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なんの花か薫る

最終更新:2019年11月01日 06:10

harukaze_lab

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管理者のみ編集可
なんの花か薫る
山本周五郎

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)躯《からだ》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)三|帖《じょう》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数)
(例)※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28]
-------------------------------------------------------

[#6字下げ]一[#「一」は中見出し]

 お新は初めてのとき、江口房之助が馴染になるとは思わなかった。馴染になる客はたいてい勘でわかる、顔だちとか躯《からだ》つきでなく、はいって来たときの感じで、なにかしらふっと通じるように思う。そんなときは相手のほうでも同じように感じるとみえ、たいていのばあい、お新の客になるのであった。
 房之助が来たとき、お新は戸口に立って、彼が呼ひかけるまで、ぼんやりしていた。
 十月中旬の、夜の十時すぎ、――とっつきの三|帖《じょう》で、菊次が曽我物語を読んでいた。みどり[#「みどり」に傍点]と吉野には泊り客がついて、それぞれの部屋へはいってしまったし、寒がりの千弥は、菊次のそばで火鉢にかじりついたまま居眠りをしていた。お新もそろそろ店を閉めようと思いながら、戸口の柱にもたれて、菊次の読む声をぼんやり聞いていた。物語は九月十三夜の、――まことに名ある月ながら、というくだりになっていた。五人いる女たちのなかで、菊次はいちばん年嵩《としかさ》の二十八だし、読み書きのできるのも彼女ひとりだったが、曽我物語はたびたび読んでもらうので、お新も(特に十三夜のくだりは)殆んど、そらで覚えていた。
 ――まことに名ある月ながら、くまなきかげに兄弟は、庭にいでて遊びけるが、五つ連れ左る雁の、いづくをさして飛びゆくらん、一とつらもはなれぬ中のうらやましさよ、……そして「五つある一つは父、一つは母、三つは子どもにてぞあるらん。わどのは弟、われは兄、母は家ことの母なれど」というところなど、お新は口ずさむたびに、自分の身にひき比べて、そっと涙をのむような気持になるのであった。
 菊次が読み進んで、「――兄が聞きて、袖にて弟の口をおさへ、かしがまし、人や聞くらん、こゑ高し、隠すことぞ」というところまできたとき、その客がこっちへ近よって来て、お新の前で立停った。
「もし、そこのお武家さん」と向うの家のおそめ[#「そめ」に傍点]という女が呼びかけた、「あたし、あんたを知ってるわ、寄ってちょうだい、知らん顔するなんて薄情ですよ」
 すると、その客は、もっとお新のそばへ来た。強い酒の匂いと、激しい息づかいが感じられ、お新はちょっと身を反らせた。
「あがれないのか」と、その客が云った、「泊らせてもらいたいんだが」
「お向うのお馴染じゃあないんですか」
「初めてなんだ」とその客はおちつかないようすで、うしろの暗がりをすかし見たりした、「いま喧嘩《けんか》をして追われているんだ」
 まだ若い侍で、ひとがらも尋常だし、口のききようも、うぶらしかった。お新は「どうぞ」とその客を入れ、三帖へ「姐《おえ》さんお願いします」と声をかけてから、客の履物を持って、自分の部屋へ案内した。――それが江口房之助であった。
 あとで聞くと、年は二十二だったが、躯つきも細く、背丈もあまり高くないので、まるでまだ少年のようにみえた。おも長の、眉のはっきりした顔は、蒼《あお》ざめて硬ばり、ひどく昂奮《こうふん》しているようすで、刀をお新に渡すとき、その手がぶるぶると震えていた。
「おぶうを持って来ますわ」とお新が刀をしまいながらいった、「済みませんが、おつとめを頂かしてね」
 房之助は「おつとめ」の意味を知らなかった。お新が説明すると、慌てて、いわれた倍額を出し、懐紙に包んで渡した。
 ――本当に初心《うぶ》なんだな。
 とお新は思った。内所へゆくと、主婦のおみの[#「みの」に傍点]は寝ようとするところだった。お新は定《きま》りだけ渡し、茶を淹《い》れて戻った。房之助は腕組みをして壁によりかかり、かたく眼をつむっていた。お新はお茶をすすめ、「埃《ほこり》が立ちますけれど、ごめんなさい」といって、夜具を出してそこへのべた。
「済まないが、水を呉《く》れないか」と房之助がいった、「それから、誰か捜しに来るかもしれないけれど、そのときは匿《かく》まってもらえるだろうかね」
「ようござんすとも」とお新は寝衣と帯を出してやった、「これに着替えて、さきに寝ていて下さい、いまお冷を持って来ますから」
 房之助は水差しいっぱいの水を、続けざまに、すっかり飲みほしてしまった。お新はすぐにくみ直して来て、客の脱いだ物を片づけながら、どこで誰と喧嘩などしたのか、と訊《き》いた。房之助は「よくわからないんだ」と、枕の上で頭を振った。――湯島の天神前にある料理茶屋で、同じ家中《かちゅう》の若侍たちが宴会をした。人数は十五人、彼はそんな席へは初めてなので、みんなに面白がって飲まされ、なにもわからないほど泥酔してしまった。どうして喧嘩などになったのか、はっきりした記憶はない。覚えているのは、二、三の友達に抱きとめられたこと。手から刀をもぎ取られたこと。その茶屋から逃げだしたこと。友達が「刀は拭いておいたが、すぐ研ぎに出せ」とか、「今夜は屋敷へ帰るな」とか、「みんなべつべつになって逃げろ」などといった、断片的なことばかりであった。
「では人をお斬りなすったんですか」
「よくわからないが、そうらしい」と房之助は頼りなげにいった、「――死にはしなかったようだけれど」
「相手は御家中の方ですか」
「隣り座敷の客だそうだ、侍か、町人かも、聞かなかったけれどね、隣り座敷にも宴会があって、その内の一人とやったんだそうだよ」
「それなら、このままではいけないわ」
 そういって、お新は立ちあがった。
 袋戸棚へしまった大小を、箪笥《たんす》の中へしまい直して鍵《かぎ》を掛けた。それから、太織縞の袷《あわせ》を出して、衣紋竹で壁へ吊《つ》り、房之助の髪を解いて、ざっと束ねた。
「お待さんは髪でわかりますからね、これでいいわ」とお新がいった、「いま、菊次姐さんにいって来るけれど、あなたはあたしの馴染で、指物職の泰次という人のつもりよ」
「泰次、――どう書くんだ」
「知らないわ、あたし」とお新はいった、「職人ですもの、どう書くんでもないでしょ」
 房之助は微笑した。
 お新は菊次のところへくち[#「くち」に傍点]を合わせにゆき、戻って来ると、寝衣になって、房之助の脇へはいった。房之助は必要以上に夜具の端へ躯をよけ、そうして、固くなって震えた。
「それじゃあ、風がはいって寒いことよ」とお新は手を伸ばした、「喰《た》べやしませんから、もっとこっちへお寄りなさいな」

[#6字下げ]二[#「二」は中見出し]

