
障害と連携して周到な対戦車火力を編成した日本軍の対戦車戦法が
間違ってなかったことを証明している
一式砲戦車は当時の日本陸軍の保有する最強の対装甲火器であり、善戦したのは間違いないが、
虎や豹のようにM4を嬲り殺していたわけではない
(45:389)

M3軽戦車って、実戦配備時に車体が延長されたって本当ですか?

エンジンの違いによって車体が変わってるのは確かです。
(45:901)

T-34/85と、M4シャーマンは、朝鮮では互角だったって本当ですか?

カタログデータだけでなく、総合能力で見比べてください。というかシャーマンだって改良されてるんです。
あと錬度と運用が違います。
(45:901)
朝鮮戦争当時のシャーマンはM4A3E8、いわゆるイージーエイトと呼ばれる
最強級のシャーマンであったのも理由の一つだが。
56口径の長砲身、一枚板の前面装甲板、湿式弾庫、幅広キャタピラの採用等々。

4号H型で75mm48口径、パンサーで75mm70口径。アメちゃんはタングステン弾芯の
徹甲弾を多量に持っていた。一概に口径で威力を比較できないが、まあ第2次世界大戦のシャーマンよりは強かったのは確か。

あと、手に負えないヤツが出てきたらパーシングやセンチュリオンの支援も受けられたしね。
(45:916)

M4ってM4A6まであるけど違いは?

M4…溶接車体、鋳造砲塔、M3 75mm砲またはM1A1/A2 76mm砲装備、
    エンジンはコンチネンタルR-975空冷9気筒
M4A1…鋳造車体採用、M3 75mm砲またはM1A1/A1C/A2 76mm砲装備、
     なお、76mm砲塔はT23と同型式。
M4A2…溶接車体、鋳造砲塔採用、M3 75mm砲装備またはM1A1C/A2 76mm砲装備、
     エンジンはGM6046水冷12気筒ディーゼル。
M4A3…溶接車体、鋳造砲塔採用、M3 75mm砲装備、またはM1A1/A1C/A2 76mm砲
     装備、エンジンはフォードV8水冷8気筒ガソリン
     後期車体には湿式弾庫を装備した。
M4A4…エンジンにクライスラー・マルチバンク水冷30気筒ガソリンを採用。
M4A6…兵器廠製RD-1820星型9気筒ディーゼル搭載。

なお、M4A3、M4A4には105mm榴弾砲搭載型もあります。
(47:眠い人 ◆gQikaJHtf2)
M4に76mm型はないです。(計画のみ)あと76mm型全ては湿式で後期型車体ですし、後期型車体でも105mm型は乾式です。
あと後期型車体を採用したのはM4(105・75ハイブリッド、ただし乾式)、M4A2(75後期、ただし乾式・76)、
M4A3(75後期・76・105)、M4A6(ハイブリッド、ただし乾式)です。
それと105mm砲型はM4とM4A3です。M4A4とM4A6は75mm型のみ。
欠番のM4A5はカナダのラム戦車です。
(47:バッチ3)

第2次世界大戦イギリスが、アメリカからもらった空挺戦車つかったって聞いたような

テトラーク空挺戦車は英オリジナル、ノルマンディでも投入されてますが
投入数も微々たるもんです。
(47:404)

T-34にはハッチを内側からロックする仕組みはなかったんでしょうか。

たいていの戦車のハッチには、内側からロックできるようになっている。
ただ、戦闘時には視界確保や脱出等の為に、ロックをしていないことが多い。
(俺43:35)

BT戦車って、ノモンハンのころだと二線級だったんですか?

ノモンハンの時点ではKVやT-34は作られていませんね。
生産数が多くなかった多砲塔戦車を除くと、BTはT-26と合わせてソ連軍の主力戦車の位置を占めています。
BT-7の37年型なら最新鋭、35年型ならこなれた具合。
BT-5は主砲が同じですし、装甲厚がやや7型より薄いという程度なので、
(ソ連にとっては)一線級の主力戦車と言えると思います。
(57:Chkz ◆fycV/APV4o)

JS2m スターリン2の後方右左両側についてる、水筒みたいな筒って何に使うんでしょうか?

燃料タンクです
T72など現用戦車でも搭載しています。
ttp://www.wp.mil.pl/zdjecia/czolg.t72.jpg

航続距離の長いT-34でも搭載していたので、
兵站の貧弱なロシアなりの配慮かもしれません。
(57:413)
予備燃料タンク。
T-34やKV等ほぼ総てのソ連戦車に、独ソ戦開戦後しばらくした頃から付いています。
極初期は角型でしたが、すぐに円筒になりました。よってスターリンは円筒型のみ。
(57:415)

アメリカのM247対空戦車は量産されたんですか?

約50輌(65輌?)製造されたそうです。
(59:502)

『バレンタイン戦車』というのがあると聞いたんですが

ヴィッカース・アームストロング社が
1938年2月14日に陸軍省に企画書を提出したため、命名されました。
(63:91)

ソ連のT-34はバスケットないのに椅子がありますよね。砲塔に二人いるから、旋回させると45度くらいから苦しいんじゃないですか?

それともやっぱり戦闘中は立ってしまうんでしょうか。(装填手は立ちますね)
ソ連について。

戦車の開発や仕様変更については、軍上層部(大粛正を免れた人たちなので、資質は推し
て知るべし)や、政治首脳部が横槍入れまくる訳ですが、門外漢ばかりなので火力や防御
力の強化ばかりが要求されたようです。
また、現場からは火力・機動力・信頼性の面の要求が多かったようです。
生産性も重要でした。

以上のことから人間工学面の研究は遅れ、砲塔バスケット装備はT-55からです。
(実際はターンテーブル)


砲安定装置(水平面)とセットで装備されました。

要するに、行進間射撃用。
(63:438)
他国ではどうだったんですか?
アメリカについて

M4シャーマンは初期から、M3軽戦車はA3型からバスケットが装備されてます。

以後、概ね装備されてますが、シャーマンのA3型の後期型(前面装甲が一枚板)のものは
床に弾薬箱を移したので、仕方なくバスケットを廃止してます。

A3後期型は弾薬の誘爆防止のため、弾薬箱を水入りにしつつ、被弾率の低い床に置いてます。
(63:438)
砲塔バスケット、同世代の戦車なら世界でも標準?と言えるかとは思う。

しかし、だ。小隊長以上になると車外で指揮を執るってのが・・・
(63:ミリ屋哲 ◆qmwryStCos)

何故第二次大戦中のアメリカはM26パーシング戦車の開発が遅れたのでしょうか?

 シャーマンの車高低下→
  火力の強化→
   タイガーへの対抗上、再強化。
のような感じで段階的に研究を重ねたためです。

また、開発途上で四号戦車相手ならかなり有効そうな試作品が完成して
いたのですが、ノルマンディー上陸前にそれらを量産する必要無しと
判断したためです。

新兵器の完成まで作戦を遅らせたくない。
シャーマンより重い戦車は、たくさんイギリスに送れない。

等の理由です。
ちなみに、上陸作戦を前に戦車兵の再訓練をしている暇が無いので、
シャーマンの火力強化すら見送られました。
(64:136)
補足なんですが、アメリカのM10やM36は、「タンクデストロイヤー」です。

十年くらい前からか、「駆逐戦車」じゃなくて「戦車駆逐車」と訳す方が増えて来てます。

機動力に物を言わせて戦車より先行し、敵戦車と火砲を破壊する車両として開発されて
います。

敵の火砲を早く発見できるように、わざとオープントップとされてます。

と言う訳で、ドイツの駆逐戦車とはまったく性格を異にする物ですのでご注意ください。

(とは言え駆逐戦車の定義も無いけどね。)
(64:145)
現実的な問題を挙げますと、船で運ぶにはパーシングは重すぎるのです。
というのは、米国の港湾のクレーンの制限重量がシャーマンで限界であったためだそうです。
日本の97式があのような重量なのも、クレーンで積み込み可能な限界があるからです。
(64:148)
最初、米国は45トン級のM6重戦車を開発していました。
しかし、米国の戦車運用構想は、ドイツの電撃戦思想をもろに受け、装甲と
火力を二の次にして機動性を重視したため、そして大西洋の海上護衛戦が
連合国に不利に推移していたのもあり(輸送船が次々に沈められているのに、
スペースを食う重戦車は不要)、重戦車の開発は細々と続けられていたに過ぎ
ません。

しかし、連合国が海上護衛戦に勝利し、欧州戦線の展開で、重武装の戦車が
求められたので、漸く開発が本格化した訳です。
(64:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

シャーマン戦車のエンジンは全形式とも信頼性が低いって本当?

一応解説しますと
M4,M4A1
 振動による燃料漏れと引火事故/FODに弱い/オーバーヒートがひどい。
 とかいろいろあったけど、改善されたみたいです。
 (イスラエルが好んで使ってますし。)

M4A2
 FODに弱い。 でも片側が止まってもシャーマンが動く程度の出力が
 出たそうで、むしろ生存性は高いと言われてます。

M4A4
 整備が面倒ってだけ。 初期モデルは問題があったが改修されてます。
 イギリスは信頼性は高いと言ってます。

M4A6
 トラブル解消前に開発中止。 でも、実戦には出てません。

で、問題のM4A3ですが、日本で国産化したエンジンが異常に信頼性が
低かったために、自衛隊OBの方で、そういう見解の方がいるそうです。
当時の日本ははっきり言って発展途上国でして、工作精度も低く、エンジンオイルも低質でした。
加えて、アメリカさんから提供された図面はインチで書かれてたんですが
それをメートル法で書き換える時に寸法誤差の取り方を失敗しちゃったとのことです。

で、まあ昔の日本で、シャーマンのエンジンの信頼性は劣悪という評価があったそうです。
(65:514)

ソヴィエトの T-34 はアメリカの設計ですか?

サスペンションのことを言ってるんじゃないかな?
T-34のサスペンションは、クリスティーってアメリカ人が開発したサスペ
ンションを使ってるのよ。

クリスティーがソ連の為に戦車用サスペンションを設計したワケではなく、
クリスティーはベンチャーで戦車制作を始め、アメリカ軍に売りこもうとしたけど相手にされず。
作ったもんは勿体無いんで、ソ連に売っぱらい、ついでにライセンス権も売ってしまったのです。
(67:ベタ藤原 ◆RoMNjfnp0E)
T-34の設計者コーシキンはロシア人です。
その設計の源流をたどればクリスティ(アメリカ人)型戦車に辿り着きます。
(67:9)
補足しますとクリスティー戦車→BT戦車→T-34と発展しています。

クリスティー氏は元々自動車の技術者で戦車開発に当たっても、機動性を重視し、当時考えられないような快速で、しかも装甲車にも成る戦車を実用化しました。
アメリカ陸軍は数台購入しましたがその内一部の代金を踏み倒してクリスティー氏の不信を買っています。

ソ連は快速戦車を気に入り、民間企業に偽装した米国出張機関を通じて購入しました。

ただ、T-34にとってクリスティー戦車は、お手本程度の物ですので、米国人設計とは言えません。
(67:26)

巡航戦車(Cruiser Tank)と分類される戦車がありますが、これは普通の戦車(軽戦車や重戦車といわれるもの)とどう違うのでしょうか。

所謂巡航戦車はイギリスでのカテゴリーですが、
リデル・ハート流の「陸の艦隊」として機動打撃を行なう機動力の高い(その分軽装甲の)戦力として、
陣地突破用の重装甲・低機動力の歩兵戦車と別に開発されました。
(70:601)
WW2に「巡航戦車」と呼ばれるカテゴリーを専門に開発していたのは英国です。
英国では一般的な軽戦車、中戦車(主力戦車)、重戦車と言った区分けではなく、
軽戦車、巡航戦車、歩兵戦車という区分けを用いていました。
軽戦車はそのままですので割愛します。

巡航戦車は路上において快速を発揮し航続距離が長く、路外においても軽快な
機動が可能な戦車として開発されました。他国の中戦車と同じモノ、とも言えます
が、英国では特に機動性を重視し走行系の能力に応じた砲、装甲を装備する傾
向に有りました。
つまり機動性をスポイルしない範囲で各種装備の性能を決めていたのです。
代表的な巡航戦車として「クロムウェル」が有りますが、これは航空用マーリンエ
ンジンを地上用に転換したミーティアエンジン(液冷V12ガソリン)を装備し、路上に
おいて時速50キロを超える快速を発揮し、航続距離も300キロ近くに達しました。
まさに陸上の巡洋艦と言えると思います。

大して歩兵戦車と言うカテゴリーは、歩兵と共同して強固な陣地や敵戦車を排除
するのが任務とされ、巡航戦車に対して鈍足ですが重武装、重装甲となっている
のが特徴です。
なかでも特に重装甲の歩兵戦車として「チャーチル」が有りますが、これは路外
においては時速10数キロしか発揮する事が出来ませんでした。しかし英国では
歩兵の前を進めれば良いとして歩兵戦車の路外機動はこのレベルが普通です。
しかし歩兵戦車は車体が長く、超壕性能は高いのが特徴でした。

第二次大戦終盤になって英国は従来の歩兵戦車、巡航戦車と言う区分けを止め、
新世代の主力戦車(中戦車)として「センチュリオン」を開発します。これは防御力
も攻撃力も機動性も従来の戦車を上回る水準でまとめあげ、結果的にこれ以降
の英国戦車は重戦車、中戦車、軽戦車という一般的な区分けに統合されて行く
事になり、巡航戦車は開発されていません。
(70:604)

第二次大戦終結位までのイタリアの戦車や軍用車両の顛末などが分かる資料ってありますでしょうか?

う~ん。
洋書でならあるかも知れませんけど、とりあえず日本のなら、「世界の戦車1915-1945」
(大日本絵画)辺りでしょうか。
後デルタ出版のグランドパワー95/8が第二次大戦のItalyの軍用車両特集です。
(76:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

M4やM26のコマンダーズキューポラにある6方向の視察孔は単なる防弾ガラスか潜望鏡かどちらでしょう?

コマンダーズキューポラと言うのが、上部ハッチの円形のリングのところ
とすれば、そこの視察窓は「単なる防弾ガラス」です。

視察窓の形が、長穴形状(両側が丸くなってる形状)の場合は、99%、
単なる分厚い防弾ガラス、と考えて良いです。
(77:≡ 6等兵 ≡)

旧ソビエトは一体いつまで、T-34向けの予備パーツや砲弾を製造・備蓄していたのですか、教えて下さい。

少なくとも旧ソ連崩壊の時点では500両近いT34がシベリアで油漬けになって
保管されていたことが報道されていました
また一説ではソ連軍の兵器保管期限は50年だったそうで、今でも予備パーツは
あるかも知れません
(78:915)
T-34にもかなりいろいろあって戦後型はT-34と互換性があるT-54/55やT-55と互換性があるT-34が
作られていました。
だから予備の部品にはそれほど不自由しないようです
(78:916)

M3リーグランドとM5スチュアート戦車の元ネタをおしえてくだされ。

リー、というのは南北戦争の南軍の将軍で、南軍の英雄。ついでに言うと
アーリントン国立墓地はリー将軍の屋敷の敷地だった(南北戦争の戦没将兵の為に彼が提供した)。
グラント、というのは同じく南北戦争の時の北軍将軍で、北軍のの英雄。
後にアメリカ大統領になった。

      • というかどちらもとてつもない有名人だぞ(汗 検索しる! というか
軍事板に来るような人間なら基礎教養なんだが・・・まぁ知らないならしょうがないか。

スチュアート、というのはやっぱり南北戦争の時の南軍の騎兵将軍。
南部騎兵隊にこの人あり、と言われた人だった。
(82:195)

T-34/76で徹甲弾を撃ったときの初速はどれぐらいなんでしょうか。

1940年型(76mmL-10) 558m/s
1941年型以降(76mmF-34) 680m/s
(82:401)

T-34-76は無改造で、85mm砲塔を載せかえられますか

主砲のみの取り替えはサイズが全然違うので当然出来ません
砲塔の取り替えはターレットリンクの径が違うので出来ません

76から85へ無理やり改造(リンク径の差を埋めるパーツが実在)した話は聞いた事がありません
無かった事の証明は難しいのですが、
  • 76は終戦まで前線で使われている
  • 砲塔を損傷し、台車のみになったT-34は戦車回収車に流用された
上記2点が傍証になるかと思います
(82:761)

T34/85とかの、「/」の部分って読みますか?

普通は読まないで飛ばすけど、あえて型番を指定するときは「スラッシュ」って呼ぶぞ。
(90:590)

T-34はBT快速戦車シリーズの発展型で、キャタピラ外して走行可能と信じてきたのですが、これって間違いですか?

間違いです。競争試作やって車輪での走行をあきらめて大型化したモデルが採用されました
(90:792)
BT戦車設計チームがBT戦車の更新を図っている最中に責任者を筆頭に技師の逮捕者が出て、開発引継ぎの為に設計技師長に納まったのがコーシキン技師でした
引き継いだ時に設計されていたのが競作で負けたA-20、それの車輪走行無し・装甲強化・砲強化版がT-34原型のA-32なので、
T-34の足回りはBTの発展と言う捉え方で間違いないと思います

リア駆動であの起動輪では滑らないかとの事ですが、履帯に大型のセンターガイドを備えていますし、
  • 起動輪に関してソ連側が問題にしたとは聞かない
  • T-34/76の40年型から、69年の改修型まで同一の機構を使っている
以上から特に問題は無かったと思います
(90:798)
T-34のドライヴスプロケットは、内側に”歯”にあたる部分があって、
履帯の爪はそこに引っかかって廻ります。
(90:799)

教会からの募金で製造されたT-34がありますが、社会主義では宗教は御法度のはず。

どういうことなんでしょうか?
ソビエト時代のロシアでも、教会は細々と生き残っていましたし、
ゴルバチョフも幼少時には洗礼を受けたくらいです。

完全に宗教をなくすことは流石のソ連もできなかったようです。
(93:366)

「パンツァーフロント」というゲームでは砲塔防盾が弱点である戦車が多いです。装甲は厚いはずなのになぜなんでしょうか。

防盾には小さいながら照準機や機銃の穴が付いているので
そこに砲弾が当たると通常防盾に当たるよりは簡単に撃破されます。
(96:294)
そうです。
バージョン差もありますが、ハーフトラックが88mm砲を弾いたと言う話もあります。
おそらく純粋に着弾角から砲弾が侵入する方向への装甲厚を計算し、砲のカタログから求めた貫徹力と大小比較してるのでしょう。
弾頭重量からくるダメージも装甲材の弾裂による貫通も考慮してないために、ことさらに防盾が脆く見えるようです。
ゲームと割り切ってください。

なお、実車でも砲身基部は弱点ですし、パンターの防盾脇のはみ出し部分は弱点ですので、そう言う所の命中弾による撃破は吉としてください。
(96:300)

イギリスのファイァーフラィについて質問です。

このファィァーフラィ、戦車というよりは対戦車車両だと思うのですが、資料では戦車に分類されていることが多いです。
それはなぜなのでしょう?対歩兵戦闘や対陣地戦闘に向いているとは思えないのですが・・・。

次に、ファイァーフラィの写真を見ると、車体機銃がなく車体機銃のある場所に蓋がしてあるものと、
車体機銃がついているものが両方あります(機銃つきのものは少ないですが)。
これは何故なのでしょうか?2種類あったということでしょうか?

最後に、シャーマン戦車には丸い砲塔の75mm砲型と、平たい砲塔の76mm型が
ありますが、なぜ76mm砲型砲塔がファイァーフラィのベースには使われなかったのでしょうか?
76mm砲型砲塔のほうが、内部容積が広くて17ポンド砲を積むのが楽そうですが・・・。
とりあえず、時間がないので判る範囲だけ。

戦車か?対戦車車輌か?
 → 戦車は戦車を相手にしています。
    従って、広義の対戦車車輌ですね。
    その当時の対戦車車輌は、装甲が厚くて固定式戦闘室を持つものか、装甲が薄くて大口径砲を搭載
    するものかの何れかという形だと思います。
    故に、戦車と同等の装備を持ち、回転式砲塔を有するFireflyは、戦車と言っても差し支えないのでは
    ないでしょうか。
    但し、英国式に言う、火力支援戦車でしょうね。

車体機銃の有無。
 → 車体機銃は基本的に取り外しているケースが殆どだと記憶していますが。
    車内に砲弾を搭載するスペースを増やすために銃手席を廃止していた筈ですし。

75mm砲塔型がベース車輌に使われた理由。
 → 76mm砲自体は初速、有効射程距離、貫徹力全てにおいて75mm砲に勝っています。
    但し、その搭載車輌は75mm砲型に比べると少なく、またそこそこの戦闘力は持っていますので、
    ベース車輌にするには勿体なかったのでは無いでしょうか。
(96:眠い人 ◆gQikaJHtf2)
1.戦車と分類するか否かは当時の調達/運用者の都合次第。
ファイアフライは立派に対陣戦闘などもこなせる。
また、17ポンド砲による対戦車自走砲や戦車駆逐車は別途存在する。

2.車体銃は試作車も含め、すべて外してある。
普通のシャーマンとファイアフライの混成部隊の見間違いでは無いか?

3.英軍が17ポンド砲のプラットフォームを用意しようとした時期に、75mm砲型のみが、配備されていたので選択の余地は無かった
(96:336)

ファイアフライってのは、正式名称じゃなくってただのニックネームだったのですか?

