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法師川八景
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法師川八景
山本周五郎
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)肚《はら》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)鬼|覗《のぞ》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#6字下げ]
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[#6字下げ]一[#「一」は中見出し]
――法師峡は城下の北、二里三十二町にある。
つぢ[#「つぢ」に傍点]は豊四郎の顔を見ていた。
久野豊四郎の顔には、決意と当惑の色とが、交互に、あらわれたり消えたりした。よし、肚《はら》をきめよう、という表情と、困ったことになった、どうしよう、という当惑の色とが、木漏れ日の斑点が明滅するように、不安定にあらわれたり消えたりした。つぢ[#「つぢ」に傍点]はおちついた静かな眼で、それを見まもりながら、待っていた。うちあけるまでの不安やおそれはもうなかったし、豊四郎がどう答えるかも、殆んどわかっていた。
――城下の北口から、御領ざかいの地蔵嶽に向って延びる野道が、笈川村を左折すると、まもなく勾配《こうばい》のゆるい坂にかかる。
やがて豊四郎が云った、「それにまちがいないことなんだね」
つぢ[#「つぢ」に傍点]は頷《うなず》いた。
「思い違いではなく、はっきりしているんだね」
「ええ、はっきりしております」
「それならもう問題はない」と豊四郎は微笑した、「こころ祝いに酒をもらってもいいだろうね」
つぢ[#「つぢ」に傍点]は「どうぞ」と答えた。豊四郎の微笑は人をひきつける。きれいな澄んだ眼にあたたかさが湛えられ、眼尻が少しさがる。そして、ふしぎなほど純潔な感じのする赤くて薄い唇を、ひき緊めて上へもちあげるのだが、その眼と唇のあらわす魅力は際立っていた。
つぢ[#「つぢ」に傍点]は「どうぞ」と答えながら、その眼に頬笑み返した。すると彼は衝動的に伸びあがり、つぢ[#「つぢ」に傍点]の肩へ腕をまわしてひきよせ、暴あらしく唇を吸った。非常にすばやい動作だったし、その腕には力がこもっていたので、つぢ[#「つぢ」に傍点]は避けることができなかった。
――あのときもこうだった。
いつもこうなのだ。そう思いながらつぢ[#「つぢ」に傍点]は眼をつむった。しかし、彼が次の動作に移ろうとすると、激しくかぶりを振って、「いけません」と拒み、両手で彼を押しのけた。豊四郎はうらめしそうにつぢ[#「つぢ」に傍点]を見た。
「どうして、どうしていけないんだ」
つぢ[#「つぢ」に傍点]は手を鳴らしながら云った、「お酒の支度をさせますわ」
「どうしていけないんだ」
「おわかりになる筈です」とつぢ[#「つぢ」に傍点]が云った。
豊四郎はしょんぼりと坐り、つぢ[#「つぢ」に傍点]は立っていって障子をあけた。その座敷は谷に面していて、狭い庭の向うに、法師川の対岸の断崖《きりぎし》が、眼近に迫って見える。深い谷間には谿流《けいりゅう》の音があふれている、断崖のところ斑《まだら》に生えている小松や灌木《かんぼく》の茂みが、まるでその水音に煽《あお》られるかのように、さわさわと絶えまなしに揺れていた。
――坂道にかかって十五町あまり登ると王子ノ滝があり、道はそこから二た曲りにして、法師川に沿った断崖の上に出る。
うしろで豊四郎が女中に酒肴《しゅこう》の支度を命じていた。つぢ[#「つぢ」に傍点]は向うの断崖の中腹にある、小松の茂みに眼をとめ、去年のあのときは、そこに桜の若木があって、まばらに白い花を咲かせていたことを思いだした。谷間の風が荒いためだろう、その若木は上へ伸びることができず、横へ枝をひろげており、その枝にぱらぱらと、数えるほど僅かな花をつけていた。初めて豊四郎とそうなったあとのことだ。この座敷には屏風《びょうぶ》がまわしてあり、彼はその屏風の中で眠っていた。つぢ[#「つぢ」に傍点]はそこをぬけだして来て、障子をそっとあけ、汗ばんだ熱い肌に風をいれながら、ぼんやりと対岸を眺め、そうして、その小松の茂みの中に、若木の桜の咲いているのをみつけたのであった。
「なにを見ている」
うしろから豊四郎がつぢ[#「つぢ」に傍点]を抱いた。両手でつかの肩を抱き、頬ずりをした。つぢ[#「つぢ」に傍点]は頬ずりにこたえながら、向うを指さした。
「あの断崖の大きく裂けているところに、小松がひとかたまり茂っていますわね」
豊四郎は「どこに」と云いながら、片手をつぢ[#「つぢ」に傍点]の胸へすべらせた。つぢ[#「つぢ」に傍点]はその手を除《よ》けようとしたが、豊四郎は左手でそれをきつく押え、右手で胸のふくらみを包んだ。
「あの小松がどうかしたのか」
「去年あの小松の中に、桜が咲いていたんですの、まだほんの若木で、花もまばらにしか付いていませんでしたけれど」つぢ[#「つぢ」に傍点]は身をもがいた、「いけませんわ」
「ではその桜は初咲きだったんだな」
「どうぞおやめになって」
「その桜がいまはないというのか」彼はつよく頬ずりをし、指をこまかく動かした、「去年はじめて咲いて、今年はもう枯れたか、人に抜かれたかしたんだな」
「あんな断崖にあるのを抜きにおりる者があるでしょうか」つぢ[#「つぢ」に傍点]は自分の胸にある彼の手を押えた、「そんなふうになすってはいや、痛うございますからおやめになって」
「どうして、痛い筈はないじゃないか」
「からだのせいでしょうか、痛いんですのよ」
「ああそうか」と彼は手を平らにした、「それは気がつかなかった、ごめんよ、でもこうしているだけならいいだろう」
「もう坐りましょう、女中がまいりますわ」
「まだ大丈夫だ」彼はつぢ[#「つぢ」に傍点]の躯《からだ》をやわらかく左右に揺った、「――そのときつぢ[#「つぢ」に傍点]は、独りでその桜を眺めていたのか」
「あなたは眠っていらっしゃいましたわ」
豊四郎はつぢ[#「つぢ」に傍点]をやさしく抱き緊め、そのときのことを回想するように、やや暫く黙っていた。
――道が断崖へ出た処から、奥の地蔵堂までのあいだ二十五町を法師峡といい、御領内随一の奇勝である。両岸は相接してそそり立ち、低いところで七十尺に余り、高きは百尺を越える。
豊四郎が溜息《ためいき》をついて云った。
「ここへ来たのはこれで五たびめだね」
つぢ[#「つぢ」に傍点]はゆっくりと頷いた。
「初めて来たのが三月、次が六月」
「五月でございましたわ」
「その次が十月、十月から暫く折がなくて、今年の正月、そしてこんどだ、つぢ[#「つぢ」に傍点]はよく私のたのみをきいてくれたね」
「でももうそれも終りですわね」
「うん終りだ」と彼は云った、「人眼を忍んで逢うのも楽しかったが、今日でそれもおしまいにしよう、私は母にそう云うよ」
つぢ[#「つぢ」に傍点]は黙って頷いた。
「母はうすうす勘づいているらしい、父だってむずかしいことは云わないと思う、だが、つぢ[#「つぢ」に傍点]のほうはいいのか、佐藤のことで面倒が起こるんじゃないのか」
「それは一年まえに申上げましたわ」
「しかしまだ断わってはいないのだろう」
「わたくしの事はわたくしが致します」と云ってつぢ[#「つぢ」に傍点]は声をひそめた、「女中が来たようですわ」
豊四郎はつぢ[#「つぢ」に傍点]からはなれた。
酒肴をはこんで来た女中たちは、二人の前に膳《ぜん》を直すと、茶道具を片づけて去った。膳の上の物は鳥の煎煮《いりに》と、小鮎《こあゆ》の煮浸しを除いて、皿も鉢も昆布、わかめ、山路、芽うど、自然薯《じねんじょ》、茸《きのこ》、豆腐、湯葉、牛蒡《ごぼう》、栗などを、蒸したり、胡麻《ごま》で和えたり、焼いたり煮たりしたもので、腕も一が白豆腐、二が梅干に木芽というぐあいだった。
――右岸は嶮《けわ》しい山つづきで道もないが、左岸には、鬼|覗《のぞ》き、七曲り、猿渡し、美代ヶ淵などの勝景があり、地蔵ノ湯には料亭を兼ねた湯治宿が五軒ある。「観峡楼」はその一で、光樹院さま御代よりしばしば藩侯のお渡りがあり、精進料理を自慢にしている。
豊四郎はつぢ[#「つぢ」に傍点]より酒が弱く、たちまち酔ってしまい、すると、いつもの癖であまえだした。「ちょっと向うへゆこう。ちょっとだ」
つぢ[#「つぢ」に傍点]はかぶりを振った。
「たのむよ」と彼はしめっぽい声で云った、「ここで逢うのはこれっきりだからね、はなしがきまれば二人は看視されるし、式をあげるまでは逢えなくなるよ」
つぢ[#「つぢ」に傍点]はまた静かに首を振った。
「逢えなくなってもつぢ[#「つぢ」に傍点]は平気なのか」
「ほんの暫くの辛抱ですわ」
「私はだめだ、私は淋しくってがまんできそうもないよ」
「十月のあとは六十日もあいだがございましたわ」
「それとこれとは違うよ、いまはこうして逢っているんじゃないか、こうしてつぢ[#「つぢ」に傍点]を見ていて、これから逢えなくなるというのに、このままで別れるなんてひどいよ、ねえ」と彼はすり寄ってつぢ[#「つぢ」に傍点]の手をつかんだ、「長くとはいわない、ほんのちょっとでいいから向うへゆこう、ちょっとでいいんだ、たのむよ」
つぢ[#「つぢ」に傍点]は、躯が萎《な》えるように感じた。つかまれた手から痺《しび》れるような感覚が伝わってゆき、それが躯ぜんたいにひろがったうえ、芯《しん》のところで熱く凝固するように思えた。つぢ[#「つぢ」に傍点]は眼をつむり、豊四郎はすばやく立って、彼女をかかえ起こした。
――この家は名物は初茸《はつたけ》、しめじ、手作りの白豆腐、湯葉、芽うど、若鮎の煮浸しなどであるが、「松ノ間」からの眺めは、これらの珍味にもまして、絶景というにふさわしい。谷間から湧《わき》上って来る谿流《けいりゅう》の音がつぢ[#「つぢ」に傍点]の耳には、雨でも降っているかのように聞えた。
「どうしたんだ」と彼が囁《ささや》いた、「ねえ、なんでもないのか」
つぢ[#「つぢ」に傍点]は答えなかった。
「まるで冴《さ》えているようじゃないか、つぢ[#「つぢ」に傍点]、こっちまで冴えてしまうよ、平気なのか」
「水の音が雨のように聞えますわ」
「あのことを気にしているんだな、それでいけないんだ、忘れてしまわなくちゃだめだよ、これがこうして逢う最後じゃないか――さあ」
[#6字下げ]二[#「二」は中見出し]
――伊田勘右衛門は書院番の頭《かしら》、家禄《かろく》八百七十石、給人|扶持《ぶち》七十五石。妻ちよ[#「ちよ」に傍点]」に傍点]のほか、長男良一郎、その姉つぢ[#「つぢ」に傍点]の二子あり。屋敷は烏御門外の辻の西側にある。
観峡楼で豊四郎と別れたつぢ[#「つぢ」に傍点]は、いちど笈川村の万兵衛の家へ寄り、それから城下の屋敷へ帰った。そうして、中二日おいて、久野豊四郎の急死したことを知った。
明日は谷菅斎の稽古日で、題詠五首の宿題があった。菅斎は藩の和学の師範であり、西畑町に家塾をひらいていた。つぢ[#「つぢ」に傍点]は門中でも成績がよく、初級の者には代稽古をするくらいであるが、歌を詠むことは不得手で、そのときも宿題の五首に手をやいていた。すると午後の三時ころ、厩《うまや》のほうで馬を入れる物音がし、弟の良一郎の声が聞えた。――彼は十五歳になるが、去年の春から馬術の稽古を始め、ようやく面白くなったのだろう、今年になってからは稽古のあとでも、ひどく降りさえしなければ、毎日桜の馬場へでかけて、飽きずに馬を乗りまわすのであった。
良一郎は話しながらこっちへ来た。相手は家士の国利大作らしい、良一郎の声はせかせかして高く、言葉つきも昂奮《こうふん》していた。
「速駆けをしていたんだ、いっぱいに速駆けをしていて、急に手綱をしぼったんだ、どうしてあんなことをしたかわからない、私はこっちから見ていたんだけれど、まるでなにか眼の前へとびだしたように、いきなりぐっと、うしろへ反りながら手綱をしぼった、こんなふうにだ」彼は身ぶりをしたらしい、「――馬銜《はみ》が舌を断ち切ったかと思うくらいだった、それで、馬は棒立ちに三度はね、三度めに久野さんは放《ほう》りだされた、そこへ岡野さんの馬が突っかけたんだよ」
「馬は決して人を踏まない筈ですがね」
「前|肢《あし》と後肢で二度踏みつけたんだ、私は見ていたんだ、頭と胸をね、岡野さんは手綱をしぼったけれど、近すぎてどうにもならなかったらしい、頭もひどくやられたし、胸は肋骨《ろっこつ》を二本踏み砕かれたそうだよ」
