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銀嶺の友

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◇銀嶺の友

新聖歴1年、冬。
半島南部・北辰峰の麓の集落にて記す。


(鳳凰騎士団輜重隊長・ピラーの手記)

 締め切られた重い窓がごとごとと揺れ、石の壁越しにも、戸外で風が猛り狂う音が聞こえる。
 
 隊員たちは、みな無言だ。
 薄暗い厩舎の中で、ある者は剣を研ぎ、ある者は荷の点検をしている。
 
 漂う暗い雰囲気は、何日も厩舎で寝泊まりしたからではない。
 野宿くらい我々は慣れたものだ。風雪をしのげるだけでもありがたい。
 
 副隊長のキリーがやって来た。敬礼して、
「隊長。補給物資には異常ありません。濡れてだめになったものもないようです」
「ああ。ご苦労」
 言葉と裏腹に、奴の表情もさえない。
「ルークの怪我も、大したことはありません。行軍に支障はないでしょう。あとは、吹雪さえ止めば……」
「わかっている」
「……差し出がましいこと、申し訳ありません」
「いや……すまん」
 
 我々は焦っていた。
 
 我々、輜重大隊が吹雪で原地民の村に足止めされ、すでに三日。
 
 今頃、前線では、我が鳳凰騎士団の戦士たちが、巨人を信奉する異国の兵たちと刃を交えているはずだ。
 
 異教の兵士たちは強い。
 そのことは、これまでの戦いで誰もが痛感してきたことだ。
 
 祖国の司祭どもは、「正しき信仰は百万の剣にも匹敵する」などと寝言をほざいたが、所詮我々の手は二本。胸に百万の剣があったところで、実際に振るい得るのは結局のところ使い慣れた愛剣だけだ。
 そして、いかに精強を誇る我ら鳳凰騎士団とはいえ、満足な補給なしに戦い続けることは難しい。
 
 慣れぬ寒さのなか、すでに前線の食料は心許なくなっているはずだ。
 すぐに飢えることはないにせよ、糧食が残り少ない、というだけでも士気は衰える。
 急がねばならない。
 しかし、この吹雪がやまぬ事には、到底あの雪原を越えることなどままならない。
 
 私は、この村に着いた時に見た遙かな雪原と、それを見下ろすようにそびえる輝く峰々を思った。
 ……この雪嵐の中では、峰はおろか数歩先を見通すことも出来まいが。
 
 ……と、獣糞の臭いがよどんでいた我々の周囲を、新鮮な、だが刺すように冷たい雪混じりの風が吹き過ぎた。
 厩舎の入り口を見ると、我々にこの厩舎を提供してくれた、原地民の村長が入ってくるところだった。
 ひげを蓄えた村長は、その後ろに、初めて見る村人を二人連れている。
 分厚い毛皮の防寒着を着込んでいるが、一人は、枯れ木のようにやせた老婆であることが見て取れる。
 もう一人は、これとは対照的に、まだ幼さの残る少女だった。
 
 奇妙なのは、その二人ともが、顔に不可思議な紋様を書き込んでいることだった。
 赤と黒の線が渦を巻き、絡み合うような紋様が顔全体を覆い、対照的な二人をなにやら似通った印象に仕立て上げている。
 
「失礼」
村長が口を開いた。
「皆さんは、この先、白夜雪原を越えて北へ行かれるのでしたな?」
「ああ、その通りだが……。しかし、この吹雪がやまぬことには……」
 早く厩舎を明け渡して立ち退けとでも言うのか、と一瞬警戒したが、村長は私の言葉に深くうなずいた。
 そして、
「わかっております。 そこで、昨日、村の者に使いに行かせ、精霊の里から魔女の方々をお呼びしたのです」
 と言って、赤黒模様の二人を指し示した。
 
 もったいぶった村長の言葉だったが、聞く我々は要領を得ず、どう対応していいのか困惑した。
「……魔女?」
「……ご存じないのですな、異郷の方」
 私のつぶやきに答えたのは、枯れ木のような老婆だった。
 