ファイアフライは英国人のセンスだし……
戦車にチャーチルなんて名前を付ける香具師等がなにしようと驚かない。
101:265)
英が戦闘車両の名前を付けるにあたり、人名→宗教用語や神話→勇ましげな名前など雑多に使っていた。
輸出&レンドリースした兵器について、アメリカは英国側の意向を良く取り入れており、
(例えば砲塔に無線機を積む。コマンダーズキューポラを銃塔にしないなど)結果的に大戦
初期の英国に倣った「人名頂戴」がアメリカ側の伝統になった。
101:267)

イギリスってアメリカから戦車貸してもらって、勝手に名前付けてたんですか。

一応、人名はアメリカの武人の名を使う配慮はしてたりする。
(101:271)
大事なことを忘れていた。
M3グラントを購入&命名時点で、英国は米国から有償で戦車を購入している。
アメリカもその時点で英国側の意向に沿った砲塔を生産してるけど、機密品である砲安定
スタビライザーを載せなかったり、ビジネスライクな面を見せている。
いきなり借り物に勝手に名前つけた訳では無いよ。
(101:293)

イギリスのクロムウェル戦車の砲塔ですが、定規の目盛りみたいなのは何の役に立つのですか?

上陸作戦時に使うもので、戦車が艦の甲板上から砲撃する時に砲煙で標準が定まらなくなって
しまった時に使うものだそうです。他の艦上の戦車の目盛りを見て照準を定めるんだそうです。
(101:270)
270の補足。
ちなみにあれはクロムウェルでは無くてセントーMk.Ⅳ巡航戦車です。
これらの戦車はRMASG(英国海兵隊機甲支援グループ)と呼ばれる部隊に属し、
戦車揚陸艇の上から陸上を砲撃するために製造されました。
この任務のためにセントーMk.Ⅳには95mm榴弾砲が搭載されています。

射撃指揮は搭載された戦車揚陸艇ではなく別の母艦から無線で行われました。
つまりこの目盛りを基準にして複数の艦上の戦車がいっせいに同じ方向に砲身を
向けることができるように工夫されていたわけです。
(101:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)

アメリカ軍には航空機用の星型エンジンを積んだ戦車があったのでしょうか?

強制冷却ファンを積んで冷やしていました
これはたいへんやかましかったそうです
(103:284)
コンチネンタルのR-670型エンジンがそれに当たります。
スチュアート戦車、M3中型戦車、M3シャーマン戦車、海兵隊で使わ
れたLVT A-1等に使用されました。
(103:295)
M4シャーマンのエンジンをぐぐったら、「クライスラーA57、30気筒マルチバンク液冷ガソリンエンジン」
って書いてあったんですけど?
あれっ?「フォード製水冷8気筒ガソリン」って書いてるページもある。
どれが本当なんでつか?
シャーマンと言ってもね、多数のエンジン/車体・タイプが有るの。
(103:316)
シャーマンはね、国内の各工場が生産できる鋳造/溶接車体、
適当な出力の液冷/空冷エンジンを組み合わせて大量生産されたの。
(103:322)
当初は空冷ガソリンエンジン。
これは、戦車に使える高出力でコンパクトなエンジンが、航空機用以外に適当な物が無く、
専用設計も面倒だから。
空冷だと熱がこもって不都合も多いが、当時のアメリカでは水冷の航空機用エンジンの方は
製造数が少なかったので仕方ない。
ただし、戦争が激化すると航空機の需要が増すことが予想されたので、GM、フォード、
クライスラー他に、早期に実用化可能なので、戦車に搭載可能なエンジンの開発が打診された。

各エンジンは、
燃料(ディーゼルとガソリン)
全長
冷却方式
ドライブシャフトの高さ
などがマチマチで、当然、エンジンデッキの冷却気の取り入れ方や燃焼用の空気取り入れ口
車体の全長、排気管の取り回し、操縦用の計器類、砲塔床下の構造などを変えていた。

と言う訳なので、柔軟にエンジンは変えられないよ。
それぞれの工場が、支給されるエンジン(時期による変化を除くと基本的には一定の型)に
合わせた車体を、少々作りやすくアレンジして量産した。
なお、エンジンや車体の多形式化はM3から始められている。
(103:402)
戦後イスラエルが入手したシャーマンのエンジンを極力空冷星型に統一してるが、
確かにただエンジン乗せ変えましたって風では無い。
(103:411)



M4戦車の開発当初、モックアップ審査の時点でキューポラが廃止されたと聞きました。理由は何だったのでしょうか

車長に全周視界を与えるよりも、何を優先したのか知りたいです。
車高が高くなりすぎるから。
M3リーがそうであったようにM4(の試作型)も背が高く、キューポラ付けると
更に背が高くなるのでやめた。

M3リーは供与する為にイギリスに見せたら
「こんな背の高い戦車じゃいい的になる。車体は仕方ないにしても砲塔はもっと
 低くしてくれ」
なんて言われて平べったい別砲塔型(これが”グラント”中戦車)を作ったぐらいで、
このグラント用砲塔には当然ながらキューポラはついてない。
それで問題になったという話もなかったのでそのままキューポラ無しになった。

あと、アメリカ軍がシャーマンに求めたのはあくまで「歩兵支援戦車」だったので、
「全周視界が無くて不便」という局面を想定できなかったというのがある。

ついでに言うと「うちらの戦車は車高があまりにも高すぎる」というのはアメリカ軍は
密かにかなり気にしていたらしく、結局没になったT20やT23といった
”シャーマンに替わる筈だった”戦車たちは限界まで車体が低い設計ばかりになっている。
(350:701)

M4シャーマン中戦車について

ドイツ戦車のトチ狂った火力などに苦戦したM4シャーマン中戦車は、現地で土嚢を積んだり撃破された戦車の装甲板を切り取って
溶接したりしたそうですが、それらの応急処置的増加装甲はどれほどの効果があったのでしょうか?
土嚢は重たくて足回りに不具合が出る割に効果がほとんどなかった。
パンツァーファウストのような成形炸薬相手にはそこそこの防御力を示したが、
デメリットの方がはるかに大きかった(なのでパットン将軍は禁止令を出している)。
切り取った装甲板の防御力はその切り取って貼り付けた装甲の厚さによる。
でも、88mmを相手にするとあまり意味がなかった。

あと、M4は車体の弾薬庫部分に四角い増加装甲を貼る事が現場レベルではなく野戦修理所
レベルで行われたが、これは防御力はほとんど増さない割りに「ここが弱点です」と丁寧に
教えてるようなものなので、逆効果となった。
しかし、このようにあまり意味はなくとも戦車兵達は「気分だけでもやらんよりマシだ」と
規定無視でありとあらゆる「増加装甲」を自分の戦車に載っけまくっていた。
(520:695)

M4シャーマン戦車は失敗作だったのですか?

大戦中の米陸軍のM4シャーマン戦車は戦争への備えを怠っていた米陸軍のために、あのようなドイツの戦車には敵わない
ような失敗作になったという話を聞いたのですが、本当に失敗作だったのですか?
その前のM2、M3のコンポーネントを流用して、手早く敵であるIII号、
IV号戦車に対抗できる戦車を大量生産できたという点では評価できる。

問題なのは、AGF(陸軍地上軍管理本部・・・陸軍航空軍が別にあるのでわざわざ地上軍と付く)が
M4シャーマン程度の性能でドイツ戦車に
十分対抗できると信じ込んで、より強力な90mm砲搭載のT25やT26(後のM26)の配備を妨害したこと。
またシャーマンも90mm砲を搭載できる
車格なのだが、75mm砲や76mm砲で十分、と考えていたので、いざノルマンディーに上陸してみたら
パンターと正面きって戦えないことが判明。
「対戦車戦闘用としては」失敗作になってしまった。
なお同じシャーシのM10やM36を見てわかるように、水冷V8やツインディーゼルを搭載した型なら
車高を下げることもできたが、互換性や車内の広さを優先したのかそのまんま。
(542:850)

KV-85ですが、トランスミッションの不具合を克服しかつ、高出力のエンジンを装備できていれば、T-34よりも有用な主力戦車になりえたんでしょうか?

まず、KV-85はJS1開発までの繋ぎなので、優秀な主力戦車になどならない。
もう一つ、KV-85のベースはKV-1Sであり、同車はKVシリーズの本格運用開始以来、欠陥
があると判っていたトランスミッションの改良を実施済みなのね。

T34M計画を知ったコーチン技師は、同時期、KVシリーズの生産継続を賭けた改良を要求されて
いたのだけれど、一方、中戦車と重戦車の両方の良いとこ取りをした新型戦車を作れば、T34の方
を生産中止に追いやって、自分の新型戦車が主力になると言う、プラス思考でKV-13を開発した。

高速化は出来たけど、不整地走破性能が落ちた上に、トランスミッションはまったく改良していな
かったので保険として並行開発していたのがKV-1Sが開発された。
で、ティーガー1に対抗すべく、T-34Mは取りやめ、重戦車もJSシリーズの開発に入っている。

良く病的なドイツ戦車ガソリンエンジン擁護ヲタがデマを流しているけれど、大戦中期以降、ソ連重戦車
が40t代で開発されたのは良いエンジンが無いからではなく、それ以上重く作ると路面や橋を壊して
しまうから、と言うだけの話だったりする。ソ連工兵の架設橋の限界もその辺りだったようだ。
ドイツは国内の主だった橋の荷重限界が24tで、潜水装備をつけることを前提でそれにより重い戦車を
作ることにしたんだけど、実はこの潜水のための装備やエンジンデッキのレイアウトが意外と嵩張り、
余計に巨大になってしまっている。そんだけの話だったりする。

仮にもっと軽量高出力なエンジンがあっても、ソ連重戦車はあの大きさで設計されることになってたのね。
KVの欠点として、機動性の低さは問題視されていたけど、もう一つ、橋や路肩を壊して後続車の通行を
妨げるってのも問題視されてたんで、仮に高速と重装甲を実現出来るエンジンがあっても、当座は40t
代で設計することになった訳ですよ。

JS3がJS2より車体を小さくしたのは、パンターを分析した結果「側面投影面積が大きすぎて撃たれ
弱い」と判断されたから、逆を目指しただけ。
そのため、エアフィルターをエンジン上から横に移動したり、車体高を低くする努力をしたんだけど、その
ために設計したエンジンマウントのトラブルが続いたために、大戦に間に合わなくなっている。

一応、より強力なドイツ戦車の登場を予測して、より強力なエンジンを搭載して、重武装・重装甲の
戦車としてJS4を開発したんだけど、こちらはゆっくり時間をかけて開発して良いとされていたらしく
大戦には間に合っていない。

けど、やはり予想されていたことだけれど、重過ぎて扱い難かったらしい。
それと、強力なエンジンは冷却器駆動のためのパワーロスが大きいと言うことが判明し、意外と当時の
技術では「強力なエンジンがあっても駄目」ってな感じでJS3の再生産が始まっている。
(553:542,545)

Panzerという雑誌には三号戦車とチハ改の性能は、ほぼ同等とありました。

チハ改はM4に全く歯が立たなかったわけですから、アフリカ戦線での3号戦車はM4にボロ負けしたんですか?
III号でも、J型後期以降の60口径50mm砲のやつだと、戦力的に新砲塔チハより全然上。
M4相手だと有効射程内なら互いに撃破可能。なお、ずっと後のドイツ本国の戦いでも、
訓練用になっていたのを引っ張り出したIII号戦車でのM4撃破記録がある。

北アフリカ戦線で英軍に供与されてデビューした当初のM4(イギリスが使ったんで
M4 ではなく シャーマンMk.* だけど)は当時としては厚い装甲と75mm砲の
威力でドイツ軍相手に絶対的な強さを示した。
数が少なかったので一方的に戦局を変えるまでには至らなかったが。

この前に供与されたM3(イギリス軍は砲塔を独自の型にして グラントMk.*と
いう名前で使用)と合わせ、アメリカの供与した75mm砲搭載車両はドイツの脅威と
なった。
これに対抗するためドイツ軍はIV号戦車の主砲を75mm長砲身対戦車砲に載せ変えた
IV号戦車長砲身型「マーク4スペシャル」(イギリス軍の呼び名)を急遽開発して
対抗したが、これも数が少なく用兵側の要求量に供給がちっとも追いつかないままに
終わった。

アメリカ軍はM4のこの開発に「うちらの戦車もやるもんだ。ドイツ軍恐れるに
足らず」とすっかり調子に乗り、本格的に参戦した後の北アフリカ戦線で苦労した。

何せその時にはドイツ軍にはかの「タイガー」重戦車が数は少ないながらも配備され
てたので。
(566:302,306)

ソ連軍の戦車は頑丈で信頼性が高かったと聞きました

機構が単純だった、部品点数が少なかったのが一番だろうな.

ちなみにT-34の作りが単純な理由。
  • 航空機用に研究していたディーゼルエンジンを戦車に転用することにした。結果的にの点火系統が不要になり燃料火災にも頓着しなくなった。
  • クリスティー戦車から発展した結果、後方駆動が継承され、エンジンや変速機、操向装置が車体後方にまとめられているのですっきりしている。
一方で脱輪しやすい起動輪も最後まで継承していたりする。
  • その理由。根本的に1930年代に開発された古い戦車であり、配備中にドイツの侵略を受けて防衛戦から反撃に転じた経緯がある。
数的な不足を克服し、逆に攻勢に転じるために生産を阻害するようなマイナーチェンジはしない方針を選択した。
ちなみに信頼性を向上させるマイナーチェンジや火力や装甲の強化は度々したが、殊更に複雑なシステムの組み込みは避けた。
  • 工業製品としての精度は大戦前半の工場疎開期は極めて低い。
 それ以降は5カ年計画の進行の成果とアメリカ製工作機械のレンドリースが相まって意外に良い。
  • 信頼性は鉄道と道路事情の悪さを鑑み、必要な戦線に必要なタイミングで必着するために重視された。
逆に、特に前線の将兵が信頼性や不整地走破性能の低い軽戦車や重戦車は不要と主張することがあった。
  • 特にソ連の気候に言及するなら、深雪と泥寧期に着目して接地圧を低減させたり、航続距離は重視している。
 が、そのために凝ったことはしないと言うような話は無いと思う。
例えばクリスティー式サスペンションよりトーションバーサスペンションの方が泥の凍結には強い。
つまり凝ったことをした方がソ連の気候に合う部分もあるんだが、上に挙げたような理由で採用していない。
ソ連軍の戦車は頑丈で信頼性が高かった
そもそも間違っているが。
T-34・KVとも変速機故障が多く、T-34はマイナーチェンジした結果信頼性を確保する。
が、T44は再び信頼性を落としている。
重戦車はKV-1Sでの軽量化やJS系列の小型に抑える形態(装甲を内側に向けて
厚くする)など繰り返して信頼性を確保している。

「ドイツと比較して」と言うことなら、ドイツ側のアニマルタンクの過大な
重量、非鉄金属の不足、パンターのシングルラディアス式操向装置が駆動系
に負荷をかけるなどドイツ側の信頼性の低さが”ちと酷過ぎる”だけ。
(341:597-619)

M3グラント戦車はアフリカ戦線では「砂漠の救世主」と称えられてドイツ軍を圧倒したのに、逆にロシア戦線では役に立たず、

「7人兄弟用棺桶」と陰口をたたかれました。しかし、両戦線でグラント戦車が使用された時のドイツ軍主力戦車は、同じ3号戦車だったはずです。
M3は対峙した相手が同じ戦車なのに、どうしてこんなに評価に差が出てしまったんですか?
北アフリカでは、当時榴弾の支給されてなかった2ポンド戦車砲ではドイツ軍の対戦車砲に対し有効な反撃ができず、
大きな損害を出していた。
M3中戦車は75mmの榴弾が使えたので、ようやく対戦車砲に対し有効な反撃ができたので、その点で好評だった。
しかし東部戦線に現れた1942年半ば頃では、ドイツ戦車の火力が向上していたこともあり、北アフリカほど優位に戦えなかった。
(572:290)

「榴弾の撃てない初期のイギリス戦車」という記述を見つけたのですが、これは日本軍のチハ並の大失敗だったという理解で良いでしょうか?

元々、英国の戦車の傾向として、重装甲で歩兵に随伴して榴弾を発射して、その突撃を援護する歩兵戦車と、
その戦車を援護して、対戦車戦闘に特化した巡航戦車の2種類に、1936年に分けた訳で。
また、費用的な問題、兵科の対立などから両方の任務に就けるような戦車が開発出来なかったと言う面もあり
ます。

とは言え、同じ車体を用いて、榴弾を撃てる近接支援用の戦車を生産、配備していますので、大失敗とまで
言えないのではないか、と思いますが、この辺は主観問題。
(340:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

第二次大戦中のイタリア戦車もディーゼルエンジンを搭載してましたが当時の日本の戦車用ディーゼルエンジンとは性能的に比べるとどうなのでしょうか?

イタリアの戦車用ディーゼルエンジンは、水冷のオーソドックスなものですので、
日本の空冷で貧弱な馬力のものとは全然違います。
記憶モードなので恐縮ですが、幾らかはソ連の戦車用エンジン開発にも影響を
与えた筈です。
(340:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

チハ車より軽いM3軽戦車の装甲厚がチハ車を上回っているのは何故なんでしょうか?

まず、M3は砲塔前面こそ50mmもあるが、他の部分は薄い。
九七式は砲塔前面25mmに対し砲塔側面と砲塔側面は20mmであまり変わらん。

あと、砲やエンジンの重さも九七式のほうが重い。
M3のL53 37mmに対し九七式のはL18 57mmもしくはL48 47mmで大きいし、冶金技術で劣っているのでなおさら重い。
エンジンも、M3はガソリンエンジンだが九七式はディーゼルで、エンジン技術は冶金技術以上に差をつけられている。
(326:953)

T-34以前のソ連戦車なら日本の機甲戦力でも苦戦はしても対処はなんとか可能だったという説は?

ノモンハンでソ連BT戦車(まさにT-34以前、というか直前の戦車)を撃破した実績があること。
97式改や1式はノモンハンの戦訓により対装甲火力を増強していること。
以上の2点から対処が可能であったことは確実。
もちろん「可能」と「楽勝」は違う。
(608:773)

T-34とM4中戦車が戦った例はありませんか?

朝鮮戦争ではアメリカ軍のM4A3E8と北朝鮮軍のT-34/85が砲火を交えてる。

カタログスペックではT-34/85の方が性能が上のはずだが、戦車兵の錬度と
数の優位で米軍側が優位に戦闘を進めた。

米軍のレポートによれば、T-34/85は車高と砲塔高が低いこともあり、砲の取れる仰俯角で
M4に劣っていて、朝鮮の山がちで起伏の多い地形では不利だったとのこと。
また、M4の76.2mm砲は、T-34/85を相手にしたときに攻撃力で不足を感じることはなく、
M4の装甲がT-34/85の85mm砲に対して大きく劣っていると感じられたこともなかったとのこと。

中東戦争でもイスラエルのM4とアラブ連合軍側(主にエジプトとシリア)のT-34/85が戦った。
こちらでは初期型の75mm砲型のM4がほとんどであったためか「砲の威力が不足している」
「装甲防御力が低すぎる」というレポートが出されている。

これを受けてイスラエルではM4の76mm砲塔型の入手を急ぎ、多少装甲の厚くなった後期型の車体に
76mm砲を積んだ型(一般的なシャーマンの型式番号で言うと、M4A1)のシャーマンに「M1 スーパー
シャーマン」の名称を与えている(M1、の直接の由来は搭載した76mm砲の形式名)

75mm砲塔型にフランス製の75mm長砲身砲を搭載、機関と足回りを改修した型は「M50 スーパーシャーマン」
として制式化されている。

余談だが、朝鮮戦争でのM4A3E8 VS T-34/85 の比較レポートは自衛隊の戦車開発にも
影響を与え、STA(後の61式戦車)の開発初期に「主砲は76.2mmで充分」という主張の
根拠になった。

結局この主張は退けられたが・・・。
(609:499)

T-34は砲塔が回転すると中の人はどうなるの?

戦車の砲塔バスケット下部の旋回プラットフォームに立ってるのは装填手だけ。
でもT-34-76では砲塔リングに付いた椅子もある。装填作業中は床下から弾薬を取り出すため降りるけど。砲手兼戦車長は座りっぱなし。
(669:109)

イギリスのセントーMk.Ⅳ巡航戦車の砲塔には、定規の目盛りみたいなのが描いてありますが、何の役に立つのですか?

上陸作戦時に使うもので、戦車が艦の甲板上から砲撃する時に砲煙で標準が定まらなくなって
しまった時に使うものだそうです。他の艦上の戦車の目盛りを見て照準を定めるんだそうです。
(101:270)

これらの戦車はRMASG(英国海兵隊機甲支援グループ)と呼ばれる部隊に属し、
戦車揚陸艇の上から陸上を砲撃するために製造されました。
この任務のためにセントーMk.Ⅳには95mm榴弾砲が搭載されています。

射撃指揮は搭載された戦車揚陸艇ではなく別の母艦から無線で行われました。
つまりこの目盛りを基準にして複数の艦上の戦車がいっせいに同じ方向に砲身を
向けることができるように工夫されていたわけです。
(101:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)

M4戦車の型番についてご存知の方がおられましたら、宜しくお願い致します

M4A1の105mm榴弾砲搭載型は1941年に計画が立てられ、1942年11月にM4A4が2両、
これに改造されています。
最初がM4A4E1でこれに改造が加えられたのが、M4E5です。
前者が、M4(105mm)、後者がM4A3(105mm)として制式化されました。
これらは、中戦車大隊の大隊本部中隊に配備されている75mm自走榴弾砲の後継と
して使用されています。
また初期型ベースのものは、主にShermanIBとして英軍で使われました。

なお、歩兵近接支援用突撃戦車として、T26E1が間に合わないので、車体前部と側面上部に
厚さ38mmの装甲板を溶接し、肉厚のデファレンシャル・ギア・カバーを装着、177.8mmの防盾
が取り付けられた装甲厚152.4mmの砲塔が取り付けられたものは、M4A4E3と呼ばれ、1944年
5月から6月にかけてグラント・ブランク戦車工廠で、254両生産されています。
(117:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

スペイン戦争時にドイツ軍は、自軍の一号,二号戦車よりはるかに高性能なT26戦車を、どの様に評価していたんでしょうか?