つぢ[#「つぢ」に傍点]は筆を置いて立ち、窓の障子をあけた。そこは裏庭で、すぐ向うに竹藪《たけやぶ》があり、まだ黄ばんでいる竹藪の中に、咲き残った山椿《やまつばき》の花が点々と赤く見えた。障子をあけたとき、つぢ[#「つぢ」に傍点]の眼にはいったのはその椿の花で、「ああ、まだ花が残っているのだな」とつぢ[#「つぢ」に傍点]は思った。厩は竹藪のうしろにあるが、良一郎と国利大作は、藪の脇の井戸端で話していた。
窓があいたのに気づいて、良一郎が振返り、姉の顔を見るとすぐに、鞭《むち》を持ったまま走って来た。
「お姉さま、馬場で大変なことがあったんですよ」と彼はまだ荒い息をしながら云った、「久野さんが手綱さばきを誤って落馬して」
つぢ[#「つぢ」に傍点]は静かに遮《さえぎ》った、「もう少しゆっくり仰しゃいな、久野さんとはどの久野さんですか」
「御一門の久野さんです、久野の豊四郎さんですよ」
つぢ[#「つぢ」に傍点]の胸にぎゅっと拳《こぶし》ほどのかたまりができ、それが喉へつきあげてきて、呼吸が止るように感じられた。
「おけが[#「けが」に傍点]は、――」とつぢ[#「つぢ」に傍点]は吃った、「ひどいおけが[#「けが」に傍点]をなすったんですか」
「ひどいどころですか、落馬したところをあとから来た馬に踏まれたんです、頭と胸と、すぐに医者を呼んだんですけれど、医者にも手がつけられなかったそうですよ」
「あなた側で見ていらしったの」
「医者が来てからのことは人に聞いたんです、戸板で家へはこんでゆきましたよ」
つぢ[#「つぢ」に傍点]は障子を閉めた。障子を閉めると、机の前へ戻る力もないように、そのまま窓際に坐った。
――伊田家の庭には古い紅梅が二株ある。池の畔《ほとり》にあるほうが親で樹齢三百年といわれ、勘右衛門の居間の外にあるほうはその子だと伝えられるが、これも樹齢は二百年あまりといわれる。
つぢ[#「つぢ」に傍点]はこみあげてくる吐きけを抑えるために、片手を畳について前屈みになった。呼吸は浅く、早く、とぎれがちになり、全身がふるふるとふるえた。春の午後の日光が、斜めにさすので、窓の障子が眩《まばゆ》いほど明るく、俯向《うつむ》いたつぢ[#「つぢ」に傍点]の血のけを失った横顔が、蒼白《あおじろ》くそうけ立ってみえた。――だが、心をきめるまでにさして刻《とき》はかからなかった。ほどなくつぢ[#「つぢ」に傍点]は立ちあがり、足音を忍ばせて中廊下を納戸へはいると、しっかりした手つきで着替えをした。居間へ戻って髪へ手をやり、それから弟の部屋をぬけて裏庭へ出た。
辻の裏道を烏御門とは反対のほうへゆき、蔵人町から大手筋へ出て、またその裏道をお城のほうへいそいだ。宮町、馬場外、そこを右へ折れると大手二番町で、久野家の屋敷はその角地を占めており、表門は閉っていた。まだそんな時刻ではないので、ぴったりと閉めてある門扉は、そのまま凶事のあったことを示しているように思えた。
つぢ[#「つぢ」に傍点]は門の番士に名を告げ、くぐり門を通って内玄関へいった。すぐ脇の供侍《ともざむらい》に、来客の供とみえる者が五六人おり、つぢ[#「つぢ」に傍点]が一人で来たのを訝《いぶか》るように見た。つぢ[#「つぢ」に傍点]は案内を乞い、夫人に会いたいと云って自分の名を告げた。すると、若い家士に代って、老女が出て来、丁寧ではあるが冷やかな態度で、「どういう用であろうか」と訊《き》いた。
「おめにかからなければ申上げられません」とつぢ[#「つぢ」に傍点]は答えた、「また、ぜひともおめにかからなければならないのです」
老女はさがってゆき、戻って来ると「どうぞ」と云った。通された客間は夫人専用であろう、襖《ふすま》の模様も華やかな色の千草で、床間には南画ふうの山水を掛け、水盤に松と山桜が活けてあった。縁側のほうは障子があけてあり、泉池を囲んで樹立の多い庭の一部が、傾いた陽をあびて明るく見えていた。
久野夫人がはいって来たとき、つぢ[#「つぢ」に傍点]は床間を見まもっていた。水盤に活けてある松と山桜とが、三日まえのことを思いださせたのである。久野夫人がそこへ坐るまで、憑《つ》かれたような眼で床間をみつめていたつぢ[#「つぢ」に傍点]は、夫人の坐るけはいで気がつき、赤くなりながら座をすべった。――久野きや[#「きや」に傍点]女は、侍女に茶を持たせて来、侍女はすぐに去らせて、自分でつぢ[#「つぢ」に傍点]に茶をすすめた。つぢ[#「つぢ」に傍点]は茶には手を出さず、夫人の眼をみつめながら、豊四郎の奇禍にみまいを述べ、容態を訊いた。
夫人は「死にました」と答えた。
つぢ[#「つぢ」に傍点]はしっかりしていた。硬ばって、白く粉をふいたようにそうけ立った顔は、殆んど生きている人間のようにはみえなかったし、大きくみひらかれた眼は、まるで二つの暗い空洞のようであったが、それでも彼女はしっかりしていた。
つぢ[#「つぢ」に傍点]は静かに云った、「香をあげさせて頂けますでしょうか」
「まだその支度がしてありませんから」と云って、夫人は不審そうに訊いた、「失礼ですが、豊四郎となにか御縁があるのですか」
つぢ[#「つぢ」に傍点]の眼にとりすがるような色があらわれた、「あの方からお聞きになりませんでしたでしょうか」
夫人は黙ってゆっくりとかぶりを振った。
「つい三日まえ、――」とつぢ[#「つぢ」に傍点]は云った、「あの方はお母さまに話すと仰《おっ》しゃっていました」。
夫人は黙ってつぢ[#「つぢ」に傍点]を見ていた。吟味するようにではなく、珍しい物でも見るような眼つきであった。
「あの方は、豊四郎さまは、申上げた筈です」つぢ[#「つぢ」に傍点]はけんめいな口ぶりで云った、「まえからお母さまに話すと仰しゃっていましたし、こんどはお話し申さなければならないわけがあったのですから」
「わたくしはなにも聞いていませんけれど、そのわけというのはどういうことでしょうか」
つぢ[#「つぢ」に傍点]は唇をふるわせた。舌がつるようで、すぐには言葉が出なかった。しかしつぢ[#「つぢ」に傍点]は勇気をふるい起こした。自分の一生が左右される瞬間だと思い、少しも恥ずる必要はないと信じていたから、――さすがに顔はあげられなかったし、声も高くはなかったが、つぢ[#「つぢ」に傍点]は紛れのない調子で、「自分が豊四郎の子を身ごもって、いま三月になる」と云った。夫人はかなり長いこと黙っていて、それから、念を押すように訊き返した。
「それは本当のことですか」
つぢ[#「つぢ」に傍点]は「はい」と頷いた。
「わたくしにはとても、本当だとは思えませんね」と夫人が云った、「――あなたがお一人ここへみえ、御自分のお口からそう仰しゃる勇気には感心いたしますけれど、わたくしにはとうてい本当だとは信じられません」
「ええ、豊四郎さまから聞いていらっしゃらないとすれば、お信じになれないのが道理かもしれません、でも本当なのですから信じて頂かなければなりませんわ」
「ただ信じろと云われても困ります。なにか証拠になるような物でもお持ちですか」
「あの方に愛して頂いたということのほかには、なにもございません」
「それではただあなたのお言葉だけで、その子が豊四郎の胤《たね》だと、信じなければならないのですね」
つぢ[#「つぢ」に傍点]は「はい」と頷いた。
「あなたの御両親は知っておいでですか」
「いいえ」
「ではほかに誰か、豊四郎とあなたのことを知っている方がいますか」
つぢ[#「つぢ」に傍点]は「いいえ」とかぶりを振った。夫人はつぢ[#「つぢ」に傍点]を見まもっていたが、やがて、どこでどうして豊四郎と知りあったのか、と訊いた。
「御側小姓《おそばこしょう》の佐藤又兵衛という者を御存じでしょうか」とつぢ[#「つぢ」に傍点]が反問した。
「外三番町の佐藤どのなら、豊四郎のお友達だそうで、両三度ここへもみえた筈です」
「わたくしの母の縁辺に当りますので、小さいときからゆき来をしておりましたが、あの方とも佐藤でおめにかかったのが初めでございます」
「それで、――その佐藤どのでも、あなた方のことを知らないのですか」
つぢ[#「つぢ」に傍点]は「はい」と云った。
[#6字下げ]三[#「三」は中見出し]
「おかしゅうございますね、豊四郎とは友達、あなたとは御|親戚《しんせき》に当るというのに、それほど深くなっている仲を知らせないとは、――なにかわけでもあるのですか」
つぢ[#「つぢ」に傍点]は眼を伏せて「はい」と低く頷いた。
「聞かせて下さいますか」
つぢ[#「つぢ」に傍点]ふなは少し考えていて云った、「いいえ、それは申上げられません」
夫人は溜息をついた。
「むりですね、いかにもむりです」と夫人は首を振りながら云った、「わたくしはあなたを存じあげないし、死んでしまった豊四郎に実否を糺《ただ》すこともできず、証人も、証拠になる物もなしでは、どうしようもないと思います」
つぢ[#「つぢ」に傍点]は眼を伏せたままで、顔をまっすぐにあげた。眼は伏せているが、その顔には恥じているようすもなく、もちろん臆した色もみえなかった。
「むだでしょうけれどいちおう主人に話してみますから、ちょっとお待ちになっていて下さい」
そう云って、久野夫人は立ちあがった。
――久野は先代の掃部源之《かもんもとゆき》から永代御一門にあげられている。家禄は千二百石。家臣から一門にあげられたのは久野だけで、それは掃部の父の修理亮《しゅりのすけ》が、先代の主君美濃守則発のため、二十八歳で諫死《かんし》した功によるものである。一門に列したから、仕置の席には就けないが、当代の摂津|源継《もとつぐ》はにらみのきく人物で、藩侯さえ一目おくと評されている。妻きや[#「きや」に傍点]とのあいだに、豊四郎、秀之丞の二子があり、秀之丞は十九歳になっている。
つぢ[#「つぢ」に傍点]はしっかりと自分を支えていた。正坐した肩も胸も張っており、蒼白く硬ばった顔には、なにかに挑みかかるような色があらわれていた。膝《ひざ》の上に重ねてある手は、絶えずおそってくる震えを抑えるために力をこめているので、指の爪尖《つまさき》が白くなっていた。――久野摂津が妻といっしょにはいって来、上座へ坐ってつぢ[#「つぢ」に傍点]を見た。彼は五十三歳であるが、髪も眉もつやつやと濃く、肥えた重おもしい躯に、血色のいい膚をしていた。
「いや、名のるには及ばない」
つぢ[#「つぢ」に傍点]が挨拶しようとすると、摂津は首を振ってそう云った、「話は妻から聞いた、豊四郎はしまりのないばか者で、これまでも幾たびか不始末があった、したがってそなたの云うことは事実かもしれぬ、たとえば事実だとして、そなたはどうせよというのか」
つぢ[#「つぢ」に傍点]は答えに困った。どうしてもらおうという気持があって来たのではない、そんなことは考えてもいなかったので、ちょっと言葉に詰ったが、摂津が「なにが望みだ」とたたみかけると、しっかりした声で云った。
「おなかの子が無事に生れましたら、豊四郎さまのお子として、引取って頂きたいと存じます」
「ばかなことを」と摂津が云った、「たとえそれが事実だったにせよ、親に隠れて密通するような者の子を、孫だなどと認めることができるか、そんなばかなことは考えるだけむだだ、ほかのことで望みがあったら聞こう」
つぢ[#「つぢ」に傍点]は頭を垂れた。
「金が入用であろう、金は入用なだけ申すがいい」
つぢ[#「つぢ」に傍点]は黙っていて、やがて顔をあげ、摂津の眼をみつめながら云った。
「いいえ、そのほかにお頼み申すことはございません」
「意地を張ると後悔するぞ」
「ほかに望みはございません」とつぢ[#「つぢ」に傍点]は云った、「ただひとこと申上げたいことがございます、――いま豊四郎さまのことを、しまりのないばか者と仰しゃいました」
「そのうえに臆病者だ」
「あの方はしまりのないばか者でもなし、臆病者でもございません、そうみえたとすれば、あの方の御性分をよく理解していらっしゃらなかっただけです」
「彼の性分がどうだというのだ」
「また、――」とつぢ[#「つぢ」に傍点]は構わずに続けた、「密通という言葉をお使いになりましたが、これもお返し申します、言葉ぐらいと仰せかもしれませんが、使いようによっては言葉だけで人を殺す場合もございます」つぢ[#「つぢ」に傍点]の声はふるえた、「――豊四郎さまとわたくしは密通などは致しません。決して、密通などというものではございませんでした、これだけははっきり申上げておきます」
そこでつぢ[#「つぢ」に傍点]は口をつぐみ、静かに辞儀をして、「これで失礼いたします」と云った。
摂津は黙って坐ってい、久野夫人が内玄関まで送って来た。夫人は低い声で、なにか自分にしてあげられることはないかと訊いた。つぢ[#「つぢ」に傍点]は声が出なかったので、そっとかぶりを振った。夫人は気遣わしそうな眼でみつめながら、これからどうするつもりかと云った。
「わかりません」とつぢ[#「つぢ」に傍点]が答えた。
「でもまさか、無分別なことをなさりはしないでしょうね」
