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  • 古い樫木

harukaze_lab @ ウィキ

古い樫木

最終更新:2019年11月01日 05:10

harukaze_lab

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古い樫木
山本周五郎

-------------------------------------------------------
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)館《たち》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)御|館《たち》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数)
(例)※[#「王+干」、第3水準1-87-83]
-------------------------------------------------------

[#6字下げ]一[#「一」は中見出し]

 女は泣伏したまま顔をあげることもできなかったが、男は覚悟をきめた態で、臆した色もなくこちらを見上げ、はっきりとこう返答をした。
「いいえ不義ではございません、道ならぬ恋こそ不義とも申しましょう、私どもはゆくすえをかたく誓った仲でございます、ただ御|館《たち》の中でひそかに逢ったということは申し訳ございませんけれど、私もこれも勤めのある体なり、御屋敷の外ではなかなかその折がございませんので、やむなく人眼を避けた御庭の奥で逢っていたのでございます」
 正則はむかむかしてきた。額に癇癪筋《かんしゃくすじ》が立ち両手がぐっと拳《こぶし》になる、もうそこで高頬をがんと一つ殴りつけるところだ。けれども心は白じらとそっぽを向いていた、肉体は怒《いか》っているのに感情はついてゆかない、寧《むし》ろ反対に冷やかな皮肉な方向へそれてしまう、この不均衡はちかごろ頓《とみ》につよくなったものだ。
「邸内で密通する者は屹度《きっと》申しつけるという定めを知っているか」
「はい存じております、然し私どもは決して密通などは致しません、互いに愛し合ってこそおりますが、猥《みだ》りがましいことは爪の尖《さき》ほどもございません、決して――」
「ばかなことを申すやつだ、男と女が互いに愛し合いながら、ふむ、――五郎兵衛」正則は振向いて侍臣を呼んだ、「預けるから伴《つ》れてゆけ、追って申しつける」
 女は表使いの女中である、男は富井|主馬《しゅめ》という扈従《こしょう》組の若侍で、気はしの利くみどころのある男だった。かれらが奥庭の樫木《かしのき》の陰で密会しているところを発見したとき、正則はひとこと叱りつけて許す積りだったが、男の態度や云うことが気にいらないので、屋形へ伴れて来て糺明《きゅうめい》した。まだ奥と表のけじめがそれほど厳しくなかった時代ではあるし、ひとつ邸内に多くの若い男女が生活していれば有りがちなことだ、相済みませんと詫《わ》びればそれで許してやっていいのである、然し男は恥じるようすがなかった。