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会食
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会食
徳田秋声
徳田秋声
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)食《しよく》
(例)食《しよく》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)会|食《しよく》
(例)会|食《しよく》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#「せい」に傍点]
(例)[#「せい」に傍点]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)せい[#「せい」に傍点]/\
(例)せい[#「せい」に傍点]/\
濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
その日はG―氏とD―氏と彼と三人で会|食《しよく》する約束《やくそく》だつたので、午後になると彼はその時間の来るのを待《ま》つてゐた。家政一切をやつてくれてゐるおばさんも、その積《つも》りにして彼の分の晩飯《ばんめし》の支度はしないことにしてゐた。彼はこの人が来てから、やつと乱|雑《ざつ》な家|庭《てい》の秩序《ちつじよ》の立つて来たのを喜《よろこ》んでゐる。今まで彼は傭人では家政らしいことはしてもらへないものとあきらめてゐた。そして再婚《さいこん》を勧める人の言葉《ことば》にも一|理《り》があるとうなづけるやうな気もしてゐたが、この人が来てからは、彼は独身《どくしん》生活《くわつ》のいかにせい[#「せい」に傍点]/\したものであるかを知ることが出来た。彼は子|供達《どもたち》の外に、何も義務《ぎむ》を負《お》はされることがなかつた。彼は何でもしたいと思《おも》ふことをすることが出来た。この場《ば》合彼が聡《そう》明であることの必要《ひつよう》なことは無|論《ろん》であつたが、また意志《いし》次第でどんなにでも自分自|身《しん》をよくする自由に恵《めぐ》まれてゐることを感《かん》じた。ひとりでゐることが、それ自|身《しん》すでに善《ぜん》であり健《すこや》かであり単純《たんじゆん》であることに気づきはじめてゐた。下らないものを一切切|払《はら》ふことが出来るのであつた。
彼は庭《には》へおりて、落葉《おちば》を掃いたりした。青年S―は座敷《ざしき》で読《どく》書に耽《ふけ》つてゐた。彼はこの青年とおそくまで話《はな》すことも度々であつた。彼は起《お》きるから寝《ね》るまで本を読《よ》んでゐた。彼は知|識慾《しきよく》に餓ゑてゐた。昨夜も彼は哲《てつ》学を談《だん》してゐた。彼自|身《しん》も若《わか》い時分から、形而上学を好《この》む傾向《けいこう》があつたが、彼の学んだ中学では、重に科《くわ》学の知識《しき》を注《ちう》入された。彼は唯物主|義《ぎ》者といつてもよかつたが、さうも極まつてゐなかつた。自分の主|観《くわん》があつてすべてのものゝ存在があるやうにも感《かん》ぜられた。しかしその主|観《くわん》も禅僧《ぜんそう》の言草ではないけれど、葉末《はすゑ》におく露《つゆ》のやうなものであつた。宇宙《うちう》は露《つゆ》に宿《やど》す映象《えいぞう》でしかなかつた。大|哲《てつ》学者の学|説《せつ》の要点《ようてん》について、彼は彼自|身《しん》の人生|観《くわん》で、青年をあしらつてゐたが、唯心|論《ろん》と唯物|論《ろん》とは、どんな哲《てつ》学者にもその限界《げんかい》や統《とう》一がつかないだらうと思《おも》はれた。
「先生今度××の認識論《にんしきろん》を買つて下さい。」
「あゝいゝとも。」
しかし彼自|身《しん》は今まで本を買ふことは余《あま》り好きではなかつた。どんな本をでも彼は信《しん》ずることが出来なかつた。彼は無|謀《ぼう》にもあらゆる歴史《れきし》を軽視《けいし》してゐた。
「庭《には》へ水をやるんですか。」
S―青年は庭《には》にゐる彼に気づいて声《こゑ》をかけた。S―は哲《てつ》学者のやうに迂闊《うくわつ》で、詩《し》人のやうに純朴《じゆんぼく》であつた。尤《もつと》も彼は田舎《ゐなか》を出るとさも出てからも詩《し》人であつたが、少しづゝ都会生|活《くわつ》の現実《げんじつ》に打突かるにつれて、徐《おもむろ》にこの人生に目ざめつゝあつた。