「いまわかることは」とつぢ[#「つぢ」に傍点]が云った、「――このお子を無事に産み、丈夫な、いいお子に育てるということだけです」
そして、会釈をして外へ出ていった。
つぢ[#「つぢ」に傍点]はまだしっかりしていた。躯はぐんなりと力がぬけるように感じたが、気持はこれまでにないほどしっかりと、充実し緊張していた。陽はもう沈んだが、空には残照で明るい雲があり、それがつぢ[#「つぢ」に傍点]の緊張した顔へ、まるで生気をとり戻しでもしたような、赤い反映を投げかけた。
家ではつぢ[#「つぢ」に傍点]を捜していたようで、すぐ母に呼ばれ、「どこへいっていたのか」と訊かれた。つぢ[#「つぢ」に傍点]は無断で外出したことをあやまったが、どこへいったかは答えなかった。そうして夕餉《ゆうげ》が済み、父や弟が寝間へ去ってから、母に向って「自分が身ごもっている」ということをうちあけた。母親のちよ[#「ちよ」に傍点]」に傍点]は訊き返し、笑いだしそうな眼で娘の顔をみつめたが、娘が冗談を云っているのではないと気づくなり、「あ」と口をあけ、その口を手で押えながら立ちあがると、うろたえたようすでその部屋から出ていった。――父の寝間へゆくのであろう、つぢ[#「つぢ」に傍点]は呼びとめようとした。父に話すまえに母と相談したかったのであるが、良人《おっと》の癇癖《かんぺき》を極端におそれているちよ[#「ちよ」に傍点]は、娘の相談にのるより、まず良人の怒りを想像し、のぼせあがってしまったのである。
「いまに始まったことではない」とつぢ[#「つぢ」に傍点]は眼をつむって呟《つぶや》いた、「お母さまはいつもこうなのだ、お父さまの機嫌に障らないように、怒らせないようにと、絶えずはらはらしている、昼も夜も、お父さまを怒らせまいとするだけで精いっぱいなのだ」
「つぢ[#「つぢ」に傍点]さん、大丈夫、――」と眼をつむったままつぢ[#「つぢ」に傍点]は自分に問い、自分に答えた、「大丈夫よ、あたし母になるんですもの」
母が戻って来て、恐怖におそわれたような表情で、「お父さまがお呼びです」と云った。起きて居間にいるというので、つぢ[#「つぢ」に傍点]は立ちあがって廊下へ出たが、母はついて来ようとしなかった。
勘右衛門は火のない手焙《てあぶり》を脇に、白けた顔で坐っていた。彼は四十三歳になる、書院番頭という役を誇りにし、役目に失態がないようにと努めるほかには、微塵《みじん》も気持にゆとりのない人であった。
「仔細《しさい》を聞こう」と彼は静かに云った、「おちついて、よくわかるように話せ」
いきなり喚きだすと思ったので、つぢ[#「つぢ」に傍点]はちょっと戸惑いをした。勘右衛門はやはり静かに訊いた。
「身ごもったことはわかった、相手は誰だ」
つぢ[#「つぢ」に傍点]は答えなかった。
「相手の名を聞こう、誰だ」
「申せません」とつぢ[#「つぢ」に傍点]が云った。
「なぜ云えない、名も云えないような男か」
「その方が亡くなったからです」
勘右衛門の手が膝の上でふるえた。
「嘘ではないだろうな」
つぢ[#「つぢ」に傍点]は「はい」と頷いた。助右衛門は五拍子ほど黙っていて、やがてまた訊いた。
「おまえには佐藤又兵衛という許婚者《いいなずけ》がある、佐藤のほうはどうするのだ」
つぢ[#「つぢ」に傍点]は俯向いて、もしよければ自分からあやまる、と答えた。
「親はないも同然だな」と彼は云った、「親に隠れて男をつくり、許婚者への詫《わ》びも自分でする、おまえには親など有ってなきも同然らしい、――それもよかろう、だが、自分をどうする、自分の始末をどうするつもりだ」
つぢ[#「つぢ」に傍点]は答えなかった。そこで初めて、勘右衛門がどなりだした。
――伊田家の親子紅梅には、毎年どこよりも早く鶯《うぐいす》が来るといわれ、その季節には観梅を兼ねて鶯を聞きに来る客が多い。春のなかばになると、鶯は裏の竹藪に移り、そこに巣でもかけるのか、初夏のころまで鳴いているのであった。
勘右衛門は娘に短刀をつきつけて、「自害しろ」と喚いた。
「世間にも御先祖にも申し訳が立たぬ。おれは御役を辞して頭をまるめる、おまえも武士の娘なら生きてはいられまい」と彼はふるえながら叫んだ、「――これで自害しろ、おれが見届けてやるからここで自害しろ」
勘右衛門は自分の膝を打った。
「そんなみだらな者を生かしてはおけぬ、自害しなければおれが手にかけるぞ」
「自害は致しません」とつぢ[#「つぢ」に傍点]が云った、「わたくしはみだらなことをしたのではありません。その方との仲はしんじつだったのです、その方が亡くなりさえしなければ、しんじつだということがわかって頂けたのです」
「黙れ、そんなことは申し訳にならぬ、自害するかおれが手にかけるか、道は二つだ、おれが手にかけようか」
そこへ母が来た。襖《ふすま》の向うで聞いていたのだろう、泣きながらはいって来て、おろおろと二人のあいだに坐った。
[#6字下げ]四[#「四」は中見出し]
つぢ[#「つぢ」に傍点]は笈川村の万兵衛の家に預けられた。
そこは勘右衛門の乳母の里で、乳母のおたつ[#「たつ」に傍点]はもう亡くなっていたが、その孫に当る太助が伊田家で下男をしており、律義な当主の万兵衛は、伊田家を二代相恩の主人、と思っているようであった。――つぢ[#「つぢ」に傍点]も弟の良一郎も、幼いころからよく訪《たず》ねてゆき、山狩り、摘草、水泳ぎなどをして遊んだものだ。万兵衛はもう四十五歳になり、妻のおこと[#「こと」に傍点]は一つ年上で、太助、丈吉、おきみ[#「きみ」に傍点]、と三人の子がある。二十一になる太助は伊田家に奉公してい、十九になる丈吉と、十七歳のおきみ[#「きみ」に傍点]とが、親たちと共に一町歩あまりの田畠を耕していた。
つぢ[#「つぢ」に傍点]は亡くなった乳母の隠居所へはいった。それは別棟になった六帖と二帖の建物で、少し高くなっている敷地の、端のほうにあり、田圃《たんぼ》や雑木林の向うに、法師峡へゆく道と、法師川の流れが見えた。川は少し上のところで、東から流れて来る枝川と合流しており、法師川は北へのびて、地蔵嶽の谷間へと消えている。これらの景色は、隠居所の六帖に坐っていて眺めることができた。
家族の人たちはつぢ[#「つぢ」に傍点]に冷淡であった。
勘右衛門からも「構うな」ときびしく云われたようだが、親の許さない者の子を身ごもっている、ということで、律義な万兵衛はすっかり肚を立て、つぢ[#「つぢ」に傍点]のために自分で恥じていた。三度の食事と風呂のとき以外は、誰も隠居所へ近よろうとしないし、特に丈吉とおきみ[#「きみ」に傍点]とは口もきかなかった。――食事や風呂の世話はおこと[#「こと」に傍点]がしてくれるのだが、これも万兵衛に云い含められたとみえて、必要なことだけするとすぐに去り、こちらから話しかける隙も与えなかった。
つぢ[#「つぢ」に傍点]にはそのほうがよかった。なまじ同情されたり、諄《くど》くわけを訊かれたりするよりも、独りでそっとしておかれるほうがおちつくし、気持も紊《みだ》されずに済むからである、笈川村へ移って半月ほど経ったとき、つぢ[#「つぢ」に傍点]は「昌福寺までいって来たい」と万兵衛に告げた。万兵衛はいい顔をしなかったが、「お祖母さまの戒名をもらってくるのだ」と云うと、しぶしぶ承知をし、おこと[#「こと」に傍点]を供に付けてくれた。
昌福寺は浪江村にある菩提寺[#「ぼだいじ」に傍点]で、つぢ[#「つぢ」に傍点]は住職に会い、祖母の位牌《いはい》を作ってもらった。そして帰って来ると、半紙に豊四郎の俗名と年を書き、その位牌の裏に貼付《はりつ》けた。三尺のひらきを片づけ、おこと[#「こと」に傍点]の持って来てくれた、古い仏具を並べて位牌を安置すると、どうやら仏壇らしくなった。つぢ[#「つぢ」に傍点]はそれから朝と夕方には、欠かさず燈明と線香をあげ、四|半刻《はんとき》ほど経を読むのを日課にした。
「人に訊かれると嘘は云えませんから、あまり外へ出ないようにして下さい」
万兵衛にそう云われたが、おなかの子のためにも、動かずにいては悪いと思うし、つぢ[#「つぢ」に傍点]自身は少しも恥じる気持がないので、日に一度は歩きにでかけた。恥じる気持はなかった、つぢ[#「つぢ」に傍点]はいつも額をあげていたし、はっきりとものを云った。それで万兵衛はますます肚を立てるようだったが、つぢ[#「つぢ」に傍点]は少しもめげなかった。
七月になった或る日、――つぢ[#「つぢ」に傍点]が縫い物をしていると、縁先に静かに近よって来る者があった。見ると、それは佐藤又兵衛であった。
「十日ほどまえに江戸から帰りました」と又兵衛が云った、「ぐあいはどうです」
つぢ[#「つぢ」に傍点]はしっかりと彼を見あげた、「失礼ですけれど、あがって頂くわけにはまいりませんのよ」
「なに、此処で充分です」
又兵衛は濡縁に腰を掛けた。笠を脇に置き、手拭を出して汗を拭き、そうして向うの景色を眺めながら、「これはいいところだ」と呟いた。彼の役は側小姓で、一昨年の夏、藩主の供をして江戸へいった。それからまる二年経っているが、まるで昨日別れた人のように、姿にも態度にも、変ったところはみえなかった。
「ここなら城下にいるよりずっとましだ、からだのためにもいいでしょう」と彼は向うを見たままで云った、「――ずっと順調ですか」
「どうぞ、その話はなさらないで下さい」
「その話をしに来たんですよ」と彼は穏やかに云った、「五年まえから許婚者だったことはべつとして、幼な馴染というだけでもいい、おつう[#「つう」に傍点]さんはまえには、私のことをこんなときの相談相手と思っていたのではなかったかな」
つぢ[#「つぢ」に傍点]は縫い物を置いてうなだれた。
「じつを云うと、こんどのことについては、私も責任を感じているんです」
「あなたが、――」とつぢ[#「つぢ」に傍点]は眼をあげた。
又兵衛が云った、「相手は久野豊四郎、そうでしょう」
「お名前は申せません」
「そう云いとおしたそうですね、お父上には理解できなかったようだし、誰にもできることではないだろうが、私はいかにもおつう[#「つう」に傍点]さんらしいと思った、しかし」と彼は静かに振返った、「――あんなだらしのない甘ったれを、どうしておつう[#「つう」に傍点]さんが好きになったか、それが私にはわからない、いったいどうしたんです、どんなきっかけでそんなことになったんですか」
つぢ[#「つぢ」に傍点]はまたうなだれて、そのまえに訊くが、あなたはどうしてあの方だとわかったのか、と反問した。又兵衛は片手をあげて、その手をまた膝へおろしながら、「責任を感じるというのはそこなのだ」と云った。
「家でおつう[#「つう」に傍点]さんと会うたびに、彼の態度や言葉つきが違ってくる、おつう[#「つう」に傍点]さんのことを私に話す口ぶりまで、がまんのならぬほど甘ったるくなり、それを隠そうという神経さえなくなってきた、私はよほど出入りを断わろうと思ったのだが、おつう[#「つう」に傍点]さんの気性を知っていたから、そんな必要もあるまいと、放っておいたのです」
つぢ[#「つぢ」に傍点]はうなだれていた顔をあげ、向うの法師川のほうへ眼をやりながら、「あの方は可哀そうな方でした」と呟くように云った。
「あなたは黙って坐っていらっしゃるだけで、みんなに注目され、みんなを惹《ひ》きつける力をもっていらっしゃる」
又兵衛は「おう」と首を振り、つぢは静かに続けた、「けれどもあの方は違います、いっしょ懸命に座興をつとめたり、機嫌をとったりしなければ、誰にも認めてもらえませんし、認めてもらってもすぐに忘れられてしまいます、――わたくしは外三番町のお家で、それをずいぶんたびたび見ておりました、あの方が人の注意を集めるために、汗をかいて座興をつとめる姿も、せっかく注意を集めたのにすぐ忘れられて、しょんぼりと坐っている姿も、……お気の毒で、可哀そうで、だんだんとそのままに見すごすことができなくなったのです」
又兵衛はつぢの顔を見たが、なにも云わずつぢ[#「つぢ」に傍点]はなお続けた、「――あなたがずっと友達づきあいをなすっていたのも、おそらくわたくしと同じ気持だったでしょう。友達づきあいをなすっているあなたも、だらしのない甘ったれなどと仰しゃるし、あの方のお父さまでさえ、しまりのないばか者だと仰しゃいました」
「あの親は子の才分を知っていましたよ」
「わたくしは可哀そうで見ていられなくなりました」
「彼はそこへつけこんだのだ」と又兵衛が云った。
「いいえ違います、わたくしのほうであの方のお力になってあげたかったのです」とつぢ[#「つぢ」に傍点]は云い返した、「わたくしが側にいれば、あの方に自信をもたせてあげ、力も付けてあげられると思ったのです、それで」
又兵衛は手をあげた、「わかりました、もう結構です」
「誤ったとすればわたくし自身で、あの方にはなんの責任もございません、これだけは申上げておきます」