自分たちは末を誓った仲である、不義ではない、愛し合ってはいるが猥りがましいことはしていない、こう云って昂然《こうぜん》と額をあげた。――正則は蛭《ひる》でものんだような悪心を感じた、愛し合うとか、末を誓うとか、決して猥らなことはしないとか、男らしくもない片付けた理窟《りくつ》を並べる。好きになったら愛するがいいのだ、密通と云われようが不義と云われようが、本気で愛し合うならりっぱなものではないか。自分はそうして来た、男と女との愛情はそういうものだということを自分は知っている。
「渡辺に来いと伝え、彦助だ」正則はこう云いながら立った、「――納戸にいるぞ」
 彼の性格には似合わない意地の悪い考えがうかんだのである。納戸部屋の一つで待っていた正則は、渡辺彦助が来るとそこへ方六尺の檻《おり》を造れと命じた。――それは三日めになって出来あがった。中は二つに仕切られてある、正則は二人を左右に分けて入れ、互いに反対の方へ向いて座らせた。
「そのほう共は家法を犯した、罪は死に当るが、その日まで此処《ここ》に監禁する」彼はこう云った、「互いにその位置を動いたり、顔を見たり話したりすることはならぬ、猥らな仲ではないと申すのだから、勿論《もちろん》そのくらいのことは守れるだろう、死罪の日取は追って申し渡す、禁を破ると、――」
 そしてそこを去った。
 その部屋は一日じゅう暗かった、日の光もささず風もとおらない、季節は六月で、閉めきってあるから空気は澱《よど》んで濁り、夜になっても冷えることがなかった。二人は運ばれて来る食事をとり、虎子《おまる》で用を足す、眠るときには着たまま横になり、覚めると同じ位置に座る。暑いうえに蚊《か》がひどいので、よく眠れないのも辛いし、黙って座り続ける苦しさも想像以上だった。然しかれらはよく禁を守った、位置も変えないし、振向いて見ることもない、ただ時どき女の噎《むせ》びあげる声が、絹糸をひくように細ぼそと哀れに聞えるだけである、こうして四日、五日と経っていった。
 正則は独りでよく庭を歩く。――屋敷は愛宕《あたご》山の下にあって、庭は広くひじょうに樹が多い。江戸もまだ草創期で、天神谷に増上寺が出来てからはだいぶ変ったが、それでもまだその附近は郊外林野のおもかげが濃く、この邸内なども屋形まわりは別として、奥庭の大部分が自然のままの叢林《そうりん》である。松や杉や榧《かや》の古い樹立があり、下生えの灌木《かんぼく》が繁りに繁っている。正則は独りでよくそこを歩きまわった、愛宕山の裾までゆくと蘚苔《こけ》むした岩の根から、泉の涌《わ》き出るところが幾箇所もある。まわりには歯朶《しだ》がみっしりと葉を重ね、水を含んだ蘚苔が琅※[#「王+干」、第3水準1-87-83]《ろうかん》色の絨毯《じゅうたん》を布いている。水は芹《せり》や蓼《たで》やみぞ[#「みぞ」に傍点]蕎麦《そば》をひたして、しぜんと細い流れになり、庭を迂曲《うきょく》して邸の前の大溝《おおみぞ》へ落ちる。――その泉の畔りに枯れた樫木が立っていた、眼どおり二十尺、高さ八十尺ほどの巨《おお》きなもので、樹齢はおよそ八九百年、樫には稀《まれ》なものだといわれる。枯れてからも年月が経つのだろう、五つ残っている大枝も幹も、すっかり白く曝《さら》されてしまって、遠くから見ると巨人の枯骨のようにも思える、正則はその姿に激しく心ひかれていた。

