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弛緩性神経症と妻
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弛緩性神経症と妻
山本周五郎
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)毎《いつ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)其|良人《おっと》
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私がその若者に嫉妬を感じているのは、彼が端麗な青髭であったからではない、また彼が毎《いつ》も小面憎《こづらにく》い程ととのった身体をしていたからでもない。ただ彼は私に出来ないたったひとつのこと、つまり私の妻を笑わせることが彼には出来た。誰にでも云《い》う通り私は妻を愛している、結婚する以前にもまして愛している。妻には一種の弛緩性神経症があって、ふところ手をした儘《まま》ぼんやり一日の四分の三を過ごすような事がしばしばあった。そんな時知らぬ者が見ると彼女の唇尻に刻まれる微妙な冷笑の襞《ひだ》だとか、どうとも意味のとりようのない視線の角度だとか、かるくとんとんとうつ右足の拇指《おやゆび》の拍子だとか、そう云ったものをみてこの女はずいぶん利怡《りこう》なのだなと感じさせられるが、それは実は例の弛緩性神経症が現われているだけのことなのだ。それにも不拘《かかわらず》そんな時の妻に昵《じっ》とみつめられたりすると誰でもどぎまぎして赧《あか》くなる。そして夢中にさせられてしまう。だがこの症状が去ると妻は本《もと》の感覚をとりもどすから、誰も妻に気づかず、妻にみつめられても赧くなるような感情は味《あじわ》わないで済む。
前にも云ったように妻はめったに笑わない。いちど仏蘭西《フランス》のシネ・ロマンの《秋の風》というフィルムを観ていた時、灰色の空からさんさんと散るプラタヌの枯葉の雨を見て笑ったことがある、私はその時ずいぶんおかしな癖がこの女にはあるのだなと思った。云い忘れたがその時はまだ私達は結婚していなかった。その後銀座のオリンピアでライ麦の麺包《パン》を買うのにライ麦の麺包《パン》を呉《く》れと云ったら、傍にいて笑いだした。どこが可笑《おか》しかったのか知らぬが私は赧くなって麺包《パン》の紙包を受取《うけと》るのにへどもどした、私はその時は腹をたてたので家へ帰りつくまで口をきかなかった。その時は既に結婚していたので、なにも自分の良人《おっと》の間違《まちがい》を他人の見ている前で嗤《わら》うことはあるまいとひどく腹をたてた。併《しか》しこれはどちらも其《その》後考えるのに弛緩性神経症の発作だったに相違ない。
妻が笑わないと云うことを知ったのは私達が結婚して間もなくのことだ。私はひどく気軽な性分という方ではないが、昼のうち外で為替係などを働いていたので、帰ったら家で幾らか調子を緩めた暮しかたなども悪くはないという考えをもっていた。それに就《つい》て結婚前に私はイプセンという脚本作者の書いている《人形の家》という芝居のノラと其|良人《おっと》との生活振りなど随分面白いなと考え考えしたものである。その芝居では良人《おっと》はノラのことを〔小ちゃな栗鼠《りす》さん!〕などと呼んでいるので――。けれどもそれは私が提議してみるまでもなく、妻には合わない理想であった。妻はなによりも静謐を尊んだ、私は妻が食後の熱い舌を焦《や》くような珈琲《コーヒー》を音もたてずに啜《すす》るのを見ているとしばしば怖くなった。それで或時そっと唾《ねむ》っている妻の顔を見究めようとしたことさえあった。
私達夫妻がはじめてその青年と知《しり》あいになったというのは、妻が右側の第二臼歯を病んで里谷という歯科医に通っていた時のことで、その青年が控室で私の妻の落とした手套《てぶくろ》を拾って呉れたのが機会となったのであった。尤《もっと》も妻はよく手套《てぶくろ》を落とす癖があって、それをまた大抵の場合傍にい合わせる若い紳士が拾うと云うめぐりあわせになるのだが、劇場などではひと晩に二度や三度は珍しくなかった。そしてその時の二人なり三人なりの紳士は、その後二週間か少《すくな》くとも一週間は私達夫妻の客になるのが例であった。勿論その手套《てぶくろ》を落とすというのも弛緩性神経症の為で――。
