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閾

最終更新:2020年01月10日 14:57

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閾
徳田秋声


【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)牡蠣雑炊《かきざふすゐ》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一|室《しつ》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地付き]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)そろ/\

濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」



 その日も土井は町へ牡蠣雑炊《かきざふすゐ》を食べに行つた。京都へ来てから、思ひのほか日がたつてゐたので、彼はもうそろ/\帰り支度《じたく》をしてゐた。六兵衛だとか、ゑり正だとか、そんな老舖へも立寄つて、少しばかりの土産物を買ひ調へてゐた。甥が西陣の織物屋を知つてゐるので、反物も少し心がけたりしてゐた。十二月も早や押し詰つて、余《あま》すところ幾日もなかつた。
 彼は立寄つたついでに、もつと行《い》つて見《み》たいところが、まだ沢山《たくさん》あつた。食べに行きたいところも多《おほ》かつた。しかし今度の旅は遊びが目的ではなかつた。たゞ大阪の兄が危篤だといふ電報に接して、見舞ひ或ひは永訣――その孰《どちら》になるかは、東京を立つた時の彼には判らなかつた――のために大阪へ来たついでに、甥にさそはれて立寄つたのを機会に、しばらく逗留《とうりう》したまでであつた。若し遊覧のためなら、何もわざ/\特別に底冷《そこび》えがすると言はれてゐる京都の冬を見舞ふ理由はなかつた。しかし京都の冬は思つたより好かつた。少くとも今迄二三度見舞つた暖《あたゝ》かい季節の京都よりも、冬の京都に京都らしい特色があつた。実際京都の冬は冬らしい静かな冬であつた。それが土井には懐《なつ》かしかつた。それは彼の足《あし》を止めたところが郊外《かうぐわい》にあつたからで、そこは平野神社から銀閣寺へ行《い》く途中《とちう》に見《み》える衣笠山の夷《なだら》かな姿が直《す》ぐ簷《のき》の下から望まれるやうな場所にある、貧《まづ》しい家であつた。
 土井は最初そこへ着《つ》いた晩《ばん》、筆を執るやうな落着きがないのに、ちよつと失望《しつばう》したが、家主《やぬし》の住《すま》つてゐる家の離《はな》れを一|室《しつ》借《か》りておいたからと、甥が言ふので、彼はそれを信じて、暫く滞在してゐた大阪の人達《ひとたち》と、強ひて袂《たもと》を分つて、お寺から直ぐに梅田へ向つたのであつた。土井は京都へついてからも、何か自分で怒《おこ》つてゐるのぢやないかと反省《はんせい》してみたくらゐ、執拗《しつえう》に京都行を主張したのであつた。勿論彼は密送前《みつそうまへ》から本葬にかゝるまで十|日《か》の余《よ》も、嫂《あによめ》の弟に当《あた》る人の家《いへ》の二|階《かい》の離《はな》れに閉籠《とぢこも》つてゐて叮重《ていちやう》にされゝばされるほど気が痛んだ。一つは兄の臨終《りんじう》に間に合はなかつたことが、通知に手落《ておち》でもあつたやうに、彼が考へてゐるのだと思はれてゐるらしかつた。