「――戻りました」
幾度目かの文句と共に、静かに扉を開き、エネリットが物置部屋へと戻ってきた。
二階への置き手紙のために離れていたわずかな時間――だが、その間に空気が変わったことを彼は即座に察する。
全員が沈黙していた。何かを隠しているわけではない。
むしろ、言葉にするには躊躇するような、そんな空気があった。
それを読み取ったエネリットは眉を寄せ、慎重に問いかけた。
「……何か、ありましたか?」
その問いに、壁にもたれ腕を組んでいたジェイが、重い足取りで前に出る。
「ローマンたちの合流が遅ぇからよ。ちょっと中庭まで様子を見に行ったんだが……」
わずかに息を吐き、言葉を続けた。
「……とっくにいなくなってた。中庭には誰もいなかったんだ」
声は平静を装っているが、瞳には困惑と苛立ちが混じる。
征十郎の姿も、ギャルたちの姿も、そして合流を予定していたローマンたちの影すら見えなかった。
いよいよ始まる決戦を前にして、不穏な予兆だけが静かに積み重なっていく。
「早くも予想外の事態、というわけですね」
夜上が楽しげな口調で呟いたが、誰もその言葉には乗らなかった。
エネリットは無言でジェイの言葉を整理し、すぐに次の確認に入る。
「死体や争った跡は、ありましたか?」
ジェイは現場を思い出すように少し眉をひそめながらも答える。
「……銀鈴とやり合った直後の現場だからな。小競り合いの痕跡があったかなんて、正直分かんねぇよ。
でも、あいつらの死体はなかった。それは断言できる」
あれだけ大きな戦闘の在った後では、今更小競り合いの後を見つけるのは難しいだろう。
だが死体がない事が分かれば十分だった。つまり、生死を分けるような衝突はなかったということ。
それを聞いたエネリットは静かに頷き、状況を整理し始めた。
「なら、彼らは彼らで独自行動を始めたと見るのが自然ですね。
そうなると、これ以上彼らを待っても無駄になるかもしれないですね」
もとよりその可能性は想定していたのだろう、早い判断だった。
だが、それは即ち、合流を諦めるという事だ。
案の定、ジェイがすぐに懸念を口にする。
「……ローマン抜きで、足りんのか? 戦力」
その問いに、エネリットは一度視線を落とし、次いで静かに顔を上げた。
「正直、厳しくなるのは確かですね、ですが……」
「こうなった場合の次善策もある、だろう?」
言葉を継いできたディビットに頷きを返す。
「ええ。安理さんが視たという、被験体の過去には『ヤマオリ』への執着があったそうです。
それが本当なら、それらに引き寄せられる可能性がある」
この話はエネリット以外は聞いていないし、当の安理はその発想に思い至っていない。
「そういや、あいつヤマオリの遺物とか取り込んでたんだったな」
「それに、ヤマオリの巫女か……それが誘蛾灯になるという事だな?」
ヤマオリに関わる縁者は東班に集まっている。
ならば、被験体がそれに反応する可能性はあるだろう。
「さて、どうでしょう。確証まではありませんが、まあ、気休め程度にそう認識しておいていただければよいかと」
淡々とした言葉だが、その腹の底は読めない。
この策の性質の悪い所は、終わった後で問い詰められても偶然で片づけられるところだ。
ジェイはその合理的すぎる策に、少しだけ引いたような表情を見せた。
「いえ、誤解しないで貰いたいのですが、彼らを意図的に囮とするつもりはありません。
ただ、属性を集約した方が次の予測を立てやすくなる、というだけの話です」
冷静で、抜け目ない。
そして、状況判断としては妥当だった。誰も反論しない。
例えその策が悪辣であろうともそう言った、仲間意識や正義感を持ち出すようなものはいない。
ただ、室内には少しばかりの緊張が立ち込めたままだった。
その沈黙を破るように、ぽつりと声が落ちる。
「メリリンも来ねぇみたいだし、オレは行くぜ。中をもう少し見て回りたい」
トビだった。
脱獄という自身の目的のため、内部調査を続けるという意思表明。
「……そうだな。待っていても意味がないのなら、俺たちも移動するぞ」
ディビットが立ち上がり、エネリットも頷いて準備を整える。
ジェイも、面倒くさそうに肩をすくめながら、その流れに従う。
しかし、最後にちらりと気絶中のヤミナをヤミナを見やり神父に声をかけた。
「じゃあ、神父さん。そいつ、任せた」
「ええ。任されました。皆さん、ご武運を」
夜上は微笑みをたたえ十字を切り、彼らを送り出す。
その祈りに見送られトビと三人は、それぞれ扉の向こうへと消えていった。
ジェイは最後に「じゃ」とだけ軽く手を挙げ、部屋を後にする。
