仮名(かな)
『言語学大辞典術語』
9世紀前後に,漢字の字体を草体化して(安→あ)形成された音節文字の体系.本来の文字である真名(漢字)に対する「かりな」,すなわち,〈仮の文字〉の意で命名され,「かんな」「和字」「倭字」などともよばれた.平仮名という名称は,ロドリゲス(J. Rodriguez)の『日本大文典」(1604-08)にみえる.平安末期以後,「いろは」が定着したことによって仮名の種類は47に確定し,定家仮名遣や歴史的仮名遣はそれに基づいているが,「現代仮名づかい」では,「ゐ」「ゑ」が削除されて45になっている.
9世紀前後に,漢字の字体を草体化して(安→あ)形成された音節文字の体系.本来の文字である真名(漢字)に対する「かりな」,すなわち,〈仮の文字〉の意で命名され,「かんな」「和字」「倭字」などともよばれた.平仮名という名称は,ロドリゲス(J. Rodriguez)の『日本大文典」(1604-08)にみえる.平安末期以後,「いろは」が定着したことによって仮名の種類は47に確定し,定家仮名遣や歴史的仮名遣はそれに基づいているが,「現代仮名づかい」では,「ゐ」「ゑ」が削除されて45になっている.
〈形〉〈音〉〈義〉の総合である漢字から,〈義〉を捨象し,和語を表音的に表記するための音節文字に転用する方式が上代に発達し,「許袁呂許袁呂迩(コヲロコヲロニ)」(『古事記』上),「吾許曽居(われコソをれ)」(「許曽」は係助詞,『万葉集』1)などのように,主として訓注や韻文に使用されている.上引の例のように漢字の音を利用した音仮名(借音仮名)が主流であるが,『万葉集』などには,「押奈戸手(おしナベテ)」の「戸」や「手」のように,和訓を利用した訓仮名(借訓仮名)も使用されている.訓仮名には,「鶴鴨」を助動詞連体形の「つる」と終助詞「かも」とに当てるなど複数の音節を代表するものもある.音仮名と訓仮名とを総称して万葉仮名ともいう.
上代の音仮名や訓仮名は楷書体で均等に書かれるのが原則であり,語句のまとまりが標示されないために,清濁の字母を区別し,ときには声調の違いで字母を使い分けるなど(『日本書紀』歌謡),その限界内において,語句を同定する工夫がなされているが,短い語句の注記や,音数律をもつ韻文の表記にしか使用できなかった.しかし,平安初期になると,音仮名や訓仮名は草体化され,連綿(続け書き)や墨継ぎ,あるいは,文字の太さの違いなどによって,語句の分かち書きがなされるようになり,その結果,音数律に支配されない散文を自由に書けるようになった.このようにして形成された音節文字の体系が仮名である.分かち書きが成立したことによって語句の同定が容易になり,細かく書き分ける必要がなくなったために,仮名では清音と濁音とを表わす字母が統合されている.「よるつよ・まてに」(『古今和歌集』東歌)と区切れば,「よろづよ(万代)までに」と読めるからである.仮名を用いて書かれた書記(writing)を仮名文という.
平安初期の日本語には漢語が豊富に摂取されており,拗音や舌内入声韻尾[-t]などを含む漢語は漢字で書く習慣であった.したがって,仮名は,最初から漢字との交用を前提にして成立した文字体系である.字源が容易に推測できないほど極端に草体化された仮名が少なくないのは,表語的に使用された漢字と,曲線的な字形の特徴で容易に識別できるように発達したためである.仮名文の漢字は,曲線的な仮名との対比において,楷書あるいはそれに近い字体で,いかにも漢字らしく書かれている.
平安初期の仮名は,音節の区別に規則的に対応していたが,その後,いくつかの大きな音韻変化を経過したことによって仮名と音節との対応関係が複雑化し,仮名連鎖の表語性が増大した.日常的な語句の表記は,音韻変化にそのままには順応せず,また,類型的な表記が形成されるからである.たとえば,ハ行四段活用の語尾は,音韻変化が生じてもハ行の仮名で維持されている.音韻変化の過程を経て自然に定着した語句の綴りを基礎にして,仮名表記の規範を設定したのは藤原定家(1162~1241)であり,それを定家仮名遣として整備したのが行阿の『仮名文字遣』(1363以後成立)である.
仮名文は韻文から分化した文体であるから,もっぱら物語や日記など,美的な内容の作品に使用され,内容と調和する美しさが文字についても追求されて仮名書道が発達した.平安初期の仮名は字母の種類も字体も現行の平仮名に近く,そのまま基本的な字体として継承されたが,仮名書道で視覚的変化が追求された結果,字母として新たな漢字が導入された.いわゆる変体仮名がそれである.草書体の美しさが重視され,「悪(あ)」「悲(ひ)」なども忌避されていない.
同一の字母にも変異が求められた結果,正統の草書体に回帰して再形成された草仮名も使用されている.図1に示すのは,平安末期書写『巻子本古今和歌集』仮名序の,草仮名で書かれた部分である.
保乃本能東悪賀之乃宇良濃愛左支理尓嶋
嘉求禮遊具布年乎新曽思
ほのぼのと 明石の浦の朝霧に嶋
隠れ行く舟をしぞ思(ふ)
嘉求禮遊具布年乎新曽思
ほのぼのと 明石の浦の朝霧に嶋
隠れ行く舟をしぞ思(ふ)
音仮名が草体化されて仮名になるまでの過渡期における字体も,同じく草仮名とよばれているが,上述のような仮名書道の草仮名とは質的に異なっている.図2に示す『有年申文』(876)は,公文書に添付した私的な覚え書きで,漢字文(釈文の下線部)と,表音仮名で表記した日本語とが交えられている.草仮名を交えた文体を使用することで,非公式な文書であることを表わしている.
改姓人夾名勧録進上, 許礼波奈世无尓加(これは,なせむにか),官尓末之多末波无(官にま(申)し給はむ),見太末不波可り止奈毛於毛不(見給ふばかりとなも思ふ),抑(そもそも)刑大史乃多末比天(宣ひて),定以出賜いとよから無(定を以て出だし賜ふ,いとよからむ)
表音仮名の中には,現行の平仮名に近い字体もある.草仮名は続け書きと墨継ぎとで分かち書きになっており,漢字文の部分は楷書体である.草仮名に交えられた一字漢語の「官(kᵂan)」「定(djaŋ)」も楷書体であり,また,文字の大きさでも草仮名と識別できる.文字全体を草体化している点において仮名と同じ方向をとっているが,次の時期には,この種の書記には片仮名文が使用されるようになる.
藤原定家は仮名文学作品のテキスト整定に際し,当時,片仮名に使用されていた声点を仮名に加え,抑揚と清濁とを示すことによって語義を確定している.この方式は歌学で継承されたが,現代の書式様式における濁点は,その流れに属するものではなく,仮名書道を離れて日常化した平仮名に,片仮名で使用されていた濁点を応用したものである.