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夕暮れの葡萄酒

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匿名ユーザー

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「だが、全滅したのは騎士団だけではない、という事実を、我々は付言したいと思う」
(ある異端審問官の報告書より)

「魔女どもの子どもたちを、我々はどう遇すれば良いのでしょうか? 子どもには罪はないのではないでしょうか?」
「確かに、本来生まれたばかりの子どもたちに罪はありません。彼らに慈悲を垂れるのは神の御心に沿った行いです。
 しかし、邪悪な魔女どもは、悪魔との契約に際し、自らの嬰児の魂を悪魔に捧げることを約しているのが常なのです。
 故に、魔女の子の魂は、生まれながらにして邪悪にとらわれています。
 彼らに対する慈悲は、彼らを一刻も早く滅ぼし、これ以上の罪を犯させないようにすることしかありません」

(教理問答集第187章-第6節。新聖歴18年、法王により追加された一連の命令の一つ)

 森の中のいつもの小径で、ミゲルはぎょっとしてたちすくんだ。

 両親の使いで、町までパンとワインを買いに行った帰り、暗くなる前に家に帰り着こうと道を急ぐ途中だった。

 森で洞鹿や毛長リスの毛皮をとって暮らしている両親は、毛皮商人のイゼルフとの交渉にミゲルを行かせる事は決してなかったが、パンを買うのはいつもミゲルにやらせるのだった。
 素直なミゲルをパン屋のおかみさんは気に入ってくれていて、いつもおまけをしてくれるからだった。
 (イゼルフとて、彼なりの意味でミゲルを気に入っていたかも知れないのだが)
 あるいは、おかみさんは自分の死んだ息子の影を彼に見ているのかも知れないが、十になったばかりのミゲルにはそこまでは思いつかなかった。
 (彼の両親は思い至っていたかも知れないが)

 残念ながら、今日はおかみさんはおまけはしてくれなかった。
 なんでも、近くに騎士団がやってきている関係で、食料品が軒並み品薄になっているのだという。
 両親に叱られはしないか、と、心配してここまで歩いてきたミゲルだが、今やそんなことは吹き飛んでしまった。

 道ばたの雪の中に、ぼろをまとった一人の少女が倒れている。

 年の頃は12、3といったところか。
 雪のように白い肌と、金色の髪が、彼女がこの辺りの者ではないことを表していた。
 (集団入植の関係で、ミゲルたちの町の者は、みな黒か褐色の髪をしていた)

 死んでいるのか、と思いどきりとしたが、汚れた布に包まれた上半身をよく見ると、胸がかすかに上下している。
 ほっとしたものの、もうすぐ日も暮れる。このままではきっと凍え死んでしまう。
 辺りを見回すが、近くには助けを求められる誰の姿もない。
 誰かを呼びに行く時間もあるかどうか。

「あ、あの」
 声をかけるが返事はない。
 おずおずと肩を揺すると、う、と、かすかにうめき声をもらしたが、やはり目を覚ます気配はなく、その体の冷たさにミゲルは驚いた。

 気付けには強い酒だ、と聞いたことがあるのを思い出し、あわてて荷物の中からワインの革袋を取りだす。
 栓を抜き、少女の口に差し入れた。
 ワインが強い酒なのかどうかミゲルにはわからなかったが、とにかく他の持ち合わせがない。

 ワインは半分方その口元からこぼれてしまい、降ったばかりの真っ白な雪が赤く染まる。
 だが、確かに幾分かは彼女の喉の奥に流れ込んでいくようだった。

 そうこうするうち、少女の白い肌に赤みが差し、やがて、ちいさな咳と共に、彼女は細く目を開いた。
青い瞳だった。

 次の瞬間、意識を取り戻した少女は、雪の上に座ったままびくりと後ずさった。ミゲルも驚いた。
 彼女は、警戒した表情で、
「あ・・・・・・あなたは?」

「え・・・・・・あの。 僕、ミゲルっていいます。 この先の、猟師小屋の」
 手に、ぽたぽたワインの垂れる革袋を持ったまま。
「父さんから買い物を頼まれて、町から帰る途中、あなたを見つけたものだから。それで・・・・・・」