扉が閉まり、物置部屋には静けさと夜上とヤミナだけが残される。
夜上は片目を細め、僅かに笑うように頷いた。
そして、始まりの気配が静かに満ちていく。
決戦の時は、もう間近だった。
■
複数の足音が、金属床の上でかすかな反響を返す。
薄暗い天井にぶら下がる照明はノイズ混じりに瞬き、点いたかと思えばすぐに消える。
それはまるで、何かの異常を告げる警告灯のようだった。
先頭を進むのは、暗黒を纏う鋼鉄の騎士――ジョニー・ハイドアウト。
重金属を積み上げたような巨躯が一歩踏み出すたび、床材がわずかに震える。
その背を静かに追うのは只野。さらにその後方を、少し距離を空けてエンダと安理が並んでいた。
彼らはエントランスホールを東側から攻め入るため、施設内部を大きく時計回りに迂回している最中だった。
物置部屋を出た四人は内回りの通路を選び、今いるのは北東区画の奥まった配電室。
その最後尾で、エンダと安理の控えめな声が交わされる。
「いいかい。自分の体にはない『第三の手』を操る感覚を覚えるんだ。
その新しい手で触れるのは、表面的な肉体じゃない。その奥底――魂だよ。
触れる感覚は、目隠しをしたまま水底に手を伸ばすようなもの。
そこを間違えれば、さっきみたいに深度を誤る。
そうなれば対象を壊すか、自分が呑まれる事になるだろうね」
歩きながらの会話。これは、事前に約束した超力の使い方の指導だった。
安理はエンダの歩調に合わせながら、真剣そのものの表情で頷いた。
理解しているのは言葉ではなく、その感覚そのものを必死に掴み取ろうとしているのがわかる。
「まずは触れた相手の『形』を感じ取る。魂に決まった形はない。癖、揺れ、震え方……
慣れれば自然と掴めるが、最初は相手に自分を合わせて、ゆっくり潜るように捕らえるといい」
行なわれる魂の指導。
決戦を間近に控えた付け焼刃にすぎないはずなのに、エンダの言葉は一つも聞き逃せなかった。
「ただ重要なのはね。他者への精神干渉といっても、相手を自己の延長だと思わないこと。
あくまで『他者は他者、自己は自己』。その線引きは絶対に外してはいけない。
つまり干渉とは、相手に共感することではない。……まあ、共感を目的とする君の超力は少し勝手が違うかもしれないがね」
「……それは、わかっているつもりなんですが」
安理の声には、不安と迷いが入り交じる。
内に意識を向けるのと、外に意識を向けるのは違う。
もともと彼は自分自身を対象にした超力を使ってきた。
他者に触れるという未知は、今なお戸惑いを残している。
「それにしても、なぜいきなり他対象の能力が目覚めたんだろうね。
超力が変化する事例は聞いたことがなくもないが、そこまで極端に違う例は珍しい。
……君の中で、何かが劇的に変わったってことなのかな?」
エンダは意味深に呟く。
その後方の会話とは対照的に、前方は静寂が続いていた。
先頭を進むジョニーと、それを追う只野。
ジョニーがエンダと距離を取っているのは事前の申し合わせによる意図的な物だろう。
そしてエンダもまた、向き合ってしまえば自身が感情的になってしまう事を理解しているかのだろう。
彼に一切の視線を向けようとはしなかった。
只野はその空気に、内心で小さく息を吐く。
互いに今なすべきことを理解している。
これはこれで気まずい空気ではあるが、殺し合いの気配がないだけ、今はまだマシだ。
だが、黙ってばかりもいられない。
役目を果たす方が先決ならば、話すべきことは話しておかなければならない。
「……それで、どう突入する?」
只野が議題を切り出す。
その声で、三人の視線が自然と集まる。
ジョニーが鉄の肩をぎしりと鳴らしながら応じた。
「突入時の一番槍を誰にするかって話か?」
「そういうことだ」
東西からの同時突入。
どちらが本命と見なされ、どちらに敵の攻撃が向くかは分からない。
だが、各陣営にとって先頭を担う者は、最も危険なのは明白だった。
「なら、俺だろ。デカブツの突撃をまともに受けられるのは、重量的に俺くらいだ」
ジョニーが壁役を買って出る。
現在のジョニーは2メートルを優に超える、鋼鉄の塊と化した巨躯である。
それこそダンプカーの正面衝突だって受けきれるだろう。
まさに壁役にうってつけの存在だった。
「――――そ、それは、ダメです…………!!」
安理が思わず叫ぶように割って入った。
震える声。それでも、いつになく、はっきりとした拒絶だった。
「……ダメです。違うんです。『受ける』とか、『止める』とか、その発想自体が間違いなんです……!
