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花匂う
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花匂う
山本周五郎
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)暢気《のんき》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)族|伴《づ》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数)
(例)※[#「てへん+宛」、第3水準1-84-80]
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[#6字下げ]一[#「一」は中見出し]
直弥は初めて眠れない夜というものを経験した。いったいが暢気《のんき》なたちで、小さい頃から「三男の甚六」などと云われたが、これは誰の眼にも適評だったらしい。人を憎むとか怨むとか、激しく怒るという感情が殆どなかった。菓子を取るにも物をねだるにも兄たちに先を越されるし、友達と遊ぶにもきまって後手をひいた。上の兄ふたりはよく喧嘩《けんか》をしたが、彼はいつも途方にくれたような顔をし、側で黙って見ているという風であった。長兄の兵庫はむっつりしているが癇《かん》が強い、二兄の孝之助は口も手も八丁という質で、我《が》をとおすことにかけては兄を凌《しの》ぐくらいだった。彼は十六歳のときいちど鹿木原家へ養子にいったのである。が、一年ばかりするととびだして来て、「私にはとうてい勤まりません、縁を切って下さい」と云ってきかなかった。そのときはだいぶごたごたした、怒った父の呶鳴《どな》りごえや母の泣いて訓《さと》すのも幾たびか聞いた。けれども孝之助は梃《てこ》でも動かず、遂に自分の意志を押しとおしてしまった。十九歳で松島家へ婿養子にいった時も、頻繁に家へ帰って来ては母に文句を云ったものである。「私は養子には向かないんですよ、直弥をやればいいんです、養子にはあれがうってつけです」そんなことを云っているのを聞いたこともある。然し二年経って長男が生れると、それでおちついたらしく、もう来ても不平を云うようなことはなくなった……養子にはうってつけと聞いたとき、直弥はなるほどそんなものかも知れないと思った、別にひどいことを云われたとも感じないし、改めて発奮する気持も起らなかった。こういう性質だから、自分が三男坊の部屋住だということにもさして悩んだり僻《ひが》んだりしたためしはない、将来のためにどうしようなどということもなく与えられた平凡な月日をきわめて従順に暮して来た。
矢部信一郎と庄田多津との縁談がきまったと聞かされた直後から、直弥の眠れない夜が始まったのである。勿論《もちろん》そう聞いたときはごく単純に喜んだ、信一郎は藩の学問所からの親友の一人で、他の友達が離れてゆくなかに信一郎だけは親しい往来が続いていた。去年の春、父親が隠居し、彼がその跡を襲って御庫《おくら》奉行になってからは、それまでのように繁々とつきあうことも出来なくなったが、それでもなお信一郎のほうでは、親にも云えないようなことを打明けて相談するという風だったのである。――庄田のほうは隣屋敷で、多津とも幼いうちから馴染んでいた、よく笑う明るいおしゃまな子で、四つ違いの直弥を弟のようにあつかうのを好んだ、うぶ毛の濃いたちなのだろう、腕にも煩にも水蜜桃のように柔らかな細かい毛が生えていて、日光の具合できらきら光るのが直弥には珍しかった。それはいいが顎《あご》の下の喉仏《のどぼとけ》に当るところに、ひとかたまりの生毛があるのは可笑《おか》しかった。当人は知らないようだし彼も云いはしなかったけれども、彼女がむすめになってからもふと思いだすと、独りで微笑させられたものである。庄田とは柾木の生垣ひとえの隣合せで、生垣の側に大きな蜜柑《みかん》の樹があり、多津のずっと小さいころにはその樹蔭でよく遊び相手をさせられたのであった。お互いに家族同志が親しいので、成長してからもずっと往来していた。庭で顔が合ったりすると生垣を中に暫《しばら》く話すのが例である、信一郎が多津を知ったのも直弥を介しての事で、二度か三度いっしょに話す機会があり、それからこんどのはなしになったものである。……こういう関係なので、二人の縁談を喜んだのは当然であるが、然しそのすぐあとで直弥はとつぜん身震いをした。信一郎に秘密があるのを思いだしたのだ、自分の家にいた小間使とあやまちをして、今年三つになる男の児がある。その女は吉田村という処のかなりな農家の娘で、身籠《みごも》るとすぐに家へ帰り、子を産んでからもずっと其処《そこ》にいる。今でも矢部の家から定《きま》った養育料が届けられるのを、直弥は知っていたのであった。
眠れない夜の時間に、直弥は繰返しその事を考え続けた。結婚してからその事実を知ったら、多津はどんなに苦しい思いをするだろう、よく笑う明るい彼女の顔が悲しみのためにひきつり、苦しさに歪《ゆが》むのが見えるようである。直弥は胸にするどい痛みを感じた。余りにそれは残酷だ、なんの咎《とが》もない多津がどうしてそんなめに遭わなければならないのか、――いやいけない、それは可哀そう過る、少なくとも事情を知っている自分が黙って見過すという法はない。
「どうしても話すのが本当だ、そのうえで多津が承知してゆくなら別だが、なにも知らせずにやるという法はない――」
十日余りも不眠の夜が続いたのち、直弥はこう決心をして手紙を書き、多津に渡す折を待った。――それを渡したのは朝のことだった。まだうっすらと霧のながれる時刻に、多津が庭へ花を剪《き》りに来た。直弥は生垣のところまでいって呼んだ、彼女は微笑しながら近づいて来た。藤色に細かい縞のある袷《あわせ》と、襦袢《じゅばん》の白い襟があざやかな対照をなして、胸もとが際立ってすがすがしくみえた。
「お早うございます――おおいい香り」多津は頬笑んだまま脇のほうを見上げた。「蜜柑がずいぶんよく匂いますこと」
直弥もそっちへ眼をやった。蜜柑の樹に花が咲いていた。気がつくとあたりの空気はかなり強い匂いに染っていた。直弥は眼をかえした。そして手紙を出して彼女に渡した。
「独りで読んで下さい。よかったら二十日に待っています」
多津は少しも警戒の色なしに受取ってふところへ入れた。いま剪って来たばかりの白い大輪の芍薬《しゃくやく》を抱えていたが、花も葉もしとどに露をむすんでいた。
「お返辞を差上げますの」
「いや読んで呉《く》れればわかります。もし二十日がいけなかったら、明日の朝ここへ来てそう云って下さい」
多津ははいと頷《うなず》いたが、そのとき心なしか、すっと顔色が変るように思えた。――明くる朝、彼女は庭へ姿をみせなかった。それで中二日おいた約束の日に、直弥は「河正」へでかけていった。
河正は千代川の河畔にある、料理茶屋ではあるが先代の主人というのが御城の庖丁方で、なにか失策があってお暇になったが、殿さまがその庖丁ぶりを惜しまれ、それとは知らせずにお手許《てもと》金で料理茶屋を出して遣られたと伝えられている。そのためばかりでもないだろうが客は殆ど武家に限られていた。女中もごく地味な温和《おとな》しい者を選んであるし、歌妓などは決して入れないので、家族|伴《づ》れで来る客も相当に多かった。――直弥もたびたび父親に伴れて来られた。庄田でも同じように来て、両家族がそこで一緒になることも珍しくはなかった。それで直弥は、二人きりで会って話したいことがあるからと、手紙で多津にこの家を指定したのであった。
一緒に昼食のできるようにと、定めた時刻より遙《はる》かに早く河正へいった。通されたのは廊下を渡ってゆく離れ造りの座敷で、庭の松林を越してすぐ向うに、碧色の淀《よど》みをなした千代川が眺められた。――多津はなかなか来なかった。運ばれた茶にも手が出ず、眼にしみるような濃い色の川波を見ていたが、暫くすると直弥はふいに低く呻《うめ》き、眼をつむりながら片手で胸を押えた。
――ああそうだったのか、そうだったのか。
そこまで来て彼は自分の本心に気づいた。自分が多津を愛していたということを、それもずっと以前から深く根づよく愛していたということを。――彼はぐらぐらと眩暈《めまい》に襲われ、呼吸が詰りそうな感じで激しく喘《あえ》いだ。
――もういけない。話すことは出来ない。
直弥は立上り、蒼《あお》い顔をして庭へ下りていった。――松林をぬけて庭はずれまでゆき、そこで茫然とながいこと物思いに耽《ふけ》った。少し気持が落ちついてから、座敷へ戻ろうとすると、松林の向うから多津の来るのが見えた。
「ごめんあそばせ、すっかり遅くなってしまいました」多津は上眼づかいにこっちを見て微笑した。「ちょうど出がけにお友達がみえましたの、おかげさまで出る口実はついたのですが、こんなにおくれてしまいました」
彼女の頬はさっと赤くなった。着附けや化粧のせいだろうか、驚くほどおんならしくなり、背丈まで高くなったようにみえる。婚約ができると娘はおんならしくなる。いつかそんなことを聞いたようだ。――嫉妬《しっと》というのだろう。さっきとは違ったするどい苦痛のために、直弥は危うくまた呻きそうになった。
多津はうきうきしていた。肩を竦《すく》めて忍び笑いをしたり、急にまじめな眼でこちらを見つめたりした。こんな処へ独りで来るのは初めてであるが、この胸のどきどきするような気持ち悪くはないとか、むかし直弥の家族とここで一緒になったときの、ごく詰らない思出をさも可笑《おか》しそうに話したりした。――食事が済んでから、多津はにわかにしんとなった。直弥が静かに口をきった。
「手紙には話があるように書いたけど、本当はお別れにいちど食事をしたかったんですよ。――それと一つだけ、これまでのおつきあい甲斐《がい》に餞別《せんべつ》の言葉を差上げます」
多津はうつむいて膝《ひざ》の上に手を重ねた。
「物に表と裏がある以上に、人間にもそれぞれひなたと日蔭がある、世の中そのものが複雑でむずかしいから、人間もきれいにばかりはなかなか生きられない、厳しいせんさくをすれば、誰にも少しは醜い厭《いや》な部分があるものです。それが現実だということを考えていらっしゃい。余り美しい夢を期待すると裏切られるかも知れません。勇気をだして、たとえ少しくらい厭な事実に遭ってもまいらないで、強く幸福に生きて下さい」