 お新が横になると、まもなく、表に、ざわざわと、人ごえが聞えだした。北のほうから軒並みに、もうたいがい店を閉めているらしいが、寝てしまった家は叩き起こして、相当ものものしくしらべながら、しだいにこちらへ近づいて来た。
「あら、梅さんがいるわ」お新は頭をもたげていった、「あれは行徳の梅さんの声だわ」
「梅さんて、――役人か」
「ここの地廻りよ」とお新がいった、「あの人がいれば、よその者は入れないんだけど、付いて廻ってるとすると、用心するほうがいいかもしれないわ」
 お新は説明した。地廻りというのはやくざで、こういう娼家にこびりついて食っているが、その代り土地にもめごとが起こったりすると、躯を張って捌《さば》きをつけ、娼家に迷惑のかからないようにする。だが、兇状《きょうじょう》持ちなどが紛れ込んだばあいには、岡っ引といっしょに付いて廻るし、そんなときは土地の事情に通じているから、よほど用心しなければならないのだ。お新はそう話して、帯を解いて下さいといい、自分もしごきを解いた。
「どうするんだ」と房之助はどもった。
「いまにわかるわ」とお新はいった、「さあ、帯を解いて、――それから、いよいよとなっても怖がらないでね、あたしが、うまくやるから、あたしのいうとおりになさるのよ」
 房之助はおずおずと帯を解いた。
 お新は夜具の中で、巧みに寝衣を脱ぎ、それをまるめて、畳の上へ放った。房之助は慌てて、眩《まぶ》しそうに眼をそらし、身じろぎをしながら、躯へ寝衣をかたく巻きつけた。
「そんなにしなくても大丈夫よ」とお新は笑った、「馴染だっていう恰好をつけるだけなんだもの、もっとあなたも楽にしなければだめよ」
 房之助は「楽にしているよ」といった。
 やがて店の戸が叩かれ、菊次の応対する声が聞えた。お新はぎょっとした、向うの家でおそめ[#「そめ」に傍点]という女が話したのだろうか、「ここへ侍がはいるのを見た者がある」と、行徳の梅のいう声が聞えた。房之助にも聞えたか、きっと躯を固くした。
 お新は身をすり寄せ、男の寝衣の前をむりにひろげると、殆んど力ずくで、肌と肌をぴったり合わせた。――菊次はみどり[#「みどり」に傍点]の部屋へ声をかけ、次に吉野を呼び起こした。お新は片腕を枕の隙からさし入れ、片手を男の肩へまわして、「眠ったふりをするのよ」とささやきながら、抱きしめた。房之助は身をちぢめて、がたがたとおかしいほど震えた。
「しっかりなさいな」とお新はささやいた、「まさか女と初めて寝るわけじゃないでしょ」
「うん」と房之助は震えながらいった、「初めてじゃない」
 お新が「それなら」といいかけたとき、菊次が部屋の外から呼んで、唐紙をあけた。
 お新はねぼけ声をだして、男のふところから顔だけ振向いた。行徳の梅と、ほかに二人、見知らない若者がはいって来た。若者たちは提灯《ちょうちん》を持っていたが、それには「五番組」という印がはいってい、その提灯ですばやく部屋の中を照らして見た。壁に吊ってある着物、夜具の外に投げてある女の寝衣、そして房之助の束ね髪など、――お新は「なによ、梅さん」といいながら、起きあがって、そこにある寝衣を取った。きめのこまかな、白い裸の上半身があらわになり、手を伸ばすと、豊かにひき緊まった双の乳房が、唆《そそ》るように揺れた。お新はわざと両腕を高くあげ、腋《わき》をみせつけるようにして、ゆっくりと寝衣をひっかけた。
 二人の若者は眼尻で見たが、お新が予期したほど疑われたようすはなかった。梅という男は「さっき天神前で侍が暴れたんだ」とお新の問いに答えた。天満宮門前の茶屋で、酔った侍が刀を抜いて暴れ、五番組の若い者二人に傷を負わせた。その侍がこっちへ逃げ込んだという、たしかに見た者があるので、捜しているのだ、と梅がいった。
「その客は――」と若者の一人が顎《あご》をしゃくった、「おめえの馴染だそうだな」
「ええ、指物職で泰さんていう人です」とお新が答えた、「うちじゃあ、みんなよく知ってますよ」
「ちょっと起きてもらえるか」
「いいでしょ」とお新がいった、「でも断わっておきますよ、今夜はわる酔いをしているし、この人はたいへんな癇癪《かんしゃく》持ちだから、ここでまた喧嘩にでもならないように頼みますよ」
 そしてお新は「ちょっとあんた」と、夜具の上から房之助に抱きつき、頬ずりをしながら、「ねえちょっと起きてちょうだい」とあまえた声を出し、起きないと擽《くすぐ》るよなどといって、夜具の中へ片手をすべりこませた。房之助は「よせ、うるさい」とどなって、壁のほうへ寝返りをうち、鳶《とび》の若者はその伴《つ》れの顔を見た。
「へっ、――」と伴れの若者がいった、「いい面の皮だ、いこうぜ」
「なにがいい面の皮よ」とお新がとがめた、「起こせっていうから起こしてるんじゃないの、すぐだから待ってて下さいな」
「それには及ばねえ」とその若者が、出てゆきながらいった、「ひでえめにあうもんだ」
 三人は部屋を出て、唐紙を閉めた。
 お新はまた寝衣を脱ぎすて、夜具の中へはいって男にからみついた。ことによると、戻って来るかもしれない、念のためだから、もう少しこうしていましょう、お新はそうささやいて、震えている男の躯をぴったりと抱き緊めた。さぐってみると、房之助の背や腋は、冷たく汗に濡れていた。
「もう大丈夫、きっともう大丈夫よ」とお新は男の背を撫《な》でてやった、「ね、あたしがこうしてあげるから、安心してお眠りなさいな」
 房之助は「有難う」と頷《うなず》いた。お新はまるで母親にでもなったような、おおらかな温かい気分で、長いこと男の背を、撫でたり、やさしく叩いたりしてやった。
 明くる朝、早く、お新の名も訊かずに、房之助は帰っていった。戸口でお新をじっとみつめて、「有難う」と二度礼をいったが、こちらの名もきかず、もちろん自分の名も告げなかった。お新は習慣で「また来てくれるように」といおうとしたが、来る人ではないと諦《あきら》め、頬笑み返したまま、なにもいわなかった。――彼を送り出してから、もういちど寝るつもりで、ふと気がつき、菊次の部屋へ声をかけた。
「おはいりな」と菊次が答えた、「いまおでばなを淹れたところよ」
 お新は「もう起きたの」と唐紙をあけた。菊次の部屋だけには長火鉢がある、彼女は浴衣の上に半纒《はんてん》をひっかけ、長火鉢の前に坐って、茶をすすっていた。お新は「もうひと眠りするから」といって茶を断わり、ゆうべの礼をいった。
「うぶらしくって、いい子じゃないの」と菊次はいった、「さっき手洗いのところで会ったのよ、でも惚《ほ》れちゃあだめよ、お新ちゃん、惚れる相手じゃあなくってよ」

[#6字下げ]三[#「三」は中見出し]

