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湖のほとり
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湖のほとり
徳田秋声
徳田秋声
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)卒《いざ》
(例)卒《いざ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)場|上《かみ》
(例)場|上《かみ》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地付き]
(例)[#地付き]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)よた/\
(例)よた/\
或日融はその夏逗留してゐた妻の親類の家から、又た別の親類を訪問すべく、子供二人と第一の親類の主人の江沿につれられて、埃ぶかい湖畔の道を、よた/\自働車に揺られて行つた。融は自分の故郷の親類を訪ねるより、妻の故郷の親類を訪ねる方が、寧ろ気分が安易で親しみが多かつた。それは一つは利害の交渉や、直接な心持の触れ合ひがなかつたからでもあつたが、一つは又た妻が間へ入つて、気分の調節を計る、安全弁のやうな役目を勤めてゐたからでもあつた。
その親類は二軒とも江沿という苗字で、主人は従兄弟同士であつたが、余り仲の好い方ではなかつた。融は第一の江沿と余計親しくする機会が多かつたが、子供を一人ほしがつて、久しい前から妻にまで其の相談がそれとなく持込まれてゐることを知つてゐた。融は遣りたくもあつたが、遣りたくもなかつた。それは卒《いざ》となると選択に迷ふところからも来てゐるのであつた。まづ自分が後から連れて行つた二男がそれに該当してゐるやうに思へた。
融がその二男と一緒にそこへ着いた日より一週間ほど前から、妻は他の子供たちと逗留して、融の来るのを待つてゐたのであつた。いくらちやほやされて、賑やかに遊んでゐても、融がゐないと矢張り寂しかつた。子供をやるか遣らないか、そんな話も、主人同士で、今度は決めてほしいと思つて存た。融も事によつたら、この話に触れてもいゝと考へてゐた。
「O――町へも行つて下さいね。私二三日前に芳雄をつれてちよつと行つて来たんですよ。あすこでも貴方を待つてゐるんですよ。」妻は言ふのであつた。
第一の江沿は融たちが、O――町の江沿へ行くことを余り悦ばなかつた。そしてその日行くときに、自分で電話をかけて「これからちよつと先生をおつれ申さうと思ふが、都合はいゝかね」なぞと勿体をつけたものであつた。
家にゐると、湖畔の夏は涼しかつたが、外はやつぱり暑かつた。融は別に景勝の地が好きではなかつた。この辺の平凡な山の姿でも十分にこの山国の自然が味はへるのであつた。東京を出るときは、穂高へいかうとか、天龍峡を見ようとか思つてゐても、親類の家におちついて、朝夕の涼しい風に吹かれながら、煙突の多い町の一方に連なつてゐる蒼々した山の姿を見てゐると、もう其で自然を満喫したやうな気分になるのであつた。彼は時とすると、一停車場|上《かみ》にある賑やかな町まで、月の好い晩なぞ子供たちと湖の畔を自働車を駆つたり、江沿の催しで舟を湖上に泛べて、半日を塵の外に遊んだりした。
「余りかまはないやうに、そう言つてくれね。」融は妻に言つた。
「でも皆んな悦んでゐるんですよ。」妻はしんみりした顔をして、彼等の気分を話すのであつた。
勿論彼女自身も、融と一緒に親しい江沿の家なぞへ来てゐると、自分の親里へでも連れて来たやうな女らしい特別の感情に浸されて、不断と別の目で良人を見るのであつた。
