崩壊─ゲームオーバー─(6) ◆gry038wOvE
【ゲームオーバーまでの残り時間────10分】
キュアピーチの猛攻が、一定のテンポを保ちながら杏子を襲う。
杏子の魔力の消費ペースが早まり、体力も時間と共に削られていく。息があがる。杏子もそろそろ、いなし続けるには限界が迫っているような状態であった。
──しかし、どんな瞬間も決して内心では諦めはしなかった。
打開策を見つけ出すのは杏子の「お仲間」の得意分野である。マミも、ベリーも、ブロッサムも、こうして杏子が時間をかけてキュアピーチを倒そうとしている間中、きっと方法を探している。
しかしながら、その中にあって、杏子だけは打開策を見つける自信がない。ならば自分に出来るのは、こうして、仲間が解決をする時間を稼ぐ事だけである。
その瞬間まで、杏子はこの桃園ラブの体に傷をつけてはならないと、必死にキュアピーチの素早い拳を受け続けている。多くの攻撃は避けたが、何発かはまともに顔に入った。それも、今は大した傷ではないと感じていた。むしろ、こうして、自分が正しいと思う事に体が傷つくのならば、今は全く不快ではない。
……これと正反対の生き方をしてきたからこそわかる。
自分の体が傷つくのを避け、他人の体が傷つくのを見届ける──自分の命を守るために、他者の命を餌にする──その生き方が齎した、全身の血管を駆け巡る虫のような、強いストレス。
あの感覚に比べれば、断然、この前向きな痛みの方が心地よいと──杏子はこの場に来て、気づいていた。
(おいおい……でも、もうそろそろ助けに来てくれたっていいんじゃないか?)
杏子は、内心苦笑いでそう思った。
まるで、茶化すように、冗談のように、軽い気持ちで──。そう、多少の痛みは堪えられるし、体は砕けてもいないし、色が青く変わってもいない。まだ耐えるくらいはできるが、だんだんと攻撃を食らう頻度が高まっているのはまずい。
それに、問題は、まず杏子自身の体よりも「時間」だ。
──主催が提示した残り「タイムリミット」はどれほどだろう。
時計を確認する時間もないが、そろそろまずいのはわかっている。
────正確には、残りは、十分ほどだった。
ほとんど、杏子が推測していた時間と同様だったに違いない。
そして、人数は、残り十三名。ダークアクセルの方は残りの僅かな時間で、少なくとも三名は抹殺するつもりである。……だとすれば、誰を殺すつもりなのだろうか。
美希、だろうか……。
キュアピーチをけしかけたという事は、そうかもしれないと杏子は思った。理由も根拠もないが、実際、今そんな物はいらない。漠然とした直感だけでも、充分だった。
今の宿敵は、手近な人間を、ただ適当に狙っているのだ。例外なのは、同じ穴の狢ともいえるあの血祭ドウコクだけだろう。
他は、孤門やマミのように武器を持たない者も、変身者たちも変わらない。彼にとっては、どちらも容易く捻りつぶせる虫のような相手に過ぎないはずだ。それがアリであろうとも、カマキリであろうとも、大きくは変わらない。
「はぁっ!」
と、少しだけ考え事をしている間にも、キュアピーチの正拳突きが飛んでくる。
多少考え事をしながらでも、視覚で捉えた映像さえあれば直感で戦えると思っていた杏子であったが、完全に不意をとられていた。
それでも、避けた、──と、杏子は思った。
しかし、やはり──タイミングは激しくずれ込んでいた。
「くっ……」
一発、また顔面に叩きこまれるのだろうな、と杏子は悟る。変な笑いが口から洩れるところだった。美希が先ほど喰らった時に比べれば微々たる痛みと思えるだろうが、それでもやはり、痛い物は痛い。
しかし、本当にマズいと思うほどでもなく、ただ諦めたように思いながら、敵の攻撃を待つ。
少しは──ほんの一瞬だけ、目を瞑った。
──だが。
「──っ! 杏子さん、大丈夫ですか!?」
その瞬間は、別の誰かによってキュアピーチの拳が抑えつけられる事になった。真横から介入し、キュアピーチの腕を掴んでいる、「別のプリキュア」の姿が杏子の前にあったのだ。
誰かが真横から杏子を助けたようだ。
ッ──キュアブロッサムである。
先ほど、互いに頭をぶつけて痛めたばかりだが、杏子が起きあがったならば彼女もまた起き上がって然るべきか。こうして、杏子のもとに増援に来てくれたのだ。
杏子の頭が癒えていないように、彼女の頭もこの時折朦朧とする感覚に苛まれるのだろう。それでも、今やらねば、もう石堀の猛攻を前に倒れるしかない事は──この場にいる誰にもわかっていた。
