武蔵野鉄道1000系電車
武蔵野鉄道1000系電車は、昭和38年に輸送改善のために登場した通勤型電車である。

標準車体
アルミ車体
ステンレス車体
概要
当時の武蔵野開発鉄道は、昭和30年代沿線人口が急激に伸び輸送力不足に悩んでいた。終戦直後から国鉄63型の配給を受け、その後も国鉄73型電車とほぼ同型の電車(後期型は主電動機などが異なる)を増備し続けたが、輸送力はなかなか追いつかなかった。また、性能不足や乗降時間の伸びにより遅延が慢性化していた。この状態から抜け出すために高性能で経済的な通勤型電車が求められるようになってきた。このような背景の中誕生したのが1000系電車である。
コンセプト
- 経済性
当時の武蔵野鉄道は、車輌増備が輸送量に追いついていない状況であったので高い経済性が求められた。このため、国鉄規格を取り入れた車輌設計が行われた。車体構造は当時の国鉄103系電車に準じたものを使用し、台車は独自設計のもので、基本的に軸箱はペデスタル方式、枕ばねにはダイレクトマウントの空気ばねを採用している。車輪径はM台車が910㎜、T台車が860㎜(いずれも新品時)である。例外として川崎車両製の車はOK式台車、東急車輛製造製の車はパイオニアⅢ台車(パイオニアⅢ台車のみM台車とT台車が共通設計)を装着している。主電動機は国鉄103系電車に採用されたMT55型に補極補償巻線を付加した改良タイプのモータ(出力は110kW)、主制御器はCS20型改、その他運転台機器、客室設備、客室窓などにいたるまで積極的に国鉄部品を使用することで、製造コストを下げることに成功した。またたいていの部品は豊富に確保ができるため、維持コストを下げることにも成功している。
- 安定した性能
MT55ベースの比較的低速回転重視のモータと国鉄103系並みの低速ギヤ(6.07)、25%弱め界磁の組み合わせによりそこそこの加速性能(MT比1対1のとき起動加速度2.3)と高速性(最高運転速度105km/h)を両立している。また、応答性の良いHSC-Dブレーキを採用し空気・発電ブレーキの高い協調性と優れた効き(減速度 常用4.0km/h/s 非常4.5km/h/s)を実現している。
- 乗降性の高さ
従来から、20M級片開き4ドアの乗降性の高さは武蔵野開発鉄道の輸送改善に大きく役立ってきたが、これがさらに両開き4ドアになることによりさらなる乗降時間の短縮、遅延緩和に役立った。
- 居住性の高さ
座席はロングシートであるが、ゆったりとしたものにすることにより通勤型としては長時間の乗車に耐えうるものとした。また、空気ばね台車の採用により閑散時と混雑時の車体高の変動を防ぎ、乗り心地の向上につながった。この結果、現在の水準でも居住性では通用する車輌になった。
増備について
昭和38年から昭和44年の6年間にかけて、2両編成が25本、4両編成が20本、6両編成が17本の計232両(のちの機器流用アルミ車・ステンレス車を除く)が武蔵野車輌製造、日本車輌製造、川崎車輌(川崎重工業)で製造された。製造年ごとにドアなどに違いがある。なお、昭和41年5月製造の車輌から電動機の変更(110kW→130kW)及び歯車比の変更(6.07→5.6)が行われている。電動機の主な改良点は冷却と絶縁の改善である。これに伴い高速域の加速性能が向上し、最高速度も110km/hに向上している。
試作アルミ、ステンレス車体
昭和43年に試作アルミ、ステンレス編成を4両1本ずつ製作した。アルミ車体は日本車輌製造で、ステンレス車体は東急車輛製造で製造された。
省力化や軽量化の効果は認められたが、2000系電車は輸送力増強のために容易に広幅車体を製作できる普通鋼で製作することが決定したため、その成果は直接生かされることはなかった。
省力化や軽量化の効果は認められたが、2000系電車は輸送力増強のために容易に広幅車体を製作できる普通鋼で製作することが決定したため、その成果は直接生かされることはなかった。
冷房化改造について
昭和47年から、旅客サービスレベルの向上のため冷房化が開始された。集中型冷房機AU75型を取り付け、ラインデリアを取り付ける工事を行った。
パイオニアⅢ台車とOK台車の組み合わせについて
昭和48年に小田急電鉄で起こったパイオニアⅢ形台車を履いた車両の脱線事故に伴い、社内で1000系の東急車輛製の車両と川崎車両製の車両が連結すると脱線事故を起こす可能性が指摘され始めた。
そのため、台車振替が実施されパイオニアⅢ形台車をを履いた車両は全て編成の中間に入るようになった。
この過程でパイオニアⅢ形台車はすべてM台車として使用されることになった。
また、先頭車で振替できなかった車両に関してはペデスタル式台車を新造して旧台車を棄却することで対応した。
そのため、台車振替が実施されパイオニアⅢ形台車をを履いた車両は全て編成の中間に入るようになった。
この過程でパイオニアⅢ形台車はすべてM台車として使用されることになった。
また、先頭車で振替できなかった車両に関してはペデスタル式台車を新造して旧台車を棄却することで対応した。
体質改善工事について
昭和61年から、新形式車とのレベルの差を減らすために体質改善工事がおこなわれた。具体的には、
- 車体の腐食部分の全面的修繕。
- 室内を3000系電車と同等にリニューアルする。
- 主制御器の更新(界磁添加励磁制御化改造)。
- 初期車に関しては電動機の絶縁強化、それに伴う出力向上(一時間定格110kW→一時間定格130kW)、歯車比の変更(6.07→5.6)を実施した。
- 走行安定性や乗り心地で他の台車より明確に劣っていたパイオニアⅢ形台車はペデスタル式台車に交換された。
