前編:
空気が切り裂かれる音
『ライナス・バルグの犬を殺せ!』
無機質な声の唱和が、斜陽の光により赤黒く染め上げられたメセタの街地下層地区に響いた。
異端審問官ジャンルイジは、下層地区の細い路地を疾走する。
街の地図は市庁舎の執務室で一通り記憶していたが、老朽化した集合住宅の拡張と廃材の不法投棄により迷路のように入り組んでおり、方向感覚だけが頼りとなった。
『ライナス・バルグの犬を殺せ!』
唱和と供に朽ちかけた廃屋から、日の届かない廃溝の隙間から、うず高く詰まれたゴミの山から、それぞれ虚ろな目をした男たちが飛び出し、疾走するジャンルイジの前方を塞ぐ。
「出来もしないことは、口にしないことです」
ナイフを、手斧を、銛を手に殺到する三人の男を前に笑みと供に呟くと、ジャンルイジは姿勢を僅かに低くして更に速度を上げる。
突き出された銛が眼前に迫ると、黒い皮手袋-AF‘シャランサの左手’-を装着した左腕で銛の先端を掴む。
そのまま左腕を支点に跳ね、空中で前転をする。
疾走の速度に前転の勢いを加えた右足を、銛の男の後頭部に合わせた。
更なる跳躍をするための‘踏み足’であり、男の頚椎を破壊するための‘浴びせ蹴り’を同時に仕掛けたジャンルイジは、外套の裾を翻し大きく前方へと跳躍する。
「ライナス・バルグの犬を殺せ!」
ナイフと持った男と、手斧を構えた男が口々に叫びながら、ジャンルイジへと振り返る。
「そろそろ聞き飽きました」
体重を感じさせない動作で着地したジャンルイジが呟くと同時に、崩れ落ちた銛の男が紅い閃光に包まれた。
左胸に埋め込まれた‘火晶石’が、同調した心臓の鼓動の停止により活性状態となり爆発し、粘性の高い爆炎はナイフの男と手斧の男も巻き込み、それぞれの胸に埋め込まれた‘火晶石’を誘爆させた。
「14、15、16」
爆音を確認したジャンルイジは、小さく吐き出す。
この下層地区に入ってから、ジャンルイジがへし折った‘刃’の数だ。
薄暗い迷路のような下層地区に周到に配置された‘刃’達は、ジャンルイジに休む間を与えずに、次々に襲い掛かった。
不意を討とうと、数で押そうと、地の利を活かそうと、ジャンルイジと‘刃’には、絶対的な戦力の格差がある。
それ自体、ジャンルイジにとっては、‘羽虫を振り払う程度’の手間にしかならない。
だが・・・。
「・・・来る!」
半身を捻り、背後から飛来した短矢をジャンルイジは回避する。
爆発により発生した熱と光と爆風が、ジャンルイジの視覚と聴覚を僅かに鈍らせた瞬間の攻撃だった。
この下層地区に足を踏み入れたから、決して姿を見せず執拗に後をつけ、戦闘の際のジャンルイジの癖を探りながら遠距離攻撃にて追い込んでいた。
事実上、この対峙相手との戦闘を続けているといっていい。
‘刃’がどれだけ揃おうと、それは‘対峙相手’の壁であり、仕掛罠であり、目隠しに過ぎない。
そのことを対峙相手は精確に把握し、その上でジャンルイジに誘いをかけている。
冷静で沈着、それが姿の見えない対峙相手へのジャンルイジの感想だ。
駆け引きと瞬時の判断を要求される緊迫感が、ジャンルイジの闘争本能を心地よく駆り立てる。
回避した先にも、短矢が連続して打ち込まれる。
ジャンルイジの回避を予測しての射撃だった。
矢身の長さから判断すると、射撃距離は四十メートル。
さらに射線を考慮すると射撃位置は限られるはずであったが、ジャンルイジの視覚・聴覚をもってしても対峙相手の気配を察知する事は出来ていない。
「お手本にしたいくらいの正確な射撃ですね」
回避が不可能と瞬時に判断したジャンルイジは、外套の留具を外し、短矢を絡めとる。
射線をさえぎるため、そのまま建物の間を縫い目の洋な細い路地へと飛び込んだ。
路上に横たわっていた浮浪者を飛び越え、疾走を再開する。
このまま‘追いかけっこ’を続けるわけにはいかないが、‘対峙相手’との距離を詰めなければ埒があかない。
近接戦闘には、ジャンルイジは絶対の自信がある。
問題は近接戦闘への持ち込み方だ。