ジョニーさんがどうこうじゃない、あれは……まともに受け止められる相手じゃない……!」
その声は震えていた。
その恐怖は、彼だけが正面で味わったもの。
言葉にできない記憶が、その震えを物語っていた。
この中で唯一、被験体と対峙した彼の肌で得た警鐘は、無視できるものではない。
「回避を前提とするなら、俺になるか?」
次に、只野が名乗りを上げた。
だが、それにも異論が出た。
「やれやれ、仁成。君は自分を安売りしすぎだ」
エンダが呆れたように言う。
「本来ならまずは陽動と撹乱だろう。私の黒霧を先行させて、場の主導権を奪うべきだろう」
「いや、それなら――」
議論は歩みとともに続き、結論が出ぬまま、四人は配電室の奥へ消えていった。
そして静寂が降りる。
数秒ののち。
配電盤の影で、誰にも気づかれず気配を殺していた女が、そっと姿を現した。
「……ふうん」
囚人服の裾を整え、乱れた髪を指先でかき上げる。
環境音を一通り確認したのち、細い目がさらに細まり、口元に意味深な笑みが浮かんだ。
サリヤ・K・レストマン。
その姿は目立たぬ物陰に潜み、先ほどのやり取りをひと通り盗み聞いていた。
気配を殺すコツは、本条のお陰で心得ている。お陰で、四人は彼女の存在に一度も気づかなかった。
今はなき家族の贈り物に、サリヤは内心で小さく礼を送る。
「わざわざ東へ大回り……成る程、よくやったものね」
小さく呟きながら、相手の目的地と目的を推察する。
そして彼女は先ほど盗み聞いた会話を脳内で反芻する。
その中で、彼女の思考を強く引いた単語があった。
「……超力の追加、ね」
進化ではなく、追加。
第二段階、到達者(プレシード)における、もう一つの到達の形。
つまり、事実だけをなぞれば、あの少年は第二段階に達したという事になる。
だが、サリヤはその結論にいまいち腑に落ちなかった。
到達者にしては、あの少年には余りにも覇気も圧も足りていない。
あの少年がその領域に達したというのは信じがたい所がある。
一瞬だけ思索に沈んだが、すぐに顔を上げる。
「まあいいわ。今はそこを掘り下げている時間じゃない」
プレシードを専攻する研究者として僅かに気にかかる話だが、今はそこを掘り下げる場面でもない。
雑多な配電室を軽やかに乗り越え、彼女もまた、次なる目的地へと動き出した。
■
時間は少し遡り――まだサリヤが配電室に潜伏する以前。
金属とコンクリートがむき出しの工場区画。
薄暗い照明の下、機械油と鉄粉の匂いが重く滞る空間で、三つの影が向かい合っていた。
「作戦方針、最後にもう一度だけ確認しておくわよ」
静寂を断ち切るように、サリヤが口を開く。
その声音はいつもどおり冷ややかだが、今はわずかに慎重さを帯びていた。
「このまま、ディビットたちとは合流しない。私たち三人で動く。
そのためにも、向こうの動向は把握し、最大限利用する……ここまではいい?」
「そうだな」
ローマンが短く答える。
その義手がわずかに軋む音が、静かな空間に重みを落とした。
「奴らと組まない最大の利点は『自由』よ。
同盟の制約に束縛されずに動ける。そのメリットは大きいわ」
「具体的には?」
メリリンが具体的なメリットを尋ねると、サリヤは迷いもなく言葉を続けた。
「簡単な話よ。連中が戦ってる間に、奴らを囮にして私たちだけ脱出する。そういう選択肢もとれると言う事。
黒い首輪は諦めることになるけど……命あっての物種、ってところね」
同盟に縛られた連中と違って、見捨てるという選択肢をとれる。
冷静というより、冷酷と言った方が近い声明だった。
「いや、その案にぁ、乗れねぇな」