彼は最《さい》近家の増|築《ちく》後一方に片寄《かたよ》せてあつた木や石をいくらか配置《はいち》よく植《うえ》木屋に散らばしてもらつた。彼はこの頃《ごろ》も居に迷《まよ》つてゐたので、その仕事に取りかゝることを躊躇《ちうちよ》してゐたが、余《あま》り鬱|陶《とう》しいのでやりかけて見たが、気持のこだはりとなるのが不安であつた。
「いや、今はいゝ。僕《ぼく》が出てから少しやつてくれたまへ。」
S―青年から見れば、彼の日|常《ぜう》生活には無用のことが八分であつた。彼は今一年自分が曾つてあつたやうなS―青年のやうな気持になりたかつた。そしてそれも今の彼に取つては、比較《ひかく》的自由であつた。彼は自己|革命《かくめい》のために、今の生|活《くわつ》から逃げよう/\と思《おも》ひながら、やつぱりそれに囚《とら》はれてゐた。
G―氏が軽《かる》い背広《せびろ》姿でやつて来た。G―氏は最《さい》近|腕《うで》の骨を折《を》つて、しばらく腕《うで》を吊《つ》つてゐたが、今は洋服《ようふく》の袖《そで》に手を通せるやうになつた。怪《け》我した時、一月ほど前に彼はG―氏を見|舞《ま》つた。彼は二|階《かい》の狭《せま》い書|斎《さい》に、瓦《が》斯まで取りつけてお茶《ちや》を自|身《しん》に煎れたりして、まるで家|庭《てい》とは懸け離《はな》れたやうな生|活《くわつ》をしてゐた。彼はこの頃《ころ》余《あま》り仕事をしないけれど、仕《し》事をするとしないとは、その人の内|面《めん》生|活《くわつ》に大して関係《くわんけい》のある訳《わけ》でもなかつた。仕事をしないときに、その人は最《もつと》も好《よ》いことを考《かんが》へてゐる人であり芸術《げいじゆつ》家であるかも知れないのであつた。もし多|勢《ぜい》の子供《ども》を養《やしな》ふパンがあつたら、彼もさうした芸術《げいじゆつ》家に成りたいのであつた。
「腕《うで》はもういゝの?」
「まだ十分といふ訳《わけ》ぢやないけれど、まあ……。」G―氏は縁側《えんがは》のところへ来て坐《すわ》りながら、
「繃帯《ほうたい》の下がむれるので、かぶれが出来て、中|途《と》ちよつと取つたり何かしたものだから、少し長引いたけれど……。」
「あゝ、暑《あつ》い時はやり切れない。僕《ぼく》のとこの二男も柱にぶつかつて矢張り肩《けん》胛|骨《こつ》を折《を》つたことがあつたが、家内がよく団扇で煽いでやつてゐた。」
彼は二男をつれて、大学の整《せい》形外|科《くわ》へ通つたことを思《おも》ひ出した。その子|供《ども》は今は始《し》末の悪い大酒|飲《の》みになつてゐた。
「N―君は通知を出した時分にはもう避暑《ひしよ》地へ立つた後で、ちよつと寂《さび》しいけれど。」G―氏はいつた。
「さうね。」
「今度|帰《かへ》つた時分にはまたやらう。」
「あゝ。」
「D―君おそいね。子|供《ども》が病《べう》気でもしてるんぢやないかな。」G―君は暗《くら》い顔《かほ》をした。
「さうね。来ないかも知れないね。」
「いやきつと来る。」
「しかしどこにするね。」
「さあ。」
彼は四人の会|食《しよく》が、もと銘《めい》々の家|庭《てい》で行はれたことを悉皆《しつかい》忘却《ぼうきやく》してゐたが、思出したにしても、今は実《じつ》行が不可|能《のう》であつた。その後彼はN―君のところで一度、自分の家で一度やつた時のことなどが朧ろに思《おも》ひ出せた。彼は悪いことも忘《わす》れがちであつたが、好《よ》いことも忘《わす》れがちであつた。彼は過去《くわこ》に未練《みれん》がなかつたが、過《くわ》去の積《つ》み重ねは何といつても、古い家|庭《てい》の我|楽《らく》多のやうに彼に附き絡はつてゐた。因習《いんしゆう》を脱却《だつきやく》することは、自|身《しん》の主|観《くわん》だけでは困難《こんなん》なことのやうに思《おも》はれた。
枇杷なんか剥いて食べてゐるうち、大分たつてからそゝくさと玄関《げんくわん》へ入つて来る気勢がした。G―君が体を捻ぢて入口を見た。
「来た!」
「いや、どうも遅《おそ》くなつて……。」
D―君はどこか落《おち》着がなかつた。
「今さういつてゐたんだ。子|供《ども》が病《へう》気でなければいゝがと。」G―君はいつもの含羞んだやうな表情《へうぜう》をした。
「さうなんだ。」
「ほゝ。何|病《べう》気?」
「何つて、そのいつもの腸《てう》なんだけれどね。実《じつ》は子|供《ども》に人形を見せようと思《おも》つて、文|楽《らく》へつれて行つたんだ。」
