‘店’を持つ身でありながら、レジュリアの元に訪れる‘客’は少ない。
多い日で、一日に数人。
少なければ一ヶ月で数人という時もある。
それでもレジュリアの店が安定した営業ができるのは、信頼と実績に裏付けた高い単価があるからだ。
もともとレジュリアは、仕事は暇なぐらいが調度いいと考えている。
仕事を覚えた十代前半から働き詰めだった。
特に目標は持っていなかったが、同期の誰よりも働いた。
当時所属していた‘店’が潰れ、自分で‘店’を持ったのは二十代の初め。
初めの五年間はトラブルも多かったが、ここ数年は‘店’の経営は安定している。
残り少ない二十代の時間は、こうして本でも読みながら過ごしているくらいで調度いい。
漆喰で固められた壁の西窓から差し込む午後の緩やかな日差しが、本を片手に紅茶を口元に運ぶレジュリアの緩やかな金髪にまどろむ。
手にした本は人気作家の最新作だ。
レジュリアの時間はゆっくりと流れていく。
その時間の流れは無粋なノックと共に破られた。
「お客様がお見えです」
‘店番’であるノルドの硬質な声が響く。
ノルドが一声かけるという事は、今日の‘客’は正規の手続きを踏んでいるが、‘注意が必要な客’と言う事だ。
通常の‘客’ならば、‘客’を直接この部屋に通す。
「空いているわよ」
レジュリアは本にしおりを挟むと、机の引き出しから小さな手帳を取り出す。
‘注意が必要な客’とは、久しぶりだ。
レジュリアの頭が、十代の‘現役’の頃に切り替わる。
「こちらです。・・・お入り下さい」
樫の扉が開くと、ノルドが頭を下げ‘客’を中に入れた。
いつもより、僅かに頭を深く下げたその姿勢に、ノルドが緊張しているのが分かる。
‘店番’を任せて三年になるノルドがここまで緊張するのは、珍しい。
「あら、久しぶりね」
‘客’を前にしたレジュリアの顔に笑みが広がる。
黒いコートに細身の体。
一挙一同足には、僅かな隙も無い。
細いフレームの眼鏡の奥には、鋭い眼光を放つ眼があった。
獲物を決して逃がさない猛禽類の眼だ。
場数を踏んでいるノルドと言えども、威圧されるのは無理もない。
なにしろ、相手は・・・。
「久しぶりね。ライナス・バルグ司祭。直接この店に来るのは七年ぶりかしら?」
法王庁異端審議局第八課課長ライナス・バルグ。
‘法王庁の鉄翼鷹’の異名を持つ、‘異端審問のプロ中のプロ’だ。
レジュリアが片手で、‘下がっていい’の合図をノルドに送る。
ライナスの動きを警戒していたノルドは、僅かに安堵の表様を浮かべると、一礼して扉を閉めた。
「いつものように‘茶封筒’をよこしてくれればいいのに」
椅子に腰掛けたライナスにレジェリアは声を掛けた。
ライナスはこの‘店’の数少ない常連だが、商売はこの七年間常に文書で行われていた。
ライナスがこの場所に足を運んだのは、ただ一度。
七年前に、レジェリアが‘店’を立ち上げた時以来だ。
「‘夜に鳴く雄鶏’が必要だ」
椅子に座るなり切り出したライナスの言葉にレジェリアは苦笑を浮かべる。
挨拶や懐かしむ表情を期待した訳ではないが、前置きなしの仕事の話はある意味ライナスらしい。
「もちろん揃えてあるわよ。どのような‘雄鶏’が必要かしら?」
「条件は三つ、‘色花’に詳しく、‘灰鳥拾い’に適し、明日の朝までに調達できる‘雄鶏’だ」
「それだけかしら?‘兜割り’は必要ないかしら?」
「それだけだ」
ライナスは七年のブランクを感じさせず、‘符丁’を間違えることなく合わせた。
レジェリアの‘店’は暗殺者ギルド。
レジェリアは‘赤の眼’の二名を持つギルドマスター。
取り扱う‘夜に鳴く雄鶏’は暗殺者。
ライナスが希望した人材は、毒物に詳しく、侵入調査に適し、直接戦闘力の有無を問わない人材だ。
ライナスは取り出した皮袋をレジェリアの机の上に置く。
受け取ったレジェリアの掌が、皮袋越しの感触で金貨の枚数を正確に数えた後、机に戻した。
交渉成立だ。
「それにしてもよ」
来客用のカップに紅茶を注ぎながら、レジェリアは言った。
「仕事依頼なら、いつも通り‘茶封筒’を届ければいいのに。・・・‘法王庁の鉄翼鷹’が放つ空気は別格だから、ウチの若手達が警戒しすぎてしまうわ」
「たまには足を運ばないと、酒好き旧友がいつ飲みすぎて死んでしまうか分からないからな」
カップを受け取ったライナスが淡々と答える。
この男がここまで軽口を叩くとは珍しい。
というか記憶にない。
「最近はお酒はたまに飲む程度よ。ようやく味わう醍醐味を覚えてきたところ」
レジェリアも自分のカップに手を伸ばす。
「だろうな。崩壊した‘蜘蛛の網’残党を吸収した後では、さぞかし酒の味もうまかろう」
カップをあおる手が止まる。
レジェリアはようやくライナスが、直接足を運んだ理由に思い当たった。
「‘蜘蛛の網’は異端組織‘精霊派信仰会’と深く関わりがあった犯罪組織だ。・・・知らぬ存ぜぬは通用しないぞ、‘赤の眼’」
椅子に腰をかけたままの姿勢だが、ライナスの発した言葉には相手を威圧するには十分な重さがあった。
眼鏡の奥の眼光が、レジェリアを捕らえたまま離さない。
「世間の噂を鵜呑みにするとは、‘鉄翼鷹’らしくないわね。・・・確かに、使えそうな人材を何人か拾ったけど、私の‘兎の卵’は‘精霊派信仰会’とは無関係よ。・・・でなければあなたの‘第八課’との取引を七年間も続けられないわ」
「法に背いた手段で得たパンを食べようと、貴公等の自由だ。私は貴公等を対等の存在と捉えている。我々は貴公の組織が提供する人材・情報を適価で利用する。・・・貴公が、我々の行動理念が‘異端殲滅’にある、という事を忘れない限りな」
突きつけられた眼光を、レジェリアは微笑みでかわす。
「うれしいわね。異端審議局第八課課長が直々に忠告に来てくださるとは、‘兎の卵’も一流の組織になったものだわ。・・・けど私も、火刑台で最後を迎えるつもりはないわ。忠告は無用よ」
「出会った時、俺の首を狙ってきたお前だ。・・・今更恐れるものがあるのか?」
「あの時と違って今は地位も財産もあるわ。失うのは怖いものよ。・・・それにあの時言ったでしょう。‘私は信心深い暗殺者だ’って?」
「その後お前はこうも言った。‘だから神様は私を幸せにしてくれる’・・・神を信じ切っている愚者は始末に悪い」
短く呟くと、ライナスはコートの裾を翻し、暗殺者ギルド‘兎の卵’を後にした。