2010/5/16のペリク鯖バックアップ

ローマを継ぐ者(3)

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ローマを継ぐ者(1)
ローマを継ぐ者(2)


ここまでのあらすじ


フランス遠征中に沙悟浄から宣戦を受けたアウストラシア。キュウリ畑を守るため自慢の射手が立ち上がる。

ブルグントの逆襲


前世紀の戦争でアウストラシアに打ちのめされたブルグント王国。だがここに来て急速に力を盛り返して来た様だ。まず900AD、2体の騎士が無防備な占領地ソワソンに接近。近くの都市から増援を送るのも難しく、アウストラシアは同市をネウストリアに返還する。半ば戦略、半ば意地である。続いて904AD、今度は騎士8体を含むブルグント軍17ユニットがポワティエに肉迫するが、こちらもネウストリアに割譲して占領を回避。敵の嫌がる事をするのが戦争である。

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910AD、ブルグント軍はウィーンに接近。先の17ユニットがそのまま東進したと見られる。この都市の守衛は約半数をパリへの増援に引き抜いたため残りは9体。パリへ移動中の軍団を急いで呼び戻す。ウィーンに最も近い都市は帝都メスであるが、こちらはこちらでビザンツ軍19ユニットが迫っているため援軍を送る余地が無い。直後、投石器の一斉砲撃でウィーンの防御力が0%に低下する。912AD、ブルグントの総力を挙げた突撃。パリ行き部隊の帰還は間に合ったものの、戦闘は13勝3敗1分けと籠城にしてはやや厳しい結果になった。翌ターンの914AD、ウィーンから兵を出撃させ生き残りの騎士を殲滅。8人目の偉大な将軍が誕生。

騎士道一直線


この世界の騎士が大いに強化されているのは先に述べた通りだが、生産条件もまた厳しい。「職業軍人」の先にシナリオ独自技術「宮廷作法」というものがあり、これとシナリオ独自施設の訓練キャンプがあって初めて騎士を導入できる。アウストラシアにおける職業軍人の研究は8世紀後半に始まったのだが、厳しい財政事情のため10世紀の現在に至るも未完了である。だが近年の市場・銀行建設ラッシュにより国庫収支が改善、加えて図書館も主要都市に建設され産出ビーカーが増加。更に折り良く偉大な商人が誕生、アウストラシア最初の黄金期を発動した。914AD、錆付いた時代の針が回りだす。

ビザンツの猛攻はなおも続き、オルデンブルグ・メス・ウィーンの3都市を繰り返し襲撃。とりわけ922ADのウィーン包囲はブルグントの投石器とビザンツのカタクラフトが巧みに連携、駐留部隊はかなりの被害を余儀なくされた。

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930AD 最初の騎士がウィーンに到着。接近していた鎚鉾兵に攻撃を仕掛け勝利

932AD ウィーン防衛戦。優勢

934AD 領内に突入して来たブルグントの騎士をアウストラシアの騎士が迎撃、勝利

アウストラシアの騎士は生産時点でLV6。一方ビザンツ側の騎士とカタクラフトはLV3で、直接対決すると89.6%の確率で前者の勝利となる。これを受けてアウストラシアは戦術を一部転換。ウィーンに駐留する騎士を出撃させ包囲軍を攻撃、攻城兵器を含め全滅させた。東部国境から侵入するバイエルン軍の騎士に対しても同種ユニットで機動防御。都市に守備部隊を常に張り付けておく必要が無くなり、20ユニット以上の余剰兵力が生まれた。

反撃の時を静かに待つ。

潮の満ちるとき


938AD、これまで沈黙を守っていた北イタリアのランゴバルド王国が突如アキテーヌ・ネウストリアに侵攻。2度の大戦で疲弊したアキテーヌ軍にこの侵略を止める術は無く、開戦早々地中海に面する都市ルルドを明け渡した。

ランゴバルドは他の文明が戦争に明け暮れている間全力で拡張と内政を進め、アルプスから東欧に跨る大文明に成長していた。このままフランスを制圧すればメガパワーの一角として台頭して来る公算が大きい。同じくフランスの支配権を狙うアウストラシアとしては見過ごせない事態だが、今出来るのはビザンツと全力で戦う事だけである。