多津は「はい」と答えて暫くうつむいたままでいたが、やがて顔をあげながらこちらを見て微笑した。洗われたように鮮かな眸子《ひとみ》である。
彼女はこう云った。
「直弥さまはいつかこう仰《おっ》しゃいましたわ。棘《とげ》を刺したってそんなに泣くことはない。私がすぐ抜いてあげるよって、――おた[#「おた」に傍点]の七つの年でございましたわ」
[#6字下げ]二[#「二」は中見出し]
直弥が二十九歳のとき父と母とが相前後して亡くなり兄の兵庫が家督をした。彼はそれを機会に母屋から出て別棟になっている住居へ移った。それはむかし足軽長屋だったものらしい。不用になって厩《うまや》はとり毀《こわ》したが、そこは物置に使っていたのである。大工を入れて少し造り直し、八|帖《じょう》と六帖に長四帖の板間を附けた。なかなかおちついた住居になった。
彼はその四五年まえから暇にまかせて風土資料を蒐《あつ》めていた。二十四五になるとたいていもう養子にゆく望みもない。部屋住で一生を厄介者で送らなければならない。喰べることと小遣ぐらいには心配がないけれども、妻を娶《めと》ることもできないし人並の世間づきあいもいちおう遠慮である。これではなにか気持を紛らせることがなければ退屈だ。しぜん部屋住の者はたいがいなにかやっている。境遇に依っては内職をする者もあるし、碁将棋や書画に凝る者もある。直弥は少年じぶんから伝説や地誌を聞くのが楽しみだったので、領内全部の風土資料を記録してみようと思いたった。時間は幾らでもあるから弁当持ちで出掛けて、その土地土地の古老を訪ねたり、社寺、古蹟《こせき》を探ったり、林相や気候や作物を調べたりして、それをこくめいに記録した。――長四帖の板間に棚を作り、蒐めた資料をそこに積んで置く、外へ出ないときは八帖の居間の机で、気の向くままに整理をする。
「諦《あき》らめてみればかなり仕合せな境遇だ」彼はしばしばこう思って苦笑した。
多津が矢部へ嫁して一年、同じ季節のめぐって来た或日のことだ。机に向って書いていると、どこからかひじょうに不愉快な香が匂って来た。芥捨場で物のすえるような匂いであった。庭のほうを見ると、ちょうど吾助という老僕が掃除をしていた。直弥は彼を呼んで云った。
「厭な匂いがするな。そのへんに汚ない物でも捨ててあるんじゃないか」
「さようでござりますか」老僕は風を嗅《か》ぐように顔を左右へ振向けた。「――わたくしには蜜柑の花は匂いますがそのほかにはなんにも匂わないようでござりますがな」
蜜柑の匂い、直弥は眉をしかめた。そうだ、慥《たし》かにそれは蜜柑の花の匂いであった。然しそれにしてはなぜこんなに厭な匂いなのだろう。去年までこんなことはなかった。甘くおもたい感じではあるが、母親の乳の思出のような懐かしさをもっていた。それがこんなに不愉快に匂う、どうしたことだろう、――直弥は立って障子を閉め、ながいこと机に頬杖《ほおづえ》をついていた。
矢部からは始めのうちよく招待があった。招かれないでもときどきこっちから訪ねた。夫妻は心から歓待してくれるが、両親はあまり喜ばない風があった。僻《ひが》みではなく彼のような部屋住者の訪問は、矢部老夫婦には好ましくない客なのだ。それでいつか自然と往来が遠のいていったのである。――直弥はかくべつ不満でも不快でもなかった。矢部の家庭が平穏であり、多津が仕合せであるならこれに越したことはない。そのうえ彼女を失った傷手は意外に大きくて、信一郎と並んだ彼女を見ることはかなりな苦痛であった。直弥はしだいに孤独な、静かではあるが平板な生活にはいっていった。……こうして三十を越すと間もなく、彼には思いがけない友人が現われた。竹富半兵衛という男で、学問所を出るまでは矢部信一郎や川村伝八、馬場文五郎らと一緒に、五人組などと呼ばれて親しく附合った。二十一二からみな家を継いだり養子にいったりして役に就き、直弥ひとり埒外《らちがい》に残されたかたちであるが、竹富半兵衛とは、彼が江戸詰になって以来、十年ちかくも会わなかったのである。
「ここの家の蜜柑を思いだしたんでね」半兵衛はこう云いながら入って来た。「おう生《な》ってるな、ひとつ※[#「てへん+宛」、第3水準1-84-80]《も》いで来ようか」
「いけないよ、あれは隣のだ」
「隣のって――だってむかしはよく※[#「てへん+宛」、第3水準1-84-80]いで喰べたじゃないか」
「喰べたって隣のさ、まああがらないか」
半兵衛は肥えていた。顔もびんと張切っているし、大きな眼には威が備わってきた。よくとおる声で簡潔にきびきびとものを云う、これはたいへんな人間になるぞと、直弥は心のなかで眼を瞠《みは》る思いだった。――昼食を一緒にしたあと、半兵衛は記録した風土資料を見た。なにか云うかと思ったが、見終ると黙って返して他の話に移り、「五時頃に河正へ来てくれ」と云って立上った。
「久し振りで一杯やろう、待っているよ」
そのとき竹富は百日ほど国許にいた。そして年が明けると間もなく、収納方元締に上げられて江戸へ去った。それが二人の友情の復活になり、同時に半兵衛のめざましい出世ぶりが始まった。彼は殆ど二年おきに帰国し、帰るたびに役を上げられてまた江戸詰になる、もともとそれだけの家格と背景があるのだが、老職たちの信用もあり、それ以上に藩主の寵《ちょう》が篤《あつ》いということだった……半兵衛は帰国すると必ず直弥を訪ねた、興味があるのか無いのか、いちどは例の資料を出させて見る、そして江戸へ去るまでは殆ど三日にあげず河正へ招いて馳走してくれた。
矢部とはすっかり疎縁になっていた、多津に子供が生れないということと、二度ばかり大病をしたという話を聞いた。二度めには見舞いにいったけれど、もう治ったあとで、さして痩《や》せもしないし、元気な明るい眼で笑っていた。ただ血色のいい顔が蝋《ろう》のようになり、ちからのない咳《せき》をするのが痛ましくみえた。信一郎は枕許に坐って、
「丈夫そうな躯《からだ》のくせに案外弱いんでまいるよ、今年は柏の温泉へでもやろうと思う」
こう云って妻の顔を見ていた。
直弥は三十八歳になった。あれからずっと蜜柑の咲く季節は不愉快で、四月のこえをきくとああまたかと憂鬱になる、いったいこの土地は蜜柑の樹が多いから、その時期にはどこへいってもその匂いは避けられない、したがって閉籠《とじこも》ることになり、頭の重い鬱陶しい日が続くのであった。兄の兵庫に新太郎と松二郎という子がある、上は十二で温和しいが、七つになる甥《おい》が暴れん坊で、直弥の住居へ来てはそこらを掻廻《かきまわ》してゆく、うるさいけれども面白いから気散じに遊んでやるのだが、そんなときにはそれさえもの憂くて、思わず渋い顔をして追出すととも稀《まれ》ではなかった。――六月になった初旬の一日、伊里郷のほうをまわって帰ると、竹富半兵衛の手紙が届いていた。
――河正で待っている、すぐ来い。
例に依ってずけずけした文句である。「帰ったんだな」直弥は懐かしさにひとりで微笑をうかべた。二三カ月まえから、こんど帰国したら勘定奉行だろうという噂《うわさ》が高かった。恐らくそんなことに違いない――河正なら風呂があるからと思い、着替えだけしてすぐにでかけた。
半兵衛もちょうど風呂にはいっていた。直弥がゆくと彼はおうら[#「うら」に傍点]という女中に、背を流させているところだった。直弥は後ろから眺めて、その逞《たくま》しく膏《あぶら》ぎった体躯《たいく》に驚いた。
「また肥ったねえ、――慥か御尊父は卒中で亡くなったんだろう」直弥はこう云いながら躯をしめした、「気をつけるんだな、危ないよ」
まあお口の悪いとおうら[#「うら」に傍点]が笑った。半兵衛は平然と手で腹を叩いた。
「何これは酒のためさ、二三日やめると、ぐっと肉がおちる、本当だぜ、嘘は云わない」
「おれを安心させたってしようがない、そっちの問題だ」
「それなら文句なしさ、酒も飲まず美食もせず、勤倹実直に暮した矢部が重態で危ないというのに、餓鬼大将のように好きなだけ暴れるおれはこのとおり丈夫だ、どうせ人間は死ぬまでしか生きやしない」
「矢部が重態だって――信一郎か」
「もちろんさ、土地にいて知らなかったのか、労咳《ろうがい》のような病気で、もうここ四五日だろうということを聞いたがね」
まるで知らないことだった、直弥はすぐに多津の身を思い、気持を塞《ふさ》がれた。――汗を流して座敷に坐ると、半兵衛はすぐに「おれは辞職するよ」と意外なことを云った。
「だってそれは、――然し、どういうことなんだ」
「どういうことになるかわからないが、とにかく少し静養してようすをみる、おれも三十八だからな、ここでいま勘定奉行などを宛てがわれては堪らない、これが本心さ」
「逞しいもんだ、当るべからずだね」
「もう一つ悠《ゆっ》くり昼寝がしたくなったのも事実さ、大きく飛ぶには翼を休めなければならない、うんと飲んで食って思うさま寝るよ」
勘定奉行という呼声さえ家中の人々には羨望《せんぼう》に価したが、半兵衛はもっと大きい席を欲しているらしい、それにしてもずばっと辞職する度胸のよさなど、直弥にはただ驚歎の舌を巻くばかりであった。
直弥はその夜ずいぶん酔った。帰って寝たのもはっきりは覚えていない、夜中に枕許の水が無くなって、水屋へ汲《く》みに起きたときようやく、我家に寝ていることを知ったくらいである。――明くる朝もなかなか眼がさめなかった、甥の松二郎がなんども外へ来て呼んだが、頭が重くて返辞もできなかった。そのうちになにか手紙を見たような気がし始め、ふと枕許を見ると、盆の上に封書が置いてあった、酔醒《よいざ》めの水を飲むとき眼についたものだったのだろう、裏を返すと「矢部うち」とある、すぐにゆうべの竹富の話を思いだし、起き直って封を切った。――それには信一郎が重態であること、なにか内密で話したいことがあると云っているから、なるべく早く来て下さるように。あらましそういう意味のことが、たぶん多津の筆だろう、ごく簡単に書いてあった。
「やっぱりそうだったのか、気の毒に、――」
まだ酔の残っている頭で、なにを思うともなく、彼はやや暫くぼんやりと障子を見まもっていた。
梅雨のかえったように、細かい雨が降っていた。兄嫁の調えて呉れた見舞いの品を持って家を出たが、時刻はもう十時に近い頃だった。――矢部の玄関へ立って訪れると、すぐに多津が出て来た。直弥を見ると彼女は赤く泣き腫《は》らした眼を伏せて云った。
「お待ちしていましたけれど、とうとういけませんでした、つい今しがた――」