 言葉の内容よりも、ミゲルの狼狽した口調に緊張をほぐされたのか、少女はほっと吐息をつき、肩の力を抜いた。
「・・・・・・ありがとう。 私を助けてくれたのね」
 そしてまた、こほこほと小さく咳をした。

 少女はエリザと名乗った。
 雪の上から立ち上がるが、足がふらつき、倒木の上に座り込む。
 そして、「どうしてこんなところに?」という、ミゲルの問いに、しばらく暗い表情で黙り込んだ後、ぽつりぽつりと話し始めた。
 もう何日前のことになるのか。彼女の住む村が、武装した男たちに襲われたのだという。
 賊は、村に大切に祀られていた宝物の数々を奪ったが、ただ奪うだけに飽き足らなかった。
 村人がつつましく暮らすだけの民家が次々と焼き払われ、飛び出してきた住人たちは片端から斬り殺された。
 エリザの母も、彼女を裏口から逃がすために男たちの注意を引きつけ、犠牲となった。

「・・・・・・ひどいものだったわ。 ・・・・・・最後に私が振り返った時、祭祀長の家が燃えて崩れ落ちていくのが見えた。その中から、たくさんの村の人たちの悲鳴が・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
 幼いミゲルは言葉を失った。
 大人たちから、ミゲルが生まれる前の戦争について聞くこともあったが、それは遠い世界の出来事でしかなかった。
 (町の大人たちにしたところで、戦争が終わってから大陸から移民してきた人々であって、戦争を直に経験したわけではないのだ)

 エリザは咳き込んだ。胸をおさえる。
「だ、だいじょうぶ?」
「ええ・・・・・・。ありがとう」
 エリザは言うが、その声はやや苦しげだった。
「あの。 ・・・・・・ぼくの家まで一緒に来たら? 温かいし、父さんならきっとちゃんとした手当もできるよ。 ・・・・・・あ、ぼくの上着、貸してあげる」
「ううん。 ・・・・・・ありがとう。 でも、もう、時間がないから。 ・・・・・・ごめんね」
「え?」
 青い目がミゲルをじっと見つめた。
「私、母さんを殺した連中を許せない。 ・・・・・・仇をとりたいの」
「う・・・・・・うん。 でも・・・・・・」
 ミゲルは気圧された。
「ミゲル君。 手伝ってくれる?」
「あの・・・・・・、うん。 でも、何・・・・・・」
 ミゲルはぞくりとした。彼女の言葉や、自分が引き受けようとしている事の重大さにではなく、エリザのまなざしに。
 それは、もう何か動かしがたい決定をしてしまった目、農夫が屠殺することに決めた家畜を見るような、わずかな同情と罪悪感を孕んだ非情な目だった。

「・・・・・・お願い」
「あ・・・・・・うん。 ・・・・・・でも、とにかく家に・・・・・・」
「ありがとう・・・・・・」
 言うやいなや、エリザはついと立ち上がると、腰をかがめるようにして、ミゲルを抱きすくめた。
 背中に指が食い込む感触。
「うわ、え、あの・・・・・・何?」
 耳元で、エリザがぼそぼそと何かつぶやいている。はっきりとは聞き取れないが、聞き慣れない響き。
「な、何? え? あの・・・・・・」
 す、っと腕を解いたエリザが、今度は両の手のひらでミゲルの頭を挟むように持った。
 白い、氷のように冷え切った指が、頬に触れる。
 少女は、青い瞳でミゲルの目をじっ、と見つめた後、ゆっくりとその唇をミゲルのそれに近づけた。

「う、あ、あの・・・・・・、っ!!」
 突如、ミゲルは声にならない叫びを上げた。
 少女の薄い唇が、自分の唇に触れるか触れないか、というところで、突然、自分の口腔にざわざわと波立つような感触が湧き起こったからだ。
 その波は、ぴりぴりとしびれるような痛むような感覚を伴いながら、すぐさま脳の奥へと広がり、喉を伝い、胸へ・・・・・・心臓へと駆け下りていく。
「あ、あ・・・・・・、うああっ」
 目の前が暗くなる。
 足元がぐるぐると回るように感じられる。
 そして、意識が遠のく。