「なまいきなことを云いますね」と又兵衛が云った、「――しかしまあいい、その話はもう充分です」
そして彼は立ちあがり、裏のほうへ去っていった。裏の崖《がけ》に泉がある、そこで顔を洗ったのだろう、ほどなく、濡れ手拭で衿《えり》を拭きながら戻って来た。
「さてそこで、――」と彼はまた濡縁に腰をかけて云った、「これからの問題だが、このさきいったいどうするつもりです」
「はっきり申上げることはできませんけれど、お産が済みましたら、ここで寺子屋のようなことでもして、子供を育ててゆきたいと思います」
又兵衛は頷いた。それから、ふとつぢ[#「つぢ」に傍点]の顔をみつめながら、「当ててみようかな」と云った。
「おつうさんの気持の中には、もう彼の姿など残ってはいないでしょう」
つぢ[#「つぢ」に傍点]はあっけにとられたような眼で、又兵衛を見あげた。又兵衛は唇に微笑をうかべ、笠を取って立ちあがった。
「その返辞は聞くには及びません」と彼は云った、「今日はこれで帰ります」
つぢ[#「つぢ」に傍点]は慌てたように云った、「どうぞお願いですから、もうここへはおいでにならないで下さいまし」
「いや、ときどき来ますよ」
そう云って、又兵衛は会釈をし、もういちど景色を褒めてから、静かに去っていった。
――この土地は冬が早く、十月にはいると山に雪が積り、それが一日ごとに里のほうへのびて来て、十一月には見る限り白一色に掩《おお》われてしまう。そうして法師川の流れだけがあるときは紺青《こんじょう》に、あるときは黒く、また鋼《はがね》色にきらめきながら、決して凍ることなく、せせらぎの音をひびかせるのであった。
つぢ[#「つぢ」に傍点]は十一月の初めに男の子を産んだ。
予定より十日ほどおくれたが、初産《ういざん》にしては軽かったし、子供もよく肥えていて大きく、目方の重いのに産婆をおどろかせた。――おそらく又兵衛の好意であろう、七夜にはみごとな鯛《たい》と酒が届いたので、子供の枕もとに祝いの膳《ぜん》を据え、つぢ[#「つぢ」に傍点]が自分で「吉松《よしまつ》」と名を付けた。それは豊四郎の幼名であった。
[#6字下げ]五[#「五」は中見出し]
又兵衛は月に一度ぐらいの割で訊ねて来、いつも濡縁にかけたまま、半刻ほど話して帰った、断わっても相手にしないし、又兵衛が来はじめてから、万兵衛の態度も少しずつなごやかになるようすなので、しいて「来てくれるな」とも云わなかったが、十月に来たあと、年があけるまで姿をみせなかった。
実家からは毎月の仕送りをして来るだけで、母はもちろん、弟の良一郎も訪ねては来なかった。もちろん父に厳禁されているのだろうし、つぢ[#「つぢ」に傍点]も来てもらいたいとは思わなかったが、正月の七草が過ぎてから、久方ぶりに又兵衛があらわれ、いっしょに良一郎が来たのを見ると、口をきくより先に涙がこぼれた。――一年足らずのあいだに、驚くほど良一郎は背丈が伸び、顔つきもずっと大人びてみえた。
「今日は良さんがいっしょだから、上へあがらせてもらいますよ」と又兵衛が云った。
二人は雪沓《ゆきぐつ》をぬいであがり、炉端へ坐るまえに、寝かしてある子供を、覗きにいった。
「大きな若旦那だ、お手柄ですね」と又兵衛が手を伸ばしながら云った、「――ひとつ抱かせてもらいますかな」
「どうぞあとで」とつぢ[#「つぢ」に傍点]がいそいでとめた、「いま起こすとむずかって困りますから、どうぞ、――良さんもこちらへ来ておあたりなさいな」二人は炉端へ来て坐った。
「おみまいにも来なく申し訳ありません」と良一郎は手をついて辞儀をした、「――隠れて来ようと思ったんですけれど、お母さまがあんまり心配なさるものだから」
「わかっています、良さんの来られないことはよくわかっていましたよ、それよりもわたくしのことで、お友達などにいやなおもいをさせられはしませんでしたか」
「いいえ」と良一郎は首を振った。
「そんな話はやめだ」と又兵衛が遮った、「じつは今日はお別れに来たんですよ」
つぢ[#「つぢ」に傍点]はどきっとしたようであった。
「殿さまの参覲《さんきん》が繰りあがりましてね、二月はじめに出府ときまったんです、そうなると多忙で出られなくなりますからね、良さんをさそってやって来たわけです」
「王子八幡へ参詣《さんけい》すると云って来たんです」と良一郎が云った、「私もそうだと思ったものだから、浪江村をこっちへ曲ったときは吃驚《びっくり》してしまいました」
「そういうわけで長居はできないんです、若旦那を抱いたらすぐに帰りたいんだが」と云って、又兵衛は枕屏風のほうを伸びあがって見た、「まだ起きそうもありませんな」
つぢ[#「つぢ」に傍点]は二人から眼をそむけ、なにも御馳走ができないから餅でも焼きましょう、と云って立とうとしたが、そのときふと思いだして、「お七夜には結構なものを――」と又兵衛に礼を述べた。又兵衛は「いや」と云いかけたが、そのままあいまいに口を濁した。
つぢ[#「つぢ」に傍点]の焼く餅を、健啖《けんたん》に喰《た》べながら、又兵衛と良一郎は半刻あまり話していった。なにを話していたか、つぢ[#「つぢ」に傍点]は殆んど覚えていない。又兵衛が江戸へいってしまうこと、一年の余も会えなくなるということで胸がいっぱいになり、いくら気持を引立てようとしても、寒ざむとした心ぼそさから、どうしてもぬけ出ることができなかった。
「ではまた来年の夏、――」と雪沓をはいてから、又兵衛が云った、「坊やを抱けなかった事は残念だったと、よくそう云っておいて下さい」
つぢ[#「つぢ」に傍点]は「はい」と云って深くうなだれた。
「お母さんになってからやさしくなりましたね」と又兵衛が云った、「そのほうがおつう[#「つう」に傍点]さんに似あわしい、別れにはこのうえもない餞別《せんべつ》です、ではこれで」
つぢ[#「つぢ」に傍点]は黙って低頭した。良一郎の挨拶にも答えられなかった。喉《のど》が詰ったようになって声が出ず、涙がこぼれそうで、顔をあげることもできなかったのである。それから、六帖の端へ出てゆき、丘を下って遠ざかる二人を見送りながら、つぢ[#「つぢ」に傍点]は歯をくいしばって嗚咽《おえつ》した。
二月の下旬になって、江戸から又兵衛の手紙が来た。無事に着いたことと、こちらの消息を問うだけの、ごく短いものだったが、つぢ[#「つぢ」に傍点]には胸のときめくほど嬉しかった。幾たびも読み返したのち、じっとしていられなくなり、吉松を抱いて法師川まで歩きに出た。
法師川は雪解の水でふくらみ、水際にはびっしりと、みずみずしく芹《せり》が伸びていた。朝の陽を浴びた河原は暖たかく、猫柳はもう葉になっていた。つぢ[#「つぢ」に傍点]はあやされるような気分になり、少女のころを思いだしながら、吉松を河原に坐らせて、芹を摘み、蓬《よもぎ》を摘んだ。
――一刻ちかくも遊んだであろう。吉松がむずかり始め、眠る時刻だと気づいたので、つぢ[#「つぢ」に傍点]は芹と蓬を持って家へ帰った。
母屋へ寄って、摘んだ物をおこと[#「こと」に傍点]に渡すとおこと[#「こと」に傍点]が声をひそめて、「お客さまです」と囁いた。つぢ[#「つぢ」に傍点]はけげんそうな眼をし、おこと[#「こと」に傍点]はさらに「久野さまという方です」と告げた。つぢ[#「つぢ」に傍点]は反射的に吉松を抱き緊めた。
「うちの人がお相手に出ています。お待ちかねのようですからすぐいらしって下さい」
つぢ[#「つぢ」に傍点]の顔は蒼ざめたが、しっかりした歩きぶりで隠居所へゆき、濡縁の所で立停った。
六帖に久野摂津と夫人のきや[#「きや」に傍点]女がおり、万兵衛は二帖のほうにかしこまっていたが、つぢ[#「つぢ」に傍点]が来たのを見ると、すぐに立って出ていった。つぢ[#「つぢ」に傍点]は黙って立っていた。
「お留守に邪魔をしていました」と夫人が云った、「こちらへあがって下さい」「孫を見に来たのだ、それが吉松か」と摂津が云った。
孫という言葉が、つぢ[#「つぢ」に傍点]の胸を刺し貫くようにひびいた。その率直なひと言は、どんな弁明よりはっきりと、夫妻の気持をあらわしていたし、つぢ[#「つぢ」に傍点]の気負いを挫《くじ》けさせた。つぢ[#「つぢ」に傍点]が六帖へあがると、夫人がすぐに吉松へ手を出した。吉松はふしぎそうな顔をしたが、泣かずにおとなしく抱かれた。
「こっちへよこせ」と摂津が云った。
こらえ性もなくせきたて、奪うように抱き取ると、「これは重いこれは重い」と云いながら、乱暴に揺りあげ揺りあげし、吉松はびっくりして泣きだした。つぢ[#「つぢ」に傍点]は「もう眠る時刻なのです」と云い、自分のほうへ受取って、二人に会釈しながら乳を含ませた。
「今日は孫に会うかたがた、おまえを迎えに来た」と摂津が云った、「おれは先に帰るから、詳しいことはこれに聞いてくれ、おまえは久野の嫁だ、久野の嫁として恥ずかしくないことを、おまえは自分で証明した、――おれの口からはこれだけしか云えない、肚の立つこともあるだろうが、こっちにも仔細があったのだ、よくわけを聞いて、納得したら久野へ来てくれ、そのとき改めて謝罪をしよう」
そして「待っているぞ」と云うと、さっさと立って出ていった。夫人が「そのまま」という手まねをしたので、つぢ[#「つぢ」に傍点]は送りには立たなかった。
「つぢ[#「つぢ」に傍点]さん、堪忍して下さい、あのときはあのような挨拶しかできなかったのです」と夫人は静かに云いだした、「――いまだからうちあけますが、わたくしはあなたのことを聞いていました」
つぢ[#「つぢ」に傍点]は屹《きっ》と夫人を見た。
「あなたと法師峡へいって帰った晩に、初めてあれが話したのです、わたくしは主人に相談しましたが、主人はうけつけませんでした、――豊四郎のような人間にろくな女がみつかる筈はない、おそらく金でもめあてだろう」夫人はちょっと頭を垂れた、「――ごめんなさい、これは主人だけでなく、わたくしもそう思ったことなのです、ですからあなたがいらしったとき、お人柄があまりに違うので、主人にそう話したのです」
摂津も自分で会ってみて、つぢ[#「つぢ」に傍点]が想像したような女でないことを認めた。しかし、それだけで嫁と認めるわけにはいかなかった。生れて来る子が男なら、久野の跡継ぎになる。その子の母としての資格があるかないかは、慥《たし》かめてみなければならない。そう考えた結果、あのように無情なあしらいをしたのだ、と夫人は云った。
「人間が人間をためすなどとは、まことに卑しいふるまいですけれど、豊四郎があのような性分であり、あなたという方を少しも存じあげなかったのですから、やむを得なかったと思って堪忍して下さい」夫人はそこで頭を垂れ、両手の指で眼を押えた、「――あなたが家へいらしって、主人に言葉返しをなすった、豊四郎がしまりのないばか者でもなし、臆病者でもない、いまでも覚えています、あのときわたくしは嬉しくって、……それから、その仏壇にある位牌、俗名久野豊四郎と書いてあるのを見て、主人もわたくしも」
つぢ[#「つぢ」に傍点]はそっと立ちあがった。吉松が眠ったのである、納戸をあけて夜具を出し、枕屏風をまわして、子供を寐《ね》かしつけながら、つぢ[#「つぢ」に傍点]はじっと眼をつむった。
「わたくし共があなたのことを知ったのは、ある方のおかげです」と夫人は湿った声で続けた、「あなたに許婚者がいらしったことも、豊四郎とそういう仲になったお気持ち、御両親に責められながら、とうとう久野の名を出さなかったことも、そうして、こちらへ来てからの少しも悪びれない、凛《りん》としたお暮しぶりも、みんなその方からうかがいました」
つぢ[#「つぢ」に傍点]はぎゅっと、つむった眼に力をいれた、そうだ、とつぢ[#「つぢ」に傍点]は思った。
――この子が生れたことも、お七夜がいつだということもその人が知らせたのだ、あの祝いの鯛と酒は、その人の知らせで久野から届けて来たのだ。
つぢ[#「つぢ」に傍点]はそう気づいて、眼の裏にその人の顔を思い描いた。
「久野へ来て下さい、来てくれますね、つぢ[#「つぢ」に傍点]さん」と夫人がまた云った、「乳母も雇ってあります、久野へ来て、久野のむすめになって下さい、長くとは云いません、一年もいて下さればいい、――そのあとを云いましょうか」
つぢ[#「つぢ」に傍点]は「いいえ」と云った。自分に向って頬笑みかける人の顔が、見えるように思えたからだ。夫人は立っていって、三尺のひらきをあけ、燧石《ひうち》を打って燈明と線香をあげた。
「豊四郎は運の悪い生れつきだったけれど、あなたという方にめぐりあえて仕合せでした」と夫人が云った、「これからはあなたが仕合せになる番ですよ」
底本:「山本周五郎全集第二十七巻 将監さまの細みち・並木河岸」新潮社
1982(昭和57)年8月25日 発行
底本の親本:「オール読物」
1957(昭和32)年3月号
初出:「オール読物」