 菊次の口ぐせは「客に惚れるな」ということであった。
 お新は十八、みどり[#「みどり」に傍点]は十九、吉野と千弥は同じ二十歳で、菊次だけが二十八と年がはなれている。主婦のおみの[#「みの」に傍点]とまえからの友達で、――新吉原の小格子でいっしょだったらしいが、その縁でこの家へ来て、もう二年とちょっとになる。年が年だから、定った客のほかにあまり稼《かせ》ぎはないが、「自分の葬式の金だけ溜《たま》ればいいのだ」といって、少しもあくせくするふうがなかった。
 ――女は男から好かれ、男から惚れられるものよ。
 菊次はそういう。女のほうから惚れると必ず苦労する、相手のよしあしにかかわらず、男には決して惚れるものではない、というのである。主婦のおみの[#「みの」に傍点]の話によると、菊次は十四で身を売られてから、ずっと男のために苦労して来たという。甲斐性《かいしょう》のある、しっかりした性分で、小格子などで働きながら、読み書きも覚えたし、芸ごとも、縫針もできる。しぜん、いい客もついたが、ためになる客は振って、つまらないような男にひっかかり、そして裸になるまで貢いでしまう。懲りたかと思うと、またひっかかるというぐあいで、幾たびもくら替えをし、ついには岡場所へ落ちるという結果になった。
 ――だから菊ちゃんのいうことに嘘はないけれどね。
 とおみの[#「みの」に傍点]は溜息をつき、「もう五、六年まえに自分で気がついてくれたらと思うよ」と、身にしみたようにいうのであった。
 吉野や千弥はまじめに聞き、婁じめに頷いた。吉野には里にやってある子供がいるし、千弥は母親とぐれ[#「ぐれ」に傍点]た兄を背負っていた。どちらも、他人《ひと》ごとではない、と思うらしいが、みどり[#「みどり」に傍点]だけはべつで、そんな話には耳を貸そうともしなかった。彼女は「あたし男が好きだから、このしょうばいにはいったのよ」といばっていた。惚れた男のためなら、骨までしゃぶられてもいいとか、「死ぬほど惚れる男に会ってみたい」などともいう。――これはむろん菊次の警告する意味とは違うので、みどり[#「みどり」に傍点]のはいろ好みに類するのだろう。客の付かない日が二日も続くと、もう気がいらいらして眠ることができない。それで、ほかの者にあがった客を、自分にもらいたいといいだす、「つとめ[#「つとめ」に傍点]はあんたが取っていいのよ、だからお客はあたしに代らせてよ」とせがむのである。あのことにも人とは違った癖があって、ある種の客のあいだには、かなり評判になっているらしい。また、家じゅうの者が恥ずかしくなるような、無遠慮な騒ぎをすることも少なくないが、しかもふしぎに、長く続く客はなかった。
 ――こういうしょうばいをしているからこそ、あたりまえなら、手も出せないような客とさえ遊べるんじゃないの。おまけに金までもらってさ。
 と、みどり[#「みどり」に傍点]はお新をたきつける、「同じことじゃないのさ、たのしみなさいよ、お新ちゃん、たのしまなくちゃ損よ」と、はっきりいうのである。しかしお新にはわからない。まわりで話すのを聞いているし、自分でも極めて稀《まれ》に、それらしいものを感じるときもあるが、ひとの客を代るほど「たのしむ」などということはわからなかった。
 江口房之助が泊っていってから、二日、三日と経つあいだ、お新はその一夜の記憶を、ひそかに自分であたためていた。
 ――あの人はふるえていたわ。
 お新の腕の中で、男は身を固くちぢめ、おびえた子供のようにふるえていた。それが、追われている恐怖だけでないことを、ぴったり合わせた素肌から、お新は感じることができた。酔った客の息ほどいやなものはないが、彼の息はいやではなかったし、躯の匂いもこころよかった。可愛かった、――とお新は思う。あの夜、お新は殆んど眠らなかった。母親に抱かれた子供のように、安心して眠っている彼の顔を、うっとりずるような気持で眺めたり、そっと頬ずりをしたりした。
 そのときの感じが、お新の肌にまざまざと残っていた。肌に残っているそのときの感じを、いつまでも残しておきたいために、暫くのあいだ風呂へはいっても、その部分は洗わないようにしたくらいである。――もちろん、日の経つにしたがって、しぜんとその記憶もうすれていった。それでも思いがけないときに、(たとえば、初めての客の相手をしているときなどに)とつぜん、そのときの感じがよみがえってきて、びっくりするようなこともあったが、それも二、三十日のあいだで、十二月にはいると、もう思いだすことさえないようになった。
 正月ちかくなってから、千弥がくら替えをし、代りにおせき[#「せき」に傍点]という女がはいった。年は二十二で、きりょうも悪くないが、底ぬけに人の好いところがあり、みどり[#「みどり」に傍点]と似て「このしょうばいが性に合う」のだといっていた。親たちは下町のほうで、さして困らない生活をしているらしい。稼げば稼ぐだけ使ってしまうし、朋輩《ほうばい》にもきまえよく奢《おご》った。
 菊次は相変らずで、客の付かない日のほうが多く、主婦のおみの[#「みの」に傍点]に旦那の来ないときは、たいてい内所に入り浸っているか、店がひまで、みんなにせがまれると、飽きずに本を読んでやる、というふうであった。
 正月の中旬を過ぎたある日、灯をいれたばかりの時刻に、江口房之助が来た。
 そのときも、菊次が曽我物語を読んでいて、ちょうど千草の花のくだりになり、――さればわれらが身のありさま、有れば有るがあひだなり、夢の浮世に、なにをか現《うつつ》と定むべき、というところへきて、おせき[#「せき」に傍点]が「そこのところはどんな意味なのか」と訊き、菊次がわけを話しだした。お新は上りがまちに腰をか掛け、菊次の説明を聞くともなく聞いていたが、編笠をかぶった客が、店の前で立停り、戸口を覗《のぞ》くようにしたので、すぐ声をかけながら、立っていった。
「やっぱり、ここだったな」とその客は笠の中からいった、「あがってもいいか」
 お新は「どうぞ」といった。
 客は着ながしに羽折で、脇差だけ差していた。侍だということはすぐにわかったが、部屋へはいって、編笠をとるまでは、誰であるか見当もつかなかった。
「まあうれしい」お新は客の顔を見て、われ知らず声をあげた、「来て下すったのね、よく忘れずに来て下すったのね、うれしいわ」
「もっと早く来たかったけれど、いろいろな事があって、――」彼はお新に紙に包んだものを渡した、「このあいだは有難う」
「済みません、いまおぶうを持って来ますわね、ゆっくりしていらしっていいんでしょ」
「いや、そうはできないんだ」
 お新は「だめ」と首を振り、あたし帰しませんよ、といいながら部屋を出ていった。

[#6字下げ]四[#「四」は中見出し]