所詮英国の物真似であり、装甲は薄く、ラインメタルのPaK36さえあれば、直ぐに
装甲をぶち破ることが出来る。
従って、戦車などに頼らなくとも、対戦車陣地に誘い込みさえすれば、撃破は簡単。
1000m以内ならば、Pak36で撃破出来るし、2号戦車でも500m以下の距離であれば、
その主砲にて撃破できる。

よって、T26は恐るるに足らず。
また、2号戦車は所詮付け焼き刃であって、本命は3号戦車だし、その主砲は37mm
なのだから、T26を撃破できる。
(272:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

M4は地雷で引っ繰り返せますか?日本軍はどう戦ったんでしょう?

地雷の場合は、精々擱坐させる位しか威力がありません。
余程の軽戦車(タンケッテ)程度でないと、引っ繰り返すのは無理。
Caterpillar切っても、回収して修理すれば前線に出せますし。
分隊一個を潰して擱坐させた戦車が、あっと言う間に戦場から回収され、再び修理されるケースが
Imphalでは多く見られました。

日本がM4などを相手にする場合は、思いっきり近くから37mm対戦車砲を側面か背面から打ち込むか、
陣地に引き込んで榴弾砲などの野戦砲の直射くらいと、後、火炎瓶くらいです。
火炎瓶で、火災を起こさせ、乗員が慌てて出てきたところで上に乗った兵が中に手榴弾を投げ込み、
戦車を乗っ取って、敵に発砲すると言う戦術も採られています(当然最後は撃破される訳ですが)。
(243:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

シャーマン戦車はエンジンがタイプ別にバリエーションが多いのはどうしてです?

要するにアメリカですら必要な生産量をなかなか確保できなかったからです。

当初M4A1に搭載されたR-975ワールドウィンド星型エンジンは航空機用であり、
戦車用としての供給が不足気味でした。
そこで兵器局はGM製ツイン6-71ディーゼルエンジンの採用を決定しました。
ところが現場の補給部隊からはディーゼル油とガソリンの両方を供給することは
困難であるとの意見が出たため、これを搭載したM4A2は海兵隊とレンドリースに回されました。

そして新たなエンジンとしてフォードGAAエンジンの採用を決定し、これを搭載した
M4A3は信頼性・耐久性もよく現場から好まれました。
また、クライスラーA-57マルチバンクエンジンを搭載したM4A4は、主に英軍への
供与のために生産されました。
(243:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE )

M4中戦車は車体横、下部にあたる星形エンジンのヘッド周りの整備・点検はどのように行われていたのでしょうか?

M3軽戦車も同じ系統のエンジンを搭載しておりますが、初期にはエンジンを上から釣り
上げ、下部を整備するしかありませんでした。
大体、下部のシリンダーにはオイルが溜まり、その始動不良対策を行うには4時間かかる
と言う状況でした。

後期型になると、車体後部に点検扉が設けられ、そこから下部の点検を行う様に変更され
ています。
M4の場合は、その後部扉が最初から取り付けられていたと思いますよ。
(232:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

1950年代のイスラエル軍と自衛隊の戦車はシャーマン戦車で大丈夫でしたか?

朝鮮戦争と違いM26パーシング戦車が配備されずに、
シャーマン戦車が苦戦したドイツのパンター戦車と互角のT-34/85戦車に対し不利だと思うのですが?
一応、余剰在庫から供与されたのですが、MDAPでの供与には、76mm砲装備のものを
優先的に供与しています。
また、76mm砲装備車が足りなくなると、余剰在庫の75mm砲装備車を改造して76mm砲装備
とし、各種改良は行っていますし、朝鮮に於けるT-34/85との戦闘では、砲口径こそ劣っていた
ものの、高速徹甲弾が潤沢に供給されたので、その装甲は問題なく貫通出来ます。
(とは言え、T-34/85も同条件ではありましたが、戦車兵の練度が桁違いだったので、腕でカバー
 しています。)

なお、朝鮮戦争では、最初はM26やM46を喜んでいたのですが、1951年以降の落ち着いた情勢
になってくるとM26は「出来損ない」、「完全な失敗作」と嫌われるようになります。
丘陵地形の多い戦線では機動力の有る方が好まれ、M4と同じエンジンしか搭載されていないのに
車重が重く、変速機の故障しやすいM26やM46は嫌われた訳で。

イスラエルは、何でも欲しかったためです。
大戦終結後、ベルギー、フランス、イタリアに残された数百両のM4は、スクラップされるはず
だったのに、多くが闇市場に流れ、イスラエルはそれを入手して使っています。
(218:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

なんでアメリカ軍はパンターをパクった戦車作らなかったの?

そうすればシャーマンの性能不足なんか解決したのに。
 マジレスすると、米軍では前線での戦車の種類の統一にこだわったため、
T26(M26)の量産ですらM4の大量生産を阻害するとしてその優先度が低くされています。
ましてやパンターのコピーなど考えもつかなかったでしょう。

 陸軍地上軍管理本部(AGF)は敵戦車の撃破は戦車駆逐大隊の駆逐戦車に任せ、
中戦車は歩兵支援に重点を置くことを求めています。
1943年の時点で陸軍部内ではM4の75mm、および76mm砲に絶対の信頼を置いており、
ティーガー登場以降もその考えは薄らぎませんでした。
しかもソ連からの報告でパンター戦車が量産されつつあることを認識しておきながら
それをティーガー同様の独立大隊で運用する重戦車であると誤認し、なんら
手を打とうとしませんでした。
 さらにT23重戦車の開発失敗、T26の開発遅延などで結局WW2はほとんどM4のみで
戦う羽目になったわけです。
(212:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)

四式中戦車だけど、何で側面装甲(35/25mm)より後面装甲(50mm)が厚いんですか。

4式の場合、当初57mm砲搭載戦車として開発されて、
設計がある程度進んだ段階で75mm砲搭載に変更されたので、
重心位置が大きく変わったものの抜本的な設計変更ができず、
仕方なく後部装甲を分厚くして辻褄を合わせてる
(俺初質スレ2048:872)

T-34-85の機械的信頼性はどうなの?

T-34は戦争後半になるほど信頼性は改善されている
アメリカから工作機械や良質な鋼材を入手できたし、照準器も改善された
(俺初質スレ2048:980)

今も一部の国ではT-34/85が現役ですが、増加装甲つけてもやはりRPG一発であぼーんなのでしょうか?

タンデム弾頭でイパーツです
しかし、戦車が存在しない戦場においては、有力な火力支援となりうるので
場所によっては強力です。
敵が小銃程度しか保有しないゲリラや民兵なら蹂躙できるし。
(63:363)

ソ連戦車は初期のT-26とかは軽装甲だったのに、どういったきっかけで他国に先駆けてKVやT-34みたいな重装甲の戦車に切り替わったんですか?

スペイン内戦や張鼓峰事件で、37mmの対戦車砲にボコスカ抜かれて
装甲の薄さが問題となったから。
(俺初質スレ30501:71)

日本軍戦車


日本軍戦車の黄帯迷彩って、本当に効果があったのでしょうか?

日本戦車の黄色迷彩は集団の時、台数がわかりにくくなる効果があるらしいです。
(7:665)

四式中戦車関係の文献史料って現存してるのでしょうか。

独立した資料はありませんが、デルタ出版の本(日本の戦車)とか、
世界戦車戦史(図書出版:絶版)に掲載されていたか、と記憶しています。
あと、文林堂の日本の戦車写真集とか…くらいでしょうか。
あとは、米国国立公文書館くらいにありそうですけど…。
(16:眠い人 ◆ikaJHtf2)

戦前・戦中の日本戦車に多用されたシーソー式の懸架装置についての質問です。

この方式を採ることによる、主な長所と欠点はなんだったのでしょうか?
うろ覚えで資料が出てこないので恐縮ですが、

(長所)
履帯の設置性に優れている
走行性、防弾性が板バネ式に比べると勝っている。

(短所)
上下動が激しく、それがなかなか減衰しない。
即ち、行動中の砲の照準が付け難い。
(16:眠い人 ◆ikaJHtf2)

旧日本陸軍はロシア・ソ連が仮想敵国だったはずなのに,なんであんなに戦車がしょぼいんですか?


 当時,戦車に戦車を当てるのは「愚作」とどこの国でもされてました.
 WW2が始まるまでは,戦車の仕事は歩兵の支援である,とされていました.
 もちろん,歩兵の支援も現在に至るまで戦車の重要な仕事ですが,当時はそれ「だけ」でよいとされていました.
 武装,装甲,機動力,いずれもその前提で作られており,砲は初速の遅い短砲身でしたから,装甲を貫通させる目的には適していませんでした.
(でも,先見の明のあったいくつかの国は,戦車に長砲身砲を搭載しています.ソ連もその国の一つ)
 また,戦車の部隊運用法も,その方針に則って,少数ずつの分散配置が普通だったため,戦車同士が遭遇する確率は低いと見なされていました.

 ノモンハンの影響なんかでT-34とか作られましたが,本格的に対戦車戦闘を考慮して作られた戦車はティーガーが最初じゃないかな?
 で,対戦車砲ですが,こちらもノモンハンで37ミリが通用しなかったため,1式47ミリ速射砲が作られてます.
 こいつはBTシリーズが一応仮想敵だったんで,更に装甲の厚いM4なんかには通用せず,最終的に有効な対戦車砲は作られませんでした.

旧日本軍の戦車は米戦車に比べてかなり装甲が薄かったそうですが,何故もっと装甲を厚く出来なかったのですか?

満州の泥寧期や朝鮮半島を含む国内の道路事情を考え,重量を押さえていた.
また,港湾施設のクレーンの能力に限界が有った事と,輸送用船舶の床面強度に限界が有った事も,重量上の制約の一因と言われる.
それなのに,燃料事情から採用したディーゼルエンジンがソ連の物より著しく重い.
結果として,装甲が貧弱になった.

ただ,第二次世界大戦前までは日本軍の戦車の装甲は諸外国戦車や米戦車と大して変わりは無い.
大陸での本格的な戦車戦を経験しなかったのと,海に囲まれた国土と想定される戦場等から,限られた国力を航空機や艦船を作る事に突っ込んだ為,戦車は後回しにされた.
(軍事板)

「三式飛行戦車」これってなにか分かりますか?

詳しいデータは覚えてないけど、確か2式軽戦車をグライダーの翼をつけた奴
空挺部隊用だったはず、無論失敗作
(24:460)

チハ チヌ ホニとか言うけれど、この法則ってどうなってるの?

前の字は戦車の中戦車・軽戦車・砲戦車等の属性
後ろはイロハ順

つまりチハ車は「中戦車で、3番目に製作された戦車」
ホニ車は「砲戦車で~」というわけ

皇紀は関係ありません
(27:103)
「チ」は中戦車のチを表す。※軽戦車の場合は「ケ」
「ハ」はイロハを意味し、開発順を表す。

この略称が使用されるようになったのはチハとチニの競争試作時からで、
それ以前の戦車については
八九式軽(中)戦車>イ号
九五式軽戦車>ハ号 と呼称された。

九五式重戦車については不明であるが、のちに自走砲化した車輌に「ジロ」があるので、
もしかすると「ロ号」だったのかもしれないし、あるいは「ロ」は欠番だったのかもしれない。
いずれもそれを裏付ける資料が無いので断定出来ない。
(41:143)
重戦車は「ジ○」。
同様に軽は「ケ○」。
(44:401)

旧日本軍の”砲戦車”っていったいどういう意味で付いた名前なんでしょ?

直協支援用装甲戦闘車両
(29:833)

日本の戦車は手榴弾一発であぼーんされるものなんでしょうか?

中に放り込まないと無理でしょうね。
日本の戦車はエンジンだけは燃えにくいので。
(39:眠い人 ◆ikaJHtf2)

九七式中戦車が最近まで競争試作だった事を知らなかったド初心者です。

試作で負けた方の戦車はどういうもの(制作社、性能諸元)だったのでしょう。
また、負けた理由はなんだったのでしょうか?
チニ車です。
チハは三菱ですが、チニは大阪砲兵工廠が制作しました。
乗員はチハより1名少ない3名。エンジンは九五式軽戦車のものを搭載し、
装甲、速力、その他諸元はほぼ拮抗していました。
外見はスマートになったチハってとこですかね。
チニはチハに比べて価格の安さが魅力で、陸軍側はチニ車の方を推していましたが、
直後に日華事変が始まって軍事予算が増大した為に、多少高価でも設計的に余裕のあるチハが採用されました。
(39:536)

第2次大戦中、日本軍の戦車がアメリカ軍の戦車を撃破したことってあるんですか?

もちろんあります。
至近距離から側面や背面を打ち抜いたり
障害物を乗り越えようとして車体下部を晒したところを狙撃したり
挙句の果てには爆雷つんで体当たりをしたりと、およそ思いつく事はやっています。
さらに鹵獲M3軽戦車でM3中戦車を撃破した例もあります

スチュアートなどの軽戦車ならばビルマなどで
チハ車でも榴弾を多数命中させるとかで撃破できたそうです。

シャーマンになると47mm速射砲や90式野砲、
それを搭載した戦車なら辛うじで可能です。
有名なところだとルソン島で機動砲兵第2連隊の
一式砲戦車がシャーマンをいくらか撃破したらしいです。
(39:270-271)

97式中戦車について質問です。

砲塔の上についている手摺がアンテナだと聞いたことが有るのですが、
ラジオチューナーについているものと同じループアンテナということでよろしいのでしょうか?
アンテナタイプと指向性について誤解があるようですが。
ループアンテナは、アンテナ自体をループとして結合/終端させ、ループ内をとおる
電界をエネルギとして効率よく取得しよう、というアンテナです。副次効果として、
ループに結合しやすい位置にある外部導電体を、サブエレメントのアンテナとして
利用できるという特徴もあります。ポケベルのアンテナなんてそうやね。
んで、97式のアンテナについては、電気的にはループアンテナとは言えません。
単純に、中波帯域の長くて邪魔くさいホイップアンテナをうりゃーとひん曲げて
砲塔に沿わせる形状にして、ひっつけただけです。
もしアレがループアンテナだったら、指向性はお空と地べたに向けて
発生しちまいます。はい。
(40:電波な人)

日本海軍の軍艦はずいぶんと強力だったのに日本陸軍の戦車は超弱かったのはなぜですか?

「超弱い」って程じゃない。チハ車(97式)なら3号初期型以上だし、同時代の標準レベルだ。

 戦争が始まって戦車なんか開発してる余裕がなくなったのが大きいだろう。
ろくな対戦車火器を持たない中国軍を追い回すのはチハ車で十分だし、
アメリカ相手なら飛行機優先。戦車の生産数自体が非常に少ない。
(43:442)
戦車については、
 満州の泥寧期や朝鮮半島を含む国内の道路事情を考え、重量を押さえていた。
 それなのに、燃料事情から採用したディーゼルエンジンがソ連の物より著しく重い。
結果として、装甲が貧弱になる。
それに加えて、電装品や光学機器、材質や砲の性能が欧米列強に見劣りしていた。

しかし、こう言った事情は海軍装備も同じ。
海軍の艦船も、鋲接、粗悪な鋼質、貧弱なレーダーなど考えるに、決して質的に充実していた訳では無い。
要するに、日本の戦車が貧弱なのは、実は海軍装備にも当てはまる「お国の事情」です。
(94:693)
海軍の装備は過去の海戦の戦訓を元に、砲の口径を大きくしたり
装甲を厚くしたりしてきたわけです。
これはどこの国の海軍も同じです。ですから、相手よりもちょっとでも
大口径、ちょっとでも重装甲といった具合にテクノロジー競争になったわけです。

それに対して、日本陸軍は日露戦争以降、白兵突撃こそ最強と信じていた
ようですので、装備を改良しようと言う発想はあまり無かったのではないかと思います。
(94:695)

二次大戦中の日本の戦車は、連合軍の重機の弾丸すら貫通してしまうほど、装甲が薄いと聞いたのですが、どうなのでしょう?

軽戦車では装甲は薄かったですし、八九式戦車の装甲も薄かったようです。
しかし、九七式中戦車以後の装甲の厚さは、世界の趨勢に何とか追いついています。
尤も、それ以上に対戦車砲の発達、連合軍側の戦車の発達が早すぎて、意味を為してはいませんが。

後、鋼板の製作水準にも問題があり、炭素が多く含まれ、結構割れやすかったようです。
(46:眠い人 ◆gQikaJHtf2)
九五式軽戦車の装甲は最厚部で12mm、九七式中戦車で25mm、それに対し
当時のM2重機関銃の貫通力はAPを使用して100mで20㎜前後。
近距離なら九五式は貫通するでしょう。まあ、もともとM2重機は装甲車両や
観測気球を撃破するために開発されたんで仕方ないかもしれませんが。
(46:679)

旧日本軍の戦車には防弾ガラスがなく、単に風通しがいい窓だったというのは本当ですか?

チハ改の車長のキューポラを見る限り、防弾ガラスは入ってますね。

展視孔と言われるスリットは、ただの穴の様です。

穴を開けた円盤を高速回転させて弾片の侵入を防ぐ装置だの、プリズム使用の潜望鏡(普通は鏡を使う)だの、使い物にならない物の研究はしてますね。
(55:701)

旧日本軍の戦車はコマンダーズシートがないって聞いたんですが、それは古くて小さな砲塔を持つ戦車ならワールドスタンダードなのですか?

日本の場合、砲塔バスケットもターンテーブルもどっちもありません。
加えて、戦車砲の設計がチープなので、装填手の手伝いが必要でした。
さらに砲塔の機関銃手を兼ねてるんで、車長は立ってる方が都合がいいですね。
根性より、技術と運用思想の問題です。
(63:398)

四式中戦車と五式中戦車の違いって、つまるところ何だったんでしょう?

High-Low-Mixの考え方で、M4Shaman戦車相手の戦闘については、四式中戦車、
それ以上の重戦車(M26のような)を相手するときには五式中戦車を用いるために開発されたようです。

開発当初こそ75mm砲ですが、後に88mmに換装されるのがそれを如実に表していると思います。
それに四式中戦車自体が1940年代前半に世界が既に達しているレベルに漸く追いついたものですので、
現状のレベルに追いつくには次世代の戦車開発が急務でもありましたし。
(68:眠い人 ◆gQikaJHtf2)
硫黄島守備隊が遭遇した謎の重戦車M1への困惑ぶりから察するに、当時の日本がシャー
マン以上の難敵を視野に入れていた可能性は低そうだが。

単純に新型戦車を矢継ぎ早に開発することは、どこでもやってたし。
主砲の生産上の問題で既存の戦車と代わりばえしない主砲を暫定的に積んだ例も幾つかある。

後に90mm砲に変える予定であったことは、ハイローミックスを考えていたことを如実には語ってないと思う。

単純な話だが、四式と五式は我々から見れば同時期の変わり映えしない代物だが、走行装置には大幅な改造が入っていた。
逆に言えば、技術的チャレンジが多いわけで、五式の生産が始まるまで、四式を生産しても何も不思議はない。
(68:473)
四式中戦車は、元々長砲身57mm砲を搭載、三式中戦車より早めに開発に着手しています。
戦況にあわせた仕様変更と、開発が遅れが重なり四式になった訳です。

五式は本土決戦兵器ですね。 あの馬鹿でかい砲塔は、75mm砲に半自動装填装置をつけるためです。
90mm砲への換装は企画されましたが、そのために砲塔をでかくした訳ではないようです。
90mm砲換装の実現性は不明。 いつ実現させる予定だったかも不明です。
硫黄島守備隊の混乱ぶりや、それが正しく分析されていない点などを見る限り、M26パーシングのこと
などまるで判ってなかったらしく、とてもそれに対抗しようとしていたとは思えません。
(敵の重戦車M1がレーダーで正確無比な射撃をした。という報告がなされた)

実は、M4と三式の主砲は同じ砲(フランスの野砲)をベースに開発されてますが、日本製の方がかなり
劣ってますよね。 操作性だけでなく、装甲貫通力も。
対戦車砲弾の性能差から、この差が生じてるんですけど、
そこから考えるとシャーマンクラスと渡り合うのにも90mm砲は必要なようです。
残念ながら、90mm砲搭載型の五式が日本のタイガーとして、
シャーマンをアウトレンジで叩きつぶしパーシングと互角に砲撃戦を行うことはできなかったようです。

ただ、四式に比較して、アンダーパワーの元凶である”無過給の空冷ディーゼル”に見切りをつけ、
砲塔もより生産性を考慮したものとしています。
足回りも完全新設計だし、後発だけに明らかに四式より性能アップしてますね。

まとめますに、
●四式と五式はまったく別の時期に開発スタートした。
●四式の仕様変更(強化)で装甲・武装が五式に似通ってしまった。
●四式の設計が完了した時点で生産に入るのは当然。 (本土決戦に備えなきゃ)
●走行装置・エンジン出力・生産性など見ると、五式は明らかに性能向上している。
●でも、五式はまだまだテスト中。
●五式が生産スタートするまで、四式の生産を続けるのは当然。
 (本土決戦に備えなきゃ)
●武装は同じだけど、おそらく四式は装填作業で四苦八苦。 五式は半自動装填で
 最初の数発の発射サイクルは早い。 つまり、主砲は同じでも、かなり戦闘力に
 差が生じたことでしょう。
 (当時の小柄な日本人には75mm砲弾は重い。 ちなみに当時のアメリカさん
  は大柄な奴を戦車兵にしてました。)
(68:856)
しいて突っ込みを入れるなら五式の開発命令は三式より早い
それと五式に88mm砲を積む計画自体は実在しないよ。
さらに言えば四式は三式の量産と改良に専念させるために量産する気は無かったらしい
(68:875)

日本の戦車のキャタピラ、鋳鋼で作られていた?

