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戦艦全般2 - (2011/09/14 (水) 19:41:38) の編集履歴(バックアップ)



二次世界大戦後戦艦の存在意義は失われていきますが、戦後の各国の戦艦はどのような戦力と位置付けられたのですか?

イギリスもフランスも戦勝国とはいえ経済はずたぼろになった。
だからでかくて維持費もかかり、多数の乗員を乗せなければならない戦艦を戦後次々と退役させた。
そんななかでイギリスは建造を進めていたヴァンガードを戦後一年も経ってから完成させている。
英海軍最後の戦艦として艦隊旗艦やNATO旗艦などを勤めたが14年後の1960年には退役させている。
フランスも戦後ジャンバールを1950年に完成させているが、こちらも1970年に退役。
なおジャンバールは戦時中完成間近に独軍侵攻で北アフリカに脱出、ヴィシー政府に所属してカサブランカで連合軍と戦っている。
どちらも意地で持っていたようなもんだが、戦後はほとんど使い道がなかった。

アメリカでさえアイオワ級以外の戦艦は若干の例外を除いて、ほとんどが戦後すぐに退役させている。
なかには完成後たった4年の寿命しかなかったものもある。
(146:108)
他に戦後、戦艦を保有したのは、米英仏に加え、ソ連、イタリア、トルコ、アルゼンチン、
ブラジル、チリです。

ソ連は、帝政ロシアで建造した弩級艦2隻、英国からR級戦艦を貸与され、その代替に、
イタリアから賠償としてCavour級を賠償として、更にフィンランドから賠償として海防戦艦
Ilmarinen級を受け取っておりましたが、スターリン死後、ゴルシコフ構想が頓挫し、戦艦を
中核に据えることは無くなりました。
このため、帝政ロシアの艦は1956~57年に除籍、イタリアからの賠償艦は、1955年に爆沈、
フィンランドからの賠償艦も1960年までに除籍されています。(英国からのR級はイタリアの
と交代で返還)

イタリアは、Cavour級1隻をソ連に賠償として引渡し、Littorio級2隻は英国と米国に賠償艦と
して引渡されますが、これらは当地で解体され、Doria級2隻が残りました。
これらは指揮通信機能が、他の艦より勝っていたために、イタリア艦隊の旗艦として長らく
使われましたが、維持費がかかるために、1956年に除籍されています。

トルコはギリシャに対する対抗上、旧帝政ドイツの巡洋戦艦を後生大事に持っていますが、
機械的故障が頻発し、晩年は訓練艦として使用されました。
それでも、1970年まで保有しています。

中南米はアルゼンチンが前弩級艦1隻、弩級艦2隻を、ブラジルが弩級艦2隻、チリが超弩級艦1隻を
保有していましたが、これは、俗にABC諸国と言われる国々のメンツの保持みたいなモノで、1950年代
に、米国が地域安定のために、ブルックリン級軽巡洋艦を供与すると、いずれもそちらにショー・ザ・
シップの役割を移し、アルゼンチンでは1951年に前弩級艦が、1956年に弩級艦が除籍され、ブラジルも
1951~53年に戦艦を除籍、チリは、それより遅れて、1959年に漸く除籍が完了しました。
余談ながら、チリの戦艦は、日本の徳山で解体されています。
(146:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

リシュリュー、ダンケルクのような連装砲塔を結合した四連装砲塔と、KGVの様な正四連装砲塔のメリットとデメリットを教えて下さい

四連装砲塔に関しては、連装砲塔に比べると重量が軽減でき、従って重心を低く保つことが出来ます。

フランスの四連装砲塔は、連装砲の結合になるので、英国のそれより更に軽く出来、重心を上げることなく、
浮いた重量は防禦に回せます。
しかしながら、反面、連装砲の結合ですから、敵の砲弾を砲塔に喰らい、それが命中した場合は、砲塔の
半分の門数が使用不能となってしまいます。

英国のものについては、その裏返しになりますが、被害極限という効果は期待できます。
しかし、防禦を重視したためか、重量軽減については、旋回部重量が1,575tと、Nelsonの40.6cm砲塔より
重くなってしまっており、重量軽減については、余り効果があった訳では無さそうです。
(ちなみに、フランスのRichelieuの場合は、旋回部重量が1,497tですが、Brittanyの連装砲塔の旋回部
重量は1,130tで、門数辺りの重量は約3分の2になっています。)
(204:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

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