 彼は半刻《はんとき》ばかりいて帰ったが、お新は初めて彼の名も聞いたし、藤堂|和泉守《いずみのかみ》の家中で、父親はなに役とかいう、かなり重い役を勤めている、ということも聞いた。
 あの日、屋敷へ帰ると、無断で外泊したことをひとく咎《とが》められたが、そんなことは初めてだし、彼は一人息子だったから、「池の端の叔父のところで泊った」とあやまって、それで済むかと思えた。ところが喧嘩騒ぎと、鳶の者を二人も傷つけたことがわかり、十五人ぜんぶが謹慎を命ぜられた。そうなると、彼には刃傷の責任があるので、改めて「勘当」ということになり、叔父の家へ預けられた。
 叔父は板倉摂津守の家中で、名を中原平学といい、江口から婿にいったのであるが、酒もよく飲むし、隠れ遊びもさかんにするというぐあいで、房之助は「これなら一生勘当されているほうがいい」などと、のんきなことをいっていた。
「これからときどき来るよ」と帰るときに房之助はいった、「九十日の余も謹慎していたからね、もうすっかり信用がついたんだ、今日は叔父に、少し風に当って来いといわれたくらいなんだよ」
 そして帰りがけに「また来る」といった。
 あんまりあっさりしているので、もう来はしないと思っていたが、五日ほど経った午後に、彼は手土産を持ってまた来た。お新は他の三人と風呂へいった留守で、菊次が彼の話し相手をしていたらしい。その日も半刻足らずで帰ったが、彼の帰ったあとで、菊次がお新の部屋へ来た。
「お新ちゃん」と菊次は改まった口ぶりでいった。
「あんた、あの人となにか約束でもしたの」
「いいえ」とお新は首を振った、「また来るとはいってたけれど、べつに約束なんてしやしないわ」
「あの人あんたに夢中よ」
「あらいやだ、知らないのね、姐《ねえ》さん」
「あの人は夢中よ」
「姐さん知らないのよ」とお新は笑った、「夢中どころか、あの人はお茶を飲んで話をするだけ、手を握ろうともしやしないわ」
「あんたはどうなの」と菊次はきまじめにいった、「お新ちゃんの気持はなんでもないの」
「わからないわ」お新は眼をそらした、「嫌いじゃあないけれど、だからって、べつに、――わからないわ、あたし」それからふと菊次を振返って見た、「どうしてそんなこと訊くの、姐さん、あの人なにかいったの」
 菊次は黙って、両手の指の、爪と爪をこすり合せた。それから低い声で、「客に惚れてはいけない」という、いつもの忠告を繰り返した。そうして、(特に)彼は世間知らずのお坊ちゃんだし、こういう遊びも初めてのようだから、どんなにのぼせあがるかわからない。しかし、相手が御大身の一人息子だということを忘れないで、あんたまでがのぼせあがらないように気をつけなければいけない。さもないと、いまに必ず泣くようなことになるだろう、と菊次はいった。――お新は聞いていながら、菊次がなぜそんなにも諄《くど》くいうのかと、不審に耐えなかったし、それにはきっと、わけがあるのだろうと思った。
「わかったわ」とお新はいった、「でも、どうしてそんなに念を押すの、どうしてなの、姐さん、あの人が姐さんになにかいったんですか」
 菊次はお新を見た。お新はもういちど訊き返した。菊次は立ちあがって、窓の障子をあけ、暫く外を眺めていた。障子をあけたので、冷たい風が吹きこんで来、お新は衿《えり》をかき合せた。
「あの人はね」と菊次は外を見たままでいった、「あの人はあんたを、お嫁さんにもらうんですって」
「姐さんてば――」
「どんなことがあっても、きっと、あんたをお嫁さんにするんですってよ」と菊次はゆっくりいった、「それを本気でいってるんだってことが、あたしにはよくわかったの、あの人は本気よ、お新ちゃん」
「閉めて下さいな」とお新がいった、「風がはいって寒いわ、姐さん」
 菊次は窓を閉めて、お新を見た。
「だいじょぶよ、姐さん」お新は微笑した、「あたし、そんな夢のような話で、のぼせやしないし、あの人とあたしでは、合わない鉋《かんな》と砥石《といし》だってことくらい知ってるわ」
 菊次はうなずいて「くどいようだけれど、それを忘れないでね」といった。
 房之助はその翌日、また来た。宵のくちで、お新には馴染の客があり、知らせに来たみどり[#「みどり」に傍点]に「断わってちょうだい」と頼んだ。彼はすなおに帰ったそうだが、「可哀そうにべそをかいてたわよ」とみどり[#「みどり」に傍点]はいった。そのときはさほどにも思わず、聞きとがめた客に「いろが来たのなら、帰ってやるぜ」などといわれると、こちらも、「いろは此処《ここ》にいるさ」と定り文句をいって、客にかじりついたりした。――その晩はみんないそがしかったが、誰にも泊りは付かなかった。十時まえに来た吉野の客も、四半刻ばかりして帰ったが、そのときおせき[#「せき」に傍点]が「みんなに蕎麦《そば》を奢る」といいだし、吉野が「客を送りかたがた、注文して来よう」といって出ていった。
 お新は湯と薬を使ったあと、菊次の部屋へいって縫いかけの肌襦袢《はだじゅばん》をひろげた。
 火のあるのは内所とそこだけだし、主婦よりも菊次のほうが気がおけないのである。お新が針を持つとまもなく、みどり[#「みどり」に傍点]とおせき[#「せき」に傍点]も、はいって来て、長火鉢のそばで話しだした。この二人の話題はいつも定っていて、客たちの癖や好みや、そのことの手くだや綾などを、極めてあけすけに、しかも熱中して語るのである。――こういうところの女たちほど、一般にそういった話には無関心なのだが、この二人はいくら話しても飽きるということがないようであった。
「いいかげんにしなさいな」と菊次が銅壺へ水を注ぎながらいった、「あんたたちときたら、まったくどうかしているよ」
「いいわよ、好きなんだもの」とみどり[#「みどり」に傍点]は平気でやり返した、「好きなものを嫌いなような顔したって、誰が褒めてくれるわけじゃなし、あの本にだって、人間は有れば有るが、あいだなり、って書いてあったじゃないの」
「ええそうよ」とおせき[#「せき」に傍点]がいった、「夢の浮世に、なにをか現《うつつ》と定むべき――生きているうちにたのしまなければ損だってことでしょ」
 お新は笑いかけて、ふいに胸がどきんとなった。なにが連想のきっかけになったものか、可哀そうにべそをかいていた、という、みどり[#「みどり」に傍点]の言葉を思いだしたのである。
 ――べそをかいていたわよ。
 可哀そうにという言葉が、痛いほど鮮やかに思いだされた。お新は縫っている手を、ばたっと膝《ひざ》へ落した。そこへ「おお寒い、ちらちらしてきたわよ」といいながら、吉野が帰って来、みどり[#「みどり」に傍点]が「ここよ」と呼んだ。
「雪が降ってきたわ」と吉野が肩をちぢめながら、はいって来た、「おお、さぶい、ちょっとあたらして」
「あんたお店は」と菊次がいった、「お店を閉めてくればいいじゃないの」
「ああ、そうだ」と吉野はお新にいった、「お新ちゃん、あの江口さんて人が、道の上へ酔いつぶれているわよ」

[#6字下げ]五[#「五」は中見出し]

