不戦条約
概要
不戦条約はその条文で、締結国は『問題の解決に武力を用いない』と明記されており、その名の通りリベール王国、エレボニア帝国、カルバード共和国の3カ国にそれぞれの間の問題を、外交による対話によって解決を図ることを目的としている。
ただし、条約に法的拘束力はなく尊重するか否かは二大国の意向に左右される所が大きい。
ただし、条約に法的拘束力はなく尊重するか否かは二大国の意向に左右される所が大きい。
1202年にリベール王国王都グランセル近郊のエルベ離宮において、七耀教会グランセル大聖堂のカラント大司教立会いの下、リベール王国女王アリシアII世、駐リベール王国エレボニア帝国大使館のダヴィル・クラナッハ大使、駐リベール王国カルバード共和国大使館のエルザ・コクラン大使によって調印された。また共和国議会のウォルター議員ら各国の要人も参列した。
背景
両国と国境を接する緩衝国でもあったリベール王国にとって、自国への影響も大きい両国の更なる関係悪化を避けるための方策が必要であった事から、提唱されたのが不戦条約である。
また帝国および共和国との国力の差は大きいものの、百日戦役では単独で帝国を退けた小国ながら実力の高い軍隊と大陸有数の導力器技術の先進国という強みを背景に、西ゼムリアにおいてリベール王国は外交的に二大国と対等に対話できる唯一の国家でもあった。
そして、何よりも女王アリシアII世の平和を求める意志から、両国の緊張状態の緩和を目的として帝国と共和国に提案された。
また帝国および共和国との国力の差は大きいものの、百日戦役では単独で帝国を退けた小国ながら実力の高い軍隊と大陸有数の導力器技術の先進国という強みを背景に、西ゼムリアにおいてリベール王国は外交的に二大国と対等に対話できる唯一の国家でもあった。
そして、何よりも女王アリシアII世の平和を求める意志から、両国の緊張状態の緩和を目的として帝国と共和国に提案された。
提案を受けた帝国では、国家元首である皇帝ユーゲントIII世はリベールの提案に賛同の意を示し、帝国政府代表であるギリアス・オズボーン宰相も条約締結に妙に前向きだったと帝国の外交関係者が語っている。
影響と評価
エレボニア帝国においては、締結国であるカルバード共和国とリベール王国の両国が友好関係にある事実上の同盟国であることから、実質的に帝国と共和国及びリベールの関係を変えるものでは無い以上、条約は無意味であるという見方が強かった。
カルバード共和国や提案国のリベール王国においても帝国同様の意見は国内であったが、少なくとも帝国と共和国に緊張緩和に向けた対話の機会を与えたという意味では一定の評価はされていた。
カルバード共和国や提案国のリベール王国においても帝国同様の意見は国内であったが、少なくとも帝国と共和国に緊張緩和に向けた対話の機会を与えたという意味では一定の評価はされていた。
1199年の帝国の東部国境への列車砲配備以降、帝国と共和国の両軍が国境沿いでの軍事演習を頻発させていた状況にあったクロスベル自治州では、不戦条約締結によって両国の軍事的な動きが沈静化するなどの明らかな効果が見られ、政界のみならず市民の間でもリベール王国の果たした外交的成果は高く評価された。
条約の終焉
七耀暦1204年8月、クロスベル問題はクロスベルの独立宣言という形で新たな局面を迎え、同年10月には帝国と共和国はクロスベル自治州に対する軍事的な介入に至った。
軍事介入に関して両国は、クロスベル自治州が不戦条約締結国ではない事を理由に条約違反ではないという立場を表明していたが、問題解決に軍事的手段を用いた以上、条約の趣旨から外れることは明らかである。
軍事介入に関して両国は、クロスベル自治州が不戦条約締結国ではない事を理由に条約違反ではないという立場を表明していたが、問題解決に軍事的手段を用いた以上、条約の趣旨から外れることは明らかである。
1205年1月、帝国がクロスベルを占領すると、共和国はこれに対して即座に軍事力をもって対抗。(クロスベル戦線)両国ともに条約の破棄こそ公言しないものの、事実上、帝国と共和国の間での不戦条約は有名無実化し、翌1206年には帝国はリベール王国を含めた大陸諸国との間で世界大戦《ヨルムンガンド戦役》が勃発する事となる。