鉄の義手が小さく鳴り、ローマンが異議の声を上げた。
サリヤがわずかに眉を寄せ、問い返す。
「理由を聞いてもいいかしら?」
「ディビットのやつとはちょっとした約束があってな、出来ればそこは切りたくない」
離れる直前に耳打ちされた――キング討伐の話。
薬物の元凶であるキングを排除することはローマンにとって最優先であり、そのための手段は問わない。
自分の手で殺すことにすら拘らない、同じ目的を持つディビットと手を組む線を切るのはローマンにとって悪手である。
その意見を受け、サリヤがゆっくりと視線を流す。
「つまり別行動をとるにしても、被験体を倒すためだったと言う最低限の筋は通したい……そういうこと?」
「ああ。ただ、そりゃ俺個人の問題だ。別にお前らが奴らを囮に逃げるってんなら、それを止めるつもりはねぇさ」
ローマンは、鋭く切り捨てるように言った。
その言いぶりは、ディビットたちだけではなく、いざとなれば自分も切り捨てていいと言っているのに等しい。
その覚悟の強さに、メリリンは小さく目を細めた。
彼の価値観は不器用で、まっすぐすぎて、時々胸が痛くなる。
「それよか、俺が気になってんのは、メリリン。お前だ」
「……は? な、なに急に」
また妙なことを言い出すのかと身構えたが、ローマンの顔には茶化しも色気もない。
鋭い、現実的な目だ。
「被験体との戦い、お前はどうする気だ?」
その問いに、メリリンは口をつぐむ。
確かに、ドローンによる支援はできても、彼女の戦闘力は乏しい。
接近戦に耐える力はない彼女が狙われたら、ひとたまりもないだろう。
「……ここに残って首輪を解析する方が安全、ってのは分かるけどね」
サリヤもそれに頷く。
それが最もリスクの低い選択であることは誰の目にも明らかだった。
だが――メリリンは静かに息を吸い込んだ。
「でも、私がここに残るってことは……結局、被験体を倒すしかなくなるってことでしょう?」
もし自分だけ安全圏に残るなら、ローマンたちは必ず正面から怪物を討ち倒さねばならない。
他チームを囮にする案も消える。
つまり、決着は避けられない。
「……なら、答えはひとつよ」
視線をまっすぐに二人へ向ける。
「私も行くわ。一緒に」
強い決意のこもった言葉だった。
サリヤが軽く目を瞬く。ローマンは無言で受け止める。
「二人に命張らせて、私だけ後ろでぬくぬくしてるとか……そういうの、性に合わないのよ」
ローマンは無言のまま、メリリンを見た。
その眼には何の驚きもなく、ただ彼女の意志を受け入れるような静けさだけがあった。
「まあ、いいさ。お前はアイアンの一員だ。お前のケツは俺が持つって言ったからな」
「それが重たいって言ってんでしょ、バカ」
メリリンの口元に浮かんだのは、強がりとも本音ともつかぬ歪んだ笑み。
冗談とも本気ともつかない、独特の微笑だった。
「……待機していれば安全だったでしょうに」
サリヤの呟きは、ほとんど聞き取れないほど小さかった。
ほんの一瞬だけ、その横顔に揺らぎが走ったが――すぐに消える。
決意は、固まった。
三者三様の思惑が交差しながら、共通の方向へと動き始める。
サリヤはディビットたちの動向を探るべく、館内の偵察へ。
ローマンは義手の最終調整と、戦闘に備えてしばしの休息を。
そしてメリリンは、首輪解析に戻り、わずかな手がかりを求めて集中する。
鉄粉の匂いと排熱音が満ちる工場区画に、やがてサリヤの足音だけが遠ざかっていく。
ブラックペンタゴン脱出作戦。
その裏側で、もう一つの影が、静かに動き出していた。
■
砂を噛むような乾いた風が、大地を横薙ぎに流れていた。
