偉人を追加してみよう 技術者
気が付いたらドイツ人ばっかりに。ドイツの技術は世界一ィイイイッ!!
航空宇宙関係
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Abbas Ibn Firnas アッバース・イブン・フィルナス(810-887)
後ウマイヤ朝の学者、発明家。水時計、透明ガラスの精製、メトロノーム、電気、そして原始的なオーニソプター(ただしこれは失敗に終わる)等を発明した。
「人の作った機械で、雁と同等の完璧さに達したものが、今までに存在しただろうか?」
-Hezarfen Ahmed Celebi ヘザルフェン・アフメト・チェレビ(1609-1640)
オスマン朝下のトルコ人で、発明家。恐らく人類史上初めて無傷で空を舞った人物である。他の分野にも明るく、エヴリヤ・チェレビは彼に「千の学問」の称号を与えている。
「ヘザルフェンは1630年から32年にかけて、人工の翼を用いてイスタンブルのガラタ塔の上から滑空し、約3000メートルを飛んで辛うじてボスポラス海峡を越え、ユスキュダルのドアンヂュラル広場へ成功裏に着陸した」エヴリヤ・チェレビ
-Lagari Hasan celebi ラガリ・ハサン・チェレビ(?-1640?)
オスマン朝下のトルコ人で、発明家。ヘザルフェンの弟である。有人ロケット飛行(*1)、並びに動力を利用した飛行を史上初めて成功させる。その姿は兄共々イングランドにまで伝わっている。
「ラガリは、火薬が使い切られた後、自分の身体に取り付けられた翼をパラシュートのように使ってボスポラス海峡に軟着水した」エヴリヤ・チェレビ
-Jack Northrop ジャック・ノースロップ(1895-1981)
アメリカの航空技術者、実業家。アメリア・イアハートの愛機であるロッキード・ベガや後のB-2に繋がる全翼機の開発に心血を注いだ。
「今こそ、神が25年の余生を与えたもうた理由が分かった」B-2の実用化を聞いて
-Willy Messerschmitt ウィリー・メッサーシュミット(1898-1978)
ドイツの航空機設計者、実業家。様々な航空機を開発しているが、特にルフトヴァッフェの主力となったBf109の開発で知られる。
「ババリアの百姓が飛ぶにはこれで十分」
-Sergey Korolyov セルゲイ・コロリョフ(1907-1966)
ソ連のロケット技術指導者。ICBM、人工衛星、有人宇宙船を世界で始めて実用化した人物であり、特に彼の開発したロケットR-7は未だ「最も安全なロケット」の名を欲しいままにしている。
「人類初の人工天体は、簡潔で美しく、無機的でなく、たとえば人々が天体そのものをイメージできるような形のものでありたい」
-Wernher von Braun ヴェルナー・フォン・ブラウン(1912-1977)
ドイツに生まれ、後にアメリカに移住した技術者。ロケット技術開発の代表者であり、米ソ宇宙開発競争の中心人物でもあった。ディズニーと組んで啓蒙活動を行った事でも知られる。
「宇宙に行く為なら悪魔に魂を売り渡してもよいと思った」
-Maxime Faget マクシム・ファゲット(1921-2004) (日本語記事無し。代わりにスペースシャトルの項を記す)
現ベリーズで生まれアメリカで活躍した航空宇宙技術者。マーキュリーとスペースシャトルを設計し、更にジェミニ計画とアポロ計画にも寄与している。
「心理的なプレッシャーがアイデアを生み出す助けになる」
計8人
**陸上交通関係 [#k0ccdebe] -
Richard Trevithick リチャード・トレビシック(1771-1833)
イギリスの機械技術者。蒸気自動車、機関車の発明者であり、粘着走行を実証した人物である。ただ、レールの改良までは出来なかった為、実用化には至っていない。
「蒸気の力でペニダーレンからアバーサイノンの波止場まで、10トンの積荷を牽引する事に500ギニー賭けようではないか」彼のスポンサーとなったホムフリーの言
-George Stephenson ジョージ・スチーブンソン(1781-1848)
イギリスの機械技術者。蒸気自動車、トレビシックが開発した蒸気機関車を実用レベルまで改良した。特に世界初の旅客鉄道となった「ロケット号」の開発で名高い。
「われわれの目的は成功ではなく、失敗にたゆまずして進むことである」
-Gottlieb Daimler ゴッドリープ・ダイムラー(1834-1900)
ドイツの技術者。内燃機関と自動車開発のパイオニアであり、自動車用の4サイクルエンジンを開発。ベンツとの競争の中で自動車の進歩に多大な足跡を残した。
「最善か、無か」
-Karl Benz カール・ベンツ(1844-1929)
ドイツの技術者。世界で最初に実用的な自動車を開発している。またダイムラー・ベンツを創設した人間の一人でもある。