 菊次がぎょっとしたように、お新を見た。お新はぼんやりと吉野を眺め、「どうしたんですって」とどもりながら訊き返した。
「あの江口さんて人よ」と吉野はいった、「門跡さまのお下屋敷の、こっち角のところに倒れてるの、あの権八蕎麦で飲んでたんですってよ」
 お新はひょいと立ちあがった。菊次が「お新ちゃん」と呼びかけたが、お新には聞えもしなかったらしい、まっ蒼《さお》な顔になって唐紙をあけ、それにぶっつかってよろめき、廊下で躓《つまず》き、そしてばたばたと駆けだしていった。菊次は溜息をついて、長火鉢の猫板へもたれかかり、おせき[#「せき」に傍点]が面白そうに、「雪も降りだしたっていうし、きつい新内節じゃないの」といった。
 お新は夢中で走った。
 俗に「大根畑」と呼ばれる、この岡場所の一画をぬけると、日光御門跡の下屋敷がある。こちら側は小役人の組屋敷で、その四つ角のところに毎晩、夜鷹《よたか》蕎麦屋が三ところに屋台を出していた。客は「大根畑」の女たちや、そこへ出入りする者が大部分であるが、岡場所の中は、火を禁じられているため、そこまで喰べにゆくか、出前で取るかするのであった。
 お新が駆けつけると、「権八そば」と掛け行燈をした屋台のこちらに、仲間《ちゅうげん》ふうの男が二人、道ばたの暗がりをのぞいて、こわ高になにかいっていた。二人とも酔って、ふらふらしていたが、お新が走り寄ってみると、かれらは地面に倒れている男を、呼び起こそうとしているのであった。お新は二人を押しわけて、「ごめんなさい。あたしの知ってる人なんです」といい、倒れている男をのぞいた。それは紛れもなく房之助で、お新はわれ知らず叫びながら、彼にとびついて抱き起こした。
「ごめんなさい、堪忍して」とお新は悲鳴をあげるようにいった、「堪忍して、ふうさん、堪忍して」
 仲間らしい二人が、なにか悪おち[#「おち」に傍点]をいったようだ、屋台からも人が出て来たらしいが、お新は見もせず聞きもしなかった。ほとんど逆上したように、房之助を抱き起こし、ぐらぐらするのをようやく立たせた。
「お新」と房之助がいった、「お新だね」
 お新はふうさんといった。
「逢いたかったよ、お新」と彼がいった、「逢いたくって、またあとでゆくつもりで、飲んでいたんだよ」
「歩いてちょうだい」とお新がいった、「うちへゆきましょう」
「いってもいいのか、悪くはないのかい」
「ごめんなさい」お新は彼を抱いた、「もういいのよ、さあゆきましょう」
 お新は脇差を直してやった。
 足もとのきまらない彼を、抱きかかえるようにして、お新はゆっくり店へ戻った。風のない静かな夜空に、こまかい雪が舞っていて、道もうっすらと白くなったし、店へ着いたときは、二人も頭から雪にまみれていた。――お新は黙ってあがり、履物を持つのも忘れて、そのまま彼を自分の部屋へ伴れていった。
 そこは行燈も消えているし、むろん火のけもなかった。よろけこんだ房之助は、お新が敷き直しておいた夜具の上へ、だらしなくぶっ倒れ、そして苦しそうに呻《うめ》いた。
「どうするの、ふうさん」と、お新は彼に抱きつきながらいった、「あたしなんかのために、こんなことをして、どうするのよ」お新は泣きだした、「あんたは立派なお侍の一人息子じゃありませんか、こんな岡場所のあたしなんかに迷って、こんなやけみたようなことをなさるなんて、だめじゃありませんか」
 房之助は喉《のど》を詰らせ、ぐらぐらと頭を振った。
「だめなんだ」と彼はいった、「だめなんだよ、お新、苦しくって、どうにもならないんだ」
「だって、どうするの」と、お新は泣きながら、彼をゆすぶった、「どうすることが、できるの、ふうさん、どうにもならないってことはわかってるじゃありませんか」
「お新はおれが嫌いなのか」
「いや、いや、そんなこと訊かないで」
「嫌いでなければ、そんなふうにはいわない筈だ」と房之助はいった、「おれは自分の気持をあの菊次という人に話した、おれは本気なんだ、本気なんだよ、お新」
「お願いよ、だめだっていってるじゃありませんか」お新は泣きながら、男の胸の上で激しく首を振った、「身分が違うばかりじゃない、あたしはこんなに躯もよごれちゃって」
「それはおまえの罪じゃない」と彼は強く遮《さえぎ》った、「決してお新の罪じゃない、めぐりあわせが悪かっただけだ、おれだって運悪く生れついていたら、土方人足になっていたかもしれないし、泥棒になっていたかもわからない」
「そうだからって、よごれた躯が元に返りゃしないわ」
「返るさ、返るとも」と彼はいった、「人間の躯はね、よくお聞き、人間の躯ってものは、いつも変ってるんだ、たとえば髪や歯や爪をごらん、生えて伸び、抜けてはまた生える、肌は垢《あか》になって落ちて、新しくなるし、肥えたり、痩《や》せたりもする。生きているものは、一日だって同じじゃあない、いつも新しく伸びるし、育っているんだ、お新の躯だってこのしょうばいをやめて、三つきか、半年もすれば、よごれたものは落ちてきれいになるんだよ」
 お新は泣きじゃくりながら、「そんなこと初めて聞くわ」といった。すると、唐紙の外で、お新を呼ぶ声がし、「あかりを持ってきたわ」といって、みどり[#「みどり」に傍点]が唐紙をあけ、灯のはいった行燈をそこへ置いた。お新は男の上に重なったまま、「有難う」といった。
「ねえ、――ちょっとお邪魔したいんだけど」とみどり[#「みどり」に傍点]がいった、「おせき[#「せき」に傍点]ちゃんと二人で、悪いけど、いまの話聞いちゃったの、それで相談があるんだけど、……」
 お新は断わろうとしたが、それより先に房之助が「いいよ」と答えた。はいってもいいよ、なんでもいいたいことをいってくれ、なにをいわれたって驚きゃあしないんだ、と房之助はいった。みどり[#「みどり」に傍点]は「そうじゃないんです」と首を振り、おせき[#「せき」に傍点]と二人ではいって、唐紙を閉め、そこへ並んで神妙に坐った。
「このあいだはお土産を有難うございました」とみどり[#「みどり」に傍点]が尋常なあいさつをした、「それから、さっきは失礼してごめんなさい」
 お新に頼まれて断わったことを、わびるらしい。お新は身を起こしながら、襦袢の袖口で涙をふいた。房之助はあおむけに寝たまま、「早くいってくれ、なにがいいたいんだ」と促した。おせき[#「せき」に傍点]がみどり[#「みどり」に傍点]を見た。みどり[#「みどり」に傍点]は「あたしがいうわ」とおせき[#「せき」に傍点]にうなずき、房之助に向ってもういちど「そうじゃないんですよ」と首を振った。
「いま若旦那のおっしゃっているのを聞いて、あたしたち、お新ちゃんの味方になろうって相談したんです」とみどり[#「みどり」に傍点]はいった、「――いま、三つきか半年、このしょうばいをやめていれば、よごれた躯もきれいになるっておっしゃったでしょう、もしそれが本当なら」
 房之助は起きあがった。

[#6字下げ]六[#「六」は中見出し]