「杏子! 助けるわよっ!」
もう片方のキュアピーチの左腕が前に突き出された時に聞こえたのがキュアベリーの声。
解決策を見出し、ようやく、杏子の救出に向かったのである。
言葉で何を訴えるわけでもなく、杏子はキュアベリーと目を合わせた。強いて言うなら、「遅えよ」と、ある意味で冗談めかした想いが込められているのだろう。
それを知ってか知らずか、ベリーは杏子にウインクを返した。一見すると余裕のある所作だったが、ベリーの真摯な目には余裕など込められていないのはすぐにわかった。
ひとまずは、杏子はバトンタッチができたと言っていいのだろう。
助けが来た安心感からか、自然と杏子は場所を退いて、自分の膝が曲がるのを許した。
「はぁっ!」
次の瞬間──半ば機械的に、キュアピーチが、キュアブロッサムを狙った。
それは、明確な対象を持っていない彼女だからこその安易な切り替えであった。
彼女が狙うのは、「自分が憎悪を向けている相手」という漠然とした範囲の中の存在たちである。
──つまるところ、この場にいる全員だ。無差別に一人ずつ殺すのが彼女の目的なのである。
万が一、全員を殺しつくしてしまったのなら、その後に自らも何らかの手段で自害するかもしれない。
等しく向けられた愛情が故であった。反転宝珠の魔力は、プリキュア同士の「禁断」の戦いを許してしまう。まさしく、悪魔の道具だった。
しかし、それはおそらく弱点の一つだ。対象を絞れない単騎が多勢を相手に勝機を得られるはずがない。戦闘の駒としての使い勝手は実に悪い。
──おそらく、石堀の狙いは、精神攻撃だ。
昨日までの仲間が我を失って襲ってくる、というシチュエーションこそが彼の求めたものである。キュアピーチそのものが持つ戦闘能力には最初から期待を寄せていないようだ。
戦闘能力を期待するならば、ラブは適任ではないだろう。他にいくらでも相手はいる。
その一方で、この手の精神攻撃の担い手としてはこれ以上の適格者はいない。──豹変する事により、周囲の戦意を喪失させる絶好の担い手である。
「はっ!!」
殴りかかろうと伸び切ったキュアピーチの手を、真横からキュアベリーが蹴り上げる。長い足は、キュアピーチが感知するより前にピーチの腕を空へ弾ませた。
力を失い、重力に流されて体の右側面に戻っていく腕。その手がキュアブロッサムの体を痛めつける事は、なくなった。
「はぁっ!!」
次の瞬間、キュアベリーの体はピーチの懐へと距離を縮める。
思ったよりも簡単にピーチと息のかかる距離まで辿り着いた。右腕が強い力で空へと向けられたので、ピーチ自体がかなり大きくバランスを崩し、頭を後ろに傾けている。
その隙に胸元の「それ」へとベリーが手を伸ばす。
「……ッ!!」
ベリーが手を届かせるより前に、キュアピーチの左腕が動いた。
真横からピーチがベリーの手首を掴み、強い力で引いた。藁をも掴むような我武者羅さが見られた。
ピーチの体自体が後ろに倒れかかっているのも相まって、ベリーの体もまた、ピーチを押し倒すようにして倒れていく。
二人は、すぐに重なり、地面に倒れこんだ。ピーチは頭を打ち、ベリーは倒れまいともがきながら体を捻って落ちる。
砂埃が、少女二名を包む。
「──次ッ!」
ベリーが叫んだ。
先に立ち上がろうとしたのは、ベリーだ。その一声で、彼女の意思はブロッサムにも伝わった。
「はいっ!」
ブロッサムが、すぐさまその小さな砂埃の方へと駆けだす。
しかし──。
ブロッサムはその脚を、また急停止させた。
「──ッ!」
走りだそうとした次の瞬間に、彼女の眼前で、砂埃の中からキュアベリーの姿が舞い上がったのである。地上から投げ出されたように──キュアベリーの体が真っ直ぐ真上に、十メートル近く──放り投げられるのを見上げる。
ベリーは、苦渋に目を瞑り、歯を食いしばりながら、空から落ちる。
「──危ないわね……っ!!」
叩きつけられる前に。──空中で体を地面と垂直になるように立てる。
両足が地へと着くように、体の力を抜いて、空を舞うように……。
そう。上手い具合に体勢を整え、足を地面に向けた。
──着地。
しかし、少しばかり対処が間に合わなかった。
右足こそ、足の裏が地面を掴んだものの、左足は膝をついて着地している。皿が軋むような痛みに、声にならない声をあげていた。
左目を思わず瞑り、反射的に涙のような、ぬるい水の塊が目に溜まった。