その時妻はドライ・アイスを固く包んだふじ絹の手帛《ハンカチ》で――妻は手帛《ハンカチ》はふじ絹より外《ほか》に用いなかった――右の頬を押えていたが、何かの拍子に掴んでいた黒の手套《てぶくろ》の片方を取落《とりおと》とした、すると傍にいた青髭の端麗な紳士が腰を跼《かが》めて素速くそれを拾いとった。私は今でも覚えているが、その時の青髭氏の敏速な動作は、猿が居もせぬ蚤を掻探《かきさが》す習性にひどく似通っていた。妻は手套《てぶくろ》を受取ると頬を染めて微笑したが、その微笑こそは私が妻を知り初めて以来はじめて見るものであった。青髭氏はどぎまぎして、腰を跼めて、何かぶつぶつ云って、妻の凝視から――その時妻は既に弛緩性神経症の発作を起していたのだが――遁がれようと外向《そむ》いた、併しふじ絹の手帛《ハンカチ》で頬を押えて、昵《じっ》と覓《みつ》める妻の視線は忽《たちまち》この若者を夢中にさせて了《しま》った。そこで若紳士は赧くなって鼻をむずむずさせた、すると扉が開いて若い綺麗な看護婦嬢が《あ・みさん》と呼んだので、この青髭さんは救われたように起上《おきあが》って診察室の扉へ近づいたのである、ところがそれは間違いで、彼は最早その時診察を済ませて薬の出来るのを待っていたのだという事実にぶつかった。氏を呼んだのはつまり薬局であったのだ。それを見ていた妻が声高く笑った。妻が笑った、ああ、それこそ本当に人間の笑であった。はじめて妻は人間の笑を笑ったのである。その夜私は私の寝間へ妻の訪問を受けた。おかしな――。
これも飾りなく云うのだが、妻は非常に複雑なベエゼのしかたを数多く知っている。私はしばしば自分が《次の部屋》にいるのではないかと疑うことさえあった。心臓を七つ持っている魔女が毎晩その部屋で十人の若者を犯して之《これ》を啖《くら》ったという譚《はなし》が北欧にあるが、妻のベエゼの或ものにはその魔女の舌を思わせるような淫蕩なしかたのがあった。そんな晩には私は毎《いつ》も北へ足を向けて寝るように努めた。というのは、その七つの心臓を持った魔女は、北に蹠《あしのうら》を見せている男は啖《くら》うことが出来なかったと譚《はなし》にあったからである。そう云えばその魔女は恒《つね》に緑色のヴラウズを好んだとあるが、妻の最上の好みは白である。
青髭の若者が私の妻を尋ねるようになってから、私の家の空気は驚く可《べ》き変化を示して来た。妻の男友達――否そう云っては悪い、私達夫妻の友人。斯《こ》う云わなくては本当ではない――は多くとも二週間でその友情は美しい結末をもった。或男は《転任する》と云い又ある者は《病気療養に出掛ける》と云い別の青年は何か指令書の如き紙片を見せて《巡回講演に行く》と云った。そして再びは私たち夫妻の前にその姿を見せることがなかった。尤も妻がその手套《てぶくろ》を落とす毎《ごと》に、その後を受ける紳士に不足はなかったけれど。ところが今度の青髭君は違っていた。彼はもう私達夫妻を訪ねはじめてから四週間近くになっている。ところがまだ彼は何処《どこ》にも転任せず、療養にも行かず、巡回講演にも出掛けない。そして妻はこのところ不思議に手套《てぶくろ》を落とさない。習慣が破られるということは辛いものだ。私は妻の部屋が斯う永く同じ体臭をもった男で塞がれるという事には余り馴れていない。例《たと》え青髭氏が来ている間その扉に錠が掛っていたとしても、それというのが体臭と云っても私は実際の体臭よりもその男の雰囲気をさしていうので――。
併し私は此処《ここ》で妻の名誉のために、その部屋の扉に錠がかけてあるにも不拘《かかわらず》、若者と妻を中に残して私が何故《なぜ》一人外にあるかという事を説明しなければならぬ。ひと言で云えば要するに私が妻を理解していたからである、男達の多くがどぎまぎして、息を喘《はず》ませ、顔を赧めて妻に夢中になる、その原因を知っていたからである。それらは凡《す》べて妻の弛緩性神経症の現われに過ぎないからである、そして可笑《おかし》さに耐えないことは、此《この》事実を知っているのは私をおいて外《ほか》になかったことだ。