「っと?」
ジャンルイジの足が止まる。
寝ていたはずの浮浪者の右腕が、俊敏な動きで飛び越したジャンルイジの足首を掴んでいた。
強靭な握力が足首を圧迫する音を聞きながら、ジャンルイジは自分がこの場所に‘逃げ込んだ’のではなく、‘追い込まれた’事を悟った。
「・・・用意周到さも見習わなければいけないようですね」
「ライナス・バルグの犬を殺せ!」
自嘲めいた苦笑いを浮かべるジャンルイジを見上げると、浮浪者は黄ばんだ歯をむき出して笑い、逆手に握ったナイフを自分の首筋へと突き立てた。
17番目の爆炎が、一際大きく残照の路地を染め上げた。
◇
ちょっとだけ解説
ジャンルイジ ≒ 黒いキールベイン
悪辣としたキャラは苦手なので、動かしやすいキャラをカスタマイズ。
でもやっぱり難しい。
るろ剣のあとがきにて、和月が斉藤一を「ダーティーヒーロー」として書いていると連呼していたのを思い出します。
「悪・即・斬」と「牙突」で人気を博した訳ですが、「孤高≒ストイック」が見事に演出されていたのが印象的でした。
でも「孤高≒さみしんぼ
後編:
老朽化した建物の壁が爆発の衝撃で半壊し、崩落する瓦礫が巻き上げる埃煙が仄暗い裏路地に立ち込める。
ゆっくりと霧散すると埃煙を掻き分けるように、二振りの短剣の放つ鈍い光を伴い、‘剛刃’が近づく。
「・・・ライナス・バルグの犬を殺せ」
無造作に後部で束ねた赤髪を揺らしながら、呻くような声で呟く。
おびただしい数の瓦礫で構築された山の下から、黒い外套を纏った右腕が突き出ていた。
袖口を赤黒く染め、散り際の無念を誇示するごとく、‘掴みかけ’の形で指が開いていた。
「・・・ライナス・バルグの犬を殺せ」
再び喉の奥で呻きながら、‘剛刃’は逆手に握った短剣を、瓦礫に埋もれた右手に突き刺した。
状況から爆発に巻き込まれた異端審問官ジャンルイジの死亡は明白だが、‘刃’の存在価値を示すのは完全な死亡を確認しなければならない。
突き刺した短剣を引き、ジャンルイジの死体を瓦礫の下から引きずりだそうとする。
「!?」
短剣の手ごたえは、あっけないほど簡単なものだった。
引き出した右腕は、肘から先が無かった。爆発で吹き飛んだのではない。
肘の先は鋭利な刃物で切り取れたかのような均整な切断面であり、さらには右腕自体が中年のものであった。
この右腕はジャンルイジのものではない。
18番目の爆発をした浮浪者の身なりをした‘刃’のものだ。
‘剛刃’は短剣を振り右腕を捨て、叫んだ。
「・・・ライナス・バルグの犬はどこだ!?」
「ここですよ」
平然とした声は、‘剛刃’の真後ろからだった。
「あなたには‘追いたてられて’ばかりいたので、逆に‘誘い出して’みました」
少年の面影を残すジャンルイジの顔には、文通相手に初めて対面したかのような憧憬めいた笑みが浮かんでいた。
実際に、ジャンルイジは緊迫感を強いられる追走劇を仕掛けてくる相手に敬意を抱いていた。
‘楽しめる戦い’は、ジャンルイジが何よりも欲する事だ。
両足を肩幅に開いた自然体の姿勢で、ジャンルイジはようやく対面した赤髪の‘女’に語りかける。
「さあ、‘ライナス・バルグの犬’をどうするんですか?」
「ライナス・バルグの犬を殺せ!」
「不可能です」
‘女’が射投の動作に入るのは早かった。
それ以上に、ジャンルイジが動くのは早かった。
蛍火に似た淡い光に包まれた黒手袋を纏った左手が一閃すると、女が構えた短剣は砂糖菓子のように砕け散る。
「ライナス・バルグの犬は凶暴です」
ジャンルイジの繰り出した右足が、二度揺れる。
「か、はっ!」
蹴戟により鳩尾と頭部が揺さぶられ、‘女’の呼吸が詰まり、意識に暗幕が掛けられる。
瓦礫の上に崩れ落ちた‘剛刃’をうつ伏せに押さえつけると、ジャンルイジは‘剛刃’背に体を乗せ、右腕を脇で挟むと捻り上げる。
「くっ!」
‘剛刃’の上げる苦悶の声を無視すると、ジャンルイジは‘いつもの流れ’を実行する。