戦いが進むに連れ、アウストラシアの防御正面はかなり絞られて来た。バイエルン軍は中部のオルデンブルグに、ビザンツ・ブルグント軍は西部のウィーンに攻撃を集中。20ユニット前後のスタックが切れ目無く押し寄せ、守備のアウストリア軍と激闘を演じている。946AD、10人目の偉大な将軍として孫子が誕生。同年ウィーン防衛戦にてカタクラフトの累計撃破数100を達成する。度重なる激戦によりアウストラシア領内の厭戦感情が確実に増加、およそ人口の60%に相当する不幸が発生し、やむなく文化税率を20%から30%に引き上げる。税収の減少分は商人の雇用で埋め合わせ戦争中の財政破綻を回避。東西ローマ帝国のどちらが先に窒息するかの勝負だ。

968AD、ローマ大戦が始まって1世紀。100年前と同じくビザンツはカタクラフトで突撃し、アウストラシアは重弩兵で守る。だが違っているのは戦力比だ。ブルグントの手駒は騎士4体の突撃を最後にほぼ枯渇、ビザンツも複数都市を同時攻撃する余力は無くなった。一方アウストラシアは重弩兵61体と騎士38体を保有、都市に充分な守備兵を残しても40ユニット以上を自由戦力として敵地に送り込める。

970AD、アウストラシアは反撃を開始。自由戦力全てをウィーンから出撃させブルグントに侵攻。目標はかつて占領しながらビザンツの横槍を受けて手放した都市、ウォルムスだ。

974AD、ウォルムス攻略作戦。防備は長弓兵2、長鉾兵2、騎士1、投石器2である。攻城兵器が都市防備を破砕、重弩兵と騎士が続けざまに突撃。2ユニットの犠牲を出したが首尾良く占領に成功した。11人目の偉大な将軍が誕生。西部に新たな拠点を得たことで機動防御の効率が改善、パリの守備隊を減らして自由戦力に組み込む。

982AD、ネウストリア独立。アキテーヌの惨状が響いたか。

984AD、12人目の偉大な将軍が誕生。籠城戦術から騎士による迎撃に切り替えた事で将軍ポイントの獲得が大幅に加速された。

990AD、アキテーヌがランゴバルドに降伏。

992AD、ウォルムスから攻撃部隊が出撃。ブルグントの王都オルレアンに直進。

996AD、オルレアン攻略戦。アウストラシア41ユニット、ブルグント18ユニットの決戦。18勝3敗で制圧に成功。

998AD、ブルグント王国残り3都市。アウストラシアは2都市同時攻略作戦を発動、自由戦力を二手に分けて進撃させる。

1002AD、マコン攻略・破壊。ブルグント残り2都市。13人目の偉大な将軍が誕生する。北方ではアングロサクソン軍がパリ付近に上陸するが、鎚鉾兵1と投石器5という貧弱な編成であった。騎士を派遣して殲滅。バイエルン軍、アウストリア東端のオスナブリュックに接近。

1004AD、アングロサクソン軍が再び上陸。今度は重弩兵中心だったが騎士による殲滅を逃れる事は無かった。同王国と和平が成立、約500ゴールドを賠償金として獲得。

1006AD、オスナブリュックにて迎撃戦。ユニットの質では勝ったが地形効果に阻まれ9勝3敗。同年、ブルグント王国のリヨンを攻略。10勝0敗で占領し、完全に破壊する。ブルグント残り1都市。ビザンツ軍40ユニットがアルルを出撃、ウィーンへ行軍。アウストラシアの騎士は手薄になったアルルを強襲、1ユニットを犠牲に同市を破壊した。

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アウストラシア軍の強さの秘密は練度である。ケルンで生産される騎士は最初から27~35の経験値を有しており、作戦行動の直前に最適な昇進を選ぶ事で高い勝率を維持。彼我が同数であれば無敵に近い。だが連戦連勝をいいことに敵地での戦闘を重ねた結果、厭戦率が120%以上にまで高まった。人口17人の都市で21人が寡婦になる始末である。文化税率40%でも幸福を維持できず、練度の低い騎士を反乱鎮圧に回さざるを得なくなる。もはやこれ以上の戦争継続は不可能と判断、1008ADを以ってアウストラシアはビザンツと和平。見返りとして1500ゴールド強を受け取った。

東西ローマによる2度目の戦いは西の勝利で幕を閉じた。期間は一世紀半、戦死者は敵味方合わせて703ユニットに及ぶ総力戦であった。1ユニットは古代ローマの1個軍団に概ね相当するので戦闘員だけで421万人の犠牲という事になる。ちなみにアウストラシアの人口は1567万人。

ここまでの戦闘成績:839勝80敗
偉大な将軍:13人
宗教評価点:127


ローマを継ぐ者(4)につづく


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