1993年6月4日生まれ。千葉県出身。
大学を経て2015年にドラフト4位で巨人に指名される。
柏高時代の2年秋より正捕手となるも最高は県大会ベスト8で甲子園に出場できず。
城西国際大学に入学後、1年春よりベンチ入り、1年の秋と2年の春にはベストナインを受賞した。
4年生時には主将になるも、春の代表合宿の練習中に打球が顔に当たり計3箇所骨折(後に外傷性白内障を発症)、コーチ登録でベンチ入りとなった。夏には夏季ユニバーシアードの野球日本代表に選出され、金メダルに貢献した。
巨人入団後、ファームで36(捕手以外込で41)試合に出場も、前出の顔面骨折の影響でイースタンワーストタイの6捕逸を喫した。その年の6月に2軍の首脳陣の勧めで手術を行った。またその年の11月にはアジアウインターベースボールリーグ(台湾)のNPBイースタン選抜に選出。
17年は春季キャンプで1軍スタートも4月に右手有鉤骨を骨折して手術。2軍での実戦を経て同年8月8日の対阪神で1軍昇格、代打で出場して藤川球児から初打席初安打を記録。同年8月18日の対DeNAで延長10回にサヨナラ本塁打を放ち、これがきっかけとなって8月の月間アットホームヒーロー賞を受賞した。また8月25日(対阪神)では1軍初先発マスクをかぶった。この年の10月12日に第1回アジアプロ野球チャンピオンシップのメンバーに選出されるも怪我の為辞退。
18年は29試合の出場で打率.104、3打点に留まり、また前年に背番号27に変更もFAで西武から炭谷銀二朗が加入することから32へ変更。
19年は炭谷と小林の二頭体制が確立したことで出場機会を失い、19年6月26日に
みつおと共に
藤岡・
鍵谷との交換トレードでハム入りが発表、同年6月28日に会見即1軍に昇格、その日の対ソフトバンクにて代打で途中出場を果たし(後述)、翌日29日の対ソフトバンクでは先発マスクをかぶった。同年7月2日の対西武では指名打者で先発、移籍後初打点、プロ入り後初となる猛打賞を記録、久々のお立ち台に立った。
20年シーズンは移籍後初ムランも打撃は低調、21年シーズンも打撃は伸び悩んだ。22年は
BIGBOSSの直接指導もあって打撃開眼、正捕手争いでも最多の60試合となった。
21年シーズンは成績が低迷。22年シーズンは
新庄監督より直接指導を受けた事もあり、キャリアハイの5本塁打をあげるまでになった。
23年シーズンは
伏見や
マルティネスなどの台頭もあり成績も低迷、同年4月20日に抹消後は2軍暮らしとなる。
同年6月19日、
齋藤綱記と共に
郡司裕也・
山本拓実との交換トレードで中日への移籍が発表された。
選手としての特徴
- 経験値を考慮してか移籍後は指名打者でも起用されているが、本来は捕手としての総合力はソコソコ高く、2018年は高橋由伸監督の数年にわたる小林との心中が限界に達した6月末に村田真一ヘッドコーチの直訴で昇格、7月の主戦捕手として12戦で8勝4敗、QS7(うちHQS5、完投1)を記録。大城とともに7月勝ち越しに貢献、崩壊寸前のチームを救った(自身の打撃不振や小林が再び優遇されたことにより1ヶ月半で干されてしまっている)。
- 1軍2軍で数字が変わらないタイプで、打率.250前後、出塁率長打率ともに.333前後を記録する傾向がある。最近の清水と同様、難しいボールをヒットにしたり粘って出塁する能力はソコソコ高い。
- 「怪我の光明」で一塁も守れるなど使い勝手の良いタイプであるが、極端な打撃型捕手としての評価が確立している。2017年のインパクトも強かったが、守備型捕手として極端に美化された小林と執拗に対比されたことも手伝っているかもしれない。
エピソード
- 昇格当日はアンビシャスシリーズの初日であったがユニフォームが間に合わずにサネのユニを借りて着用していた。
- 本人も当初は顔見せだけだろうとそんなに荷物を持って行かなかったものの、上記のように会見即ageで試合に出場となった為に洋服等足りなくなり、休日に合宿所から歩いて洋服や洗面道具などを買い足ししていた。
- 20年4月、上沢直之のインスタグラムにて、あの伝説の「上沢少年」の写真に写り込んでいたことが発覚した(右端の上下赤のユニフォームの少年)。
- 20年の契約更改の際には札幌ドームの洗面台をきれいにと、要望していた。
- ももいろクローバーZのファンでいわゆるモモノフ。練習用グラブはももクロカラーである。
- 20年シーズンより晴れてももいろクローバーの曲を出囃子にした。
- モモノフが故にあーりんの契約が合意したことを受け「これはアーリン!」とツイッターで歓迎した。
- その甲斐あってかどうかだが21年5月9日対楽天にてようやくモモノフバッテリー結成とあいなった。
- 22年11月6日にそのももくろクローバーZのメンバーである高城れにと結婚することが、夫人のYoutubeチャンネルにて発表、その後連名でのメッセージが掲載された。よく見ると二人で交互にメッセージが。
- 結婚報道後ご夫妻で在京スポーツ紙6社を訪問していた。
最終更新:2023年06月19日 17:32