中野学校ふ号部隊

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中野学校ふ号部隊

「戦争はまだ終わっていない―――現に、日本軍の亡霊が戦後に抗い続けている」
―――ある陸上自衛隊幹部

基本情報

基本情報の表は組織に合わせて任意に項目を変更していただくことができます。
略称 ふ号部隊
代表者 ふ-1号
規模 30名あまり
本部 幽世のどこか

概要

 「中野学校ふ号部隊」を名乗り、幽世を拠点にゲリラ戦を続けている軍事組織。大日本帝国のゲリラ戦教育機関だった中野学校二俣分校の生徒が終戦直後に米軍に対する抵抗を継続するために結成した部隊であり、後述する文月兵団に配属予定だった生徒とその教官で構成されている。
 隊員は全て幽世に長年にわたって滞在していたため肉体を穢れに侵されて失い界異となり果てているが、皇軍軍人として中野学校で訓練された精神力のみによって正気を保ち、ゲリラ戦を継続している。そのため人型である隊員は存在するが遺伝的にヒトである隊員は既に存在しない。なおミワシ部隊第八部隊とは異なり呪具の影響を受けていないため不死ではない。
 当初の隊員は生徒40名、教官1名の41名であり、正気を失ってしまった隊員が1名いるもののこれまでのゲリラ活動で戦死した者を除いて全員が正気を保っており、現在活動を継続している隊員は30名以上存在すると推測されている。
 母体が中野学校二俣分校に置かれていた教育隊であり、その教官たちがミワシ部隊第十三部隊とされていたためふ号部隊はミワシ部隊から第十三部隊と見做されている。

現在に至る経緯

文月兵団

略称 文月兵団
代表者 寺尾一中佐
規模 100名(終戦時)
 1944年7月、サイパン島の陥落に伴い米軍の本土上陸が現実味を帯びたことを受けて大日本帝国軍は本土防衛の準備を始めた。このため幽世を経由して米軍の戦線後方をかく乱するゲリラ戦部隊の設立が決定され、当時ゲリラ戦要員の要請を行っていた陸軍中野学校二俣分校で将兵を教育することとなった。これにより1944年8月に陸軍士官学校や挺身第一連隊、近衛師団から50名の隊員が選抜され部隊が編成された。1944年8月30日、隊長寺尾一少佐により部隊名は神兵鬼火隊と定められた。
 幽世での長期間の活動は陸軍では前例のないことであり、隊員の選抜にあたっては神職や僧侶、祓魔師出身の者が特に選抜された。妖怪や禁忌に詳しい民俗学者が隊員として選抜された例もある。教官は陸軍の祓魔部門であるミワシ部隊から菅原芳明大尉以下5名がミワシ部隊第十三部隊として選抜され、ゲリラ戦の教育を担当する二俣分校の教官に対して呪詛や穢れ、幽世に関する教育を担当した。隊員の教育は1944年9月から始められた。
 神兵鬼火隊の教育は1945年1月に完了したが、米軍は硫黄島に上陸する兆候を見せており、いよいよ本土決戦が差し迫る戦況となっていた。大本営はこの月に「帝国陸海軍作戦計画要綱」を策定しており、米軍の上陸時期をこの年の5月~6月と想定して準備を急いでおり神兵鬼火隊は本土決戦に備えて温存されることとなった。このため更なる戦力拡充のために新しい隊員50名が選抜されて鬼火隊教育隊二期生として訓練されることとなり、彼らの教育は1945年5月に完了した。
 この月に第三次兵備に伴って神兵鬼火隊は第401師団(通称号:文月兵団)に再編され、これに伴い隊長である寺尾一少佐は中佐に昇進した。文月兵団は師団とされているが実際には中隊規模であり、第三次兵備によって増設された戦時動員師団に誤認させるためにこのような形とされた。文月と言う通称号は盂蘭盆会が旧暦7月に行われていたことによる。しかし6月と予想されていた米軍の上陸予想時期は11月まで伸びたため文月兵団はさらに温存され、教育隊三期生の選抜が行われ9月までに40名の隊員を追加で訓練することとなった。
 また文月兵団の任務にも多少の変化があり、当初は本土決戦の際に米軍の後方をかく乱して侵攻を阻害するのが任務だったものが、戦況がいよいよ絶望的なものとなったため米軍でも幽世まで追撃するのは困難であろうことから敗戦後も幽世を拠点にゲリラ戦で抵抗することとされた。このような状況で8月15日の終戦を迎えた文月兵団は予定通り部隊に関する記録を抹消してゲリラ戦を開始、日本に進駐していた連合軍、および「アメリカの傀儡軍」とされた自衛隊に対し攻撃を仕掛けたが隊員は徐々に穢れに侵されて正気を失い、また戦後のタクティカル祓魔師によって多くの犠牲者を出し現在生存しているのは10名以下と推測されており、その全員がすでに生物学的にヒトではないと考えられている。隊長の寺尾一中佐は自衛隊によれば1990年代に戦死したとされているが情報の少なさから真偽は明らかになっていない。