「!?」
ブロッサムが、真横に落ちたベリーに驚いて動きを止める。
ピーチの方が、一歩早く「対処」を行ったらしい。ベリーが悪の芽を摘む前に、ピーチが「触れられる事を拒んだ」のである。
今のピーチは憎い存在に接触される事を拒んでいるらしく、今もまた、覆いかぶさったベリーを全力で拒んだ。その憎悪の分量だけ、ベリーは高い空に向けて投げ飛ばされた。
──それが、“愛情”による“拒絶”であった。
体に触れられる事そのものに拒否反応を示す現状では、安易に体に触れるのは難しいだろう。
つまり、あのブローチを取るのは、倒す以上に容易ではない。
「……」
ぐっ、と。
ブロッサムは、両手を握り、顔を引き締める。ブロッサムの中に、ちょっとした想いが湧きあがって来た。
彼女は、目の前のキュアピーチを見た。やはり、キュアベリーを吹き飛ばした後にも、憎悪を帯びた瞳でこちらを睨んでいる。
「はぁ……はぁ……っ!!」
それを見ていると、やはりキュアブロッサムはむず痒い想いに駆られる。
それが敵の狙いだとわかっていても──。
今のキュアピーチは、桃園ラブの本当の心と全く正反対に体を動かしているのである。
それを見ていると、どうしても花咲つぼみの中には、激しく嫌な気持ちが湧きあがってきてしまうのだ。
「ラブさん……」
ブロッサムは自分の想いを伝えたい相手を明確にした。
前方で、憎しみの瞳でこちらを睨む少女は誰か──。
そう、その人はキュアピーチである以前に、桃園ラブという一人の人間である。
そして、彼女の「愛情」は、プリキュアの力による物でも、キュアピーチだからこそ持っているという物でもない──ラブが、恵まれた日常の経験と痛みの中で培われた感情が生みだした物だ。
必要なのは、キュアピーチではない。キュアピーチになる運命を背負った、「桃園ラブ」という一人の少女である。
そんな彼女の人生を、安易に外から植えつけられた何かに捻じ曲げられていいものであろうか。
「──そんなちっぽけな物の魔力で、自分の事を否定しないでください!」
ブロッサムは、真っ直ぐピーチの瞳に向けてそう言った。
ピーチは、そんなブロッサムの方を、少し怪訝そうに見つめた。純粋に何を言っているのかわからなかったのかもしれないし、今はただ他人の言葉を拒絶しようとしているのかもしれない。
ベリーは少し押し黙り、ブロッサムの声がピーチの耳に届くようにした。
「あなたが今向けるべきは、憎悪じゃありません! あなた自身が本当にみんなに向けたい物は、もっと別の物のはずです!」
ピーチは、ブロッサムの声そのものにどことない不愉快さを感じたのか、顔を一層顰めた。
力を体の中心に集めるように構え、即座にブロッサムに向けて駆けだすピーチ。
野獣のように、膝を曲げて駆け出し、爪を立てた右手でブロッサムの口を封じようとする。
相手の声の端、言葉の端さえ、むず痒い思いへと形を変えるのである。
それが、反転宝珠の送りこんでくる憎しみの力。それは、その言葉が本来のラブが好ましく思う言葉であればあるほど──今のキュアピーチにとっては強い憎悪となる。
ブロッサムは、その右手の五指の間に、自分の左の五指を挟み込むように食い止めて、己の口が塞がらないようにした。純粋な力比べであるように見えるが、利き手でない事や、体勢の悪さも含めて、ブロッサムは力押しでは不利だった。
苦渋に満ちた声を、必死に絞り出す。
「あなたが本当にしたい事は……こんな事じゃ、ないはずです!」
「うるさいッ!!」
「ラブさんが今言いたいのは、そんな事じゃない!!」
蒼乃美希とは反対に、花咲つぼみは、元の桃園ラブを思い出すほど、何か力が湧きだす性質があった。
ラブにとって、このままでいる事が何より辛いと思えた。たとえ、体の痛みは、心が痛む気持ちには敵わない。
──そう、「花咲つぼみ」だからこそ、「本当の自分」が殺されてしまう痛みはよくわかる。
自分の思っている事も口に出せず、自分のやりたい事もできなかった経験を。
自分のしたい事が、“想い”以外の何かに抑圧されるような“思い”。
花咲つぼみは、そうして自分を殺して生きてきた。笑顔であるように見えて、内心では自然と父親や母親の機嫌を伺い、──そんな中に本来の自分の想いを潜めて、時には心の中で涙を流しながらも、空元気の笑顔で周りを安心させようとする。
そんな彼女を、引っ込み思案、と人は言う。──まさにその通りだった。彼女自身も否定はしない。
