中野学校ふ号部隊
諸君らは祖国が失われてから初めて卒業した候補生である。これから、数年先、数十年先のミワシ部隊の中核を、諸君らが担うようになるのである……
―――菅原大尉,四期生に向けて
基本情報
基本情報の表は組織に合わせて任意に項目を変更していただくことができます。
| 略称 | 教育隊,ふ号部隊 |
|---|---|
| 代表者 | 菅原芳明大尉 |
| 規模 | 固有の人員は30名あまり |
| 本部 | 幽世のどこかにある中野学校二俣分校 |
概要
大日本帝国陸軍の極秘組織、ミワシ部隊に所属する軍事組織。教育隊の名の通り、ミワシ部隊における幹部教育を担っている。教育隊で教育された新人幹部は司令部や第一部隊などの他の部隊に配属されると言われている。教育隊に所属する候補生は入隊すると同時に本名を抹消してふ-〇〇号というような番号を用い、卒業後に改めて偽名を定める。
教育隊には候補生部隊のほかにふ号部隊と称するゲリラ戦部隊が存在しており、文月兵団第二中隊を自称している。ふ号部隊の隊員の大半と一部の教官は三期生と呼ばれる最初期の卒業生であり、三期生が新しい卒業生の中から新たなふ号部隊員を選抜している。
教育隊の所在地は中野学校二俣分校。二俣分校は陸軍の諜報員養成機関である中野学校のゲリラ戦部門として開校した機関であるが、教育隊がそれを継承する形で幽世に移転したのが現在の二俣分校である。そのため幽世二俣分校には菰引村から結界を通らなければ出入りできない。
もともとはミワシ部隊から派遣された教官によって中野学校二俣分校で訓練されていた境界戦ゲリラ部隊であり、終戦後に中野学校ふ号部隊として決起、ミワシ部隊に合流して現在の形となった。
教育隊には候補生部隊のほかにふ号部隊と称するゲリラ戦部隊が存在しており、文月兵団第二中隊を自称している。ふ号部隊の隊員の大半と一部の教官は三期生と呼ばれる最初期の卒業生であり、三期生が新しい卒業生の中から新たなふ号部隊員を選抜している。
教育隊の所在地は中野学校二俣分校。二俣分校は陸軍の諜報員養成機関である中野学校のゲリラ戦部門として開校した機関であるが、教育隊がそれを継承する形で幽世に移転したのが現在の二俣分校である。そのため幽世二俣分校には菰引村から結界を通らなければ出入りできない。
もともとはミワシ部隊から派遣された教官によって中野学校二俣分校で訓練されていた境界戦ゲリラ部隊であり、終戦後に中野学校ふ号部隊として決起、ミワシ部隊に合流して現在の形となった。
現在に至る経緯
文月兵団
| 略称 | 文月兵団 |
|---|---|
| 代表者 | 寺尾一中佐 |
| 規模 | 100名(終戦時) |
1944年7月、サイパン島の陥落に伴い米軍の本土上陸が現実味を帯びたことを受けて大日本帝国軍は本土防衛の準備を始めた。このため幽世を経由して米軍の戦線後方をかく乱するゲリラ戦部隊の設立が決定され、当時ゲリラ戦要員の要請を行っていた陸軍中野学校二俣分校で将兵を教育することとなった。これにより1944年8月に陸軍士官学校や挺身第一連隊、近衛師団から50名の隊員が選抜され部隊が編成された。1944年8月30日、隊長寺尾一少佐により部隊名は神兵鬼火隊と定められた。
幽世での長期間の活動は陸軍では前例のないことであり、隊員の選抜にあたっては神職や僧侶、祓魔師出身の者が特に選抜された。妖怪や禁忌に詳しい民俗学者が隊員として選抜された例もある。教官は陸軍の祓魔部門であるミワシ部隊から菅原芳明大尉以下5名がミワシ部隊第十三部隊として選抜され、ゲリラ戦の教育を担当する二俣分校の教官に対して呪詛や穢れ、幽世に関する教育を担当した。隊員の教育は1944年9月から始められた。