1957(昭和32)年3月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
山本周五郎
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)肚《はら》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)鬼|覗《のぞ》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#6字下げ]
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[#6字下げ]一[#「一」は中見出し]
――法師峡は城下の北、二里三十二町にある。
つぢ[#「つぢ」に傍点]は豊四郎の顔を見ていた。
久野豊四郎の顔には、決意と当惑の色とが、交互に、あらわれたり消えたりした。よし、肚《はら》をきめよう、という表情と、困ったことになった、どうしよう、という当惑の色とが、木漏れ日の斑点が明滅するように、不安定にあらわれたり消えたりした。つぢ[#「つぢ」に傍点]はおちついた静かな眼で、それを見まもりながら、待っていた。うちあけるまでの不安やおそれはもうなかったし、豊四郎がどう答えるかも、殆んどわかっていた。
――城下の北口から、御領ざかいの地蔵嶽に向って延びる野道が、笈川村を左折すると、まもなく勾配《こうばい》のゆるい坂にかかる。
やがて豊四郎が云った、「それにまちがいないことなんだね」
つぢ[#「つぢ」に傍点]は頷《うなず》いた。
「思い違いではなく、はっきりしているんだね」
「ええ、はっきりしております」
「それならもう問題はない」と豊四郎は微笑した、「こころ祝いに酒をもらってもいいだろうね」
つぢ[#「つぢ」に傍点]は「どうぞ」と答えた。豊四郎の微笑は人をひきつける。きれいな澄んだ眼にあたたかさが湛えられ、眼尻が少しさがる。そして、ふしぎなほど純潔な感じのする赤くて薄い唇を、ひき緊めて上へもちあげるのだが、その眼と唇のあらわす魅力は際立っていた。
つぢ[#「つぢ」に傍点]は「どうぞ」と答えながら、その眼に頬笑み返した。すると彼は衝動的に伸びあがり、つぢ[#「つぢ」に傍点]の肩へ腕をまわしてひきよせ、暴あらしく唇を吸った。非常にすばやい動作だったし、その腕には力がこもっていたので、つぢ[#「つぢ」に傍点]は避けることができなかった。
――あのときもこうだった。
いつもこうなのだ。そう思いながらつぢ[#「つぢ」に傍点]は眼をつむった。しかし、彼が次の動作に移ろうとすると、激しくかぶりを振って、「いけません」と拒み、両手で彼を押しのけた。豊四郎はうらめしそうにつぢ[#「つぢ」に傍点]を見た。
「どうして、どうしていけないんだ」
つぢ[#「つぢ」に傍点]は手を鳴らしながら云った、「お酒の支度をさせますわ」
「どうしていけないんだ」
「おわかりになる筈です」とつぢ[#「つぢ」に傍点]が云った。
豊四郎はしょんぼりと坐り、つぢ[#「つぢ」に傍点]は立っていって障子をあけた。その座敷は谷に面していて、狭い庭の向うに、法師川の対岸の断崖《きりぎし》が、眼近に迫って見える。深い谷間には谿流《けいりゅう》の音があふれている、断崖のところ斑《まだら》に生えている小松や灌木《かんぼく》の茂みが、まるでその水音に煽《あお》られるかのように、さわさわと絶えまなしに揺れていた。
――坂道にかかって十五町あまり登ると王子ノ滝があり、道はそこから二た曲りにして、法師川に沿った断崖の上に出る。
うしろで豊四郎が女中に酒肴《しゅこう》の支度を命じていた。つぢ[#「つぢ」に傍点]は向うの断崖の中腹にある、小松の茂みに眼をとめ、去年のあのときは、そこに桜の若木があって、まばらに白い花を咲かせていたことを思いだした。谷間の風が荒いためだろう、その若木は上へ伸びることができず、横へ枝をひろげており、その枝にぱらぱらと、数えるほど僅かな花をつけていた。初めて豊四郎とそうなったあとのことだ。この座敷には屏風《びょうぶ》がまわしてあり、彼はその屏風の中で眠っていた。つぢ[#「つぢ」に傍点]はそこをぬけだして来て、障子をそっとあけ、汗ばんだ熱い肌に風をいれながら、ぼんやりと対岸を眺め、そうして、その小松の茂みの中に、若木の桜の咲いているのをみつけたのであった。
「なにを見ている」
うしろから豊四郎がつぢ[#「つぢ」に傍点]を抱いた。両手でつかの肩を抱き、頬ずりをした。つぢ[#「つぢ」に傍点]は頬ずりにこたえながら、向うを指さした。
「あの断崖の大きく裂けているところに、小松がひとかたまり茂っていますわね」
豊四郎は「どこに」と云いながら、片手をつぢ[#「つぢ」に傍点]の胸へすべらせた。つぢ[#「つぢ」に傍点]はその手を除《よ》けようとしたが、豊四郎は左手でそれをきつく押え、右手で胸のふくらみを包んだ。
「あの小松がどうかしたのか」
「去年あの小松の中に、桜が咲いていたんですの、まだほんの若木で、花もまばらにしか付いていませんでしたけれど」つぢ[#「つぢ」に傍点]は身をもがいた、「いけませんわ」
「ではその桜は初咲きだったんだな」
「どうぞおやめになって」
「その桜がいまはないというのか」彼はつよく頬ずりをし、指をこまかく動かした、「去年はじめて咲いて、今年はもう枯れたか、人に抜かれたかしたんだな」
「あんな断崖にあるのを抜きにおりる者があるでしょうか」つぢ[#「つぢ」に傍点]は自分の胸にある彼の手を押えた、「そんなふうになすってはいや、痛うございますからおやめになって」
「どうして、痛い筈はないじゃないか」
「からだのせいでしょうか、痛いんですのよ」
「ああそうか」と彼は手を平らにした、「それは気がつかなかった、ごめんよ、でもこうしているだけならいいだろう」
「もう坐りましょう、女中がまいりますわ」
「まだ大丈夫だ」彼はつぢ[#「つぢ」に傍点]の躯《からだ》をやわらかく左右に揺った、「――そのときつぢ[#「つぢ」に傍点]は、独りでその桜を眺めていたのか」
「あなたは眠っていらっしゃいましたわ」
豊四郎はつぢ[#「つぢ」に傍点]をやさしく抱き緊め、そのときのことを回想するように、やや暫く黙っていた。
――道が断崖へ出た処から、奥の地蔵堂までのあいだ二十五町を法師峡といい、御領内随一の奇勝である。両岸は相接してそそり立ち、低いところで七十尺に余り、高きは百尺を越える。
豊四郎が溜息《ためいき》をついて云った。
「ここへ来たのはこれで五たびめだね」
つぢ[#「つぢ」に傍点]はゆっくりと頷いた。
「初めて来たのが三月、次が六月」
「五月でございましたわ」
「その次が十月、十月から暫く折がなくて、今年の正月、そしてこんどだ、つぢ[#「つぢ」に傍点]はよく私のたのみをきいてくれたね」
「でももうそれも終りですわね」
「うん終りだ」と彼は云った、「人眼を忍んで逢うのも楽しかったが、今日でそれもおしまいにしよう、私は母にそう云うよ」
つぢ[#「つぢ」に傍点]は黙って頷いた。
「母はうすうす勘づいているらしい、父だってむずかしいことは云わないと思う、だが、つぢ[#「つぢ」に傍点]のほうはいいのか、佐藤のことで面倒が起こるんじゃないのか」
「それは一年まえに申上げましたわ」
「しかしまだ断わってはいないのだろう」
「わたくしの事はわたくしが致します」と云ってつぢ[#「つぢ」に傍点]は声をひそめた、「女中が来たようですわ」
豊四郎はつぢ[#「つぢ」に傍点]からはなれた。
酒肴をはこんで来た女中たちは、二人の前に膳《ぜん》を直すと、茶道具を片づけて去った。膳の上の物は鳥の煎煮《いりに》と、小鮎《こあゆ》の煮浸しを除いて、皿も鉢も昆布、わかめ、山路、芽うど、自然薯《じねんじょ》、茸《きのこ》、豆腐、湯葉、牛蒡《ごぼう》、栗などを、蒸したり、胡麻《ごま》で和えたり、焼いたり煮たりしたもので、腕も一が白豆腐、二が梅干に木芽というぐあいだった。
――右岸は嶮《けわ》しい山つづきで道もないが、左岸には、鬼|覗《のぞ》き、七曲り、猿渡し、美代ヶ淵などの勝景があり、地蔵ノ湯には料亭を兼ねた湯治宿が五軒ある。「観峡楼」はその一で、光樹院さま御代よりしばしば藩侯のお渡りがあり、精進料理を自慢にしている。
豊四郎はつぢ[#「つぢ」に傍点]より酒が弱く、たちまち酔ってしまい、すると、いつもの癖であまえだした。「ちょっと向うへゆこう。ちょっとだ」
つぢ[#「つぢ」に傍点]はかぶりを振った。
「たのむよ」と彼はしめっぽい声で云った、「ここで逢うのはこれっきりだからね、はなしがきまれば二人は看視されるし、式をあげるまでは逢えなくなるよ」
つぢ[#「つぢ」に傍点]はまた静かに首を振った。
「逢えなくなってもつぢ[#「つぢ」に傍点]は平気なのか」
「ほんの暫くの辛抱ですわ」
「私はだめだ、私は淋しくってがまんできそうもないよ」
「十月のあとは六十日もあいだがございましたわ」
「それとこれとは違うよ、いまはこうして逢っているんじゃないか、こうしてつぢ[#「つぢ」に傍点]を見ていて、これから逢えなくなるというのに、このままで別れるなんてひどいよ、ねえ」と彼はすり寄ってつぢ[#「つぢ」に傍点]の手をつかんだ、「長くとはいわない、ほんのちょっとでいいから向うへゆこう、ちょっとでいいんだ、たのむよ」
つぢ[#「つぢ」に傍点]は、躯が萎《な》えるように感じた。つかまれた手から痺《しび》れるような感覚が伝わってゆき、それが躯ぜんたいにひろがったうえ、芯《しん》のところで熱く凝固するように思えた。つぢ[#「つぢ」に傍点]は眼をつむり、豊四郎はすばやく立って、彼女をかかえ起こした。
――この家は名物は初茸《はつたけ》、しめじ、手作りの白豆腐、湯葉、芽うど、若鮎の煮浸しなどであるが、「松ノ間」からの眺めは、これらの珍味にもまして、絶景というにふさわしい。谷間から湧《わき》上って来る谿流《けいりゅう》の音がつぢ[#「つぢ」に傍点]の耳には、雨でも降っているかのように聞えた。
「どうしたんだ」と彼が囁《ささや》いた、「ねえ、なんでもないのか」
つぢ[#「つぢ」に傍点]は答えなかった。
「まるで冴《さ》えているようじゃないか、つぢ[#「つぢ」に傍点]、こっちまで冴えてしまうよ、平気なのか」
「水の音が雨のように聞えますわ」
「あのことを気にしているんだな、それでいけないんだ、忘れてしまわなくちゃだめだよ、これがこうして逢う最後じゃないか――さあ」
[#6字下げ]二[#「二」は中見出し]
――伊田勘右衛門は書院番の頭《かしら》、家禄《かろく》八百七十石、給人|扶持《ぶち》七十五石。妻ちよ[#「ちよ」に傍点]」に傍点]のほか、長男良一郎、その姉つぢ[#「つぢ」に傍点]の二子あり。屋敷は烏御門外の辻の西側にある。
観峡楼で豊四郎と別れたつぢ[#「つぢ」に傍点]は、いちど笈川村の万兵衛の家へ寄り、それから城下の屋敷へ帰った。そうして、中二日おいて、久野豊四郎の急死したことを知った。
明日は谷菅斎の稽古日で、題詠五首の宿題があった。菅斎は藩の和学の師範であり、西畑町に家塾をひらいていた。つぢ[#「つぢ」に傍点]は門中でも成績がよく、初級の者には代稽古をするくらいであるが、歌を詠むことは不得手で、そのときも宿題の五首に手をやいていた。すると午後の三時ころ、厩《うまや》のほうで馬を入れる物音がし、弟の良一郎の声が聞えた。――彼は十五歳になるが、去年の春から馬術の稽古を始め、ようやく面白くなったのだろう、今年になってからは稽古のあとでも、ひどく降りさえしなければ、毎日桜の馬場へでかけて、飽きずに馬を乗りまわすのであった。
良一郎は話しながらこっちへ来た。相手は家士の国利大作らしい、良一郎の声はせかせかして高く、言葉つきも昂奮《こうふん》していた。
「速駆けをしていたんだ、いっぱいに速駆けをしていて、急に手綱をしぼったんだ、どうしてあんなことをしたかわからない、私はこっちから見ていたんだけれど、まるでなにか眼の前へとびだしたように、いきなりぐっと、うしろへ反りながら手綱をしぼった、こんなふうにだ」彼は身ぶりをしたらしい、「――馬銜《はみ》が舌を断ち切ったかと思うくらいだった、それで、馬は棒立ちに三度はね、三度めに久野さんは放《ほう》りだされた、そこへ岡野さんの馬が突っかけたんだよ」
「馬は決して人を踏まない筈ですがね」
「前|肢《あし》と後肢で二度踏みつけたんだ、私は見ていたんだ、頭と胸をね、岡野さんは手綱をしぼったけれど、近すぎてどうにもならなかったらしい、頭もひどくやられたし、胸は肋骨《ろっこつ》を二本踏み砕かれたそうだよ」
つぢ[#「つぢ」に傍点]は筆を置いて立ち、窓の障子をあけた。そこは裏庭で、すぐ向うに竹藪《たけやぶ》があり、まだ黄ばんでいる竹藪の中に、咲き残った山椿《やまつばき》の花が点々と赤く見えた。障子をあけたとき、つぢ[#「つぢ」に傍点]の眼にはいったのはその椿の花で、「ああ、まだ花が残っているのだな」とつぢ[#「つぢ」に傍点]は思った。厩は竹藪のうしろにあるが、良一郎と国利大作は、藪の脇の井戸端で話していた。