 二月になり、三月になっても、お新は店へも出ず、むろん客も取らなかった。ほかの四人、――特に、みどり[#「みどり」に傍点]とおせき[#「せき」に傍点]が(これはすすんで)お新の分までかせいだし、足りないところは、江口房之助が補った。
 馴染の客には、「あの人は病気でひいている」と断わった。お新を外で見かけて「話だけでも」とか、「酒の酌だけでいいから」などと、しつこくねだる客があると、病気が悪質なので、組合の医者から、客の前に出ることを禁じられているのだ、というふうにいった。よそと違ってこの店は、きちんとしている、病気持ちの女を客に出すようなことは決してない、「それはきちんとしたものよ」などと、いばっていうのであった。
 菊次はお新に読み書きを教えはじめた。お新が頼んだのではなく、菊次のほうで、「どっちにしろ、覚えておいて損はないから」とすすめたのである。お新はよろこんで、熱心に稽古をした。反対されると思った菊次が、向うからすすんでそういってくれたこともうれしかったし、それが房之助と自分との、幸運の兆《きざ》しであるようにも思えた。――危ながっているのは主婦のおみの[#「みの」に傍点]で、自分には信じられない、そんな夢のような話が本当になろうとは思えない、「あとでばかをみないように、用心するほうがいいよ」といった。
「かあさんは知らないのよ、江口さんの若旦那は本気だわ」と、みどり[#「みどり」に傍点]はいい返した、「若旦那がまじめで本気だってことは、あたしたちにはわかるわ、千人の男が信じられなくっても、若旦那だけは信じられる人だわ」
「あたしたち、こんなしょうばいをしているけれど」とおせき[#「せき」に傍点]はいった、「それでも、同じ朋輩の中から、お侍の奥さまが出るっていうぐらいの夢は、持ちたいと思うわ、あたしたちだって、そのくらいの夢は持ってもいいと思うわ」
「いいわよ、やる事をやるのが先よ」とみどり[#「みどり」に傍点]は受合うようにいった、「あたしたちにできる事をすればいいのよ、文句はあとのこと、話は庚申《こうしん》の晩にしなさいだわ」
「あら、庚申の晩がどうしたの」
「あんたばかねえ」とみどり[#「みどり」に傍点]が笑った、「そんなことくらい知らないと、お嫁にいって恥をかくわよ」
 これらのことを、お新はみんな房之助に話した。
「みんないい人たちだ」と彼は身にしみたようにいう、「珍しく、みんないい人たちばかりだ、いっしょになったら忘れずに礼をしよう」
「こんなことってないのよ」とお新は念を押すようにいう、「ふつうなら、みんな羨《うらや》んだり、やきもちをやいたりで、いやがらせや邪魔をされたりするくらいがおちなのよ」
「そうだろうな、私もそうだろうと思うよ」
 房之助は三日にいちどずつ、きちんと訪ねて来た。午まえに来ることもあり、夕方のこともあるが、店のひまなときには、お新の部屋へみんなを呼んで、茶菓子を買ったり、てんや物を取ったりして、誰ともわけへだてなく話した。みんなはむろんよろこんだが、長く話しこむようなことはなく、できるだけ二人で置くように気を配った。――三日にいちど来る習慣は変らなかったが、彼は決して泊らないし、お新の躯にも触れなかった。
「長いことじゃないから、辛抱するよ」と彼はいう、「お新だって、辛抱できるだろう」
 お新は笑って、「あたしは平気よ」と答える。そのことで男が辛抱しようというのは、男の気持がしんじつだからであろう。お新にはそれはうれしかったが、同時に(そんなしょうばいをして来たためだろうか)そのしんじつを躯でたしかめられないことが不安でもあった。
 三月中旬のある午後、――お新は自分の身の上を彼に話していた。
 房之助は寝ころんでいた。あけてある窓から、ときおり吹きこんで来る風に、なんの花か、わからないが甘酸っぱいような花の香がそそるように匂った。
 お新はやくざな父と、おとなしいだけの母と、病身の妹のことを話した。父は菓子屋のいい職人だったが、博奕《ばくち》が好きで、稼いだ金はみな博奕ではたいてしまい、家族の着物や、夜具までも剥《は》ぐというふうであった。
 母親はいくじなく泣くばかりで、父には不平らしいこともいえない。もっともなにかいえば、父は狂気のように暴力をふるう、お新も幾たびか殴られたり、蹴《け》られたりして、躯に痣《あざ》や打身の絶えないようなときがあった。妹が脊髄《せきずい》の病いで寝たきりだし、生活も詰るだけ詰って、お新は十六の秋に身を売った。
 新吉原《なか》というはなしもあったのだが、いちどに多額な身の代金を取っても、父がつかってしまうことは、わかりきっていたので、手取りの金は少なくとも、月づき家へ仕送りのできるほうがいい。お新はそう考えて、自分でこの土地を選んだのであった。
「十六の知恵でね」と房之助はいった、「――十六という年で、身を売るのにも、うっかりはできなかったんだな」
 お新ははにかむように微笑した。
「あたしもいまになって、自分がよくやったと思うの」とお新はいった、「もしも廓《くるわ》へいってたとしたら、借金で縛られて、身動きができなかったでしょう、この土地へ来たおかげで、いまはいつここを出たって勝手なんですもの」
「厄介なのは父親だけというわけか」
「お父っさんって――あらいやだ」とお新は大きな眼をした、「このまえ話したでしょ、お父っさんは丑《うし》の年の火事で、死んだじゃありませんか、おっ母さんや妹といっしょに」
「聞かないね、家の話が出たのは今日が初めてだよ」
「あらそうかしら、あたし、いつか話したと思うんだけれど」
「丑の年っていうと去年だな」
「去年の三月、ちょうどいまじぶんですね」とお新はいった、「家は八丁堀だったんですけれど、四方から火に囲まれて……」
 お新はふと口をつぐんだ。右隣りの部屋で、みどり[#「みどり」に傍点]の無遠慮な騒ぎが始まったのである。房之助もいぶかしそうに、寝ころんだままお新を見た。
「どうしたんだ」と彼はささやいた、「喧嘩しているようじゃないか」
「そうじゃありません」といってお新は赤くなった、「喧嘩じゃないんです、いいんですよ」
「いいったって、ほら、――あれは殴っている音だろう、泣いてるのはみどり[#「みどり」に傍点]の声じゃないか、ほら、聞えるだろう、お新」
 お新は当惑して、なお赤くなり、「そうとすれば痴話喧嘩でしょう」といった。

[#6字下げ]七[#「七」は中見出し]