それはもしかして旧帝国陸軍の高マンガン鋼の履帯のことを言っているのですか?
(76:685)
私のつたない記憶では、「61式戦車」辺りまでは、使われていたような記憶があります。
ダブルピン方式になってからは、「ゴムブッシュやゴムパッドの装着」が普通みたいなので、
あるいは、耐磨耗性の必要性も、余りいらなくなったのかも知れませんね?。

ちなみに、低マンガン鋼とか、ただの、マンガン鋼、などと言うのも有るそうです。
(76:≡ 6等兵 ≡)

日本軍戦車に搭載されていた”統制エンジン”とはいったいどのようなものなのでしょうか?

統制型一〇〇式ディーゼル発動機の事ではないかと思いますが、統制型
エンジンというのは、単気筒の気筒寸法を統一したエンジンの総称で、この気筒を連ねて
出力を調整し、各車両に使用しました。

気筒直径120mm、ピストン・ストローク160mm、予燃焼式で、戦車の場合、V型
12気筒に、軽戦車、その他の車両は直列6気筒として使用されました。
(77:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

「日本軍の戦車の装甲はヤスリで削れた」などと言う人が居ますが本当なのでしょうか?

柔らかく徹甲弾を受け止める場合(ドイツのティーガー戦車など
装甲表面の硬度を上げてはじき飛ばす場合(パンター戦車など)があります
日本の97式戦車は、機関銃程度に耐えればいいとの思想なので
硬度は高かったです

3式戦車は、柔らかい装甲板で弾を受け止める構造だったので
ヤスリで削れるのは当然との説と
軟鉄使っていたんじゃないか? との説があります。

真実は、自衛隊武器学校にある3式戦車を削らないとわからないかも。
(79:387)
61式戦車の試作品は軟鋼板を使っていたね。
(79:388)
装甲表面を柔らかくして耐弾性能を上げる方法がありますが、宮崎駿が当時の工場の人に聞いたところ、
3式戦車は本当に軟鋼を使っていたという話があります。ソースが宮崎駿だから、話半分に聞いてください。
(79:389)
司馬氏のその文章については知らないのだが、
装甲の材質には大別して二種類ある。
浸炭処理などを施した表面硬化装甲と
全体に均質な均質圧延装甲であり、後者はヤスリでも削れる。
(79:407)
対ソ連の戦闘で、砲塔と車体の隙間に銃剣を刺されると、砲塔の旋回ができなくなったと言われています。
つまり、明らかに砲塔か車体の一方、または両方に深刻な傷がついた訳ですな。

日本は英仏の初期の戦車を購入し、それを参考に装甲材を研究し、一応満足の行く物が出来たようですが、どうもその後、さしたる進化は無かったようです。

ところで、ヤスリにもそれなりに製造ノウハウが必要です。
果たして当時の日本にどれほどのヤスリが存在したか疑問ですね。
(開戦前に入手した輸入品や職人の技物かなんかでしょうか?)
(79:427)
それは銃剣を刺されたのでその抵抗摩擦で旋回不能になっただけだと思うぞ。
(79:439)
一応、過去に出た意見を総ざらいしてあげとく

  • 軟鋼を使ってたという文そのものが司馬の捏造説
  • 軟鋼をあえて使用することで抗弾性の向上を図っていた説
  • 実は資材不足でホントにただの鉄を使って作ってました説

真偽のほどは不明。
つーか、事の真偽の確認なんて後回しで「司馬信者vsアンチ司馬」な
対決になりやすいテーマだし。
(101:389)
日本の戦車の装甲材は輸入品の性質を参考に独自に研究した物です。
わざと柔らかい物を使った事実はありません。
他方であくまで真似たら似た(当時の日本の技術者や軍人の基準で)物が出来ただけですので、
他の列強諸国の物より劣ったことも確かです。
ところで、ヤスリの鋼は粘りが極度に少ない分硬いので、
割れないように多少の粘りのある戦車用の装甲材が削れても、何ら不思議はありません。
(101:391)


旧日本軍の戦車って、太平洋戦争時どこの国に進出してたの?

日本の戦車は戦車連隊のみならず捜索連隊などにも配属され、
中国大陸のみならず、シンガポール・フィリピン・マレーシアなどの南方作戦にも
戦車部隊が随伴しており、また太平洋の島々にも防衛のため進出しています。
例えばサイパン島には戦車第九連隊(中型戦車36台、軽戦車12台)が進出しており、
かの地で全滅しています。
また戦車第二師団(撃兵団)がフィリピンに転出、ルソン島の防衛戦力として奮闘し、
さらにここから抽出された戦車第十一連隊は占守島に配置され、1945年8月18日の
ソ連との日本軍最後の戦闘で奮戦しています。

生産はすべて国内で行なわれ、海上輸送の途中で多くの戦車が海没しています。
(82:名無し軍曹)
一応満州でも生産してる。
えらく少ないが
(82:158)

4,5,6式中戦車って完成してたんですか?

四→完成。
五→砲なし状態。 四に砲を渡したから未完成。


六→歴史の教科書嫁
(92:270)

日本軍の戦車の変てこな黄色い線の入った迷彩は何を意図していたのでしょうか?

あの黄色の帯は、遠目に見たときシルエットの判断を狂わせるため。

暗い色で塗ったものに明るい色の帯を書きこむと、
そこだけが目立つせいで本来の形がわからなくなります。
(93:547)

戦時中の日本の戦車って、何で主砲の後ろ向きに機関銃が積んであったのですか?

車体を小型に作ったら砲と機銃を並べておくスペースがなかったためと、そもそも砲と
機銃とでは別々の目標を攻撃するつもりだったため。
(93:547)

旧日本軍の戦車のエンジンスタートには職人的な勘が必要だそうですが何故でしょうか?

電装品が今一つだったようですが、合わせてディーゼルだからの様です。
可動部品が重たいし、少し暖まってから燃料噴射を始めた方が始動しやすいとか、
ガソリンエンジンより面倒が多いです。
(99:365)


日本軍の戦車ですが、開戦前ならともかくM4やらパンターやらT-34やら出てきた大戦中盤以降になっても、デザインに進歩が見られないように思うのですが

なんででしょうか?

日本には「T-34ショック」は生じてないのでパンターのような方向性への進化は
起きようがない。
ドイツから情報は入っていたらしいが。

替わりに「M3スチュアートショック」「M4シャーマンショック」が発生し、それらは
一式砲戦車(とりあえず対戦車戦闘できる長砲身の砲載せろ)や三式中戦車(泥縄的に75mmカノン砲装備に改良)
三式砲戦車(砲塔廻んなくてもいいから三式中戦車の数が欲しい)となって結実してる。
これらはドイツで言うならIV号F2型や75mmL48装備の対戦車自走砲/駆逐戦車の位置にある
だろう。
そして、これらの上位機種として四式や五式といった重戦車が開発されていた。
この2種は戦前からの重戦車開発の流れと戦争での戦訓が合わさったものなので、ティーゲルに
相当する位置にある。

あと、「戦争で対峙したソビエトの戦車にショックを受け、急遽それまでの設計思想を捨てて改良した」
と言う位置には、ノモンハンでの「BTショック」を受けて開発された九七式改や一式戦車が
ある。
(480:454)

大戦中の戦車って、トランスミッションがよく壊れたらしいけど日本軍の戦車ってどうなの?

いやよく壊れた。
でも、あの当時はどこの国のもトランスミッションがデリケートですぐ壊れるのは結構当たり前。
別に日本のだけに限った話ではなく、どこもそんなもの。
アメリカのものだけはわりとマトモな出来だったが、やっぱり荒っぽく扱うとすぐに壊れた。
ソビエトの戦車は起動輪が後ろにある=トランスミッションが後部にある、のでどれもレバーが
延々とロッドを介して操作することになるため、レバー操作がやたら重くて大変だと不評だった。
「ハンマーでブッ叩かないと切り替わらない」と言われ、でも実際にそんなことした日には
当然レバーとロッドが壊れる。
ドイツの戦車は作動そのものは快調だが丁寧に操作しないとすぐに壊れる繊細な作りな上
頻繁かつ綿密な調整と整備を必要とした。

戦車は重い車体を無理やり走らせてるので別に設計に欠陥がなくてもトランス
ミッションが壊れやすく、ずっと後になってトルクコンバーター式のトランス
ミッションが普及するまでは変速機関係は戦車のウィークポイントであり続けた。
(534:556)

チハは57mm砲を長砲身化して攻撃力を向上させることは、できなかったんでしょうか?

優秀な砲を拡大していくと言う発想は当時よく見られた傾向。
日本も長砲身57mm砲を完成させている。試作のみね。

ただし、57mm砲を長砲身にしたと言う発想じゃなく一式47mm機動砲の拡大型。
装甲貫徹力は 1000mにて60mmと言われている。
ただし、日本製の鋼板撃ってテストした可能性があるから、アメリカやイギリスの
装鋼材に対してもそのような性能が出るかどうかは俺の調べた範囲では判らない。

何故チハに積まないか?と言い出すとおかしな話になる
チハ車はノモンハンの戦訓から47mm砲の新砲塔を搭載することにした。
だが、欧州戦の情報や実際にアメリカの戦車など研究した結果からより高い火力を
持ったチト車を開発する。
つまり新主砲を搭載する新戦車が必要と考えたんだと判るよね。
そこから急場しのぎにでもチハに積めるような物では無かったと想像出来る。
もう一つ、57mm砲が完成した時点で一式中戦車の生産が始まっており、その意味
でも積む意味が無い。新型戦車に積むって決定で良いじゃないですか。

ところが完成した試作砲は貫通力が低いのでチト車には使わないことにした。
(47mm砲より上かどうかは問題ではなく、情勢に適応しない。)
また、貫通力の割りに重い点が問題視され、砲そのものが不採用になったので
他の車種や砲戦車への搭載も当然されていない。

完成していない訳でもないし、合理性云々より出来事の時系列を理解しなければ
ならないよ。
(349:74)

「日本の戦車は港のクレーン能力によって重量を制限された」などと言われますが、単に輸送船からランプを使って自走で積み降ろしすれば良かったんでは?

当時輸送に使われてた貨物船は今のバルクキャリアの様なタイプが殆ど、
RoRo船なんかは車両を大量輸送する時代になって現れた。
当時にもフェリーは有ったが艀に毛が生えたような物で、外洋を長距離航海出来るような物じゃない。
でバルクキャリアはクレーン無しじゃ重量物の積み下ろしは出来ない、
舷側までのランプを作っても(それ自体長大で強度が必要な大変な物になるが)船倉に降ろせない。
それなら舷側を切り取ってランプをつけ、船倉にもランプを付け多層にすればRoRo船になるが、
そんな(当時は)普段使わないものが海上輸送の主体となるほど転がっているわけない。
要は重車両を輸送・運用するインフラが全く整ってない事が問題で、クレーンの能力だけに理由を求めるのもやや一面的。
(567:485)

五式中戦車や、計画のみで終わったホリ車の主砲には半自動装填機を組み込む予定だったようですが、

なぜこんな複雑で厄介そうな、ドイツ軍ですら採用していないような機構にしようとしたんでしょう?
チビの日本兵の装填手だと、巨大な砲弾を抱えて砲尾に突っ込むだけの体力が無いとでも思ったんでしょうか?
いくつも勘違いがある。
半自動装填装置自体は簡素な装置で、事前に装填主が装置に砲弾を装填しておくことで
ここ一番の連射性能を上げるだけ。

何故それが必要かと言うと、一つには日本人の体格の問題。
アメリカの場合は数十tある兵器を人力操作する上で、特にパワーアシストの開発
に注力せずに体格の良い者を戦車兵にすることで対応した。
(戦後、自衛隊がアメリカの戦車を運用しようとした時に体格の差が問題になった。)

日本では47mm砲の時点で問題を抱えており、戦車長が砲の操作をアシストしていた。
にも関わらず、戦車の乗員が定数割れしたまま運用することもあるような始末。
砲塔の動力旋回にも頓着せずに主砲が47mmの高初速砲になっても肩押し式の主砲を
好むくらいで、逆に主砲が75mmクラスになった所で装填・排莢操作の自動化の必要
性を認識した。(つまり体格が原因で着眼点が少し他国と違っていた。)

当時でも自動装填装置はアメリカがベルト式の物を研究しており、実用化も可能な
レベルに近づいていたが、ま、ドイツ相手にはもっと他の研究に注力すべきと判断
したんですな。
もう一点。殊更にドイツのテクノロジーが優れていたと言うような事実もない。
赤外線暗視装置など開発が他国より目立って先行した技術もあるが逆も多い。
ドイツが出来なかったから難しい技術などと言うことは無い。
(343:288)

日本戦車の戦闘力不足の一因ってやっぱり馬力不足?

馬力は関係ない。
統制型の次は航空用ガソリンエンジンの再利用、ディーゼルターボ開発をしていた。
エンジンに関しては無いなら作っている。それが理由で戦車開発が出来ない要因にはなってない。
まず、機甲戦力を持ち始めた当時、戦車の開発・配備にかけられる予算が過小だったために安価に数を
揃えられないかと言う思想が根付いてしまい、転換できない派閥があったとされる。
一式や新砲塔チハはBT-7に対抗すべく作った訳だが、太平洋戦争に突入後、敵方がM3軽戦車
程度しか保有しておらず、対抗可能と判断したために、その後の戦車開発がスローペースになっている。

もう一つは、省力化機器や土木作業機械、自動車工学が未発達だったことや、(当時併合していた朝鮮
半島を含む)自国内や満州、南方戦線の道路事情が悪かったことも大きい。
(実際、ソ連側が満州に侵攻した際もT-34やM4よりBT-7Mの方が使いやすかったとされる。)

我が国の運用者には、戦車が30tクラスになると既に限界を超えてしまうと言う発想があり、逆にそれ
より重い戦車を運用するための技術開発が遅れていた。
(当時の日本人の体格では75mm長砲身砲の操砲は困難になってしまっているくらいで、アシスト装置が
無ければ装填はおろか、操縦操作なども困難だろうと思われる。)

情報の見誤り・軽視もあった。
開戦前~大戦前期にかけて、欧州、と言うよりもソ連戦車に引っ張られて各国の戦車が重厚長大に
なっていく過程で、それを後追いした。(先回りして強力な物を作ろうと言う発想が無かった。)
ドイツの駐在武官から、欧州戦の情報は入っていたが思いっきり軽視して対応が遅れている。

まあ、こんな話がある。
ソ連軍人がまだ友好的な頃、ドイツの4号戦車を見学して、その余りのショボさに「強力な
戦車を隠している」と信じて疑わなかった。 ドイツ側はその態度からソ連はより強力な
戦車を開発していると早い時期に予想出来たし、その後もスパイ情報があったが軽視していた。

我が国はさらにその後で欧州の戦車が75mm砲を撃ち合っていると聞いたが、なかなか自分達に
波及する話とは思えない訳で、M3軽戦車にワンサイドで勝てる戦車を作っている内にエラいことに
なってしまった。
(569:639)

チリ車(五式)のエンジンは既存の航空用(BMWのライセンス品で練習機に使っていた)
で800馬力。 ドイツのHL230より高出力だったりするけど。

そもそも、日本の戦車は戦闘力不足のものしか無いと言うのが誤りで、試製100t戦車・120t戦車では10cmカノンを搭載している。
これらの戦車では、航空用エンジンを2基、伝達ギアでリンクさせており、強力なエンジンが無いなら無いなりの工夫をしている。
馬力不足と言われても他国同様に航空用エンジン引っ張り出したり、アメリカのH型パワーパックのようにまとまりは良くなくても
エンジン2基の連結でさらなる馬力アップも行っている。

100t戦車の場合、操作系に油圧アシスト装置を導入したり後方駆動を採用するなど、一部M4シャーマンより進歩的な部分のある。
ところがテストしてみると、不整地では重すぎでスタックしまくり、舗装道路では舗装を壊すので。
過荷重でテスト以前の問題。44年末まで放置した後、解体。
120t戦車は車体のみでテストすると流石に操縦性や抗堪性に問題ありと判断されている。

作れないでも無いし、作っても見たが、いきなりハードル上げすぎてるって言うのが実状。
(570:283)

砲塔はチハとかでも自動で回転したんだよね?

手動です
Ⅳ号J型も手動です
(321:726)

97式中戦車改はなぜ一式機動砲をそのまま流用して搭載せず、砲身をやや切り詰めた一式戦車砲をわざわざ採用したのでしょうか?

これは単純にチハ改や、本命のチヘの砲塔に収めるにあたって後座長が問題となったからです。
狭い砲塔の中の戦車兵さんたちにとっては、高速で後退してくる砲は正に恐怖なのです。
ハ号の戦車砲も九四式速射砲より短砲身の物になってますね。(後に換装されてますが)
(315:11)

日本が試作したという100トン重戦車について教えて下さい

100㌧戦車は又の名を"大イ車"(もしくはミト車)と呼ばれ、基本構造は89式中戦車を
約5倍の大きさにスケールアップしたものです。
  • 重量約100㌧ *全長10㍍ *全幅4.2㍍ *全高4㍍
  • 装甲厚 前面:75㍉ 側面:35㍉+35㍉(スカート)
  • 武装 105㍉カノン砲×1・75㍉速射砲×2・7.7㍉機銃×3
  • エンジン BMW水冷12気筒550馬力×2基

作ったはいいがでかすぎて工場の門を出られず、走らせれば重すぎて腹を打つわ
キャタピラが外れるわサスはヘタるわさんざんだったようです。
(47:名無し軍曹)
http://www.bekkoame.ne.jp/~bandaru/deta0248.htm
1940年、100t重戦車
(走行テストで100tの重量を走行装置部分が支えられず自壊)
荒地走行テストでずぶずぶ沈んでしまったとか...
日本の道路を走れなかったとか(幅が広すぎ)
速度はエレファント以下...
装甲もたいした厚さではなく役に立たないので分解されました。
(312:559)

小銃の徹鋼弾でチハの装甲の20mmの部分を零距離で撃てば貫通しますか?

無理
九五式軽戦車の最厚部(12mm)以外なら可能
というか末期のは金質が悪化してたので最厚部も撃ち抜かれるかも
(俺初質スレ431:828)

チハたんの後継戦車が、なかなか本格的に生産、運用されなかった訳は?

航空機なら、なかなか苦労しながらも更新が結構進んでいるのに。
まさに理由はそれだよ。
戦車作るなら工場設備は飛行機生産に回す。
鉄使うなら船舶の建造に回す。
島嶼やアジアが主戦場という戦局から戦車の優先順位が低かった。
(515:164)

なんで旧日本陸軍の戦車ってあんなに弱いの?

ごく単純に言うと、技術(とそれを支える国力)が無かった。
砲、装甲、エンジンどれも。特にエンジンが力不足なのは痛かった。
サイズや重量に制限がでちゃうからね。

よく言われるのが港湾設備の問題。戦闘重量を増やし過ぎると海外展開が難しくなる。
2つ目が対戦車戦闘というのを重視していなかった事。
そして対戦車戦能力が必要だと気付いたときには航空主兵に転換していて資材が回ってこなくなった。

ぶっちゃけるとノモンハンまでザコ支那軍相手で優秀な戦車なんか必要なかったから作らなかった
それがノモンハンでソ連戦車にコテンパンにされてさすがにヤバイと思ってようやく着手
苦労してやっと完成したのがチハ改や一式
しかしこの子が登場した頃には既に30トンやら50トンやらの化け物戦車が跋扈していましたとさ

当時戦車は歩兵科に属していて戦車は歩兵の陣地攻撃を支援するものであると考えられていた。
騎兵の機械化を行うとき、「戦車対戦車の戦いは騎兵の抜刀突撃並に同じくありえない」と切り捨てられている。
92式、94式、97式装甲車(騎兵連隊を改変した捜索連隊が主に装備)が実質戦車なのに装甲車と名乗ったのも
兵科間のセクショナリズムから。
ただ、チハ車が比較的早く新砲塔にできたことに現れているように、先見の明のアル設計者と一部の
用兵側は戦車対戦車が起こることを予期していた。
(362:743-751)

司馬遼太郎が戦車をヤスリで削った話の真偽について教えて下さい

戦時中に戦車兵だった氏は、
「開戦初期の日本の戦車の装甲は鋼鉄で出来ていて、ヤスリをかけても歯が立た
なかった。しかし、戦争末期の戦車の装甲は容易にヤスリで削れた。敗戦間際の
日本は戦車の装甲に使う鋼鉄にすら事欠いていた」
といった趣旨のことを書かれていたのですが、これは本当なのでしょうか?
一応、過去に出た意見を総ざらいしてあげとく
  • 軟鋼を使ってたという文そのものが司馬の捏造説
  • 軟鋼をあえて使用することで抗弾性の向上を図っていた説
  • 実は資材不足でホントにただの鉄を使って作ってました説
真偽のほどは不明。

漏れが知っているのは、
1)司馬が、末期の戦車には鑢が掛かったという話を公表。
2)軍事研究家?が、わざと軟らかくしていたんだと紙上で反論。
3)元戦車工場勤務の方が、末期には鋼鉄は手に入らず、普通の鉄を
  使用していたと再反論。
って話でつ。御参考までに。
(101:389-417)
圧延鋼板の製造配分に関しては、1944年春から陸軍向けが頗る少なくなり、
重火器の生産が高射砲を除いて停止され、弾薬生産が削減され、戦闘用車輌
の生産が激減し、軽戦車の生産が事実上停止し、中戦車、装甲車輌の生産が
著しく削減されると言う状況にはなっていますが。
(101:眠い人 ◆gQikaJHtf2)
遅レスだが司馬遼の戦車鑢がけのエッセイは新潮文庫「歴史と視点」所収の「戦車、この憂鬱な乗り物」
これについての論争の経緯については徳間書店「宮崎駿の雑草ノート」巻末の富岡吉勝氏との対談で出てくる。
前のほうで誰かが書いてるが、
司馬遼のエッセイに「あれは冷間圧延鋼鈑だから鑢で削れても問題ない」と装甲板の開発にあたっていた技術者が戦車雑誌で反論。
その雑誌に戦車工場に勤務していた人から「末期はただの鉄板でした」という投稿。
という話だった。
(101:695)

チイ車とかチロ車とかあったのでしょうか?