遮るもののない日差しは容赦なく照りつけ、丘の稜線は歪んだ陽炎に揺らめいている。
そのただ中を、ジャンヌ、りんか、紗奈の三人は身を低くし、風と地形を頼りに慎重な足取りで進んでいた。
目的は、ブラックペンタゴン南正門の偵察。
ディビット・マルティーニとの共闘の対価として課された任務。
ルーサー・キングの待ち伏せがあるかどうか、その有無を確認する任務である。
荒野の空気はどこまでも澱んでいて、風の音と舞い上がる砂のざらつきが耳の奥でざり、と響く。
三人は稜線に沿って迂回し、傾斜の裏側へと身を折りながらじりじりと距離を詰めた。
そうして南正門の視認範囲ぎりぎりまで潜み――息を殺して周囲の気配を探る。
「……動く影は、ありませんね」
りんかが息を殺して呟く。
ジャンヌは頷き、額に手を添えて照り返しを遮りながら視界を横に流した。
建物の入り口。壁の陰。稜線の向こう側。
注意深く確認するが、わずかな動きすらない。
「稜線の上にも、建物の陰にも、今のところ動きは見えません……。
誰かが待ち伏せをしている可能性は、低いと見て良さそうですね」
その言葉に紗奈が胸をなでおろすように息を吐く。
本来であればキングを発見できなかったことは作戦上の痛手である。
だが、彼女にとっては、りんかが危険に晒されないことの方が、ずっと重要だった。
「では……ディビット・マルティーニに報告を。連絡は、私が行ってもよろしいでしょうか?」
「……ええ。そうね。お願いするわ」
ジャンヌの返答を受けて、紗奈は通信機を差し出す。
その手にはわずかな躊躇があった。
交渉の場で失敗を経験した直後、今また自分が音頭を取ることには少し抵抗があったのだろう。
その逡巡をジャンヌは察していたが、あえて深くは聞かない。
ジャンヌは何も言わず通信機を受け取り、ディビットとの回線を開くべく操作を開始する。
通信機に指を掛け、通話回線のボタンを押し込む。
しかし、数秒が経過しても応答はない。
「…………出ないね」
「そうね……いつでも応じられるとは限らないと言う話だったから、もう少し待ちましょう」
りんかが囁き、紗奈も口を結んだ。
常時応答は難しい事は事前に知らされていた。
ジャンヌは辛抱強く、一人無言で風を受けながら待ち続ける。
風が、砂を巻き上げながら通り抜ける。
耳鳴りのような沈黙の中、空気はゆっくりと重くなっていく。
流石に一度仕切りなおすかと考えが過り始めたところで。
──……ブッ……。
微かな電子音とともに、回線が繋がった。
ジャンヌの肩が、安心にわずかに緩む。
「こちらジャンヌ。正門周辺に異常なし。キングの姿も確認できませんでした」
静かに、要点をまとめた報告が送られる。
数秒の間の後――通信機の向こうから、ディビットの返答が返ってきた。
「………………え?」
その返答に、思わず、ジャンヌが声を漏らした。
聖女らしからぬ、完全に呆けたような声。
ぽつりと零れた声は、明らかな困惑と戸惑いを含んでいた。
それほどにディビットから発せられた言葉はあまりに意外で、理解が追いつかなかった。
意識に生まれた一瞬の空白。
そこに――『影』が落ちた。
最初は雲が日を遮ったのだと思った。
だが、直後に襲いかかる異変が、それが誤りであることを証明する。
空気が裂ける重低音。
耳をつんざく風切りとともに、地面が震える。
次の瞬間、爆風のような風圧が三人の身体を押し潰すように吹き付け、視界を砂塵が埋め尽くした。
「――っ!?」
ジャンヌが反射的に顔を上げる。
だが、視界に映ったのは空ではなかった。
空を埋め尽くす、円形の黒い巨塊。
