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のらくら記者密偵を逮捕す
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のらくら記者密偵を逮捕す
山本周五郎
山本周五郎
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)間諜《かんちょう》
(例)間諜《かんちょう》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)務|卓子《テーブル》
(例)務|卓子《テーブル》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定]
(例)[#3字下げ]
(例)[#3字下げ]
[#3字下げ]泥まみれの帽子[#「泥まみれの帽子」は大見出し]
[#5字下げ]意外なる間諜《かんちょう》の復讐《ふくしゅう》[#「意外なる間諜の復讐」は中見出し]
「おいパイプ、部長が呼んでるぞ」
「急ぎの用かしら、僕アいま飯を食いに行こうと思ってるんだがね」
食事と寝る時の他は薄荷《はっか》パイプを口から離した事がないので『パイプ』という綽名《あだな》のついている海野啓三《うんのけいぞう》は、至極のんびりした調子でまじまじと眼をあげた。相手は毎《いつ》もこれでうんざりさせられる。
「おい、ここは帝都新聞社の編輯室《へんしゅうしつ》だぜ。そして君はその社会部の記者だぜ。いざ事件となれば我々にゃあ飯もへちまも無いんだ」
「怒るなよ、訊《き》いただけじゃないか」
海野は舌だるい口調で云《い》いながら、石地蔵でも背負《しょ》ってるような足取で、のそくさと部長室の中へ入って行った。
――池田部長は黙って前の椅子《いす》を指し、海野が腰掛けても暫《しばら》くは無言のままだった。此方《こっち》は素《もと》より相手が話しかけなければ、三年でも黙っていようという海野だ。些《いささか》かも悪びれずに平然と眼を半眼にして待っている……と、その眼がいつか段々と大きく輝きだした。眼前の事務|卓子《テーブル》の上に、泥まみれになったソフト帽が置いてある。海野の眼はその帽子を覓《みつ》めながら輝きだしたのだ。池田部長はその様子を見て静かに口を切った。
「その帽子に見覚えがあるか」
「――楳原《うめはら》がどうかしたんですね、部長」
「楳原は社会部のピカ一だった。そして君の無二の親友だった。――彼はメイヤー商会の調査をして間諜《スパイ》の事実を突止め、ジャック・メイヤーを憲兵隊へ引渡した」
これは近来にない大事件で、加奈陀《カナダ》系ユダヤ人の経営する機械輸入商、メイヤー商会の重要な社員、ジャック・メイヤーが秘《ひそ》かに軍事機関の密偵を働いていたのを、帝都新聞の敏腕記者、楳原|俊吉《しゅんきち》が探査した結果、遂《つい》に首謀者メイヤーを捕縛したものである。――然《しか》しそれは二週間ほど前に解決がつき、商会は国外退去、ジャックは明白な軍事|探偵《スパイ》である証拠があがって、近く処置される事に決定していた。
「ところが、――一時間ほど前に、楳原が死体になって発見されたんだ。永代橋《えいたいばし》の下に溺死体《できしたい》となって」
「死んだ? 溺死ですって?」
「酔っぱらって隅田川へ落ちたらしい。警察ではそう云っている。――ところが、つい二十分ほど前に、或人《あるひと》から頼まれたと云って、労働者風の男がこの帽子を届けて来たんだ」
「メイヤーの仕業ですね、部長」
「君もそう思うか。――如何《いか》にもメイヤーの復讐だ。そうで無くてこの帽子を誰が届ける? ジャックの捕縛に対する復讐として、奴等《やつら》は楳原を殺し、我社を嘲笑《ちょうしょう》するために態《わざ》とこの帽子を届けて寄来したんだ」
海野はパイプを噛《か》みながら、のろのろと椅子から立上った。
「部長、些《ちょ》っと出掛けて来ます」
部長は我意を得たりというように頷《うなず》いて、一|挺《ちょう》の拳銃《けんじゅう》を其処《そこ》へ差出した。