[#6字下げ]三[#「三」は中見出し]
病間には老父母と医者がいた。悔みを述べて枕許へ寄った、死顔はひどく痩せてぶしょう髭《ひげ》が伸びていた。直弥はじっとその顔を見まもった。
――多津が低い声で、良人《おっと》が春さきに喀血《かっけつ》したこと、それから続いて胃潰瘍《いかいよう》にかかり、おちついたと思うと腸から出血が始まって、坂を転げ落ちるように悪くなり、遂にこういうことになったのだと語った。
香をあげて廊下へ出ると「筆を貸して下さい」と云って、直弥は持って来た包をあけた。
「見舞いに持って来たのですが、霊前へ上げることになってしまいました」
多津は自分の居間へ案内した。筆を借りて包み紙を取替えながら、「矢部が私に話したいというのはなんでしたか」と訊《き》いてみた、多津は知らなかった。
「貴方がみえたら申上げると云って、どうしても話して呉れませんでしたの、――自分では少しも死ぬとは思っていなかったようですから」
「ではそれほど重要なことでおなかったんでしょう」
多津は膝をみつめていたが、そっと顔をあげ、涙の溜《たま》った眼で直弥を見た。
「いま矢部に死なれてしまって、これからわたくしどうしたらいいでしょう、お父さまにもお母さまにも余りお気にいりではありませんし、頼りにする子供はございませんし――」
直弥は暫く黙っていた。それから低い声でこう云った。
「今はなにも考えないがいいですよ、御承知のとおり私は此処《ここ》の御両親には歓迎されない客だから、そう訪ねては来られないが、なにかあったら出来る限りおちからになります、気をおとさないで確《しっ》かりしていらっしゃい」
直弥は暗い気持で雨の中を帰った。多津はどうなるだろう、彼女が、矢部の親たちに好かれていないと云うのは、彼女に子の無いことも原因の一つに違いない、家系というものの厳しい当時にあって、殊に武家ではそれは重大なことだった、三年子が無ければ離別するという俗諺《ことわざ》さえあるくらいで、良人はなかば公然と妾婢《しょうひ》をもつことさえ出来たのである。――多津に子が無く、良人は死に、舅姑に好かれていないとすれば、将来さらに不幸の重なることは避けられないかも知れない、可哀そうに。……直弥はふと自嘲《じちょう》の笑いをうかべ、溜息をついた。なにかあったらちからになると云ったが、本当にそうなったとき彼になにが出だろうか、兄の厄介者で一生部屋住の彼に、いったいどんなちからがあるというのだ。壕端《ほりばた》のさいかちの樹蔭に立停り、水面に雨が描く細かい波紋を眺めながら、直弥はかなり長いとと物思いに耽った。
葬式には兄の兵庫がいった。初七日の待夜に、竹富の周旋でむかしの友達が集まることになり、直弥も招かれた。五人組のほかに四五人来たが、ひととおり久濶の挨拶が済むと、直弥だけは会話のそとへ押しやられた、半兵衛さえ余り話しかけてこなかった。勿論そのほうがいい、直弥は黙って彼等の話すのを眺めていた――中心はやっぱり半兵衛だった、そう並べてみると風格もずばぬけている。きぱきぱと切り口上に言葉少なで「そう」とか「いや結構」などという受答えに、羨《うらや》ましいほど際立った貫禄がみえた。
――たいした人間になった。
直弥はこう呟《つぶや》いて微笑した。
半兵衛が職を辞したのはその数日後のことであった。河正で人を集めては派手に飲むとか、昼間はぐうぐう寝ているとか、千代川で子供たちと泳ぐとか、京町の花街で流連しているとか、色いろな噂が耳に入る、直弥はそういう噂の蔭に、半兵衛の皮肉な微笑をみる気持で、せっせとまた資料蒐めに歩き始めた。――けれどもその頃から彼はふとすると憂鬱な考えにとらわれることが多くなった。郷村を尋ねて古老の話を聞きながら、人間の運命の頼りなさとか生命のはかなさなどを想う、歩いていて木の葉の散るさまを見る、黄ばんだ葉が枝を離れる瞬間に、人間の断末魔の叫びを聞くように思う。……自分で舌足らずに自分のことを「おた」と呼んだ多津、蜜柑の樹の下へ直弥を呼出しては、姉のようにふるまうことを喜んだ多津、藤色の細かい縞の着物に白い襟をみせたすがすがしい姿、白い大輪の芍薬《しゃくやく》を抱えた明るい顔。――それが十五年経った今、すでに花は散り葉は枯れかけている、彼女を待っているものは冬の寒気と、霜と風雪だけだ。
――いったい多津はなんのために生きて来たのだろう、女としてはもう一生が終ったと云ってもいいのに、これまで生きて来たことにどんな意味があるだろう。
勿論それは自分のことでもあった。調べてまわる古い伝説、史蹟に遺っている蘚苔《こけ》むした碑《いしぶみ》、戦場の跡といわれる茫漠たる荒野、そこには人間の恋と冒険と悲劇と歓喜があった、その土は血と涙を吸い、その碑は万人讃仰の的であった。だがそれは総て過ぎ去ってしまった、碑の文字は蘚苔に蝕《むしば》ばまれて消え、戦場の跡は畑になってしまうだろう、余りにわかりきったことだ。どんなに偉大な事蹟も過ぎ去ってみれば野末の煙に等しい、慥かなことは絶えず時間が経過しているという事実だけだ。
「それは瀬沼直弥が三男の部屋住で、三十八になるまで満足に遊蕩《ゆうとう》の味も知らないからさ」半兵衛はひやかすように笑った、「もし直弥が家老にでもなればまるっきり別のことを考える」
「たぶんそうだろう、然しおれの考えが変ってもその事実は変化しやしないよ」
「それがどうしたと云うんだ、なにもかも消滅することにふしぎはないじゃないか。もともと人間のする事に意義なんかありゃあしない、土百姓の伜《せがれ》が太閤《たいこう》になったって、なにがしの上皇が孤島幽囚の終りをとげられたって、結果としては単にそれだけのことだ、人間ぜんたいの運命にも無関係だし、意義も意味もありはしない、なにかがあるとすれば生きているあいだのことさ、いかによく生きるか、どう生きるか、問題はそれだけしかないよ」
「俗論はひびきの強いものだ、そして出世型の人間は定ったように現実を肯定する」
「悲観論者が病人か貧乏人に定っているのと一般さ、どっちみち人間は利巧じゃあない」
九月になって矢部の百日忌が来た。その日直弥は宗泰寺の墓地で多津に会った。法会《ほうえ》はとっくに済み客も帰ったあとで、彼女が独り墓畔のあと始末をしていた。――すっかり健康そうに肥えて、頬にはまた艶《つや》つやと赤みをさしていた。笑う表情も声も明るく、まるで娘の頃をそのまま見るように思えた。
「こんど養子をとることになりましたの」
挨拶が済むとすぐ多津がこう云った。
「お母さまのお里のほうの者で、今年もう十八になるそうですけれど」
「お母さまとは矢部のですか」
「ええ――」多津は擽《くすぐ》ったそうな微笑をうかべた、「いきなり十八の子の母親になるなんてどうしたらいいでしょう、わたくし今から戸惑いをするばかりですわ」
「私にも想像がつきませんね」直弥も笑いながら云った。「お母さんどころか貴女はむかしのままですよ、こうして見ると娘時代と少しも変っていない、本当にふしぎなくらいですね」
「それはもう生れつき賢くないんですから」
「だがよかった。それで貴女もおちつくでしょう、私も安心です」
多津は上眼でじっと直弥をみつめ「おかげさまで」と云いながらその眼を伏せた。――直弥はどきっとした、黒の紋服に白襟のくっきり眼立つ胸もとの豊かさ、眉のあざやかな、頬に赤みのさした明るい顔つき、それは矢部へゆくまえの多津そのままの姿ではないか、十五年もひとの妻だったなどということは殆ど感じられない。矢部にそれだけの影響力がなかったのか、それとも多津の個性が影響をうけないようにできていたものか、――こう思いながら、直弥は自分で狼狽《ろうばい》するほど彼女にひきつけられるのを感じた。
このときの感動は消えなかった。単に消えないばかりでなく、一種の悩ましい空想をさえ植えつけた。多津が未亡人であって、養子が入るとすれば矢部の家を出ることもできる。そういう考えがいつも頭のどこかにひそんでいる。むろん自分に結びつけてのことではないが、その空想が平板な彼の日常に小さな燈を点じたことは慥かであった。いつか知らぬ間に、直弥は少しずつ「三男の甚六」をとり戻していった。兄嫁がいち早くそれに感づいたのだろう。なにかお嬉しいことでもありそうね、などと云われたくらいである。そういう直接な感じのものではない、僅かにそんな空想も可能だというにすぎないのである、然し彼はそうですかと答えても否定はしなかった。
矢部では十一月に養子を入れたということを聞いた。披露の招きはあったがゆかなかった。そして十二月になると間もなく老臣のあいだに政治上の紛争が起ったという噂が拡まった。直弥などにはよくわからないが、二十年ちかくも国家老を勤めた梶原図書助と、それを取巻く保守派に対して、中老の島田助左衛門を主盟とする若手重職らが、政治全般の改革案をつきつけて事実上の退陣を迫ったのだという。どこまでが真相か見当はつかなかったが、直弥には島田一派の蔭に竹富半兵衛の逞しい相貌が見えるようで、いよいよ動きだしたなとひそかに注意を怠らなかった。
年が明けて二月のことだった。久しぶりに半兵衛から誘いがあり、河正で一緒に酒を飲んだ。半兵衛の眼は充血していたし、頬のあたりに悄衰《しょうすい》の色があった。水を向けてみたが政治のことには頑として触れず、京町の馴染の妓との惚気《のろけ》めかした話をだらしもなく続けた。お互いにかなり酔のまわった頃だった。廊下を大股《おおまた》に来る人の足音がして、声もかけずに障子を明け、血相の変った三人の若侍が入って来た。
半兵衛は右手に盃《さかずき》を持っていた。酒のいっぱい入っている盃を持って彼等を見た。充血した腫れぼったい眼で、じろっと彼等を見ながら「来たな」と冷やかに云った。
[#6字下げ]四[#「四」は中見出し]
それが殺気というのだろう、部屋の空気がきりきりと結晶するように思えた。三人のうち左の端にいた青年が、半兵衛の「来たな」という声に応じて刀を抜いた。
「まじめだな、――よかろう」半兵衛はきぱきぱと云った、「おまえたちの年頃にはおれにも覚えのあることだ。但しひとこと訊くが自分の信念だろうな、教唆されて来たんじゃあないだろうな」
直弥はその瞬間に勝負がついたと思った。半兵衛は酒を呷《あお》り、例の淀みのない切り口上でたたみかけた。
「紛争が自分に不利だとみて、相手も生かして置けないと思ったら自分でやるのが当然だ。矢部さんの立場におれがいたら、おれは自分で此処へ来る。決して他人を使うようなことはしないぜ、これでお終いだ、遠慮なくやれ」