勿論彼は兄の生前に行きあはさなかつた事を残念に思つた。少年のをり、土井は誰よりもその兄に愛されてゐた。頑で我儘で、そして時としてはひどい怠《なま》けものであつた異腹の末弟の彼を、兄は何んな場合にも自分の子供のやうに愛した。殊に大阪に放浪してゐた時の土井は、一年ばかりも兄の宿に転《ころ》がつて、何一つ為出来すこともしないで、収入の多くもない兄の脛を噛つてゐた。彼とても全然無駄な月日を送つてゐた訳でもなかつた。何かに有《あ》りつかうと思つて、努力もした。時には作品を或る新聞に掲げたりした。雑誌に悪戯書《いたづらが》きをして、いくらか前途を祝福されたこともあつた。筆耕をしたり、役所へ出たりした事もあつた。しかし畢竟《ひつきやう》徒労《とらう》であつた。彼は作家としては出直すより外なかつた。世間人としては、余りに子供じみて、筆が利かなさすぎた。兄はそのやくざな弟をよく面倒を見てくれた。そして慰め励ました。ついぞ厭な顔をしたことがなかつた。或る日の兄は、田舎から来た土井の母の礼状を読んで目をうるませたほどであつた。それらの事情がその後土井か読んだドウデエの「少《ちひさ》なやくざもの」に、よく似てゐるのであつた。「少さなやくざもの」の兄は肺病で斃れるまで、弟を豪《えら》い作家にしやうとして、有らゆる犠牲を払つた。そして終に死んでしまつた。
 土井は悲《かな》しいお伽話に似た、可憐なその作品が、さうむづかしいものでもなかつたところから、悪戯に訳して見たこともあつたくらゐ、懐《なつ》かしみを感《かん》じたが、彼はいつまで経《た》つても兄に酬ゆることができなかつた。兄の愛は最後まで続いた。年を取つてからも、土井は兄を見舞ふごとに、いつも幼児のやうな甘やかしい気持で彼に接するのであつた。
「今度こそ一緒に別府へでも行かうと思ふ。」
 土井は家を出るとき、妻に話した。一月でも二月でも傍《そば》にゐて、食餌に干渉して、病気が癒つたら、きつとさうしやうと思つてゐた。
 しかし土井が東京駅を立つた時刻に、兄は目を瞑つたのであつた。
 土井は車からおりて、嫂が内職にやつてゐる店の仕舞つてあるのを見ると、一時に膝《ひざ》ががつくりしてしまつた。上る勇気が出なかつた。彼はこち/\になつた兄の顔を見るとともに、涙が止度もなく流れて仕方がなかつた。兄は不遇で生涯を終つたけれど人として多くの美しいものをもつてゐた。その運命も小ひさいなりに安らかで、そして輝かしいものであつた。
「ほんに神さまのやうなあんな好い方ありやしません。あの伯父さまがお亡くなりになつて、私がつかりしてしまひました。」
 若い嫁さんが、離れにゐる土井の徒然《つれ/″\》を慰めに上《あが》つて来て、お茶をいれながら死んだ人のことを話した。それほど兄は皆から慕はれてゐた。彼の潔白と正直が、社会的には彼に幸ひしなかつた。
 土井は格別兄の喪《も》にこもる積りはなかつたけれど、そこに閉籠れば閉籠つたで、どこへも出る気はしなかつた。二つの大きな桐胴の火鉢に、炭火がおこされて、湯がいつでも熱沸《たぎ》つてゐた。太夫のしくやうな大振りな縮緬の蒲団のうへに、彼は膝をうづめながら、ペンを執つてゐた。時々「おぢさん」と彼を呼ぶ若い人達が、男となく女となく部屋へ入つて来てお愛相をした。或る日は又田舎から出て来た次兄夫婦や姉とも一|緒《しよ》になつて、下で晩飯を食べた。そこで蓄音器を聴いたりした。夜は二階の広間で、土井が着たこともないやうな友禅縮緬の夜具《やぐ》が、四つ並べてあるところへ、彼は夜更けに仕事を終へて、離れから次兄達の夢をおどろかさないやうに、そつと入《はい》つて来た。そんなにされても、土井は何となし大阪といふ土地にゐるのが張合ひがなかつた。そして終《しま》ひに欝陶しさを感じて来た。