「子|供《ども》をそんなところへつれて行くのは少し残酷《ざんこく》だ。」G―君が非難《ひなん》するともなく、不|賛《さん》成を表《へう》した。
彼にはD―君の気持もG―君の気持もわかるのであつた。彼は子|供《ども》に興味《けうみ》のありや否《いな》やを問《と》はず、最初《さいしよ》のうちよく子供《ども》を物見遊山|場《ば》へつれ出したものであつた。子|供《ども》本位の場《ば》所も多かつたが、さうでないこともあつた。七つか八つの子|供《ども》を水|害《がい》を見につれて行つて、遠い道を炎《えん》天に曝らした結果《けつくわ》、帰《かへ》つて来ると黒《くろ》い煤のやうなものが胃《い》から出て、小児|科《くわ》のW―氏に、病《べう》気が可なり重いことを告げられて、びつくりしたこともあつた。彼は八月|末《まつ》の悪|暑《あつ》い日に、向島の土手から千住まで子|供《ども》を歩かせてしまつた。日の暮れる頃《ころ》、彼は赭《あか》い濁流《だくりう》の氾濫《はんらん》した川を危い小舟で渡《わた》つて、やつと家|路《ぢ》に着いた。子|供《ども》は霜降《しもふ》りの猟|服《ふく》のやうなセル地の服《ふく》のボタンをはづしもしないでへと/\になつてゐた。焚《たき》出しや何かで大|騒《さわ》ぎをしてゐる向島の土手はづれまで来たとき、彼は痛《いた》く子供《ども》の疲《つか》れてゐることに気がついたが、そこまで来てはどうすることも出来なかつた。愚かな父はそんな光|景《けい》を子|供《ども》に見せておかうと思《おも》つたのであつた。
「さうも思《おも》つたけれど、家内にも一度見せてやらうと思《おも》つて……。この春|演舞場《えんぶぜう》に新橋|芸妓《げいぎ》の踊《おど》りのあつたとき、子|供《ども》はあんなものを喜《よろこ》ぶから、見せてやらうと思《おも》つて連《つ》れて行つたんだ。今度は浄瑠璃《ぜうるり》だし、どうかと思《おも》つたけれど、人形を見せようと思《おも》つてね。」
「うむ僕《ぼく》もつれて行つた。尤《もつと》も大きい方の娘《むすめ》を誘《さそ》ふ人があつたんでね、残《のこ》される亮子が寂《さび》しがるから僕《ぼく》が連れて行つたんだけれど、矢|張《は》り眠《ねむ》つちまつたね。それでもいゝ気持ちなんだけれど。しかしいゝことぢやないな。よく子|供《ども》を引張り出す人は大|抵《てい》子|供《ども》を悪くしてゐる。生|涯《がい》のメモレイとして、残《のこ》しておいてやりたいといふ感情《かんぜう》なんだけれど。」
彼は幼《おさな》いをり父や姉につれられて、よく劇場《げきぜう》へ入つたことがあつた。父はまた浄瑠璃《ぜうるり》を聞きに連れて行つた。父は子|供《ども》の教育《けういく》にはルーズであつた。彼は芝居《しばい》好きになつてしまつた。浄《ぜう》瑠璃好きにもなつた。大|体《たい》遊《あそ》び好きになつた。彼も父のやうに、彼の子を愛《あい》したけれど、躾方はルーズでないとはいへなかつた。彼はこの頃《ころ》末《すゑ》の亮子に家|庭教師《ていけうし》を附けたりした。彼は姉の泰子が資質《ししつ》もあつたらうが、彼女の学校が、よく彼女に耐へ忍《しの》ぶ力を与《あた》へてくれたことを感謝《かんしや》してゐた。妻《つま》のない父をいたはる気持と、母のない亮子を慈しむ気持が、次|第《だい》に彼女の裏に成長しつゝあるのを感《かん》じた。彼は最《さい》近|泰《やす》子のために着物や洋服《ようふく》の地や柄《がら》を見立てることが一つの趣味《しゆみ》となつてゐた。十九の姉と十一の妹との結《むす》びつかりが、屡《しば》々彼の気持を感傷《かんせう》に陥いれた。一人が一人を失《うしな》つたとき、彼女の人生がどんなに寂《さび》しいものかを想像《そうぞう》した。
D―君は病児《べうじ》を見|棄《す》てゝ来たことが気がゝりでならなかつた。
「しかし心|配《ぱい》だね。」
「いや、大したことはないんだ。疫痢《えきり》ぢやなさゝうだ。医《い》者も心|配《ぱい》はないといつてゐるんだが、しかし脈搏が大分多いし、吐《は》いたり何んかもするんだ。」
「あゝ、それなら家の亮子も一昨年から去《きよ》年の春へかけて、二三度やつた。医者にきくと、最《さい》近よくある病《べう》気ださうだ。普《ふ》通の胃腸《いてう》とちがつて、きつと心|臓《ぞう》が苦《くむ》しくなる。いくら食べものを要《よう》心しても駄《だ》目なんだ。十|歳《さい》すぎた子供《ども》には起《お》こらないさうだが、事|実《じつ》さうらしい。」
D―君は起《た》ちあがつて縁《えん》先きへ出て庭《には》を見たりして、又|座《ざ》にかへつたが、ふさいでゐた。