- この改造で初期車も最高速度110km/h運行に対応した。
- 初期車の体質改善工事がスタートしてから、初期車に後期車の電動機が積まれるもしくはその逆(絶縁強化後)事例が多くみられるようになった。
- 本系列の体質改善工事の時期と前後して8000系(初代)の制御車・付随車の一部に、1000系とほぼ同等の電動機(国鉄廃車発生品のMT55)+主回路(体質改善後と同等)を搭載した上でこの体質改善工事と同じ更新工事を行い1000系に編入された車両も存在する。台車の違い(電動車は独特のインダイレクトマウントのペデスタル式コイルばね台車、付随車はTR48タイプの台車)で見分けが付く。これに該当する編成は2両編成と8両編成のみである。
再度増備された1000系
3000系を増備している時期に国鉄部品流用車の9000系を増備していたが、運転特性は問題ないものの消費電力が大きいことが問題視されていた(2000系より多く、編成の組成によっては特急用の100系に近い値)。そのため流用する電動機をMT46・54系から昭和60年代には廃車が始まっていた国鉄103系の電動機であるMT55形電動機に変更することにした。MT55形電動機は、1000系の電動機に特性が近い(補極補償巻線の有無のみ)ため1000系の枠で増備することとした。これに伴い既存の1000系の組み換え、運転台取り付け改造などが実施されている。組み換えで発生した8両編成は2000系並みの高性能を発揮し重宝されたようである。
グループ1 幅広アルミ車
昭和62年から増備がスタートしたグループ。1000系と同じような特性であるものの界磁弱め率に制限のあるMT55形電動機を採用するほか、歯数比を5.6としたため軽量化の要求が厳しく、3000系をベースにした車体であるが大型押し出し形材を採用したアルミシングルスキン車体の採用、戸袋窓・妻窓の廃止など徹底した軽量化を実施している。国鉄の廃車発生品の流用度合いは9000系と同様である。このグループは2・6両固定編成のみである。後の3000系体質改善工事車と同様の体質改善工事を施工し3000系に編入された。
グループ2 幅広ステンレス車
平成4~6年に増備されたグループ。4000系をベースにした軽量ステンレス車体であるが、戸袋窓・妻窓が無い。グループ1と同様に2・6両固定編成のみである。こちらも体質改善工事で4000系に編入された。
編成図
←太田
クハ1100 | モハ1200 | モハ1300 | モハ1200 | モハ1300 | モハ1200 | モハ1300 | クハ1400 |
ATS | PT CONT | CP MG | PT CONT | CP MG | PT CONT | CP MG | ATS |
クハ1100 | モハ1200 | モハ1300 | モハ1200 | モハ1300 | クハ1400 |
ATS | PT CONT | CP MG | PT CONT | CP MG | ATS |
クハ1100 | モハ1200 | モハ1300 | クハ1400 |
ATS | PT CONT | CP MG | ATS |
クモハ1500 | クモハ1600 |
ATS PT CONT | ATS CP MG WC |
近年の動向
平成11年から廃車が開始されており、平成19年10月までに鋼製車と試作車各車は全車輌廃車された。
さよならイベントは平成19年10月27・28日に行われた。なお、平成19年夏までのコミケ臨にも運用された。
ちなみに、平成18年に第2期Kanonの広告電車になっており、該当編成はその姿のまま運用を終えた。
平成18年からはアルミ車の3000系編入・体質改善工事がスタートし平成23年度までに終了した。この工事によりVVVFインバータ制御になり、3000系体質改善工事施工車と同等の性能になった。
平成24年からステンレス車の4000系編入・体質改善工事がスタートしたが、体質改善工事にあたっては2両固定編成と6両固定編成を組み合わせて8両固定編成にする改造を同時に行い、2両固定編成側の先頭車は電装解除と中間車化改造で付随車になった。
さよならイベントは平成19年10月27・28日に行われた。なお、平成19年夏までのコミケ臨にも運用された。
ちなみに、平成18年に第2期Kanonの広告電車になっており、該当編成はその姿のまま運用を終えた。
平成18年からはアルミ車の3000系編入・体質改善工事がスタートし平成23年度までに終了した。この工事によりVVVFインバータ制御になり、3000系体質改善工事施工車と同等の性能になった。
平成24年からステンレス車の4000系編入・体質改善工事がスタートしたが、体質改善工事にあたっては2両固定編成と6両固定編成を組み合わせて8両固定編成にする改造を同時に行い、2両固定編成側の先頭車は電装解除と中間車化改造で付随車になった。
趣味的な視点で
武蔵野鉄道(武蔵野開発鉄道)の通勤型電車でははじめてのカルダン車であり、また安定した性能、国鉄型を彷彿とさせる走行音(MT55型モータが設計のもとになっているため)によりファンの評価も高かった。このことが、8000系とともに私鉄ファンだけでなく一部の国鉄電車ファンまで受け入れられる要因となった。
室内の評価も国鉄部品を使っていながらも化粧板などの色使いに気を配っているため比較的高い。
一方、外装デザインは実用本位であり無難なものなためその点の評価はさほど高くない。
室内の評価も国鉄部品を使っていながらも化粧板などの色使いに気を配っているため比較的高い。
一方、外装デザインは実用本位であり無難なものなためその点の評価はさほど高くない。