 やがて本葬の日が来た。土井はお寺の広間で御膳についてゐたとき、ふと甥と京都行きを約束した。
「わしも其《そ》のつもりで、ほゞ部屋をかりることにしておきました。是非どうぞ。」
 土井は寺からの帰りに、ちよつと其の家《うち》へ立寄つて、直ぐ荷物を纏めて京都へ立つた。

 土井は買ひものとか、晩飯を食《た》べるとか、町へ出る場合には、大抵甥をつれて出ることにしてゐた。天気の好い日には甥は時
とすると会社を二|日《か》も休んで、連れ立つて遊びに出かけたが、不断は土井がその日《ひ》の原稿を、ちやうど書きあげる二時か三時頃に、早く仕舞《しま》つて帰つて来た。土井は京都が何となく鄙《ひな》びてゐるので、町としては好かなかつたけれど、家《うち》のまはりの冬の気分が、久しぶりで、産れ故郷の寂《さび》しい冬を見るやうな懐《なつ》かしい感じを与へた。朝おきて戸を開けると、葉の黄ばんだ向《むか》ふの林に鳥の群が来て囀づりかはしてゐたり、又《また》は遠《とほ》くの方で鶫《つぐみ》の声《こゑ》が聞《きこ》えたりした。くい/\と啼く鶫の啼声が、殊にも彼に故郷を思ひ出させた。彼は楊子をくはへながら、直《す》ぐ家主の庭《には》の界《さかひ》にある井戸端へ出て行つた。絖《ぬめ》を漉したやうな日光が、裏《うら》の藪から野菜畑、小庭の垣根などに、万遍なく差して、そこに枯れ/\に立つてゐる唐辛《とうがらし》が真赤《まつか》に色《いろ》づいてゐた。見るかぎり氷づいたやうに、霜が融けながれて、静かな田園の興趣が、いとゞ深いのであつた。そして初めは不快に思はれた、粗野なその家が、日をふるに従つて、どこか彼の身についた片田舎の庵室《あんしつ》のやうに思はれた。
 土井が朝飯をしまつて、机に向き直らうとすると、今まで輝かしい日の差してゐた障子が、遽かに曇つて室内がぽつと暗くなつた。どこからか雲が出て来たのである。と思ふと、再び微《かす》かな日影《ひかげ》が差《さ》しかけて来たりして、時とすると、忍び寄つてくるやうな軽い足音で、片時雨が静かに廂に音づれて来るのであつた。
 土井は何となし京都が住《す》みいゝやうに思へたので、事によつたら足溜りをどこかに拵《こしら》へておかうかと思つた。
「それなら私もちやうど引越《ひつこ》さうと思つてゐるのやさかえ、田中村の奥の方に、一軒格安な家がありますが何《ど》うす。」甥はさう言つて、その頃ちやうど空家になつてゐた家を見に、大の字山のほとりまで行つたこともあつた。
 土井は甥の言ふことが信じられなかつた。部屋を約束してあるといふのも嘘《うそ》だつたし、蒲団の手薄いのを、一組友人に貸してあるのがあつて、それを取りにさへ行けば、夜寒い思ひをさせる必要もないと言つてゐた。それも何うやら当座の出鱈目のやうであつた。それに土井は或る日遽かに紙入の薄《うす》くなつたことに気がついた。よく思ひちがひをしがちな彼なので、念のためにノートに買ひものと毎日の小遣とを書きあげて、計算してみたが、そんなに遽かに札の減《へ》る訳がなかつた。土井は甥がほんたうにその家を借りるつもりか何《ど》うかを怪しんだけれど、そこへ田舎《ゐなか》から、姉を迎へて、親子一緒に暮したいと言ふので、多くの額でもなかつたので、彼はつひ一両日前、敷金として幾枚かの札を彼に渡したが、その晩彼の帰りは遅かつた。
「何か女でもあるんぢやないか。」土井はいつものそ/\してゐる妻君に訊いてみた。
「さあ、何うでしやろ。」妻君は否定もしなかつた。
 甥はその妻君と別れやうとしてゐた。土井もそれに同意を表したくらゐ、彼女は薄《うす》ぼんやりしてゐた。しかし漸と這ひ/\のできる子供は、甥の幼時に似て可愛ゆかつた。