そう云う訳で青髭の若者が妻の部屋にいることは私にとっては何らの感情でもなかったが、時折もれる妻の笑声に対しては烈しい嫉妬を青髭にもった。その笑は彼女自身のベエゼの如く複雑で数知れぬ響《ひびき》の変化をもっていた。併しその中には私がライ麦の麺包《パン》を買った時に笑ったものもなく、またシネ・ロマンの《秋の風》を観た時に笑ったものもなかった。その上それは決して七つの心臓をもった魔女を連想させはしなかった。それは本当に人間の笑であった。私がこんなに強く嫉妬するのもそれ故である。
いま、その青髭の若い紳士は妻の部屋にいる、私はいまその部屋から、妻のかける錠の動きを扉のノブに見究めながら、出て来たところである。私は青髭の君に対アメリカの為替相場の対数表示理論を説明してやっていたところが、ふいに妻が例の発作を起したのであった。妻はくったりと体を長|椅子《いす》の上にのべて、両手をふところへ差入《さしい》れながら――そうして無心に自分の乳首をまさぐる事が妻の癖であった――放恣に瞳《ひとみ》を散大させて、唇を歪め、投出《なげだ》した腿の上に片方の足を組んでゆるやかに揺《ゆす》りつつ、何処《どこ》を見るともなく恍惚となって行った。そこで私は毎《いつ》もそうするように立上《たちあが》って妻の部屋から出て来たのである。
考えると実際男というものは滑稽な道化だ。そしてそれを私ほど明確に観察した者はそう多くはあるまい。今日まで手套《てぶくろ》を拾っては訪れて来た多くの若者、そして今また妻の部屋で、恐らくは顔を赧め、息を喘《あえ》がせ、胸を騒がし、夢中になっているであろう青髭の端麗な青年の、かく迄《まで》崇め求めるものが何であるかを云えば、それは単に一種の《弛緩性神経症》でしかないのだ。そしてそれを知っているのは私一人なのだ。
私はこの秘密を、誰にも明かさないで置こう。すればいつまでも私は神の智慧をもっていることになる、そして何も知らぬ哀れな若者達を嗤《わら》ってやるという事はそうつまらぬ興味ではない。私は明日、妻の頼みによって新しく黒い絹の手套《てぶくろ》を購《あがな》う積《つも》りでいるのだ。ああ、いま妻の部屋では、妻の笑う声がしている。
底本:「山本周五郎探偵小説全集 第六巻 軍事探偵小説」作品社
2008(平成20)年3月15日第1刷発行
底本の親本:「今日の文学」
1931(昭和6)年7月
初出:「今日の文学」
1931(昭和6)年7月
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
山本周五郎
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《》:ルビ
(例)毎《いつ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)其|良人《おっと》
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私がその若者に嫉妬を感じているのは、彼が端麗な青髭であったからではない、また彼が毎《いつ》も小面憎《こづらにく》い程ととのった身体をしていたからでもない。ただ彼は私に出来ないたったひとつのこと、つまり私の妻を笑わせることが彼には出来た。誰にでも云《い》う通り私は妻を愛している、結婚する以前にもまして愛している。妻には一種の弛緩性神経症があって、ふところ手をした儘《まま》ぼんやり一日の四分の三を過ごすような事がしばしばあった。そんな時知らぬ者が見ると彼女の唇尻に刻まれる微妙な冷笑の襞《ひだ》だとか、どうとも意味のとりようのない視線の角度だとか、かるくとんとんとうつ右足の拇指《おやゆび》の拍子だとか、そう云ったものをみてこの女はずいぶん利怡《りこう》なのだなと感じさせられるが、それは実は例の弛緩性神経症が現われているだけのことなのだ。それにも不拘《かかわらず》そんな時の妻に昵《じっ》とみつめられたりすると誰でもどぎまぎして赧《あか》くなる。そして夢中にさせられてしまう。だがこの症状が去ると妻は本《もと》の感覚をとりもどすから、誰も妻に気づかず、妻にみつめられても赧くなるような感情は味《あじわ》わないで済む。
