
交戦国家
ビスデム共和国 VS ロトリア王国
368年トーブル民主建国と同時期に、ビスデム共和国は領土拡張のため東部と西部に軍を進駐させた。この動きにロトリア王国政府は危機感を募らし、北ロトリア大規模な軍を派遣した。ロトリアの政府は何度もビスデム政府に対し、軍を撤収するよう警告をしたが、
ビスデムはこの行為を「交易ルートの安全確保と、北ロトリアにいるビスデム人の保護」と主張し、ついにはロトリア国境まで進駐した。
これにロトリア王国政府は怒りを覚え、ビスデム政府に6度目の「国境付近のビスデム軍即時撤収」通告し、これを最後通牒とした。
しかし、ビスデムはそれを拒否したため、ロトリア王国政府は「開戦やむなし」として、ビスデムに宣戦布告。368年の3月4日にビロ戦争が開戦した。
だが、この宣戦布告と同時に、入念かつ緻密に計画されていた航空部隊による電撃作戦が開始され、最初の1日で主だった北ロトリアの主要な基地・軍港が陥落し、半年後には北ロトリアの要塞「メフト」が陥落、その後散発的な戦闘が続くが、369年1月29日にロトリア王国はビスデムの一方的な講話条約を飲まされ終戦した。