ふ号部隊

一方で二俣分校で訓練中で、卒業が近かった教育隊三期生たちは文月兵団とは違い終戦とともに復員が命じられた。しかし敗戦後も米軍に対する抵抗を継続するべく教育された生徒たちは復員命令に対し不服であり、独自にゲリラ戦を行うことを考えていた。三期生を教育していた菅原大尉以下5名の教官は一人を除いて戦後のゲリラ戦に反対しており、生徒たちに装備を貸与することを渋っていたため生徒たちは賛成派の教官と共謀して菅原大尉を含む他の教官を殺害、装備を奪取して教育隊に関する記録を抹消し幽世に逃亡し米軍に対する抵抗を開始した。この際文月兵団と合流することができなかったため生徒たちは独自の部隊名を名乗ることとし、「文月」から一文字取ってふ号部隊とした。ふ号部隊は上述の通り多くの隊員が界異となってもいまだに生存しており、盛んに活動を行っている。

主な所属者

文月兵団の隊員は訓練を完了した時点で呪詛対策のため本名は抹消され偽名を与えられる。ふ号部隊の隊員たちは偽名が与えられていなかったため先任順の番号で「ふ-○号」と名乗っている。

文月兵団

  • 寺尾一中佐*1
  • 浜松大尉*2
  • 高岡少佐*3
  • 鯉口少尉*4

ふ号部隊(ミワシ部隊第十三部隊)

  • 菅原大尉*5
  • ふ-0号*6
  • ふ-1号*7
  • ふ-7号*8
  • ふ-26号*9
  • ふ-28号*10
  • ふ-36号*11
 以下沢山。

関連ページ

権利情報

権利者 C‘eat la vie
原作者 イワシコ農相
コンタクト先 https://twitter.com/Cestlavie2842
他作品での使用範囲 ご自由にどうぞ!
敗戦後も戦争を続ける日本軍の残党と戦いたいとき、
あるいは手軽な人型の三号級以上の界異と戦わせたいとき、
もしくは幽世に出現する適当な界異が欲しい時など
文月兵団・ふ号部隊のどちらでもご自由にお使いください!
第十三部隊はミワシ部隊に属しますので、
そちらをご参照ください。
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注釈

*1 隊長。1905年静岡県浜松市の生まれ。本名は不明。1990年代に自衛隊によって祓滅されたとされている。

*2 第一小隊長。一期生生徒隊長。出生年・出生地不明。本名は山岡か山西のどちらかと推定されている。安否不明。

*3 第二小隊長。二期生生徒隊長。1912年愛知県挙母市の生まれ。本名は岡田と推定されている。安否不明。

*4 分隊長。出生地不明、1921年生まれ。本名不明。2000年代に境対によって祓滅されたとされている。

*5 第十三部隊隊長。1945年に生徒によって殺害されたが他の教官と共に遺体は幽世に遺棄されたため公式、およびミワシ部隊の認識では行方不明とされている。

*6 第十三部隊に所属する教官。中尉。生徒と共に反乱を起こし他の教官を殺害、その後ふ号部隊と行動を共にしている。生存。

*7 ふ号部隊隊長。三期生生徒隊長。大尉。生存。

*8 少尉。境対により祓滅。

*9 二等軍曹。正気を保てなくなり界異となる。

*10 伍長。自衛隊により祓滅。

*11 上等兵。自衛隊により祓滅。