「これより法王庁異端審問局聖務法に基づき、貴公への‘簡易審問’を開廷します。当方の質問に対しては、主の名に基づいた明瞭な回答を推奨します。・・・と言うのが公文上の文言ですが、要は‘手間掛けさせるなよ、異端さん’ということです。これから僕が聞く‘三つの質問’に、速やかに答えて下さい」
「ライナス・バルグの犬を殺せ!」
「一つ目の質問です」
素早く身を捩り、脱出を図ろうとした‘女’を、ジャンルイジ巧みな体重移動で押さえ込む。
「あなたの‘家’はどこですか?」
「ライナス・バルグの犬を殺せ!」
女の更なる抵抗を確認すると、ジャンルイジは捻り挙げた女の右腕に、自分の体重を半分ほど乗せた。
低音の鈍い音と供に、右肩の間接が砕けた。
「っ!」
女の口から苦痛の吐息が漏れ、さらに激しく身を捩るがジャンルイジの表情は変わらない。
「二つ目の質問です」
折れた右腕を離すと、素早く左腕を取り捻り上げながら、ジャンルイジは質問を続行する。
「昨夜、国家錬金術師フォーエイン・サンドと駐在騎士五名を襲撃し、殺害したのはあなたですか?」
「私は・・・‘刃’、だ・・・。錬・・・金術師フォーエイ・・・ン・サンド、の、殺害は・・・、ラ・・・イナス・バル、グを殺す・・・為に必要・・・だ・・・」
「なるほど、良く分かりました。・・・それでは、僕の判断ミスでフォーエインさんを死なせたことになりますね」
女の掠れた回答が、ジャンルイジの顔に僅かに影が浮かべさせたが、それもすぐに消えた。
「それでは最後の質問です」
ジャンルイジは右腕で女の手を絞り上げ、左腕に填めた‘シャランサの左手’を女の後頭部に合わせながら質問を続けた。
状況に関らず、‘異端者’に‘判決’を下すときは、異端審問局より賜与されたアーティファクトで行うのが、ジャンルイジの流儀だった。
「あなたはいつ‘刃’になりましたか?」
返答に期待はしていなかった。
他の‘刃’よりも多少は高度な洗脳が施されているとは言え、‘パナケアの矢’の組織情報に関することは、全て思考パターンから排除される。
「‘乾き’が消えてからだ」
予想外の答えが返ってきた。
「‘乾き’・・・ですか?」
「‘刃’になる以前の私は、常に‘乾いて’いた。あらゆる事をしても‘乾き’が消える事は無かった。‘乾き’が消えて、私は‘刃’となった」
女の返答は、それまでの無機質なものとは違っていた。
記憶をさがるような曖昧な口調だ。
ジャンルイジは、‘判決’を延期し、さらに質問を続けることにした。
「‘乾き’とはなんですか?」
「覚えていない。・・・だが、‘乾き’がある限り、決して心が潤うことは無かった。‘刃’になる以前の私は、あらゆる手段をもちいて‘渇き’を消そうとしていた」
夢の記憶を辿る様な頼りない独白の内容を理解する事は不可能であったが、ジャンルイジは一点だけ理解した。
特殊薬物を用いる‘パナケアの矢’の洗脳は、元の個人人格を完全に塗りつぶし、死を恐れず上層部の命令に従うだけの‘刃’に作り変える。
だが、ジャンルイジの質問がきっかけで浮上した女の‘渇き’は、それでも完全には消せないほどの強固なものであったのだろう。
ジャンルイジが押さえ込んでいる女のしなやかな肉体は、繰り返された鍛錬により鍛えられたものだ。
つまり・・・。
「あなたは、‘渇き’を消すために為に‘強さ’にすがった。絶対の‘強さ’が全てを満たすと憧れ、体と技術を鍛え上げた」
「・・・それでも‘渇き’は消えなかった」
女の言葉は虚ろなものだが、ジャンルイジの推測を肯定した。
「だから‘刃’になったのですか?自らの意思を持たず、命令のままに行動する‘刃’であれば、‘渇き’が消えると考えたのですか?」
「・・・そうだ」
女の口調が変わった。
受け答えが明瞭になる。
「人間であるから‘渇く’。‘刃’となれば、‘渇く’ことはない」
「あなたは、人間ですよ」
ジャンルイジの声質も僅かに変わった。
抑揚が消えた平坦な響きが、裏路地に流れる。
「違う」
「なぜです?」
「人間は爆発しない」
「それだけですか?」
