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WW2アメリカ2 - (2011/09/11 (日) 22:01:18) の編集履歴(バックアップ)



太平洋戦争で米軍はどれくらい死んだんですか?

ググッたら「日本の兵員死亡者数1174000名余、米国の兵員死亡者数92000名余、
日本の民間人死亡者数670000名余、他連合国の死亡者数170000名余。総計210万人以上」
と言う数字がヒットした。
(50:555)
統計と定義によりますが、第二次大戦での米軍人死者数は
約30~40万人。
http://users.erols.com/mwhite28/ww2stats.htm
(267:53)

米軍は、東京大空襲や大阪大空襲など、爆撃の際は、ラジオ放送で民間人に避難をするように促していたのでしょうか?

えーと、米国は終戦間際(それ以前にもしていたが本土に対する行為は終戦間際が盛ん)
に俗に言う地下放送と言われる謀略放送を流していました。
以下が具体的な内容。
「日本国民に告ぐ。日本国民に告ぐ。大日本帝国の敗戦は濃厚である。大本営は虚偽の戦果を国民に報告し、
今尚、戦果拡大を模索している。これは、貴方たち日本国民を死の恐怖に追いやるばかりでなく、日本の将来に
多大なる損害をもたらす物である。
我我、米英両国からなる連合軍は、日本を悪の軍部から開放する為、本土への奇襲を敢行するものである。
日本国民にはその奇襲の意図を明確に知って貰いたく本放送を送信してる次第である。
何時の日か極東に平和を!共に軍部を追放しよう。
アメリカ合衆国大統領」
と言うような内容のラジオ放送を流していました。
幾つかパターンが在るようです。
しかし、当時の日本ではこの様な放送を聞いていることが解ると、憲兵などからスパイ扱いを受ける可能性が非常に高く、
国民はほとんど、デマだと言い聞いて居なかったのが現状だったようです。
(51:440)

パットンは一兵卒をブン殴ったぐらいでなんであんなに問題になったんですか?

野戦病院内で病兵は軍医の管轄なのに将官が越権行為をしたから

もっとも問題となったのは、合衆国国内で抗議運動が起こったことでした。
この殴打事件は実はシチリア作戦中に2回生じており、
軍司令官の病院視察ということで、従軍記者なども随伴していました。
この事件のニュースはマスコミを通じて議会や政府、そして大衆にもたらされ、
マスコミ>議会>政府>軍という流れで非難となり、
軍はパットンになんらかの処罰を行わないわけにいかなくなったわけです。
その結果パットンは1944年8月まで1年間、ほとんど休職状態となったわけですが、
その結果ドイツ軍に、「パットンがいない以上、ノルマンディーは陽動だ」と思わせるという、
思わぬ効果を生みました。
なお、パットンはシチリアでは第7軍司令官で、ブラッドレーは彼の配下の第2軍団長でした。
1年後、パットンが第3軍司令官となったとき、ブラッドレーは第12軍集団司令官となり、
主従関係は逆転しました。
そこにはおっしゃられているような「独断専行を咎められての左遷」的要素もあると思われ、
兵士殴打事件は、パットンの道をふさごうとした人々に、格好の口実を与えた、
といえるかもしれません。
(117:899-900)

アメリカは一週間に空母を一隻投入とかしてきたと聞きましたが、輸送艦とかはどうだったんでしょうか?

「リバティ船」でぐぐると、とてつもない数値が出てきますよ。
全部で2700隻ほど、初期は1隻200日ぐらい、最速では5日でできたのもあったり…。

で、これはあくまでも「リバティ級」貨物船だけの話であって、
T2級タンカーなどのほかの輸送船を加えると…もういや…。
(268:鷂 ◆Kr61cmWkkQ)

2次大戦でアメリカは空母をめちゃくちゃ作ったそうですが、戦後余ったのはどうしたんですか?

旧式艦は1948年までにスクラップ。

Essex級は、状態により改装を重ねて正規空母から対潜空母に艦種変更されて、
1960年代末まで使い続け、その後は予備艦となり、1970年代にスクラップか記念
艦に、一部は80年代でも使われました。

軽空母のIndependence級は一部が、スペインとフランスに譲渡され、スペインの
ものは近年まで使用されています。
それ以外は、航空機運搬艦に艦種変更。
Saipan級は、その搭載量を生かし、通信中継艦(通信衛星発達前に、本土の通信
を中継するために通信設備を充実させたもの)と指揮艦(E-4の海上版)に改造され
ました。

護衛空母は、ヘリコプター護衛空母、雑役空母に艦種変更となり、雑役空母は航空機
運搬艦として、一部は軍事海上輸送部の管轄下で、民間人により運行されています。
ヘリコプター護衛空母から、輸送用ヘリコプターを搭載して、揚陸ヘリコプター母艦
に艦種変更されたものが多く出ています。
揚陸ヘリコプター母艦は、後に強襲揚陸艦になりました。
なお、通信中継艦として改造されたものもありました。
(253:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

日本軍は熟練工を徴兵して、女性や子供に兵器を作らせると言う愚行をしましたが、米国はどうだったのでしょうか?