「我ら魔女は、精霊の声を聞き、精霊を友とする者たちです。精霊と語り、精霊の声を皆に伝えるのが務め。
……この雪嵐は、我等の友なる北辰峰の精霊が送ってよこしたものです。
本来ならば、精霊たちの思うままにしておくのですが……。
しかし、あなた方はお急ぎとのことですし、村の者が言うには、昨日村を襲った雪狼の群れから、村を救われたとのこと」
「ああ……」
 
 確かに、昨日、我々は十数頭の白い狼と戦い、その数頭をしとめた。
 白昼堂々と人里を襲う狼とは意外だったが、先の見えぬ雪嵐の中での戦いは、闇夜以上に厄介だとすぐに気付かされた。
 雪色の毛並みで音もなく駆け回り、時には雪の中に潜り、吹雪の中背後から襲い来る獣。
 本来野獣ごときに後れを取るはずのない我々が、奴ら相手に負傷者を一名出したのは、決して油断したからではない。
 
「精霊が我らの友であるように、村のものも我らの友。そのお礼も、せねばなりますまい。……異教の者は感謝を知らぬ、と思われては心外ですゆえ」
「いや……。そのような」
「いえ。……アウラ」
「はい、ばば様」
アウラと呼ばれた娘は、老婆の手招きに応じて進み出ると、肩の傷を止血して横になっているルークの傍らに歩み寄った。
「な、なんだ?」
「……すこし、我慢して下さいね」
言って、手袋を外し、するするとルークの包帯をとくと、まだ血の色も生々しい傷口に、懐から取り出した深緑色の薬をそっと塗り始めた。
私は、彼女らの指先にまで紋様が描かれていることを知った。
傷に触れられたルークがかすかにうめく。
「その薬草は、北辰峰でアウラが採ったもの。塗った者の傷を疾く癒すよう、精霊に願ってあります」
言って、老婆は私に向き直った。
「さて。……異郷の方。あなたが、この中の長とお見受け致します」
「ああ。そうだが」
「では、この婆と外に来てくだされ。精霊に、あなたを紹介せねば」

外は、一寸先も見えぬ吹雪である。
私は一瞬ためらったが、アウラという娘も、村長も、それが当然という目で私を見ている。
それに、隊の連中も、私がどうなるのか興味津々といった風情だ。

「……わかった。この嵐が止むならなんでもするさ」
構うまい。やって損になるものでもあるまい。

外は、全くひどい地吹雪だった。
厩舎のすぐ前の広場のはずなのに、ごうごうと大気中を吹き荒れる雪のせいで厩舎が見えない。
というより、うっかり目も開けられない。
たたきつける雪で、冷たいと言うより痛いよう。
うっかり息をしようと口を開けると、雪でおぼれてしまうような状態だ。

だが、その中で、老婆は私に「あちらを向いて立っていなされ」と指示すると、ゆっくりとした踊りのような動作をしながら、歌を歌い始めた。
全く意味のわからぬ、異国の言葉。
この細い体のどこから、というような、朗々たる声だ。
おそらく、精霊とやらに語りかける歌なのだろう。

ふと、歌がもう一つ聞こえることに気付き、思わずそちらを向くと、いつの間に厩舎を出てきたのか、アウラも同じようにゆっくりと舞いながら歌っていた。
顔や手に描かれた赤と黒の紋様が、白い世界の中で揺らめく。

私は、吹き荒れる雪嵐の中、二人の不可思議な歌と踊りをしばらく呆然と見ていた。

自分の手足が凍えるように冷たくなっているのに気付いたのは、厩舎に戻ってからだった。
「魔女」だという二人は、「精霊への紹介」とやらが終わると、村長とともに帰って行った。

私は、かちかちと鳴る奥歯を抑えようと苦労しながら、「従軍司祭」ベックに聞いた。
奴は、本当は司祭でもなんでもないが、隊員の中で唯一神学校を出ているのでこう呼ばれている。