「いや、発明することの方が、発明したことよりもずっと面白いことだ」
-Rudolf Diesel ルドルフ・ディーゼル(1858-1913)
ドイツの技術者、発明家。その名の通りディーゼルエンジンを発明、実用化した。ちなみに最初期のそれは植物油を燃料としており、その意味でバイオエタノール技術を先取ったとも言える。
「発明と言われるものは常に実行された理念だけである。発明は決して純精神的な産物ではなく、理念と肉骨の世界との闘争の結果にすぎぬ」
-Ferdinand Porsche フェルディナンド・ポルシェ(1875-1951)
ドイツの自動車エンジニア。世界で一番売れた自動車「ビートル」や、F1マシンの原型「Pワーゲン」、更に傑作戦車「ティーガー」シリーズ等を開発している。(*2)
「ユーザーの立場で考えた場合、多少でも不利となりうる要素は決して採用すべきでない」
計6人
**水上交通関係 [#k0ccdebe] -
Robert Fulton ロバート・フルトン(1765-1815)
アメリカの技術者、発明家。蒸気船「クラーモント」で史上初めて風や潮汐に囚われない海上交通を現出させた。更に世界初の潜水艦「ノーチラス」や機雷の発明でも有名。
「甲板の下で湯を沸かして船を風上に走らせようと言うのかね?そんな法螺話に付き合う暇は無い」ナポレオン
-Christopher Cockerell クリストファー・コッカレル(1910-1999)
イングランドの技術者、発明家。ホバークラフトを発明、開発、実用化した。なお仮設の検証はドライヤーとブリキ缶で済んでしまったという。
「いずれホバークラフトは何処でも見られる物になる。捨て去ることなど出来るものか」
計2人
**情報通信関係 [#k0ccdebe] -
Johannes Gutenberg ヨハネス・グーテンベルグ(1398-1468)
ドイツ出身の金属加工職人。活版印刷技術の確立と史上始めて新旧訳聖書を印刷した事で知られる。ルネッサンス、宗教革命、科学革命の屋台骨となった人物である。
「彼なしには革命は起こらなかっただろう。彼は人類に知識を与えた」ナポレオンによる評
-Reginald Fessenden レジナルド・フェッセンデン(1886-1932)
カナダの発明家。「ラジオ放送の父」であり、世界初のラジオ放送を行いまた大西洋横断双方向通信を成功させた事が主な業績。他にもソナーや曳光弾、マイクロフィルム等の特許を獲得している。
「いざ聞け、御使い歌う 妙なる天つ御歌を めでたし、清し今宵」「さやかに星はきらめき」、世界初のラジオ放送
-William Shockley ウィリアム・ショックレー(1910-1989)
アメリカの物理学者。トランジスタの開発者である。人格には問題があったが周囲に与える影響も大きかったようで、彼と喧嘩別れした部下は後にインテルを創始する等して活躍している。
「我々はきわめてメカニカルな時代に生きている」
計3人
**建築関係 [#k0ccdebe] -
Jules Hardouin Mansart ジュール・アルドゥアン=マンサール(1646-1708)
フランスの建築家。後期バロック建設の第一人者で、フランス各地における様々な建築に関わったが、特にヴェルサイユ宮殿を大増築した事で知られる。(*3)
「水なき地に水を引く 貴族を従わせる 民衆の心をつかむ」ヴェルサイユ宮殿の噴水に込められた意図
-Antoni Gaudi アントニ・ガウディ(1852-1926)
カタルーニャ出身の建築家。モデルニスモの代表者で、自然への崇敬を表すかのような生物的な建築を得意とした。特にサグラダ・ファミリアを含む作品群が有名。
「美しい形は構造的に安定している。構造は自然から学ばなければならない」
-Lucio Costa ルシオ・コスタ(1902-1998)
フランス出身のブラジル人建築家、都市計画家。人類史上最速で世界遺産登録された近代都市ブラジリアを設計した人物である。
「ブラジルは、しかるべき時が到来した際には、必ずや偉大なる役割を果たす。この国の使命は決して平凡ではあるまい」
-Oscar Niemeyer オスカー・ニーマイヤー(1907-)
ブラジルの建築家。多数の建築物を設計しているが、特に国連本部ビルやブラジリアの主要建築物を設計した事で有名。ちなみに100歳を越えているがなお壮健のようである。
「私は、人間が生み出す硬直した直線的なラインには興味がない。私が魅せられるのは、自由に流れる感覚的な直線である。故郷の山々の稜線、うねる川の流れ、空に浮かぶ雲、そして私が愛して止まない女性の体の線に、私はそのような曲線を見いだす。曲線は全宇宙を構築する。アインシュタインの湾曲した宇宙を」
計4人
**その他 [#k0ccdebe] -
Ma Jun 馬鈞(200-?)