窓があいたのに気づいて、良一郎が振返り、姉の顔を見るとすぐに、鞭《むち》を持ったまま走って来た。
「お姉さま、馬場で大変なことがあったんですよ」と彼はまだ荒い息をしながら云った、「久野さんが手綱さばきを誤って落馬して」
つぢ[#「つぢ」に傍点]は静かに遮《さえぎ》った、「もう少しゆっくり仰しゃいな、久野さんとはどの久野さんですか」
「御一門の久野さんです、久野の豊四郎さんですよ」
つぢ[#「つぢ」に傍点]の胸にぎゅっと拳《こぶし》ほどのかたまりができ、それが喉へつきあげてきて、呼吸が止るように感じられた。
「おけが[#「けが」に傍点]は、――」とつぢ[#「つぢ」に傍点]は吃った、「ひどいおけが[#「けが」に傍点]をなすったんですか」
「ひどいどころですか、落馬したところをあとから来た馬に踏まれたんです、頭と胸と、すぐに医者を呼んだんですけれど、医者にも手がつけられなかったそうですよ」
「あなた側で見ていらしったの」
「医者が来てからのことは人に聞いたんです、戸板で家へはこんでゆきましたよ」
つぢ[#「つぢ」に傍点]は障子を閉めた。障子を閉めると、机の前へ戻る力もないように、そのまま窓際に坐った。
――伊田家の庭には古い紅梅が二株ある。池の畔《ほとり》にあるほうが親で樹齢三百年といわれ、勘右衛門の居間の外にあるほうはその子だと伝えられるが、これも樹齢は二百年あまりといわれる。
つぢ[#「つぢ」に傍点]はこみあげてくる吐きけを抑えるために、片手を畳について前屈みになった。呼吸は浅く、早く、とぎれがちになり、全身がふるふるとふるえた。春の午後の日光が、斜めにさすので、窓の障子が眩《まばゆ》いほど明るく、俯向《うつむ》いたつぢ[#「つぢ」に傍点]の血のけを失った横顔が、蒼白《あおじろ》くそうけ立ってみえた。――だが、心をきめるまでにさして刻《とき》はかからなかった。ほどなくつぢ[#「つぢ」に傍点]は立ちあがり、足音を忍ばせて中廊下を納戸へはいると、しっかりした手つきで着替えをした。居間へ戻って髪へ手をやり、それから弟の部屋をぬけて裏庭へ出た。
辻の裏道を烏御門とは反対のほうへゆき、蔵人町から大手筋へ出て、またその裏道をお城のほうへいそいだ。宮町、馬場外、そこを右へ折れると大手二番町で、久野家の屋敷はその角地を占めており、表門は閉っていた。まだそんな時刻ではないので、ぴったりと閉めてある門扉は、そのまま凶事のあったことを示しているように思えた。
つぢ[#「つぢ」に傍点]は門の番士に名を告げ、くぐり門を通って内玄関へいった。すぐ脇の供侍《ともざむらい》に、来客の供とみえる者が五六人おり、つぢ[#「つぢ」に傍点]が一人で来たのを訝《いぶか》るように見た。つぢ[#「つぢ」に傍点]は案内を乞い、夫人に会いたいと云って自分の名を告げた。すると、若い家士に代って、老女が出て来、丁寧ではあるが冷やかな態度で、「どういう用であろうか」と訊《き》いた。
「おめにかからなければ申上げられません」とつぢ[#「つぢ」に傍点]は答えた、「また、ぜひともおめにかからなければならないのです」
老女はさがってゆき、戻って来ると「どうぞ」と云った。通された客間は夫人専用であろう、襖《ふすま》の模様も華やかな色の千草で、床間には南画ふうの山水を掛け、水盤に松と山桜が活けてあった。縁側のほうは障子があけてあり、泉池を囲んで樹立の多い庭の一部が、傾いた陽をあびて明るく見えていた。
久野夫人がはいって来たとき、つぢ[#「つぢ」に傍点]は床間を見まもっていた。水盤に活けてある松と山桜とが、三日まえのことを思いださせたのである。久野夫人がそこへ坐るまで、憑《つ》かれたような眼で床間をみつめていたつぢ[#「つぢ」に傍点]は、夫人の坐るけはいで気がつき、赤くなりながら座をすべった。――久野きや[#「きや」に傍点]女は、侍女に茶を持たせて来、侍女はすぐに去らせて、自分でつぢ[#「つぢ」に傍点]に茶をすすめた。つぢ[#「つぢ」に傍点]は茶には手を出さず、夫人の眼をみつめながら、豊四郎の奇禍にみまいを述べ、容態を訊いた。
夫人は「死にました」と答えた。
つぢ[#「つぢ」に傍点]はしっかりしていた。硬ばって、白く粉をふいたようにそうけ立った顔は、殆んど生きている人間のようにはみえなかったし、大きくみひらかれた眼は、まるで二つの暗い空洞のようであったが、それでも彼女はしっかりしていた。
つぢ[#「つぢ」に傍点]は静かに云った、「香をあげさせて頂けますでしょうか」
「まだその支度がしてありませんから」と云って、夫人は不審そうに訊いた、「失礼ですが、豊四郎となにか御縁があるのですか」
つぢ[#「つぢ」に傍点]の眼にとりすがるような色があらわれた、「あの方からお聞きになりませんでしたでしょうか」
夫人は黙ってゆっくりとかぶりを振った。
「つい三日まえ、――」とつぢ[#「つぢ」に傍点]は云った、「あの方はお母さまに話すと仰《おっ》しゃっていました」。
夫人は黙ってつぢ[#「つぢ」に傍点]を見ていた。吟味するようにではなく、珍しい物でも見るような眼つきであった。
「あの方は、豊四郎さまは、申上げた筈です」つぢ[#「つぢ」に傍点]はけんめいな口ぶりで云った、「まえからお母さまに話すと仰しゃっていましたし、こんどはお話し申さなければならないわけがあったのですから」
「わたくしはなにも聞いていませんけれど、そのわけというのはどういうことでしょうか」
つぢ[#「つぢ」に傍点]は唇をふるわせた。舌がつるようで、すぐには言葉が出なかった。しかしつぢ[#「つぢ」に傍点]は勇気をふるい起こした。自分の一生が左右される瞬間だと思い、少しも恥ずる必要はないと信じていたから、――さすがに顔はあげられなかったし、声も高くはなかったが、つぢ[#「つぢ」に傍点]は紛れのない調子で、「自分が豊四郎の子を身ごもって、いま三月になる」と云った。夫人はかなり長いこと黙っていて、それから、念を押すように訊き返した。
「それは本当のことですか」
つぢ[#「つぢ」に傍点]は「はい」と頷いた。
「わたくしにはとても、本当だとは思えませんね」と夫人が云った、「――あなたがお一人ここへみえ、御自分のお口からそう仰しゃる勇気には感心いたしますけれど、わたくしにはとうてい本当だとは信じられません」
「ええ、豊四郎さまから聞いていらっしゃらないとすれば、お信じになれないのが道理かもしれません、でも本当なのですから信じて頂かなければなりませんわ」
「ただ信じろと云われても困ります。なにか証拠になるような物でもお持ちですか」
「あの方に愛して頂いたということのほかには、なにもございません」
「それではただあなたのお言葉だけで、その子が豊四郎の胤《たね》だと、信じなければならないのですね」
つぢ[#「つぢ」に傍点]は「はい」と頷いた。
「あなたの御両親は知っておいでですか」
「いいえ」
「ではほかに誰か、豊四郎とあなたのことを知っている方がいますか」
つぢ[#「つぢ」に傍点]は「いいえ」とかぶりを振った。夫人はつぢ[#「つぢ」に傍点]を見まもっていたが、やがて、どこでどうして豊四郎と知りあったのか、と訊いた。
「御側小姓《おそばこしょう》の佐藤又兵衛という者を御存じでしょうか」とつぢ[#「つぢ」に傍点]が反問した。
「外三番町の佐藤どのなら、豊四郎のお友達だそうで、両三度ここへもみえた筈です」
「わたくしの母の縁辺に当りますので、小さいときからゆき来をしておりましたが、あの方とも佐藤でおめにかかったのが初めでございます」
「それで、――その佐藤どのでも、あなた方のことを知らないのですか」
つぢ[#「つぢ」に傍点]は「はい」と云った。
[#6字下げ]三[#「三」は中見出し]
「おかしゅうございますね、豊四郎とは友達、あなたとは御|親戚《しんせき》に当るというのに、それほど深くなっている仲を知らせないとは、――なにかわけでもあるのですか」
つぢ[#「つぢ」に傍点]は眼を伏せて「はい」と低く頷いた。
「聞かせて下さいますか」
つぢ[#「つぢ」に傍点]ふなは少し考えていて云った、「いいえ、それは申上げられません」
夫人は溜息をついた。
「むりですね、いかにもむりです」と夫人は首を振りながら云った、「わたくしはあなたを存じあげないし、死んでしまった豊四郎に実否を糺《ただ》すこともできず、証人も、証拠になる物もなしでは、どうしようもないと思います」
つぢ[#「つぢ」に傍点]は眼を伏せたままで、顔をまっすぐにあげた。眼は伏せているが、その顔には恥じているようすもなく、もちろん臆した色もみえなかった。
「むだでしょうけれどいちおう主人に話してみますから、ちょっとお待ちになっていて下さい」
そう云って、久野夫人は立ちあがった。
――久野は先代の掃部源之《かもんもとゆき》から永代御一門にあげられている。家禄は千二百石。家臣から一門にあげられたのは久野だけで、それは掃部の父の修理亮《しゅりのすけ》が、先代の主君美濃守則発のため、二十八歳で諫死《かんし》した功によるものである。一門に列したから、仕置の席には就けないが、当代の摂津|源継《もとつぐ》はにらみのきく人物で、藩侯さえ一目おくと評されている。妻きや[#「きや」に傍点]とのあいだに、豊四郎、秀之丞の二子があり、秀之丞は十九歳になっている。
つぢ[#「つぢ」に傍点]はしっかりと自分を支えていた。正坐した肩も胸も張っており、蒼白く硬ばった顔には、なにかに挑みかかるような色があらわれていた。膝《ひざ》の上に重ねてある手は、絶えずおそってくる震えを抑えるために力をこめているので、指の爪尖《つまさき》が白くなっていた。――久野摂津が妻といっしょにはいって来、上座へ坐ってつぢ[#「つぢ」に傍点]を見た。彼は五十三歳であるが、髪も眉もつやつやと濃く、肥えた重おもしい躯に、血色のいい膚をしていた。
「いや、名のるには及ばない」
つぢ[#「つぢ」に傍点]が挨拶しようとすると、摂津は首を振ってそう云った、「話は妻から聞いた、豊四郎はしまりのないばか者で、これまでも幾たびか不始末があった、したがってそなたの云うことは事実かもしれぬ、たとえば事実だとして、そなたはどうせよというのか」
つぢ[#「つぢ」に傍点]は答えに困った。どうしてもらおうという気持があって来たのではない、そんなことは考えてもいなかったので、ちょっと言葉に詰ったが、摂津が「なにが望みだ」とたたみかけると、しっかりした声で云った。
「おなかの子が無事に生れましたら、豊四郎さまのお子として、引取って頂きたいと存じます」
「ばかなことを」と摂津が云った、「たとえそれが事実だったにせよ、親に隠れて密通するような者の子を、孫だなどと認めることができるか、そんなばかなことは考えるだけむだだ、ほかのことで望みがあったら聞こう」
つぢ[#「つぢ」に傍点]は頭を垂れた。
「金が入用であろう、金は入用なだけ申すがいい」
つぢ[#「つぢ」に傍点]は黙っていて、やがて顔をあげ、摂津の眼をみつめながら云った。
「いいえ、そのほかにお頼み申すことはございません」
「意地を張ると後悔するぞ」
「ほかに望みはございません」とつぢ[#「つぢ」に傍点]は云った、「ただひとこと申上げたいことがございます、――いま豊四郎さまのことを、しまりのないばか者と仰しゃいました」
「そのうえに臆病者だ」
「あの方はしまりのないばか者でもなし、臆病者でもございません、そうみえたとすれば、あの方の御性分をよく理解していらっしゃらなかっただけです」
「彼の性分がどうだというのだ」
「また、――」とつぢ[#「つぢ」に傍点]は構わずに続けた、「密通という言葉をお使いになりましたが、これもお返し申します、言葉ぐらいと仰せかもしれませんが、使いようによっては言葉だけで人を殺す場合もございます」つぢ[#「つぢ」に傍点]の声はふるえた、「――豊四郎さまとわたくしは密通などは致しません。決して、密通などというものではございませんでした、これだけははっきり申上げておきます」
そこでつぢ[#「つぢ」に傍点]は口をつぐみ、静かに辞儀をして、「これで失礼いたします」と云った。
摂津は黙って坐ってい、久野夫人が内玄関まで送って来た。夫人は低い声で、なにか自分にしてあげられることはないかと訊いた。つぢ[#「つぢ」に傍点]は声が出なかったので、そっとかぶりを振った。夫人は気遣わしそうな眼でみつめながら、これからどうするつもりかと云った。
「わかりません」とつぢ[#「つぢ」に傍点]が答えた。
「でもまさか、無分別なことをなさりはしないでしょうね」
「いまわかることは」とつぢ[#「つぢ」に傍点]が云った、「――このお子を無事に産み、丈夫な、いいお子に育てるということだけです」
