ヴァンフリート四=二基地攻防戦とは宇宙歴794年2月~5月にわたる対帝国防衛戦ヴァンフリート戦役のさなかに起こったヴァンフリート四=二基地をめぐる戦闘である。宇宙歴794年4月6日に起こった。

1 戦いの背景

 宇宙歴793年12月、同盟軍は臨時基地をヴァンフリート四=二に建設した。この戦闘の舞台となるヴァンフリート四=二基地である。この基地がこの場所に建設されたのは、同盟軍の勢力圏のはるか後方で、帝国軍が簡単にたどり着けるような場所ではないと考えられたためである。

 宇宙歴794年3月下旬、ヴァンフリート戦役が始まっても、この基地が戦場となる見込みは皆無と思われていた。(16話)

 同年3月27日、帝国軍一個艦隊襲来の警告が総司令部から届いた時には、こうした事情のため基地首脳部はパニックに陥った。
 同日、基地司令官シンクレア・セレブレッゼ中将は薔薇の騎士連隊長オットー・フランク・フォン・ヴァーンシャッフェ大佐に情報収集を命令。ヴァーンシャッフェ大佐は自ら偵察に出るも、行方不明となる。副隊長ワルター・フォン・シェーンコップ中佐が偵察隊の捜索に出る。(17話)
 同月31日、第二三陸戦遠征隊がヴァーンシャッフェ大佐及びシェーンコップ中佐を基地に収容。ヴァーンシャッフェ大佐は収容された病院内で死亡。

 基地首脳部は偵察隊から鹵獲された車両の情報により基地の存在が帝国軍に知られたと判断し、迎撃の準備を整えた。しかし、ヴァンフリート四=二基地では戦闘の可能性はないと判断されていたためか、基地所属人員のほとんどが戦闘訓練を受けておらず、戦闘要員はすべて連隊級や大隊級の雑多な部隊の集まりであった。しかも、これらの部隊を統一指揮する基地警備司令官及び警備副司令官は空席だった。

 やむなく、基地司令官セレブレッゼ中将が指揮を執ることになったものの、中将は戦闘指揮は全くの専門外である。同盟軍にとっては絶望的な状況で戦端が開かれた。


2 両軍の指導者・指揮官


3 戦いの経過

 四方を山で囲まれた四=二基地に繋がる崖に挟まれた狭い峡谷をふさぐ形で六か所の防御陣地が築かれた。なお、そのうちの一つを指揮するのが薔薇の騎士連隊隊長代理シェーンコップ中佐である。

 宇宙歴794年4月6日、午前6時22分、帝国軍の大部隊の到達が確認され、戦端が開かれた。同盟軍の防御陣地は、帝国軍陸上部隊の攻勢を三度にわたって跳ね返した。しかし、損害も大きく、消耗戦へと持ち込まれた。まもなくすべての防御陣地が突破され、帝国軍の四=二基地へ侵入を許す。


 基地司令官セレブレッゼ中将、指揮権を同副司令官ロペス少将に委譲する。

 同日、18時、基地司令部ビルに帝国軍の侵入を許す。

 18時30分、ロペス少将、Hブロックにエリヤ・フィリップス少佐率いる憲兵二個中隊及び薔薇の騎士一個小隊を援軍として送る。
 ロペス少将、CブロックとDブロックとEブロックの部隊配置を変更を試みるも、配置が完了する前に突破される。まもなく、地下指揮所が帝国軍の手に落ちる。

 フィリップス少佐率いる憲兵隊援軍が壊滅する。副隊長トラビ少佐の犠牲によって、フィリップス少佐は後退する。

 フィリップス少佐、Aブロックでセレブレッゼ中将の救出に成功。その際、薔薇の騎士連隊隊員、ロイシュナー軍曹、ハルバッハ伍長戦死。フィリップス少佐自身も重傷を負う。

 ライオネル・モートン少将を指揮官とする救援部隊、帝国軍への奇襲攻撃に成功。数千隻を撃沈し、撤退に追い込む。四=二基地は解放される。


4 結果及びその影響

 ヴァンフリート四=二基地攻防戦において同盟軍は勝利した。しかし、兵站基地としての機能は失われたも同然の大被害を被った。このため四=二基地は放棄されることが決まり、第五惑星第一〇衛星(ヴァンフリート五=一〇)の兵站基地が中央兵站総軍の新たな拠点となった。

 なお、ヴァンフリート戦役では兵站基地や通信基地めぐる地上戦が多数発生しており、ヴァンフリート四=二基地攻防戦もその中の一つである。
最終更新:2018年05月06日 20:56