「――持って行き給《たま》え」
「部長のですか」
「そうだ。狂いの無い点は保証する」
「拝借します」
海野は拳銃をポケットへ納め、パイプを噛み噛み出て行った。
「急ぎの用かしら、僕アいま飯を食いに行こうと思ってるんだがね」
食事と寝る時の他は薄荷《はっか》パイプを口から離した事がないので『パイプ』という綽名《あだな》のついている海野啓三《うんのけいぞう》は、至極のんびりした調子でまじまじと眼をあげた。相手は毎《いつ》もこれでうんざりさせられる。
「おい、ここは帝都新聞社の編輯室《へんしゅうしつ》だぜ。そして君はその社会部の記者だぜ。いざ事件となれば我々にゃあ飯もへちまも無いんだ」
「怒るなよ、訊《き》いただけじゃないか」
海野は舌だるい口調で云《い》いながら、石地蔵でも背負《しょ》ってるような足取で、のそくさと部長室の中へ入って行った。
――池田部長は黙って前の椅子《いす》を指し、海野が腰掛けても暫《しばら》くは無言のままだった。此方《こっち》は素《もと》より相手が話しかけなければ、三年でも黙っていようという海野だ。些《いささか》かも悪びれずに平然と眼を半眼にして待っている……と、その眼がいつか段々と大きく輝きだした。眼前の事務|卓子《テーブル》の上に、泥まみれになったソフト帽が置いてある。海野の眼はその帽子を覓《みつ》めながら輝きだしたのだ。池田部長はその様子を見て静かに口を切った。
「その帽子に見覚えがあるか」
「――楳原《うめはら》がどうかしたんですね、部長」
「楳原は社会部のピカ一だった。そして君の無二の親友だった。――彼はメイヤー商会の調査をして間諜《スパイ》の事実を突止め、ジャック・メイヤーを憲兵隊へ引渡した」
これは近来にない大事件で、加奈陀《カナダ》系ユダヤ人の経営する機械輸入商、メイヤー商会の重要な社員、ジャック・メイヤーが秘《ひそ》かに軍事機関の密偵を働いていたのを、帝都新聞の敏腕記者、楳原|俊吉《しゅんきち》が探査した結果、遂《つい》に首謀者メイヤーを捕縛したものである。――然《しか》しそれは二週間ほど前に解決がつき、商会は国外退去、ジャックは明白な軍事|探偵《スパイ》である証拠があがって、近く処置される事に決定していた。
「ところが、――一時間ほど前に、楳原が死体になって発見されたんだ。永代橋《えいたいばし》の下に溺死体《できしたい》となって」
「死んだ? 溺死ですって?」
「酔っぱらって隅田川へ落ちたらしい。警察ではそう云っている。――ところが、つい二十分ほど前に、或人《あるひと》から頼まれたと云って、労働者風の男がこの帽子を届けて来たんだ」
「メイヤーの仕業ですね、部長」
「君もそう思うか。――如何《いか》にもメイヤーの復讐だ。そうで無くてこの帽子を誰が届ける? ジャックの捕縛に対する復讐として、奴等《やつら》は楳原を殺し、我社を嘲笑《ちょうしょう》するために態《わざ》とこの帽子を届けて寄来したんだ」
海野はパイプを噛《か》みながら、のろのろと椅子から立上った。
「部長、些《ちょ》っと出掛けて来ます」
部長は我意を得たりというように頷《うなず》いて、一|挺《ちょう》の拳銃《けんじゅう》を其処《そこ》へ差出した。
「――持って行き給《たま》え」
「部長のですか」
「そうだ。狂いの無い点は保証する」
「拝借します」
海野は拳銃をポケットへ納め、パイプを噛み噛み出て行った。
[#3字下げ]六時三十分[#「六時三十分」は大見出し]
[#5字下げ]無気味なる忘れ物[#「無気味なる忘れ物」は中見出し]
メイヤー商会は丸内《まるノうち》三号館にある。
国外退去を命ぜられて以来、店を閉めて整理を急ぎつつあったが、どうやらそれも終ったので近く出発する事になっている。ジャックは無国籍だが、他の者は加奈陀《カナダ》の市民なので逮捕する訳には行かないのだ。然《しか》も残っている十人は兇暴《きょうぼう》な奴で、本国にいた頃はギャング一味として鳴らした連中である。――海野はこの兇悪な一味に対し果してどんな方法で親友の仇《あだ》を報いんとするのであろうか?