そして、会釈をして外へ出ていった。
つぢ[#「つぢ」に傍点]はまだしっかりしていた。躯はぐんなりと力がぬけるように感じたが、気持はこれまでにないほどしっかりと、充実し緊張していた。陽はもう沈んだが、空には残照で明るい雲があり、それがつぢ[#「つぢ」に傍点]の緊張した顔へ、まるで生気をとり戻しでもしたような、赤い反映を投げかけた。
家ではつぢ[#「つぢ」に傍点]を捜していたようで、すぐ母に呼ばれ、「どこへいっていたのか」と訊かれた。つぢ[#「つぢ」に傍点]は無断で外出したことをあやまったが、どこへいったかは答えなかった。そうして夕餉《ゆうげ》が済み、父や弟が寝間へ去ってから、母に向って「自分が身ごもっている」ということをうちあけた。母親のちよ[#「ちよ」に傍点]」に傍点]は訊き返し、笑いだしそうな眼で娘の顔をみつめたが、娘が冗談を云っているのではないと気づくなり、「あ」と口をあけ、その口を手で押えながら立ちあがると、うろたえたようすでその部屋から出ていった。――父の寝間へゆくのであろう、つぢ[#「つぢ」に傍点]は呼びとめようとした。父に話すまえに母と相談したかったのであるが、良人《おっと》の癇癖《かんぺき》を極端におそれているちよ[#「ちよ」に傍点]は、娘の相談にのるより、まず良人の怒りを想像し、のぼせあがってしまったのである。
「いまに始まったことではない」とつぢ[#「つぢ」に傍点]は眼をつむって呟《つぶや》いた、「お母さまはいつもこうなのだ、お父さまの機嫌に障らないように、怒らせないようにと、絶えずはらはらしている、昼も夜も、お父さまを怒らせまいとするだけで精いっぱいなのだ」
「つぢ[#「つぢ」に傍点]さん、大丈夫、――」と眼をつむったままつぢ[#「つぢ」に傍点]は自分に問い、自分に答えた、「大丈夫よ、あたし母になるんですもの」
母が戻って来て、恐怖におそわれたような表情で、「お父さまがお呼びです」と云った。起きて居間にいるというので、つぢ[#「つぢ」に傍点]は立ちあがって廊下へ出たが、母はついて来ようとしなかった。
勘右衛門は火のない手焙《てあぶり》を脇に、白けた顔で坐っていた。彼は四十三歳になる、書院番頭という役を誇りにし、役目に失態がないようにと努めるほかには、微塵《みじん》も気持にゆとりのない人であった。
「仔細《しさい》を聞こう」と彼は静かに云った、「おちついて、よくわかるように話せ」
いきなり喚きだすと思ったので、つぢ[#「つぢ」に傍点]はちょっと戸惑いをした。勘右衛門はやはり静かに訊いた。
「身ごもったことはわかった、相手は誰だ」
つぢ[#「つぢ」に傍点]は答えなかった。
「相手の名を聞こう、誰だ」
「申せません」とつぢ[#「つぢ」に傍点]が云った。
「なぜ云えない、名も云えないような男か」
「その方が亡くなったからです」
勘右衛門の手が膝の上でふるえた。
「嘘ではないだろうな」
つぢ[#「つぢ」に傍点]は「はい」と頷いた。助右衛門は五拍子ほど黙っていて、やがてまた訊いた。
「おまえには佐藤又兵衛という許婚者《いいなずけ》がある、佐藤のほうはどうするのだ」
つぢ[#「つぢ」に傍点]は俯向いて、もしよければ自分からあやまる、と答えた。
「親はないも同然だな」と彼は云った、「親に隠れて男をつくり、許婚者への詫《わ》びも自分でする、おまえには親など有ってなきも同然らしい、――それもよかろう、だが、自分をどうする、自分の始末をどうするつもりだ」
つぢ[#「つぢ」に傍点]は答えなかった。そこで初めて、勘右衛門がどなりだした。
――伊田家の親子紅梅には、毎年どこよりも早く鶯《うぐいす》が来るといわれ、その季節には観梅を兼ねて鶯を聞きに来る客が多い。春のなかばになると、鶯は裏の竹藪に移り、そこに巣でもかけるのか、初夏のころまで鳴いているのであった。
勘右衛門は娘に短刀をつきつけて、「自害しろ」と喚いた。
「世間にも御先祖にも申し訳が立たぬ。おれは御役を辞して頭をまるめる、おまえも武士の娘なら生きてはいられまい」と彼はふるえながら叫んだ、「――これで自害しろ、おれが見届けてやるからここで自害しろ」
勘右衛門は自分の膝を打った。
「そんなみだらな者を生かしてはおけぬ、自害しなければおれが手にかけるぞ」
「自害は致しません」とつぢ[#「つぢ」に傍点]が云った、「わたくしはみだらなことをしたのではありません。その方との仲はしんじつだったのです、その方が亡くなりさえしなければ、しんじつだということがわかって頂けたのです」
「黙れ、そんなことは申し訳にならぬ、自害するかおれが手にかけるか、道は二つだ、おれが手にかけようか」
そこへ母が来た。襖《ふすま》の向うで聞いていたのだろう、泣きながらはいって来て、おろおろと二人のあいだに坐った。
[#6字下げ]四[#「四」は中見出し]
つぢ[#「つぢ」に傍点]は笈川村の万兵衛の家に預けられた。
そこは勘右衛門の乳母の里で、乳母のおたつ[#「たつ」に傍点]はもう亡くなっていたが、その孫に当る太助が伊田家で下男をしており、律義な当主の万兵衛は、伊田家を二代相恩の主人、と思っているようであった。――つぢ[#「つぢ」に傍点]も弟の良一郎も、幼いころからよく訪《たず》ねてゆき、山狩り、摘草、水泳ぎなどをして遊んだものだ。万兵衛はもう四十五歳になり、妻のおこと[#「こと」に傍点]は一つ年上で、太助、丈吉、おきみ[#「きみ」に傍点]、と三人の子がある。二十一になる太助は伊田家に奉公してい、十九になる丈吉と、十七歳のおきみ[#「きみ」に傍点]とが、親たちと共に一町歩あまりの田畠を耕していた。
つぢ[#「つぢ」に傍点]は亡くなった乳母の隠居所へはいった。それは別棟になった六帖と二帖の建物で、少し高くなっている敷地の、端のほうにあり、田圃《たんぼ》や雑木林の向うに、法師峡へゆく道と、法師川の流れが見えた。川は少し上のところで、東から流れて来る枝川と合流しており、法師川は北へのびて、地蔵嶽の谷間へと消えている。これらの景色は、隠居所の六帖に坐っていて眺めることができた。
家族の人たちはつぢ[#「つぢ」に傍点]に冷淡であった。
勘右衛門からも「構うな」ときびしく云われたようだが、親の許さない者の子を身ごもっている、ということで、律義な万兵衛はすっかり肚を立て、つぢ[#「つぢ」に傍点]のために自分で恥じていた。三度の食事と風呂のとき以外は、誰も隠居所へ近よろうとしないし、特に丈吉とおきみ[#「きみ」に傍点]とは口もきかなかった。――食事や風呂の世話はおこと[#「こと」に傍点]がしてくれるのだが、これも万兵衛に云い含められたとみえて、必要なことだけするとすぐに去り、こちらから話しかける隙も与えなかった。
つぢ[#「つぢ」に傍点]にはそのほうがよかった。なまじ同情されたり、諄《くど》くわけを訊かれたりするよりも、独りでそっとしておかれるほうがおちつくし、気持も紊《みだ》されずに済むからである、笈川村へ移って半月ほど経ったとき、つぢ[#「つぢ」に傍点]は「昌福寺までいって来たい」と万兵衛に告げた。万兵衛はいい顔をしなかったが、「お祖母さまの戒名をもらってくるのだ」と云うと、しぶしぶ承知をし、おこと[#「こと」に傍点]を供に付けてくれた。
昌福寺は浪江村にある菩提寺[#「ぼだいじ」に傍点]で、つぢ[#「つぢ」に傍点]は住職に会い、祖母の位牌《いはい》を作ってもらった。そして帰って来ると、半紙に豊四郎の俗名と年を書き、その位牌の裏に貼付《はりつ》けた。三尺のひらきを片づけ、おこと[#「こと」に傍点]の持って来てくれた、古い仏具を並べて位牌を安置すると、どうやら仏壇らしくなった。つぢ[#「つぢ」に傍点]はそれから朝と夕方には、欠かさず燈明と線香をあげ、四|半刻《はんとき》ほど経を読むのを日課にした。
「人に訊かれると嘘は云えませんから、あまり外へ出ないようにして下さい」
万兵衛にそう云われたが、おなかの子のためにも、動かずにいては悪いと思うし、つぢ[#「つぢ」に傍点]自身は少しも恥じる気持がないので、日に一度は歩きにでかけた。恥じる気持はなかった、つぢ[#「つぢ」に傍点]はいつも額をあげていたし、はっきりとものを云った。それで万兵衛はますます肚を立てるようだったが、つぢ[#「つぢ」に傍点]は少しもめげなかった。
七月になった或る日、――つぢ[#「つぢ」に傍点]が縫い物をしていると、縁先に静かに近よって来る者があった。見ると、それは佐藤又兵衛であった。
「十日ほどまえに江戸から帰りました」と又兵衛が云った、「ぐあいはどうです」
つぢ[#「つぢ」に傍点]はしっかりと彼を見あげた、「失礼ですけれど、あがって頂くわけにはまいりませんのよ」
「なに、此処で充分です」
又兵衛は濡縁に腰を掛けた。笠を脇に置き、手拭を出して汗を拭き、そうして向うの景色を眺めながら、「これはいいところだ」と呟いた。彼の役は側小姓で、一昨年の夏、藩主の供をして江戸へいった。それからまる二年経っているが、まるで昨日別れた人のように、姿にも態度にも、変ったところはみえなかった。
「ここなら城下にいるよりずっとましだ、からだのためにもいいでしょう」と彼は向うを見たままで云った、「――ずっと順調ですか」
「どうぞ、その話はなさらないで下さい」
「その話をしに来たんですよ」と彼は穏やかに云った、「五年まえから許婚者だったことはべつとして、幼な馴染というだけでもいい、おつう[#「つう」に傍点]さんはまえには、私のことをこんなときの相談相手と思っていたのではなかったかな」
つぢ[#「つぢ」に傍点]は縫い物を置いてうなだれた。
「じつを云うと、こんどのことについては、私も責任を感じているんです」
「あなたが、――」とつぢ[#「つぢ」に傍点]は眼をあげた。
又兵衛が云った、「相手は久野豊四郎、そうでしょう」
「お名前は申せません」
「そう云いとおしたそうですね、お父上には理解できなかったようだし、誰にもできることではないだろうが、私はいかにもおつう[#「つう」に傍点]さんらしいと思った、しかし」と彼は静かに振返った、「――あんなだらしのない甘ったれを、どうしておつう[#「つう」に傍点]さんが好きになったか、それが私にはわからない、いったいどうしたんです、どんなきっかけでそんなことになったんですか」
つぢ[#「つぢ」に傍点]はまたうなだれて、そのまえに訊くが、あなたはどうしてあの方だとわかったのか、と反問した。又兵衛は片手をあげて、その手をまた膝へおろしながら、「責任を感じるというのはそこなのだ」と云った。
「家でおつう[#「つう」に傍点]さんと会うたびに、彼の態度や言葉つきが違ってくる、おつう[#「つう」に傍点]さんのことを私に話す口ぶりまで、がまんのならぬほど甘ったるくなり、それを隠そうという神経さえなくなってきた、私はよほど出入りを断わろうと思ったのだが、おつう[#「つう」に傍点]さんの気性を知っていたから、そんな必要もあるまいと、放っておいたのです」
つぢ[#「つぢ」に傍点]はうなだれていた顔をあげ、向うの法師川のほうへ眼をやりながら、「あの方は可哀そうな方でした」と呟くように云った。
「あなたは黙って坐っていらっしゃるだけで、みんなに注目され、みんなを惹《ひ》きつける力をもっていらっしゃる」
又兵衛は「おう」と首を振り、つぢは静かに続けた、「けれどもあの方は違います、いっしょ懸命に座興をつとめたり、機嫌をとったりしなければ、誰にも認めてもらえませんし、認めてもらってもすぐに忘れられてしまいます、――わたくしは外三番町のお家で、それをずいぶんたびたび見ておりました、あの方が人の注意を集めるために、汗をかいて座興をつとめる姿も、せっかく注意を集めたのにすぐ忘れられて、しょんぼりと坐っている姿も、……お気の毒で、可哀そうで、だんだんとそのままに見すごすことができなくなったのです」
又兵衛はつぢの顔を見たが、なにも云わずつぢ[#「つぢ」に傍点]はなお続けた、「――あなたがずっと友達づきあいをなすっていたのも、おそらくわたくしと同じ気持だったでしょう。友達づきあいをなすっているあなたも、だらしのない甘ったれなどと仰しゃるし、あの方のお父さまでさえ、しまりのないばか者だと仰しゃいました」
「あの親は子の才分を知っていましたよ」
「わたくしは可哀そうで見ていられなくなりました」
「彼はそこへつけこんだのだ」と又兵衛が云った。
「いいえ違います、わたくしのほうであの方のお力になってあげたかったのです」とつぢ[#「つぢ」に傍点]は云い返した、「わたくしが側にいれば、あの方に自信をもたせてあげ、力も付けてあげられると思ったのです、それで」
又兵衛は手をあげた、「わかりました、もう結構です」
「誤ったとすればわたくし自身で、あの方にはなんの責任もございません、これだけは申上げておきます」
「なまいきなことを云いますね」と又兵衛が云った、「――しかしまあいい、その話はもう充分です」