しかし、そのままであっていいとは思わない。
だから、彼女は、転校を機会に変わってみせようとしたのだ。
「きっと、私が……一番わかっている事です。自分が本当に言いたい事も言えない時って……、とても苦しかったんです!」
「それなら口を封じてあげる──ッ!」
「今、本当に自分の言葉を告げられずにいるのはあなたの方です! 苦しんでいるのは、……桃園ラブさん、あなたなんです!!」
そして、強くピーチの右手を掴んだまま、ブロッサムは、ピーチの脇腹を──蹴り上げた。
思わず……まさに、不意の一撃に、ピーチは、これまで見せた事のないような驚愕の表情を形作った。そして、空にアーチを描きながら、地に落ちていく。
「──ッ!?」
不意の一撃──いや、それだけが彼女を驚かせたわけではない。
キュアピーチも、本能的に、「急所を狙う」という戦法に、キュアブロッサムらしさがないと感じたのだ。何度も一緒に戦ってきた相手であるがゆえに、その本能で彼女の攻撃パターンは理解していたのだろう。
彼女が何故、そんなやり方をしたのか──。
その答えは、次の瞬間に本人の口から出された。
「だから……あなたを、本当の桃園ラブに戻す為になら、あなたの心の苦しみを止める為なら……私は、鬼にだってなります!!」
喉のあたりから唾液が唾液の塊が吐き出されるほど強く叩きつけられ、脇腹を抑えているキュアピーチ。うつ伏せの体型で腹部の痛みを訴えた。
そんな姿を、憐れみ一つ見せずに見下ろしているキュアブロッサムの顔がある。
ピーチは、それを見上げて、僅かにでも感じた恐怖を奥歯で噛み殺し、顔を引き締めたようだった。
脇腹を抑えながらも、両足と顔で「三足」を地面に突き、その状態で両足を伸ばし、彼女は立ち上がった。
額に汗が浮かんでいた。
◇
そんな戦いが繰り広げられていた傍ら、束の間の──本当に僅か、一分ほどを想定した──休息で膝をついている杏子の胸には、何か暖かい物が湧きあがってくる感覚があった。
既視感、のような何か。
時には、それは懐かしみを帯びて、時には、体の均衡を崩させる。
いつかどこかで感じた何かが、再び杏子の中に再来している。
それが何か──その答えは、わからない。
「杏子ちゃん、大丈夫?」
マミと孤門が駆け寄って来る。今、杏子も無意識のうちに体がよろけたのを見て、余計な心配をさせてしまったのかもしれない。
戦闘から一時退去し、またすぐに戦いに出ようとする彼女であるが、ひとまず彼女たちに状況を訊こうと思った。体を張って時間稼ぎした結果、どのような解決策が生まれたのか。
その策に自分は参加できるのか、乗れるのか。それを簡潔に伝えてもらい、休む間もなくまた前に出なければならない。
──時間がない。
この状況下、スムーズに、杏子の疑問へのアンサーを提示できるのは、仮にも特殊部隊所属の孤門であった。
「……杏子ちゃん。ラブちゃんを操っているのは、あの胸のブローチだ」
そして、杏子が訊くまでもなく、杏子に伝達されていなかった情報は孤門が告げた。
言われて少し考え、杏子も納得したように口を開いた。
「……やっぱりあの怪しいブローチか」
「怪しいとは思ってたんだね」
「ああ。でも、怪しすぎて逆に手が出しづらかったんだ。……だって、あたしの場合はブローチを捨てられたり壊されたりしたら、心臓が永久に止まるんだぜ」
孤門は、杏子の一言で納得する。──なるほど、“ソウルジェム”という「命」をブローチにして着飾る彼女たちには、敵のブローチを砕くという戦法は心理的に難しかったのだろう。
勿論、相手は魔法少女ではない。だが、万が一……という事もありえる。それを考えると、やはり触れる事は出来なかった。
得体の知れない物には触れぬが仏……であるが、今回の場合は破壊してしまって良かったようである。振り返れば、破壊するチャンスがいくらでもあったのは杏子自身もよくわかっている。
「とにかく、あのブローチを逆さにするか、破壊するかがこの場合の最良の手段だ」
「……それなら簡単じゃねえか」
「でも、今のキュアピーチはそれをやろうとすると激しく拒絶しようとする。簡単にはいかないよ」
「わかってるよ。でも、それを踏まえた上で簡単だって言ってるんだ。あたしには、この槍がある」
プリキュアと魔法少女との決定的な違いは、道具の多彩さである。