「なあ、司祭。実際のところ、『精霊』なんているのか。聖典からするとどうなんだ?」
「さあ……」
ベックは歯切れが悪かった。
「山の精霊、なんてのは、聖典には出てきませんね。 
ただ、『人間一人一人、草木の一本一本にさえ、守護天使がついている』……って主張した神学者がいたと思います。
だとすると、『山の精霊』ってのも、そのことだと言えなくはないかも……。
と言っても、その話は神学校では詳しくやりませんでしたから、あまり一般的な説じゃないんだと思いますけど……」
ふん。私は鼻を鳴らした。
「まあ、なんでもいいさ。この嵐が止むなら、天使だろうと精霊だろうとありがたい話だ」

正直に言うと……いや、言うまでもないだろうが、私はそんなこと信じていなかった。

だから、翌朝、空が真っ青に晴れ上がっているのを見た時には、呆然とした。
私だけじゃない。隊の全員がだ。

それに輪をかけたのは、ルークの奴だった。
包帯を取り替えるために外してみたら、傷はほとんどふさがって、かすかな桃色の痕になっていた。

「……驚いたな」

ともかく、精霊とやらの気が変わらないうちに出発するに越したことはない。
我々は大急ぎで荷物をまとめ、馬に背負わせ、移動の準備を始めた。

そして、あわただしい準備もほぼ終わり、簡易寝所に改造した厩舎内を元に戻す作業をしていた時だ。

また、厩舎内に風が吹き込んだ。

「みなさん、ごきげんよう」
赤と黒の紋様の魔女、アウラだった。

「あ……ああ。昨日は世話になった。……おかげで出発できそうだ。ありがとう」
私が礼を言うと、彼女はそれには答えず、
「ばば様は、庵でお休みです。それゆえ、私がばば様よりことづてを預かって参りました」
「言伝て?」
アウラは、毛皮のフードの中でゆっくりとうなずき、
「はい。……『精霊は、あなたがたを気に入られた。安心されるが良い。ただし、あなたの友人方は、その限りではないので注意されよ』……と」
私をじっと見つめて言った。
「友人……?」
「私はまだ修行の身。精霊の言葉をそのままお伝えするのみです。……どうか、お気をつけて」
「ああ……ありがとう」

こうして、我々は、3日の遅れで前線へと向かった。
その後、白夜雪原を越える間、天候は信じられないほど平穏で、行軍は極めて順調だった。おかげで、雪原を越える頃には遅れは2日になっていた。

そしてその間、私は、自分たちが誰かに見られているような気がしてならなかった。
敵意はないが、じっと監視しているような視線。
それを感じたのは私だけではなく、野営の天幕で、我々はそのことを時折話し合った。
視線を感じるのは、我々が雪原へと向かう時、村が地平線の向こうに消えるまで、じっと我々を見送っていたアウラのことが心に残っていたからだろうか?
それとも、精霊について聞いた話が、我々の心を惑わしているのだろうか。
それとも、本当に、あの銀の峰から、我々を見下ろしている何者かがいるのだろうか。

……今にして、神が我らを見守っているのだ、と主張する奴が一人もいなかったのが思い出されるのだ。

~輜重部隊のピラー隊長が、この手記にある出来事を経験していた頃、前線の鳳凰騎士団は、<巨神>を有する王国軍と激戦を繰り広げていた。
そして彼らは、最終的に、多大な損害を受けつつも<巨神>を撃破し、「角笛砦」を陥落させることに成功している。
だが、当時の法王庁軍の拠点、港湾都市ニュートライベルへの凱旋の途上、白夜雪原で猛烈な吹雪に遭遇し、大半が遭難した。

このとき、再度の補給任務のために本隊を離れていた輜重大隊だけが無傷で残り、後に聖火騎士団に再編成された。

なお、本隊のうちでわずかに帰還した騎士と従者らは、「白い狼に襲われて馬を失い、行軍できなくなった」と証言している。

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