「そんなぢや何か食べに行つても面《おも》白くないね。」
「いや、大丈夫です。行くには行きますが、何しろ私がゐないと、十分の手当が出来ないんだから。」
「ぢや行つた先きで、医《い》者へ電話《でんわ》をかけたら。」
「さう、それでもいゝ。」
「血便《けつべん》が出ないんなら心|配《ぱい》はないですよ。」
「血便《けつべん》なんてことはない。しかしさう安心もしてゐられないんで……。」
「それあさうだ。」
「兎に角《かく》出てみよう。」
「どこにするかね。支|那料理《なれうり》はいけない?」
「支|那料理《なれうり》もね。」D―君は進《すゝ》まないらしかつた。
「日本|料理《れうり》でもいゝけれど、選択《せんたく》が面倒《めんどう》で。」
「支|那料理《なれうり》いゝだらう。」
「日本橋かね。上野の方が一番うまいと思《おも》ふけれど、しかし遠《とほ》くへ行つてもいゝ。」
「上野?」
「この人に任さう。」G―君がいつた。
彼は着物を着かへた。
「今年は夏物が一|枚《まい》もないんで、実に困つた。」
彼はついこぼさずにはゐられなかつた。現在《げんざい》の家|族制《ぞくせい》度或は社《しや》会|状態《ぜうたい》では家長の責《せき》任が余《あま》りに重く権利《けんり》が軽《かる》いとおもはれる場《ば》合が多|勢《ぜい》の幼い家|族《ぞく》を抱《かゝ》へてゐる彼には屡《しば》々感《かん》ぜられることであつた。父としての彼の愛《あい》にも、矛盾《むじゆん》の悩《なや》みがない訳《わけ》に行かなかつた。しかし子|供《ども》のやつた家|庭破壊《ていはくわい》には、余《あま》りにイジイゴイングな非《ひ》人|情《ぜう》があつた。そして彼一人は兎に角《かく》安|全《ぜん》の地位に遁れる道をよく知つてゐた。
通りからタキシイをやとつて、その家に着いた。文|芸《げい》好きな若《わか》い令嬢《れいぜう》風の美しい人が、そこへ現《あらは》れて来た。そして涼《すゞ》しい泉《せん》石を控《ひか》へた瀟洒な部《へ》屋へ、三人は案《あん》内された。筧の水が絶《た》えず水|盤《ばん》からこぼれおちてゐた。芝《しば》居の舞台《ぶたい》か何かのやうに、張りつけのやうな小|器《き》用な庭《には》だつたが、かうした純粋《じゆんすい》な日本|趣味《しゆみ》にも、近|代《だい》的な日本人らしい頭《あたま》の好さと軽《かる》さが現《あらは》れてゐた。彼はこの見てくればかりの軽《かる》い趣味《しゆみ》が厭になつてゐたが、見た目の感《かん》じは悪《わる》くはなかつた。たゞ彼自身《しん》はもつと根《こん》性をすゑて、どつちり生きたいと思《おも》つた。素《そ》朴な生|活《くわつ》様|式《しき》に彼は渇ゑてゐた。
淡《たん》泊な料理《れうり》が一品二品と運《はこ》ばれ、ラウチユやビールが各自のコツプに注がれた。
「成|程《ほど》これあいゝね。」D―君がいつた。
「僕《ぼく》はどこよりも美いと思《おも》ふんだけれど。」
「美いよ」G―君もいつた。
しかしD―君は楽しまなかつた。
「君なんかあれだけの子|供《ども》を育てるのは大|変《へん》だつたらうと思《おも》ふね。」D―君はしみ/″\いつた。
「光子の死んだときは、外の二人も入|院《いん》して棺桶が三つそろふかと思《おも》つた。もう完膚《くわんふ》のないくらゐカンフルや食塩《しよくえん》の注射《ちうしや》をやつて、家内は気が狂《くる》つてゐたからね。しかし余《あま》りこだはるもんぢやないね。」
父に背《そむ》いてゐる二人の大きい子|供《ども》の前|途《と》にも、彼は大して暗い気持をもつことは出来なかつた。彼等には彼等の生き方が、自|然《ぜん》に発見されて来る筈《はず》であつた。彼は彼等をさう凡庸《ぼんよう》な人間だとは思《おも》へなかつた。
「ずゐぶん不合|理《り》な話《はなし》だよ。この腕《うで》に多|勢《ぜい》の不生|産《さん》的な人間が垂下つてゐようといふんだから。」G―君が喙を出した。
「同|感《かん》だね。」彼もいつた。
「しかし子供《ども》をもつた経験《けいけん》のない人は、気の毒《どく》だよ。」さういふD―君は年を取つてから子|供《ども》をもつた苦《くる》しみのなかに、大いなる幸福《こうふく》を感《かん》じてゐた。D―君は近|頃《ごろ》ひどく、張《はり》合ひのある生|活《くわつ》をしてゐた。永遠《えいえん》の力が与《あた》へられたやうに見えた。G―や彼の生|活《くわつ》は今しきりに分|裂《れつ》しつゝあつた。
女中に頼《たの》んだ電話《でんわ》がかゝつたところで、D―君は立つて行つた。
「年取つてからの子だから無理《むり》もないさ。」
