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太平洋海戦関係2 - (2011/07/24 (日) 19:20:51) のソース

#CONTENTS
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**太平洋戦争中、駆逐艦キラーと呼ばれた米潜水艦「ハーダー」を仕留めた艦艇を教えてください。
潜水艦の最後は、こうであろうというものが多いので一概には言えません。
Harderの場合も、1944.8.24 AM6:47頃、2隻の船を確認中に、掃海艇を発見し、待避に掛かった。
その後15発の爆雷により、Harderは破壊されたとしか書かれていません。

掃海艇の艇名は不明、日本側記録では海防艦22号とのことです。
#right(){(46:眠い人 ◆gQikaJHtf2)}
**米海軍航空隊の急降下爆撃機乗りや雷撃機乗りは、日本艦隊の対空砲火の弾幕の濃さなど、どのように感じていたのでしょうか?
第二次ソロモン海戦に参加し、翔鶴を攻撃したSBDのパイロットの回想では、
 「敵空母からの対空砲火は激しかったが、大口径砲は照準が甘く、小口径の方が正確に撃ってきた」
とのこと。
また、摩耶を攻撃した別のパイロットの回想でも、
 「対空砲火は大口径、小口径とも激しかったが、射程が短く余り脅威とならなかった」
しかし、第10偵察飛行隊の電信員の回想では、
 「対空砲火はとても激しく、我々が海面から15~30mにまで急降下し、東に向かって高速で離脱しても止まなかった。
  戦艦(利根のこと)が我々に向かって主砲を撃ち始め、近くに着弾したら大きな水柱でやられてしまうかもしれなかった。
  回避運動を続けたが近くに打ち込まれ危うかった。驚いたことにこの対空砲火は我々が24km離れ、敵の艦橋が水平線下に
  消えるまで続いた」
と述べており、艦長や艦の熟練度によって変わってくる様です。
一方、雷撃機の場合は、マリアナ海戦に参加し、飛鷹に魚雷を当てたTBFパイロットの回想では、
 「対空砲火はとても激しく、撃たれまいと私は出来る限りの回避行動をしました」
とあり、レイテ沖で武蔵と大和に攻撃を行った雷撃飛行隊長の回想でも、
 「高速で敵に向かう最中に浴びた対空砲火は猛烈でした。戦艦は主砲さえ撃ってきました。
  私はこの戦術を戦前に乗り組んでいた初代ヨークタウンにいた頃から知っていましたから、
  驚きはしませんでしたが、やっぱり目玉が飛び出しそうになりますよ」
と述べています。
レイテの頃になると、日本海軍の艦も対空砲火が増強されたので、結構激しい砲火を浴びるように
なったみたいですね。
#right(){(246:眠い人 ◆gQikaJHtf2)}
**日本海軍の誤攻撃の一つに「伊25がソ連潜水艦L16撃沈」があるそうですが、
>これは本当なのでしょうか?
本当です。
撃沈されたのはソ連のレーニネッツ級のシリーズXIに属するL-16でした。
ソ連では1942年に、欧州戦線の戦況悪化を受けて6隻の潜水艦を太平洋艦隊から
北方艦隊に配置を移すことになりました。
6隻は太平洋を横断し、パナマ運河を抜けるためにアメリカ西海岸沖800キロを航行中に
その1隻であるL-16が偶然伊-25に補足されて撃沈されたのです。
残りの潜水艦は無事パナマ運河を抜け、1943年5月に北方艦隊に到着しました。

伊-25が撃沈した潜水艦がソ連潜水艦であったことは、戦後の調査で判明したことです。

余談ですが、回航された6隻のソ連潜水艦のうちL-16はアメリカ沿岸で失われましたが、
到着直前のバレンツ海で更に2隻(S-54,S-55)が失われており、無事到着したのは
3隻のみでした。
到着した3隻は大戦を生き延びています。
#right(){(243:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE )}
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