死んだ後の今から考へると、それが一番新らしい思出でもあるとほり、その夏は殊にもさうであつた。健康が衰へてゐたせいだと思ふと、融は一層彼女の姿を悲しく思ひ出すのであつた。
O――町へ往く途中、自働車がパンクして、融は同伴者と共に、しばらく路傍の木蔭に休んでゐたが、直きに修繕が出来て、やがてO――の町端へ入つて来た。古駅らしい感じのする融たちが滞留してゐる町から見ると、こゝは製糸業の本場だけに、何となく気分が明るかつた。自働車はやがて少し高みにある江沿の病院の下へついた。
体のでつぷりした、輪廓が調つて、目鼻立の引締つた主人の居間で、融達は紫檀の卓のまはりに座を構へて、お茶を呑みながら暫らく話を交へた。主人は骨董好きであつた。そして大きい美事な壺などが、そこに飾られてあつた。書画帖が融の前に拡げられたりした。その中には有名な画家の色紙などが、沢山挿まれてあつたが、原敬の墓の文字を刻んだ、有名な土地の篆刻家の作品が、尤も融の目をひいた。酒仙のやうなその篆刻家と主人は殊にも懇意であつた。柱の聯を見ると、そこの小ぢんまりした牡丹の画に、妻の弟の題賛がしてあるのに目がついた……。
「その画は……」
「何にそれあ私の悪戯《いたづら》で。」主人が極悪さうに微笑した。
「可かつたな、悪口を言はうとしたとこだつた。」融は笑ひながら、
「ちよつと素人ばなれがしてゐますね。」
一と休みしてから、病院のなかを案内された。病院は養嗣子が院長であつたが、設備は比較的完全であつた。どの部屋にも、書画が沢山かけられてあつた。大抵新画であつた。
「これあちよつと好いな。」融が南画の一つの前に立止まると、
「好かつたらお持ちなすつて」と、江沿は言ふのであつた。
「いやあ」と、融はそこを離れた。
二室つゞきの二階の客間は、この辺のブルヂヨウアらしい骨董品や、書画で一杯であつた。
「私んとこは何んにもないで……たゞ此の光淋だけは私が京都から掘出して来たもので。」
融が床脇の棚のところの壁にかゝつた扇の地紙に、胡粉や緑青を堆く盛つた菊の画の前に立つたとき、主人は少し緊張した声で言ふのであつた。それから竹伝も一幅かゝつてゐた。
「これあ少し出来がわるいで、買ひ手があるから売らうと思ふ。」
「さうですね。売つた方がいゝかも知れませんね。」融は答へた。
やがて饗応がはじまる頃、親類の人が二人ばかり前後して、融が遊びに来たのを幸ひ、短冊や式紙をもつてやつて来た。
「これは皆んな内輪の人だで、二三枚どうぞ。」主人が言ふのであつた。
「書くのはいくらでも書きますが、字がまづいんで……。」
「字なんか何うでもいんで……。」
融はビールの酔をかりて、遠慮なくのたくつた。始めの一枚は手がわな/\顫へたが、しばらくすると平気で六七枚書きなぐることが出来た。
案内者の江沿は傍ではら/\してゐた。余り安つぽく書いてくれない方がいゝとでも思つてゐるらしかつた。
「先生の御都合で、同志が寄つて一つ会をやりたいと思ふが、何うですかね。これを機会に先生にお逢ひしたい連中が沢山あるで。」主人が言ひ出した。
「会もいゝが、先生は世間の商売人のやうに、席上揮毫なんざおやりにならないで、酒席で書かせるのは可けんぞ。」案内者の江沿が防禦線を張つた。
「そいつは制限するだね。」
「席上はいかん。書かないと言つても、つひ方々から突きつけるで。」
融は宴会なぞに出るのを、ちよつと臆劫に感じたが、快く承諾した。そして間もなく其処を引揚げた。
「今日はえらい並べたてたもんだ。」帰りの自働車で案内役の江沿か、赤い顔をしながら呟いてゐた。
その親類は二軒とも江沿という苗字で、主人は従兄弟同士であつたが、余り仲の好い方ではなかつた。融は第一の江沿と余計親しくする機会が多かつたが、子供を一人ほしがつて、久しい前から妻にまで其の相談がそれとなく持込まれてゐることを知つてゐた。融は遣りたくもあつたが、遣りたくもなかつた。それは卒《いざ》となると選択に迷ふところからも来てゐるのであつた。まづ自分が後から連れて行つた二男がそれに該当してゐるやうに思へた。