有名なのでは、一式中戦車(チヘ)なんかありますよ。
(102:◆530FVxFn7E)
八九式中戦車 イ号
試製中戦車(九七式の対抗馬) チニ
一式中戦車 チヘ
三式中戦車 チヌ
四式中戦車 チト
五式中戦車 チリ

という訳で、必ずしも開発順につけられた訳でもなさそう。
(102:420)
89式中戦車は、「イ号」の他に、「チイ車」って呼び方もあるよ。
(102:430)


陸軍は本土決戦のため三式戦車を温存してたようですが、1945年夏の時点のM4シャーマンに勝てたでしょうか?

昭和20年5月参謀本部によって出された「戦車用法」によると、
「三式中戦車は600メートルにおいてM4戦車の正面を貫通し得るも
命中角の関係上その公算は僅少にして、側面および背面を攻撃するを要すること多し。」
とあります。

装甲も強力とは言えず、正面から打ち合うのはやはりかなり苦しい戦車かと。
(104:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)

四式中戦車や五式中戦車の後継は計画されてましたか?

エンジンを過給器付空冷DieselとしたチリII型の計画はありましたし、120t戦車の
計画はありましたが、計画途中で敗戦となっています。

なお、1943年以降、陸軍の考え方としては、戦車の量的充当よりも質的向上に
ウェイトを置いたため、三式の主砲換装は考慮されていましたが、四式の性能
向上までは考慮されなかった様です。
(274:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

日本軍の戦車はM4に対抗できたんですか?

新砲塔チハで正面から撃ちあってもほとんど勝ち目がないので
待ち伏せて側面や背面から射撃して対抗してた。爆薬付けて特攻することさえあった。

75mm砲を搭載した一式自走砲や三式戦車ならだいぶマシだが、不利な戦いには違いない
(俺初質スレ432:モッティ ◆uSDglizB3o)

3式中戦車にベンチレーターがついてないという記事がP誌に載ってましたが、本当でしょうか?

終戦までに日本軍の戦車にはベンチレーターは装備されていませんでした。
チハ車による実験では、密閉して前方銃で30発も発射すると軽い一酸化炭素中毒の
症状がでてきたそうです。
特に銃手席ではガスの滞留が激しかったようです。
対策としては、射撃の中止・各窓扉の全開などがありますが、信じがたいことに
現場では車長が扇子を用意して前方銃手席をあおぎ、一酸化炭素を拡散したとか。
(123:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)

一式中戦車の主砲はその主砲でシャーマンは撃破できたのでしょうか。

一式中戦車の主砲は47mmです。(試作一号車は57mmですが)

Shamanを撃破する場合は、可成り目標に近づくか、後ろや側面を狙うしかありませんでした。

47mm砲の性能的には、直角に命中すれば500m離れた80mmの鋼板を撃ち抜くことが出来ます。
ただ、実際に戦車第二師団がフィリピンのルソン平原で戦闘した際には、70mまで近づかないと、
M4の最厚部51mmの装甲を撃ち抜けませんでした。
それは徹甲弾の材質に問題があったということでしょうか?
特殊鋼、特に、ニッケル系やマンガン系の材料不足と、金属回収で回収した金属粉を
混合した事による脆さが出ているので、戦争が進展する程、問題が発生したのではな
いかと思います。

ちなみに、同じような初速(47mmは810m/sec)の砲で、例えば英国の2ポンド砲は、
初速850m/sec、射距離1,000mで装甲貫徹力42mm(47mmは同じ距離で30mm)、米軍の
37mm砲は、初速775m/sec、射距離1,000mで装甲貫徹力60mmになります。
一つ上のクラス、英軍の6ポンド砲では、初速786m/secですが、射距離1,000mで46mm、
米国の75mm砲では、初速700m/secですが、射距離1,000mで69mmになっていますね。
(236:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

司馬遼太郎が日本の戦車エンジンについて、でかい、馬力がない、複雑で運用が難しい、という欠陥だらけのもの書いてましたが。

本当でしょうか?
九七式中戦車に用いられていた、三菱ザウラー式SA12200VD(複渦流式V型直噴12気筒/ボア120mm×ストローク160mm、
170馬力/2000回転、重量1200kg)に関しては、噴射系統がデリケートで調整が難しく、耐久力に欠けるきらいがあり、
動力性能に関しても、公称200馬力の筈が、実力は170馬力程度しか出ず、しかも、白煙、黒煙が甚だしく、
更に五月蠅い(三菱の整備員曰く、豆煎りエンジンと言っていた)。
シリンダとシリンダヘッドは4本の長い通しボルトで共諦めする方式で、チェンブロックや他車の動力を用いた
エンジン吊り出しが頻々と行われたのも車載状態での整備性が悪かったからで、ローラータペットを用いた4弁方式に
ついても、こなれておらず、しかも、直噴はまだ未完成の技術でした。

このエンジンを他社のエンジン設計技術者が評して曰く、「まるで航空発動機のような、屁理屈の塊のようなエンジン」と
評していたそうです。

当時の軍用車両用ガソリンエンジンでは、オクタン価の制約から余り攻め込んだ設計が為されず、車輌、兎も角人員が
生きて帰ってこられる信頼性を重視したために非常に甘い設計になっていました。

他方、ディーゼルに関しては、池貝とか三菱、いすゞなどが犇めいていたため、性能重視型の設計ではありましたが、
それでも、軍用、就中、統制であるがために、設計には十分な余裕を持たされ、最大出力時正味平均有効圧が可成り
低い状態に置かれていました。
本来は、常用時の負荷率は低い筈ですから、最大出力時の正味平均有効圧を高くしても良かったのですが、
第四技術研究所や、戦車部会のメンバーが、作戦行動中に逆上した操縦者が、無闇にアクセルを踏んで全負荷に近い
運転を続けて、エンジンを壊すことを心配したためか、パワートレイン側の問題があったのかもしれません。
(187:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

日本軍の戦車は走行しながら主砲を撃てた、というのは本当でしょうか?

「行進射」と言って、日本陸軍の戦車による通常の射撃方法です。
砲手と操縦手が連携して、発射の際にわずかに速度を落として射撃を行います。
当然命中率や発射速度は低下し、五七ミリ砲では
  • 一分間の発射速度:1~2発(停止時:5~12発)
  • 500メートルでの命中公算:17パーセント(同:65パーセント)になりました。

したがって実際には戦車小隊(四輌)で行進と停止を併用して射撃を行います。
(223:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)

九七式中戦車の砲塔内には、何発の弾薬を積めますか?

八九式戦車の資料しか手元にありませんが、八九式乙型の場合は、8発入り弾薬箱が5段車体内に
装備されており、これに加えて、即応予備として4発砲弾架に掛かっています。
つまり、44発が車体内に置いてありました。
なお、甲型では50発入り弾薬箱が2つ車体内にあり、これらが車長、砲手の腰掛けを兼ねていました。

砲側には、右側面に4発、左側面に2発の57mm砲弾架があります。

九七式中戦車の資料は、カッタウェイしか無いので、しかとは言いかねますが、砲塔前部に4発の弾薬架があり、
砲塔後部にも、5発分の弾薬架がありました。
また、車体内部には57mm砲の弾薬箱が最大3箱あった様です。
1箱20発入りとして40発、即応用として10発程度あったのではないでしょうか。
(215:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

日本軍の戦車の燃費はどれぐらいだったんでしょう?

日本戦車の燃費
 八九式中戦車(甲) 0.64km/l
 八九式中戦車(乙) 1.00km/l
 九七式中戦車    0.85km/l
 九七式中戦車改   0.85km/l
 一式中戦車      0.64km/l
 三式中戦車      0.64km/l
 四式中戦車      0.63km/l
(しょうもない知識を披露するスレ10:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

チハでM3やM4に対抗出来たんですか?

1942年4月、ビルマへの第二期侵攻作戦の為、戦車部隊が投入された。
彼の地で対決するのは、当時アジアに於ける連合軍最強の戦車である、M3軽戦車。

と言う訳で我らがチハタンがM3軽戦車の装甲をぶち抜けるか、研究することになった。
標的は遺棄されたM3軽戦車、迎え撃つは、各中隊から選抜されたチハタン、第一中隊で鹵獲したM3軽戦車。

最初に各車1発の57mm徹甲弾を装填し、標的に向けて500mの距離から射撃。
それは狙い過たず、砲塔に2発、車体に1発命中していたのだが、その部分の塗料がはげていただけで、
徹甲弾は粉みじんになっていた。
次いで、M3の37mm徹甲弾を同じ距離500mで射撃…これは見事に貫通していた。

それでは、と、300mの射距離で徹甲弾発射。
これも木っ端微塵に徹甲弾の方が飛び散るだけだった。

そこで、射距離300mから今度は榴弾で側面を集中的に撃ってみた。
すると、M3軽戦車の側面には衝撃で装甲板に30cm平方の穴が穿たれたのである。

と言う訳で、M3軽戦車に対し、チハタンの戦法は、
「小隊(3両)で300m以内に肉薄し、1両が囮となって正面に、残りが側面に回り、近距離から
榴弾の一斉射撃を側面に対して行なう」
と言うことになった。

信じられなくはないが本当だ。
30cm平方ってことは、装甲接合のリベットが吹き飛んではがれたのかな?
装甲の溶接部が衝撃で割れたラスィ。
(信じられないが、本当だPart21:眠い人 ◆ikaJHtf2)

日本戦車はソ連戦車と違って無線が完備していたんでしょうか?

チハ(九七式中戦車)だと、いわゆる「鉢巻き」(無線アンテナ)を標準装備している。
(俺初質スレ1024:416)

チハをやめて一式砲戦車をもっと沢山つくれなかったんですか?

搭載した90式野砲の生産能力が足らないので、無理です。
(俺初質スレ2049:277)

97式中戦車改の後部の信号灯は何に使うものでしょうか

信号灯は砲塔上のもの共々、夜戦用装備だな。旧軍の戦車兵は
連隊単位での夜襲をかけることのできる鬼のような練度だったからさ。
(俺初質スレ20501:458)

日本の戦車は対歩兵用?

まさにその通り、97式までの日本の戦車は、味方の歩兵部隊の攻撃に際し、
敵の強固な防御陣地を潰すのが目的だった
だから対戦車能力が低い、短砲身の榴弾砲を主砲に選んだ

当時の戦車のあり方としては、別に珍しいものではなく、日本だけが遅れていたわけではない
(俺初質スレ50501:718)


ドイツ軍戦車


WWⅡのドイツの戦車ですが,1号2号3号4号ときて5号パンター6号ティーガーとなってますが、ティーガーのほうがパンターより早く開発されてるのにナンで5号じゃないんでしょう?

設計開発が決まった順に番号がついているのです。
パンターは実戦配備されるまで、開発に時間がかかっただけです。
(2:607)

4号戦車の長砲身型(F2、G)がアフリカに配備されはじめたのって、いつからでしょうか?

1942年10月のエル・アラメインで50台参戦しているみたいです
生産が1942年3~7月ですから、造ってすぐに回したみたいです
(2:887)
多分、自営業先生辺りが書かれるかも知れませんが、基本的に兵器開発には
終わりがありません。
一つのものを作り終えたら、直ぐに次世代のものの開発が始まります。
III号戦車の開発が終わった段階で、次世代の対戦車戦闘戦車の概念研究が
始まっているはずです。
IV号戦車は、歩兵支援戦車として開発が進んでいましたので、III号の後継は
必然的にV号と言うことになります。
支援戦車としてのIV号の後継としてVI号が開発されたのではないでしょうか。
しかしながら、V号が形になる前に、T-34ショックがあったために、再検討の
時間を要し、結果的にVI号の方が先に出たと考えられます。
(65:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

ティーガー1のマフラーにはキャップが付いてますが何の意味があるんですか?

マフラーのキャップって・・・
初期型は潜水装置が付いており、マフラーのキャップは
その反兆弁でしょう。
潜水時に水の浸入を防ぎ排気する弁です。
(66:一等自営業 ◆JYO8gZHKO.)

2次大戦のドイツ戦車によく観られる”千鳥足転輪”アレって生産効率悪そうだし,整備も大変だったみたいだし、なにかメリットてあったんでしょうか?

戦車の転輪はチャーチル戦車のように小さくて数があったほうが、キャタピラにかかる圧力が均等になり、軟弱地盤での活動が容易と成る。しかし、日々の整備が殺人的になるし高速走行には向かないという欠点がある。
転輪を大型化したほうが高速走行に向くが、キャタピラにかかる圧力が偏り、軟弱地盤での活動に不利になる。また、転輪と転輪の間の間隔が大きくなるため、ここでキャタピラがたわんで、酷い場合には断裂する。
この問題に対するドイツ軍技術部の解答が複合転輪(千鳥足配置転輪)である。大型の転輪を2列に互い違いに配置することにより、キャタピラにかかる圧力を分散化させ、また、キャタピラのたわみによる断裂を防いだ。
ただし、内側の転輪を取り替える場合は外側の転輪2枚をはずさねばならないとか、外側の転輪を支える車軸が内側の転輪2枚の間にあって破損しやすいとか、内外の転輪がずれて動くため異物が挟まりやすいとか、新たな問題が発生。整備・補修のテマは酷かったらしい。
(hismed)

vk6501ってどんなの?

1939年当時ヘンシェル社が「最強戦車」を目指して作った大型戦車です
マイバッハのHL224型エンジンという600馬力のエンジンを搭載し、足回りとしてはヘンシェル初のトーションバー(棒バネ式)を採用しました
重量65tで目標最高速度は時速25~26キロ
旋回砲塔にはMG34と24口径7.5センチ砲が装備され、操縦席横の球形銃架にもMG34が搭載と言う構成で試作が進められましたが、
1942年にティーガーの試作の邪魔になった為中止されました

PanzerIVの発展型である、重量65トンの重戦車です。1939年にすでに開発計画はスタートしていましたが、実働機は製作されずに終わりました。

重量:65トン
乗員:5名
エンジン:マイバッハHL224、12気筒、600馬力
速度:20-25km/h
全長:7m
全幅:3.2m
全高:2.92m
武装:75mm/L24 KwK37 + MG34×2
装甲:前面80mm~100mm

の予定でした。
(7:267-268)
1941年に軟鋼製の試作車台一両のみヘンシェルで作られたもので、VK3001(H)
(後の6号戦車)の更に重装甲型として開発されました。
特徴は多砲塔(主砲塔に7.5センチKWK L/24と7.92ミリ機銃、副砲塔に7.92ミリ
機銃)であること。
輸送用に3分割出来ることです。

試作車は軟鋼製なので余り意味はありませんでしたが、80ミリの装甲を有し、
生産型では100ミリの装甲を持つ予定でした。

なお、これの組立用にファウン社製のクレーン車も開発されています。
(10:名無しさん@眠い人 ◆ikaJHtf2)

ディーゼルエンジンを発明したのはドイツ人だけどドイツの戦車は何故ディーゼルを採用しなかったのですか?

現代の戦車はディーゼルかタービン、昔の戦車はガソリンが普通です。
基本的には車載可能なレベルへの小型化、特に補機の小型化と信頼性が問題だったような気がします。

二次大戦中に戦車にふさわしい大出力ディーゼルエンジンを実用化して
いたのはソ連だけ(日本のは小出力)だったはずです。
(8:system)
合成ディーゼル油を実用化するまでドイツではディーゼル油の備蓄量がガソリンの
三分の一であった為、ディーゼルエンジンに重きをなす訳にはいかなかったというのも
要因の一つのようです
合成ディーゼル油を実用化後は開発を再開したのですが、着手するのが遅かったのと
補給上の混乱を恐れた為に実際には使われなかったのではないでしょうか
(8:400)

友達に、ドイツの4号戦車F2型というのは実は存在しなかったと聞いたのですが本当ですか?

43口径という中途半端な大砲がなんともいえず好きだったんですが・・・。
うろ覚えだが、「F2型」という呼称が存在しなかったという意味だったと思う。
(長砲身型は全てG型に区分だったかな?)43口径は初期G型も同じですよ。
(8:621)

「G型登場後、F2型も運用上G型に統合して扱う事になった」が一部マニアに誤解され
「F2型なんて形式は存在しない」に化けてしまっただけです。
長砲身砲搭載F型は間違いなく製造時には「F2型」でしたし、
部隊に配布された取り扱い説明書の表紙には「Ausf.F2」と明記されてます。

1号F型と2号J型の側面に脱出口みたいなのがついてますよね。でも、キャタピラが丸出しで危険だと思うんですがどうなんですか?

また、どうしてキャタピラ丸出しなんですか?
え~と、どうもこの側面ハッチは非常口ではなく、1号戦車F型では、
操縦手の、2号戦車J型では操縦手、無線手のそれぞれ、出入口だったようです。
つまり、小さな車体に極限まで装甲を厚くしたため、砲塔の口径が大きく
なり、上面にハッチが取り付けられなくなった。
 → さりとて砲塔部分は、一人用なので、車長が出入りするのがやっと。
 → 仕方ないから側面にハッチ取り付け。
 → でも、大柄なアーリア人が出入りするには、直径が足りないので、
    泥除けを切り取り(まぁ、泥除けの機能を果たすのは前と後にあれば
    いいから)。
 → ウマー(・д・)

てな感じではないかと思います。
(10:名無しさん@眠い人 ◆ikaJHtf2)

1号戦車F型のほうが2号戦車J型より重いのはどうしてですか?

車体構造が1号戦車の方が一回り大きいのと、開発に1年間のブランク
があったため、転輪、懸架装置の構造に見直しが為されている可能性がある。

あと、80ミリの前面装甲の使用面積も重量に関係してくるのではなかろうか。
(10:名無しさん@眠い人 ◆ikaJHtf2)

ドイツのⅠ号とⅡ号、どっちが性能良いですか?

7.62mm機関銃2門の一号よりも20mm機関砲2門の二号の方が多少使いではあったけど、ポーランド戦の時点では火力のなさや
装甲の薄さで既に問題続出だった。
ドイツ陸軍としては本当は三号と四号で戦うつもりだったのに、ヒトラーが思ってたよりも早く戦争を始めちゃったからな。
その割には開戦後に機関銃2門しか積んでないのに前面装甲80mmという、何をしたかったのかよくわからない1号戦車F型
なんていうのを作ってもいるが。
(354:201)

ドイツの4号戦車の砲で、75ミリ43口径の物があったと思いますが、それは75ミリ48口径と砲弾は同じなのでしょうか?

また、できましたらロシアのT-34/76の砲弾は、全バージョンで同じだったかどうかも教えて頂けませんでしょうか?
43口径、48口径とも砲弾も同じ物を使用します。
T-34/76もL-11、F-34、ZIS-5、全バージョン同じ砲弾を使用します。
(9:28)
基本的に同じ物を使用する。ただし野砲で使っても、
T-34では使わない砲弾もあるようだ。
(9:47)

旧ドイツ軍戦車で最後まで現役に就いていたのは何でしょうか?

(あくまでナチスドイツ製ということで戦後のヘッツアーは対象外と見なしてます…)
IV号戦車は、1939~64年までスペインが、1945~68年頃までシリアが
それぞれ使用しています。
トルコはIII号とIV号を使っていましたが、NATO加盟時に米式装備に
改変したようです。
(11:名無しさん@眠い人 ◆ikaJHtf2)

パンターは、D型より後に開発された型が、なぜ「A」型と名づけられてるんですか?

元々は順番通りでした(A型~D型)。
この4種は同時期に設計開発が行われ、最初にD型が完成し、
A型がD型の設計の良い点を取り入れて、D型より後に完成した、という話らしいです。

情報かく乱や書類上のミス、といった説もあるみたいですが。
(12:495)
F型は、ほんとうはA型(D型の後のA型)の次に生産される予定でしたが、
A型~D型よりも設計が大きく変更され生産が遅れてしまう、
という理由で、暫定タイプとしてG型が先行したらしいです。
(12:499)
パンターはD型以前にプリ・プロダクションモデルが存在しました。
それぞれⅤ号A/B/C型重戦車と呼ばれましたが、生産されたのはA型のみです。
D型の生産が始まったときそれはD1型と改称されました。
D型の次がE型でなくA型になったのは、敵に対する欺瞞のためとされています。
(32:24)

↑残念ですが、全然違います。これは、聖書(特にヨハネの黙示録)と占星術など、オカルトに基づくものです。

型式名の、「D・A・G・F」は、黄道十二宮または黄道十二星座の、獅子宮(獅子座)・金牛宮(牡牛座)・宝瓶宮(水瓶座)・天蠍宮(蠍座)を指す、「テトラモルフ」の、4体の生物「獅子=竜(※ライオンとドラゴンは同格の存在)(D)・牡牛(A)・人=巨人(G)・鷲(※蠍座は大昔には鷲座であった)=フェニックス(Ph=F)、または、鷲=鳥=翼(F)」に由来する。この円環を、Dを0時として、時計回り順に3時・6時・9時と命名し、最後に「II」=「ヤキンとボアズ」=「ヘラクレスの柱」=12時=0時で、1周して終わる。この4体の生物「竜・牡牛・巨人・鷲」は、北欧神話の故郷アイスランドの四方を守る守護者として、アイスランドの国章にもなっている。

ヴィルベルヴィントが英軍地上部隊に向かって、ぶっぱなしている映像を見た事が有るんですが、これって反則ではないでしょうか?

大口径機関砲による地上掃射は歩兵にとってもっとも恐ろしい攻撃のひとつです。
榴弾による砲撃よりもはるかに制圧効果が高く、
そのうえ歩兵の身で用意できる遮蔽物はすべて役に立たない。
(13:10)

マウスが実戦投入されたとか・・・・・本当ですか?