[#6字下げ]二[#「二」は中見出し]

 一年ほどまえにその樫は伐《き》られかかったことがある、佐太兵衛という庭番の老僕が、斧《おの》をふるっているところへ正則がゆき合せた。そのとき彼はつくづくと樫の姿を見たのである、どうして伐るのかと訊《き》くと、幹に大きな空洞《うつろ》があるし根元が朽ちかかっている、強い風でも吹いて倒れると危ないからだと云った。
 ――いや伐ることはない、人の来る場所ではなし危険なことはないだろう、そのままにして置くがいい。
 正則はこう云って止めた。見れば見るほどそれは堂々として美しかった、幾百年の霜雪を凌《しの》いで生き、いさぎよく枯死して、惜しげもなく残骨を曝している、孤哨《こしょう》としていかにもみれんのない姿だ、自然に倒れるまでそっとして置いてやりたい、そう思ったのである。――それ以来、正則はしばしば来てその樫木の傍らで思った、表皮の剥《は》げた幹を撫《な》でたり、身を凭《もた》せかけたりした。彼は近頃よくものを想い、孤独を好むようになった、人間臭さがなければ、生きているという実感がなければ、一日も過せなかった彼が、いまでは折おり生きることに倦怠《けんたい》を感じ、人間臭さが鼻につくのである。人の世は余りに転変が激しい、人間の心は信じ難い、彼は五十九歳の今日までそれを観て来た、たのむことのできるのは自分ひとりであるが、その自分もすでに頽齢《たいれい》で、肉体にも感情にもいちじるしい衰耗が感じられる、そのうえ絶えず云い知れない不安に追われるのだ。どういう不安かということは自分でも説明ができない、はっきりした理由もない、ひじょうに漠然としたものではあるが、それでもいちどその不安が起こると、絶望的な寂しさのために胸苦しくなる、そして庭へ出てゆく。……以前は女や酒が慰めてくれた、弓をひき馬をせめ、家臣たちと語ることで気が紛れた、然しいまはどれ一つとして彼を満たしてくれない、どうしても虚礼や追従《ついしょう》やごまかしが見えてしまう。
 ――世間のさまも変る、人の心も絶えず移ってゆく、有らゆるものが瞬時も停ってはいない、この世には不易なものはなに一つとして存在しない。
 正則は古い枯れた樫木の側にいるときだけ、おちついた安らかな気持になることができた。彼はその樫に話しかける。おまえは幾百年というとしつき生きてきた、どれ程の人間の生き死に、幾十たびの栄枯変遷を見て来たことだろう。然しそのおまえもやっぱり死んでしまった。すると樫木もまた彼にこう答えるようだ。――そうではない、見るのは今さ、生きているうちはなにも見なかった、どんな経験も夢中だった、いのちが終りこのように枯れて、自然の休息にはいってから、おれはようやく見る物や経験することの意味がわかるようになったのさ。……別のとき樫木はこう呟《つぶや》くように思える。みんな同じことだ、おれは八百年も生きた、暴風雨《あらし》や旱魃《かんばつ》や寒さとたたかい、数知れぬ同族を凌いで生きて来た、然し今はなに一つ残っていない、このみじめな姿もやがて倒れて塵《ちり》になるだろう、なにもかも同じことだ。――勿論これが自問自答だということはわかっているし、さして卓抜な思考でないことも知っている、にも拘《かかわ》らず、そうやって樫木の姿を眺め、その幹に触れていると、正則はしずかな慰めを感じ、心がおちつくのであった。
 四五日このかた正則は庭へ出ない、彼は絶えず監禁した二人のほうへひきつけられ、そっと忍んでいってはようすを見る。……かれらは命ぜられた位置に相い反いて座り、決して振返ったり言葉を交わすようなことはなかった。
 ――ばかなやつらだ、あれでもゆくすえを誓った恋か。
 正則は冷笑する、そして自分の若い頃に比べてみる。彼はそんな風に恋をしたことはない、そんなうじうじしたなまぬるい恋はしなかった。彼はすべてを忘れて燃え、ひたむきに相手を奪った、忘却と燃焼と奪うことが彼の恋であった。
 ――あいつらはそれをどう考えているのだ。
 檻は狭い、どんなに離れても六尺を越えない、蒸されんだ空気のなかで、互いの若い躰臭《たいしゅう》に悩まされはしないか、どうくふうしたところで虎子で用を足すけはいは隠せまい、暑さと蚊とで寝ぐるしく輾転《てんてん》反側するとき、なまめかしくみだれた姿態を見ることはないか、……恋はなにものより激しく抗《あらが》い難いものだ、然も互いに愛し合っているとしたらなおさらである。
 ――よしよし、それが意地なら意地を張っておれ、いまに本音を吐かせてやるぞ。
 かれらが禁を破ったら、互いに眼を見交わし、すり倚《よ》り、格子を隔てて抱き合ったら、愛の言葉を囁《ささや》き合ったら、そうしたら正則は二人を許す積りであった。然し五日と経ち六日と経ってもそんなようすがみえない、彼は苛《いら》いらしてきた、どうでも本音を吐かせたくなり、七日めに侍臣を伴れて檻の前へいった。
「改めて申し渡す、今日より数えて五日のちに死罪をおこなう、よいか、五日のちだぞ」
 平伏していた女の躯《からだ》が見えるほど震えた。男の顔も蒼《あお》くなったようだ、正則はそれを見届けてからそこを去った。