融がその二男と一緒にそこへ着いた日より一週間ほど前から、妻は他の子供たちと逗留して、融の来るのを待つてゐたのであつた。いくらちやほやされて、賑やかに遊んでゐても、融がゐないと矢張り寂しかつた。子供をやるか遣らないか、そんな話も、主人同士で、今度は決めてほしいと思つて存た。融も事によつたら、この話に触れてもいゝと考へてゐた。
「O――町へも行つて下さいね。私二三日前に芳雄をつれてちよつと行つて来たんですよ。あすこでも貴方を待つてゐるんですよ。」妻は言ふのであつた。
第一の江沿は融たちが、O――町の江沿へ行くことを余り悦ばなかつた。そしてその日行くときに、自分で電話をかけて「これからちよつと先生をおつれ申さうと思ふが、都合はいゝかね」なぞと勿体をつけたものであつた。
家にゐると、湖畔の夏は涼しかつたが、外はやつぱり暑かつた。融は別に景勝の地が好きではなかつた。この辺の平凡な山の姿でも十分にこの山国の自然が味はへるのであつた。東京を出るときは、穂高へいかうとか、天龍峡を見ようとか思つてゐても、親類の家におちついて、朝夕の涼しい風に吹かれながら、煙突の多い町の一方に連なつてゐる蒼々した山の姿を見てゐると、もう其で自然を満喫したやうな気分になるのであつた。彼は時とすると、一停車場|上《かみ》にある賑やかな町まで、月の好い晩なぞ子供たちと湖の畔を自働車を駆つたり、江沿の催しで舟を湖上に泛べて、半日を塵の外に遊んだりした。
「余りかまはないやうに、そう言つてくれね。」融は妻に言つた。
「でも皆んな悦んでゐるんですよ。」妻はしんみりした顔をして、彼等の気分を話すのであつた。
勿論彼女自身も、融と一緒に親しい江沿の家なぞへ来てゐると、自分の親里へでも連れて来たやうな女らしい特別の感情に浸されて、不断と別の目で良人を見るのであつた。
死んだ後の今から考へると、それが一番新らしい思出でもあるとほり、その夏は殊にもさうであつた。健康が衰へてゐたせいだと思ふと、融は一層彼女の姿を悲しく思ひ出すのであつた。
O――町へ往く途中、自働車がパンクして、融は同伴者と共に、しばらく路傍の木蔭に休んでゐたが、直きに修繕が出来て、やがてO――の町端へ入つて来た。古駅らしい感じのする融たちが滞留してゐる町から見ると、こゝは製糸業の本場だけに、何となく気分が明るかつた。自働車はやがて少し高みにある江沿の病院の下へついた。
体のでつぷりした、輪廓が調つて、目鼻立の引締つた主人の居間で、融達は紫檀の卓のまはりに座を構へて、お茶を呑みながら暫らく話を交へた。主人は骨董好きであつた。そして大きい美事な壺などが、そこに飾られてあつた。書画帖が融の前に拡げられたりした。その中には有名な画家の色紙などが、沢山挿まれてあつたが、原敬の墓の文字を刻んだ、有名な土地の篆刻家の作品が、尤も融の目をひいた。酒仙のやうなその篆刻家と主人は殊にも懇意であつた。柱の聯を見ると、そこの小ぢんまりした牡丹の画に、妻の弟の題賛がしてあるのに目がついた……。
「その画は……」
「何にそれあ私の悪戯《いたづら》で。」主人が極悪さうに微笑した。
「可かつたな、悪口を言はうとしたとこだつた。」融は笑ひながら、
「ちよつと素人ばなれがしてゐますね。」
一と休みしてから、病院のなかを案内された。病院は養嗣子が院長であつたが、設備は比較的完全であつた。どの部屋にも、書画が沢山かけられてあつた。大抵新画であつた。
「これあちよつと好いな。」融が南画の一つの前に立止まると、
「好かつたらお持ちなすつて」と、江沿は言ふのであつた。
「いやあ」と、融はそこを離れた。
二室つゞきの二階の客間は、この辺のブルヂヨウアらしい骨董品や、書画で一杯であつた。