刀を抜いた青年は唇を噛《か》んだ、然し殺気はすでに去っていた、彼は叫んだ。
「竹富さん手をおひきなさい、それが貴方の身のためです」
「おれは藩の将来を思っている、政治の正しい改革を思っている、自分のことなど考えていやあしない、ばかなことを云うな」
直弥は立っていった。もう終りである。幕を引いてやらなければ可哀そうだと思ったからだ。彼は刀を抜いている青年に向って、「さあ帰りたまえ」と云った、その青年のひたむきな眼に同情を感じたのである。
「今日はこれで帰って、よく考えてみたまえ。私は政治のことはよく知らないが、竹富はそんなにも物凄《ものすご》く悪い人間じゃあないと思う、ひとつ冷静に考えるんだね、それからまた来ればいい、今日は帰りたまえ」
三人は案外おとなしく帰っていった。直弥は坐って半兵衛を見た、半兵衛の充血した眼がきまじめな光を帯びていた。
「おれの勝だよ、瀬沼」半兵衛はずばりと云った、「敵は自分で敗北を名乗り出たようなものだ」
「さっき矢部と云ったが、あれは――」
「真右衛門さ、信一郎の親父だ、伜が死んで返り家督をしたら欲が出だして、――いやそんなことより話があるんだ、瀬沼」半兵衛は一寸《ちょっと》、言葉を改めた。「今度おれは国家老になる、同時に瀬沼は郡奉行だ、わかるか」
「おれが郡奉行だって、冗談じゃあない」
「今日までの郷土調査を活かすんだ、おれには練りに練った経綸《けいりん》がある、黙っていたがそれには瀬沼の蒐めた資料が役に立つんだ」
「それなら資料だけ使えばいいさ」
「まじめな話なんだ」半兵衛はじっとこちらを見た、「おれはいつも瀬沼のことを考えていた、自分では気がつくまいが、おまえは役所の下役人は勤まらない男だ、然し置くべき席に置けば仕事の出来る人間だ、そう思ったから今日までへたな周旋はしなかった。こんどこそ瀬沼を出せる、――長い部屋住をよく辛抱したよ」
直弥は困ったように持っている盃を眺めた。夢にもそんな友情を期待していなかったので、危うく涙が出そうになった。これまでの事が新しく想いかえされ、その一つ一つに半兵衛の劬《いたわ》りと慰めと激励のあったことがわかる、これが「三男の甚六」だろうか、彼は初めて本当の半兵衛をみいだすように思えた。
「それにしても驚いたね」半兵衛が急にからりとした声でいった、「おれを弁護してくれたのはいいが、そんなにも物凄く悪い人間じゃあないとさ、おれはあぶなく笑うところだったよ――」
――半兵衛の確信にもかかわらず、その解決にはなお若干の時日を要した。三月に藩主が帰国し、国家老の梶原図書助と中老の島田助左衛門が辞任した、紛争の責任をとらされたものらしい。然し国家老の後任が定まらないまま四月にはいった。――初旬を過ぎた或る朝のこと、直弥は庭へ出てゆくと、ふと、向うの生垣のところに多津のいるのをみつけた、待っていたのだろう、直弥がみつけると同時に彼女はそこから会釈した。
「暫くですね」彼は近寄っていった、「いつかはお招きを貰ったのに失敬しました、――今朝いらしったんですか」
「昨夜まいりましたの」多津はこう云いながら眼をあげた、「蜜柑の花がよく匂いますこと」
直弥もそっちへ眼を遣った。黒いほど濃い緑色の葉蔭に蜜柑が花をつけていた。気がつくとあたりはつよくその花の香で匂っていたが、ふしぎに不愉快でも厭でもない、あの物のすえるような感じは少しもなかった。やっぱりむかしどおりの重ったるく甘い、郷愁のように懐かしい匂いであった。――どうしたことだろう、直弥は殆どびっくりした。なんのための変化だろう――。
「お願いがあるんですけれど」多津が低い声で云った。「河正へ来て下さいませんでしょうか、聞いて頂きたいことがございますの」
「まいりましょう、いつ頃がいいですか」
「いつかの時刻ではいかがでしょうか」
「結構です、必ず伺います」
多津はじっとこちらを見て、それから向うへ去っていった。――いつかの時刻、直弥にはその言葉が強く頭に残った、十五年の余り経ってしまったあの日を、彼女はまるで数日まえのことのようにむぞうさに云った。いつかの時刻、直弥は同じ言葉をなんども口の中で繰返した。
九時過ぎると間もなく竹富が来た。珍しく麻裃《あさがみしも》で、髭の剃跡《あおりあと》の青い、颯爽《さっそう》という感じの顔つきだった。
「国家老拝命に伺候するんだ、そこもとの郡奉行も定った、二三日うちに召されるから用意をして置いて呉れ」こう云って半兵衛は包んだ物を渡した。「色いろ支度があるだろう、とりあえずこれだけ渡して置く」
「ちょっと待ってくれ、どうも余りいきなりで」
「いきなりと云うことがあるか、二た月もまえに予告してある、じゃあ頼むぞ」
半兵衛はさっさといってしまった。旋風が来て直弥を巻きこんで、抛《ほう》りだしていったとでもいうような具合である。彼は暫く包を持ったまま茫然と坐っていた――時刻に少し早く家を出た、河正へゆく途中たびたび風に送られて蜜柑の花が匂った。だがもう決して不快ではなかった。そのためにその季節の来るのさえ堪らなかったものが、まるで嘘のように変化した。直弥はゆっくりと解放されたような気持で歩いていった。
河正へはもう多津が先に来ていた。離れだというのでいってみると、座敷にはいなかった。然し持物が置いてあるのでいちど坐ったが、すぐに思いついて庭へ出てみた。――あの時のように、直弥は悠くり松林の中を歩いていった。すると、いつか彼自身がそうしたように、多津が庭はずれに立って川を眺めていた。驚かしてはいけないと思って、彼はずっと手前から声をかけて近寄った。多津は振返らなかった、側へいって立停ってもじっとして動かない、直弥は暫く待ってから、静かにどうしたのですと訊いた。彼女は川を眺めたまま艶のない声で云った。
「郁之助――御存じですわね、去年うちへ養子に来た子……あれは養子ではございませんでした、跡取りでしたわ」
直弥はすっと背筋に風のとおるのを感じた。多津の表情のない声は続いた。
「あれは信一郎の子供ですの、信一郎がわたしを娶《めと》るまえに、或るひとに産ませた子供ですの、――昨日はじめて知りました、初めてですのよ、多津がどんな気持だったかおわかりになるでしょうか、……十五年」よろよろと声がよろめくように思えた。「わたくし、良人を信じていました、針の尖《さき》ほどもそんな疑いを持った事はございませんでした、信一郎がわたくしの他に誰かを愛して、子供まであるなんて、夢にも思った事はございませんわ、それが今になって、――直弥さま、人間にはこんなにも人を欺くことができるものでしょうか、こんな欺き方をしたまま黙って死ぬことができるものでしょうか」
直弥はやや長い沈黙の後に云った。
「私はこう思う、――矢部が死ぬとき私になにか話したいと云った、あれはそのことだったと思うんです。なぜかというと、……彼にそういう子供があることを、私だけは知っていたんですから」
「貴方が」多津ははっとしたように、初めてこっちへ振返った。「直弥さまが、知っていらしったんですって」
「貴女が矢部へゆくまえに、此処へ来て貰ったことがありますね、あれはそのことを話したかったからです」
「でもお話しなさいませんでしたわ」
「しませんでした、その積りでいたのが出来なくなったんです」
「どうしてですの、なぜ、――」
多津と直弥の眼が激しくむすびつき、殆ど火を発するかのようにみえた。こんどは直弥が川のほうを見た、そして静かにこう云った。
「此処へ来て、貴女を待っているうちに、私は自分の本心に気がついた、自分が貴女を愛していたこと、それもずっとまえから、愛していたということに気づいたんです。……矢部にはこういう秘密がある。それを話すには私が公平な立場でなければならない、私が貴女を愛しているとすれば、もうそれを話すことはできない、話せば中傷することになります」
「わかりました、よくわかりましたわ」
多津はこう云いながら両手でそっと眼を押えた。
「でもやっぱり話して下さるのが本当でしたのよ、多津があの日、恥ずかしい怖いおもいをして此処へ来たのは、いま仰しゃったようなことをうかがえると思ったからですわ、愛している、そう仰しゃって頂けると思って、初めてお母さまにも嘘も云えたんですわ」彼女はそこでとつぜん面《おもて》を掩《おお》い、肩を震わせながら激しく咽《むせ》びあげた。「それを今になって聞くなんて、こんなに色も香もうせて、お眼にかかることさえ恥ずかしい今になって――」
直弥は手を伸ばした。多津の肩を抱き、静かにそっとひき寄せた、彼女は萎《な》えたように直弥の胸に凭《もた》れかかり、凡《すべ》てを任せきった姿勢で泣き続けた。――直弥は川の淀みの碧色を見やった。あの日へ返ったのだ、あの朝も多津は「蜜柑がよく匂う」と云った、今朝も同じことを云ったではないか、あの日この松林の中で二人が会ったように、今こうして二人は会っている、違うのは二人が互いに愛していることを諒解《りょうかい》し、これから二人の生涯が始まるということだけだ。――直弥は今まざまざと百日忌の思出を回想する、十五年も一緒に暮しながら、多津が少しも矢部の影響をうけていないようにみえたこと、まったく娘時代そのままにみえたことを。
「今になって、――貴女はそう思いますか」直弥はこう囁《ささや》いた、「もし本当にそう思うとしたら間違いですよ、私たちにはこれがちょうどの時期だったんです、二人が結びつくためには、これだけの時間が必要だったんですよ。――この世で経験することは、なに一つ空《むな》しいものはない、歓びも悲しみも、みんな我々によく生きることを教えてくれる。……大切なのはそれを活かすことだけですよ」
「なにもかもお終いになって、人間さえ信じられなくなってから、それをどう活かせと仰しゃるんですの」
「実家へお帰りなさい」直弥はそっと彼女の背を撫でた、「庄田多津になるんです、ごく近いうちに、貴女さえよければ、直弥が結婚を申込みます」
多津の全身を痙攣《けいれん》がはしり、呼吸を詰めるのがはっきりわかった。直弥は背を撫で撫でこう云った。
「そう。――やっぱり時期が必要だったんですよ、こんどは直弥も結婚を申込むことが出来るんです、二人で、これまでの経験をむだにしないように、生きてゆきましょう。……」
「今でもおた[#「おた」に傍点]の棘《とげ》を抜いて下さるのね、おた[#「おた」に傍点]がこんなおばあさんになっても、――これは夢ではございませんわね」
夢ではない、これまでの年月が夢なのだ、二人は今はじめて二人の現実に足をかけたのだ。直弥はこう思いながら、多津に頬ずりしたいという欲望をじっと抑えていた。