[#6字下げ]三[#「三」は中見出し]

 夜半すぎに正則は忍んでいった。二人はやはり同じ位置にいるようだった、然しなにか話していた、正則は冷笑しながら近寄り、じっと耳を澄まして聞いた。……微《かす》かに囁くような声で女が語っている、それは人に話しかけるというより自分の回想に耽《ふけ》るもののようだ。
「なにも思い残すことはございません、死ぬことも怖くはございません、わたくしは愛して頂きました、どのような愛よりも浄《きよ》く深く、……強く」女はそっと噎《むせ》びあげる、「あなたの愛がもし浮いたものでしたら、世間の人たちのように契らずにはいなかったでしょう、――あなたは二年ものあいだ、いちどもそれをお望みなさいませんでした、うれしゅうございました」
「私はおまえと会った」男もまた囁くような声で云う、「このひろい世の中で、この数多い人間のなかで、私はおまえとめぐり会い、互いに愛し合うことができた、――これだけで生れて来た甲斐《かい》がある、果報だと思う」
「あの朝は霧が深うございました」やや久しく噎びあげてから、女が再び歌うように云いだす、「わたくしの髪が梅の枝にからみ、あなたが取って下さいましたとき、散りかかる花片《はなびら》が霧に濡れておりました」
「いつか私が遅れていったとき、おまえは泉の畔りに跼《かが》んでなにかを見ていた、私の足音にも気のつくようすがない、なにを見ているのだろう、私はそっと後ろから近寄っていった、――二羽のあじさし[#「あじさし」に傍点]が泉の中で戯れている、おまえは頬笑みながら、いつまでもじっと眺めていた」
 正則はやがてそこを去った。歯の浮くようなばかばかしさと、退屈で飽き飽きする気持で胸が重かった。けれども寝所へはいって横になってから、彼の耳にはいつまでも主馬と女の囁きがついて離れず、林の奥で霧にかすんでいる梅の花枝や、そっと笑み交わす二人の顔や、蘚苔に包まれた岩陰で小鳥の戯れるさまなどが、古い絵巻の断片のように思い描かれた、そしてながいこと眠れなかった。
 朝、彼が起きるのを待兼ねて、広島から急使の来たことが告げられた。正則は縁側でその者に会った、使いは長尾|隼人《はやと》からの密書を差出した、福島丹波、尾関、大橋、大崎ら重臣の連署した書状で、幕府の隠密と思える者が領内各所で年貢運上の仔細《しさい》を調べていった形跡がある、注意が願いたいという意味が書いてあった。正則は使者を去らせ、密書はすぐ焼いて捨てた。――間もなく長尾勘兵衛が謁を求め、なんのための急使であるかを知りたがった、重臣は殆んど広島に残っている、江戸邸に於《お》ける責任者は勘兵衛ひとりといってよい、従って勘兵衛には密書の内容を知る必要があったのだ。
「いや知らずともよい」正則は興もなげに脇へ向いた、「国の者どもが詰らぬことに神経を立てている、いつも同じ疑心暗鬼だ、捨てて置け」
 午後になって正則は庭へ出ていった。鬱陶しく曇った日で、叢林へはいってゆくと空気の冷えが感じられた。――ばかなやつらだ、彼はそう呟く、一昨年からそんな密使が時どきある、去年は城の修築を探索した者があるといって来た、みんな幕府の策謀を怖れているのだ、徳川譜代でない許りか、豊家はえぬき武将として、幕府からとかく敬遠されていることは正則も知っている、殊に三年まえ家康が死んでからはそれが著しい、けれども彼には確信があった。関ヶ原のとき武蔵のくに小山に於ける家康の陣営で、彼は誰より先に徳川軍の先鋒《せんぽう》となることを誓った、「西軍の旗挙げは治部少輔《じぶしょうゆう》の野望である、幼弱八歳の秀頼公にその意のある道理がない、豊家の名は詐称に過ぎぬ」こう云った。家康はその発言の功の大きさを認め、七代のあいだはいかなる罪ありとも赦《ゆる》すという保証を与えたのである、――この保証のある限り幕府になにが出来る。正則は老臣どものわけのない疑惧《ぎぐ》が寧ろ肚立《はらだ》たしいくらいだった。
 樫木から少し下ったところで、佐太兵衛が焚木《たきぎ》を拾っていた。その脇の灌木の繁みの陰が、主馬と女の逢っていた処《ところ》である。そこに朽木の倒れた幹が転げている、主馬がそれへ腰をかけ、女は側に蹲《しゃが》んで、片手を男の膝《ひざ》にのせていた、木漏れ日の斑《まだ》らに揺れる下で、二人のほつれ毛がきらきらと光ってみえた。――佐太兵衛はいま拾った焚木を、その朽木の側へ無心に積上げている。
 ――こいつはおれと同じ土地で生れた。
 正則は下僕の姿を眺めながらそう思う、尾張のくに海東郡二寺村というところで、正則の家は桶屋《おけや》であり佐太兵衛の家は百姓だった。彼は正則が二十五歳で伊予のくに十万石の領主になったとき、頼って来て身を寄せた。然しとうとう世に出る機会がなく、正則の草履を掴《つか》んだり、馬草を刈ったりしたうえ、庭番の下僕というところにおちついたのである。
 ――同じ土地に生れ同じ水で育ちながら、一方は五十万石の大守になり、一方はその粟《あわ》を貰って焚木を拾う、だが……。
 佐太兵衛が正則をみつけて声をあげた、正則は頭を振りながら近寄っていった。
「そろそろくにへ帰ったらどうだ」彼は古い友達にでも話すように云った、「もう隠居をしてもいいじぶんだ、くにの村に家はないのか」