「私んとこは何んにもないで……たゞ此の光淋だけは私が京都から掘出して来たもので。」
融が床脇の棚のところの壁にかゝつた扇の地紙に、胡粉や緑青を堆く盛つた菊の画の前に立つたとき、主人は少し緊張した声で言ふのであつた。それから竹伝も一幅かゝつてゐた。
「これあ少し出来がわるいで、買ひ手があるから売らうと思ふ。」
「さうですね。売つた方がいゝかも知れませんね。」融は答へた。
やがて饗応がはじまる頃、親類の人が二人ばかり前後して、融が遊びに来たのを幸ひ、短冊や式紙をもつてやつて来た。
「これは皆んな内輪の人だで、二三枚どうぞ。」主人が言ふのであつた。
「書くのはいくらでも書きますが、字がまづいんで……。」
「字なんか何うでもいんで……。」
融はビールの酔をかりて、遠慮なくのたくつた。始めの一枚は手がわな/\顫へたが、しばらくすると平気で六七枚書きなぐることが出来た。
案内者の江沿は傍ではら/\してゐた。余り安つぽく書いてくれない方がいゝとでも思つてゐるらしかつた。
「先生の御都合で、同志が寄つて一つ会をやりたいと思ふが、何うですかね。これを機会に先生にお逢ひしたい連中が沢山あるで。」主人が言ひ出した。
「会もいゝが、先生は世間の商売人のやうに、席上揮毫なんざおやりにならないで、酒席で書かせるのは可けんぞ。」案内者の江沿が防禦線を張つた。
「そいつは制限するだね。」
「席上はいかん。書かないと言つても、つひ方々から突きつけるで。」
融は宴会なぞに出るのを、ちよつと臆劫に感じたが、快く承諾した。そして間もなく其処を引揚げた。
「今日はえらい並べたてたもんだ。」帰りの自働車で案内役の江沿か、赤い顔をしながら呟いてゐた。
融は会へ出ることが、一ツの義務観念のやうになつて、東京の宴会で開会の挨拶でも引受けさせられた時のやうに、その日の来るのが気がゝりであつた。
すると或日土地で書画屋のやうなことをやつてゐるらしい男が、その会の肝煎《きもいり》をすることになつたと見えて、式紙を二十枚ばかりもやつて来た。逢つてみると、その男は色《いろん》々な人を知つてゐた。画家や歌人や俳人などで土地へ来た人を待遇《もてな》した話をしたりしたが、融はさう気持が悪くなかつた。詰り席上では絶対に揮毫しないことにして、式紙を一枚づゝ当日来会者に配ることにしたといふのであつた。
融はさう行かうとも思はない山や水のことを尋ねたり、温泉地のことを聞いたりして、暫らくお相手をしてゐた。主人が扇子をぱち/\やりながら、そこへ遣《や》つて来た。女達を多勢置く商売なので、傭人も多かつたが、彼はその商売を止める止めると言ひながら、陽気なことが好きなので、やつぱり手放《てばな》しかねてゐた。「この商売ももうお終ひです。追々滅びて行くでせう。私んとこなんか、幸いに幾許かのものがあるからいゝやうなものゝ、さうでなかつたら遣つて行けません。」彼は言つてゐたが、若い女達に取捲かれて、三味線や鼓の音を聞いてゐないと、生きがいがないやうにでも思はれるらしかつた。教養のある彼のことなので、恋愛関係でこゝへ養子に来ても、その商売に初めは恥を感じてゐたのであつたが、馴れてくると、さうした夜の世界の歓楽境が、ちやうどアルコオルに中毒したものが、アルコオル気なしには生きてゐられないやうに、すつかり彼の生活になつてしまつた。そして一年々々それを続けて来た。融の子供か、他の親類の子供か、養嗣子ができれば、商売は人に譲つて、隣の町へ引移る予定で、家を建てる地所も用意してあつた。そこには湯がふつふつ湧いてゐて、温泉旅館にしようと思へば、さうするだけの面積もあるのであつた。