笛やバトンを武器にするプリキュアに対して、魔法少女は銃や槍や剣を武器にする。武器のヒットが長かったり、飛び道具だったりする分、ピンポイントな破壊行為をする際にも、プリキュアほど接近する必要はないのである。
この場合、マミが魔法少女に変身できたなら最高なのだが、それができない以上、杏子が破壊するのが最もベターな手だろう。
何、そんなに難しい事でもない。──と、杏子は思う。
「じゃあ、早速……」
そう思った矢先、また、何かが杏子の頭に浮かんで体をふらつかせた。
眩暈か、蜃気楼か、発熱か、……そんな風に体全体の力が弱くなる。
「──……っっ!?」
血圧が大きく下がったような体の不自由に、ひとまず槍を杖にしようと地面に突き刺す。
すぐに、杏子の元にマミが駆け寄った。杏子の背中に、マミの腕の暖かさが重なった。
この暖かさは、久々に感じた物だった。
「佐倉さん!?」
「大丈夫だ、心配はいらない。なんだかわからないけど、さっきから……」
体がどうも、何かを置き忘れているような感覚を杏子に訴える。
だが、そんな杏子に、マミの方が顔を引き締めていた。
マミが、落ち着いて口を開いた。
「……こういう言い方をするのも何だけど、心配をしたわけじゃないの」
「じゃあ、何だよ」
不機嫌になるほどではなく、しかし、顔を顰めてマミに訊く。
そりゃどういう事だよ、と。
「──私もさっきから、何かを感じてる。……魔法少女じゃない、別の何かの力」
ふと。
その言葉を聞いて、杏子の中にあった既視感は──、「解決」に近いところまで手繰り寄せられた気がした。
それは重大なヒントであった。
しかし、それは「解決」とまでは行かない。
だからこその既視感というのはもどかしく、焦燥感まで帯びる物に変わっていく。
(いや、待て……)
もう一度記憶をひとつひとつ遡れば、確実に思い出せる。この感覚は、確かに一度感じた事がある物だ──。
いつ。
それを思い出せば、全てがわかる気がする。
──杏子は、ここに来てからの事を順に、再度頭に浮かべた。
「まさか……」
そう。
(あの時の……)
──記憶は、あの、血祭ドウコクとの戦いの時にまで遡った。
杏子自身の頭に浮かんでくるイメージは、まさにあの戦火の翔太郎、フィリップとの共同戦線の際の出来事だ。
ウルトラマンネクサスとしてドウコクに挑み、傷ついた杏子が受けた血潮の滾り。ザルバからの激励。人から受け継いだ、光ではないもう一つの力。
あの瞬間、杏子に力を授けた精霊の声。
(──アカルン!)
そう、これは彼女が杏子に力を貸した時の体の温かみだった。情熱が心臓から湧き出るような感覚。
そして、マミも同様だ。彼女はキルンによって肉体と魂を繋いでいる事を思い出した。
杏子の頬の筋肉が上がる。
訝しげな表情のままのマミに、杏子は声をかけた。
「マミ──久しぶりに、やるぞ」
「え……?」
杏子の言葉に、またマミが不思議そうに見つめた。
戦闘能力のないマミが、今から杏子の行く先に動向できるわけはないが、杏子はそれを促していた。来い、と告げているような一言だ。
杏子は、マミの顔を見つめ、悪戯っぽい笑顔でこう言った。
「また二人で一緒に戦うんだよ、マミ」
◇
石堀光彦も、戦況を見て、多少は驚いていた。思ったほど余裕の状況ではないらしい。
どんな手段を使ったかはわからないが、少なくとも血祭ドウコクと外道シンケンレッドがここにいる。この二人が再び寝返ったのは、石堀にとっても予想外であった。
何故、だ。
それを少し考えた。少なくとも彼らが「利益」以外で寝返るはずはない。この自分と同じく、残りの参加者を減らすのに一役買ってくれると思ったのだが……。
「……」
眼前に並ぶ六人。上空に一人。それから、付近には他に敵がもう六人。もう一人いるが、それは一時的な洗脳で仲間にしている。
合計、十四名。
内、参加者に該当するのは、外道シンケンレッドとレイジングハートを除いた十二名。簡単な引き算である。元の世界に帰るのに必要なのは、三名の生贄。
それから、外道シンケンレッドやレイジングハートがカウントされていた場合の為にもう二人ほど削った方がいいだろうか。
いっその事、全員殺してしまった方が遥かに良いかもしれないが、些か遊びが過ぎたようでもある。残り時間は十分ほど。目の前の敵全員が焦燥感に駆られつつあるのがこちらの楽しみであるが、もう良い。
そろそろ足場を組んでいこう。そうしなければならない……。
「──あんたまで、俺の敵に回るとはな……」
血祭ドウコクへの一言。