神兵鬼火隊の教育は1945年1月に完了したが、米軍は硫黄島に上陸する兆候を見せており、いよいよ本土決戦が差し迫る戦況となっていた。大本営はこの月に「帝国陸海軍作戦計画要綱」を策定しており、米軍の上陸時期をこの年の5月~6月と想定して準備を急いでおり神兵鬼火隊は本土決戦に備えて温存されることとなった。このため更なる戦力拡充のために新しい隊員50名が選抜されて鬼火隊教育隊二期生として訓練されることとなり、彼らの教育は1945年5月に完了した。
この月に第三次兵備に伴って神兵鬼火隊は第401師団(通称号:文月兵団)に再編され、これに伴い隊長である寺尾一少佐は中佐に昇進した。文月兵団は師団とされているが実際には中隊規模であり、第三次兵備によって増設された戦時動員師団に誤認させるためにこのような形とされた。文月と言う通称号は盂蘭盆会が旧暦7月に行われていたことによる。しかし6月と予想されていた米軍の上陸予想時期は11月まで伸びたため文月兵団はさらに温存され、教育隊三期生の選抜が行われ9月までに40名の隊員を追加で訓練することとなった。
また文月兵団の任務にも多少の変化があり、当初は本土決戦の際に米軍の後方をかく乱して侵攻を阻害するのが任務だったものが、戦況がいよいよ絶望的なものとなったため米軍でも幽世まで追撃するのは困難であろうことから敗戦後も幽世を拠点にゲリラ戦で抵抗することとされた。このような状況で8月15日の終戦を迎えた文月兵団は予定通り部隊に関する記録を抹消してゲリラ戦を開始、日本に進駐していた連合軍、および「アメリカの傀儡軍」とされた自衛隊に対しゲリラ戦を仕掛け、ミワシ部隊にも連絡員を送り協同して作戦を展開していたが、ミワシ部隊とは異なり部隊の所在地を徹底的に隠匿するために現世に根拠地を持たなかったため次第に消耗し、1990年代には部隊の消息が掴めなくなってしまった。
幽世での長期間の活動は陸軍では前例のないことであり、隊員の選抜にあたっては神職や僧侶、祓魔師出身の者が特に選抜された。妖怪や禁忌に詳しい民俗学者が隊員として選抜された例もある。教官は陸軍の祓魔部門であるミワシ部隊から菅原芳明大尉以下5名がミワシ部隊第十三部隊として選抜され、ゲリラ戦の教育を担当する二俣分校の教官に対して呪詛や穢れ、幽世に関する教育を担当した。隊員の教育は1944年9月から始められた。
神兵鬼火隊の教育は1945年1月に完了したが、米軍は硫黄島に上陸する兆候を見せており、いよいよ本土決戦が差し迫る戦況となっていた。大本営はこの月に「帝国陸海軍作戦計画要綱」を策定しており、米軍の上陸時期をこの年の5月~6月と想定して準備を急いでおり神兵鬼火隊は本土決戦に備えて温存されることとなった。このため更なる戦力拡充のために新しい隊員50名が選抜されて鬼火隊教育隊二期生として訓練されることとなり、彼らの教育は1945年5月に完了した。
この月に第三次兵備に伴って神兵鬼火隊は第401師団(通称号:文月兵団)に再編され、これに伴い隊長である寺尾一少佐は中佐に昇進した。文月兵団は師団とされているが実際には中隊規模であり、第三次兵備によって増設された戦時動員師団に誤認させるためにこのような形とされた。文月と言う通称号は盂蘭盆会が旧暦7月に行われていたことによる。しかし6月と予想されていた米軍の上陸予想時期は11月まで伸びたため文月兵団はさらに温存され、教育隊三期生の選抜が行われ9月までに40名の隊員を追加で訓練することとなった。