前にも云ったように妻はめったに笑わない。いちど仏蘭西《フランス》のシネ・ロマンの《秋の風》というフィルムを観ていた時、灰色の空からさんさんと散るプラタヌの枯葉の雨を見て笑ったことがある、私はその時ずいぶんおかしな癖がこの女にはあるのだなと思った。云い忘れたがその時はまだ私達は結婚していなかった。その後銀座のオリンピアでライ麦の麺包《パン》を買うのにライ麦の麺包《パン》を呉《く》れと云ったら、傍にいて笑いだした。どこが可笑《おか》しかったのか知らぬが私は赧くなって麺包《パン》の紙包を受取《うけと》るのにへどもどした、私はその時は腹をたてたので家へ帰りつくまで口をきかなかった。その時は既に結婚していたので、なにも自分の良人《おっと》の間違《まちがい》を他人の見ている前で嗤《わら》うことはあるまいとひどく腹をたてた。併《しか》しこれはどちらも其《その》後考えるのに弛緩性神経症の発作だったに相違ない。
妻が笑わないと云うことを知ったのは私達が結婚して間もなくのことだ。私はひどく気軽な性分という方ではないが、昼のうち外で為替係などを働いていたので、帰ったら家で幾らか調子を緩めた暮しかたなども悪くはないという考えをもっていた。それに就《つい》て結婚前に私はイプセンという脚本作者の書いている《人形の家》という芝居のノラと其|良人《おっと》との生活振りなど随分面白いなと考え考えしたものである。その芝居では良人《おっと》はノラのことを〔小ちゃな栗鼠《りす》さん!〕などと呼んでいるので――。けれどもそれは私が提議してみるまでもなく、妻には合わない理想であった。妻はなによりも静謐を尊んだ、私は妻が食後の熱い舌を焦《や》くような珈琲《コーヒー》を音もたてずに啜《すす》るのを見ているとしばしば怖くなった。それで或時そっと唾《ねむ》っている妻の顔を見究めようとしたことさえあった。
私達夫妻がはじめてその青年と知《しり》あいになったというのは、妻が右側の第二臼歯を病んで里谷という歯科医に通っていた時のことで、その青年が控室で私の妻の落とした手套《てぶくろ》を拾って呉れたのが機会となったのであった。尤《もっと》も妻はよく手套《てぶくろ》を落とす癖があって、それをまた大抵の場合傍にい合わせる若い紳士が拾うと云うめぐりあわせになるのだが、劇場などではひと晩に二度や三度は珍しくなかった。そしてその時の二人なり三人なりの紳士は、その後二週間か少《すくな》くとも一週間は私達夫妻の客になるのが例であった。勿論その手套《てぶくろ》を落とすというのも弛緩性神経症の為で――。
その時妻はドライ・アイスを固く包んだふじ絹の手帛《ハンカチ》で――妻は手帛《ハンカチ》はふじ絹より外《ほか》に用いなかった――右の頬を押えていたが、何かの拍子に掴んでいた黒の手套《てぶくろ》の片方を取落《とりおと》とした、すると傍にいた青髭の端麗な紳士が腰を跼《かが》めて素速くそれを拾いとった。私は今でも覚えているが、その時の青髭氏の敏速な動作は、猿が居もせぬ蚤を掻探《かきさが》す習性にひどく似通っていた。妻は手套《てぶくろ》を受取ると頬を染めて微笑したが、その微笑こそは私が妻を知り初めて以来はじめて見るものであった。青髭氏はどぎまぎして、腰を跼めて、何かぶつぶつ云って、妻の凝視から――その時妻は既に弛緩性神経症の発作を起していたのだが――遁がれようと外向《そむ》いた、併しふじ絹の手帛《ハンカチ》で頬を押えて、昵《じっ》と覓《みつ》める妻の視線は忽《たちまち》この若者を夢中にさせて了《しま》った。そこで若紳士は赧くなって鼻をむずむずさせた、すると扉が開いて若い綺麗な看護婦嬢が《あ・みさん》と呼んだので、この青髭さんは救われたように起上《おきあが》って診察室の扉へ近づいたのである、ところがそれは間違いで、彼は最早その時診察を済ませて薬の出来るのを待っていたのだという事実にぶつかった。氏を呼んだのはつまり薬局であったのだ。それを見ていた妻が声高く笑った。妻が笑った、ああ、それこそ本当に人間の笑であった。はじめて妻は人間の笑を笑ったのである。その夜私は私の寝間へ妻の訪問を受けた。おかしな――。
これも飾りなく云うのだが、妻は非常に複雑なベエゼのしかたを数多く知っている。私はしばしば自分が《次の部屋》にいるのではないかと疑うことさえあった。心臓を七つ持っている魔女が毎晩その部屋で十人の若者を犯して之《これ》を啖《くら》ったという譚《はなし》が北欧にあるが、妻のベエゼの或ものにはその魔女の舌を思わせるような淫蕩なしかたのがあった。そんな晩には私は毎《いつ》も北へ足を向けて寝るように努めた。というのは、その七つの心臓を持った魔女は、北に蹠《あしのうら》を見せている男は啖《くら》うことが出来なかったと譚《はなし》にあったからである。そう云えばその魔女は恒《つね》に緑色のヴラウズを好んだとあるが、妻の最上の好みは白である。