融は若し養嗣子の話でも出たら、自分の立場も明らかにしたいし、彼の生活内容も知りたいと思つた斌、江沿夫婦は表立つてはそれを口に出すことを躊躇してゐた。融も自分からそれを触れようとはしなかつた。そして一日一日を芝居を見たり、料理を食べに行つたりして、日を暮らした。江沿はさう云ふ客が、年がら年中家に寝泊りしてゐないと、寂しかつた。時とすると芸人を呼び寄せて、三月でも五月でも遊ばせておくのであつた。
「先生は酒は召上らず、田舎芸者をお見せしたところで初まらないし、御迷惑のことなんだから、まあ成るべく淡泊にやることさね。それにしても会場を何うして××屋にもつて行かなかつたらう。」
「それも交渉して見たんだが、誠に済《す》まないが、当日は親類に取込事があつて、休業だといふだね。でも△△屋も悪くねえだ。何処にしても先生のお口にあふ気遣はないで、反つて△△屋の方が、田舎風で好からうと思ひましてね。」肝煎をする男はそんな事を言つて、やがて帰つて行つた。
融はその夕方別にすることもないので、奥座敷の電燈の下で、せつせと式紙を書いた。彼は小さいをりから字を書くことは嫌ひではなかつたが、手筋は好くなかつた。書くことは書いても癖の多い自分の字を見返すのが厭であつた。少し練習すれば、いくらか垢ぬけかしさうに思へたが、それほどの興味もなかつた。
その日は小雨がふつてゐた。融は廻された自働車で、江沿と一緒に背広|打扮《いでたち》で会場へ出向いて行つた。会場は雪国のこの古駅にふさはしい素朴さに燻しのかゝつた料理屋であつた。融は只有《とあ》る小室へ案内されて、暫らくそこで休んでゐた。二三の人が挨拶に来て話をしかけた。彼は席上何んにもお弁《しやべ》りや揮毫は一切しないと極めてゐた。
二た間ぶつこぬきの広間へ案内されて、行つてみると、そここゝに幾人かの人が集まつてゐて、やがて夫々に席に就いた。融の右隣には酒仙で奇骨のある例の篆刻家が坐つた。左隣には土地の画家が夫婦で並んでゐた。彼は芸術家らしい立派な風采の持主であつたが、席へつくとき杖をついてやつて来た。会員が追々集まつて来た。みんなは名の知れた融が何んな男かを見ようとしてゐるらしかつたが、こんな事が又た彼等自身の懇親を結ぶ機会でもあり、酒や女を享楽するに適当な催しでもあつた。融はどこへ旅行しても、多勢の人に招待されたことは一度もなかつたので、何となく極りがわるかつたが、出来るだけ悪怯れない風を装つてゐた。
見渡したところ、彼等は皆な土地の智識階級であつた。そしてこんな場合、立つて何か一と理窟言はなければ気が済《す》まないやうな顔ばかりであつた。融も若し口が利けたら、立つて一言挨拶をして然るべきところだらうと思つたが、そんな機智は彼にはなかつた。
酒がまはるにつれて、席がやゝ乱れかけてゐた。融は猪口をもつてくる人達を、好い加減にあしらつてゐるうちに、目がちら/\して来た。三味線が融に遠慮でもするやうに、内輪に弾かれ、声の好い女が唄を謳つた。そしてそれから暫らくすると、男達に女が交つて、大きな輪になつて三味につれて伊那節を唄ひながら、素朴で優雅な踊りを踊りはじめた。
古駅にふさはしい情調がそこに流れた。融はそれを飽かず眺めた。彼は幼少のをり一二度田舎で見たことのある盆踊を思ひ出した。肩のいかつい、腕のごつ/\した髭男の踊るのが、一番風情が多かつた。
それが五六遍まはると、今度は木曾節がはじまつた。融は一層興味を覚えた。都会にはやる社交ダンスや家庭ダンスなぞには見られない原始的な面白味があつた。
融は自分が上座に構へてゐることが、却つて彼等の一夜の興趣を殺ぐことに気がついたので、やがて人々に挨拶して席を立つた。そして乗りものが来るまで、別室で茶を呑んでゐた。そこへ芸者が二三人やつて来た。
「先生、この連中に何か一つ。」例の世話人がやつて来た。そして大きな硯や筆が、女達によつて、そこへ運ばれた。
「これあ本職のつかふもんだ。今夜は筆がないから駄目だが、明日短冊をもつて僕のところへやつておいでなさい。書いてあげるから。」