また文月兵団の任務にも多少の変化があり、当初は本土決戦の際に米軍の後方をかく乱して侵攻を阻害するのが任務だったものが、戦況がいよいよ絶望的なものとなったため米軍でも幽世まで追撃するのは困難であろうことから敗戦後も幽世を拠点にゲリラ戦で抵抗することとされた。このような状況で8月15日の終戦を迎えた文月兵団は予定通り部隊に関する記録を抹消してゲリラ戦を開始、日本に進駐していた連合軍、および「アメリカの傀儡軍」とされた自衛隊に対しゲリラ戦を仕掛け、ミワシ部隊にも連絡員を送り協同して作戦を展開していたが、ミワシ部隊とは異なり部隊の所在地を徹底的に隠匿するために現世に根拠地を持たなかったため次第に消耗し、1990年代には部隊の消息が掴めなくなってしまった。
ふ号部隊
一方で二俣分校で訓練中で、卒業が近かった教育隊三期生たちは文月兵団とは違い終戦とともに復員が命じられた。しかし敗戦後も米軍に対する抵抗を継続するべく教育された生徒たちは復員命令に対し不服であり、独自にゲリラ戦を行うことを考えていた。三期生を教育していた菅原大尉以下5名の教官も同調し、当時秘密とされていたト号作戦とミワシ部隊の存在を開示、文月兵団から一字取って「ふ号部隊」と名を改めた三期生たちは遊撃戦を企図してミワシ部隊と合流した。一方で長期間持久可能な体制を整えつつあったミワシ部隊は人材の確保だけが懸念として残っていたが、部隊に復帰した菅原大尉以下の教官たちに目をつけ教育隊を設立、以後境界戦闘に特化した幹部の育成を担わせることとなった。
主な所属者
文月兵団の隊員は訓練を完了した時点で呪詛対策のため本名は抹消され偽名を与えられる。ふ号部隊の隊員たちは偽名が与えられていなかったため先任順の番号で「ふ-○号」と名乗っている。
文月兵団
寺尾一中佐
隊長。名前は偽名であり本名不詳。高級将校でありながら陸軍のあらゆる記録に一切痕跡を残しておらず、謎に包まれた人物である。現在は消息不明。
鯉口喜助中尉
ミワシ部隊に派遣された連絡将校。こちらも本名不詳であるが、陸軍の記録に一致する人物が2,3名確認できるという。長野県北部の出身らしい。文月兵団が消息不明である現在実質的に文月兵団最後の生き残りである。
隊長。名前は偽名であり本名不詳。高級将校でありながら陸軍のあらゆる記録に一切痕跡を残しておらず、謎に包まれた人物である。現在は消息不明。
鯉口喜助中尉
ミワシ部隊に派遣された連絡将校。こちらも本名不詳であるが、陸軍の記録に一致する人物が2,3名確認できるという。長野県北部の出身らしい。文月兵団が消息不明である現在実質的に文月兵団最後の生き残りである。
ふ号部隊
三期生たちは先任順にふ-1号から40号までを名乗っており、四期生以降の候補生はふ-41号以降の番号を使っている。
菅原大尉
教育隊教官。隊長。大学の研究者出身であるが剣術にも長けている。
ふ-1号
ふ号部隊隊長。候補生だった頃は生徒隊長だった。決起を発議した生徒でもある。
https://w.atwiki.jp/nandayo/pages/185.html
菅原大尉
教育隊教官。隊長。大学の研究者出身であるが剣術にも長けている。
ふ-1号
ふ号部隊隊長。候補生だった頃は生徒隊長だった。決起を発議した生徒でもある。
https://w.atwiki.jp/nandayo/pages/185.html
権利情報
| 権利者 | C‘eat la vie |
|---|---|
| 原作者 | イワシコ農相 |
| コンタクト先 | https://twitter.com/Cestlavie2842 |
| 他作品での使用範囲 | ご自由にどうぞ! 敗戦後も戦争を続ける日本軍の残党と戦いたいとき、 あるいは手軽な人型の三号級以上の界異と戦わせたいとき、 もしくは幽世に出現する適当な界異が欲しい時など 文月兵団・ふ号部隊のどちらでもご自由にお使いください! 第十三部隊はミワシ部隊に属しますので、 そちらをご参照ください。 |