米国も同様に女性労働者を採用しています。
例えばDouglasの場合、1941年当時、1300名の女性のうち、生産現場にいた女性は24名に過ぎませんでした。
米国も、太平洋戦争勃発後、生産現場から熟練、半熟練工が徴兵され、労働力不足が懸念されました。

例えば、Californiaに於いて、1942年1年間で15000名の航空機産業従事者が徴兵され、それは、技術者の37%、
機械工の24%、検査工の23%に上っていて、航空機工場側は軍部に「代替不可能な労働者」に対する徴兵猶予を
求め、陸海軍は、30日~6ヶ月の徴兵猶予を決めますが、一時しのぎにしかなっていません。
つまり、米国も日本と同様の状況になっています。

最初は航空機産業側も、軍事機密保持の関係上、身元の確かな人を採用する傾向にありましたが、生産が拡大
強化されるにつれて、そんなことよりも量を重視することとなり、働ける者は誰でも採用するようになっています。
Los Angelesでは、1942年末に航空機産業従事者の36%が女性です。
前述のDouglasでは、1943年末の時点で、女性の航空機生産従事者が3万6千人強に達しています。

また、未成年者についても、16~18歳の男子を対象としたSchool Work Programが行われ、例えばLockheedでは、1943年
2月以降、4500名の未成年者を雇用しています。
彼等は、4週間Full timeで航空機工場で働き、次の4週間高校へ通学する「4-4 Plan」、あるいは、4時間働き、4時間学校に
通い、週末と休暇中は1日8時間工場で働くと言う形態を取ることもあり、一部では学校工場もありました。

これら米国で生産活動に従事した女性は、どちらかというと、航空機産業に職を求めてやってきた人々で、彼等は職場を
良くしようという気概があり、工場におけるQC活動が奨励され、女性側からも積極的な生産活動に対する能率向上活動が
あり、このことは、当初懐疑的だった航空機産業の経営者も認め、女性の更なる積極的な雇用に繋がっています。

一方の日本の場合は、統制力の強い雇用が行われ、不要不急産業、とりわけ紡績産業をリストラした女性や、若年労働者
を個別に徴用という手段で航空機産業に従事させるもので、極めて強制力が強く、労働の士気という面では米国よりも劣る
ものでした。

例外は、近江絹糸(今のオーミケンシ)から転換した近江航空機で、元々の女工がそのまま産業転換して残り、30名の男性
工員を名古屋の三菱重工に派遣し、航空機生産技術を習得、彼等が帰還後、1ヶ月掛けてSkill Transferを実施し、女工に
航空機生産技術を教えた上、紡績産業時代の生産設備を活用して、絹糸紡績の流れ作業を航空機生産に応用することで、
高い生産性を維持したそうです。

品質管理という面では、米国の場合は、自動車産業の充実があげられます。
例えば、1942年4月に、西海岸に配置された主要航空機メーカー8社で、West Coast Aircraft War Production Councilが
設置され、戦闘機や爆撃機などの主要機種の生産に関して互いに協議し、部品の標準化、互換性の向上を図っています。
1942年10月には東部の航空機メーカーも同様の協議会を設置し、1943年4月にNational Aircraft War Production Council
が両者の統合で誕生しています。

この協議会では、各社の企業秘密である生産技術、経営管理技法を積極的に公開し、航空機メーカーによる情報交換を行い、
主要機種の生産についての生産提携、機種限定による生産集中が討議されています。
例えば、この結果として、Boeing B-17は1944年末までの1万機のうち、Douglas Long Beachで2000機、Lockheed Vegaで2000機
が生産分担されています。
そして、機種限定、生産部品の標準化が図られると、自動車産業の組立ラインを本格的に航空機に応用され始め、Consolidated
Valteeの工場に初めてこの設備が導入、これによって、半年のうちに、最終組立に要する時間が75%、コストを40%削減することが
実証され、各社がこうしたラインを導入することになります。
これらのラインにも様々な補助的な機械が導入されており、生産性の向上に寄与しています。