 客はみどり[#「みどり」に傍点]の情人だから、きっと痴話喧嘩を始めたのだろう。好いた同志にはよくあることだし、もうすぐ仲直りをするに違いない、とお新はいった。房之助もそうかと思ったようすで、しかし、痴話喧嘩にしてはひどい、「あれではみどり[#「みどり」に傍点]が可哀そうだ」などとつぶやいた。
 ――この人、初めてかしら。
 これまでみどり[#「みどり」に傍点]の癖を知らなかったのかしら、とお新は思い、早くその騒ぎが終ってくれればいい、と願いながら、いつかしら、自分の気持がたかぶってくるのを感じた。……みどり[#「みどり」に傍点]の癖にはすっかり馴れていて、どんなにひどく騒がれても、せいぜいうるさいと思うくらいだったのに、お新はいま、自分がそんな気持を感じることにびっくりし、すぐにもその部屋から、逃げだしたくなった。
 ――この人が悪いのよ。
 まるふた月も、うっちゃり放しなんだもの、ふうさんが悪いんだわ、とお新は思った。三年もそういう稼ぎをして来て、正月の下旬からぴったりやめ、もう六十日くらいのんきにしている。そのためもあるだろうが、一つには、男のしんじつを躯でたしかめたいという、単純で素朴な欲求が、そんなきっかけに衝動となってあらわれたともみえる。お新は逃げだしはしないで、とつぜん膝の上の縫物を押しやると、「ねえ」といいながら、彼のほうへすり寄った。
「なんだ」と彼がいった、「こっちでも、痴話喧嘩か」
 お新は黙って、彼の上へかぶさった。
 躯のしんが燃えるように熱く、頭がくらくらし、息苦しいほど烈しく動悸《どうき》が打った。そんなことは初めてである。お新は低い呻きごえをあげ、身もだえをしながら、彼のふところへ手をさし入れた。房之助はお新を抱き緊め、寝返りながら顔をよせた。お新のぼうっとなった耳に、隣りの部屋からみどり[#「みどり」に傍点]の悲鳴が聞え、お新は喘《あえ》ぎながら「窓を閉めるわ」とささやいた。
 お新が手を伸ばそうとすると、房之助はそれを押え、「だめだ」と頭を振った。お新はいやといって、手に力をいれたが、彼は押えつけたまま動かさなかった。
「もう少しの辛抱だ」と房之助はいった、「もう、叔父に話そうと思っているんだ」
 お新は喘ぎながら、躯をゆすった。
「叔父は道楽者だから、わけを話せば、きっとわかってくれる、もう感づいているかもしれない」と彼はいった、「感づいているようなことを、ときどきいうし、小遣も叔母にないしょで、余分に呉《く》れるんだよ」
「だって」とお新は喘いだ、「どうして、それまで待たなければいけないの、どうして」
「それは初めに約束した筈じゃないか」
「約束は約束、あたしだってなま身よ」とお新はいった、「それにあんただって、ふうさんだって、初めてじゃないでしょ」
「なにが」と房之助はいって、しかしすぐに意味がわかったらしく、眩しそうに眼をそむけた、「いや、――私はまだ初めてだ」
「うそよ、さいしょの晩に、もう知ってるっていったじゃないの」
「恥ずかしかったんだ」
「女のひとと寝たことがあるっていったわ」
「恥ずかしかったんだ」と彼はいった、「初めてだなんていうと笑われるような気がしたんだ」
 お新の躯から力がぬけた、緊張した躯から力のぬけてゆくのが、房之助にもわかった。お新は男の胸に頭をのせたまま、「ごめんなさい」とささやいた。房之助は女の背中を撫で、その手でそっと頬を撫でた。
「花の匂いがするね」と彼はいった、「――よく匂うじゃないか、なんの花だろう」
 お新は首を振った。彼がまだ女を知らないとわかったとたんから、にわかに彼が遠くなるように、お新には感じられた。自分からぐんぐん遠く、はるかに遠くなるように、――お新は強く首を振り「抱いてちょうだい」とささやいた。もっと強く、もっと。いいよ、重いから起きてくれ、喉が渇いてきた、茶をいれてくれないか、と房之助がいった。
 次に来た日、――房之助は帰りがけになって、顔をひきしめながら「明日だ」といった。お新は彼を見あげた。
「叔父の屋敷で明日、祝いの酒宴があるんだ」と房之助はいった、「それが終ったあとで話をしようと思う」
 お新は「そう」と力なくうなずいた。うれしいという気持も起こらず、むしろ「だめだった」とでもいわれたような、暗い不安な感じにおそわれた。
「もしも、父が、頑固に勘当をゆるさなかったら、私は刀を棄てるつもりだ」と彼はひそめた声でいった、「侍ばかりが人間じゃない、寺子屋をやったって、食ってゆけるんだから」
「お父さん、まだ怒ってらっしゃるんですか」
「おれは平気さ」と彼は笑ったが、力のない笑いだった、「――おれは覚悟をきめているんだ、どうなったって驚くものか」と彼はいさましくいった、「――じゃあ、帰る、こんど来るときは、いい話ができると思うよ」
「ええ」とお新はうなずいた、「待っています」
 房之助が帰ったあとで、お新はみんなにその話をした。気がわくわくして、不安で、どうしても話さずにはいられなかったし、話してしまうと、どうやら少しおちついた。
「若旦那はやるわよ、きっとやるわ」とみどり[#「みどり」に傍点]がはずんだ調子でいった、「あの人しんがきつそうだもの、ああいう温和《おとな》しい人ほど、いざとなると、梃子《てこ》でも動かないものよ」
「ようやっとね」とおせき[#「せき」に傍点]がいった、「あたしたちの中からも、いよいよ玉のお輿《こし》が出るんだわ」
「たまのこしよ」とみどり[#「みどり」に傍点]がいった、「そんなところへ、おを付けるもんじゃないわ、お菓子みたいに聞えるじゃないさ」
 菊次がふきだし、みんなが賑《にぎ》やかに笑った。
 房之助はなかなか来なかった。三日にいちどの定りが、初めて跡切れ、お新はまたおちつかなくなった。みんなは心配しなかった。きっと話をもちだしたのであろう、さもなければ、いつもどおり来る筈だし、話をもちだして、もし不首尾なら、それも知らせに来るに違いない、なぜなら、いけなければ、刀を棄てて寺子屋をやるつもりなんだから。そうでしょ、とみどり[#「みどり」に傍点]は主張した。来ないのは勘当がゆるされて、親許《おやもと》へ帰ったのだと思う、それでおいそれと出るわけにいかないのだ。そうよ、「きっと、そうだわ」とおせき[#「せき」に傍点]もいった。
 ――ひらきたるはとどまり、蕾《つぼ》みたるは散りたるとや。
 お新の頭にふとそんな句がうかんだ。聞き覚えた曽我物語の「千草の花」のくだりで、そのあとに忘草のことが続き、――おん帰りをとどめ奉らんとて、この花を植ゑて、わすれ草と名づけたまひけるなり、というのである。お新はみどり[#「みどり」に傍点]たちの慰めを聞きながら、どうしてとつぜんそんな句が頭にうかんだのか、われながらいぶかしく思いながら、「つぼみたるは散りたるとや」と、もういちど頭のなかで繰り返した。
 灌仏会《かんぶつえ》の日の午後に彼は来た。
 主婦のおみの[#「みの」に傍点]と菊次とが、浅草寺へ参詣《さんけい》にゆき、花かごをもらって帰って来た。お新は店の表に卯《う》の花を※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28]《さ》したが、※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28]すときに「ああ」と独りでうなずいた。蕾みたるが散る、――というのは、卯の花の枝のことで、裏にある垣根の卯の花が頭にあったから、あんな句を思いだしたのだろう。ふしぎはないじゃないの、そう思って、お新が店へはいろうとすると、江口房之助が近づいて来て「お釈迦《しゃか》さまの日だね」といった。
 お新は振向いて「あ」と声をあげた。

[#6字下げ]八[#「八」は中見出し]