[#6字下げ]四[#「四」は中見出し]

「家はござります、たびたびの下され物で、田地も山も、相応以上に持たせて頂きました、帰れば楽隠居でござります」
「佐太には子があったのか」
「おんなを持ちませぬので子はござりません、くにの家は兄の伜《せがれ》がやっております」
「妻を持たなかった、――いちどもか」
「若いときひどく懲りたことがございます」下僕はふと遠くを見るような眼をした、「それがもとで村をぬけだし、こなたさまをお頼り申したのでござります、……それからはもうふつふつ、今でもおんなは怖《こお》うござります」
「今でも怖いとはよほどの事だろう、その仔細を話してみろ」
「どう仕《つかまつ》りまして、昔のことで忘れてもしまいましたし、やくもないお笑い草でござります」
 どう強いても話すけしきがなかった。――いちど懲りてからおんなが怖くなったという、主馬とあの女とは契りも交わさぬ恋のために、死ぬことも恐れないと云っている、どっちにもそれほど恋が決定的なのだ。……あたら男が。正則が去ろうとすると佐太兵衛が顔をあげた。
「来年は尼ごぜの十七年でござりますな」
「――尼、とは」
「甚目《じんもく》寺の釈迦堂《しゃかどう》においでた、……お忘れでございますか」
 あああれかと云って正則は頷《うなず》き、ふと眼をあげてながいこと空を見ていた。
 屋形へ帰ったとき、またいつもの不安な気持が起こっているのを正則は感じた。曇り日の午後の光がなおさらいけない、彼は奥へはいって酒を命じ、幼い娘たちを呼んだ。……保乃という側女の産んだ子で年は六つと四つになる、年からいっても孫であろう、初めから正則は溺愛《できあい》していたが、この頃はさらに激しくなって、二人の顔を見ていると胸が熱くなるような感動を覚える。
「おやたさま、だっこ」妹娘が膝へ来た、姉がすぐに真似た。なにごとにも妹のほうがすばやい、お屋形と云うのを聞いておやたさま[#「おやたさま」に傍点]と訛《なま》るのも、妹が始めて今では姉も呼びならっている。
「あの二人はまだお赦《ゆる》しが出ませんのですか」保乃がふとこう云って正則を見た、「もういいころでございましょう、赦しておやりなされませ、可哀そうでございます」
「おれに向っておまえのようになんでもずけずけ云える者は一人もなかった」正則は妹娘の頭を撫でる、「だがそれでやめて置くがいい、おれはひとに指図をされるのがなにより嫌いだ」
「わるうございましたもう申上げませぬ」保乃はすぐにあやまって微笑した、「さあ万さま千いさま、こんどは保乃がだっこ致しましょう、おやたさまのお膝が重うござりますえ」
「まあいい久し振りだ、重くはないのう万、それ千いがおととを召します」
 正則は膳の上の肴《さかな》を取って妹娘の口へ入れてやった。――然し間もなく彼は娘たちを伴れてゆかせた、云いようもなく心が沈んで、幼い者を見ているに耐えなくなったのである。さらに侍女たちをも遠ざけ、保乃ひとりを相手に暫《しばら》く酒を飲んだ。
「なにかお心にかかる事でもございますのか、たいそうお気色がすぐれませぬ」
「佐太のやつがくにのことを思いださせおった」
「それでおふさぎなされますのか」
「あいつには故郷がある」正則は持っている盃《さかずき》の中をじっと見る、「佐太めには帰ってゆく家がある、だが、――おれにはない、帰るべき故郷も家も、身を寄せる縁類さえもない」
 保乃は眼を伏せた。正則は盃の中をみつめたまま「ふしぎだ」と呟く。
「おれは参議|従三位《じゅさんみ》で、安芸《あき》備後《びんご》五十万石の領主だ、広島には城も屋形もある、然しこれはすべて預かりものだ、佐太の帰ってゆくような家でもなし故郷《くに》でもない、……佐太めがそれを思いださせた、ふしぎだ、彼には故郷である村が、今のおれにはまったく無縁の地にしか思えない」
 こう云って彼は口を噤《つぐ》んだ。――故郷の二寺村の山河が眼にうかぶ、甚目寺の尼、彼は桶屋の伜の市松だった、暑い夏の日々、職人たちの弁当を届けに遠い処へよく往き来した、埃《ほこり》立つ長い道だった、彼は汗まみれになり、途中にある甚目寺で必ずいちどは休んだ。頼朝が建立したという古い寺で、境内に釈迦堂がある、そこに尼僧がいて、市松が休むたびに冷たい井水や湯や菓子などを出してくれた。……彼はそのときの嬉しさが身にしみて、世に出てからはずっと米塩を貢いできたのであるが、佐太兵衛に十七年と聞くまでは、その尼の死んだことさえ忘れていた。――そうだ、あの尼が市松のおれと故郷をつないでいたのだ、市松のおれを知っている尼が亡くなったとき、おれと故郷と一のつながりは切れたのだ、然しもしおれが五十万石の大守でなかったら、……躯の小さい柔和な尼の顔が眼にうかぶ、正則は盃を下に置いた。
 夜になってから雨が降りだし、気温が高くなった。寝苦しい夜である、正則は三ど納戸部屋を見にいった、三どめは夜半を過ぎていたが、ようやく二人の囁きを聞くことができた。……かれらはゆうべと同じように低い乾いた声で、お互いの恋の思出を語り続けた。

[#6字下げ]五[#「五」は中見出し]