底本:「山本周五郎全集第二十一巻 花匂う・上野介正信」新潮社
1983(昭和58)年12月25日 発行
底本の親本:「面白世界別冊」
1948(昭和23)年7月号
初出:「面白世界別冊」
1948(昭和23)年7月号
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山本周五郎
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[#6字下げ]一[#「一」は中見出し]
直弥は初めて眠れない夜というものを経験した。いったいが暢気《のんき》なたちで、小さい頃から「三男の甚六」などと云われたが、これは誰の眼にも適評だったらしい。人を憎むとか怨むとか、激しく怒るという感情が殆どなかった。菓子を取るにも物をねだるにも兄たちに先を越されるし、友達と遊ぶにもきまって後手をひいた。上の兄ふたりはよく喧嘩《けんか》をしたが、彼はいつも途方にくれたような顔をし、側で黙って見ているという風であった。長兄の兵庫はむっつりしているが癇《かん》が強い、二兄の孝之助は口も手も八丁という質で、我《が》をとおすことにかけては兄を凌《しの》ぐくらいだった。彼は十六歳のときいちど鹿木原家へ養子にいったのである。が、一年ばかりするととびだして来て、「私にはとうてい勤まりません、縁を切って下さい」と云ってきかなかった。そのときはだいぶごたごたした、怒った父の呶鳴《どな》りごえや母の泣いて訓《さと》すのも幾たびか聞いた。けれども孝之助は梃《てこ》でも動かず、遂に自分の意志を押しとおしてしまった。十九歳で松島家へ婿養子にいった時も、頻繁に家へ帰って来ては母に文句を云ったものである。「私は養子には向かないんですよ、直弥をやればいいんです、養子にはあれがうってつけです」そんなことを云っているのを聞いたこともある。然し二年経って長男が生れると、それでおちついたらしく、もう来ても不平を云うようなことはなくなった……養子にはうってつけと聞いたとき、直弥はなるほどそんなものかも知れないと思った、別にひどいことを云われたとも感じないし、改めて発奮する気持も起らなかった。こういう性質だから、自分が三男坊の部屋住だということにもさして悩んだり僻《ひが》んだりしたためしはない、将来のためにどうしようなどということもなく与えられた平凡な月日をきわめて従順に暮して来た。
矢部信一郎と庄田多津との縁談がきまったと聞かされた直後から、直弥の眠れない夜が始まったのである。勿論《もちろん》そう聞いたときはごく単純に喜んだ、信一郎は藩の学問所からの親友の一人で、他の友達が離れてゆくなかに信一郎だけは親しい往来が続いていた。去年の春、父親が隠居し、彼がその跡を襲って御庫《おくら》奉行になってからは、それまでのように繁々とつきあうことも出来なくなったが、それでもなお信一郎のほうでは、親にも云えないようなことを打明けて相談するという風だったのである。――庄田のほうは隣屋敷で、多津とも幼いうちから馴染んでいた、よく笑う明るいおしゃまな子で、四つ違いの直弥を弟のようにあつかうのを好んだ、うぶ毛の濃いたちなのだろう、腕にも煩にも水蜜桃のように柔らかな細かい毛が生えていて、日光の具合できらきら光るのが直弥には珍しかった。それはいいが顎《あご》の下の喉仏《のどぼとけ》に当るところに、ひとかたまりの生毛があるのは可笑《おか》しかった。当人は知らないようだし彼も云いはしなかったけれども、彼女がむすめになってからもふと思いだすと、独りで微笑させられたものである。庄田とは柾木の生垣ひとえの隣合せで、生垣の側に大きな蜜柑《みかん》の樹があり、多津のずっと小さいころにはその樹蔭でよく遊び相手をさせられたのであった。お互いに家族同志が親しいので、成長してからもずっと往来していた。庭で顔が合ったりすると生垣を中に暫《しばら》く話すのが例である、信一郎が多津を知ったのも直弥を介しての事で、二度か三度いっしょに話す機会があり、それからこんどのはなしになったものである。……こういう関係なので、二人の縁談を喜んだのは当然であるが、然しそのすぐあとで直弥はとつぜん身震いをした。信一郎に秘密があるのを思いだしたのだ、自分の家にいた小間使とあやまちをして、今年三つになる男の児がある。その女は吉田村という処のかなりな農家の娘で、身籠《みごも》るとすぐに家へ帰り、子を産んでからもずっと其処《そこ》にいる。今でも矢部の家から定《きま》った養育料が届けられるのを、直弥は知っていたのであった。
眠れない夜の時間に、直弥は繰返しその事を考え続けた。結婚してからその事実を知ったら、多津はどんなに苦しい思いをするだろう、よく笑う明るい彼女の顔が悲しみのためにひきつり、苦しさに歪《ゆが》むのが見えるようである。直弥は胸にするどい痛みを感じた。余りにそれは残酷だ、なんの咎《とが》もない多津がどうしてそんなめに遭わなければならないのか、――いやいけない、それは可哀そう過る、少なくとも事情を知っている自分が黙って見過すという法はない。
「どうしても話すのが本当だ、そのうえで多津が承知してゆくなら別だが、なにも知らせずにやるという法はない――」
十日余りも不眠の夜が続いたのち、直弥はこう決心をして手紙を書き、多津に渡す折を待った。――それを渡したのは朝のことだった。まだうっすらと霧のながれる時刻に、多津が庭へ花を剪《き》りに来た。直弥は生垣のところまでいって呼んだ、彼女は微笑しながら近づいて来た。藤色に細かい縞のある袷《あわせ》と、襦袢《じゅばん》の白い襟があざやかな対照をなして、胸もとが際立ってすがすがしくみえた。
「お早うございます――おおいい香り」多津は頬笑んだまま脇のほうを見上げた。「蜜柑がずいぶんよく匂いますこと」
直弥もそっちへ眼をやった。蜜柑の樹に花が咲いていた。気がつくとあたりの空気はかなり強い匂いに染っていた。直弥は眼をかえした。そして手紙を出して彼女に渡した。
「独りで読んで下さい。よかったら二十日に待っています」
多津は少しも警戒の色なしに受取ってふところへ入れた。いま剪って来たばかりの白い大輪の芍薬《しゃくやく》を抱えていたが、花も葉もしとどに露をむすんでいた。
「お返辞を差上げますの」
「いや読んで呉《く》れればわかります。もし二十日がいけなかったら、明日の朝ここへ来てそう云って下さい」
多津ははいと頷《うなず》いたが、そのとき心なしか、すっと顔色が変るように思えた。――明くる朝、彼女は庭へ姿をみせなかった。それで中二日おいた約束の日に、直弥は「河正」へでかけていった。
河正は千代川の河畔にある、料理茶屋ではあるが先代の主人というのが御城の庖丁方で、なにか失策があってお暇になったが、殿さまがその庖丁ぶりを惜しまれ、それとは知らせずにお手許《てもと》金で料理茶屋を出して遣られたと伝えられている。そのためばかりでもないだろうが客は殆ど武家に限られていた。女中もごく地味な温和《おとな》しい者を選んであるし、歌妓などは決して入れないので、家族|伴《づ》れで来る客も相当に多かった。――直弥もたびたび父親に伴れて来られた。庄田でも同じように来て、両家族がそこで一緒になることも珍しくはなかった。それで直弥は、二人きりで会って話したいことがあるからと、手紙で多津にこの家を指定したのであった。
一緒に昼食のできるようにと、定めた時刻より遙《はる》かに早く河正へいった。通されたのは廊下を渡ってゆく離れ造りの座敷で、庭の松林を越してすぐ向うに、碧色の淀《よど》みをなした千代川が眺められた。――多津はなかなか来なかった。運ばれた茶にも手が出ず、眼にしみるような濃い色の川波を見ていたが、暫くすると直弥はふいに低く呻《うめ》き、眼をつむりながら片手で胸を押えた。
――ああそうだったのか、そうだったのか。
そこまで来て彼は自分の本心に気づいた。自分が多津を愛していたということを、それもずっと以前から深く根づよく愛していたということを。――彼はぐらぐらと眩暈《めまい》に襲われ、呼吸が詰りそうな感じで激しく喘《あえ》いだ。
――もういけない。話すことは出来ない。
直弥は立上り、蒼《あお》い顔をして庭へ下りていった。――松林をぬけて庭はずれまでゆき、そこで茫然とながいこと物思いに耽《ふけ》った。少し気持が落ちついてから、座敷へ戻ろうとすると、松林の向うから多津の来るのが見えた。
「ごめんあそばせ、すっかり遅くなってしまいました」多津は上眼づかいにこっちを見て微笑した。「ちょうど出がけにお友達がみえましたの、おかげさまで出る口実はついたのですが、こんなにおくれてしまいました」
彼女の頬はさっと赤くなった。着附けや化粧のせいだろうか、驚くほどおんならしくなり、背丈まで高くなったようにみえる。婚約ができると娘はおんならしくなる。いつかそんなことを聞いたようだ。――嫉妬《しっと》というのだろう。さっきとは違ったするどい苦痛のために、直弥は危うくまた呻きそうになった。
多津はうきうきしていた。肩を竦《すく》めて忍び笑いをしたり、急にまじめな眼でこちらを見つめたりした。こんな処へ独りで来るのは初めてであるが、この胸のどきどきするような気持ち悪くはないとか、むかし直弥の家族とここで一緒になったときの、ごく詰らない思出をさも可笑《おか》しそうに話したりした。――食事が済んでから、多津はにわかにしんとなった。直弥が静かに口をきった。
「手紙には話があるように書いたけど、本当はお別れにいちど食事をしたかったんですよ。――それと一つだけ、これまでのおつきあい甲斐《がい》に餞別《せんべつ》の言葉を差上げます」
多津はうつむいて膝《ひざ》の上に手を重ねた。
「物に表と裏がある以上に、人間にもそれぞれひなたと日蔭がある、世の中そのものが複雑でむずかしいから、人間もきれいにばかりはなかなか生きられない、厳しいせんさくをすれば、誰にも少しは醜い厭《いや》な部分があるものです。それが現実だということを考えていらっしゃい。余り美しい夢を期待すると裏切られるかも知れません。勇気をだして、たとえ少しくらい厭な事実に遭ってもまいらないで、強く幸福に生きて下さい」
多津は「はい」と答えて暫くうつむいたままでいたが、やがて顔をあげながらこちらを見て微笑した。洗われたように鮮かな眸子《ひとみ》である。
彼女はこう云った。
「直弥さまはいつかこう仰《おっ》しゃいましたわ。棘《とげ》を刺したってそんなに泣くことはない。私がすぐ抜いてあげるよって、――おた[#「おた」に傍点]の七つの年でございましたわ」