融は馬鹿に声の好い芸者があつたので、妻に追分や義太夫でも聞かさうと思つて、わざとさう言つて、三四人の芸者に約束した。
「明日私がつれて行きます。」世話人が言つた。
すると或日土地で書画屋のやうなことをやつてゐるらしい男が、その会の肝煎《きもいり》をすることになつたと見えて、式紙を二十枚ばかりもやつて来た。逢つてみると、その男は色《いろん》々な人を知つてゐた。画家や歌人や俳人などで土地へ来た人を待遇《もてな》した話をしたりしたが、融はさう気持が悪くなかつた。詰り席上では絶対に揮毫しないことにして、式紙を一枚づゝ当日来会者に配ることにしたといふのであつた。
融はさう行かうとも思はない山や水のことを尋ねたり、温泉地のことを聞いたりして、暫らくお相手をしてゐた。主人が扇子をぱち/\やりながら、そこへ遣《や》つて来た。女達を多勢置く商売なので、傭人も多かつたが、彼はその商売を止める止めると言ひながら、陽気なことが好きなので、やつぱり手放《てばな》しかねてゐた。「この商売ももうお終ひです。追々滅びて行くでせう。私んとこなんか、幸いに幾許かのものがあるからいゝやうなものゝ、さうでなかつたら遣つて行けません。」彼は言つてゐたが、若い女達に取捲かれて、三味線や鼓の音を聞いてゐないと、生きがいがないやうにでも思はれるらしかつた。教養のある彼のことなので、恋愛関係でこゝへ養子に来ても、その商売に初めは恥を感じてゐたのであつたが、馴れてくると、さうした夜の世界の歓楽境が、ちやうどアルコオルに中毒したものが、アルコオル気なしには生きてゐられないやうに、すつかり彼の生活になつてしまつた。そして一年々々それを続けて来た。融の子供か、他の親類の子供か、養嗣子ができれば、商売は人に譲つて、隣の町へ引移る予定で、家を建てる地所も用意してあつた。そこには湯がふつふつ湧いてゐて、温泉旅館にしようと思へば、さうするだけの面積もあるのであつた。
融は若し養嗣子の話でも出たら、自分の立場も明らかにしたいし、彼の生活内容も知りたいと思つた斌、江沿夫婦は表立つてはそれを口に出すことを躊躇してゐた。融も自分からそれを触れようとはしなかつた。そして一日一日を芝居を見たり、料理を食べに行つたりして、日を暮らした。江沿はさう云ふ客が、年がら年中家に寝泊りしてゐないと、寂しかつた。時とすると芸人を呼び寄せて、三月でも五月でも遊ばせておくのであつた。
「先生は酒は召上らず、田舎芸者をお見せしたところで初まらないし、御迷惑のことなんだから、まあ成るべく淡泊にやることさね。それにしても会場を何うして××屋にもつて行かなかつたらう。」
「それも交渉して見たんだが、誠に済《す》まないが、当日は親類に取込事があつて、休業だといふだね。でも△△屋も悪くねえだ。何処にしても先生のお口にあふ気遣はないで、反つて△△屋の方が、田舎風で好からうと思ひましてね。」肝煎をする男はそんな事を言つて、やがて帰つて行つた。
融はその夕方別にすることもないので、奥座敷の電燈の下で、せつせと式紙を書いた。彼は小さいをりから字を書くことは嫌ひではなかつたが、手筋は好くなかつた。書くことは書いても癖の多い自分の字を見返すのが厭であつた。少し練習すれば、いくらか垢ぬけかしさうに思へたが、それほどの興味もなかつた。
その日は小雨がふつてゐた。融は廻された自働車で、江沿と一緒に背広|打扮《いでたち》で会場へ出向いて行つた。会場は雪国のこの古駅にふさはしい素朴さに燻しのかゝつた料理屋であつた。融は只有《とあ》る小室へ案内されて、暫らくそこで休んでゐた。二三の人が挨拶に来て話をしかけた。彼は席上何んにもお弁《しやべ》りや揮毫は一切しないと極めてゐた。