其日の午後六時頃、海野はメイヤー商会の近くにある喫茶店で、独り熱い珈琲《コーヒー》を啜《すす》っていた。こんな重大な場合でも矢張《やは》り例のパイプは口から離さない。珈琲《コーヒー》を啜る時だけ些《ちょ》いと外すが直《す》ぐまた啣《くわ》えてすぱすぱ吸っている。店の中には、附近の外人商館の店員らしい若い外国人が三人ばかり、紅茶で菓子を喰べながら声高に話していた。
時計が六時三十分になった時、海野は立上って喫茶店を出た。すると殆《ほとん》ど同時に、今まで談笑していた外人の内の一人が、後を追って来て、
「もしもし、あなたこれを落しませんか」と右手で何やら差出した。
「僕は別に何も落しませんがね……」
「よく見給え」
ぐいと突《つき》つけた手には、意外にも無気味な拳銃の筒先が光っていた。――あっ[#「あっ」に傍点]と思ってひと足|退《さが》ろうとすると、早くも後から駈《か》けつけて来た他の二人が、左右からぐっと海野を押えつけた。拳銃を持った一人は低い声で、
「黙って歩け、でないと射殺《うちころ》すぞ」
と云う。――海野はもぐもぐとパイプを噛んだ。メイヤー一味である。彼等は海野が来る事を知って待伏せしていたのだ。
そして、敵ながらものの見事に先手を打ったのだ。
海野は黙って歩きだした。
彼等が一丁ほど行くと、其処には更に二人の外国人が立っていて、待たせてあった自動車へ海野を押込むと、左右からぴったり押えつけたまま宵闇《よいやみ》の街を走りだした。――相手は五人、然も眼前に拳銃を突《つき》つけている。例え鬼神の勇があっても脱走する事は不可能だ。
間もなく芝浦へ着いた。一味の者は海野を中に挟んで車を降りると、十五番倉庫の裏へ廻って、小さな戸口から中へ入った。
国外退去を命ぜられて以来、店を閉めて整理を急ぎつつあったが、どうやらそれも終ったので近く出発する事になっている。ジャックは無国籍だが、他の者は加奈陀《カナダ》の市民なので逮捕する訳には行かないのだ。然《しか》も残っている十人は兇暴《きょうぼう》な奴で、本国にいた頃はギャング一味として鳴らした連中である。――海野はこの兇悪な一味に対し果してどんな方法で親友の仇《あだ》を報いんとするのであろうか?
其日の午後六時頃、海野はメイヤー商会の近くにある喫茶店で、独り熱い珈琲《コーヒー》を啜《すす》っていた。こんな重大な場合でも矢張《やは》り例のパイプは口から離さない。珈琲《コーヒー》を啜る時だけ些《ちょ》いと外すが直《す》ぐまた啣《くわ》えてすぱすぱ吸っている。店の中には、附近の外人商館の店員らしい若い外国人が三人ばかり、紅茶で菓子を喰べながら声高に話していた。
時計が六時三十分になった時、海野は立上って喫茶店を出た。すると殆《ほとん》ど同時に、今まで談笑していた外人の内の一人が、後を追って来て、
「もしもし、あなたこれを落しませんか」と右手で何やら差出した。
「僕は別に何も落しませんがね……」
「よく見給え」
ぐいと突《つき》つけた手には、意外にも無気味な拳銃の筒先が光っていた。――あっ[#「あっ」に傍点]と思ってひと足|退《さが》ろうとすると、早くも後から駈《か》けつけて来た他の二人が、左右からぐっと海野を押えつけた。拳銃を持った一人は低い声で、
「黙って歩け、でないと射殺《うちころ》すぞ」
と云う。――海野はもぐもぐとパイプを噛んだ。メイヤー一味である。彼等は海野が来る事を知って待伏せしていたのだ。
そして、敵ながらものの見事に先手を打ったのだ。
海野は黙って歩きだした。
