トーヴル民主国

概要

 カラルのほぼ中央に位置する民主主義の国。だが、国土が最前線ということもあり、大戦と内乱で、その国土の大半はひどく荒廃している。現在、デルバレスの息がかかった議員達により国政は取り仕切られ、実質デルバレスの言いなり状態である。


国土・土地

 

 

 

 

 

首都:ウラス
宗教:
通貨:


歴史

 古代のトーヴルの歴史にかんする事は、戦乱で消失しており多くは謎に包まれている、だがkc90年代には都市国家間の交流があったことが判明しているが、kc97年にはガルマニア帝国にその文化圏を征服される。その後は長らくガルマニア帝国の征服下に置かれる。

 306年にガルマニアから独立宣言するものの、国家統治の方法を巡りトーヴルの地は混乱し始める。308年には事態の収束をはかるため、臨時政府が立ち上げられるものの、その独裁的な体制から、309年末には革命派「トーヴル革命軍」によって解体される。310年には革命軍の上層部を主体とした「クラクフ政権」は世界初の民主主義(社会民主主義)のような体制をとり、一時的に国内情勢は落ち着く。しかし、315年にトーヴルで大規模な不作に伴う飢饉が発生すると政府は農民から取り立てを行わざるを得ず、結果、多くの農民達から反感をかうことになる。

 その結果、過激な思想を持つシャグマ教の一派「アルゴイの信徒(シャグマ=トトマン派)」を中心とした反政府勢力が台頭。339年の首都において「副党首暗殺事件」が発生すると、トーヴル政府はアルゴイの信徒達に対して徹底的な弾圧を行う。これに、アルゴイの信徒達は政府に対して徹底抗戦をするという血で血を洗う内戦(第一次トーヴル内戦)が発生し、4年以上つづく。

 346年に双方の間で休戦協定(デルサゥ条約)が結ばれトーヴル東部の一部をアルゴイの信徒の自治区とする条件で決着がつく。その後、数十年間、危うい平和が続く一方、トーヴル政府は周辺国と友好条約を締結し、主に現在の連合戦線加盟国を相手に、農産物と高純度ベルチタイトの精製技術を用いて有利な貿易を展開しつつ、内戦の傷を癒やした。そして、368年に「トーヴル民主国」として正式な建国宣言を行う。トーヴル政府は目の上のたんこぶであったアルゴイの信徒を殲滅するべく自治区を攻撃する。しかし、結果的に「アルゴイの信徒」を再び刺激していまい、またしても内戦になってしまう(第二次トーヴル内戦)

 この内戦は近代兵器の登場や戦術の発達もあり、泥沼化。371年にデルバレスとウォ共和国の介入によって内戦が一応の終結をしたが、政府は崩壊寸前であった。さらに不幸は続き、国土が復興しきる前に443年から始まった世界大戦により、連合側の最前線であることから再びトーヴルの地は戦場と化してしまう。


国際関係・外交

 政治の中枢部がデルバレスに骨抜きにされている状態で、実質デルバレスの統治下にあるような状態。先の内戦がずるずると長引いていた為に、世界初の民主政府は崩壊。復興の指導を口実に乗っ取られてしまう。しかし、それのおかげで反政府組織を殲滅できたため、一応の内戦終結がはかられた。

 世界大戦が開戦するまではワルカリアと交流があった為、トーヴルを通じ南半球の文化が多少流入していた。また、東トーヴルでは、昔からベルチタイト鉱脈があり、それの精製技術に長けていた為、現在でも主要な貿易財である。


政治

 脱ガルマニア後の臨時政府を革命で打倒した「クラクフ政権」によって世界初の王を立てない、民主政府が始まった。これを主導していた、反ガルマニア帝国を謳っていた、末端貴族のクラクフ・ペリクレアの主導で行われた。彼は、ワルク教・ワルカリア哲学に精通しており、それらを引用し、民主主義を説いている。

 しかし、内戦時に政府の有力者の多くが国外逃亡し、残った政府高官達も暴徒化した市民、もしくはアルゴイの信徒達によって処刑された。

 上記の理由で、世界初の民主政府は上記の理由で崩壊。現在は、政治の中枢部がデルバレスに骨抜きにされている状態で、実質デルバレスの統治下にあるような状態。現在は、難民流入の阻止と、内戦からの復興を口実にデルバレス政府の息がかかった臨時政府が擁立された。この際、おおくの反政府組織を殲滅できたため、一応の内戦終結がはかられた。しかし、内戦で荒廃した土地の多くは復興が進まないでいる。

 理由は明確で、復興を名目にこの地に送られた重機のほとんどは、東トーヴルのベルチタイト鉱山に輸送され、せっせと鉱脈を掘り進めているからだ。


民族・文化

 


軍隊

最終更新:2019年07月22日 21:02