Previous→コープス・クラッシュ① 交錯 -Crash-
李の演説が終わった直後、黒い風が起こった。
「気が早いな」
「軽っ」
切り裂くことは叶わず、掌の中でシオンの力は簡単に握り潰された。続けてお返し、左の貫手が頬を掠め鮮血が飛び散る。
「ッ──」
躱したのではなく、元より皮膚だけを裂くよう狙った精密な反撃だった。そんな遊びの一撃すら彼女の機能を凌駕するほど速い。
手負いでさえ武器は通じず、手抜きの攻撃さえ己より速い。たった一合でこれまた簡単に格付けは済んでしまった。
手負いでさえ武器は通じず、手抜きの攻撃さえ己より速い。たった一合でこれまた簡単に格付けは済んでしまった。
「バカ、お前……っ!」
咄嗟に声を上げた一歌が「逃げろ」と続けようとしたところで、言葉は行き先を失う。シオンは李の左腕を捕まえ、逃がさぬようにあらん限りの力で握り締めていた。
「もうやりたいのか? 他のやつらがお前を追うぞ」
「そのまま返す。お前は死ぬべき人間だ。一秒でも生かしておいてはならない」
「そのまま返す。お前は死ぬべき人間だ。一秒でも生かしておいてはならない」
暗殺者と殺人王。血の海を泳いできた者同士、魂にまで染み付いた血の臭いはとうに嗅ぎとっていた。だが目の前の男は次元が違う。吐き気を催す悍ましき悪意の臭いを振りまく者など、所業を聞き出すまでもなく殺すべきだとあらゆる感覚が告げていた。
そんな邪悪が何事もないようにへらりと笑う。
「頭冷やせよ」
大口径の銃と変わらない威力のデコピン。その形をした右手が額に添えられる。
「殺意は良い、及第点だ。だからもっと練ってこい。冷静に、裏の裏の裏まで見通して首を狙え。それが楽しいんだからよ」
「付き合うつもりは──」
「そこのガキ……あー、鉄条一歌がそのうち死ぬぞ。あとあの二人も一緒に死ぬ。それでいいのか?」
「付き合うつもりは──」
「そこのガキ……あー、鉄条一歌がそのうち死ぬぞ。あとあの二人も一緒に死ぬ。それでいいのか?」
左手から赤い光が散っていく。
見下ろすと、右肩から先を失って大量の血を流す少女がいた。血が死者の体をどれほど繋ぎ止めているのかは知らないが、あまり良い予感はしなかった。
更に周囲を見回すと、誰かも知らない、血の臭いを纏わない二人がいた。李への攻撃を続行すれば彼の部下が動き、その二人が巻き添えを食うのは避けられない。
更に周囲を見回すと、誰かも知らない、血の臭いを纏わない二人がいた。李への攻撃を続行すれば彼の部下が動き、その二人が巻き添えを食うのは避けられない。
彼女を試すように李の領域が消え去った。残るは一歌の領域のみ。これが消えた時、全ての負傷は元通りに回復し一歌は生命の危機を脱する。
「あたしはいい……そいつを殺せ……!」
だが、シオンの方がそれを了承できなかった。
「くそ……」
彼女たちの理念は弱者救済。悪を討つのはあくまで手段に過ぎない。であればこの瞬間に優先すべきは、重傷を負った少女を救うことと、平和に生きていた者たちを守ること。怒りにかられて切りかかることではない。
「やめろバカ、そんな」
拘束が解かれる。
「懸命だ。お前は良いやつだよ」
右手から力が抜け、そのまま頭を撫でられる。わざとらしく気安い行いがどうしようもなく不快だった。
「さーて、死に体を蹴っ飛ばしてまで続けたいやつァ他にいるか? いなけりゃ今日はここでお開きとする!」
誰も、何も答えない。藍島だけは性根の悪さが滲んだ笑みを浮かべたままだ。
「忘れるな、三日後の正午だ。俺と戦 る機会はそこにある。首を取りたければ相応の準備をしてこい。それを怠る者をこそ俺は軽蔑する」
シオン、そして一歌に目配せ。
「楽しい戦争にしようぜ! じゃあな!」
「畜生ォ……っ!!」
一歌の領域が霧散する。右腕が元に戻る。李が背中を向ける。