彼等が一丁ほど行くと、其処には更に二人の外国人が立っていて、待たせてあった自動車へ海野を押込むと、左右からぴったり押えつけたまま宵闇《よいやみ》の街を走りだした。――相手は五人、然も眼前に拳銃を突《つき》つけている。例え鬼神の勇があっても脱走する事は不可能だ。
間もなく芝浦へ着いた。一味の者は海野を中に挟んで車を降りると、十五番倉庫の裏へ廻って、小さな戸口から中へ入った。
[#3字下げ]俺は知ってるぞ[#「俺は知ってるぞ」は大見出し]
[#5字下げ]あわれ袋の中の鼠《ねずみ》[#「あわれ袋の中の鼠」は中見出し]
「捉《つかま》えて来たか」
「この通りだ。首領はいるか」
「奥でさっきからお待兼《まちか》ねだよ」
闇の中でそんな問答が交わされたうえ、がらんとした倉庫の中を横切り、右手にある扉《ドア》を開けて入った。――其処は五|米突《メートル》四方ほどの事務室で、その中央に鷲《わし》のような兇悪な顔をした男が立っていた。ヘンリイ・ロイドという奴で、残りの一味の首領である。彼は海野を見ると直ぐ側《そば》へ近寄って、
「待っていたぜ、海野啓三先生」
嘲《あざけ》るように云いながら、素早く全部のポケットを探って、中にある物をすっかり其処へ抛出《ほうりだ》した。――無論、池田部長から渡された唯一《ゆいいつ》の武器である拳銃も。
「は、は、この拳銃をズドンと殺《や》る積《つも》りだったんだな? 若僧」
冷笑と共に取上げられて了《しま》った。
どんなに喚《わめ》き叫ぼうとも、救助を求める事の出来ない岸壁倉庫の奥である。唯一の武器も奪われて了った。然も相手は殺人など屁《へ》とも思わぬ兇悪|無慙《むざん》な奴等だ。親友の仇《あだ》を報《ほう》ぜんとして来た海野啓三は、斯《か》くて逆に、敵の完全な罠《わな》に落ちたのである、――彼はただ茫然《ぼうぜん》と、パイプを噛むばかりだった。
「俺は此奴《こいつ》に引導を渡してやる。扉《ドア》の外で見張っていろ!」
そう云って子分たちを部屋の外へ出すと、扉《ドア》をぴったり閉めたヘンリイは右手に拳銃を持って海野の胸を狙《ねら》いながらにたりと笑った。
「おい記者先生、あの帽子は届いたろうな? 楳原俊吉の帽子はよ。云わなくとも分っているだろうが、彼奴《あいつ》はジャック兄哥《あにい》を捕縛させやがった罰として、俺のこの手で殺《ば》らしたんだ。水槽の中へ浸《つ》けてな――苦しがりやがったぜ実に。だが遉《さすが》に声は立てなかった。それだけは敵ながら適《あっぱ》れな奴だった。俺たちは明後日《あさって》出帆するよ。その土産代りに、もう一度だけ帝都新聞に赤耻《あかはじ》をかかせてやりたいんだ。それでつまり帽子を送った訳さ、楳原を殺《ば》らしたのが俺だと分れば、きっと仇討《あだうち》にやって来るだろう。楳原とは親友であった君がさ――海野先生。
君は『パイプ』という綽名で、他人《ひと》に軽蔑《けいべつ》されているが、実は最も敏腕な名記者なのだ。楳原がジャックの罪を発《あば》いたのも、その計略は君の手から出ている。表は馬鹿《ばか》のような顔をして、その実悪魔みたいな智慧《ちえ》のある奴……は、は、このヘンリイ・ロイドはみんな御存知だ。どうだ驚いたか」
「この通りだ。首領はいるか」
「奥でさっきからお待兼《まちか》ねだよ」
闇の中でそんな問答が交わされたうえ、がらんとした倉庫の中を横切り、右手にある扉《ドア》を開けて入った。――其処は五|米突《メートル》四方ほどの事務室で、その中央に鷲《わし》のような兇悪な顔をした男が立っていた。ヘンリイ・ロイドという奴で、残りの一味の首領である。彼は海野を見ると直ぐ側《そば》へ近寄って、
「待っていたぜ、海野啓三先生」