「二人はめぐり会えた、二人はまじりけなく愛し合った」回想の合間あいまに男はこう繰返す、「幾たび云ってもこの果報は云い足りない、世間には会うべくして一生会えずに終る者が多いのに」
「ええわたくしあなたに会えましたわ、あなたに愛して頂きましたわ」
 女は暫く噎びあげる、それからやがてまた語りだす。露草の咲いていた宵のことを、逢えないでいた日の悲しみを、月光の中で見た男の後ろ姿を、――そして主馬がそれに続ける、林の奥の静けさ、女の袖に付いていた草の実、初めて文を交わした時のよろこびなど。
「五十年、六十年生きるよりも」女がこう云う、「わたしたちはもっとよく、もっと本当に生きましたのね、少しも思い残すことはございませんわ」
 正則は長くは聞いていなかった。そして寝所へ戻ったときには、ゆうべよりもさらに胸が重く、永いこと心がおちつかなかった。――かれらは互いにめぐり会い、互いに愛し合ったというだけで、五十年生きるよりも真実に善く生きたと云う。たわけたことを、……まさしく彼には笑殺にすら価しないたわごとだ、然しどういう訳だろう、いま彼は嗤《わら》い去ることができない、戦に負けた者が敵の凱歌《がいか》を聞くような、劣敗感に似たものが頭のどこかにひっかかっている。若いかれら二人に対して、自分の生きて来た五十九年が無意味であるような感じさえ起こる。
 ――今夜はどうかしている。正則は激しく頭を振った。おれの五十九年がどうして無意味だ、播磨《はりま》の三木城で初陣の手柄をたてたのは十八歳、鳥取城でも山崎の戦でも人におくれをとったことはない、志津ヶ|獄《たけ》では七本槍の第一として知らぬ者はない、その後も小牧雑賀の陣、筑紫に肥後に小田原に戦い、朝鮮にまで馬蹄《ばてい》の跡を印した、大きな合戦でおれの旗標の立たなかった例はない、たとえおれは死ぬとしても、青史《せいし》からおれの名の消えることはないだろう、おれは生きた、五十九年のあいだ充実した生き方をした。
 ほんの一刻それは彼を慰めてくれる、然し長くは続かない。自分の死んだ後に名が残ったとしても、それが自分になんの関係があるか、なるほどおまえは幾十たびの合戦に臨み、数知れぬ高名てがらを立てた、だがそれならそこからおまえはなにか得たものがあるのか、なるほど馬に乗る者だけでも七百人あまりの家来がいる、然しかれらは扶持をくれて養っているに過ぎない、芸備五十万石はいつ国替えにならぬとも知れないではないか――否、おまえは間違っている、自分の身のまわりをよく見るがいい、おまえは誰かを本当に愛したことがあるか、おまえのために本当に幸福になった者がいるか、心から誰かに愛されたことがあるか、おまえが死ぬとき利害関係なしに心から泣き悲しむ人間がいるか、……おまえは人を亡ぼし城を焼き領地を奪った、ただそれだけだ。
 朝になって起きたとき、正則は身も心も疲れきっているのを感じた、殆んど反射神経と衝動だけで生きてきた彼には、系統を立ててものを考えることができない、それは肉体的に彼を疲らせるだけである、――これはなにか病気が起こっているに違いない。こう思う、けれどもそれはさらに不安と苛だたしさを唆《そそ》るだけであった。
 鳥居忠政が来たと知らせられたとき、正則は小姓に月代《さかやき》を剃《そ》らせていた。左京亮《さきょうのすけ》忠政とはかなり親しい交わりがある、伴れはないというので話しに来たのだろうと思い、支度を直して出ていった。
 忠政は久濶《きゅうかつ》も述べずにいきなり云った。
「上意をお伝え申す」
 正則は黙ってけげんそうに相手を見た、その言葉も意味もまるでわからなかったのだ。そして忠政が上意書をとりだし、彼に対する譴責《けんせき》の箇条を読み始めたとき、ようやくなに事が起こったかを諒解《りょうかい》し、くらくらと烈しい眩暈《めまい》におそわれた。
「大禁を犯して広島の城を増築し候こと、領内の治め方よろしからず、虐政を以《もっ》て土民を苦しめ候こと」
 忠政の読みあげる声はもう耳に入らなかった、全身の血が逆流し、忿怒《ふんぬ》と絶望が胸をひき裂くかと思えた。
 ――とうとう来た、とうとう。
 彼はただ夢中でそう呟く、頭が混乱してなにも考えられない、ただ非常にすばやく無系列に、雑多な幻像が明滅する、埃だつ戦場、暗い窓、どことも知れぬ山、女たち、醍醐《だいご》の春の宴《うた》げ、夜明けの杉の森、秀吉の死顔、露草、そしてまた雨の戦場、……これらのめまぐるしい幻像の背景に、濁った暗い川の流れが見える、ゆるやかな嘲弄《ちょうろう》するように緩慢な速度で、だが片ときも休まずそれは流れている。
 ――とうとう来た、とうとう。
 正則の掴んでいる手指の中で、琥珀《こはく》の袴《はかま》の千切れる音がした。忠政はまったく平静な無感動な調子でこう結んだ。
「よって安芸備後両国四十九万八千石の領地召上げ、その身は津軽へ配流の儀仰せ下され候――」

[#6字下げ]六[#「六」は中見出し]