青髭の若者が私の妻を尋ねるようになってから、私の家の空気は驚く可《べ》き変化を示して来た。妻の男友達――否そう云っては悪い、私達夫妻の友人。斯《こ》う云わなくては本当ではない――は多くとも二週間でその友情は美しい結末をもった。或男は《転任する》と云い又ある者は《病気療養に出掛ける》と云い別の青年は何か指令書の如き紙片を見せて《巡回講演に行く》と云った。そして再びは私たち夫妻の前にその姿を見せることがなかった。尤も妻がその手套《てぶくろ》を落とす毎《ごと》に、その後を受ける紳士に不足はなかったけれど。ところが今度の青髭君は違っていた。彼はもう私達夫妻を訪ねはじめてから四週間近くになっている。ところがまだ彼は何処《どこ》にも転任せず、療養にも行かず、巡回講演にも出掛けない。そして妻はこのところ不思議に手套《てぶくろ》を落とさない。習慣が破られるということは辛いものだ。私は妻の部屋が斯う永く同じ体臭をもった男で塞がれるという事には余り馴れていない。例《たと》え青髭氏が来ている間その扉に錠が掛っていたとしても、それというのが体臭と云っても私は実際の体臭よりもその男の雰囲気をさしていうので――。
併し私は此処《ここ》で妻の名誉のために、その部屋の扉に錠がかけてあるにも不拘《かかわらず》、若者と妻を中に残して私が何故《なぜ》一人外にあるかという事を説明しなければならぬ。ひと言で云えば要するに私が妻を理解していたからである、男達の多くがどぎまぎして、息を喘《はず》ませ、顔を赧めて妻に夢中になる、その原因を知っていたからである。それらは凡《す》べて妻の弛緩性神経症の現われに過ぎないからである、そして可笑《おかし》さに耐えないことは、此《この》事実を知っているのは私をおいて外《ほか》になかったことだ。
そう云う訳で青髭の若者が妻の部屋にいることは私にとっては何らの感情でもなかったが、時折もれる妻の笑声に対しては烈しい嫉妬を青髭にもった。その笑は彼女自身のベエゼの如く複雑で数知れぬ響《ひびき》の変化をもっていた。併しその中には私がライ麦の麺包《パン》を買った時に笑ったものもなく、またシネ・ロマンの《秋の風》を観た時に笑ったものもなかった。その上それは決して七つの心臓をもった魔女を連想させはしなかった。それは本当に人間の笑であった。私がこんなに強く嫉妬するのもそれ故である。
いま、その青髭の若い紳士は妻の部屋にいる、私はいまその部屋から、妻のかける錠の動きを扉のノブに見究めながら、出て来たところである。私は青髭の君に対アメリカの為替相場の対数表示理論を説明してやっていたところが、ふいに妻が例の発作を起したのであった。妻はくったりと体を長|椅子《いす》の上にのべて、両手をふところへ差入《さしい》れながら――そうして無心に自分の乳首をまさぐる事が妻の癖であった――放恣に瞳《ひとみ》を散大させて、唇を歪め、投出《なげだ》した腿の上に片方の足を組んでゆるやかに揺《ゆす》りつつ、何処《どこ》を見るともなく恍惚となって行った。そこで私は毎《いつ》もそうするように立上《たちあが》って妻の部屋から出て来たのである。
考えると実際男というものは滑稽な道化だ。そしてそれを私ほど明確に観察した者はそう多くはあるまい。今日まで手套《てぶくろ》を拾っては訪れて来た多くの若者、そして今また妻の部屋で、恐らくは顔を赧め、息を喘《あえ》がせ、胸を騒がし、夢中になっているであろう青髭の端麗な青年の、かく迄《まで》崇め求めるものが何であるかを云えば、それは単に一種の《弛緩性神経症》でしかないのだ。そしてそれを知っているのは私一人なのだ。
私はこの秘密を、誰にも明かさないで置こう。すればいつまでも私は神の智慧をもっていることになる、そして何も知らぬ哀れな若者達を嗤《わら》ってやるという事はそうつまらぬ興味ではない。私は明日、妻の頼みによって新しく黒い絹の手套《てぶくろ》を購《あがな》う積《つも》りでいるのだ。ああ、いま妻の部屋では、妻の笑う声がしている。
底本:「山本周五郎探偵小説全集 第六巻 軍事探偵小説」作品社
2008(平成20)年3月15日第1刷発行
底本の親本:「今日の文学」
1931(昭和6)年7月
初出:「今日の文学」
1931(昭和6)年7月
入力:特定非営利活動法人はるかぜ