背中に殴りかかることはできなかった。生者の中に消える後ろ姿を追うこともできなかった。
死なずして、されど敗北の二文字は確かに一歌の心に刻まれていた。
争乱の火種を残して李一派が立ち去った後、その場に残された者たちはそれぞれに顔を見合わせた。
仲間以外は当然どこの誰かも知らない初顔ばかりの中、藍島の闊達 な声が響き渡る。
仲間以外は当然どこの誰かも知らない初顔ばかりの中、藍島の
「何だか懐かしい気配がすると思えばいつぞやの爺じゃねえか! 生きて会えるたァ嬉しいねえ」
彼の視線はこの中で唯一の老人であるベルフリートに向かっていた。旧友に出会ったような物言いの割に、歓喜だけでなく殺気も混じっていた。
喜色満面の藍島に比べて、ベルフリートは心底うんざりした様子を見せる。シオンどころかガリアスも見たことのない顔だった。
喜色満面の藍島に比べて、ベルフリートは心底うんざりした様子を見せる。シオンどころかガリアスも見たことのない顔だった。
「死狂い……こんなところで再会するか。だが今は死合っている場合ではない。早急に状況をまとめる必要がある。私情は置け」
争いの可能性を潰すべく先に剣を収め、ベルフリートが藍島たちの下へ歩み寄る。
「ガリアス、向こうを頼む」
「おう」
「おう」
ガリアスは緊張の糸が切れてへたり込む一条と灰谷の下へ、それぞれ向かった。
「無手でやるか? それもいい、ただの喧嘩でも──」
「平気か、シオン。それから、そちらのお嬢さんは立てるか?」
「平気か、シオン。それから、そちらのお嬢さんは立てるか?」
無視されて口をへの字に曲げる藍島の背後。二人の少女はそれぞれの胸中で渦巻く感情を処理し切れないまま、騎士の言葉に応じる。
「……平気だ、体の方は」
変わらず無表情のシオンだが、まだ言葉の端々が怒りで熱を帯びていた。師に視線を合わせられず、力なく開かれた己の手をじっと見つめている。
「立てる……立つよ、くそっ」
対照的に一歌は表情も声も苛立ちを隠そうとしない。それを込めた拳で太腿をガンガンと叩いて無理やり立ち上がった。
一方、ずんずんとやってくる強面の巨漢を前にして、一条と灰谷は震えあがっていた。
「やっべ~……俺ら死んだかも。見るからにクソ強えじゃん」
「つかもう無理、限界。俺たち頑張ったって。これ以上戦えねえよぉ……!」
「つかもう無理、限界。俺たち頑張ったって。これ以上戦えねえよぉ……!」
死者の世界、その戦いに多少慣れたとは言っても、彼らは本来平和な現代日本で生まれ育ったのだ。剥き出しの殺意を手にした野蛮な連中に本気で負い回されることがどれほど心身の消耗を強いたのかなど、彼らにも計り知れなかった。
その前に現れた、追いかけてきた野蛮人どもが可愛く見えるほどの桁違いの風格を纏う戦士は、武器の戦槌と大楯を消し去り二人の前に膝を折った。
その前に現れた、追いかけてきた野蛮人どもが可愛く見えるほどの桁違いの風格を纏う戦士は、武器の戦槌と大楯を消し去り二人の前に膝を折った。
「よく生き残った。労いの一つもしたいとこだが、急を要する。立てるか」
言葉は固いが刺々しくはない厳かな調子で尋ねられ、彼には殺意がないことが疲弊し切った二人にも直感で分かった。
一条は『ごめん怖い 代わりに頼む』といったニュアンスを身振り手振りで伝え、灰谷は『いつも通りじゃねえかバカ』とため息だけで返す。こういう時に会話をするのはいつも灰谷の役割だ。
一条は『ごめん怖い 代わりに頼む』といったニュアンスを身振り手振りで伝え、灰谷は『いつも通りじゃねえかバカ』とため息だけで返す。こういう時に会話をするのはいつも灰谷の役割だ。
「ちょっとだけ待ってもらえますか? 俺たちその、一般人 なので」
一般人だから。当たり前の返答なのに、とても変な感覚。