 その返答は暫く待ってくれるように、正則はこう云って奥へはいった。廊下をゆくにも足がきまらない、なにもかもぐらぐら揺れている、建物ぜんたいが崩壊しそうな感じだ。今しがた全身を圧倒した忿《いか》りは、石のようにかたく冷え縮まって、絶望と狼狽《ろうばい》だけが彼を掴みひきまわす。
 ――改易、配流、否そんなことは有る筈がない。これは非常な間違いだ、……おれは七代のあいだいかなる罪も赦すと保証されている、大御所がおれにそれを保証した、これを知らない者はない、間違いだ。
 然し休息の間へはいった彼はすぐに夫人を呼び、「白に着替える」と云った。
「お方も和子たちも白に着替えてくれ」
 夫人は訝《いぶか》しげに正則の顔を見た。それは紙のように白く乾いて、ぶきみにひきつり歪《ゆが》んでいる、曾《かつ》て見たことのない痴呆のような顔である。
「なにか変事でもございましたか」
「申しつけたことをして貰おう」こう叫んだときにわかに足が震え、再び激しい眩暈におそわれた、「はやく、お方も、和子たちも急ぐ、――聞えたか」
 夫人は立っていった。正則は坐ったがすぐに立ち、廂《ひさし》の間《ま》へ出て人を呼ぼうとした。茂右衛門、加児《かに》、玄蕃《げんば》、そんな名がちらちらする、改易、流謫《るたく》、……忿りが迫って来る。
「江戸城をひと揺りゆすってくれよう、久方ぶりだ、戦の仕ようを手本に残すのも面白い、かれらは悪い相手に挑んだものだ」
 こう呟きながら、心はおろおろとよろめき、将軍秀忠がいま京にいること、自分の家臣も殆んど全部が広島にあること、妻や幼い子たちのことなど、ばらばらに彼の頭をかき紊《みだ》した。――夫人が侍女と共に白装束を持って来た、着替えにかかると間もなく、長尾勘兵衛が謁を求めていると知らせて来た、三度まで「ぜひ」と云って来たが、正則は「ならぬ」としりぞけた。……彼の支度が終り、夫人が侍女を伴れて去った、独りになった彼は煙のみえる香炉を取って、前に置きながら座った。
 白いものに着替え髪を直して夫人が戻ったとき、正則の表情は幽鬼のように変っていた、髪は逆立ち、歯をくいしばり、両の拳をわなわなと震わせていた。
「お方、秀忠めがおれをくわせた、五十万石は改易、おれは津軽へ流される」
 さすがに夫人も蒼くはなったが、眼はしずかに良人《おっと》の顔をはなれなかった。彼女は駿河守《するがのかみ》牧野忠成の妹である。――正則は膝で敷物を打ち頬を痙攣《ひきつ》らせた。
「福島の家には七代|安堵《あんど》の公約がある、いまになって反故《ほご》にする以上かれにも覚悟はあろう、おれも従三位正則だ、流人になって恥をさらすほど老いぼれはせぬ、お方、――和子といっしょに死んでくれ、それを見届けてから、おれは上使と刺違えて死ぬ」
 夫人は正則の眼をみつめたまま、静かに悠《ゆっ》くりと頭《かぶり》を振った。それは子供をたしなめる母親のようにおちついた静かな身振りだった。
「どうした、いやだというのか」
「さしでがましゅうございますけれど、それは御思案ちがいだと存じます」
「云ってくれ、どう違うのだ」
「わたくしが申すのではございません、御自身で仰《おっ》しゃるのをわたくしが伺ったのでございます」
「おれが、……おれが、なにを申した」
「奥庭の樫木でございます」夫人はふと声を低くした、「あの樫が伐られようとしたとき、そのままにして置けと仰付けられました、――幾百年の霜雪を凌いで生き、いさぎよく枯れ、惜しげもみれんもなく、堂々と残骨をさらしている、みごとではないか、自然に倒れるまでそっとして置こう、わたくしにもこう仰せられたことを、お忘れでございますか」
 正則は眼をつむった、夫人の言葉は水のように彼を浸し押包んだ。彼のなかでなにかが眼覚める、音楽にも似た感動が胸にひろがる、そしていま閉じた瞼《まぶた》の裏に、巨きな古い樫の枯木がうかびあがった。
 ――なにをそうじたばたするんだ、市松、樫木は彼にこう呼びかける。おれは千年ちかくも生きた、だがひこばえ[#「ひこばえ」に傍点]で枯れたのと同じように枯れてしまった、みんな同じことだ、この残骸もやがて土に化してしまう、同じことだ、慌てることはないじゃないか、市松。
 夫人は続けてこう云った。
「殿さまは殿さまらしくお生きあそばしました、誰に遠慮も気兼もなく、ずいぶん御無理も押通して、――いかにも殿さまらしく、思うままに生きておいでなされました、いまここで狭い御思案をあそばしては、これまでのことがすべてあだになるように存じます、……樫木の枯れざまをりっぱだと仰せられ、堂々とみれんも惜しげもない姿だと仰せられました、――改易も配流もなにほどのことがございましょう、お受けあそばしませ、樫木のように堂々と、みれんのない枯れざまをみせておやりあそばせ」

[#6字下げ]七[#「七」は中見出し]