二人は月並の言葉《ことば》しか出なかつた。
やがてD―君が帰《かへ》つて来た。
「どうしたの?」
「やつぱり悪《わる》いさうだ。あれから又|吐《は》いたさうで……」とD―君はもう料理《れうり》も咽喉へは通らなかつた。
「ぢや帰《かへ》つた方がいゝね。万一間|違《ちが》ひかおこると……。」彼はいつた。
「さうなんだ。で、僕《ぼく》甚《はなは》だ何だけれど、帰《かへ》りませう。今度又N―君がゐるときに。」
「九月にやり直《なほ》さう。」G―君もいつた。
D―君はあたふた帰《かへ》つて行つた。
そこへ美しい女中がやつて来た。
「飲《の》まない。」彼はコツプを差向《さしむ》けた。
「え、有難《がた》う。」
「食べない?」
「えゝ。」
彼《かれ》は彼女のために豚と葱に味噌《みそ》をつけて、皮《かは》に捲《ま》いてやつたりした。
二人は陶然《とうぜん》としてゐた。[#地付き](昭和3年10[#「10」は縦中横]月1日「サンデー毎日」)
彼は庭《には》へおりて、落葉《おちば》を掃いたりした。青年S―は座敷《ざしき》で読《どく》書に耽《ふけ》つてゐた。彼はこの青年とおそくまで話《はな》すことも度々であつた。彼は起《お》きるから寝《ね》るまで本を読《よ》んでゐた。彼は知|識慾《しきよく》に餓ゑてゐた。昨夜も彼は哲《てつ》学を談《だん》してゐた。彼自|身《しん》も若《わか》い時分から、形而上学を好《この》む傾向《けいこう》があつたが、彼の学んだ中学では、重に科《くわ》学の知識《しき》を注《ちう》入された。彼は唯物主|義《ぎ》者といつてもよかつたが、さうも極まつてゐなかつた。自分の主|観《くわん》があつてすべてのものゝ存在があるやうにも感《かん》ぜられた。しかしその主|観《くわん》も禅僧《ぜんそう》の言草ではないけれど、葉末《はすゑ》におく露《つゆ》のやうなものであつた。宇宙《うちう》は露《つゆ》に宿《やど》す映象《えいぞう》でしかなかつた。大|哲《てつ》学者の学|説《せつ》の要点《ようてん》について、彼は彼自|身《しん》の人生|観《くわん》で、青年をあしらつてゐたが、唯心|論《ろん》と唯物|論《ろん》とは、どんな哲《てつ》学者にもその限界《げんかい》や統《とう》一がつかないだらうと思《おも》はれた。
「先生今度××の認識論《にんしきろん》を買つて下さい。」
「あゝいゝとも。」
しかし彼自|身《しん》は今まで本を買ふことは余《あま》り好きではなかつた。どんな本をでも彼は信《しん》ずることが出来なかつた。彼は無|謀《ぼう》にもあらゆる歴史《れきし》を軽視《けいし》してゐた。
「庭《には》へ水をやるんですか。」
S―青年は庭《には》にゐる彼に気づいて声《こゑ》をかけた。S―は哲《てつ》学者のやうに迂闊《うくわつ》で、詩《し》人のやうに純朴《じゆんぼく》であつた。尤《もつと》も彼は田舎《ゐなか》を出るとさも出てからも詩《し》人であつたが、少しづゝ都会生|活《くわつ》の現実《げんじつ》に打突かるにつれて、徐《おもむろ》にこの人生に目ざめつゝあつた。
彼は最《さい》近家の増|築《ちく》後一方に片寄《かたよ》せてあつた木や石をいくらか配置《はいち》よく植《うえ》木屋に散らばしてもらつた。彼はこの頃《ごろ》も居に迷《まよ》つてゐたので、その仕事に取りかゝることを躊躇《ちうちよ》してゐたが、余《あま》り鬱|陶《とう》しいのでやりかけて見たが、気持のこだはりとなるのが不安であつた。
「いや、今はいゝ。僕《ぼく》が出てから少しやつてくれたまへ。」
S―青年から見れば、彼の日|常《ぜう》生活には無用のことが八分であつた。彼は今一年自分が曾つてあつたやうなS―青年のやうな気持になりたかつた。そしてそれも今の彼に取つては、比較《ひかく》的自由であつた。彼は自己|革命《かくめい》のために、今の生|活《くわつ》から逃げよう/\と思《おも》ひながら、やつぱりそれに囚《とら》はれてゐた。
G―氏が軽《かる》い背広《せびろ》姿でやつて来た。G―氏は最《さい》近|腕《うで》の骨を折《を》つて、しばらく腕《うで》を吊《つ》つてゐたが、今は洋服《ようふく》の袖《そで》に手を通せるやうになつた。怪《け》我した時、一月ほど前に彼はG―氏を見|舞《ま》つた。彼は二|階《かい》の狭《せま》い書|斎《さい》に、瓦《が》斯まで取りつけてお茶《ちや》を自|身《しん》に煎れたりして、まるで家|庭《てい》とは懸け離《はな》れたやうな生|活《くわつ》をしてゐた。彼はこの頃《ころ》余《あま》り仕事をしないけれど、仕《し》事をするとしないとは、その人の内|面《めん》生|活《くわつ》に大して関係《くわんけい》のある訳《わけ》でもなかつた。仕事をしないときに、その人は最《もつと》も好《よ》いことを考《かんが》へてゐる人であり芸術《げいじゆつ》家であるかも知れないのであつた。もし多|勢《ぜい》の子供《ども》を養《やしな》ふパンがあつたら、彼もさうした芸術《げいじゆつ》家に成りたいのであつた。