それは、「俺の予想を上回った事には敬意を表してみせよう」という意味合いも込められていた。
しかし、それほど意外であるはずにも関わらず、当のダークアクセルは、それでもまだどこか飄々としていて、危機感などは皆無に等しかった。ドウコクを大きな相手とも見ていない。結局は、アリ、カマキリに加えて、クワガタムシが一匹紛れ込んだ程度にしか思えていないのだ。
「……『敵の敵は味方』ってほど、単純な話でもねえからな」
ドウコクが、ダークアクセルの言葉にそう返した。
だが、その実、その言葉とは些か矛盾する証拠が一つあると、ダークアクセルは睨んだ。 すっ、とダークアクセルの右手がドウコクを指差す。
「それにしては、随分体を張ったじゃないか……」
血祭ドウコクの背中からもくもくと登っていく灰色の空気がダークアクセルの目には映っていた。彼が指差したのはその「煙」だ。
──あれはどこから発されている物だろうか……。
その煙が出ている角度を見れば、それは一目瞭然だ。ドウコクの体から、真後ろへと逃げ出していくように湧き出ている。
では、何故こんな物が立ち上るのか。解答は一つだった。
「──背中の傷は、あんたの家臣から受けたものだろ?」
──外道シンケンレッドの攻撃を受けたのだ。
ダークアクセルは、ここに生えている木の数だけ目があるように、全てを見透かしている。
ドウコクの背中にある、「それ」は、生新しい火傷──常人ならば全身が蹲り黒い炭の塊にされても何らおかしくないほどの炎を受けた痕であった。
一度ぐつぐつと体表が溶解し、それが再度空気に触れて渇いた生々しい傷である。
「……」
その質問に、答えはなかった。
無言。沈黙。回答の必要なし。──ドウコクはそう判断した。
しかし、やはりというべきか、石堀の憶測は、実際には、正解であった。
「……」
────本来なら涼邑零が受けるはずだった一撃である。
だが、手駒が減るのを渋ったドウコクは、零が外道シンケンレッドの砲火を浴びるのを、自らの体を張るという形で防ぐ結果になった。
その瞬間の零の驚きようは並の物ではなかった。どんなホラーに出会った時よりもずっと……。それほどの意外の出来事であった。
今も、涼邑零は、どこか信じられないといった風にドウコクに目をやっている。
「……チッ」
……しかし、それは、人間らしいやり方に目覚めたからではなく、もっと根本的に、利を第一に考えた為である。
このまま、彼らと共に脱出を目指す方針を変えないならば、絶対的に必要なのは零のホラーを狩る力だ。彼にしかできないという性質が実に厄介だ。せめて、もう一方の冴島鋼牙が生存していればまた別であったが。
主催側に存在するホラーを倒す事が出来るのは彼だけである為、彼を死なせてしまえば自陣は「詰み」である。
ドウコクが体を張った理由は、ただそれだけだ。
(コイツの言い方は癪だ、気に入らねえ……ッ)
……とはいえ、ドウコクは、やはり思考の中で石堀への怒りを募らせた。
石堀光彦は、おそらくドウコクがその攻撃を受けた経緯も──そして、理由も察しているのではないかと思った。
しかし、敢えて彼は、その理由を誤って──「ドウコクが人間に近づいた」というように──認識しているように振る舞っている。
もっと率先的に、感情に任せて零を庇ったのだと推測したような素振りを見せ、それによってドウコクを苛立たせようと挑発しているのだ。そんな挑発には乗るまいと思うが、やはり怒りとは自然に沸き立つものだ。
「……まあいいさ。それがどんな理由であれ、俺にはどうでもいい。さっさとケリをつけたいものでね……!」
そう言うダークアクセルの微笑み。それが仮面越しに見えた気がした。
──そして、これが、戦いの始まりの合図だった。
次の瞬間、彼の足は地面を踏み出し、眼前の六名の前に距離を縮める。
六名は、ダークアクセルが辿り着く前に、それぞれ自然と、それを避け、先手を打ってダークアクセルを囲むような陣形を組んだ。
彼の足が止まる。自らを囲った周囲の戦士の陣形を、“感じ取る”。
目の前にジョーカー、その右方にエターナル、その右にゼロ、その右に外道シンケンレッド、その右にドウコク、その右にスーパー1、その右にはガイアポロン……。円形の中心にダークアクセルが囲まれ、それを上空からレイジングハート・エクセリオンが見下ろしている。──という状況。
その場に流れる異様な緊張感を打ち消したのは、賽を投げたような一つの声。
「──獅子咆哮弾!!」
