2-10「ニールとクオン」
闘技場から選手専用の控え室へと通じる地下通路の空気は、ひんやりと冷たかったが、背後からは、先ほど終了したばかりの試合の余韻に浸る観客たちの放つ歓声と熱気が流れてくる。
一流の武技による応酬も、上級アーティファクトの発動も、本物の‘殺し合い’すら見慣れた観客たちだからこそ、先ほどの試合は見ごたえがあったのだろう。
何しろ半年振りに開催された変則四人対戦試合であり、賭け率は通常の五倍。
それも参加者が、‘蒼狼’ザムス、‘三つ腕の’ヴァンケルト、‘ファーオル伯の四騎士’の一人、ジョアン・スミス、そして 闘技場ランキングを試合の度に‘一桁飛ばし’で上げているニールとなれば、地下闘技場の熱気は最高潮まで上昇した。
「惨めな姿ね」
「誰だ、お前は?」
地下通路で待ち受けていた黒髪の女から投げられた侮蔑交じりの言葉に、ニールは僅かに視線を動かした。
武器の所有は腰帯に下げたナイフだけのようだが、軽装の胸当てに、動きやすさを重視した皮服、そして不要な力を一切排除した佇まいから判断すると、この黒髪の女も地下闘技場の競技者なのだろう。
しかし、二百名以上に上る地下闘技場の参加者全てと面識がある訳ではない。
気安く話しかけられる覚えは無い。
「‘蒼狼’の爪は回避するのが精一杯、ヴァンケルトの‘三つ腕’は二度くらい、ジョアン・スミスに至っては、所有していた武器性能の差で命拾い」
黒髪の女が、自分の質問に答えるつもりはないと判断すると、ニールは控え室に向かって足を進める。
今は早く控え室へと入りたかった。
「その結果が、今のあなたの姿にそのまま反映されているわ。・・・惨めなものね」
女の冷笑が、ニールに降りかかる。
確かに女の言うとおりだ。
全身に負った裂傷は筋繊維を深く抉り、‘三つ腕’による打撲は内臓まで衝撃を与え、所有アーティファクトの強制使用により、利き腕の靭帯は伸びきっている。
「だが・・・」
女の脇を通り抜ける際、ニールは‘結果’を告げた。
「勝ったのは、俺だ」
「くっ!」
そのまま、通りすぎるニールの言葉に、女の肌が紅潮する。
「いい気にならないことね。その程度の腕で、エンデミオン様を狙うなんて問題外もいいところだわ!」
女が叫んだ言葉は、ニールの足を止めるのには十分な効果だった。
「・・・なんだと」
「どんなにアーティファクトを使いこなしても、‘あの方’には絶対に勝てない。勝てない理由があるのよ」
振り返ったニールが見たのは、女の勝ち誇った、そして絶対の自信に溢れた笑みであった。
「貴様、‘アイツ’の秘密を・・・、ぐっ!!」
突如として、ニールは腹部に不可視の重い一撃を受け、地下通路に崩れ落ちる。
女がアーティファクトを使用した気配は無かった。
何だ、何をした?
「‘蒼狼’あたりで手を拱いている分際で、エンデミオン様を‘アイツ’呼ばわり?」
近づいた女は、ニールの長髪を掴むと、強引に顔を向かせる。
その眼前に、鋭く光るナイフの先端が向けられた。
「二度と生意気な口が利けなくなるように、舌を切り落としてあげましょうか?」
そして、銀光がニールに迫り、力強い拳に掴まれた。
「やめなよ。・・・‘奏別者’エリュンシェルは、上位ランカーでありながら、闇討ちをするほど恥知らずなのかい?」
「・・・‘隻腕の’クォン。あなたには関係の無いことよ。出しゃばる必要はないわ」
突如現れた赤毛の女闘士に邪魔をされ、エリュンシェルと呼ばれた黒髪の女は不機嫌に顔をしかめた。
対してクォンは、鼻の先で笑う。
「へえ。こんな姑息な手段でなければ、ニールに勝つ自信がないのかい?」
「なにっ?」
「それとも、暴れる相手が欲しいだけなら・・・」
クォンの隻腕が、ナイフを押し戻す。
「・・・あたしが相手になってやるよ」
「・・・フン」
エリュンシェルは舌打ちをすると、ナイフを鞘へと収めた。
「近いうちに、貴方たちとは格が違うことを証明してあげるわ。・・・闘技場でね」
短い呟きを残し、エリュンシェルは、地下通路の奥へと消えた。
「・・・借りが、出来たようだな」
ニールは差し出されたクォンの隻腕を握り、立ち上がる。
「違うよ、その逆。返しただけさ」
「返した?」
聞き返したニールに、クォンは鼻の頭を掻きながら答えた。
「この間、あたしが巻き込まれたイカサマ試合のさ」
「生憎、何の話をしているのか理解できないが・・・」
「とぼけなくてもいいよ。ラシルが全部教えてくれた」
「・・・」
「アントレ伯が抑えた貴賓室から妨害を仕掛けてきた錬金術師、乗り込んだあんたが倒してくれたんだってね。あの時は足場の砂が絡み付いてね、いつもの半分も動けなかった。術が解けなければ、あたしはイルボーニの野郎に腹に風穴開けられていたよ」
「・・・礼を言われる筋合いはない。俺もあんたに賭けていたからな。アントレ伯に不正を働かれては大損だった」
「そんな事だろうと思ったよ」
今度は、クォンははっきりと笑った。
屈託の無い、子供のような笑みの後、真顔を作る。
「すまなかったね。前に‘ルジン=ルシールの店’で‘臆病者’なんて言っちゃってさ。・・・今日の四人対戦も見させてもらった。あんたは立派な剣士だよ」
クオンの言葉に、ニールは僅かに唇の端を緩めた。
地下闘技場ランカー一位の男、ヴァイス・エンデミオンに復讐を誓って以来、強さだけを追い求め、戦いの毎日だった。
相手を傷つけ、命すら奪う戦いの日々は、自分に‘強さ’以外は得る資格がないと思っていた。
「だが・・・」
この戦いと欲望の坩堝とも言える地下闘技場で、吹けば飛ぶような、感傷とも呼べる信頼を得ることが出来るとは。
「!!」
突如、激痛がニールを襲った。
先ほどの不可視の衝撃とは全く別だ。
脳幹の中枢が焼けるような痛みだ。
「どうした、大丈夫かい!?」
左腕で顔面を押さえたニールに対しクォンは身を屈め、覗き込む。
「今、医者を呼んでくるよ!・・・畜生、あのエロジジイ、いつもフラフラしているんだから!」
「問題ない、大丈夫だ」
地下通路を走りだそうとしたクォンを、制する。
ニールには分かっていた。
この痛みは外傷によるものではない。
‘薬’が切れかかっているのだ。
顎を伝わる脂汗を拭うと、ニールは立ち上がる。
「少し眩暈がしただけだ。・・・休息をとれば回復する」
控え室に向かうニールの頼りない足取りを、クォンの隻腕が支える。
クォンには話すべきことなのかもしれない。
エリュンシェルが口にした‘ヴァイス・エンデミオンに絶対に勝てない理由’も気にかかる。
だが、今は控え室に向かうことが先決だ。
控え室には‘薬’が置いてある。
>つづく