後編:
「ひゃ、はっ・・・」
仄暗い炭鉱の底に、声にならない声が漏れた。
「まさ、か・・・、この‘凶刃’が・・・」
間合いを詰められ、至近戦に持ち込まれてからは勝負にならなかった。
黒衣の異端審問官の放つ重く、早い拳は、‘凶刃’に反撃も回避も許さず、肺を潰し、臓器を穿ち、脊髄を砕いた。
相手の右腕は、肘からしたがダラリと垂れているため、左手一本の攻撃にも関わらずだ。
薄れいく意識の中、もはや戦闘になっていないことを‘凶刃’は認識していた。
これは、一方的な暴力だ。
異端組織‘パナケアの矢’の中でも、常に前線を渡り歩き、血と屍を築き上げてきたこの‘凶刃’が、暴力に晒されている。
耐え難い屈辱だった。
・・・だからこそ。
「・・・お前の負けだ、ライナス・バルグの犬め」
‘パナケアの矢’の構成員である‘刃’は、薬物による洗脳と心臓と連結した火晶石が埋め込まれた、使い捨ての利く構成員である。
‘自動人形(オートマター)’のように、組織の命令には絶対服従であり、死亡と同時に火晶石が爆発し、死と破壊を撒き散らす。
そして、幹部と言える‘凶刃’には、火晶石よりも遥かにやっかいなものが埋め込まれていた。
「‘悪魔の目’!?」
‘凶刃’の左胸に埋め込まれた鉱物と肉腫の合成物のような眼球を、ジャンルイジは過去の聖務で一度だけ目撃したことがあった。
ジャンルイジの決断は早かった。
小細工はいらない。
人間を‘悪魔’へと変貌させる‘禁忌物’は、時として、異端審問官の戦闘力を凌駕する怪物を生み出す。
対‘悪魔’の鉄則通り、‘悪魔の目’を使用した対象の肉体が、完全な‘悪魔’へと変貌を遂げる前に、契約の鍵である‘悪魔の目’を破壊する。
「・・・正解だ」
左手に装備した黒手袋-AF‘シャランサの左手’-を打ちつけようとするジャンルイジを前に、砕かれた頬骨をきしませ、‘凶刃’は笑った。
「・・・もう遅えがな」
‘凶刃’の心臓は既に‘悪魔の目’と同調している。
全身に送り出された‘青い血’が、細胞を歪め、変膨させ、異質な器官へと作り変えつつある。
全身の傷も再生し、さらなる柔軟性と硬度を持つため変異を続けている。
先ほど捻じ切られた右肩の腱も復元し、さらに新たな力が加わっているのを、‘凶刃’は感じていた。
「ひゃっ!」
右腕を振るう。
細く、槍のように捻られた腕が、振り下ろす直前のジャンルイジの黒手袋の下、左手首を貫いた。
「っ!!!」
声にならない絶叫が、ジャンルイジの喉から吐き出された。
「痛えか?痛えだろうなぁ。・・・だがな」
ジャンルイジの手首を貫いた槍が、内側から‘枝’を張った。
手首を食い破った‘枝’が、四方に広がる。
「弄り殺されるまで、痛みは続くぜぇ!!」
朱肉の槍は鞭へと変わり、大きくしなった。
釣り針にかかった魚のように、ジャンルイジの体が持ち上げられる。
「ぐああああ!!!」
「いい様だぜ、‘ライナス・バルグの犬’様よぉ!!」
鞭は大きく撓ると、岸壁へジャンルイジを叩きつけた。
「両腕が動かなければ、接近戦一辺倒の貴様はゴミみたいなもんだ」
全身を強打し、うずくまったジャンルイジに、‘凶刃’は侮蔑の言葉を叩きつける。
「お家芸のアーティファクトを使ったらどうだ?あん!?」
鞭を僅かに手繰る。
それだけで、倒れ臥した異端審問官の体は、面白いように痙攣した。
「いい事を教えてやる。貴様と入れ替わりに、炭鉱最下層に閉じ込めていた‘暴刃’をメセタの街に放った」
暗闇の中でも十分に認識できるほど、‘凶刃’の頬が大きく歪む。
「なんでも‘喰う’異能力の持ち主だが、とにかく馬鹿でな。どれだけ薬を投与しようと、命令をききやしない。今頃待ちは地獄の宴の最中だろうよ」
引きつった笑いが、‘凶刃’を支配した。
「喰いつくされた街に、縊り落とした貴様の首を飾ってやるぜ。あの男を、・・・ライナス・バルグを誘き出すためなぁ!」
激痛が左手首を中心に、全身へと広がっている。
内側から四方へ伸びた‘枝’は、抜く事は不可能だろう。
僅かに動かすだけで、新たな激痛が生まれる。
だが、対照的にジャンルイジの精神は冷え切っていた。
‘異端’と対峙する時はいつもそうだ。
窮地に陥れば陥るほど、精神は研ぎ澄まされ、底冷えのする高揚感が溢れ出る。
状況を認識し、最良の手段を選択する。
現状の窮地は、一歩踏み出すだけで勝機に変わる。
勝利に奢る‘凶刃’の胸には、まだ‘悪魔の目’が膨張する体細胞に飲み込まれる最中だ。
一撃を加えるだけで、事は足りる。
問題は、左腕に食い込んだ槍だ。
‘凶刃’との距離は、約十m。
槍を抜かなければ、間合いは詰められない。
ジャンルイジの決断は早かった。
「無駄だぜ」
うずくまっていたジャンルイジが、袖口に縫い付けられていた投擲用のナイフを咥えるのを見て、‘凶刃’は嘲笑した。
「そんなオモチャで、この俺には傷は・・・」
それは、一瞬の出来事だった。
うずくまっていたジャンルイジの体が僅かに揺れた後、‘凶刃’に向かって大きく跳躍した。
「なんだぁ?」
間の抜けた声を出しながらも、鞭を手繰り、ジャンルイジを叩き落とそうとする。
だが、空中で大きく半身を捩ったジャンルイジは、鞭の軌跡をかわし、着地と同時に呼吸を入れずに再度跳躍する。
‘凶刃’の頭上でジャンルイジは、右足を屈めた。
「・・・お待たせしました」
底冷えのする眼光が、‘凶刃’を見下ろしていた。
流血と泥にまみれたその顔は、確かに笑っていた。
「てめえは!!」
‘凶刃’は叫んだ。
叫ばずにはいられなかった。
「裁きの時間です」
ジャンルイジの右足が鋭い軌跡を描き、聖句と供に‘悪魔の目’に振り下ろされた。
「‘安らかなる眠りをもって、汝の生に意味を与えん’!」
‘硬化銀’が埋め込まれた靴底は、‘凶刃7の絶叫と供に、‘悪魔の目’を砕いた。
「て、めえは・・・」
細胞の老化は急速に進行し、‘凶刃’の全身は灰のように崩れていく。
眼前に立つジャンルイジから、絶え間ない流血が足元を赤く染めていた。
ジャンルイジがナイフで切り落としたのは、自分の左手首だった。
憎悪と、悔恨と、そして畏怖を込めた視線をジャンルイジに送る。
「てめえは、・・・何なんだ?」
生涯の最後で生まれた、最大の疑問を‘凶刃’は最後の言葉にした。
‘異端’を、‘悪魔’を、敗北を、死すら恐れずに、迷わず自らの手首を切り落とす存在を、なんと呼べばいいのだろう。
「ライナス・バルグの犬。・・・あるいは」
ジャンルイジは‘凶刃’の頭部に右足を踏み降ろす直前に、微笑みと供に告げた。
「・・・異端審問官です」
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