そのような説もありますが、確たる証拠は現状で出てきていません。
(23:173)
2両生産され、2号車はエンジンを事故によって破壊し、放置されました。
1号車はクンメスドルフで爆破されたと言うことですが、別の記録に因れば、
ソ連軍と戦闘したと言う記録もあります。
当時のドイツは相当混乱していたので、記録も混乱していたようです。
(63:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

ドイツ軍では特にバリエーションの多い駆逐戦車・突撃砲・自走砲・砲戦車といった戦車の亜種ともいえる兵器群の存在意義とは何なんでしょうか。

兵科により車両の用途が異なり、突撃砲や自走砲は砲兵科、戦車と駆逐戦車は機甲科の所属となっています。
例えば、ドイツの場合では突撃砲は歩兵用の支援兵器として開発されましたが、
戦局の悪化と共に対戦車戦闘にも投入され、おまけに生産が容易なので戦車師団にも配備される様になりました。
又、事実上は突撃砲でも「駆逐戦車」と位置付けられた車両もあります。

ソ連やアメリカでは、ドイツ以上に生産の統一化を図っていますが、車体の流用のみに留まっています。
(28:266)
1.運用する部隊が異なった事。
2.目標に対して手持ちの器材を利用して対処しようとしたが、目標の能力がインフレーションを起こした事。
等が原因かと。
 突撃砲は、歩兵の火力支援を行なう野砲を部隊に随伴出来る用に自走・装甲化した物です。
ところがこれの代表三突が対戦車戦闘に有効であった事から、後の駆逐戦車への流れが出来ました。
マルダーの様な対戦車自走砲は、歩兵の運用した対戦車砲を手近なシャーシに載せて自走化したもの。
敵が強力になって辛くなった戦車も、カーマゼットでより大きな砲を搭載出来るようにして駆逐洗車に。
手持ちの器材で増大する要求をこなそうとした事が、逆に多種多様な車種を生んでしまったかと。
(28:269)

4号の初期型など大口径短砲身の戦車がどうして「歩兵支援」になるのか

榴弾砲です。
初速が高い砲は、発射した榴弾の信管が作動する前に土等にめり込んでから爆発する為、
歩兵支援には向かないのでは? と考えられていました。
実際にはそれ以上に敵の戦車等の脅威に対処するため、初速の早い野砲や対戦車砲ベースの戦車砲が主流になります。
(28:ばばぼん♪)
マシンガンデストロイヤー。直接照準で機銃座を狙うと、当然打
ち返される。歩兵に追随できる機動力と必要な防御力を持たせた歩
兵砲(ドイツの場合は75mm短榴弾砲)という訳。
(28:291)

WW2のドイツの戦車についてる「Sマイン発射機」ってのは「対人地雷発射機」なんですか?

対人地雷を戦車の上で爆発させる。そうすると、パチンコ玉みたいのが
飛び散って戦車に張り付いている敵兵を一層する。
(31:353)

ドイツ軍の戦車の砲塔横に3ケタの番号がありますがどのような基準でつけているのでしょうか。

123だとすれば左から中隊・小隊・号車です。
この場合は第1中隊第2小隊3号車、0は小隊長、中隊長などを表します
800なら第8中隊長車というわけで

Sは重戦車(シュタールパンツァー)のSだと思われます。
大隊内の重戦車中隊のため特有のものを当てています。
似たようなものとしてはR01などで連隊(レギメント)本部をあらわす場合もあります。

いずれにせよ、厳密に定まっているわけではありません。
色などは連隊などにより変えていたようですが、その辺は写真資料を当たることをお勧めします。
(33:272)

WW2時代のドイツ軍戦車で通信手と操縦手はお互い行き来できたんかのぅ?

喉頭マイクで会話は出来たハズです。
行き来は…… 戦車によって違うと思うんだけど、難しかったんじゃないかな~
戦車被弾、脱出って時に、砲塔の位置の関係でハッチが開かず、通信手や操縦手
が脱出できなかった、って話は良く聞きますもの。
(36:ベタ藤原 ◆MNjfnp0E)

何故ドイツ戦車の車体前方機銃は最後までMG34だったのでしょう?

MG42が登場して、MG34は生産中止になったわけではないのです。
1942年以降多少数が減ったものの、
終戦に至るまで生産が続きました
例えば1944年にMG42は21万丁余り、MG34は6万丁余り作られています。

ここからは想像ですが、ではMG34を何処に配備するべきか。
もちろん機関銃は複雑で小火器にしては整備に手間がかかる
交換用銃身は初めとして交換部品の補給上なるべく、部隊
ごとに統一したい、MG42は汚れへの耐性が改良され
歩兵部隊向きである、また量産向きで数を確保できる。
逆にMG34の弱点、汚れへの弱さは車載する事で軽減できそう。
また比較的コンパクト
何より、戦車部隊に供給する機関銃は統一してどの戦車(ある物は
何でも使ってた)でも使い回しが聞いたほうが良いに決まっている。
いちいち付け替え改造なんでやってられないからでは。
MG34も十分世界水準を越える機関銃だし
(37:機甲自転車)
単純にバレルジャケットの大きさと銃身の強度の問題では?
MG42をボールマウントに差し込むには無理がある…。
(37:894)

ツィメリットコーティングについて質問なのですが素材は何色なんでしょう?

コンクリートだからコンクリ色
(40:242)

スペイン内戦に派遣された二号戦車はどのタイプが何両ぐらい派遣されたんですか?

A/B/C型の15両ほどがスペインに送られたようです。
(41:眠い人 ◆ikaJHtf)

キャタピラ・シューってのは増加装甲によく使ってる予備のキャタピラのことでしょうか。

多分予備キャタピラのことでしょう。
戦車整備中隊は鉄道での移動を基本とし、現地で修理不可と判断された場合
即本国もしくはK工場と呼ばれる占領地の戦車修理工場へ送り返すシステムが
東部戦線のドイツでは整っていました。
とはいえ一番苦労したのは現地の戦車回収小隊なんだろうけど。
(41:572)

M10偽装パンターについて教えて下さい。

アルデンヌ攻勢は知ってますよね?
あの作戦で米軍の後方にSSのオットー・スコルツェニー中佐率いる特殊部隊を侵入させ
米軍の後方攪乱や、独軍主力部隊の先導をさせようという作戦(グライフ作戦)が考案されました。
そのため米軍の装備(銃、軍服、ジープ、戦車等)を集めようとしましたが、予定数に足りなかったため
パンターをM10に偽装して使うことになりました。
しかし少数の攪乱部隊の侵入には成功したものの、M10を装備した部隊は普通の戦車部隊として使われたそうです。
大日本絵画「バルジの戦い」上巻に作戦準備から結果まで詳しく載っていますので、どうぞ。
(43:296)

ドイツのパンサーがあんなに大きな車体になってしまったのは何故なんでしょうか?

  • エンジンが高さ方向に大きい
  • エンジン冷却系も意外に容積を食っている
  • 馬鹿食いする燃料のための燃料タンクが大きいし、ディーゼルエンジンのソ連
戦車みたいに補助タンク外付けには出来ない
  • でかい砲弾を大量にしまっておくスペースもでかい

などの理由によるみたいだよ。
(44:ごっぐ ◆Cs6PCFec)
当初、T-34と同等のものを作ろうとしていたが、結局T-34より強いものを
作りたくなって巨大化したということもあるようだ。

内燃機関の背が低くなるのは、実は、80年代くらいであり、
それまでは、オイルパンだのカムシャフトのスペースだの、今じゃ考えられないくらい、
エンジンの背が高かったのもあります。

また、
●T-34にはついていない、砲塔バスケットを採用したこと。
●T-34は、エンジンもギヤボックスも車体の後部にあるのに対し、
パンターのギヤボックスは前方のため、後ろから前方にドライブシャフトを設ける必要がある。

この二つで車高が高くなったことも付け足しておきます。
(44:541)

WWⅡのドイツ戦車等についてるシュルツェンって何のために付いてるのでしょうか?

対戦車榴弾対策。アレに当たって信管が作動して爆発するが、
本当の装甲板までは隙間があってメタルジェットが拡散して効果がなくなるって感じ。
(45:875)
対戦車銃の銃弾の被帽(軟鉄のキャップ。装甲との衝突の時に潰れて、弾が兆弾するのを防ぐ)を、
シュルツェンを貫通するときに潰させて、内側の装甲には兆弾させるためにつくられた。
対戦車榴弾に対する効果もあるが、これは偶然で、もともとそのためのものでは無い。

ティーガーは装甲が厚いから無い。
パンターには車体下部を守るためにシュルツェンついてる。
(45:876)
もともとは対戦車ライフル対策のためだけど成型炸薬にも効果があったので
そちらの対策として使われた。
{(俺初質スレ20501:577)

シュルツェンは元々は対戦車ライフル対策として採用された。
対戦車ライフルは戦車の主装甲を貫通できなくても、
その弱点(のぞき穴・転輪基部等)をピンポイントで狙うことにより効果を上げていた。
しかし、対戦車ライフルは口径が小さいため、薄い鉄板などでもその威力を大幅に減じることが出来る。
このため、薄い鉄板を主装甲の外側に吊り下げたのがシュルツェンである。

その後、成形炸薬弾(HEAT)のジェット噴流を拡散する効果が確認される。
戦争末期には、対戦車ライフルが減少したことと、資源節約のためにシュルツェンは金網になった。
成形炸薬弾(HEAT)だけの対策であればこれで充分だった。
(hismed)

III号戦車は後期のものは起動輪側の車体内部にキャタピラのアジャスターがついてたってホント?

あと、転輪のサスペンション部でキャタピラの張りの調整することもあったってのもホントっすか?
調節とゆうか転輪自体を加工する、具体的には歯車を削ったりしたそうです。
(6:507)

WWⅡドイツ戦車の車体番号はどのような法則でついてるのでしょうか?

一桁目は中隊、二桁目は小隊、三桁目は車両ナンバーです。
一桁目がRの場合連隊本部(Rが付かずに二桁しかない場合もあり)
ローマ数字の場合大隊本部の車両です。
二桁目が0の場合は中隊本部車両です。
(50:854)

なぜドイツは鋳造砲塔、車体の戦車を作らなかったのでしょう?

ドイツの四号戦車などを見ると、小さな装甲板の溶接で出来ていて素人目に見ても構造的に弱そうで、生産性も悪そうですが
ドイツの冶金技術は意外と低くて、シャーマンのような滑らかな被弾径始を持った
砲塔は量産できなかったからだと言う話を聞いたことがありまつ
(54:617)
大型の鋳物製造設備(蒸気機関車や造船関連)に空きが無かったのだと。
(54:620)
鋳造で戦車の車体を作れるのは、当時のアメリカでもリマ・ロコモーティブ等ごく僅かです。
それでM4も鋳造はM4A1のみで、M4以降は溶接になっています(生産はM4よりM4A1の方が先)。
普通の自動車会社や機械工場では、とても生産できません。
(54:622)

二号Fは砲塔後部にゲペックカステンを装備していたのでしょうか?

Ⅱ号戦車はフェンダー上(右中央部と左後部)に工具箱がありますんで、
わざわざ砲塔後部につける必要はないっす。
(61:392)

T-34のコピーを作ろうとしたのに何でパンターみたいな大物ができたんでしょうか?

縦に高いエンジンを積んで、大きな主砲を3人乗り砲塔に収めたらあの大きさに。
(61:950)
競作された物には、まんまT-34のコピーも有ったのですが、ドイツのオリジナリティー
を取り入れたい&確実にT-34を撃破出来る物を、と言う事でああなりました。
(61:954)

旧ドイツ軍の4号戦車はいつ頃まで生産を行っていたのでしょうか?

最後(最期?)まで作っています。
といっても完全に終戦まで、ということではありませんが。
爆撃で工場が止まったり、占領されたり、はたまた記録が混乱で残っ
ていなかったりで、基本的にドイツの戦車生産は45年4月以降は停止状態でした。
ともあれ4号戦車は最後まで作り続けていたということは言えます。
(62:437)
437に付け加えるならば、Ⅳ号戦車はコストがⅤ、Ⅵ号と比べかなり安いです。
ファミリーも多く、信頼性もまずまずのものがあります。
Ⅴ号は重く、整備に多大な労力を要し、Ⅵ号は駆動系の信頼性がありませんでした。
(62:439)

タイガー戦車の砲は先端から付け根に向かって二段階に太くなっています。一方、パンター戦車の砲は先端から付け根までほぼ同じ太さです。

この違いはどのような理由によるものなのでしょうか。
砲身の「たわみ」を防ぐため。
ティーガーの88mm砲は弾頭重量もあるし、射撃時に砲身にかかる負荷が高い。
パンターの75mm砲も多少だがテーバーがかかっている。
(63:831)
砲身の構造の違い。タイガーは太い部分、細い部分を別々に造って
一つに組み合わせた分割構造の砲身。
パンターは全て一体で造った一体構造の砲身。
(63:838)

ティーガー1戦車にパンター戦車の砲塔を載せる計画は何故キャンセルされたのですか?

パンターの砲塔を載せるためにティーガーの車体を作るより
パンターの車体を作ったほうが賢いから
(64:18)

ヴィルベルヴィントがオープントップなのはレーダーが無かったからですか?

単純に、屋根の無い対空火器を流用したから。
また、車載用に大幅な改造しなかったから。

ドイツの対戦末期の対空戦車は屋根ついてます。
(64:657)

ティーガー2の砲塔上面にある突起物で前方左側にある短いアンテナのような物が生えた奴と後部のピルツの両側にあるのは何でしょう?

コマンダーキューポラの正面ペリスコープには
二本の針金が溶接してあり、これと一本の突起w
と合わせる簡易照準器です。
後部のピルツの両側:これはね
付いている砲塔とない砲塔があります。バールとか長い物を
取り付けるようです。固定する為のボルトが付いてますが
実際何に使うか不明です。
(66:一等自営業 ◆JYO8gZHKO.)

ツィメリットコーティングって何年の何月ごろから使われ始めたんですか?

それと廃止された時期も知りたいんですが。
ティーガーⅠにおいてツィメリットコーティングの塗布が始められたのは1943年9月製造
の車両番号250501からです。
また、1944年9月9日の指示によりすべての戦車への工場での塗布が停止され、さらに44年10月7日には
受領した戦車への現場部隊での塗布の停止が指示されています。
(68:名無し軍曹)

映画「プライベートライアン」にキングタイガーが出ても考証的にOKなんですか?

ノルマンディー戦全体なら、ごく初期の物が投入されている。
が、そもそも、米軍が戦車を保有してない戦地に重戦車を投入できるほどドイツはお大尽ではないです。
(ドイツには戦地で突撃砲は見ても、戦車は見たことない歩兵が多かったとか。)

タイガーはT-34の改造でらしく見える。(テリーサバラスの頃からあった手法)
マーダーはスェーデンが兵員輸送車に使ってた38(t)のスェーデン仕様版をベースに使ってる。


てな訳で、らしく見せられる車種が選ばれたようですね。
ホントなら、三号突撃砲あたりかなあ。
(68:466)

パンターG型の車体表面に妙な小さい横線模様があるのですが、これは何なのでしょうか?

ツィーメリットコーティングと呼ばれる磁気式吸着爆雷防止用のコンクリート等で塗られたものです
後期のドイツ戦車には良く塗られていました。
(70:758)

中近東で第二次大戦中のドイツ戦車(4号戦車、3号突撃砲)が使われてたのはなんで?

第二次大戦が終了して、東欧を中心として各国に遺棄された兵器が再使用
されています。
例えば、フランスは新型戦車が揃うまで、5号戦車が使われたり、Fw-190が
使用されたりしましたし、チェコも同じように、東側の体制に組み込まれるまでは、
旧ドイツの兵器体系でした。

これらは自国に生産工場があったり、賠償で得たりしたものですが、兵器体系が
整備されるに従って、これらの兵器は不要となり、国外に売却されています。
その売却先の一つが中東諸国だった訳です。
(80:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

4号戦車の短砲身型も徹甲弾を中心に使っていたんでしょうか?

WW2の戦車で徹甲弾を主用してた戦車なんてイギリスの戦車だけだろ。
しかも、アレは機関銃の効果を過大評価してただけだし。
(82:400)

ドイツの怪戦車「ラーテ」ってなんでレール移動にしなかったのでしょうか?

そもそもラーテ自体がどこまで本気で作る気があったかわからん代物なのでなんともいえないが
少なくとも用法は自走砲的なもので間違いないでしょう。

レール移動にしなかったのはレールが敷けないところに持っていくためだと思います
(83:25)

アメリカ国内に現存する、ヤクトパンターをご存知の方いらっしゃいますか?

多分アメリカはアバディーンにしかなかったと思う
パンターやケーニヒスティーガーならばパットンミュージアムに有ったと思う
(92:275)

強力なタイガーの量産に注力し、パンサーの開発を取りやめたほうが効率が良かったのではないか

そんなこと総統閣下が認めない
(95:956)
パンサーは中戦車。
タイガーは重戦車。
(95:957)
逆だよ。重いわ鉄を食うわ整備しづらいわ、ティーガーなんぞ量産したら負けるぞ。
ま、パンターでも負けたが。女子工員がそのまま使える戦車でないとやはり戦争には勝てんだろう。
あ、T-34だぜ。念の為。
(95:959)
957に中戦車と重戦車とある。
この二つでは運用方法が異なる。

中戦車において重んじられるべきは、
総合的な戦闘能力だ。
機動力、装甲、火力、この3つが程よくバランスが取れているのがいい。
3者のバランス良く、装甲師団の運用を妨げず、ということが重要なんだ。
装甲師団だとどのような作戦目標や任務を預かるかわからない。
であるから、オールマイティさを追求しなけりゃならん。

重戦車は、その機動力をある程度まで犠牲にして、
装甲と火力を重点化している。
すなわち、固定化してしまった戦線で、
無理やりに突破口を開かなきゃならんとか、
重要な目標に突進してくる数的に優勢な敵戦車部隊を撃砕しなけりゃならんとか、
そういう機動力はある程度なくても、強力なハンマーになりかつ撃破されにくい、
というシチュエーションで用いられるべき戦車なんだ。

戦車の使用が一般的になってくるWW2の中盤戦あたりから、
こうした機能的分化を考えないといけなくなってくるんだ。
(95:960)

ヤークトパンターは何処に良好な状態の展示品があるか

取りあえず、ドイツ・ムンスターの戦車学校に一台残ってたと思う。
他にも米英露の戦車関連博物館で見れるんじゃないかなあ。
(95:902)
ヤークトパンターが見られるのはアメリカのアバディーン戦車展示場、フランスの
ソミュール戦車博物館、イギリスの王立戦争博物館、ボービントン戦車博物館、
ドイツのムンスター戦車博物館、ロシアのクビンカ戦車博物館で実車が見れます。
(95:916)


パンターのカマボコ型防盾は、下部に砲弾が当たると砲弾が滑って戦闘室を破壊するといいますが、戦闘室を破壊されて放棄されたパンターの写真を見た事がありません。

本当の話なんでしょうか?
手元の資料をめくると、「シュトルム&ドランクNo.5 パンター」の111ページに
米第703戦車駆逐大隊が鹵獲したパンターに対し90mm砲で試験射撃を行った写真が
掲載されています。
それを見ると、1~5と番号が書き込まれた命中痕のうち1・2番が正面装甲を貫通。
3番が防盾下部に命中の後無線手席上面を貫通、4・5番が防盾を叩き割っています。
また、104ページには戦闘室上面の吹き飛んだパンターの写真も掲載されています。

G型後期から防盾下部を垂直に近い形状に変更したという事実からしても、跳弾による
戦闘室への被害は実際にあったとみて何ら不思議はありません。
そもそも戦争末期の混乱の中で無意味な設計の変更がなされるはずもないですし。
(559:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)

WWII のドイツ戦車は優秀だが生産性の低いのが欠点、ということがよく言われますが、

T32 を鹵獲、模造して大量生産するようなことをしていれば、その後の戦局を多少なりとも有利に展開できたんでしょうか。
逆に、資源の問題から、少数精鋭の設計をせざるを得なかった、というような面はあるのでしょうか。
とりあえずドイツでは不足してたアルミニウムがエンジンに使われてたのでT-34のコピーは無理
でもパンターは相当T-34の影響を受けてる
シャーマンやT-34みたいな鋳造砲塔は生産性がよいが、冶金技術が高いわりに何故か鋳造がヘタなドイツにはそれができなかった
あとレアメタルの不足から装甲に表面硬化処理をせねばならずそれも工数を増やしていた
まあ確かにドイツ人は凝り性だったが(挟込式転輪とか)生産性を気にしてなかったわけではない

それに大きな装甲板の溶接が行える設備のある工場や砲塔に必要なベアリングの供給が最初から限られているので、
ヘタに性能を落として生産性を上げてもあまり意味が無いどころか戦力低下につながる恐れがある
主力の戦車の生産ができない工場では突撃砲や駆逐戦車を大量生産して戦車数の不足を補っていたので数を気にしていなかったわけではない
(573:396)

大戦中のドイツの駆逐戦車は視認性が悪いようですが

ヤクトパンター、ラング、ヘッツァー等の駆逐戦車にはキューポラが付いていません
三号突撃砲の代用で出た筈のヘッツァーなど、ハッチを閉めると車長席からは後方しか視認出来ません
駆逐戦車は基本的に前しか見えなくてOKだから。

装甲の厚い前面を敵に向けながら、主に待ち伏せ攻撃す為の車両だしね。
例え全週視界が確保されてても、砲をすぐに横に向けたりはできないから
あんまり意味がないし。

とは言え戦車兵達には不評ではあったようだ。

ただ、姿勢が低く発見され難いのがメリットの一つの駆逐戦車にキューポラを
設けると、発見される確率が高まるとは言える。
ヤクトパンターのように「今更そんなこと気にしてどないすんねん」みたいな
バカでかい車両もあるが・・・。
(326:586)

四号短砲身や三号NのHEAT弾に対する乗員の評判ってどんなもんでしたか?