嘲《あざけ》るように云いながら、素早く全部のポケットを探って、中にある物をすっかり其処へ抛出《ほうりだ》した。――無論、池田部長から渡された唯一《ゆいいつ》の武器である拳銃も。
「は、は、この拳銃をズドンと殺《や》る積《つも》りだったんだな? 若僧」
冷笑と共に取上げられて了《しま》った。
どんなに喚《わめ》き叫ぼうとも、救助を求める事の出来ない岸壁倉庫の奥である。唯一の武器も奪われて了った。然も相手は殺人など屁《へ》とも思わぬ兇悪|無慙《むざん》な奴等だ。親友の仇《あだ》を報《ほう》ぜんとして来た海野啓三は、斯《か》くて逆に、敵の完全な罠《わな》に落ちたのである、――彼はただ茫然《ぼうぜん》と、パイプを噛むばかりだった。
「俺は此奴《こいつ》に引導を渡してやる。扉《ドア》の外で見張っていろ!」
そう云って子分たちを部屋の外へ出すと、扉《ドア》をぴったり閉めたヘンリイは右手に拳銃を持って海野の胸を狙《ねら》いながらにたりと笑った。
「おい記者先生、あの帽子は届いたろうな? 楳原俊吉の帽子はよ。云わなくとも分っているだろうが、彼奴《あいつ》はジャック兄哥《あにい》を捕縛させやがった罰として、俺のこの手で殺《ば》らしたんだ。水槽の中へ浸《つ》けてな――苦しがりやがったぜ実に。だが遉《さすが》に声は立てなかった。それだけは敵ながら適《あっぱ》れな奴だった。俺たちは明後日《あさって》出帆するよ。その土産代りに、もう一度だけ帝都新聞に赤耻《あかはじ》をかかせてやりたいんだ。それでつまり帽子を送った訳さ、楳原を殺《ば》らしたのが俺だと分れば、きっと仇討《あだうち》にやって来るだろう。楳原とは親友であった君がさ――海野先生。
君は『パイプ』という綽名で、他人《ひと》に軽蔑《けいべつ》されているが、実は最も敏腕な名記者なのだ。楳原がジャックの罪を発《あば》いたのも、その計略は君の手から出ている。表は馬鹿《ばか》のような顔をして、その実悪魔みたいな智慧《ちえ》のある奴……は、は、このヘンリイ・ロイドはみんな御存知だ。どうだ驚いたか」
[#3字下げ]不思議なパイプ[#「不思議なパイプ」は大見出し]
[#5字下げ]ワン、ツウ、スリー[#「ワン、ツウ、スリー」は中見出し]
海野啓三はパイプを口の端から端へ移しながら、へどもどしたように頭を振った。――ヘンリイは拳銃《ピストル》をあげて、
「さあ、念仏を唱えろ海野、ジャック兄哥《あにい》は銃殺されるだろう。だから貴様も同じように鉛の弾丸《たま》をぶち込んでやる。『パイプ』の綽名ともこれでお別れだぞ、覚悟は宜《い》いか」
「…………」
「仰天してぐうの音も出ねえな。それともまだ助かる気でいるのか、え? 記者先生、見ろよ、俺《おい》らの指は引金《ひきがね》へ掛っているんだぜ。これをこう引けばそれでお陀仏《だぶつ》なんだぜ」
「…………」
海野はまだ一|言《ごん》も口を開《あ》かぬ。諦《あきら》めて了ったのか、みすみす手を束《つか》ねて返討《かえりうち》にされるのか。ヘンリイは一歩出た。そして拳銃の筒先をぴたりと海野の心臓へ向けた。
「一《ワン》――二《ツウ》……」
三《スリー》――と云いかけた時だ、海野は吃驚《びっくり》したように、啣《くわ》えていたパイプをひょい[#「ひょい」に傍点]と右手で取った。同時に、そのパイプの先から、シュッと白い液が飛出してヘンリイの顔へかかった。
「あっ!」
ヘンリイは思わず右手で眼を押えたが、強烈な痛みに襲われてよろよろと身が傾く。刹那《せつな》! 海野は神速《しんそく》に拳銃を奪取ると、右のストレイトで発止《はっし》とばかり相手の鼻柱を突上げた。ヘンリイはだあっ[#「だあっ」に傍点]と倒れながら、
「ああ苦しい、畜生、誰か来い」