 妻君は夫が外に女をもつてゐることを、感づいてゐるらしかつた。そして土井が寝床についてからも、子供に添乳をしながら、いつ迄も目ざめてゐるらしかつた。
 甥は美術工芸のやうなものに、器用な手をもつてゐた。商店の装飾だの、織物の図案などにも頭脳が働いた。骨董品や画を見る目を持つてゐた。薬品なぞも、下手な医者ほど押入の棚にごちや/\並べてゐた。馬の話をすると、彼は馬の通であつた。猟犬の話をすると、彼はまた猟犬について、博い精しい智識をもつてゐた。兵営では彼は騎兵であつたが、過まつて馬から落ちて、脛と肩の骨をぐしや/\に砕いた。彼はまた脱営者《だつえいしや》として、余計な時日を兵役に残された。
 その日は彼は社長につれ立つて、乗馬を見に丹後の方へ行つてゐたので、土井は結局気安い思ひで、独りでぶら/\町へ出て行つた。土井はもうその家にも飽いてゐた。それに昨夜また色々の決算をしやうと思つて、紙入を出してみると、また少し紛失してゐることに気がついた。彼はそのうへもう何にも買ふことができなかつた。
「このくらゐあれば、東京まで帰れるさかえ。」甥はさう思つたらしかつた。
「このくらゐ使へば、宿を取つても大威張りだ。」土井はさう思つた。
 しかし土井に取つては、大した損得はなかつた。孰《どちら》でもよかつた。
「お前の妻君は、さう言つちや悪いけれど、少し手癖が悪いんぢやないかい。」土井は或る時言つてみた。
 彼は最初の一回だけでは、それが確かに、あののそ/\した愚かな女の仕業《しわざ》にちがひないと考へた。しかし彼女は正直であ
つた。甥は今の会社に望みがないから、早晩そこを罷めたいやうに言つてゐた。そしてミシンの工場をもちたいやうな口吻を洩らしてゐた。甥が自分でミシンをつかつて縫つたものに、子供のエプロンや、彼自身のワイシヤツ、土井の枕かけなどがあつた。
「おぢさんに千円も融通してもらへば可いのですけれど。」彼はさうも言つてゐた。
 土井はそれには乗れなかつた。彼は以前学校へいれやうと思つて、しばらく東京へつれて来たことがあつた。彼に悪い病気さへなかつたなら、少しはまともな人間にすることができるのであつた。不運なことには、彼は毎夜のやうに寝蒲団をびつしよりにしてしまつた。そしてそれが土井の妻を泣かせた。彼は今でもその病気が癒らないらしかつた。それは大阪の姪の家へ、何かの資金を借りに行つたとき、姪は要求は拒ばんだ代りに、彼を大事に扱つた。そして仕立卸しの軟かい寝道具に彼を寝かして、大失敗を演じたのであつた。
 一両日のうちに帰る気構でゐた土井は、もう洋服を荷造りして、東京へ送りかへしてゐた。この町の散歩には、事務的な洋服は似合はしくもなかつたし、不都合でもあつた。
 彼は古めかしい寺町通りを、ぶら/\歩《ある》いてゐた。この前も甥と連れ立つてそこを歩いてゐたとき、帰るまでに買《か》はうと思《おも》つて見《み》てあるいたものが、二三品あつた。扇子だの短冊だの香だの云ふやうなものであつた。それに鍵屋の最中の薄紫色をした粒餡が、東京ではちよつと食べられないやうな素直な軽い味をもつてゐた。小豆だか隠元だかの味が、余り損はれてゐないのが好かつた。
 しかし彼はどこの店へも入る訳に行かなかつた。汽車で食堂へ入れるか何うかと思ふほど、彼の懐《ふところ》は切り詰められてしまつてゐた。勿論もう一度引返す約束になつてゐる大阪を見舞ふこともできなかつた。
「芝居へつれて行つておくれやすや。」
「あゝ、行きませう。」
 土井は大阪でそんな約束をし残して来たのであつた。
 或る若い女たちとは、又た須磨へ遊びに行く約束もしたのであつた。