独ソ戦の開戦当初は成形炸薬弾はトーチカなどにしか使用を許可されておらず、公式的な
記録はほとんどない。
戦車相手に特殊な榴弾を使ったとされる記録があり、成形炸薬弾のことだと主張する人も
居るが、短砲身75mm砲の場合、近距離なら遅発作動信管をつけた榴弾も非常に高い貫通力
を持つ(近距離では徹甲弾と逆転する)とする資料もあるため、そちらの可能性もある。

アフリカ戦では英軍の評価として、3号が75mm砲を搭載して危険な相手に戻ったとしている。
おそらく、ドイツ側でタングステンの使用制限がきつくなった時点で、3号の長砲身型
(MK3スペシャル)が硬芯徹甲弾を打ち尽くした頃合で3号の脅威度が低下。
成形炸薬弾で再び危険な相手に。ってことかと思う。
また、時期的に積極的な侵攻をしなくなっているので、アナグマの武器としては低初速でも
使い勝手は良かったのかも知れない。

東部戦線では、ティーガーの補助、軽量さを生かして偵察・通信・連絡などに就く。
が、組み立て中の車台を突撃砲生産材料に回している所から、言うほど使い道も無かったし、
運用上の制限も多いはずの突撃砲の方がまだ有益と言うレベルでしょ。

なお、突撃砲F8型のベースとして、M型車台が使われていると言う説は、車体前方上面の
ハッチは似ているだけで構造が異なる(防水シールの有無・開閉ではなく取り外し式)ことが
判明して誤りと判ったので、3号戦車が突撃砲に転用されだすのは5年ほど前あたりまで信じ
られていた説より少し後のタイミングらしいと言うことで注意されたい。
(607:264)

三号戦車の役割について。敵戦車を撃破するために作られたのですよね?

Ⅲ号戦車に求められたのは機動力を生かした敵戦線の突破・攪乱で、対戦車戦闘は二の次。
そもそも当初Ⅲ号戦車は3.7cm砲を戦車砲として搭載しており、5cm砲搭載型のG型が
生産されたのは1940年に入ってから。
グデーリアンは当初から5cm砲の搭載を主張していたが、兵器局に押し切られる格好で
3.7cm砲の搭載が決定した。しかし、ターレットリングを広く取っておく配慮がなされたため、
5cm砲の搭載が比較的容易にできた。
(321:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)

突撃砲と駆逐戦車って別な必要あるんですか?

突撃砲は元々歩兵支援のために対陣地・歩兵用の榴弾砲を搭載する車輌
駆逐戦車は元から対戦車砲を搭載して対戦車戦闘をする車輌
東部戦線のT-34ショックで対戦車火力の強化が急務となり、対戦車用の長砲身砲を搭載するだけのキャパシティがあった突撃砲が長砲身化されて駆逐戦車として使われるのが常態化してしまった

IFVはある程度の攻防力のある歩兵の移動手段であり、突撃砲や駆逐戦車とは丸きり異なる
敵MBTに対しても自衛戦闘くらいはできるようにATMを搭載したIFVはあるが、ATMを搭載することがIFVの必要条件ではない

今では全装軌で済ましている用途の車輌が半装軌式が一般的だったのは、その頃の技術では全装軌式の路上機動力と価格・生産性、全装輪式の路外機動力がそれぞれ非常に劣っていたので半装軌式にすることで弱点を補っていたから

シュトルムティーガーは駆逐戦車化する前の突撃砲本来の用途を任務とするより攻防力を強化された車輌
用途を限定しすぎてあんまり使えなかったが

APCにATM付けただけじゃIFVにはならない
機関砲ないし低圧砲を搭載し機関砲に耐える装甲を備えないとIFVとは言えない
(632:51)

ティーガー、パンターのお値段は?

ティーガーは300,000ライヒスマルク、Bf109の初期型でその半額くらい。
パンターは125,000ライヒスマルクとお買い得。
(639:34-40)

WW2後期のドイツ戦車についてなんですが、なんで車載機銃がいつまでもMG34だったんですか?

時期的に、MG42に変わっててもおかしくないのに。
バレルジャケットの強度や形状がボールマウントに適応していないため。
このため、同軸機関銃のみをMG42に換装して、前方機関銃はMP44突撃銃に
変更する予定だった。
(305:520)

パンテルの75mmはティーゲルの88mmよりも装甲貫徹力で勝っていたと聞きましたが、それなら何故ティーゲルに75mmを搭載しなかったんでしょうか?

そういうアイディアもあった。

実際ティーゲルのヘンシェル社案ではパンターのものによく似た砲塔に
75mmゲルリッヒ砲(超硬弾頭を使用した、砲口に行けば行くほど内径が細く
なっている砲。砲身内圧を無理やり上げて初速を増し、威力を増やす)を
搭載する予定だった。

ティーゲルⅠは重戦車として陣地攻撃に使うことが想定されていたので、
最終的には榴弾の威力を考慮して88mm砲が採用された。

で、実際パンターと同じ75mm砲に換装する案もあったが、パンターの生産に
支障が出るので没った。
(305:805)

ティーゲルより総合的にはパンターの方が優れた兵器と思えてなりません。当時のナチスではどのような見解だったのでしょうか?

ティーゲルⅠはその戦闘能力の高さが絶賛されたが、現場では「重くて大きくて
整備が面倒ですぐ壊れる」と不評だったし、軍需関係者には「1両作るのに金と
資材と手間がかかり過ぎる」とやっぱり不評だった。

パンターは生産コストは安かった(ティーゲルと比べればの話だが)が、初期型は
やたら故障する上に新機軸が多くて取り扱いが面倒で現場にも不評だった。
(305:824)

4号戦車F2型で搭載された75mm43口径砲弾はG型以降の75mm48口径砲にも使用できたのでしょうか?

弾薬は一緒。
ただしパンテルの75mm砲とⅣ号の75mm砲は弾薬の共通性はない。
(300:21)

四号戦車乗りがティーガーに機種転換したことありましたか?

多くのティーガー重戦車大隊は既存の戦車連隊から兵員を抽出して編成されていますので、
当然四号戦車からティーガーに機種転換した戦車乗りも多かったでしょう。
例として挙げると、第506重戦車大隊は第9装甲師団第33戦車連隊第Ⅲ大隊を基幹として
編成されています。
(300:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)

パンテルの75mmの方がティーゲルⅠの88mmより装甲貫徹力が上だったと聞きましたが、実際はどうなのでしょう?

ティーガーⅠの8.8cmKwK36L/56は、初速においてパンターの7.5cmKwK42L/70に劣ります。
  • 8.8cmKwK36:773m/s 
  • 7.5cmKwK42:925m/s(Pzgr39使用時の比較)
これにより、実際の装甲貫徹力は
  • 8.8cmKwK36:100mm 
  • 7.5cmKwK42:111mm(垂直装甲板に対してPzgr39使用時。射距離1000m)
となっています。
(300:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)

2号戦車は訓練用戦車で、戦闘に向かないですよね?

Ⅱ号戦車は訓練用を兼ねていたものの完全に実戦投入を前提とされた軽戦車・偵察戦車であり
使用する20mm徹甲弾は射距離100mで20mm、500mで14mmの装甲貫徹力を有し
軽戦車クラスとしては十分な火力を備えていますし、またそのように運用されました。

なお後に高速徹甲弾を採用したことで、射距離100mで49mm、500mで20mmにまで貫徹力を向上させ、
BTクラス相手なら十分撃破可能な能力を獲得しています。
(650:ゆうか ◆u8WC078ef5ch)
フランス戦時のドイツ戦車部隊

Ⅰ号戦車 1077両、内554両が戦闘に参加
Ⅱ号戦車 1092両、内955両が戦闘に参加
35(t)戦車 128両、内10両は指揮戦車
38(t)戦車 228両
Ⅲ号戦車 339両
Ⅳ号戦車 290両、内280両が戦闘に参加
(650:376)

ティーガーとIS-2どっちが強い?

ティーガーIIだと余裕でIS-2に勝ってしまうので、56口径8.8cm砲のティーガーIの話で。
オスプレイのザロガの著書によると、距離1000mで互いの前面を撃ち抜いて撃破できる、とある。
1500以上だとティーガーはIS-2を撃ち抜けず、反面IS-2は(完全撃破は無理でも)榴弾でもダメージを与えられる。
ただしその距離だと、ティーガーの方が命中率がずっと高く、また発射速度は遙かに勝る。
ティーガーIとIS-2の最初の遭遇戦では、ティーガーが距離3000から砲撃を開始したがダメ。もっと近づいてから3輌の撃破に成功。
ちなみにIS-2の砲塔全面装甲最大165mmってのは、幅広になった防盾と砲塔前面の重なっている、さらにほんの一部の箇所ね。

そのキングタイガーですらIS-3には惨敗してしまうのだが。
IS-3の主砲である122mmカノン砲は
距離550mで152mm貫徹、以下1000m-142mm、1500m-133mm、2000m-122mm
だがティーガーⅡの装甲は砲塔全面180mm、車体前面150mm(ただし傾斜50度)なので正面からの貫徹は不可能

一方でティーガーⅡの主砲である88mm71口径砲は
距離500mで207mm貫徹、以下1000m-190mm、1500m-174mm、2000m-159mm
IS-3の装甲は砲塔全面220mm、車体前面110mmで、傾斜など考慮しても1000m以下なら抜かれる

結論としてティーガーⅡの戦闘能力は単体としてならIS-3を楽に凌ぎ、第二次大戦最強戦車の名を欲しいままにできる。
ではIS-3に価値がないかというとそうではなく、IS-3はティーガーⅠを凌ぐ戦闘能力をわずか45t級の
車体に詰め込んだ点に最大の意義がある。

ただしIS-2にせよ3にせよ、照準能力や速射能力ではドイツ戦車にはるか劣っており、
1対1での勝ち目は非常に乏しかった。
ドイツ軍のパンターにせよティーガーにせよ、3000m超の長射程で命中弾を送り込む能力を持っており
正面きってなら常にアウトレンジを狙えたからだ。
ソ連軍は数を頼みに懐に飛び込むことで、多くの犠牲と引き換えに勝利を収めるのが常だった。
当時の戦車で3000m先の目標に当てるなんて相当熟練した戦車兵じゃないと不可能だぞ
ドイツ軍だけは例外。
光学照準器の優秀さが他国と段違いなので、マジで有効射程3000m以上ある。
ゆうか氏の調べたところでティーガーⅡは4000m~5000mで狙い撃てる。
有効射程が3000m以上でも命中率は一桁だな。よって殆ど無意味。
3000mでは平均20~30%の命中率。
砲弾の無駄ではあるのでよほど数の差があって最初から数減らしたいとかじゃなきゃそこまではやらん。
だが2000m前後での砲戦は普通にやらかしており、待ち伏せ状態なら5割内外は命中させた。
そしてこの距離でティーガーは大抵の、ティーガーⅡはISを含む全ての戦車に有効打を与えることができた。
(650:677-696)

ドイツ戦車の稼働率

1945年3月15日の報告初によると、全線に配備されたドイツ戦車の稼働率は
IV号戦車 62%、パンター 48%、ティーガーII 59%。
…パンター、そんなに最終減速器の故障が多かったのか?
ティーガーIIは数が少ないので大事に使ってたんだろうか。

ティーガーの整備が集中して、徹底して行われてたのは事実。
だがパンターの場合、もうⅣ号を上回る数が配備されてた。
それでいてⅣ号よりは気難しいんだからこの稼働率は妥当な線だと思うよ。

むしろ信頼性の塊の如く言われてたⅣ号でも6割程度なんだなーと。
(650:705-706)

Ⅱ号C型軽戦車の機関砲弾はベルトリンクで繋がれているのでしょうか?

Ⅱ号戦車の機関砲(Sdkfz222等の20mm搭載装甲車も同じ)は
弾倉式です。
(297:561)

Panzerkampfwagenと戦車とはどうちがうのでしょうか?

正確には
PanzerもKampfwagenもPanzerkampfwagenも日本語訳で「戦車」の用語がある一方
Panzerは「戦車」「機甲」「装甲」
Kampfwagenは「戦車」「戦闘車両」
Panzerkampfwagenは「戦車」「装甲戦闘車両」
となります。
日本語訳だと似た意味になりますがドイツではきちんと区別があります。
(674:743)

タイガー戦車には、幾つか華々しい戦果の逸話が有りますが、パンター戦車にも有りますか?

「バルクマン パンター」あたりでぐぐれ

米英軍はパンサーの前面装甲の厚さを良く知っていたらしく..
パンターに乗っていた戦車兵の話で前進しても敵の気配も判らなかったのに
旋回して町に側面を向けると
とたんに辺り中から砲弾が飛んできた

SS戦車隊から引用
(288:29-30)

WW2のドイツ戦車の照準器は性能が良かったそうですが?

ドイツにはカール・ツァイスやライカなど優れた光学メーカーがあり
19世紀終わりの実用カメラが普及したころから技術的に優位だったから。
また国家も政策として光学を国の主要産業に位置付けていたから。
いうなれば今の日本でトヨタや日産があるから自動車産業が優れてるのと一緒。
(690:751)

ドイツ軍の戦車って一両いくらぐらいするの?

当時の価格は、下記です。

「3号戦車 9万6200ライヒス・マルク
4号戦車 10万3500ライヒス・マルク
5号パンター戦車 12万5000ライヒス・マルク #とてもリーズナブル
6号ティーガーI戦車 30万0000ライヒス・マルク
3万1000ライヒス・マルク 主砲の8.8cmKwK戦車砲のみでの価格
6号ティーガーII戦車 35万0000ライヒス・マルク 日本購入価格
3号突撃砲G型 8万2500ライヒス・マルク 武装・無線等付属品無しでの価格
ヘッツァー 5万4000ライヒス・マルク 」

下記、 資料室> お値段>ドイツ兵器のお値段>1945年以前(大戦終結まで) を参照ください。
ttp://www.geocities.jp/kanabow11/price/german_old.html
(691:霞ヶ浦の住人 ◆1qAMMeUK0I)

WW2 でドイツ軍戦車に行われたツゥメリットコーティングの材質は何なのでしょうか?

材質はポリビニール、木質繊維、硫化バリウム、
硫酸亜鉛、黄土の混合物。
開発製造はベルリンのツインメル化学工業社。
(102:一等自営業 ◆BVruYgneoI)

ドイツ戦車にあるシュルツェンがなぜ現代の戦車やWW2の連合軍戦車付いていないのですか

必要性を認めなかったからでしょう。
そもそもシュルツェンはドイツ軍では3号・4号戦車の各所に付いていた視察孔や車体側面を
ソ連兵に対戦車銃で狙い撃ちされたためにその対策として取り付けられたものです。
成形炸薬弾に対する効果が認められたのはその後だったりします。
要するに車体に元々ある程度の装甲があるのならば必要ないものなわけで。
ましてやドイツ軍は対戦車銃なんてあまり使ってませんし。

もっともパンツァーファウスト対策には土嚢を積み上げたり、T-34/85がベッドの
スプリングを溶接したり現場ではいろいろやっていましたが。
(105:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)

シリアで使用されていた4号戦車などの詳細を教えてくれないでしょうか?

シリアは1946年仏より独立後、ブルガリア・ハンガリーといった東欧諸国やスペインなどから
Ⅳ号戦車・Ⅳ号駆逐戦車・Ⅲ号突撃砲等を数は不明ですが購入しています。
これらの戦車のスペアパーツはフランスにあった撃破されたドイツ車両のスクラップヤード
から調達された部品でした。
しかし60年代にはパーツも尽きたのかゴラン高原に作られた陣地にトーチカ代わりに
配備されました。

1965年のイスラエルとシリアの「水戦争」(ヨルダン川の水利を巡る紛争)において
Ⅳ号戦車はゴラン高原からイスラエル軍に対して射撃を行いましたが、イスラエルの
センチュリオン戦車に対しては明らかに力不足でした。
生き残ったⅣ号戦車はさらに1967年の六日戦争でもイスラエル軍に対して砲撃を行いますが、
ゴラン高原はイスラエルに突破され、最後のⅣ号戦車がM50アイシャーマンに撃破されて
その生涯を閉じました。
(137:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)

パンターD型は後期にどんな改修がされたのでしょうか?

パンターD型は1943年7月以降、いわゆる後期型に生産が切り替わっています。
その内容は質問にあったものを除けば、
  • 簡略化のためにヘッドライトを二つから一つに省略
  • 車長キューポラ上に対空機関銃を取り付けられるリングマウントが追加
  • 転輪をリムボルトを追加して16個から24個にした強化型に変更
  • 砲防盾上の双眼鏡式照準機用の穴に雨除けを追加
  • 履帯を改良し、ハの字型の滑り止めを追加

また、シュルツェンの追加は5月から、ツィンメリットコーティングは9月から
行われています。
発煙弾投射機の廃止は5月に行われた野戦試験で小火器による誘爆が問題になったためです。
転輪の補強もこの時期から検討されています。生産簡略化の検討も同様と思われ。
下二つはクルスク戦の戦訓による改良です。(9月生産分に実施)
(240:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)

Ⅲ号戦車とⅣ号戦車の共通化車台がありますが、これを使った新型戦車の計画はなかったんでしょうか?

一応計画案としては、Ⅳ号戦車の砲塔/エンジンをそのまま流用して
傾斜面を多用して装甲厚を強化した車体に組み合わせた物が提示されてます。
転輪は6組でリーフスプリングを使用、ギヤボックスや起動輪はⅢ号戦車のものを
使用していました。
44年3月にクルップ社と試作の契約にまではこぎつけてますが、Ⅳ号戦車ラングの
開発を優先するために計画は中止されています。
(194:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)

Ⅵ号戦車の輸送用履帯について教えてください 列車輸送の際、どうして戦闘用履帯からはき替えるのか

貨物列車の車両限界の関係かと…。

貨車にも幅があります。

そのままでは積載できないか、積載できたとしても横に出っ張りがあれば、
カーブなどで貨車が傾いたときに側部を擦ったり、下手をすれば転覆、脱線に繋がりかねません。

従って、狭軌履帯に取り替えて、外側転輪を外し、幅を狭めて貨車に積載したものと思われます。
(11:名無しさん@眠い人 ◆ikaJHtf2)

大戦時に日本はタイガー1号を購入しましたが、結局日本には送る手段が無かったと聞きました。

この購入したタイガーはその後、どうなったんでしょうか?
日本が購入したティーガーE型は1943年9月にヘンシェル社に日本への発送命令が出されて、
10月にケーニヒスボルンの陸軍機甲兵站部から日本に送る準備が始められました。
10月7日に日本に対して請求書が送られ、この時の価格は645,000マルクとなっています。
10月末には日本への発送が整いボルドー経由で送り出されましたが、戦況の悪化により
しばらくそこで待機を命じられました。
1944年2月28日にはヘンシェル社は日本からの代金の振込みを確認したのですが、
最終的に9月21日付の通知書により日本へ引き渡されないことが決定し、
ドイツ陸軍が貸与という形で使用できることになりました。

なお、出荷を断念したティーガーは1944年1月にSS101重戦車大隊に
車体番号”455”として引き渡されています。

なお、出荷の候補としてはパンター戦車も上がっていました。

ヘンシェル社には日本でのライセンス生産をにらんで組み立て説明図を日本に送るよう
要請があり、これに答えてマイクロフィルムに納めた説明図2組が作られました。
しかし、結局日本に送られることは無く現物は終戦時に米軍に接収されています。
(292:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)

キングタイガーでヘンシェル、ポルシェとの違いを教えてください。

普通キングタイガーと呼ばれてるのがヘンシェル砲塔です。
丸っこいカッコワルイ形のがポルシェ砲塔です。
言うまでも無く殆ど全部がヘンシェルです。
(22:203)

アルデンヌ作戦に虎Ⅰはどのくらい参加されたのですか?

う~んと、独立重戦車大隊と3個SS師団の重戦車中隊、グロースドイッチェランド
師団の重戦車中隊に配備されているので、参加兵力から探れるのではないでしょうか。

ちなみに、TigerBはフェルトヘルンハレ師団に5両、それ以外は陸軍とSS独立重戦車大隊に配備されています。

両数とかは、末期の混乱した情勢ですから算出するのは難しいかも知れませんね。
(24:眠い人 ◆ikaJHtf2)

第501重戦車大隊ティーガーI型142号車って何色だったのでしょうか?

1942年11月にチュニジア派遣なので、ゲルプ塗装が自然ではないでしょうか。
古い資料ではオリーブグリンになってたりしてますね。
工場ではジャーマングレイで、派遣前の整備段階でゲルプに塗装されたと
考えられます。
(27:一等自営業 ◆O8gZHKO.)

タイガーⅠの前期型と後期型の違いって何ですか?

簡略で説明致します。
コマンダーキューポラが円筒形で、ハッチが上に空く・・・前期型
コマンダーキューポラがパンター、ケーニヒスティーゲルと同じ
形(正確には違うが)で、ハッチが横スライドする。・・・後期型
転輪も大きく違う。
マイナーチェンジを何回もしてますんで、大日本絵画のタイガー関係の本をお買い求めください。
(29:一等自営業 ◆O8gZHKO.)

タイガー戦車のポルシェ砲塔てF―ポルシェ博士の設計なの?

もちろん答えはYES。
なんたって「フェルディナント」という名前の駆逐戦車があったくらいだからね。
あとはトーションバーサスペンションを戦車に使ったのもかれ。
(29:名無し軍曹)

6時間の戦闘で227発の対戦車銃弾、14発の52㎜弾11発の76.2㎜弾、地雷3発踏んで60㎞自走できたティーガーⅠ

何処の部隊の何号車か分かる人いますか?
『TIGER』や『重戦車大隊記録集』によると1943年1月10日における
第503重戦車大隊の141号車、とある。

ただしArmourModelling12号のWEHRMACHTには
1943年2月11日における第503重戦車大隊第3中隊のサーベル少尉車、とある

たぶん前者が正しい
(31:526)

ティーガーの前面についているぎざぎざのものはなんですか。

前面に装着した増加装甲代わりの予備キャタピラです。
(32:名無し軍曹)

ティーガー1の横に時々付いている角材(柱みたいな奴)は悪路脱出用ですか?