仮面ライダーエターナルがその円の中から、一歩前に踏み出て、即座に、ダークアクセルに向けて黒龍の形をした波動を放つ。
──獅子咆哮弾が、ダークアクセルを飲み込もうと向かっていた。
「フンッ!」
だが、その一撃は突如としてダークアクセルの目の前に展開された深い紫色のバリアが阻んだ。彼はエターナルの方を一瞥する事さえなかった。
不幸を糧とした一撃は、ダークアクセルのフィールド上で織り込まれるように吸収される。一秒と経たぬうちに、そのエネルギーは全て飲み込まれ、それと同時にバリアも空気の中に溶けていった。
この防御壁は厄介だ──、と、内心思い、エターナルは次の手段に出る。
「エターナルローブソード! ──」
背中のエターナルローブを引き剥がすと、そこにエターナル──響良牙は「気」を込める。ガミオやあかねを相手にした時と同様の戦法だ。
良牙が送りこんだ気によってエターナルローブは、布から剣へと性質を変えるのだ。彼はそのエターナルローブをこの時、「エターナルローブソード」と名付けた。
勿論、これは並の人間ならば不可能な芸当であるが、良牙はこんな手品のような荒業を平然とやってのける。もはやその事実は解説不要だろう。
「──ブーメラン!!」
続けて、エターナルはそう叫んだ。
一見するとわからないが、エターナルローブは硬質化すると同時に、両刃の剣となっている。それを空に向けて放り投げ、回転ブーメランのように操ろうとしているのだ。
布から生成された剣は、ダークアクセルを狙う。
風を切る音を絶えず鳴り響かせ、凄まじいスピードで敵に向かっていくエターナルローブ。味方にさえ僅かの恐ろしさを覚えさせた。
「──ッ!」
しかし、ダークアクセルは身を翻してそれを回避する。
足は動いていない。上半身だけを素早く動かしたようだ。
「フン……」
ダークアクセルを囲むように、エターナルの対角線上に立っていたドウコクは、このブーメランの軌道にいるが、彼は一切、それを回避しようとしない。
──いや。
する必要はなかった。
エターナルローブは、まるで意思でも持っているかのように、ドウコクの体を避けたのである。──良牙の持つ絶妙な力加減によって成された技であった。
彼としては、たとえドウコクに当たろうが構わないとしても──今優先すべき敵を見誤る事だけは絶対にしなかった。
(一歩でも動いたら、ブチ抜く──味方も傷つけるかもしれねえ諸刃の剣ってわけか……)
ドウコクもそれを、本能的に察知したようだった。
だから、回避をしなかった。
そこにいたのが、左翔太郎であったなら、回避行動をして却って体を傷つけていた可能性がある。──この場合、ドウコクが外道であったがゆえに、避けずに済んだのだ。
とはいえ、元々、良牙自身も、そこまで近しい味方がそこにいたなら、おそらくこの技は使わなかったのだろう。良牙とドウコクの間に信頼感がない証であるとも言えたが、同時に良牙は、そこにいたのがドウコクで良かったとも思った。
「フン……」
──彼の真横を通り過ぎて森の奥へと消えたブーメラン。
森の向こうで、そのブーメランによって木枝が切り離され、木の葉が舞っている音が聞こえてくる。
そして、それはブーメランという武具の性質上、それはどこかでもう一度返ってくる。森の木々をかいくぐり、再びダークアクセルの体を狙う事だろう。
ダークアクセルは神経を研ぎ澄ませる。
そして、その武器は、やはりすぐにUターンして、再び接近した。
「──そこだっ!」
ダークアクセルが並はずれた集中力でエターナルローブソードブーメランを捕捉する。
真後から接近するエターナルローブソードブーメランを、振り返り、闇のバリアを展開して防御する。
それが防がれ、闇に阻まれた。
──しかし。
「何ッ!?」
その瞬間──そんな彼の眼前で、一瞬では数えきれない無数のエターナルローブソードが襲い掛かったのである。
彼の視界を埋め尽くす黒い刃たち──。
それらは、全て、ダークアクセルに収束してくるように向かってきていた。
はっとして見てみれば、目の前で自分が防いだはずの「エターナルローブ」は“消えている”。地面には、一片のくもりもない。闇が吸収してしまったわけではない。
一瞬の焦燥感に見舞われたダークアクセルだったが、空からの攻撃はバリアを展開して防御する。轟音が響く。
すると、幾つものエターナルローブがその中に飲み込まれ、一瞬にして消えていった。
(そうか……ッ!)