一方の日本では、工程管理のノウハウが十分に習得出来て居らず、経営者はこうした専門家の養成にも積極的ではありません
でした。
航空機メーカーは、生産機数のノルマ達成にのみ目が向き、調達資金は工場の拡張にのみ費やされ、生産ライン改善に目を向けた
企業はほぼ皆無でした。
また、熟練工がこうした機械化に抵抗し、工作機械も熟練工向けの(質の低い)万能工作機械ばかりで、非熟練工でも容易に扱える
単能工作機械が不足してしまったこともあげられます。
また、陸海軍の仲の悪さに加え、戦時中の日本では、海軍の基本機種は53、サブタイプが112、陸軍でも基本機種37、サブタイプが
52もあり、部品の互換性が非常に低かったこと、更に航空機産業に限らず兵器産業は部品集成産業で、下請工場の部品を最終組立
するのですが、この下請工場の多くが小規模町工場で、技術水準が低く、本社工場が品質の管理を十分行えなかったと言う面も
あげられるでしょう。
(237:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

第二次大戦中、我が国では学徒出陣や勤労動員が実施されましたが、アメリカの場合はどうだったのでしょうか?

日本と同じです。
但し、学徒出陣については、強制ではなく、志願に拠っていました。
米軍の将校では、大学を休学して、志願したケースが多かったみたいです。
米国の場合は、1940年9月に選抜徴兵法が制定され、軍事的には総動員体制が確立しています。

一方、生産現場では、国防諮問委員会(NDAC)、生産管理本部(OPM)が既にあり、1941年12月に戦時生産局(WPB)
がこれに加わります。

本格的な総動員体制が確立したのは、1942年4月の大統領命令によって、戦時人的委員会(WMC)が設立されてから
で、連邦保障局のポール・マクナット元Indiana州知事を長とし、その下に陸軍省、海軍省、農務省、労働省、WPB、行政
委員会、選抜徴兵制度代表者などがメンバーになっていました。

しかし、最初はこの委員会にはさほどの権限が与えられず、特に選抜徴兵制度との軋轢があって上手く回りませんでした。
そこで、10月に大統領令で、選抜徴兵制度を膝下に組み込むことになりますが、軍の人的要求とのジレンマによって1943年末に
再びこれを分離することとなります。

この委員会の活動は、軍との人的要求の調整(徴兵の対象とならない人々の生産設備への配分)が主な作業となりました。
但し、これは、WMCの地方支部が、合衆国雇用サービス(USES)との共同作業で、地域経済と地場産業の実情に見合う形で配分を
行っています。

更にWMCでは、1942~43年にかけて、全国44カ所で地域雇用安定計画を導入して、軍需産業の急速な拡大で、労働力の不足が
深刻化している地域での雇用対策をUSESと共に行っています。

労働者の就業ですが、まずは大恐慌時に職を失った人への再雇用を実施し、次いで、メイド、店員などサービス業への就業を制限
して、危急産業へ重点的に割り振っています。
但し、日本とは違って、国家が全てを仕切るのではなく、各企業も独自に求人活動を展開していることが特徴です。
例えば、女性の就業者数は、1940年3月の1073万人から1942年1月には1176万人へ、12月に1472万人、1943年12月で1611万人、
1944年7月に1644万人となっており、女性比率は、1940年に全労働力の26%だったのが、1944年7月には37%に上昇しています。

また、英国についても、同様に総動員体制が確立しています。
(215:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

1940年7月のスターク案で計画された戦艦・空母・大巡を教えてください

20万トンの新型空母、42万トンの巡洋艦、25万トンの駆逐艦、7万トンの潜水艦、38.5万トンの戦艦
が計画されました。
FY41では、Iowa級戦艦2隻(BB63-64)、Essex級空母1隻(CV9)、Cleveland級軽巡洋艦2隻(CL57-58)、
Fletcher級駆逐艦8隻(DD445-452)、Gato級潜水艦8隻(SS212-219)がまず計画されますが、直ぐに、
Iowa級戦艦2隻(BB65-66)、Essex級空母6隻(CV10-15)、Baltimore級重巡洋艦4隻(CA68-71)、
Cleveland級軽巡洋艦9隻(CL59-67)、Benson級駆逐艦27隻(DD453-464/483-497)、Fletcher級駆逐艦
18隻(DD465-482)、Gato級潜水艦20隻が加わり、これに、大統領裁定で、Montana級戦艦5隻(BB67-71)、
Alaska級大型巡洋艦6隻(CB1-6)、Baltimore級重巡洋艦4隻(CA72-75)、Essex級空母4隻(CV16-19)、
Cleveland級軽巡洋艦25隻(CL76-100)、Fletcher級駆逐艦150隻(DD498-648)、Gato級潜水艦36隻
(SS248-264)が加わりました。

以後は戦時計画になるので割愛します。
(202:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

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