[#6字下げ]二[#「二」は中見出し]
直弥が二十九歳のとき父と母とが相前後して亡くなり兄の兵庫が家督をした。彼はそれを機会に母屋から出て別棟になっている住居へ移った。それはむかし足軽長屋だったものらしい。不用になって厩《うまや》はとり毀《こわ》したが、そこは物置に使っていたのである。大工を入れて少し造り直し、八|帖《じょう》と六帖に長四帖の板間を附けた。なかなかおちついた住居になった。
彼はその四五年まえから暇にまかせて風土資料を蒐《あつ》めていた。二十四五になるとたいていもう養子にゆく望みもない。部屋住で一生を厄介者で送らなければならない。喰べることと小遣ぐらいには心配がないけれども、妻を娶《めと》ることもできないし人並の世間づきあいもいちおう遠慮である。これではなにか気持を紛らせることがなければ退屈だ。しぜん部屋住の者はたいがいなにかやっている。境遇に依っては内職をする者もあるし、碁将棋や書画に凝る者もある。直弥は少年じぶんから伝説や地誌を聞くのが楽しみだったので、領内全部の風土資料を記録してみようと思いたった。時間は幾らでもあるから弁当持ちで出掛けて、その土地土地の古老を訪ねたり、社寺、古蹟《こせき》を探ったり、林相や気候や作物を調べたりして、それをこくめいに記録した。――長四帖の板間に棚を作り、蒐めた資料をそこに積んで置く、外へ出ないときは八帖の居間の机で、気の向くままに整理をする。
「諦《あき》らめてみればかなり仕合せな境遇だ」彼はしばしばこう思って苦笑した。
多津が矢部へ嫁して一年、同じ季節のめぐって来た或日のことだ。机に向って書いていると、どこからかひじょうに不愉快な香が匂って来た。芥捨場で物のすえるような匂いであった。庭のほうを見ると、ちょうど吾助という老僕が掃除をしていた。直弥は彼を呼んで云った。
「厭な匂いがするな。そのへんに汚ない物でも捨ててあるんじゃないか」
「さようでござりますか」老僕は風を嗅《か》ぐように顔を左右へ振向けた。「――わたくしには蜜柑の花は匂いますがそのほかにはなんにも匂わないようでござりますがな」
蜜柑の匂い、直弥は眉をしかめた。そうだ、慥《たし》かにそれは蜜柑の花の匂いであった。然しそれにしてはなぜこんなに厭な匂いなのだろう。去年までこんなことはなかった。甘くおもたい感じではあるが、母親の乳の思出のような懐かしさをもっていた。それがこんなに不愉快に匂う、どうしたことだろう、――直弥は立って障子を閉め、ながいこと机に頬杖《ほおづえ》をついていた。
矢部からは始めのうちよく招待があった。招かれないでもときどきこっちから訪ねた。夫妻は心から歓待してくれるが、両親はあまり喜ばない風があった。僻《ひが》みではなく彼のような部屋住者の訪問は、矢部老夫婦には好ましくない客なのだ。それでいつか自然と往来が遠のいていったのである。――直弥はかくべつ不満でも不快でもなかった。矢部の家庭が平穏であり、多津が仕合せであるならこれに越したことはない。そのうえ彼女を失った傷手は意外に大きくて、信一郎と並んだ彼女を見ることはかなりな苦痛であった。直弥はしだいに孤独な、静かではあるが平板な生活にはいっていった。……こうして三十を越すと間もなく、彼には思いがけない友人が現われた。竹富半兵衛という男で、学問所を出るまでは矢部信一郎や川村伝八、馬場文五郎らと一緒に、五人組などと呼ばれて親しく附合った。二十一二からみな家を継いだり養子にいったりして役に就き、直弥ひとり埒外《らちがい》に残されたかたちであるが、竹富半兵衛とは、彼が江戸詰になって以来、十年ちかくも会わなかったのである。
「ここの家の蜜柑を思いだしたんでね」半兵衛はこう云いながら入って来た。「おう生《な》ってるな、ひとつ※[#「てへん+宛」、第3水準1-84-80]《も》いで来ようか」
「いけないよ、あれは隣のだ」
「隣のって――だってむかしはよく※[#「てへん+宛」、第3水準1-84-80]いで喰べたじゃないか」
「喰べたって隣のさ、まああがらないか」
半兵衛は肥えていた。顔もびんと張切っているし、大きな眼には威が備わってきた。よくとおる声で簡潔にきびきびとものを云う、これはたいへんな人間になるぞと、直弥は心のなかで眼を瞠《みは》る思いだった。――昼食を一緒にしたあと、半兵衛は記録した風土資料を見た。なにか云うかと思ったが、見終ると黙って返して他の話に移り、「五時頃に河正へ来てくれ」と云って立上った。
「久し振りで一杯やろう、待っているよ」
そのとき竹富は百日ほど国許にいた。そして年が明けると間もなく、収納方元締に上げられて江戸へ去った。それが二人の友情の復活になり、同時に半兵衛のめざましい出世ぶりが始まった。彼は殆ど二年おきに帰国し、帰るたびに役を上げられてまた江戸詰になる、もともとそれだけの家格と背景があるのだが、老職たちの信用もあり、それ以上に藩主の寵《ちょう》が篤《あつ》いということだった……半兵衛は帰国すると必ず直弥を訪ねた、興味があるのか無いのか、いちどは例の資料を出させて見る、そして江戸へ去るまでは殆ど三日にあげず河正へ招いて馳走してくれた。
矢部とはすっかり疎縁になっていた、多津に子供が生れないということと、二度ばかり大病をしたという話を聞いた。二度めには見舞いにいったけれど、もう治ったあとで、さして痩《や》せもしないし、元気な明るい眼で笑っていた。ただ血色のいい顔が蝋《ろう》のようになり、ちからのない咳《せき》をするのが痛ましくみえた。信一郎は枕許に坐って、
「丈夫そうな躯《からだ》のくせに案外弱いんでまいるよ、今年は柏の温泉へでもやろうと思う」
こう云って妻の顔を見ていた。
直弥は三十八歳になった。あれからずっと蜜柑の咲く季節は不愉快で、四月のこえをきくとああまたかと憂鬱になる、いったいこの土地は蜜柑の樹が多いから、その時期にはどこへいってもその匂いは避けられない、したがって閉籠《とじこも》ることになり、頭の重い鬱陶しい日が続くのであった。兄の兵庫に新太郎と松二郎という子がある、上は十二で温和しいが、七つになる甥《おい》が暴れん坊で、直弥の住居へ来てはそこらを掻廻《かきまわ》してゆく、うるさいけれども面白いから気散じに遊んでやるのだが、そんなときにはそれさえもの憂くて、思わず渋い顔をして追出すととも稀《まれ》ではなかった。――六月になった初旬の一日、伊里郷のほうをまわって帰ると、竹富半兵衛の手紙が届いていた。
――河正で待っている、すぐ来い。
例に依ってずけずけした文句である。「帰ったんだな」直弥は懐かしさにひとりで微笑をうかべた。二三カ月まえから、こんど帰国したら勘定奉行だろうという噂《うわさ》が高かった。恐らくそんなことに違いない――河正なら風呂があるからと思い、着替えだけしてすぐにでかけた。
半兵衛もちょうど風呂にはいっていた。直弥がゆくと彼はおうら[#「うら」に傍点]という女中に、背を流させているところだった。直弥は後ろから眺めて、その逞《たくま》しく膏《あぶら》ぎった体躯《たいく》に驚いた。
「また肥ったねえ、――慥か御尊父は卒中で亡くなったんだろう」直弥はこう云いながら躯をしめした、「気をつけるんだな、危ないよ」
まあお口の悪いとおうら[#「うら」に傍点]が笑った。半兵衛は平然と手で腹を叩いた。
「何これは酒のためさ、二三日やめると、ぐっと肉がおちる、本当だぜ、嘘は云わない」
「おれを安心させたってしようがない、そっちの問題だ」
「それなら文句なしさ、酒も飲まず美食もせず、勤倹実直に暮した矢部が重態で危ないというのに、餓鬼大将のように好きなだけ暴れるおれはこのとおり丈夫だ、どうせ人間は死ぬまでしか生きやしない」
「矢部が重態だって――信一郎か」
「もちろんさ、土地にいて知らなかったのか、労咳《ろうがい》のような病気で、もうここ四五日だろうということを聞いたがね」
まるで知らないことだった、直弥はすぐに多津の身を思い、気持を塞《ふさ》がれた。――汗を流して座敷に坐ると、半兵衛はすぐに「おれは辞職するよ」と意外なことを云った。
「だってそれは、――然し、どういうことなんだ」
「どういうことになるかわからないが、とにかく少し静養してようすをみる、おれも三十八だからな、ここでいま勘定奉行などを宛てがわれては堪らない、これが本心さ」
「逞しいもんだ、当るべからずだね」
「もう一つ悠《ゆっ》くり昼寝がしたくなったのも事実さ、大きく飛ぶには翼を休めなければならない、うんと飲んで食って思うさま寝るよ」
勘定奉行という呼声さえ家中の人々には羨望《せんぼう》に価したが、半兵衛はもっと大きい席を欲しているらしい、それにしてもずばっと辞職する度胸のよさなど、直弥にはただ驚歎の舌を巻くばかりであった。
直弥はその夜ずいぶん酔った。帰って寝たのもはっきりは覚えていない、夜中に枕許の水が無くなって、水屋へ汲《く》みに起きたときようやく、我家に寝ていることを知ったくらいである。――明くる朝もなかなか眼がさめなかった、甥の松二郎がなんども外へ来て呼んだが、頭が重くて返辞もできなかった。そのうちになにか手紙を見たような気がし始め、ふと枕許を見ると、盆の上に封書が置いてあった、酔醒《よいざ》めの水を飲むとき眼についたものだったのだろう、裏を返すと「矢部うち」とある、すぐにゆうべの竹富の話を思いだし、起き直って封を切った。――それには信一郎が重態であること、なにか内密で話したいことがあると云っているから、なるべく早く来て下さるように。あらましそういう意味のことが、たぶん多津の筆だろう、ごく簡単に書いてあった。
「やっぱりそうだったのか、気の毒に、――」
まだ酔の残っている頭で、なにを思うともなく、彼はやや暫くぼんやりと障子を見まもっていた。
梅雨のかえったように、細かい雨が降っていた。兄嫁の調えて呉れた見舞いの品を持って家を出たが、時刻はもう十時に近い頃だった。――矢部の玄関へ立って訪れると、すぐに多津が出て来た。直弥を見ると彼女は赤く泣き腫《は》らした眼を伏せて云った。
「お待ちしていましたけれど、とうとういけませんでした、つい今しがた――」
[#6字下げ]三[#「三」は中見出し]
病間には老父母と医者がいた。悔みを述べて枕許へ寄った、死顔はひどく痩せてぶしょう髭《ひげ》が伸びていた。直弥はじっとその顔を見まもった。