「それ以外に理由はいるのか?」
顔を僅かに捻り、女が視線をジャンルイジに向けた。
そこに感情を見ることはできない。
だが、女は‘勝ち’を確信していた。
「・・・今の言葉、忘れるなよ」
ジャンルイジの声が硬質に変わり、表情から笑みが消えた。
左手で赤髪を掴むと、強烈な勢いで瓦礫へと打ち付ける。
手加減は一切なく、女の上にジャンルイジの体重を被せた一撃だった。
女の額が割れ、飛び散った血が瓦礫を赤く染めた。
「付け上がったな、異端者風情が・・・」
ぐったりとした女の体を仰向けにすると、腹の上に馬乗りになる。
襟元へ手を掛けると、一気に引き裂く。
女は微かに身を捩ったが、それだけだった。
「‘死罪判決’にしてやるつもりだったが、お前は僕を怒らせた。お前みたいな考えの奴は、僕を最も不快にさせる。・・・予定を更だ」
規則正しく上下する小ぶりの乳房の上に埋め込まれた拳程の‘火晶石’の上に左手を合わせる。
ジャンルイジが左手に填めていた黒い皮手袋 -B級アーティファクト‘シャランサの左手’- の手首は、革と鎖が混合した二本の留具で巻きついている。
留具は十字を模した錠前で固定され、鍵穴の代わりに弾層が設けられている。
「‘第一種封印弾’装填!」
先程使用した‘第二種封印弾’の薬莢を弾装から排出し、聖句の刻まれた銀の弾丸を装填する。
錠前が二本の留具を巻き取ると、黒い革手袋の表面に発行する複雑な聖印が浮かび上がった。
「騒いだら目玉を抉る。暴れたら背骨をへし折る。・・・‘見えざる手’を発動している間は、細かい動きをするのは手間なんだ」
ぐったりとした女の体が僅かに抵抗したが、ジャンルイジの左手は女の左胸に潜り込んだ。
‘シャランサの左手’-物質透過の能力を備えたAF-は、潜り込んだ女の左胸から、心臓と‘火晶石’との境界面を探り当てる。
「物理的な結合はされていないか。・・・やっつけ仕事だな」
脈動する心房の真上に‘シャランサの左手’を添え、一呼吸で‘火晶石’を抜き取ると、遥か上空に‘火晶石’を投げ捨てる。
心臓の鼓動により安定化が図られていた‘火晶石’は、直後に爆発し、叩きつけられた爆風が、付近の廃屋の屋根を吹き飛ばした。
「これであなたは、爆発しません」
‘シャランサの左手’に再び留具が固定されるのを確認しながら、ジャンルイジは言った。
口調にはいつもの明朗さが戻っている。
「爆発しなければ、あなたは‘刃’ではない。・・・人間です」
解放された女の左手が、自分の左胸を撫でた。そこには硬質な感触はすでに無く、抉られたような窪みの下から力強く脈動する心臓の鼓動が伝わってきた。
「‘簡易審問’の判決を告知します」
ぼんやりとした意識で、女はジャンルイジの言葉を聞いていた。
「貴女は、異端組織‘パナケアの矢’の‘刃’となり、破壊活動ならびに暗殺行為の中心を担い、その結果多くの生命が失われ、法による平穏が乱された。よって・・・」
短い沈黙が支配した。
「人間について、もう少し考えて下さい。後は勝手に生きるも、勝手に死ぬのも自由です」
それだけ言い残し、ジャンルイジは暗闇の帳に包まれた路地裏へと消えた。
女は瓦礫の上に横たわったまま、呆然としていた。
鈍い痛みが支配する額に手を当てると、流れ続ける血が手のひらを染める。
自らの身から流れる血は赤く、暖かかった。
「私は‘刃’ではない。人間だ」
ジャンルイジの残した言葉を口に出すと、空虚感が広がった。
人間と言われたことの開放感も幸福感も皆無だった。
‘刃’でいればどんな苦しみも無縁だった。
‘火結石’を失った今、人間になった苦しみが重くのしかかる。
行き場所の無い苦しみ。
誰にも愛されない孤独。
この瓦礫の山と同様に、なにも無い。
過去も、未来も、名前さえも。
大事なものは何も無い。
あれほど固執していた‘渇き’の感覚が何であったのかも思い出せない。
あの異端審問官は、‘火晶石’を取り出し、代わりに空虚な閉塞感を埋めていった。
女は膝を抱えて、泣いた。
>結フェイズに続く