「腕《うで》はもういゝの?」
「まだ十分といふ訳《わけ》ぢやないけれど、まあ……。」G―氏は縁側《えんがは》のところへ来て坐《すわ》りながら、
「繃帯《ほうたい》の下がむれるので、かぶれが出来て、中|途《と》ちよつと取つたり何かしたものだから、少し長引いたけれど……。」
「あゝ、暑《あつ》い時はやり切れない。僕《ぼく》のとこの二男も柱にぶつかつて矢張り肩《けん》胛|骨《こつ》を折《を》つたことがあつたが、家内がよく団扇で煽いでやつてゐた。」
彼は二男をつれて、大学の整《せい》形外|科《くわ》へ通つたことを思《おも》ひ出した。その子|供《ども》は今は始《し》末の悪い大酒|飲《の》みになつてゐた。
「N―君は通知を出した時分にはもう避暑《ひしよ》地へ立つた後で、ちよつと寂《さび》しいけれど。」G―氏はいつた。
「さうね。」
「今度|帰《かへ》つた時分にはまたやらう。」
「あゝ。」
「D―君おそいね。子|供《ども》が病《べう》気でもしてるんぢやないかな。」G―君は暗《くら》い顔《かほ》をした。
「さうね。来ないかも知れないね。」
「いやきつと来る。」
「しかしどこにするね。」
「さあ。」
彼は四人の会|食《しよく》が、もと銘《めい》々の家|庭《てい》で行はれたことを悉皆《しつかい》忘却《ぼうきやく》してゐたが、思出したにしても、今は実《じつ》行が不可|能《のう》であつた。その後彼はN―君のところで一度、自分の家で一度やつた時のことなどが朧ろに思《おも》ひ出せた。彼は悪いことも忘《わす》れがちであつたが、好《よ》いことも忘《わす》れがちであつた。彼は過去《くわこ》に未練《みれん》がなかつたが、過《くわ》去の積《つ》み重ねは何といつても、古い家|庭《てい》の我|楽《らく》多のやうに彼に附き絡はつてゐた。因習《いんしゆう》を脱却《だつきやく》することは、自|身《しん》の主|観《くわん》だけでは困難《こんなん》なことのやうに思《おも》はれた。
枇杷なんか剥いて食べてゐるうち、大分たつてからそゝくさと玄関《げんくわん》へ入つて来る気勢がした。G―君が体を捻ぢて入口を見た。
「来た!」
「いや、どうも遅《おそ》くなつて……。」
D―君はどこか落《おち》着がなかつた。
「今さういつてゐたんだ。子|供《ども》が病《へう》気でなければいゝがと。」G―君はいつもの含羞んだやうな表情《へうぜう》をした。
「さうなんだ。」
「ほゝ。何|病《べう》気?」
「何つて、そのいつもの腸《てう》なんだけれどね。実《じつ》は子|供《ども》に人形を見せようと思《おも》つて、文|楽《らく》へつれて行つたんだ。」
「子|供《ども》をそんなところへつれて行くのは少し残酷《ざんこく》だ。」G―君が非難《ひなん》するともなく、不|賛《さん》成を表《へう》した。
彼にはD―君の気持もG―君の気持もわかるのであつた。彼は子|供《ども》に興味《けうみ》のありや否《いな》やを問《と》はず、最初《さいしよ》のうちよく子供《ども》を物見遊山|場《ば》へつれ出したものであつた。子|供《ども》本位の場《ば》所も多かつたが、さうでないこともあつた。七つか八つの子|供《ども》を水|害《がい》を見につれて行つて、遠い道を炎《えん》天に曝らした結果《けつくわ》、帰《かへ》つて来ると黒《くろ》い煤のやうなものが胃《い》から出て、小児|科《くわ》のW―氏に、病《べう》気が可なり重いことを告げられて、びつくりしたこともあつた。彼は八月|末《まつ》の悪|暑《あつ》い日に、向島の土手から千住まで子|供《ども》を歩かせてしまつた。日の暮れる頃《ころ》、彼は赭《あか》い濁流《だくりう》の氾濫《はんらん》した川を危い小舟で渡《わた》つて、やつと家|路《ぢ》に着いた。子|供《ども》は霜降《しもふ》りの猟|服《ふく》のやうなセル地の服《ふく》のボタンをはづしもしないでへと/\になつてゐた。焚《たき》出しや何かで大|騒《さわ》ぎをしてゐる向島の土手はづれまで来たとき、彼は痛《いた》く子供《ども》の疲《つか》れてゐることに気がついたが、そこまで来てはどうすることも出来なかつた。愚かな父はそんな光|景《けい》を子|供《ども》に見せておかうと思《おも》つたのであつた。