と喚く。即座に扉《ドア》が開《あ》いて、子分たちが押込んで来た――が、海野が拳銃を突《つき》つけて立っているので、あっ[#「あっ」に傍点]と叫んだまま、立竦《たちすく》んだ。
海野は再びパイプを口に啣《くわ》え、片手で拳銃を構えながら、
「――ヘンリイさん、僕のことを敏腕な記者だと褒めて下すって有難う。けれど敏腕な記者だと知っていたら、もう少し注意しなくちゃいけませんね。武器はポケットにばかりあるとは定《きま》っていませんからね。催涙液を詰めたパイプなんて洒落《しゃれ》てるでしょう。ふふふふ」
軽く笑うと、片手で静かに卓上電話を取ってダイヤルを廻し、受話器を耳に当てて云った。
「もしもし、池田部長ですか。ヘンリイ一味を抑えました。警視庁へ通知して直ぐ来て下さい。芝浦岸壁の十五号倉庫です」
「さあ、念仏を唱えろ海野、ジャック兄哥《あにい》は銃殺されるだろう。だから貴様も同じように鉛の弾丸《たま》をぶち込んでやる。『パイプ』の綽名ともこれでお別れだぞ、覚悟は宜《い》いか」
「…………」
「仰天してぐうの音も出ねえな。それともまだ助かる気でいるのか、え? 記者先生、見ろよ、俺《おい》らの指は引金《ひきがね》へ掛っているんだぜ。これをこう引けばそれでお陀仏《だぶつ》なんだぜ」
「…………」
海野はまだ一|言《ごん》も口を開《あ》かぬ。諦《あきら》めて了ったのか、みすみす手を束《つか》ねて返討《かえりうち》にされるのか。ヘンリイは一歩出た。そして拳銃の筒先をぴたりと海野の心臓へ向けた。
「一《ワン》――二《ツウ》……」
三《スリー》――と云いかけた時だ、海野は吃驚《びっくり》したように、啣《くわ》えていたパイプをひょい[#「ひょい」に傍点]と右手で取った。同時に、そのパイプの先から、シュッと白い液が飛出してヘンリイの顔へかかった。
「あっ!」
ヘンリイは思わず右手で眼を押えたが、強烈な痛みに襲われてよろよろと身が傾く。刹那《せつな》! 海野は神速《しんそく》に拳銃を奪取ると、右のストレイトで発止《はっし》とばかり相手の鼻柱を突上げた。ヘンリイはだあっ[#「だあっ」に傍点]と倒れながら、
「ああ苦しい、畜生、誰か来い」
と喚く。即座に扉《ドア》が開《あ》いて、子分たちが押込んで来た――が、海野が拳銃を突《つき》つけて立っているので、あっ[#「あっ」に傍点]と叫んだまま、立竦《たちすく》んだ。
海野は再びパイプを口に啣《くわ》え、片手で拳銃を構えながら、
「――ヘンリイさん、僕のことを敏腕な記者だと褒めて下すって有難う。けれど敏腕な記者だと知っていたら、もう少し注意しなくちゃいけませんね。武器はポケットにばかりあるとは定《きま》っていませんからね。催涙液を詰めたパイプなんて洒落《しゃれ》てるでしょう。ふふふふ」
軽く笑うと、片手で静かに卓上電話を取ってダイヤルを廻し、受話器を耳に当てて云った。
「もしもし、池田部長ですか。ヘンリイ一味を抑えました。警視庁へ通知して直ぐ来て下さい。芝浦岸壁の十五号倉庫です」
底本:「周五郎少年文庫 殺人仮装行列 探偵小説集」新潮文庫、新潮社
2018(平成30)年11月1日発行
底本の親本:「少年少女譚海」
1938(昭和13)年12月号
初出:「少年少女譚海」
1938(昭和13)年12月号
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
2018(平成30)年11月1日発行
底本の親本:「少年少女譚海」
1938(昭和13)年12月号
初出:「少年少女譚海」
1938(昭和13)年12月号
入力:特定非営利活動法人はるかぜ