――多津が低い声で、良人《おっと》が春さきに喀血《かっけつ》したこと、それから続いて胃潰瘍《いかいよう》にかかり、おちついたと思うと腸から出血が始まって、坂を転げ落ちるように悪くなり、遂にこういうことになったのだと語った。
香をあげて廊下へ出ると「筆を貸して下さい」と云って、直弥は持って来た包をあけた。
「見舞いに持って来たのですが、霊前へ上げることになってしまいました」
多津は自分の居間へ案内した。筆を借りて包み紙を取替えながら、「矢部が私に話したいというのはなんでしたか」と訊《き》いてみた、多津は知らなかった。
「貴方がみえたら申上げると云って、どうしても話して呉れませんでしたの、――自分では少しも死ぬとは思っていなかったようですから」
「ではそれほど重要なことでおなかったんでしょう」
多津は膝をみつめていたが、そっと顔をあげ、涙の溜《たま》った眼で直弥を見た。
「いま矢部に死なれてしまって、これからわたくしどうしたらいいでしょう、お父さまにもお母さまにも余りお気にいりではありませんし、頼りにする子供はございませんし――」
直弥は暫く黙っていた。それから低い声でこう云った。
「今はなにも考えないがいいですよ、御承知のとおり私は此処《ここ》の御両親には歓迎されない客だから、そう訪ねては来られないが、なにかあったら出来る限りおちからになります、気をおとさないで確《しっ》かりしていらっしゃい」
直弥は暗い気持で雨の中を帰った。多津はどうなるだろう、彼女が、矢部の親たちに好かれていないと云うのは、彼女に子の無いことも原因の一つに違いない、家系というものの厳しい当時にあって、殊に武家ではそれは重大なことだった、三年子が無ければ離別するという俗諺《ことわざ》さえあるくらいで、良人はなかば公然と妾婢《しょうひ》をもつことさえ出来たのである。――多津に子が無く、良人は死に、舅姑に好かれていないとすれば、将来さらに不幸の重なることは避けられないかも知れない、可哀そうに。……直弥はふと自嘲《じちょう》の笑いをうかべ、溜息をついた。なにかあったらちからになると云ったが、本当にそうなったとき彼になにが出だろうか、兄の厄介者で一生部屋住の彼に、いったいどんなちからがあるというのだ。壕端《ほりばた》のさいかちの樹蔭に立停り、水面に雨が描く細かい波紋を眺めながら、直弥はかなり長いとと物思いに耽った。
葬式には兄の兵庫がいった。初七日の待夜に、竹富の周旋でむかしの友達が集まることになり、直弥も招かれた。五人組のほかに四五人来たが、ひととおり久濶の挨拶が済むと、直弥だけは会話のそとへ押しやられた、半兵衛さえ余り話しかけてこなかった。勿論そのほうがいい、直弥は黙って彼等の話すのを眺めていた――中心はやっぱり半兵衛だった、そう並べてみると風格もずばぬけている。きぱきぱと切り口上に言葉少なで「そう」とか「いや結構」などという受答えに、羨《うらや》ましいほど際立った貫禄がみえた。
――たいした人間になった。
直弥はこう呟《つぶや》いて微笑した。
半兵衛が職を辞したのはその数日後のことであった。河正で人を集めては派手に飲むとか、昼間はぐうぐう寝ているとか、千代川で子供たちと泳ぐとか、京町の花街で流連しているとか、色いろな噂が耳に入る、直弥はそういう噂の蔭に、半兵衛の皮肉な微笑をみる気持で、せっせとまた資料蒐めに歩き始めた。――けれどもその頃から彼はふとすると憂鬱な考えにとらわれることが多くなった。郷村を尋ねて古老の話を聞きながら、人間の運命の頼りなさとか生命のはかなさなどを想う、歩いていて木の葉の散るさまを見る、黄ばんだ葉が枝を離れる瞬間に、人間の断末魔の叫びを聞くように思う。……自分で舌足らずに自分のことを「おた」と呼んだ多津、蜜柑の樹の下へ直弥を呼出しては、姉のようにふるまうことを喜んだ多津、藤色の細かい縞の着物に白い襟をみせたすがすがしい姿、白い大輪の芍薬《しゃくやく》を抱えた明るい顔。――それが十五年経った今、すでに花は散り葉は枯れかけている、彼女を待っているものは冬の寒気と、霜と風雪だけだ。
――いったい多津はなんのために生きて来たのだろう、女としてはもう一生が終ったと云ってもいいのに、これまで生きて来たことにどんな意味があるだろう。
勿論それは自分のことでもあった。調べてまわる古い伝説、史蹟に遺っている蘚苔《こけ》むした碑《いしぶみ》、戦場の跡といわれる茫漠たる荒野、そこには人間の恋と冒険と悲劇と歓喜があった、その土は血と涙を吸い、その碑は万人讃仰の的であった。だがそれは総て過ぎ去ってしまった、碑の文字は蘚苔に蝕《むしば》ばまれて消え、戦場の跡は畑になってしまうだろう、余りにわかりきったことだ。どんなに偉大な事蹟も過ぎ去ってみれば野末の煙に等しい、慥かなことは絶えず時間が経過しているという事実だけだ。
「それは瀬沼直弥が三男の部屋住で、三十八になるまで満足に遊蕩《ゆうとう》の味も知らないからさ」半兵衛はひやかすように笑った、「もし直弥が家老にでもなればまるっきり別のことを考える」
「たぶんそうだろう、然しおれの考えが変ってもその事実は変化しやしないよ」
「それがどうしたと云うんだ、なにもかも消滅することにふしぎはないじゃないか。もともと人間のする事に意義なんかありゃあしない、土百姓の伜《せがれ》が太閤《たいこう》になったって、なにがしの上皇が孤島幽囚の終りをとげられたって、結果としては単にそれだけのことだ、人間ぜんたいの運命にも無関係だし、意義も意味もありはしない、なにかがあるとすれば生きているあいだのことさ、いかによく生きるか、どう生きるか、問題はそれだけしかないよ」
「俗論はひびきの強いものだ、そして出世型の人間は定ったように現実を肯定する」
「悲観論者が病人か貧乏人に定っているのと一般さ、どっちみち人間は利巧じゃあない」
九月になって矢部の百日忌が来た。その日直弥は宗泰寺の墓地で多津に会った。法会《ほうえ》はとっくに済み客も帰ったあとで、彼女が独り墓畔のあと始末をしていた。――すっかり健康そうに肥えて、頬にはまた艶《つや》つやと赤みをさしていた。笑う表情も声も明るく、まるで娘の頃をそのまま見るように思えた。
「こんど養子をとることになりましたの」
挨拶が済むとすぐ多津がこう云った。
「お母さまのお里のほうの者で、今年もう十八になるそうですけれど」
「お母さまとは矢部のですか」
「ええ――」多津は擽《くすぐ》ったそうな微笑をうかべた、「いきなり十八の子の母親になるなんてどうしたらいいでしょう、わたくし今から戸惑いをするばかりですわ」
「私にも想像がつきませんね」直弥も笑いながら云った。「お母さんどころか貴女はむかしのままですよ、こうして見ると娘時代と少しも変っていない、本当にふしぎなくらいですね」
「それはもう生れつき賢くないんですから」
「だがよかった。それで貴女もおちつくでしょう、私も安心です」
多津は上眼でじっと直弥をみつめ「おかげさまで」と云いながらその眼を伏せた。――直弥はどきっとした、黒の紋服に白襟のくっきり眼立つ胸もとの豊かさ、眉のあざやかな、頬に赤みのさした明るい顔つき、それは矢部へゆくまえの多津そのままの姿ではないか、十五年もひとの妻だったなどということは殆ど感じられない。矢部にそれだけの影響力がなかったのか、それとも多津の個性が影響をうけないようにできていたものか、――こう思いながら、直弥は自分で狼狽《ろうばい》するほど彼女にひきつけられるのを感じた。
このときの感動は消えなかった。単に消えないばかりでなく、一種の悩ましい空想をさえ植えつけた。多津が未亡人であって、養子が入るとすれば矢部の家を出ることもできる。そういう考えがいつも頭のどこかにひそんでいる。むろん自分に結びつけてのことではないが、その空想が平板な彼の日常に小さな燈を点じたことは慥かであった。いつか知らぬ間に、直弥は少しずつ「三男の甚六」をとり戻していった。兄嫁がいち早くそれに感づいたのだろう。なにかお嬉しいことでもありそうね、などと云われたくらいである。そういう直接な感じのものではない、僅かにそんな空想も可能だというにすぎないのである、然し彼はそうですかと答えても否定はしなかった。
矢部では十一月に養子を入れたということを聞いた。披露の招きはあったがゆかなかった。そして十二月になると間もなく老臣のあいだに政治上の紛争が起ったという噂が拡まった。直弥などにはよくわからないが、二十年ちかくも国家老を勤めた梶原図書助と、それを取巻く保守派に対して、中老の島田助左衛門を主盟とする若手重職らが、政治全般の改革案をつきつけて事実上の退陣を迫ったのだという。どこまでが真相か見当はつかなかったが、直弥には島田一派の蔭に竹富半兵衛の逞しい相貌が見えるようで、いよいよ動きだしたなとひそかに注意を怠らなかった。
年が明けて二月のことだった。久しぶりに半兵衛から誘いがあり、河正で一緒に酒を飲んだ。半兵衛の眼は充血していたし、頬のあたりに悄衰《しょうすい》の色があった。水を向けてみたが政治のことには頑として触れず、京町の馴染の妓との惚気《のろけ》めかした話をだらしもなく続けた。お互いにかなり酔のまわった頃だった。廊下を大股《おおまた》に来る人の足音がして、声もかけずに障子を明け、血相の変った三人の若侍が入って来た。
半兵衛は右手に盃《さかずき》を持っていた。酒のいっぱい入っている盃を持って彼等を見た。充血した腫れぼったい眼で、じろっと彼等を見ながら「来たな」と冷やかに云った。
[#6字下げ]四[#「四」は中見出し]
それが殺気というのだろう、部屋の空気がきりきりと結晶するように思えた。三人のうち左の端にいた青年が、半兵衛の「来たな」という声に応じて刀を抜いた。
「まじめだな、――よかろう」半兵衛はきぱきぱと云った、「おまえたちの年頃にはおれにも覚えのあることだ。但しひとこと訊くが自分の信念だろうな、教唆されて来たんじゃあないだろうな」
直弥はその瞬間に勝負がついたと思った。半兵衛は酒を呷《あお》り、例の淀みのない切り口上でたたみかけた。
「紛争が自分に不利だとみて、相手も生かして置けないと思ったら自分でやるのが当然だ。矢部さんの立場におれがいたら、おれは自分で此処へ来る。決して他人を使うようなことはしないぜ、これでお終いだ、遠慮なくやれ」
刀を抜いた青年は唇を噛《か》んだ、然し殺気はすでに去っていた、彼は叫んだ。
「竹富さん手をおひきなさい、それが貴方の身のためです」
「おれは藩の将来を思っている、政治の正しい改革を思っている、自分のことなど考えていやあしない、ばかなことを云うな」