ダークアクセルは理解する。
「何をやっている……!?」
“それ”は、スーパー1の言葉だった。
ダークアクセルが何をしているのかわからない、という意味であった。
彼のレーダーは、“ダークアクセルだけが見ている映像”を捕捉していないのだ。
「──なるほど、この俺に、幻惑を仕掛けるとはなッ!」
エターナルは、「T2ルナメモリ」の力を発動していたのである。
これにより、本来一つしかないエターナルローブを「八つ」にして、その全てでダークアクセルを狙った。攪乱させて幻惑を切った隙を狙い、本物で斬りつけようとしたのだろう。確かに、一度はそれに引っかかりそうになったが、無事打ち破ったのは、地に落ちた「気」の抜け殻を見ればわかる。
その幻惑の効果は、エターナル以外にはなかったのだろう。
──その無数の幻惑の中に一つだけ、手ごたえのある攻撃があった。
直後、その手ごたえを感じる一撃は障壁に弾かれる。──ダークアクセルの後方を狙う攻撃だった。どうやら、視神経が全て前方のそれに集中した隙を狙うつもりであったらしい。
幻惑は全て消え、本物のエターナルローブも既に地面に払われてしまったのをダークアクセルは確信していた。
良牙の作戦は、障壁によって破られたというわけだ。
「しかし、外れたな……どうやら策は失敗だったようだぜ、良牙」
と、ダークアクセルが安心した瞬間であった。
「……馬鹿が」
エターナルが冷徹に呟き、ダークアクセルに向けて中指を立てた。真っ直ぐ突き立てられた中指に、ダークアクセルも直感的に不穏な意図を感じた。
はっとして、周囲を見回す──。
──と、同時に、「第四」のエターナルローブの刃がダークアクセルの頭上に降りかかったのである。何トンもの重量を持つ物質が地面に落ちたような音が鳴り響く。
それは、完全にダークアクセルの意表を突いた攻撃であった。
(────何ッ!!)
既に本物が転がっていたはずなのに、──もう一つの「本物」が己を襲ったのだ。
エターナルローブは、“二つ存在した”──?
「エターナルローブを出せるのは、俺だけじゃねえんだよッ!!」
エターナルの真上から、もう一人の「エターナル」が着地する。
仮面ライダーエターナルは唯一無二の存在である。そして、その武器であるエターナルローブも同様だ。
しかし、ここに居るエターナルは、決して幻想の産物ではなかった。
「──そう。厳密には、“偽物”ですが、」
それは、ダミーメモリで仮面ライダーエターナルの姿に変身したレイジングハート・エクセリオンであった。彼女が隙を見て、「本物」を一つ作りだしていたのだ。
先に地面に落ちた八つのエターナルローブは、ルナの力によって発現した「七つ」と、エターナルから放たれた「一つ」──しかし、「もう一つ」の本物が即席で生み出され、それが敵に一矢報いた。
確かにエターナルの作戦は失敗していたかに見えたが、そこに加担し、成功に導いた者がいたのだ。
「これは、“本物”の怒りをあなたに向けてた一撃です──!!」
エターナルの姿を模していたダミーは、再び、高町なのはの姿へと変身する。
こちらの姿の方が、仲間内の「判別」の上では混乱も起きないと配慮しての事だ。
本物のエターナルが、前に出る。
「本当は俺の手でテメェを倒してえが、テメェを潰したいと思ってるのは俺だけじゃねえんだぜ!」
エターナルの中で良牙は思った点…。
あかねを狂わせ、殺したのは間違いなく目の前の敵だ。
しかし、それでも……。
この憎しみを持っているのは、響良牙だけじゃない。
だから、誰が力を貸してくれたっていい。
「トドメは誰にだって譲ってやる……。ただ、絶対に──」
──オマエを倒す!!
良牙の心の叫びがその場に反響した実感があった。
その瞬間に、偶然にもその場に吹いた風が、誰かの心の追い風となっていった。
彼には負けていられない、と。
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最終更新:2015年07月23日 21:48