曹魏の発明家。自動車の原理にも通じる指南車を始めとした様々な機構を発明した。更に宮殿造営や兵器の改造にも関わっている。
「自分なら五倍の性能を持つ物が作れよう」諸葛亮の連弩を評して
-Alfred Nobel アルフレッド・ノーベル(1833-1896)
スウェーデン出身の化学者、実業家。ダイナマイトの発明とその実用化を成し遂げる。そして彼の遺産がノーベル賞として科学の発展に寄与する事になった。
「いうまでもなく、賞をあたえるうえで候補者の国籍はまったく関係がない」遺言からの抜粋
-Wilhelm Rontgen ヴィルヘルム・レントゲン(1845-1923)
ドイツの物理学者。X線の発見とX線写真の開発によって名声を博すが、本人は経済的利益には全く無関心だった。彼の技術は今日も医療や非破壊検査に用いられている。
「私は考えなかった。ただ探究した」
計3人
合計26人
**追加したい方がいればここにどうぞ [#k0ccdebe] -
Kallikrates カリクラテス(生没年不詳。BC5C後半) ※ 日本語記事無し。代わりに「パルテノン神殿」を記す
古代アテナイの建築家。ドーリア式建築の代表者である。アクロポリスのアテナ・ニケ神殿ほか多くの公共建築を手がけ、イクティノスを助けてパルテノンの造営にも携わった。
「その見事さにおいては当時でさえ古めかしかった。しかし、同時にその新鮮な活力において、今日でさえ真新しく建設されたばかりの如くである」プルタルコス
-Appius Claudius Caecus アッピウス・クラウディウス・カエクス(BC340-BC273)
共和制ローマの政治家。ローマ街道1号線であるアッピア街道、更にローマ初の上水道であるアッピア水道を建設した。解法奴隷の子に対するローマ市民権付与など、政治家としての業績も大きい。
「全ての道はローマに通ず」
-Vitruvius ウィトルウィウス(BC80?もしくは70?-BC25)
ローマ帝国初期の建築家、建築理論家。最古の建築理論書『建築十書(建築について)』の著者。この著作はカロリング・ルネッサンスによって再発見され、以降の建築に理論的指針を与えている。
「あらゆる建造空間は原始的な小屋から出発する(*4)」
-Isidoros イシドロス(生没年不詳。6C頃)
ビザンツ帝国の建築家。ビザンティン建築の最高傑作とされるアヤ・ソフィア大聖堂を建築した人物である。なお甥の小イシドロスも大聖堂の修復に関わり、今日に残るドームを設計している。
「ソロモンよ、余は汝に勝てり!」 ユスティニアヌス1世
-Donato Bramante ドナト・ブラマンテ(1444?-1514)
イタリアの建築家。全盛期のルネッサンス建築を代表する人物で、ローマの建築を再構成し古典様式を創出した。聖ペテロの殉教を祈念するテンピエットが代表作。
「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、私の天の父なのだ。私も言っておく。あなたはペトロ。私はこの岩の上に私の教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。私はあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる」 マタイの福音書16章
-Christopher Wren クリストファー・レン(1632-1723)
イギリス王室の建築家。セント・ポール大聖堂を修復する等、大火災を被ったロンドンを「再建法」に基づき再興させた人物。今日におけるロンドンの骨格は彼が作ったとみなされている。
「神の慈悲により王室の勤務に長い人生を費やし、世の中にいくらかその存在を知らしめて」遺言より
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Konstantin Thon コンスタンチン・トーン(1794-1881)
ロシアの建築家。ニコライ1世の希望に応えてビザンティン様式にロシアの民族性を組み込み、救世主ハリストス大聖堂(*5)やクレムリン等のロシアを代表する建築を手がけた。
「我らの意思に偉大なる祝福がもたらされるように。我らの意思が満たされるように。この大聖堂が幾世紀に渡ってこの地に立ち続けるように」アレクサンドル1世による救世主ハリストス大聖堂建築宣言より
-Frederick Law Olmsted フレデリック・ロー・オルムステッド(1822-1903)
アメリカの造園家、都市計画者。ニューヨークのセントラルパークやイエローストーン国立公園といった数々の公園の設計を手がけた、近代公園と国立公園の祖。