「さうも思《おも》つたけれど、家内にも一度見せてやらうと思《おも》つて……。この春|演舞場《えんぶぜう》に新橋|芸妓《げいぎ》の踊《おど》りのあつたとき、子|供《ども》はあんなものを喜《よろこ》ぶから、見せてやらうと思《おも》つて連《つ》れて行つたんだ。今度は浄瑠璃《ぜうるり》だし、どうかと思《おも》つたけれど、人形を見せようと思《おも》つてね。」
「うむ僕《ぼく》もつれて行つた。尤《もつと》も大きい方の娘《むすめ》を誘《さそ》ふ人があつたんでね、残《のこ》される亮子が寂《さび》しがるから僕《ぼく》が連れて行つたんだけれど、矢|張《は》り眠《ねむ》つちまつたね。それでもいゝ気持ちなんだけれど。しかしいゝことぢやないな。よく子|供《ども》を引張り出す人は大|抵《てい》子|供《ども》を悪くしてゐる。生|涯《がい》のメモレイとして、残《のこ》しておいてやりたいといふ感情《かんぜう》なんだけれど。」
彼は幼《おさな》いをり父や姉につれられて、よく劇場《げきぜう》へ入つたことがあつた。父はまた浄瑠璃《ぜうるり》を聞きに連れて行つた。父は子|供《ども》の教育《けういく》にはルーズであつた。彼は芝居《しばい》好きになつてしまつた。浄《ぜう》瑠璃好きにもなつた。大|体《たい》遊《あそ》び好きになつた。彼も父のやうに、彼の子を愛《あい》したけれど、躾方はルーズでないとはいへなかつた。彼はこの頃《ころ》末《すゑ》の亮子に家|庭教師《ていけうし》を附けたりした。彼は姉の泰子が資質《ししつ》もあつたらうが、彼女の学校が、よく彼女に耐へ忍《しの》ぶ力を与《あた》へてくれたことを感謝《かんしや》してゐた。妻《つま》のない父をいたはる気持と、母のない亮子を慈しむ気持が、次|第《だい》に彼女の裏に成長しつゝあるのを感《かん》じた。彼は最《さい》近|泰《やす》子のために着物や洋服《ようふく》の地や柄《がら》を見立てることが一つの趣味《しゆみ》となつてゐた。十九の姉と十一の妹との結《むす》びつかりが、屡《しば》々彼の気持を感傷《かんせう》に陥いれた。一人が一人を失《うしな》つたとき、彼女の人生がどんなに寂《さび》しいものかを想像《そうぞう》した。
D―君は病児《べうじ》を見|棄《す》てゝ来たことが気がゝりでならなかつた。
「しかし心|配《ぱい》だね。」
「いや、大したことはないんだ。疫痢《えきり》ぢやなさゝうだ。医《い》者も心|配《ぱい》はないといつてゐるんだが、しかし脈搏が大分多いし、吐《は》いたり何んかもするんだ。」
「あゝ、それなら家の亮子も一昨年から去《きよ》年の春へかけて、二三度やつた。医者にきくと、最《さい》近よくある病《べう》気ださうだ。普《ふ》通の胃腸《いてう》とちがつて、きつと心|臓《ぞう》が苦《くむ》しくなる。いくら食べものを要《よう》心しても駄《だ》目なんだ。十|歳《さい》すぎた子供《ども》には起《お》こらないさうだが、事|実《じつ》さうらしい。」
D―君は起《た》ちあがつて縁《えん》先きへ出て庭《には》を見たりして、又|座《ざ》にかへつたが、ふさいでゐた。
「そんなぢや何か食べに行つても面《おも》白くないね。」
「いや、大丈夫です。行くには行きますが、何しろ私がゐないと、十分の手当が出来ないんだから。」
「ぢや行つた先きで、医《い》者へ電話《でんわ》をかけたら。」
「さう、それでもいゝ。」
「血便《けつべん》が出ないんなら心|配《ぱい》はないですよ。」
「血便《けつべん》なんてことはない。しかしさう安心もしてゐられないんで……。」
「それあさうだ。」
「兎に角《かく》出てみよう。」
「どこにするかね。支|那料理《なれうり》はいけない?」
「支|那料理《なれうり》もね。」D―君は進《すゝ》まないらしかつた。
「日本|料理《れうり》でもいゝけれど、選択《せんたく》が面倒《めんどう》で。」
「支|那料理《なれうり》いゝだらう。」
「日本橋かね。上野の方が一番うまいと思《おも》ふけれど、しかし遠《とほ》くへ行つてもいゝ。」
「上野?」
「この人に任さう。」G―君がいつた。
彼は着物を着かへた。
「今年は夏物が一|枚《まい》もないんで、実に困つた。」
彼はついこぼさずにはゐられなかつた。現在《げんざい》の家|族制《ぞくせい》度或は社《しや》会|状態《ぜうたい》では家長の責《せき》任が余《あま》りに重く権利《けんり》が軽《かる》いとおもはれる場《ば》合が多|勢《ぜい》の幼い家|族《ぞく》を抱《かゝ》へてゐる彼には屡《しば》々感《かん》ぜられることであつた。父としての彼の愛《あい》にも、矛盾《むじゆん》の悩《なや》みがない訳《わけ》に行かなかつた。しかし子|供《ども》のやつた家|庭破壊《ていはくわい》には、余《あま》りにイジイゴイングな非《ひ》人|情《ぜう》があつた。そして彼一人は兎に角《かく》安|全《ぜん》の地位に遁れる道をよく知つてゐた。