二た間ぶつこぬきの広間へ案内されて、行つてみると、そここゝに幾人かの人が集まつてゐて、やがて夫々に席に就いた。融の右隣には酒仙で奇骨のある例の篆刻家が坐つた。左隣には土地の画家が夫婦で並んでゐた。彼は芸術家らしい立派な風采の持主であつたが、席へつくとき杖をついてやつて来た。会員が追々集まつて来た。みんなは名の知れた融が何んな男かを見ようとしてゐるらしかつたが、こんな事が又た彼等自身の懇親を結ぶ機会でもあり、酒や女を享楽するに適当な催しでもあつた。融はどこへ旅行しても、多勢の人に招待されたことは一度もなかつたので、何となく極りがわるかつたが、出来るだけ悪怯れない風を装つてゐた。
見渡したところ、彼等は皆な土地の智識階級であつた。そしてこんな場合、立つて何か一と理窟言はなければ気が済《す》まないやうな顔ばかりであつた。融も若し口が利けたら、立つて一言挨拶をして然るべきところだらうと思つたが、そんな機智は彼にはなかつた。
酒がまはるにつれて、席がやゝ乱れかけてゐた。融は猪口をもつてくる人達を、好い加減にあしらつてゐるうちに、目がちら/\して来た。三味線が融に遠慮でもするやうに、内輪に弾かれ、声の好い女が唄を謳つた。そしてそれから暫らくすると、男達に女が交つて、大きな輪になつて三味につれて伊那節を唄ひながら、素朴で優雅な踊りを踊りはじめた。
古駅にふさはしい情調がそこに流れた。融はそれを飽かず眺めた。彼は幼少のをり一二度田舎で見たことのある盆踊を思ひ出した。肩のいかつい、腕のごつ/\した髭男の踊るのが、一番風情が多かつた。
それが五六遍まはると、今度は木曾節がはじまつた。融は一層興味を覚えた。都会にはやる社交ダンスや家庭ダンスなぞには見られない原始的な面白味があつた。
融は自分が上座に構へてゐることが、却つて彼等の一夜の興趣を殺ぐことに気がついたので、やがて人々に挨拶して席を立つた。そして乗りものが来るまで、別室で茶を呑んでゐた。そこへ芸者が二三人やつて来た。
「先生、この連中に何か一つ。」例の世話人がやつて来た。そして大きな硯や筆が、女達によつて、そこへ運ばれた。
「これあ本職のつかふもんだ。今夜は筆がないから駄目だが、明日短冊をもつて僕のところへやつておいでなさい。書いてあげるから。」
融は馬鹿に声の好い芸者があつたので、妻に追分や義太夫でも聞かさうと思つて、わざとさう言つて、三四人の芸者に約束した。
「明日私がつれて行きます。」世話人が言つた。
翌日その女達の来たのは、四時頃であつた。その中には融の仲間の一人をよく知つてゐる女もあつた。
彼等は奥座敷の入口の方に固《かた》まつて硬くなつてゐた。世話人もそこへ来て坐つてゐた。少女たちによつて、酒や御料理が運ばれた。
融は江沿の細君に謀つて、祝儀を包んでもらつたりしてから、席に就いた。
「この人は声が好いんだよ。」融は肥つた越後女を一人指ざして妻に告げた。
妻は行儀よく坐つて、場馴れない風をしてゐた。そんな事も嫌いではなかつたし、二十年の前、融と一緒になつて五六年目に、これから先きの山の温泉へ、彼女の従兄につれられて来た頃には、酒も飲んだし、酒落の一つも言つた方であつたが、幼いをりから東京に育つてゐるとは言ひ条何と言つても彼女は山国タイプの堅い真面目な女であつた。
「さうですか、何か聴かせて戴きたいものですね。」妻は女に言つた。
「さあ何かやれ/\。どうせ先生は耳が肥えてゐらつしやるで、かう云ふ田舎芸者の唄の方が面白いだ。木曾節がお気に入るくらゐだで。」江沿は酒を飲みながら促した。
「何をやつたら可いんでせう。」
「何をつて、先づ得意の義太夫からやれ。」
「義太夫結構ですね。」融の妻が言つた。
女は列から離れて、奥座敷の口のところに坐つて、太棹の調子を合せはじめた。そして硬くなつて語りはじめた。筒が女にしては太い方であつたが、艶もあつた。彼女は真赤になつて語つた。
それが済むと、融は追分を註文した。
「この人は追分の本場なんだよ。」
「迚も好い声だ。」江沿も言つた。
