「JAL123」の編集履歴(バックアップ)一覧に戻る

JAL123 - (2023/05/03 (水) 08:26:58) のソース

登録タグ: &tags() 

1985年8月12日に起きた、単独機としては世界最悪の犠牲者数を出した航空機墜落事故。 
520名にも上った犠牲者の中には、歌手の坂本九氏、当時の阪神タイガース社長中埜肇氏、ハウス食品社長の浦上郁夫氏ら数名の著名人や、夏休みの記念に1人で搭乗していた子供なども含まれている。

画像検索や[[カルロ・グローチェ]]の記事ではJAL123便墜落事故の際に撮られた遺体写真が、Wikipediaでは飛行機の残骸の写真があるため注意。
墜落時の衝撃や墜落後に起きた火災により、その多くが人としての原型を留めておらず、一言にグロ、と言い表すのもためらわれるほどに、この墜落事故の凄惨さを物語っている。

#region(時間経過)

18:12	羽田空港を離陸

18:24:35	爆発音と共に圧力隔壁破損。垂直尾翼と油圧を喪失する。

18:24:47	緊急信号を発信。東京航空交通管制部(埼玉県所沢市 以下、東京ACC)がこれを受信。

18:27	東京ACCより緊急事態宣言をするかの最終確認。123便、緊急事態を宣言する。

18:28	123便より操縦不能の無線連絡。この時、初めて地上は123便が操縦不能と知る。

18:31	東京ACCより小牧市・名古屋空港への着陸を提案されるが123便は小牧が市街地にある事と滑走路の長さを勘案し、羽田へ引き返す事を要請。
東京ACC側もこの要請を承認すると共に、通常は英語で行われる交信に日本語を使用する事を許可。

18:45	交信を聞いた米軍横田基地より、123便へ支援の申し出があるが123便はこれを断る。

18:53	ACCより123便を呼び出すも、「アンコントロール(操縦不能)」とのみ返答。
東京アプローチ(以下、東京APR)へ無線の変更を指示し、123便もこれを了承。
また米軍横田基地は123便の緊急着陸受入準備を完了させる。

18:54	123便より「リクエストポジション(現在地を知りたい)」との要請あり。
東京ACCが「羽田から55マイル北西、熊谷より25マイル西」と返答。

18:55	東京APRより「羽田と横田に貴機は最優先で着陸可能である」との無線連絡。
機関士が「はい了解しました」と返答。これが123便から発せられた最後の言葉となった。
18:56:14	GPWS(対地接近警報装置)作動。


18:56:21	機長らしき声で「もーだめだ!」と聞き取れる音声。これがCVRに残された最後の言葉である。
(事故報告書には内容判別不能として記載されず)

18:56:23	CVRに最初の衝撃音。右主翼と機体後部が地面をかすった、あるいは樹木に
接触したものと推測されている。

18:56:26	二度目の衝撃音。右主翼が地面を抉るように接触し完全にコントロールを失う。

18:56:28	機体後部が分離し、先に墜落。CVRにはここまでの音声が記録されている。

18:56:30	群馬県の高天原山の尾根(通称「御巣鷹の尾根」)に墜落。

#endregion

分類:グロ、真実、鬱
危険度:&color(black,gold){4}

*コメント
#comment_num2(,size=50,disableurl)