通りからタキシイをやとつて、その家に着いた。文|芸《げい》好きな若《わか》い令嬢《れいぜう》風の美しい人が、そこへ現《あらは》れて来た。そして涼《すゞ》しい泉《せん》石を控《ひか》へた瀟洒な部《へ》屋へ、三人は案《あん》内された。筧の水が絶《た》えず水|盤《ばん》からこぼれおちてゐた。芝《しば》居の舞台《ぶたい》か何かのやうに、張りつけのやうな小|器《き》用な庭《には》だつたが、かうした純粋《じゆんすい》な日本|趣味《しゆみ》にも、近|代《だい》的な日本人らしい頭《あたま》の好さと軽《かる》さが現《あらは》れてゐた。彼はこの見てくればかりの軽《かる》い趣味《しゆみ》が厭になつてゐたが、見た目の感《かん》じは悪《わる》くはなかつた。たゞ彼自身《しん》はもつと根《こん》性をすゑて、どつちり生きたいと思《おも》つた。素《そ》朴な生|活《くわつ》様|式《しき》に彼は渇ゑてゐた。
淡《たん》泊な料理《れうり》が一品二品と運《はこ》ばれ、ラウチユやビールが各自のコツプに注がれた。
「成|程《ほど》これあいゝね。」D―君がいつた。
「僕《ぼく》はどこよりも美いと思《おも》ふんだけれど。」
「美いよ」G―君もいつた。
しかしD―君は楽しまなかつた。
「君なんかあれだけの子|供《ども》を育てるのは大|変《へん》だつたらうと思《おも》ふね。」D―君はしみ/″\いつた。
「光子の死んだときは、外の二人も入|院《いん》して棺桶が三つそろふかと思《おも》つた。もう完膚《くわんふ》のないくらゐカンフルや食塩《しよくえん》の注射《ちうしや》をやつて、家内は気が狂《くる》つてゐたからね。しかし余《あま》りこだはるもんぢやないね。」
父に背《そむ》いてゐる二人の大きい子|供《ども》の前|途《と》にも、彼は大して暗い気持をもつことは出来なかつた。彼等には彼等の生き方が、自|然《ぜん》に発見されて来る筈《はず》であつた。彼は彼等をさう凡庸《ぼんよう》な人間だとは思《おも》へなかつた。
「ずゐぶん不合|理《り》な話《はなし》だよ。この腕《うで》に多|勢《ぜい》の不生|産《さん》的な人間が垂下つてゐようといふんだから。」G―君が喙を出した。
「同|感《かん》だね。」彼もいつた。
「しかし子供《ども》をもつた経験《けいけん》のない人は、気の毒《どく》だよ。」さういふD―君は年を取つてから子|供《ども》をもつた苦《くる》しみのなかに、大いなる幸福《こうふく》を感《かん》じてゐた。D―君は近|頃《ごろ》ひどく、張《はり》合ひのある生|活《くわつ》をしてゐた。永遠《えいえん》の力が与《あた》へられたやうに見えた。G―や彼の生|活《くわつ》は今しきりに分|裂《れつ》しつゝあつた。
女中に頼《たの》んだ電話《でんわ》がかゝつたところで、D―君は立つて行つた。
「年取つてからの子だから無理《むり》もないさ。」
二人は月並の言葉《ことば》しか出なかつた。
やがてD―君が帰《かへ》つて来た。
「どうしたの?」
「やつぱり悪《わる》いさうだ。あれから又|吐《は》いたさうで……」とD―君はもう料理《れうり》も咽喉へは通らなかつた。
「ぢや帰《かへ》つた方がいゝね。万一間|違《ちが》ひかおこると……。」彼はいつた。
「さうなんだ。で、僕《ぼく》甚《はなは》だ何だけれど、帰《かへ》りませう。今度又N―君がゐるときに。」
「九月にやり直《なほ》さう。」G―君もいつた。
D―君はあたふた帰《かへ》つて行つた。
そこへ美しい女中がやつて来た。
「飲《の》まない。」彼はコツプを差向《さしむ》けた。
「え、有難《がた》う。」
「食べない?」
「えゝ。」
彼《かれ》は彼女のために豚と葱に味噌《みそ》をつけて、皮《かは》に捲《ま》いてやつたりした。
二人は陶然《とうぜん》としてゐた。[#地付き](昭和3年10[#「10」は縦中横]月1日「サンデー毎日」)
底本:「徳田秋聲全集第16巻」八木書店
1999(平成11)年5月18日初版発行
底本の親本:「サンデー毎日」
1928(昭和3)年10月1日
初出:「サンデー毎日」
1928(昭和3)年10月1日
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
1999(平成11)年5月18日初版発行
底本の親本:「サンデー毎日」
1928(昭和3)年10月1日
初出:「サンデー毎日」
1928(昭和3)年10月1日
入力:特定非営利活動法人はるかぜ