悪路脱出用でよいと思われ。今でも戦車が戦場でスタックしたら木材なんかで脱出する応急処置は習うらしい。
自衛隊は知らないけど。
装備してたり、してなかったりするのは戦場で戦車兵達が応急処置的に積んでるだめと思われ。
(37:556)

ケルシャーはティーガ-の初期型にしか乗ってないんですか?

マリナーファ戦では砲塔ナンバー<213>の初期型ティーガーに登場していた
ケルシャー曹長ですが、直後の7月26日にアウツグラニ村で乗車を撃破され、
彼と砲手以外のクルーは戦死し、彼も負傷しています。
復帰後乗り換えたティーガーは中期型以降のティーガーである確立が高いし、
いずれにせよ1945年には502(511)重戦車大隊はティーガーⅡに改変されています。
(41:670)

「昼飯の角度」はタイガー戦車を敵の砲撃にたいして斜めに向けて被弾に傾斜角をつけて防御する、という意味らしいのですが

なぜ「昼飯の角度」なのか
この言葉はドイツ軍のティーガーのマニュアルである「ティーガーフィーベル」
に用いられていた言葉です。
それによると、「昼飯の角度」とは砲塔を昼食の時間である1時の方向に旋回させ、
敵に相対します。(あくまでも例えなのでなんで1時やねんという突っ込みは却下)
すると側面装甲の角度が敵に対して約60度になり、十分な傾斜角を得られる訳です。
「ティーガーフィーベル」は「シュトルムアンドドランクシリーズNo.1 ティーガー」デルタ出版
および「ティーガー重戦車写真集」大日本絵画に掲載されており、特に後者は
イラストが小林源文先生の物に差し替えられており、一読をお勧めします。
(44:908)
ティーガーフィーベルという。ドイツの戦車兵教本に書いて
あるのです。ドイツ軍では飯の時間がズレてるのかな?
それ以上説明不可。
(50:一等自営業 ◆JYO8gZHKO.)

キングタイガーの装甲のギザギザは何でしょうか?

戦争後期の独逸戦車には大抵ついていますギザギザ。
あれは磁気吸着爆雷よけにプラスチックを塗ったものです。
実際にはそんなものを連合軍は使わなかったけどね。
(51:498)

独逸タイガー戦車の後ろのケツの所のタンクみたいのは燃料タンクなんでしょうか?

あれは「ファイフェルフィルター」といって、いわゆる吸気フィルターです。
生産簡略化のため、中期型からは廃止されましたが。
(57:名無し軍曹)

ロイヤル虎と王虎の違いは?

キングタイガーは言うまでもなくKonigsTiger(oはウムラウト付)を英語に直したものですが、
ロイヤルタイガーはそれとは別に連合軍が与えた識別名称です。
主にアメリカ兵によってその名で呼ばれたとのことです。
(62:名無し軍曹)

WW2時のドイツ戦車の型式名はなぜローマ数字表記なんですか?

ドイツでローマ数字を常用しているからです

ナチスの行進風景は、ローマ帝国の凱旋式そのものです(鷲の紋章も、敬礼の仕方も)
(64:358)

三号突撃砲の天井ハッチから突き出た蟹眼鏡は単なる潜望鏡なんですか?

あれは砲隊鏡と呼ばれるテレスコープ望遠鏡です。
もともと砲兵が射撃観測用に使うもので、突撃砲でも潜望鏡代わりに使用されています。
覗くと格子状のレティクルパターンが刻まれていて、広げて測距儀代わりにも使えたはずです。
(65:名無し軍曹)

Ⅴ号戦車とⅥ号戦車はどっちの方が強いんですか?

使い方次第です。
万能のⅤ号パンターと、攻防に特化したⅥ号ティーガー。
どちらにも勝つチャンスはあります。
(87:ゆうか ◆9a1boPv5wk)

WW2時のドイツ軍の戦車は5人乗りだったそうですが、戦車戦のエースと呼ばれていた人たちは、なにをやってた人なんですか?

戦車の指揮を取る戦車長と呼ばれるポジションです。
撃破スコアは戦車長の名前で後世の記録に残っていますが、
特に優秀な砲手は勲功の対象になっています。

例えばかの有名なミハエル・ヴィットマンの砲手であるヴァルタザール・ヴォルは
ヴィットマンの敵戦車80両の撃破に寄与したとして騎士十字章を授与されています。
またオットー・カリウスの砲手だったハインツ・クラマー軍曹は後にカリウスの推薦で
騎士十字章を授与されました。
(92:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)

WW2時代のドイツですが、何ゆえ戦車用ディーゼルエンジンを開発できなかったのでしょうか?

ドイツの技術者もそう考えましたがヒトラー総統が許さなかった。
(93:86)
T-34のエンジンのコピーについてですが、エンジンブロックがアルミ合金でした
航空機最優先使用のアルミを戦車にまで廻せず、コピーは断念されています
(93:91)

ドイツは駆逐戦車なんて代物を作ったの?素直に戦車だけ作っていたほうが効率いいような気がするんだけど。

戦車を作るのが間にああなかった事と、
第一戦を離れざるおえなくなった車体の再利用と言った面が有ります。

攻撃力不足の為、二戦級に落ちた車体を改造し、ワンランク上の砲を搭載すれば、
運用方法によって第一戦で使用出来ますから。

あと、工場によっては、Ⅴ号、Ⅵ号戦車が製造出来ないラインも有りますから、
そのような工場には、旧式の車体で済む駆逐戦車や突撃砲を製造させていた訳です。
(95:893)
ちなみに、ソ連もアメリカも、駆逐戦車は製造していますし、イギリスの
ファイァフライも駆逐戦車的な存在です。
(95:894)
ちなみに、同様の意見は、ドイツの戦車の生産建て直しと、戦車兵の育成を監督した、
装甲兵総監であるハインツ・グデーリアン上級大将も申し述べていますね。

でもまあ、>>893のような前線での兵力不足と生産現場の事情の両面から、
やむをえないということですね。
グデーリアン自身も、歩兵部隊の対戦車火力の補充のために、
ヘッツァーの生産を促進せざるを得ませんでしたし。
(95:896)

WW2 でドイツ軍戦車に行われたツゥメリットコーティングの材質は何なのでしょうか?

また、チダデレ作戦に参加したティーゲルⅠに、そのコーティングはされていたのでしょうか?
チタデレではツゥメリットコーティングはまだです。
材質はポリビニール、木質繊維、硫化バリウム、
硫酸亜鉛、黄土の混合物。
開発製造はベルリンのツインメル化学工業社。
(102:一等自営業 ◆BVruYgneoI)
どのように戦車に貼り付けたのでしょうか?
The compositionof zimmerit was analyzed by C.S.A.R. and found to be the following:
Polyvinyl Acetate-25%, as binder or glue; Wood Fiber-10%, as filler;
Barium Sulphate-40%; Zinc Sulphide-10%;
Ochre Pigment-15%, for thedark yellow color.

このポリビニール・アセテートが接着剤だね。
(102:629)


ティーガとタイガーの違いを教えて下さい

ドイツ語読みと英語読みの違い。

カタカナで正確に書けるわけもありませんが、

ティーガ(ティーガーでもいいけど):ドイツ語
タイガ(タイガーでもいいけど):英語
ティジェル:フランス語
(378:228)

連合軍の兵士はティーガーのような重戦車相手にどうやって戦ったんでしょうか?

具体的な方法を教えてください
チームプレイにより、囮に引き付けて接近戦に持ち込むとか。
一つ言えるのは、M4は極初期の砲安定装置を装備した戦車であり、あまり起伏の激しくない
ところでは行進間射撃が出来た。
ドイツ戦車と比較すると砲塔の旋回速度が速く、エンジンは中低速トルクが出しやすく扱いやすく
信頼性が高い。
以上のようなことから、機動しながらの接近戦ではむしろ有利と言われている。(パットン評価)

なお、半島国家のイタリアや、生垣や自然の植物が豊富なフランス西部では戦車は中短距離で
出会い頭の接近戦や引き付けて待ち伏せを行うことが多く、結果として遠距離砲撃戦は起こり
にくかった。

他方、戦場が独仏国境に近づくと季節や植生の変化で遠距離砲撃戦の頻度が増えたが、米軍の
装甲強化・76mm砲搭載型の配備率アップ・ドイツ側の練度低下で米軍側がドイツ側を圧倒
することが多くなっている。

それでも米軍が当初見積もりより大量の戦車を失ったのは事実で、特に75mm砲搭載型の
消耗は多く、米軍がイギリスにシャーマンファイアフライを作ってもらいたくても作れない
状況があった。
また、米軍の場合、大戦末期はM36戦車駆逐車の配備も行われている。
その他、105mm砲搭載の自走砲タイプのM4が成形炸薬弾を使用して良好な対戦車兵器
になった例もある。

イギリスの方は、シャーマンファイアフライを分散配置した。 大戦末期になるとファイアフライ
を作りたいが75mm砲型が供給されないので作れないと言う状況に陥っている。
(582:698)

よく漫画や映画で、タイガーなどドイツ戦車がT-34の76mm跳ね返して戦闘を続けたりしていますけど、あれって衝撃波は車内まで響いてるんですか?

もしくは何かそれらを緩和する装置みたいなものがあるんでしょうか?乗員は無事なのかといつも疑問です
一応搭乗員はクッション材入りのヘルメットを被ったり(でもナチスドイツ軍の場合
戦争初期以外は戦車兵用のクッション材入りヘルメットは支給してない)、車内の
要所要所にクッション材入りのパッドが張ってあったりはするし、衝撃に弱い装備は
ゴムのクッション材を介してとりつけてあったり、はするが、「衝撃緩和装置」みたいな
特別な装置はナンニモナシ。

なので、被弾すると物凄い音と衝撃が車内に響いた。

被弾して、貫通もされてないし悠々弾き返したのに、搭乗員が音と衝撃でパニックになって
勝手に戦車捨てて我先に逃げ出した、って話がよくある。
(584:762)

タイガー戦車はなぜ傾斜装甲を採用しなかったんですか?

しばしば、『知らなかったから』と書かれるがデマ。
傾斜装甲のアイデア自体は大したものではなく、各国で知られていた。
ドイツ軍も早くからハーフトラックに傾斜装甲を採用している。

ただ、知らなかった訳ではないが軽視していたというのはあるのだろう。
装甲板による防御に過剰な自信を持っていたというのが一番大きい理由だろう。
それが、T-34ショックによって、ひっくり返され、第二次大戦後半のドイツ戦車は傾斜装甲ばかりになる。

傾斜装甲に付いては、しばしばその有効面が強調されるが、マイナス面もある。
まず、傾斜装甲と言うのは、その傾斜する角度から狙って貰わないと機能しない。
不整地での戦闘では車体が傾く事はしばしばあり、そうなると傾斜装甲は機能しない。
また、傾斜装甲を採用すると車内の有効体積が著しく減少する。
特に有効体積の減少が大きく、各国の技術者は分かっていても傾斜装甲を採用できなかった。
ちなみに、ソ連軍は乗員の居住性を無視することで、あるいは砲弾搭載量を減少させることで、この問題を解決した。
T-34のコピーとして開発が開始されたはずのドイツ軍パンター戦車は、傾斜装甲を採用しても車内の有効体積を確保しようとしたため、むやみに巨大化してしまった。
(His-med 2012-04-02)

タイガー戦車の操縦席の巨大なハンドルは、どういう仕組みで作動していたのでしょうか?

当時のドイツ戦車のハンドルは曲がろうとする側に切る角度によって、内側の起動輪を減速させる。
つまり、ハンドルの操作で内側と外側の起動輪の回転が変化して車体が旋回する。
以下の2種類がある。
1.ダブルラディアス方式
  大曲率用クラッチ→小曲率用クラッチの順に2種類のクラッチをスムーズに切り替える。
  要するに、ハンドルを切る角度で、
   1)大きな半径の旋回のために片側の起動輪の回転を少し落とす
   2)小さな半径の旋回のために起動輪の回転を大きく落とす
  と言う感じで切り替えが出来る。
2.シングルラディアス方式
  直進用より小曲率用のクラッチ→ブレーキの順に作動する。
  要するに、ハンドルを切る角度で、
   1)大きな半径の旋回のために片側の起動輪の回転を少し落とす
   2)ブレーキで片側の起動輪を止めてしまう。
  と言う感じで切り替えが出来る。

ティーガーは1。パンターは2で、1の方が圧倒的に操作が楽だが構造が複雑になる。

とは言え、ティーガーIは極初期の20台を除き、右側のキャタピラを左側にも履かせている。
シングルピンで方向性のあるキャタピラなので、長距離を直進すると微妙に針路がブレたそうで、実はひたすら真っ直ぐ
走ることが出来なかったりする。
(297:493)

ティーガー、ケーニヒスティーガー戦車の各々の敵戦車撃破数:生産台数みたいなデータってありませんか?

わかるデータだけ提示します。
ティーガーⅠ&ケーニヒスティーガーを装備した重戦車大隊&重戦車中隊のスコアです。
(両車の区別はつけられませんのであしからず)

第501重戦車大隊:450両
第502重戦車大隊:1.400両以上
第503重戦車大隊:1.700両以上
第504重戦車大隊:250両
第505重戦車大隊:900両
第506重戦車大隊:400両
第507重戦車大隊:600両
第508重戦車大隊:100両
第509重戦車大隊:500両
第510重戦車大隊:200両
グロスドイッチェランド戦車連隊第13中隊:100両
グロスドイッチェランド戦車連隊第三大隊:500両
SS第101重戦車大隊:500両
SS第102重戦車大隊:600両
SS第103重戦車大隊:500両
SS第1戦車連隊第13中隊(LAH師団):400両
SS第2戦車連隊第8中隊(ダス・ライヒ師団):250両
SS第3戦車連隊第9中隊(トーテンコップフ師団):500両

合計一万両弱を撃破したことになります。これに対して生産数は、
ティーガーⅠ:1.353両
ケーニヒスティーガー:496両            となっています。
(115:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)

アヴェンジャー30mm機関砲でタイガーⅠ戦車の正面装甲を掃射した場合、金属疲労で貫徹したりはしないですかね?

WW2ドイツの重戦車達の10cmを超えるような装甲は、鋼板を軽く焼き入れしたあと、
改めて表面だけを硬度焼き入れするという2重方法で作ってある。
これは分厚い鋼板をムラ無く硬度焼入れするのが難しい上に、あまり硬くしすぎると
衝撃で割れやすくなるから。

なので30mm程度の機関砲弾ごときで金属疲労は起こすまい。
もっとも記録写真を見ると大口径砲を何発もくらって弾痕を繋ぐ形で装甲板が割れてる
ヤクトティーガーやケニヒスティーゲルがいるので、割れる時は割れるようだが。
金属疲労ってもっと柔らかい鉄じゃないと起きないんですね。
金属疲労は鉄の硬度にはあんまり関係なく起きる。
ただ一般的に言うなら硬い鉄の方が衝撃に弱く、割れたり砕けたりしやすい。

ティーゲルⅠに30mm機関砲弾を正面から大量にぶち込んだら、貫通する弾は
ないかもしれないが少なくとも戦闘不能状態には追い込める。
前面クラッペも照準器も衝撃で壊れること確実だし、搭乗員も衝撃と着弾轟音で戦闘
不能状態だろう。
(272:551-554)

イタリア戦線で、タイガー戦車とアメリカ駆逐艦が撃ち合ったとの記述を雑誌で読んだ事があるんですが

1943年、シチリア島に上陸した連合軍に対し、ドイツ軍は即座に反撃に出た。
ティーゲル戦車を中核とした大隊規模の戦車部隊は橋頭堡にあと一歩という
所まで迫ったが、指揮官のパットン将軍は支援の巡洋艦と駆逐艦に味方を
巻き添えにするのを覚悟で支援砲撃を要請。
戦史に珍しい戦車と軍艦の撃ち合いが行われた。

ティーゲルが如何に強力でも12.7cmと15cmのつるべ撃ちには敵う筈もなく、
ドイツ軍側はほぼ全滅。
連合軍艦隊の損害は数隻が小破しただけだった。
(266:385)

ティーガーⅠの上面装甲は25mmしか無いので、曲射弾道で上面装甲に直撃されるとかなり危険ではないのでしょうか。

実際に東部戦線ではソ連軍の重榴弾砲(150mm以上)に上部装甲を貫通される事態が発生しています。
このため、44年3月以降の生産分では砲塔の天井の装甲を厚さ40mmに変更しています。
ただ、やはり命中する確立としては803氏のおっしゃるとおりそれほど高いものではないと思います。
(262:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)

ポルシェ・ティーガーはガソリンエンジンを二基積んで、それで発電してモーター回して……という複雑な構造をとっていますが、

設計した人はどういうメリットがあると考えてたんですか?
内燃機関直結発電の電動式にすれば、変速機がなくても
車両を走らせられる。
WWⅡの頃はまだ自動変速機の技術が未発達だったので、
変速機は複雑なギアのカタマリで、そして激しく重かった。
ギアを入れるのも繋ぐのも熟練の技術が必要で、そして体力
が必要だった。
また、エンジンが後ろにあっても変速機を後ろに置くと、操作
レバーが長くなり過ぎて、人力ではギアチェンジが更に大仕事に。
(でも動力補助機構をつけたら更に複雑にそして重くなる)
さらにさらに後ろのエンジンから前部の変速機へと動力を伝える
動力シャフトは、パワーをロスし構造の複雑化も招いた。

といったような欠点を解消できると思われていた訳>電動戦車

実際には内燃機関に加えて発電機とモーターというものが加わった分
整備が面倒になり、しかも過大な加重がかかる戦車では相互の動力
伝達が不具合を起こしまくって故障続出、走らせるだけでも一苦労、
という大失敗に終わった。

尚エンジンは片方だけでも両方の発電機を回せるが、その構造がさらに
機構の複雑化を招いた上に、実際はエンジン一つの出力ではマトモに走れ
るだけの電力を発電させる事が出来なかった。

現場では片方のエンジンが壊れた時は、相互連結を切って片方のエンジン
+発電機だけ動かし、無理矢理片側の発電機の配線を両方のモーターに
繋いで動かしたそうな。
もちろん電力不足で「摺り足のようにしか走らない」し、エンジンと発電機
に過負荷がかかってすぐにもう片方のエンジンと発電機も壊れたそうだが。
(220:123)

4号D型の短砲身75mm砲は、独ソ戦開戦時の主力だった3号の5cm短砲身よりも徹甲弾の貫通力は低いんですか?

24口径75mmと42口径50mmだと大差ないが後者が若干貫徹力が高い
まあT-34相手じゃどちらも能力不足だが
(俺初質スレ2049:756)

クルスクに投入されたポルシェタイガーの写真をみますと、車体に増加装甲がボルト止めされています。

ただでさえ機動性が低いの車体重量増になって、まともに運用できたんでしょうか?
フェルディナントと一緒に行動できればいいから重くなってもいい
というか城塞作戦で機動力はそれほど問題とはされてない
速度は速くはないがフェルディナントの車体はそこそこの走破性を示してる
(俺初質スレ2049:835)

ポルシェタイガーの足回りはヘンシェル社のタイガーに装備するのは無理だったんでしょうか?

ポルシェ式のサスペンションは、車体の動揺が大きくて、実用性が皆無
戦後の戦車でポルシェ式を採用した例が無いことを見ても、欠陥は明らかかと
(俺初質スレ2050:197)

タイガー戦車って、簡易化できるところがなかったのですか?

部分部分は簡略化を進めてはいたよ
潜水機能廃止とか照準器まわりとか転輪とか

しかし根本をいじる前にパンターとかⅡとか生産することにはなってたからね
(俺初質スレ2050:546)

4号戦車の砲塔が載せられたパンターがあったと思ったんですが何処の部隊の車輌だったか教えて下さい。

第653重駆逐戦車大隊のベルゲパンター指揮戦車
Ⅳ号戦車砲塔はボルトで固定されてたので砲塔は旋回しない、
攻撃時は車両そのものを指向しなければならなかった。
(63:37)
ここ
http://www.achtungpanzer.com/pz3.htm#panzer4
見る限り,
実験的にKwK42 L/70を乗っけたやつと
PzKpfw IV Ausf F2/H mit 75mm KwK 42 L/70 (experimental)
パンターFの砲塔を乗っける計画
Panzer IV Ausf H with Schmalturm turret (project)
があったらしいけど,部隊配備はされて無いんではなかろうか。
(もしかしたら大日本絵画「ジャーマンタンクス」あたりで実は実戦に・・・・
なんて話しが出てるかも知れないけど)
(63:39)

フランスは二次大戦後パンターだけで編成された戦車部隊がありましたがどうしてセンチュリオンやシャーマンじゃなかったのでしょうか。

パンターはドイツ軍が置いてったものだから無料
センチュリオンは生産されたばかりだし高価
シャーマンはたくさんあったけどアメリカも無料ではくれないし性能悪い
どれにすると思う?
(俺初質スレ20501:783)

パンターって戦後しばらくフランス国内で作ってなかったけ(部品かもしれんが)。

造ってたよ
ていうかフランスは戦中、ドイツの戦車や航空機の製造を請け負っていて 
戦後も残った半完成品を中心にかなりの数を製造してる
有名なのはシュトルヒで、ドイツのエンジンの部品を使い果たしたあとは
エンジンをアメリカの空冷星型に換えたタイプまで造った
(俺初質スレ20501:785)

ドイツ戦車の牽引ワイヤーって真っ赤っかに錆びるもんなんですか?

末期ドイツ戦車の塗装によくあるレッドプライマー(錆止め)じゃないの
(俺初質スレ30501:774)

ティーガー2は鉄道輸送できたの?

もちろん。

自走なんかしたら前線にたどり着く前に相次いで機械故障で脱落する。
ノルマンディ戦で実際にあったことだし。
(俺初質スレ50505:947)




記事メニュー
目安箱バナー