「私の仕事は風景をデザインする、あるいは風景を建築することだ」
-Auguste Perret オーギュスト・ペレ(1874-1954)
ベルギーに生まれフランスで活躍した建築家。「打ち放し」の鉄筋コンクリートと古典的な建築技法を融合させた「コンクリートの父」。またル・アーブルの再建を指導する等都市計画においても活躍。
「鉄筋コンクリートをそのまま剥き出しにしておく無鉄砲な主張が現代建築の革命を運命づけた」ル・コルビュジェ
-Jorn Utzon ヨーン・ウツソン(1918-2008)
デンマーク・コペンハーゲン出身の建築家。オーストラリアのシンボルであるシドニー・オペラハウスの画期的なデザインで高く評価されている。
「あれほどの妨害と批判にさらされたにもかかわらず、彼はたったひとつの建築が、国全体のイメージさえも変えられることを証明した」フランク・ゲーリー
-Guo Shoujing 郭守敬(1231-1316)
元の数学者、天文学者、水利技術者。アラビア天文学の技術を取り入れ独自に儀器を開発し、これを元に中国暦法の画期となる「授時暦」を作成した。運河の開削にも功績を上げている。
「郭太史は神人である。その言を聞かなかったのは失敗であった」 テムル・ハーン
-Urban ウルバン(?-1453?) ※ 日本語記事無し。代わりに「ウルバン砲」を記す
マジャール人の技術者。史上初の大砲とも目される「ウルバンの大筒」を設計、開発した大砲技師であり、コンスタンティノープル陥落に大きく貢献した。(*6)
「余にはコンスタンティノープルの城壁を吹き飛ばすのに十分な大きさの砲弾、ないしは石を発射できる大砲を鋳造する事が出来るであろうか? 余は彼らの力を知らぬというわけではない、どころか彼らの守りはバビロンのそれより固いのだ…」 メフメト二世の注文
「1453年5月29日 軍楽隊の響きと共にオスマン軍の総攻撃が迫った。難攻不落の城壁に対して、オスマン軍には最新鋭の武器があった。ハンガリー人技師ウルバンによって作られた大型の大砲である。ウルバンは当初はビザンチンに売り込んだが断られ、メフメト2世はその3倍の額を提示した。重さ500キロを超す鉄の球が城壁を打ち破った。…スルタンはわれらが町を手中に収めた」東ローマ皇帝の近従フランゼスの手記より -
Eli Whitney Jr. イーライ・ホイットニー(1765-1825)
アメリカの発明家。綿繰機、フライス盤を発明し、更に共通規格を成立させ銃器の大量生産を実現した事でフォードの先駆けと評価されている。
「発明というのは発明家を役立たずにする程に役立つものだ」
-Charles Babbage チャールズ・バベッジ(1791-1871)
イギリスの数学者。世界で初めてプログラム可能なコンピュータを設計した(*7)人物であり、更に経済学や暗号解読等にも業績を残している。
「ひとりの人間が死ぬとき、1と16分の1人の子供が生まれている」
-Joseph Henry ジョセフ・ヘンリー(1797-1878)
アメリカの発明家。電磁石の実用化、モーターの開発等の業績を上げるが、発明は人類の為にあるとの信念から特許は一切取得しなかった。スミソニアン協会の初代会長も務める。
「…かの遺言者が考えていたような知識は、独創的な研究によってのみ増加させられるのであり、それには忍耐強い思考と、手間がかかり、しばしば高額な費用を要する実験が必要とされます」 アリグザンダー・バッチへの手紙。スミソニアン研究所設立に寄せて
-John Browning ジョン・ブローニング(1855-1921)
アメリカの銃器設計家。レバーアクションやポンプアクション、更には機関銃を発明し、彼一人で銃の歴史を数世紀分進めてしまったと言われる。コルト・ガバメントやブローニングHP、M2の作者でもある。
「30日以内に作るからそのときは2万ドルほしい、そしてもし一日でも開発が遅れれば1セントもいらない」トーマス・G・ベネットに、新型ライフルの開発を約して
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Igor Sikorsky イーゴリ・シコールスキイ(1889-1972)
ロシアに生まれアメリカに亡命した飛行家、航空技術者。4発航空機やヘリコプターを実用化した人物である。特に今日においてこれ程ヘリコプターが普及したのは彼の設計があってこそである。
「ヘリコプターは空飛ぶ馬や魔法のじゅうたんのような人類古来の夢に最も近付いている乗り物である」