遠くに集まっている四人はスカジャンの不良少女、なんか変な格好の侍、貴族みたいな外国人、黒ずくめの少女、と見た目だけでもかなり強烈な個性を発揮している。そりゃあ宣戦布告だ戦争だなんだと言われたところで対処できそうな顔ぶれだ。
比べるべくもなく、彼らは「一般人」としか言いようがない。本来戦いと無縁な場所で生きてきたTHE日本人。巨漢にビビってベソかかなかっただけ褒めてほしいくらいだった。
遠くに集まっている四人はスカジャンの不良少女、なんか変な格好の侍、貴族みたいな外国人、黒ずくめの少女、と見た目だけでもかなり強烈な個性を発揮している。そりゃあ宣戦布告だ戦争だなんだと言われたところで対処できそうな顔ぶれだ。
比べるべくもなく、彼らは「一般人」としか言いようがない。本来戦いと無縁な場所で生きてきたTHE日本人。巨漢にビビってベソかかなかっただけ褒めてほしいくらいだった。
「向こうもまだ動く様子がないな。多少は問題ない、休んでおけ」
「ありがとうございます。……もう逃げられない感じですかね。戦争ってやつ」
「強制はしないが、覚悟を決めるのは早いほどいいぞ」
「ありがとうございます。……もう逃げられない感じですかね。戦争ってやつ」
「強制はしないが、覚悟を決めるのは早いほどいいぞ」
迫る戦いの予感からはどうにも距離を置けそうになかった。
「あ~あ、とんでもねえことになったな。校長になんて説明すっか」
「学校……学校か」
先程の李の言葉を思い出しベルフリートが呟く。そう呼ばれる死者の集団には心当たりがあった。
「あの『お貴族』の屋敷だろ。糸目のクセして目の付け所がいい」
「貴様」
「おっと」
「貴様」
「おっと」
それぞれの師の間で言葉少なに交わされる会話の空中戦に、弟子たちは全くついていけなかった。どうにも手の届かないところで事態が進行していることだけ分かってしまうのが、なんの勝負にもならなかった先程の自分を否応なく思い起こさせ、二人の青い苛立ちをますます募らせる。
「師匠、ジイさん。あんたらで勝手に話進めんな。分かるように言え」
大人の世界に混ざろうと背伸びする子供のような台詞を何とか地面へと吐き出して、一歌は平静を装おうとしていた。あくまで冷静に、現状に立ち向かおうという意識を上っ面だけ装って、激情には必死に蓋をして。
「失礼をした。とは言えここで立ち話もなんだ。向こうの彼らも含めて私の屋敷に招待したいのだが、都合は大丈夫か?」
「ああ。暇なら売り付けてえくらいにある。どこでも行ってやらぁ」
「……けけけ」
「ああ。暇なら売り付けてえくらいにある。どこでも行ってやらぁ」
「……けけけ」
藍島が嘲笑う。何を嘲 ったのか、一歌は考えようとしなかった。
襲撃された者たちの次なる行動が決まりつつある。自分が拾われてから初めての屋敷への訪問者を迎えるために、シオンは帰りを待つミーナと通信を行った。
『あらシオン、どうかしたの? おじいさまも出て行ってしまったけれど……』
「今から四人ほど連れて戻る。客人を出迎える準備をしておいてほしい」
『まあたくさんね。飾り付けはしましょうか?』
「いや、パーティの雰囲気ではない。後で話すが、あまり良くない事態が進行している」
『……そう、分かったわ。気をつけて帰ってきてね』
「うん。そっちも、私たちが戻るまで戸締りはしっかりしておいてくれ」
「今から四人ほど連れて戻る。客人を出迎える準備をしておいてほしい」
『まあたくさんね。飾り付けはしましょうか?』
「いや、パーティの雰囲気ではない。後で話すが、あまり良くない事態が進行している」
『……そう、分かったわ。気をつけて帰ってきてね』
「うん。そっちも、私たちが戻るまで戸締りはしっかりしておいてくれ」
話し終えるとちょうどガリアスも一条と灰谷を伴ってこちらへやってきていた。