直弥は立っていった。もう終りである。幕を引いてやらなければ可哀そうだと思ったからだ。彼は刀を抜いている青年に向って、「さあ帰りたまえ」と云った、その青年のひたむきな眼に同情を感じたのである。
「今日はこれで帰って、よく考えてみたまえ。私は政治のことはよく知らないが、竹富はそんなにも物凄《ものすご》く悪い人間じゃあないと思う、ひとつ冷静に考えるんだね、それからまた来ればいい、今日は帰りたまえ」
三人は案外おとなしく帰っていった。直弥は坐って半兵衛を見た、半兵衛の充血した眼がきまじめな光を帯びていた。
「おれの勝だよ、瀬沼」半兵衛はずばりと云った、「敵は自分で敗北を名乗り出たようなものだ」
「さっき矢部と云ったが、あれは――」
「真右衛門さ、信一郎の親父だ、伜が死んで返り家督をしたら欲が出だして、――いやそんなことより話があるんだ、瀬沼」半兵衛は一寸《ちょっと》、言葉を改めた。「今度おれは国家老になる、同時に瀬沼は郡奉行だ、わかるか」
「おれが郡奉行だって、冗談じゃあない」
「今日までの郷土調査を活かすんだ、おれには練りに練った経綸《けいりん》がある、黙っていたがそれには瀬沼の蒐めた資料が役に立つんだ」
「それなら資料だけ使えばいいさ」
「まじめな話なんだ」半兵衛はじっとこちらを見た、「おれはいつも瀬沼のことを考えていた、自分では気がつくまいが、おまえは役所の下役人は勤まらない男だ、然し置くべき席に置けば仕事の出来る人間だ、そう思ったから今日までへたな周旋はしなかった。こんどこそ瀬沼を出せる、――長い部屋住をよく辛抱したよ」
直弥は困ったように持っている盃を眺めた。夢にもそんな友情を期待していなかったので、危うく涙が出そうになった。これまでの事が新しく想いかえされ、その一つ一つに半兵衛の劬《いたわ》りと慰めと激励のあったことがわかる、これが「三男の甚六」だろうか、彼は初めて本当の半兵衛をみいだすように思えた。
「それにしても驚いたね」半兵衛が急にからりとした声でいった、「おれを弁護してくれたのはいいが、そんなにも物凄く悪い人間じゃあないとさ、おれはあぶなく笑うところだったよ――」
――半兵衛の確信にもかかわらず、その解決にはなお若干の時日を要した。三月に藩主が帰国し、国家老の梶原図書助と中老の島田助左衛門が辞任した、紛争の責任をとらされたものらしい。然し国家老の後任が定まらないまま四月にはいった。――初旬を過ぎた或る朝のこと、直弥は庭へ出てゆくと、ふと、向うの生垣のところに多津のいるのをみつけた、待っていたのだろう、直弥がみつけると同時に彼女はそこから会釈した。
「暫くですね」彼は近寄っていった、「いつかはお招きを貰ったのに失敬しました、――今朝いらしったんですか」
「昨夜まいりましたの」多津はこう云いながら眼をあげた、「蜜柑の花がよく匂いますこと」
直弥もそっちへ眼を遣った。黒いほど濃い緑色の葉蔭に蜜柑が花をつけていた。気がつくとあたりはつよくその花の香で匂っていたが、ふしぎに不愉快でも厭でもない、あの物のすえるような感じは少しもなかった。やっぱりむかしどおりの重ったるく甘い、郷愁のように懐かしい匂いであった。――どうしたことだろう、直弥は殆どびっくりした。なんのための変化だろう――。
「お願いがあるんですけれど」多津が低い声で云った。「河正へ来て下さいませんでしょうか、聞いて頂きたいことがございますの」
「まいりましょう、いつ頃がいいですか」
「いつかの時刻ではいかがでしょうか」
「結構です、必ず伺います」
多津はじっとこちらを見て、それから向うへ去っていった。――いつかの時刻、直弥にはその言葉が強く頭に残った、十五年の余り経ってしまったあの日を、彼女はまるで数日まえのことのようにむぞうさに云った。いつかの時刻、直弥は同じ言葉をなんども口の中で繰返した。
九時過ぎると間もなく竹富が来た。珍しく麻裃《あさがみしも》で、髭の剃跡《あおりあと》の青い、颯爽《さっそう》という感じの顔つきだった。
「国家老拝命に伺候するんだ、そこもとの郡奉行も定った、二三日うちに召されるから用意をして置いて呉れ」こう云って半兵衛は包んだ物を渡した。「色いろ支度があるだろう、とりあえずこれだけ渡して置く」
「ちょっと待ってくれ、どうも余りいきなりで」
「いきなりと云うことがあるか、二た月もまえに予告してある、じゃあ頼むぞ」
半兵衛はさっさといってしまった。旋風が来て直弥を巻きこんで、抛《ほう》りだしていったとでもいうような具合である。彼は暫く包を持ったまま茫然と坐っていた――時刻に少し早く家を出た、河正へゆく途中たびたび風に送られて蜜柑の花が匂った。だがもう決して不快ではなかった。そのためにその季節の来るのさえ堪らなかったものが、まるで嘘のように変化した。直弥はゆっくりと解放されたような気持で歩いていった。
河正へはもう多津が先に来ていた。離れだというのでいってみると、座敷にはいなかった。然し持物が置いてあるのでいちど坐ったが、すぐに思いついて庭へ出てみた。――あの時のように、直弥は悠くり松林の中を歩いていった。すると、いつか彼自身がそうしたように、多津が庭はずれに立って川を眺めていた。驚かしてはいけないと思って、彼はずっと手前から声をかけて近寄った。多津は振返らなかった、側へいって立停ってもじっとして動かない、直弥は暫く待ってから、静かにどうしたのですと訊いた。彼女は川を眺めたまま艶のない声で云った。
「郁之助――御存じですわね、去年うちへ養子に来た子……あれは養子ではございませんでした、跡取りでしたわ」
直弥はすっと背筋に風のとおるのを感じた。多津の表情のない声は続いた。
「あれは信一郎の子供ですの、信一郎がわたしを娶《めと》るまえに、或るひとに産ませた子供ですの、――昨日はじめて知りました、初めてですのよ、多津がどんな気持だったかおわかりになるでしょうか、……十五年」よろよろと声がよろめくように思えた。「わたくし、良人を信じていました、針の尖《さき》ほどもそんな疑いを持った事はございませんでした、信一郎がわたくしの他に誰かを愛して、子供まであるなんて、夢にも思った事はございませんわ、それが今になって、――直弥さま、人間にはこんなにも人を欺くことができるものでしょうか、こんな欺き方をしたまま黙って死ぬことができるものでしょうか」
直弥はやや長い沈黙の後に云った。
「私はこう思う、――矢部が死ぬとき私になにか話したいと云った、あれはそのことだったと思うんです。なぜかというと、……彼にそういう子供があることを、私だけは知っていたんですから」
「貴方が」多津ははっとしたように、初めてこっちへ振返った。「直弥さまが、知っていらしったんですって」
「貴女が矢部へゆくまえに、此処へ来て貰ったことがありますね、あれはそのことを話したかったからです」
「でもお話しなさいませんでしたわ」
「しませんでした、その積りでいたのが出来なくなったんです」
「どうしてですの、なぜ、――」
多津と直弥の眼が激しくむすびつき、殆ど火を発するかのようにみえた。こんどは直弥が川のほうを見た、そして静かにこう云った。
「此処へ来て、貴女を待っているうちに、私は自分の本心に気がついた、自分が貴女を愛していたこと、それもずっとまえから、愛していたということに気づいたんです。……矢部にはこういう秘密がある。それを話すには私が公平な立場でなければならない、私が貴女を愛しているとすれば、もうそれを話すことはできない、話せば中傷することになります」
「わかりました、よくわかりましたわ」
多津はこう云いながら両手でそっと眼を押えた。
「でもやっぱり話して下さるのが本当でしたのよ、多津があの日、恥ずかしい怖いおもいをして此処へ来たのは、いま仰しゃったようなことをうかがえると思ったからですわ、愛している、そう仰しゃって頂けると思って、初めてお母さまにも嘘も云えたんですわ」彼女はそこでとつぜん面《おもて》を掩《おお》い、肩を震わせながら激しく咽《むせ》びあげた。「それを今になって聞くなんて、こんなに色も香もうせて、お眼にかかることさえ恥ずかしい今になって――」
直弥は手を伸ばした。多津の肩を抱き、静かにそっとひき寄せた、彼女は萎《な》えたように直弥の胸に凭《もた》れかかり、凡《すべ》てを任せきった姿勢で泣き続けた。――直弥は川の淀みの碧色を見やった。あの日へ返ったのだ、あの朝も多津は「蜜柑がよく匂う」と云った、今朝も同じことを云ったではないか、あの日この松林の中で二人が会ったように、今こうして二人は会っている、違うのは二人が互いに愛していることを諒解《りょうかい》し、これから二人の生涯が始まるということだけだ。――直弥は今まざまざと百日忌の思出を回想する、十五年も一緒に暮しながら、多津が少しも矢部の影響をうけていないようにみえたこと、まったく娘時代そのままにみえたことを。
「今になって、――貴女はそう思いますか」直弥はこう囁《ささや》いた、「もし本当にそう思うとしたら間違いですよ、私たちにはこれがちょうどの時期だったんです、二人が結びつくためには、これだけの時間が必要だったんですよ。――この世で経験することは、なに一つ空《むな》しいものはない、歓びも悲しみも、みんな我々によく生きることを教えてくれる。……大切なのはそれを活かすことだけですよ」
「なにもかもお終いになって、人間さえ信じられなくなってから、それをどう活かせと仰しゃるんですの」
「実家へお帰りなさい」直弥はそっと彼女の背を撫でた、「庄田多津になるんです、ごく近いうちに、貴女さえよければ、直弥が結婚を申込みます」
多津の全身を痙攣《けいれん》がはしり、呼吸を詰めるのがはっきりわかった。直弥は背を撫で撫でこう云った。
「そう。――やっぱり時期が必要だったんですよ、こんどは直弥も結婚を申込むことが出来るんです、二人で、これまでの経験をむだにしないように、生きてゆきましょう。……」
「今でもおた[#「おた」に傍点]の棘《とげ》を抜いて下さるのね、おた[#「おた」に傍点]がこんなおばあさんになっても、――これは夢ではございませんわね」
夢ではない、これまでの年月が夢なのだ、二人は今はじめて二人の現実に足をかけたのだ。直弥はこう思いながら、多津に頬ずりしたいという欲望をじっと抑えていた。
底本:「山本周五郎全集第二十一巻 花匂う・上野介正信」新潮社
1983(昭和58)年12月25日 発行
底本の親本:「面白世界別冊」
1948(昭和23)年7月号
初出:「面白世界別冊」
1948(昭和23)年7月号
入力:特定非営利活動法人はるかぜ