【小話・八課過去話】①
最初は、誰もが冗談か誤報だと、笑った。
一ヶ月前に、名も知らぬ小さな組織が法王庁に対しての『自治領と自治件の要求』。
‘黄昏の時代’に使われた秘儀のほんの一部を解析し、
‘狂戦士’と‘魔獣使い’が僅かに存在するだけの、法王庁にとっては過去に何度も踏み潰してきたような些細な相手。
だが、間もなく誰もが、その認識は過ちであった事を知る。
‘王の息吹’は、‘援軍’を伴っていた。
アスガルド半島を支配していた旧王国が、大陸より渡ってきた法王庁により滅ぼされ、‘黄昏の時代’が終焉を迎えてから、
人類生活圏のほぼ北限である最果ての辺境へと逃れた‘王の息吹’は、何十年にも渡りこの‘援軍’の到着を待ち続けた‘最強の援軍’、その名は大寒波と言う。
アスガルド半島北部を半世紀ぶりに襲った豪雪と氷点下の気温を撒き散す大寒波と共に、‘王の息吹’は南下を開始した。
反乱の舞台は第十一教区、凍結のカンダリア平原。
何十年も積み重ねた『雪上戦』に特化した狂戦士。
細く、長く変化した手足は、雪上を兎のように跳ね回り、その体皮は寒さを感じない。
飼い慣らされた氷結の魔獣。
本来は北限未踏地に生息する深い体毛で覆われた巨体と、氷片のブレス。
迎え撃つ教区騎士団だが、金属性の鎧や剣は凍てついた枷となり、
幾重にも着込んだ防寒着は、雪上では大幅な動きを制限する囚人服となった。
‘王の息吹’の異形の軍勢は、嘲笑と共に‘棒立ちでいるような’騎士団を切り伏せ、殴打し、噛み砕き、同時に進軍上の街を村をも蹂躙した。
②
それでも十一教区の人々は信じていた。
『異端は必ず、裁かれる』
教会が、法王庁が繰り返し説いてきた教えを希望とし、事実、異端討伐のために派遣された7名の異端審問官を喝采と共に迎えた。
だが、その異端審問官が‘神の息吹’の大型魔獣ギガント・リザードの前に敗れたとの報を聞くと、その希望が崩壊した。
第十一教区、司教座都市カミュエ
豪雪のため退却も出来ず、追い詰められた近隣の村町住人が集結した。
教区騎士団、辺境自警団の残党のみならず、老人から子供までの、わずかでも戦えるもの、武器を持って立てるもの、女も病人も囚人も
根こそぎ動員を行っての全勢力を結集させた。
篭城戦の定石である‘手椀の陣’をカミュエ外壁前に展開したが、‘王の息吹’の足止めにもならなかった。
右翼は早期に敗北し、崩れ、なだれを打って総退却をはじめ
左翼は圧迫され、機動することも陣の変更も出来ぬ有様となり
強風に散る落葉のように秒単位で兵士が倒れ
防衛陣は削り取られていった。
弟十一教区の大小無数の街村を踏みにじってきた‘王の息吹’は
彼らが一ヶ月前に蜂起してから何度も繰り返してきたように、
もはや取るに足らないこの教都も今まさに打ち滅ぼそうとしていた。
事前に逃亡したカニュエ領主に代わり、総指揮をとっていたカミュエ司教ソレム・シェファージ大司教が指揮杖を振り下ろし、
最後の戦力の投入を命じたのはそのときだった。
1③
城壁で弓を構えていた兵達は、固唾を呑んでそれを見守った。
最後の戦力が僅かに開いた城門から姿を表した時、
兵士たちは愕然とした。
現れたのは、わずかに1名。
三十前後の細身の体格、銀フレームの眼鏡。
徒歩(かち)の黒衣の神父服。
武器は持っていない。
先日‘王の息吹’に敗北した異端審問官の唯一の生き残りだった。
巨大な戦場を、怨嗟と絶望の声が支配した。
もうおしまいだと。われわれは皆、死ぬのだと。
全ての戦いも無駄だったのだと。
‘王の息吹’の異形の化け物の軍勢は、一斉に声を上げて笑い出した。
彼らの領域、大寒波によりもたらされた白一面の世界に現れた黒衣の男。
すぐに塗りつぶされる存在である哀れさに、そして
そんなものに希望を寄せていた人間たちの滑稽さを笑い出したのだ。
絶望的な悲鳴と、地の底から響くような異声の笑い声に包まれていた戦場の中を、男を進みながら男は静かに眼を細めた。
それは、男が望んでいた状況であった。
十年前のあの日、強固に誓った‘異端の殲滅’。
想い人との別れによる悲しみも、友との決別による寂寥も、自ら手に掛けた異端に対する哀れみも、新配属となった八課で‘汚れ役’を押し付けられた失望も、‘民間人殺害’の濡れ衣を掛けられた屈辱も、全ては決して外れることのない理性の箍(たが)で抑え込んできた。
全ては、この時のため、一介の審問官から異端審問の全権をあたえられる審問局課長の地位を得るための万に一つのチャンスを得る為だった。
男の理性の箍(たが)が、僅かに緩み、口元が吊り上った。
④
城門より十歩、進んだ時点でカミュエ城壁より、棺桶が投下された。
その数、十二。
その様を見て、まず、化けものたちの軍勢の中の
上位にあるものたちが、
何かに気がついたように、笑い声を、やめた。
‘王の息吹’の最大の武器は、速力。
厳寒の中での活動に特化した能力で、動きの鈍った敵を圧倒する。
故に、‘自分達よりも早い敵’と戦った経験は皆無であり、立場は逆転するである。
そんな存在がいるので、あればだが。
潮のように笑い声が消えて行った。
徐々に気がついていった。
この貧相な神父がどれほどの存在なのか。
この投下された棺桶がどれほどの戦闘能力があるのか。
そして目の前の男が放つ、圧倒的な自身が何を意味するのか。
そう、白に埋め尽くされた戦場を悠然と進む男、ライナス・バルグは勝つつもりなのだ。
歩を止めると、ライナス・バルグは戦太鼓を彷彿させる力強さと共に、叫んだ。
「穢(けが)れよ!‘湖畔の英雄’!」
棺桶の蓋が飛び散り、羊水に似た保存液の飛沫を纏いながら、十二体の戦闘用高速自動人形は、謳うような駆動音と共に戦場へ放たれた。
異端を殲滅するために。
ライナス・バルグを第八課課長へ押し上げるために。