 それに拘はらず、土井は大阪へ早く引返すやうにと、若い人たちから度々手紙を受取つてゐた。それに振りきつて寺を出るとき、追つて出た義兄を怒らしたことも判つてゐた。何か不満があつて、遽に大阪を退去したやうに思はれてゐることも、彼の気分をそこへ引つかゝらせてゐた。それまでにして京都へ引揚げなければならない理由は、表面的には一つもないのであつたが、しかし何か知ら妙なこだわりが、彼の頭に引つかゝつてゐた。そして寺までトランクを持つて来てゐた次兄が、すぐ其処からステイシヨンへ向ふのを見ると、忽ち其の気になつてしまつたのであつた。
 土井は引返していゝか悪いか、わからないやうな気がした。引返すのが愚かゝ、このまゝ帰つてしまふのが悧巧か、判断に迷ひながら、つひぐづ/\になつてしまつた。
 いつか彼は行きつけの繁華な四条へ出てゐた。町はすつかり暮の気分であつた。風はなかつたけれど、じめついた冷《つめ》たさが、体に泌み通るやうであつた。橋のうへに立つと、川風がさすがに山国らしい寒さで、顔を撫ぜた。土井は襟巻のなかに深く鼻を埋めてゐた。その寒さは、しかし東京の風の荒いのに比べて、咽喉を痛めないだけでも助かつた。
 土井は繋《かゝ》つてゐる舟へとおりて行つた。そしていつもの通り牡蠣雑炊を注文した。
 雑炊にあたゝまつて、土井が電車で帰途に就いたのは、九時頃であつた。やがて北野の天神でおりた。
 天神は先刻も見て行つたとほりに、市で賑つてゐる盛りであつた。食べもの店や、古着や下駄や青物や、有らゆる雑多な店が、ぎつしり薄暗い広場に詰つてゐた。境内へは迚も寄りつけないやうな人出であつた。
 土井はその人込のなかを通つて、漸とのことで、裏門の方へぬけて行つた。その辺は人も疎らであつた。燈籠の火影が、松の枝葉の間などから、ぼんやり足元を照らしてゐるだけであつた。
 いつも通りつけてゐる裏門の下をくゞつて出やうとしたとき、彼はそこに横はつてゐる高い閾にいきなり躓いた。そして劇しい音をたてゝ石畳の上へ投り出されてしまつた。
 彼は息が切れるかと思ふほど、石畳に体を打ちつけたが、やがて起きあがつた。道を歩いてゐる若い夫婦が立止つて、薄暗い釣燈籠の火影に透かして見てゐたが、土井が起ちあがるのを見ると、さつさと行きすぎた。
「ざまア見ろ!」土井は何ものかに嗤はれてゐるやうな気がした。
「おれには可けないところがある。おれは惨《みじ》めだ。」土井は何となしさういつた叫びを心に感じた。
 歩きだすと膝がひり/\痛んだ。右の手の掌も擦りむいてゐた。膝をまくつて手で触つてみると、黒い血がだら/\流れてゐた。
 幸いなことには、甥がちやうど帰つてゐた。そして劇薬から毒薬まで貯へられてある薬棚から、消毒薬と膏薬とを取りだして来て、塗《ぬ》つてくれた。軍隊でやりつけたので、繃帯捲きも手際なものであつた。
「忌中に鳥居をくゞるもんやない言ふさかえね。罰が当つたんでせう。」甥は笑つた。
「さうかも知れない。天神はおれの氏神だからな。」[#地付き](大正14[#「14」は縦中横]年6月「文芸日本」)



底本:「徳田秋聲全集第15巻」八木書店
   1999(平成11)年3月18日初版発行
底本の親本:「文芸日本」
   1925(大正14)年6月
初出:「文芸日本」
   1925(大正14)年6月
入力:特定非営利活動法人はるかぜ

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徳田秋声
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