 はいって来た房之助を見ると、みんなが(殆んど一斉に)歓声をあげた。折目のきちんとした彼の身なりや、髭《ひげ》をきれいに剃《そ》った、明朗な、少しのかげもなく微笑している顔が、一と眼でみんなを昂奮させたようである。菊次までが珍しくあいそ笑いをして、「いらっしゃい、ようこそ」と挨拶した。
「いそがしくって手紙も書けなかったんだ」と彼はあがりながらいった、「今日もすぐ、帰らなければならないんだが、とにかく、みんなに祝ってもらおうと思ったんでね」
 みどり[#「みどり」に傍点]が「わあ」と手を叩いた。
「集まってくれ」と彼はいった、「お新のところへみんなで来てくれ」
 菊次が「いいえ」と手を振った。あたしたちはあとでようございまず、お二人で先にどうぞ。そうよ、お二人でどうぞ、「あたしたちはあとでゆっくりうかがいますわ」とおせき[#「せき」に傍点]もいった。だが、房之助は頭を振った。
「いやそうじゃない、いい話なんだから、みんなに聞いてもらいたいんだ、みんなに聞いてもらって、みんなに祝ってもらいたいんだ、さあ来てくれ」と房之助はいった。
 そのとき、ようやく、お新が「いいじゃないの、みんないらっしゃいよ」といった。みどり[#「みどり」に傍点]は大きくこっくりをし、「それほどおっしゃるんなら、いってつかわそう」といばった。
 お新は部屋へはいると、「散らかっててごめんなさい」といいながら、窓の障子をあけ放した。房之助が窓を背にして坐り、女たちもどことなくかしこまって、互いにてれたように眼くばせをしたり、肱《ひじ》で小突きあったりしながら坐った。
「まず礼をいおう」と彼は辞儀をした、「縁もゆかりもない、紛れこんだ猫のような私を、長いことみんなでよく面倒をみてくれた、うれしかった、有難う」
 女たちは当惑したように、ぎごちなくお辞儀をした。房之助はふところから袱紗包《ふくさづつみ》を出し、中にあった紙に包んだものを取って、お新の前へさしだした。
「これは些少《さしょう》だが、礼ではない、――あとでみんなに、これで祝ってもらいたいんだ、些少で恥ずかしいが、取っておいてくれ」
「じゃあ」とみどり[#「みどり」に傍点]がいった、「やっぱり御勘当が解けて、お屋敷へお帰りになったんですね」
「うん」彼は微笑した、「勘当もゆるされたし、万事うまくゆくようだ」
「まあ」とおせき[#「せき」に傍点]が息をひいていった、「まあ、よかった、ほんとなんですね、若旦那」
 吉野は菊次を見た。そして、みんながお新のほうを振返った。
「本当だ」と彼はうなずいた、「じつをいうと私はもう九分どおり諦《あきら》めていたんだ、なにしろ頑固なことでは一族でもぬきんでたおやじなんだから、いっそ、もう寺子屋でも始めようかと思ったくらいなんだ、ところが、――このあいだ叔父の屋敷で祝宴があるといったろう、お新」と彼はお新をかえり見た、「なんの祝宴だか知らなかったんだが、それが驚いたことに、この私の勘当が解かれる祝いだったんだよ」
 女たちは「まあ」といった。お新はごくっと唾をのんだ。
「おまけに、――おまけというのもへんだが」と彼はにこっと微笑した、「そこには許婚《いいなずけ》の娘がいて、勘当の解けた祝いといっしょに、内祝言の盃《さかずき》もしたんだ」
 そのときさっと、なにかが空をはしったように、みんな口をあけて、ぽかんと房之助の顔を見た。
「そうなんだ」と彼は明朗にいった、「二年まえからの許婚で、年は、――十七だったかな、勘当だのなんだので、暫く会わなかったが、ほんの半年ばかりだったろうがね、暫くぶりで会ってみると、すっかり娘らしくなって、私の前へ来ても、おめでとうございますといえないんだ、こっちもさすがにてれたよ」
「若旦那」とみどり[#「みどり」に傍点]がどもりながらいった、「それで、そのお嬢さんはどうするんですか」
「どうするって」
「いま許婚だって仰《おっ》しゃったでしょ」とみどり[#「みどり」に傍点]はたたみかけた、「二年まえからの許婚でそのとき内祝言もしたとすると、いったいどういうことになるんですか」
 房之助は戸惑ったような眼で、女たちの顔を順に眺め、お新の顔を見た。お新はまっ蒼になり、うつむいてふるえていた。
「どうするって」と彼は口ごもった、「それは勘当が解けたし、内祝言をした以上は」
「その人と御夫婦になるんですか」とみどり[#「みどり」に傍点]が遮った、「勘当もゆるされたし、その人とも御夫婦になるので、それであたしたちに祝ってくれって仰しゃるんですか」
「みどり[#「みどり」に傍点]さん」と菊次がいった。
「あんた」とみどり[#「みどり」に傍点]は叫んだ、「あんたは、おまえさんは、それでも人間かい」
「みどり[#「みどり」に傍点]さんたら」と菊次が立ちあがった、「およしなさい、なにをいうの」
 みどり[#「みどり」に傍点]も立ちあがり、「あたし云うわ、云うわよ、云ってやるわ」と叫んだ。菊次はみどり[#「みどり」に傍点]を抱きとめた。吉野もおせき[#「せき」に傍点]も立った。
 お新は菊次に「お願いよ」といった。「済みません、みんな向うへいって下さいな、あとで話すからちょっと向うへいっていて下さいな」とお新はいった。
 みどり[#「みどり」に傍点]はなお叫びたてたが、怒りのために、当人でもなにをいっているかわからなかったに違いない。おせき[#「せき」に傍点]が彼女をなだめ、吉野と菊次とが左右から押えつけるようにして、ようやく部屋から伴れだしていった。
「おどろいたな」と房之助がいった、「どうしたんだ、みどり[#「みどり」に傍点]はなにを怒ってるんだ」
 お新は唇で笑い、「なにか、いやなことでもあったんでしょ、気にしないで下さいな」とほそい声でいった。房之助はふところ紙を出して、額を拭きながら、ふとお新を見た。
「まさか――」と彼はいった、「あれを本気にしていたんじゃないだろうな」
 お新は眼を伏せた。
「私とお新がいっしょになるっていう、あの話を」と彼はまじめにいった、「――あれをまさか、本気にしていたんじゃあないだろうな」
「ええ、まさかねえ」とお新は笑った、「いくらなんだって、そんなことはないでしょ」
「それにしては」といいかけて、彼は首を振りながら笑った、「――まあいい、私にはああいう子のいうことはわからない、もし、私に悪いところがあったら、あとでお新からあやまっておいてくれ」
「大丈夫よ」とお新はいった、「そんな心配はいりません、あの人どうかしているんですよ」
「それならいいがね」と彼はもじもじしながらいった、「どうも、妙なぐあいになってしまって、――私はもう帰らなくちゃならないんだが、叔父の家に用があるんで」
「どうぞ」とお新がいった、「せっかくいらしったのに、済みませんでした」
 房之助は救われたように、刀を取って立ちあがり、「済まないことなんかないさ」と明るい顔でいった、「私はなんとも思やしない、ただ気持よく別れたかっただけだ」
「ええわかってます」とお新も立ちあがった、「なんでもないんですから、お気を悪くなさらないで下さいな」
「ああ、いいとも、それじゃあ、帰るからね」と房之助はいって、刀を腰に差した。
 お新が彼を送って出る途中、菊次の部屋でみどり[#「みどり」に傍点]が(まだ)喚いていた。房之助はお新に「やっているね」というふうに笑いかけ、そして下へおりた。――戸口を出た彼は、表に※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28]してある花を見、それが別れの挨拶であるかのように、「これはなんという花だ」と訊いた。
「卯の花よ」とお新が答えた、「卯の花っていうんです」
「この花は知ってたんだね」
 房之助は笑って、そのまま静かに去っていった。お新は「ええ」と口の中で呟《つぶや》いた、「この花の名は知ってましたわ」そして、遠ざかってゆく彼のうしろ姿を、乾いた、ぼうっとした眼で見送った。
「畜生」と奥でみどり[#「みどり」に傍点]の叫ぶのが聞えた、「あの人でなし、殺してやる、放して、放して」



底本:「山本周五郎全集第二十六巻 釣忍・ほたる放生」新潮社
   1982(昭和57)年4月25日 発行
底本の親本:「週刊朝日別冊」
   1956(昭和31)年2月
初出:「週刊朝日別冊」
   1956(昭和31)年2月
入力:特定非営利活動法人はるかぜ

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山本周五郎
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