追分の声調が慵るく流れた。
それから立つて踊る妓もあつた。清元をやる妓もあつた。終に江沿の抱えである二人の美しい妓が、浴衣姿のまゝ起ちあがつた。そして田舎風に活撥に踊つた。打扮が打扮なので、白脛が見えたりして、甚くぎくしやくしたものであつた。絨氈の埃を立てゝ、彼等は可哀さうなほど二人で踊りつゞけた。二人とも年が少かつた。
女たちが帰つてから、むつ/\してゐた江沿の隠し芸がはじまつた。彼はぐで/\に酔つてゐた。そして何時までもたつても止めなかつた。
彼等は奥座敷の入口の方に固《かた》まつて硬くなつてゐた。世話人もそこへ来て坐つてゐた。少女たちによつて、酒や御料理が運ばれた。
融は江沿の細君に謀つて、祝儀を包んでもらつたりしてから、席に就いた。
「この人は声が好いんだよ。」融は肥つた越後女を一人指ざして妻に告げた。
妻は行儀よく坐つて、場馴れない風をしてゐた。そんな事も嫌いではなかつたし、二十年の前、融と一緒になつて五六年目に、これから先きの山の温泉へ、彼女の従兄につれられて来た頃には、酒も飲んだし、酒落の一つも言つた方であつたが、幼いをりから東京に育つてゐるとは言ひ条何と言つても彼女は山国タイプの堅い真面目な女であつた。
「さうですか、何か聴かせて戴きたいものですね。」妻は女に言つた。
「さあ何かやれ/\。どうせ先生は耳が肥えてゐらつしやるで、かう云ふ田舎芸者の唄の方が面白いだ。木曾節がお気に入るくらゐだで。」江沿は酒を飲みながら促した。
「何をやつたら可いんでせう。」
「何をつて、先づ得意の義太夫からやれ。」
「義太夫結構ですね。」融の妻が言つた。
女は列から離れて、奥座敷の口のところに坐つて、太棹の調子を合せはじめた。そして硬くなつて語りはじめた。筒が女にしては太い方であつたが、艶もあつた。彼女は真赤になつて語つた。
それが済むと、融は追分を註文した。
「この人は追分の本場なんだよ。」
「迚も好い声だ。」江沿も言つた。
追分の声調が慵るく流れた。
それから立つて踊る妓もあつた。清元をやる妓もあつた。終に江沿の抱えである二人の美しい妓が、浴衣姿のまゝ起ちあがつた。そして田舎風に活撥に踊つた。打扮が打扮なので、白脛が見えたりして、甚くぎくしやくしたものであつた。絨氈の埃を立てゝ、彼等は可哀さうなほど二人で踊りつゞけた。二人とも年が少かつた。
女たちが帰つてから、むつ/\してゐた江沿の隠し芸がはじまつた。彼はぐで/\に酔つてゐた。そして何時までもたつても止めなかつた。
それから三四日してから、融は妻と連れだつて、町はづれへ槻の食卓を買ひに行つたことがあつたが、夏の陽光を浴びながら、可なり遠いところにあつたその店を捜しあるいてゐた彼女の顔や姿が、何となく形の薄いものであつた。
融たちが、他の親類へは失敬して、そこを立つたのは、その翌日の夜であつた。
江沿と融のあひだには、汽車に乗るまでも、子供の話など、叺《おくび》にも出なかつた。
融たちが、他の親類へは失敬して、そこを立つたのは、その翌日の夜であつた。
江沿と融のあひだには、汽車に乗るまでも、子供の話など、叺《おくび》にも出なかつた。
今年も夏が近くなつて来た。しかし融は妻の死んだ今、そこへ行く勇気はなささうに思へた。[#地付き](大正15[#「15」は縦中横]年5月「新潮」)
底本:「徳田秋聲全集第15巻」八木書店
1999(平成11)年3月18日初版発行
底本の親本:「新潮」
1926(大正15)年5月
初出:「新潮」
1926(大正15)年5月
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
1999(平成11)年3月18日初版発行
底本の親本:「新潮」
1926(大正15)年5月
初出:「新潮」
1926(大正15)年5月
入力:特定非営利活動法人はるかぜ