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JAL123 - (2019/11/05 (火) 22:47:37) の1つ前との変更点

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登録タグ: &tags() 1985年8月12日に起きた、単独機としては世界最悪の犠牲者数を出した航空機墜落事故。 520名にも上った犠牲者の中には、歌手の坂本九氏、元宝塚歌劇団の北原瑤子氏、当時の阪神タイガース社長中埜肇氏、ハウス食品社長の浦上郁夫氏ら数名の著名人や、夏休みの記念に1人で搭乗していた子供なども含まれている。 画像検索ではJAL123便墜落事故の際に撮られた遺体写真が、Wikipediaでは飛行機の残骸の写真があるため注意。 墜落時の衝撃や墜落後に起きた火災により、その多くが人としての原型を留めておらず、一言にグロ、と言い表すのもためらわれるほどに、この墜落事故の凄惨さを物語っている。 #region(時間経過) 18:12 羽田空港を離陸 18:24:35 爆発音と共に圧力隔壁破損。垂直尾翼と油圧を喪失する。 18:24:47 緊急信号を発信。東京航空交通管制部(埼玉県所沢市 以下、東京ACC)がこれを受信。 18:27 東京ACCより緊急事態宣言をするかの最終確認。123便、緊急事態を宣言する。 18:28 123便より操縦不能の無線連絡。この時、初めて地上は123便が操縦不能と知る。 18:31 東京ACCより小牧市・名古屋空港への着陸を提案されるが123便は小牧が市街地にある事と滑走路の長さを勘案し、羽田へ引き返す事を要請。 東京ACC側もこの要請を承認すると共に、通常は英語で行われる交信に日本語を使用する事を許可。 18:45 交信を聞いた米軍横田基地より、123便へ支援の申し出があるが123便はこれを断る。 18:53 ACCより123便を呼び出すも、「アンコントロール(操縦不能)」とのみ返答。 東京アプローチ(以下、東京APR)へ無線の変更を指示し、123便もこれを了承。 また米軍横田基地は123便の緊急着陸受入準備を完了させる。 18:54 123便より「リクエストポジション(現在地を知りたい)」との要請あり。 東京ACCが「羽田から55マイル北西、熊谷より25マイル西」と返答。 18:55 東京APRより「羽田と横田に貴機は最優先で着陸可能である」との無線連絡。 機関士が「はい了解しました」と返答。これが123便から発せられた最後の言葉となった。 18:56:14 GPWS(対地接近警報装置)作動。 18:56:21 機長らしき声で「もーだめだ!」と聞き取れる音声。これがCVRに残された最後の言葉である。 (事故報告書には内容判別不能として記載されず) 18:56:23 CVRに最初の衝撃音。右主翼と機体後部が地面をかすった、あるいは樹木に 接触したものと推測されている。 18:56:26 二度目の衝撃音。右主翼が地面を抉るように接触し完全にコントロールを失う。 18:56:28 機体後部が分離し、先に墜落。CVRにはここまでの音声が記録されている。 18:56:30 群馬県の高天原山の尾根(通称「御巣鷹の尾根」)に墜落。 #endregion 分類:グロ、真実 危険度: 4 *コメント #comment_num2(,size=50)
登録タグ: &tags() 1985年8月12日に起きた、単独機としては世界最悪の犠牲者数を出した航空機墜落事故。 520名にも上った犠牲者の中には、歌手の坂本九氏、元宝塚歌劇団の北原瑤子氏、当時の阪神タイガース社長中埜肇氏、ハウス食品社長の浦上郁夫氏ら数名の著名人や、夏休みの記念に1人で搭乗していた子供なども含まれている。 画像検索ではJAL123便墜落事故の際に撮られた遺体写真が、Wikipediaでは飛行機の残骸の写真があるため注意。 墜落時の衝撃や墜落後に起きた火災により、その多くが人としての原型を留めておらず、一言にグロ、と言い表すのもためらわれるほどに、この墜落事故の凄惨さを物語っている。 #region(時間経過) 18:12 羽田空港を離陸 18:24:35 爆発音と共に圧力隔壁破損。垂直尾翼と油圧を喪失する。 18:24:47 緊急信号を発信。東京航空交通管制部(埼玉県所沢市 以下、東京ACC)がこれを受信。 18:27 東京ACCより緊急事態宣言をするかの最終確認。123便、緊急事態を宣言する。 18:28 123便より操縦不能の無線連絡。この時、初めて地上は123便が操縦不能と知る。 18:31 東京ACCより小牧市・名古屋空港への着陸を提案されるが123便は小牧が市街地にある事と滑走路の長さを勘案し、羽田へ引き返す事を要請。 東京ACC側もこの要請を承認すると共に、通常は英語で行われる交信に日本語を使用する事を許可。 18:45 交信を聞いた米軍横田基地より、123便へ支援の申し出があるが123便はこれを断る。 18:53 ACCより123便を呼び出すも、「アンコントロール(操縦不能)」とのみ返答。 東京アプローチ(以下、東京APR)へ無線の変更を指示し、123便もこれを了承。 また米軍横田基地は123便の緊急着陸受入準備を完了させる。 18:54 123便より「リクエストポジション(現在地を知りたい)」との要請あり。 東京ACCが「羽田から55マイル北西、熊谷より25マイル西」と返答。 18:55 東京APRより「羽田と横田に貴機は最優先で着陸可能である」との無線連絡。 機関士が「はい了解しました」と返答。これが123便から発せられた最後の言葉となった。 18:56:14 GPWS(対地接近警報装置)作動。 18:56:21 機長らしき声で「もーだめだ!」と聞き取れる音声。これがCVRに残された最後の言葉である。 (事故報告書には内容判別不能として記載されず) 18:56:23 CVRに最初の衝撃音。右主翼と機体後部が地面をかすった、あるいは樹木に 接触したものと推測されている。 18:56:26 二度目の衝撃音。右主翼が地面を抉るように接触し完全にコントロールを失う。 18:56:28 機体後部が分離し、先に墜落。CVRにはここまでの音声が記録されている。 18:56:30 群馬県の高天原山の尾根(通称「御巣鷹の尾根」)に墜落。 #endregion 分類:グロ、真実 危険度: 4 *コメント #comment_num2(,size=50,disableurl)

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