 保乃がこれも白を着て、二人の姫を伴れてはいって来た。夫人は泣いていた。正則は娘たちを招いてその両手をとり、静かに立って表へ出ていった。忠政は待っていた。そのような重大な使者とはみえない姿勢で、――席には福島の侍臣数名と、長尾勘兵衛が座っている、どの顔にも動顛《どうてん》の色が強い、かれら許りでなく邸内ぜんたいが震撼《しんかん》し慟哭《どうこく》している感じだ。然し忠政はそれを見もせず聞きもしない、思いたって訪れた客のように泰然と座っていた。――二人の子の手をひいて正則が出て来た。彼は子たちを左右にして座に就き、穏やかな、寧ろ沈んだ声で待たせた詫びを云った。
「上意の御趣意はたしかに承った、大御所には申上ぐべきこともあるが御他界のいまはぜひもない、お受け申す」正則はこう云ってから改めて親しい人の調子になった、「――実は妻子をころし、其許《そこもと》と刺違えてとも思ったが、しょせん狂気の貶《そし》りを買うだけと諦《あきら》め申した、ただ其許には日ごろのよしみに頼ってお願いがある、この二人の子たち」
 忠政はじっと正則の眼に見入った。
「この幼いもの二人の、ゆくすえをみてやって頂きたい、鳥居どの、お頼み申す」
 忠政は頷いた、そしてその眼は明らかに濡れていた。
 左京亮を送りだし、着替えをしてから、重だった家臣を集めて改易の旨を告げた。泣く者、怒る者、ひと合戦を叫ぶ者など、いっとき座は喧噪《けんそう》に掩《おお》われた。正則は白じらとした気持で、なんの感興もなくかれらを制止し、反抗|騒擾《そうじょう》をかたく禁じた上、さっさと奥へはいった。――午後になって彼は納戸部屋から二人を呼出した。かれらは死罪の時が来たと思ったのだろう、どちらも蒼白《そうはく》になり身を震わせていた。
「申し渡した死罪はとりやめる」正則は手文庫をひき寄せながら云った、「なぜなら、おれ自身が流れる身になった」
 主馬が驚愕《きょうがく》して顔をあげた。
「五十万石は潰《つぶ》れた、おれは津軽へやられる」正則は文庫の中から金包を取出し、それを二人の前へ投げやった、「――餞別《せんべつ》だ、それを持って立退くがいい、このさき武家奉公はするなよ」
「お待ち下さい」主馬は眸子《ひとみ》から火を放つように正則を見上げて叫んだ、「おぼしめしに反《そむ》くようですが私は立退きません、御家万代なればともかく、御改易がまことなら立退くことはかないません」
「わからぬことを云う、福島の家は滅亡、家臣は離散するのだ、立退かんでどうする」
「殿のお供を致します、たとえ津軽が蝦夷《えぞ》でございましょうとも――」
「ばかなことを申せ、国替えでも転封でもない、おれは流されるのだ、これからはおまえたちにやる一粒の米もない、おれ自身が配所の恵みで生きなければならないのだ」
「覚悟のうえでございます、一粒の米も頂こうとは存じません、馬方、人足、なんでも稼《かせ》ぎましょう、私はお供を致します」
 主馬の眼はきらめいている、梃《てこ》でも動かない表情だ、正則はそれをねめ返していた。――それから静かに頭を振った。
「いやいけない、おれの生涯は終ったがおまえたちはこれからだ、若いおまえたちを敗残の道伴れにはできない、立退くがいい主馬、そして二人で仕合せに生きるがいい」
「お願いでございます、殿、――」主馬は膝ですり寄った、「お供の願いをお許し下さい、決してお煩《わずら》いはかけません、どうぞお許し下さい。お願いでございます」
 明くる朝はやく、まだ仄暗《ほのぐら》い時刻に、正則はあの樫木の側に立っていた。幕を張ったような霧で、枯れた幹はびっしょり濡れ滴れていた。――あの二人はついて来る、ふとそう思う、供はかたく禁じたが、二人ともあくまでついて来る眼をしていた。恋に純粋なものは義理にも純粋なのか知れない。
 正則は樫木をつくづくと眺め、やがて持っていた斧を取直した。
「おれの後にどんな人間が来るか知れぬ、心なき人の手にかけるのは忍びない、おれと一緒にゆこう、なあ老人」彼はこう云って、発止と斧を打下した、「おれも裸に剥《む》かれた、参議従三位も五十万石もすぱりと脱いだ、……これも悪くはない、桶屋の市松にかえるだけだ」
 ひと言云っては斧を打込む、力いっぱい、樫木は体ぶるいをし、木屑《きくず》が飛ぶ、もはや不安も憂愁もなかった、爪先から頭まで、市松の本性が甦《よみがえ》ってくる、躯がこころよく熱し、胸いっぱいに思う存分の呼吸ができる。――待て待て、彼は斧を置いて諸肌をぬぐ。
「それゆくぞ、堂々と倒れてくれ、みれんのない倒れぶりを見せてくれ、そら一つ」
 逞《たくま》しい半裸の肩に肉瘤が立つ、斧は丁々と林にこだまを呼ぶ、――そこから少し下った灌木の繁みの前にさっきから来て立っている女性がある。正則夫人である。夫人は右手をあげ、指で眼がしらを押えながら、愛児を呼ぶ母親のように口のなかでそっとこう呟いた。
「――市松どの」



底本:「山本周五郎全集第二十一巻 花匂う・上野介正信」新潮社
   1983(昭和58)年12月25日 発行
底本の親本:「苦楽」
   1948(昭和23)年6月号
初出:「苦楽」
   1948(昭和23)年6月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ

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