二人と、三人と、二人。それぞれがようやく一堂に会する。
「各自言いたいことはあるだろうが、今は後に回してくれ。全ては私の領地で話そう」
連日人通りの多い渋谷スクランブル交差点を七人が北へ抜けていく。赤信号を無視しても誰も咎めず、車に轢かれて死ぬこともない。ましてその姿を見つける者もいない。
もうすぐベルフリートの領域へ到着するが、ごった返す人波の中に敵の気配は見つからず、却ってガリアスが訝しむ。
もうすぐベルフリートの領域へ到着するが、ごった返す人波の中に敵の気配は見つからず、却ってガリアスが訝しむ。
「こっちには尾行も待ち伏せも、監視も無しか? 随分と行儀のいい」
「争いごとにしか興味がないのか、『魔界』が近いのを嫌ったか……」
「前者に決まってらァな」
「争いごとにしか興味がないのか、『魔界』が近いのを嫌ったか……」
「前者に決まってらァな」
退屈そうに藍島があくびを漏らした。
先を行く大人たちがそれぞれに目を光らせる一方で、後に続く若者たちは次第に険が取れ始め口々に好きなことを言っていた。
先を行く大人たちがそれぞれに目を光らせる一方で、後に続く若者たちは次第に険が取れ始め口々に好きなことを言っていた。
「最後に渋谷寄ったのいつだったっけ。生きてたら109 行って服でも見たかったわ」
「なになに不良少女ちゃん、君も東京住み?」
「生きてた頃は世田谷の端っこ、多摩川のそばで暮らしてた。今はあちこち回ってる」
「いいなあ、試される大地 の民としちゃあ肩身が狭いぜ」
「何言ってんだアホ、今は東京 にいるだろーが」
「なになに不良少女ちゃん、君も東京住み?」
「生きてた頃は世田谷の端っこ、多摩川のそばで暮らしてた。今はあちこち回ってる」
「いいなあ、
「何言ってんだアホ、今は
会話を聞きながらシオンはホロディスプレイに都内の地図を投影する。拠点がある渋谷から南西へ行くと世田谷。それほど遠くはない。
「お前たちはどこから逃げてきた? 走って逃げてきたならそう遠くないのか」
「えーっと、三鷹だから西だな。現実にあるキャンパスの位置を借りてるから『学校』だ」
「えーっと、三鷹だから西だな。現実にあるキャンパスの位置を借りてるから『学校』だ」
灰谷が説明したあたりにピンを立てると都内近郊に綺麗な三角形が完成した。
「こうして見ると俺たち割とご近所さんだな。どうぞよろしく。蕎麦食い行く?」
「は?」
「……?」
「は?」
「……?」
一条の言葉の意味が分からず少女二人は怪訝に顔を強張らせ、いたたまれない空気を切り替えるために灰谷が友人の頭を叩いた。
「ああもうバカ。ごめんね、こいつ田舎でおっさんたちに囲まれてきたから」
「んだとコラ、おっちゃんたちに謝れや!」
「お前のフリが悪いっつってんだよ」
「……フフッ」
「んだとコラ、おっちゃんたちに謝れや!」
「お前のフリが悪いっつってんだよ」
「……フフッ」
くだらないやりとりに思わず一歌は破顔する。一瞬とはいえ、道中ずっと固定されていた仏頂面は確かに消えていた。
二人としては笑わせるつもりのない日常的なやりとりだったが、彼女の張り詰めた雰囲気をわずかでも緩ませられたことに、少しだけ得意げな表情で視線を交わした。
二人としては笑わせるつもりのない日常的なやりとりだったが、彼女の張り詰めた雰囲気をわずかでも緩ませられたことに、少しだけ得意げな表情で視線を交わした。
「到着した。ここが私たちの拠点だ」
シオンに促され三人が見つめる先には半透明の黒いドーム──領域の外殻。
その向こうに西洋建築の大邸宅がうっすらと見える。静かな威容を湛 えてそびえる様に、若い客人たちそれぞれが言葉にならない感嘆の吐息を漏らした。
その向こうに西洋建築の大邸宅がうっすらと見える。静かな威容を
「ようこそ、安息地へ」