そして彼は立ちあがり、裏のほうへ去っていった。裏の崖《がけ》に泉がある、そこで顔を洗ったのだろう、ほどなく、濡れ手拭で衿《えり》を拭きながら戻って来た。
「さてそこで、――」と彼はまた濡縁に腰をかけて云った、「これからの問題だが、このさきいったいどうするつもりです」
「はっきり申上げることはできませんけれど、お産が済みましたら、ここで寺子屋のようなことでもして、子供を育ててゆきたいと思います」
又兵衛は頷いた。それから、ふとつぢ[#「つぢ」に傍点]の顔をみつめながら、「当ててみようかな」と云った。
「おつうさんの気持の中には、もう彼の姿など残ってはいないでしょう」
つぢ[#「つぢ」に傍点]はあっけにとられたような眼で、又兵衛を見あげた。又兵衛は唇に微笑をうかべ、笠を取って立ちあがった。
「その返辞は聞くには及びません」と彼は云った、「今日はこれで帰ります」
つぢ[#「つぢ」に傍点]は慌てたように云った、「どうぞお願いですから、もうここへはおいでにならないで下さいまし」
「いや、ときどき来ますよ」
そう云って、又兵衛は会釈をし、もういちど景色を褒めてから、静かに去っていった。
――この土地は冬が早く、十月にはいると山に雪が積り、それが一日ごとに里のほうへのびて来て、十一月には見る限り白一色に掩《おお》われてしまう。そうして法師川の流れだけがあるときは紺青《こんじょう》に、あるときは黒く、また鋼《はがね》色にきらめきながら、決して凍ることなく、せせらぎの音をひびかせるのであった。
つぢ[#「つぢ」に傍点]は十一月の初めに男の子を産んだ。
予定より十日ほどおくれたが、初産《ういざん》にしては軽かったし、子供もよく肥えていて大きく、目方の重いのに産婆をおどろかせた。――おそらく又兵衛の好意であろう、七夜にはみごとな鯛《たい》と酒が届いたので、子供の枕もとに祝いの膳《ぜん》を据え、つぢ[#「つぢ」に傍点]が自分で「吉松《よしまつ》」と名を付けた。それは豊四郎の幼名であった。
[#6字下げ]五[#「五」は中見出し]
又兵衛は月に一度ぐらいの割で訊ねて来、いつも濡縁にかけたまま、半刻ほど話して帰った、断わっても相手にしないし、又兵衛が来はじめてから、万兵衛の態度も少しずつなごやかになるようすなので、しいて「来てくれるな」とも云わなかったが、十月に来たあと、年があけるまで姿をみせなかった。
実家からは毎月の仕送りをして来るだけで、母はもちろん、弟の良一郎も訪ねては来なかった。もちろん父に厳禁されているのだろうし、つぢ[#「つぢ」に傍点]も来てもらいたいとは思わなかったが、正月の七草が過ぎてから、久方ぶりに又兵衛があらわれ、いっしょに良一郎が来たのを見ると、口をきくより先に涙がこぼれた。――一年足らずのあいだに、驚くほど良一郎は背丈が伸び、顔つきもずっと大人びてみえた。
「今日は良さんがいっしょだから、上へあがらせてもらいますよ」と又兵衛が云った。
二人は雪沓《ゆきぐつ》をぬいであがり、炉端へ坐るまえに、寝かしてある子供を、覗きにいった。
「大きな若旦那だ、お手柄ですね」と又兵衛が手を伸ばしながら云った、「――ひとつ抱かせてもらいますかな」
「どうぞあとで」とつぢ[#「つぢ」に傍点]がいそいでとめた、「いま起こすとむずかって困りますから、どうぞ、――良さんもこちらへ来ておあたりなさいな」二人は炉端へ来て坐った。
「おみまいにも来なく申し訳ありません」と良一郎は手をついて辞儀をした、「――隠れて来ようと思ったんですけれど、お母さまがあんまり心配なさるものだから」
「わかっています、良さんの来られないことはよくわかっていましたよ、それよりもわたくしのことで、お友達などにいやなおもいをさせられはしませんでしたか」
「いいえ」と良一郎は首を振った。
「そんな話はやめだ」と又兵衛が遮った、「じつは今日はお別れに来たんですよ」
つぢ[#「つぢ」に傍点]はどきっとしたようであった。
「殿さまの参覲《さんきん》が繰りあがりましてね、二月はじめに出府ときまったんです、そうなると多忙で出られなくなりますからね、良さんをさそってやって来たわけです」
「王子八幡へ参詣《さんけい》すると云って来たんです」と良一郎が云った、「私もそうだと思ったものだから、浪江村をこっちへ曲ったときは吃驚《びっくり》してしまいました」
「そういうわけで長居はできないんです、若旦那を抱いたらすぐに帰りたいんだが」と云って、又兵衛は枕屏風のほうを伸びあがって見た、「まだ起きそうもありませんな」
つぢ[#「つぢ」に傍点]は二人から眼をそむけ、なにも御馳走ができないから餅でも焼きましょう、と云って立とうとしたが、そのときふと思いだして、「お七夜には結構なものを――」と又兵衛に礼を述べた。又兵衛は「いや」と云いかけたが、そのままあいまいに口を濁した。
つぢ[#「つぢ」に傍点]の焼く餅を、健啖《けんたん》に喰《た》べながら、又兵衛と良一郎は半刻あまり話していった。なにを話していたか、つぢ[#「つぢ」に傍点]は殆んど覚えていない。又兵衛が江戸へいってしまうこと、一年の余も会えなくなるということで胸がいっぱいになり、いくら気持を引立てようとしても、寒ざむとした心ぼそさから、どうしてもぬけ出ることができなかった。
「ではまた来年の夏、――」と雪沓をはいてから、又兵衛が云った、「坊やを抱けなかった事は残念だったと、よくそう云っておいて下さい」
つぢ[#「つぢ」に傍点]は「はい」と云って深くうなだれた。
「お母さんになってからやさしくなりましたね」と又兵衛が云った、「そのほうがおつう[#「つう」に傍点]さんに似あわしい、別れにはこのうえもない餞別《せんべつ》です、ではこれで」
つぢ[#「つぢ」に傍点]は黙って低頭した。良一郎の挨拶にも答えられなかった。喉《のど》が詰ったようになって声が出ず、涙がこぼれそうで、顔をあげることもできなかったのである。それから、六帖の端へ出てゆき、丘を下って遠ざかる二人を見送りながら、つぢ[#「つぢ」に傍点]は歯をくいしばって嗚咽《おえつ》した。
二月の下旬になって、江戸から又兵衛の手紙が来た。無事に着いたことと、こちらの消息を問うだけの、ごく短いものだったが、つぢ[#「つぢ」に傍点]には胸のときめくほど嬉しかった。幾たびも読み返したのち、じっとしていられなくなり、吉松を抱いて法師川まで歩きに出た。
法師川は雪解の水でふくらみ、水際にはびっしりと、みずみずしく芹《せり》が伸びていた。朝の陽を浴びた河原は暖たかく、猫柳はもう葉になっていた。つぢ[#「つぢ」に傍点]はあやされるような気分になり、少女のころを思いだしながら、吉松を河原に坐らせて、芹を摘み、蓬《よもぎ》を摘んだ。
――一刻ちかくも遊んだであろう。吉松がむずかり始め、眠る時刻だと気づいたので、つぢ[#「つぢ」に傍点]は芹と蓬を持って家へ帰った。
母屋へ寄って、摘んだ物をおこと[#「こと」に傍点]に渡すとおこと[#「こと」に傍点]が声をひそめて、「お客さまです」と囁いた。つぢ[#「つぢ」に傍点]はけげんそうな眼をし、おこと[#「こと」に傍点]はさらに「久野さまという方です」と告げた。つぢ[#「つぢ」に傍点]は反射的に吉松を抱き緊めた。
「うちの人がお相手に出ています。お待ちかねのようですからすぐいらしって下さい」
つぢ[#「つぢ」に傍点]の顔は蒼ざめたが、しっかりした歩きぶりで隠居所へゆき、濡縁の所で立停った。
六帖に久野摂津と夫人のきや[#「きや」に傍点]女がおり、万兵衛は二帖のほうにかしこまっていたが、つぢ[#「つぢ」に傍点]が来たのを見ると、すぐに立って出ていった。つぢ[#「つぢ」に傍点]は黙って立っていた。
「お留守に邪魔をしていました」と夫人が云った、「こちらへあがって下さい」「孫を見に来たのだ、それが吉松か」と摂津が云った。
孫という言葉が、つぢ[#「つぢ」に傍点]の胸を刺し貫くようにひびいた。その率直なひと言は、どんな弁明よりはっきりと、夫妻の気持をあらわしていたし、つぢ[#「つぢ」に傍点]の気負いを挫《くじ》けさせた。つぢ[#「つぢ」に傍点]が六帖へあがると、夫人がすぐに吉松へ手を出した。吉松はふしぎそうな顔をしたが、泣かずにおとなしく抱かれた。
「こっちへよこせ」と摂津が云った。
こらえ性もなくせきたて、奪うように抱き取ると、「これは重いこれは重い」と云いながら、乱暴に揺りあげ揺りあげし、吉松はびっくりして泣きだした。つぢ[#「つぢ」に傍点]は「もう眠る時刻なのです」と云い、自分のほうへ受取って、二人に会釈しながら乳を含ませた。
「今日は孫に会うかたがた、おまえを迎えに来た」と摂津が云った、「おれは先に帰るから、詳しいことはこれに聞いてくれ、おまえは久野の嫁だ、久野の嫁として恥ずかしくないことを、おまえは自分で証明した、――おれの口からはこれだけしか云えない、肚の立つこともあるだろうが、こっちにも仔細があったのだ、よくわけを聞いて、納得したら久野へ来てくれ、そのとき改めて謝罪をしよう」
そして「待っているぞ」と云うと、さっさと立って出ていった。夫人が「そのまま」という手まねをしたので、つぢ[#「つぢ」に傍点]は送りには立たなかった。
「つぢ[#「つぢ」に傍点]さん、堪忍して下さい、あのときはあのような挨拶しかできなかったのです」と夫人は静かに云いだした、「――いまだからうちあけますが、わたくしはあなたのことを聞いていました」
つぢ[#「つぢ」に傍点]は屹《きっ》と夫人を見た。
「あなたと法師峡へいって帰った晩に、初めてあれが話したのです、わたくしは主人に相談しましたが、主人はうけつけませんでした、――豊四郎のような人間にろくな女がみつかる筈はない、おそらく金でもめあてだろう」夫人はちょっと頭を垂れた、「――ごめんなさい、これは主人だけでなく、わたくしもそう思ったことなのです、ですからあなたがいらしったとき、お人柄があまりに違うので、主人にそう話したのです」
摂津も自分で会ってみて、つぢ[#「つぢ」に傍点]が想像したような女でないことを認めた。しかし、それだけで嫁と認めるわけにはいかなかった。生れて来る子が男なら、久野の跡継ぎになる。その子の母としての資格があるかないかは、慥《たし》かめてみなければならない。そう考えた結果、あのように無情なあしらいをしたのだ、と夫人は云った。
「人間が人間をためすなどとは、まことに卑しいふるまいですけれど、豊四郎があのような性分であり、あなたという方を少しも存じあげなかったのですから、やむを得なかったと思って堪忍して下さい」夫人はそこで頭を垂れ、両手の指で眼を押えた、「――あなたが家へいらしって、主人に言葉返しをなすった、豊四郎がしまりのないばか者でもなし、臆病者でもない、いまでも覚えています、あのときわたくしは嬉しくって、……それから、その仏壇にある位牌、俗名久野豊四郎と書いてあるのを見て、主人もわたくしも」
つぢ[#「つぢ」に傍点]はそっと立ちあがった。吉松が眠ったのである、納戸をあけて夜具を出し、枕屏風をまわして、子供を寐《ね》かしつけながら、つぢ[#「つぢ」に傍点]はじっと眼をつむった。
「わたくし共があなたのことを知ったのは、ある方のおかげです」と夫人は湿った声で続けた、「あなたに許婚者がいらしったことも、豊四郎とそういう仲になったお気持ち、御両親に責められながら、とうとう久野の名を出さなかったことも、そうして、こちらへ来てからの少しも悪びれない、凛《りん》としたお暮しぶりも、みんなその方からうかがいました」
つぢ[#「つぢ」に傍点]はぎゅっと、つむった眼に力をいれた、そうだ、とつぢ[#「つぢ」に傍点]は思った。
――この子が生れたことも、お七夜がいつだということもその人が知らせたのだ、あの祝いの鯛と酒は、その人の知らせで久野から届けて来たのだ。
つぢ[#「つぢ」に傍点]はそう気づいて、眼の裏にその人の顔を思い描いた。
「久野へ来て下さい、来てくれますね、つぢ[#「つぢ」に傍点]さん」と夫人がまた云った、「乳母も雇ってあります、久野へ来て、久野のむすめになって下さい、長くとは云いません、一年もいて下さればいい、――そのあとを云いましょうか」
つぢ[#「つぢ」に傍点]は「いいえ」と云った。自分に向って頬笑みかける人の顔が、見えるように思えたからだ。夫人は立っていって、三尺のひらきをあけ、燧石《ひうち》を打って燈明と線香をあげた。
「豊四郎は運の悪い生れつきだったけれど、あなたという方にめぐりあえて仕合せでした」と夫人が云った、「これからはあなたが仕合せになる番ですよ」
底本:「山本周五郎全集第二十七巻 将監さまの細みち・並木河岸」新潮社
1982(昭和57)年8月25日 発行
底本の親本:「オール読物」
1957(昭和32)年3月号
初出:「オール読物」
1957(昭和32)年3月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