(ごめんね)
 遠く、声を聞いたように感じたのを最後に、少年は意識を失った。

「・・・・・・あれ?」
 ふと、少年は自分が歩いていることを発見した。
 空には星が瞬き始め、前方には、町の家々の煙突から出る夕餉の煙が見えている。
「え、と? 何しに来たんだっけ?」
 両親に頼まれて買い物に来たのだったような気もする。
 そこで、自分が荷物を持っていることに気付き、手を見ると、口の開いた革袋から、ワインがぽたぽたとしたたっている。
 背中の荷袋には、パンが入っているようだ。
「えーと。・・・・・・そうか」
 買い物の帰りにワインをこぼしてしまって、もう一度買いに来たのだった。
 少年は、何かにせっつかれるように感じながら、パン屋へと向かうことにした。

 そこでふと、口の周りが妙にごわごわすることに気付き、手でぬぐう。
 見た。
「・・・・・・血?」
 喉の奥がぴりぴりとしびれ、ミゲルはこほこほと咳をした。

 森の中の小径は、もう深い宵闇に閉ざされようとしていた。
 木々の間をわずかに抜けてくる月明かりの中、降ったばかりの真っ白な雪が、赤く染まっている。

 雪の上に膝をつき、激しく咳き込む少女。
 ごぼり、と音がして、血の塊がはき出された。
 腕で体を支えきれず、自分の血に染まった雪の上に倒れ込む。

「・・・・・・母さん、母さん。 あたし、よくやったよね・・・・・・」
 彼女の未熟な技術と肉体では、あれほど高度な術式を長時間にわたって保持するのは不可能事に近かったと言ってよい。
 まして、それを行使することが、どれほどの負担になるか。
 彼女の生命は、今や燃え尽きようとしていた。
 血の臭いも、身を切るような雪の冷たさも、全てが心地よい曖昧な感覚へと変化してゆく。
「・・・・・・もう・・・・・・終わったよ・・・・・・みんな・・・・・・きっと・・・・・・がんばったよ・・・・・・」
 徐々に意識が混濁し、その独白はうわごとのようになっていく。

「ごめん・・・・・・ごめんね・・・・・・」
 最後に自分がそうつぶやいたとき、彼女自身それにぼんやりとしか気付かなかった。

 新聖歴17年、魔女掃討任務にあたっていた光槍騎士団は、任務終了後、帰還途上の野営地にて壊滅。
 後に言う「血の葡萄酒」事件である。

 ある日を境に、団長以下団員が次々と昏睡状態に陥り、騎士団全体での行軍が困難になる。
 騎士団は聖都への帰還を遅らせ、原因を究明することを余儀なくされた。

 意識を失った団員に共通しているのが、近くの町のパン屋から仕入れたワインを飲んでいたことであるのを突き止めた時、野営地に<悪魔>が侵入。
 同時に、昏睡状態にあった団員たちが活動を開始。幼い少年の姿をした<悪魔>の命令に従い、他の団員に襲いかかった。

 最終的に、聖都から派遣された異端審問官の放った第一種封印弾により、<悪魔>は正気を保ったままの騎士数名と共に葬られた。
 光槍騎士団の生存者は、聖都への伝令を含め25名。
 うち18名は、<悪魔>に操られていた団員で、<悪魔>が滅びると共に再び意識を失い、その後目覚めることはなかった。
 事実上の騎士団全滅である。

 パン屋夫婦の尋問や、神託院の託宣に基づく異端審問官の調査により、事件の全貌が解明されたのは、事件の一ヶ月後であった。
 一連の事件を引き起こしたのは、直前に光槍騎士団が征伐した魔女の里の生き残りであった。
 それがわずか12歳の少女であったことが、法王庁に衝撃を与える。

 それまで、魔女の関係者であれば老若男女問わず処刑の対象とする騎士団の姿勢には疑義を呈する声も少なくなかったが、この事件以後、法王庁上層部において穏健派は力を失い、幼児といえども処断すべし、という意見が大勢を占めるようになる。
 これが、翌年の教理問答集第187-6の記述に影響を与えたことは否定できない。

 新聖歴18年。この後、「時越えの」アニエスらの奮闘により、「魔女狩り」が沈静化するまで、なお20年以上の歳月が必要とされた。

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