太陽を丸ごと呑み込むように落下してくる無慈悲な影。
質量という概念そのものが暴力に変わり、重力の法則をねじ伏せるかのように迫りくる。
その真下――立ち尽くしていたのはジャンヌ・ストラスブール。
彼女の視界いっぱいに広がる絶望の鉄塊。
逃げる間も、声をあげる間もない。
天罰のような黒鉄が、聖女を押し潰さんと迫っていた。
■
蔦の這う鉄枠から、淡い人工光が静かに零れていた。
ホログラムで再現された青空がひどく薄く揺らぎ、温室全体を仄かな緑光で染める。
湿り気を孕んだ空気が肌を撫で、ひんやりとした重みを残した。
しだれた観葉植物が微かに葉を揺らし、腐葉土の匂いと混じる呼気が喉を湿らせる。
循環装置がどこかで低く唸り、一定の律動で空調を送り出していた。
しかしその機械音はむしろ静寂を引き立て、まるで世界の呼吸だけがひとつ止まってしまったような錯覚さえ与えた。
――ブラックペンタゴン南西、外周部の温室。
ディビット、エネリット、ジェイの三人は、作戦開始に向けてエントランスホール西口へ向かう途中、この一室を通り抜けるだけのつもりだった。
だが、その足は思わぬ理由で止まることになる。
重苦しい沈黙の中、不釣り合いな電子音が空気を震わせた。
ディビットの携える通信機が小刻みに震え、表示灯が湿った空気を赤く照らす。
しかしディビットはその通信に応じようとはしなかった。
顔をわずかにしかめ、額に汗を滲ませ――ただ目の前の何かへと視線を釘付けにしていた。
呼び出し音が何度も鳴り続け、静寂を侵す。
「――――――出なよ」
正面から低い声が落ちた。
促すようでいて、有無を言わせぬ重圧。
ディビットは乾いた息を呑み、ゆっくりと視線を上げた。
エネリットは静かな目で前方を見据え、ジェイは不機嫌そうに奥の影を睨みつけている。
三人の視線は薄靄の向こう、同じ一点に集中していた。
ディビットは逃れられないと悟り、覚悟を決めて通話ボタンを押す。
呼び出し音が止み、緑色の通話ランプが灯る。
直後、澄んだ声が温室に響いた。
『こちらジャンヌ。正門周辺に異常なし。キングの姿も確認できませんでした』
温室に響く聖女の声。
聖女の声は静謐そのものであったが、この温室では異様に響きすぎた。
ディビットはすぐに返答をしなかった。
わずかな間ののち、口角をわずかに歪めて呟く。
「……ああ、そうだろうな」
その声音には諦念にも似た色が滲む。
彼は覚悟を決めた視線を前方から外さず、低く、決定的な事実を告げた。
「キングなら――俺の目の前にいる」
そう言って、通信を切った。
電子音が消え、温室には再び異質な静寂が満ちた。
そこに立っていた。
黒鉄のような肌、艶やかなスーツ、漆黒の瞳が、湿った空気を穿つ。
ルーサー・キング。
裏社会の帝王、『キングス・デイ』の首領。
「いやぁ……まいったよ」
雑談でもするような気安さで黒い男は笑った。
だがその笑みには温度がなく、ただ冷えた鋭さのみが宿っていた。
人間の笑みではなく――獣の牙を見せる動作に近い。
「放送を聞き逃してしまってね。情報収集のつもりでここに来たんだが、あんな化け物と鉢合わせるとは思わなかった」
「被験体:Oのことか」
ディビットが応じた。
知らぬところでキングと被験体の頂上決戦があったようだ。
その言葉にキングは肩を竦め、軽く笑った。
「ああ。そんな呼び名だったのか。あれはすごいね。ヴァイスマンの肝煎りかな?
おかげで服も台無しになってしまって。まったく、着替えが何枚あっても足りないよ」
「……服だと?」
その言葉に、ディビットが微かに眉を寄せる。
改めて確認するまでもなく、キングの服は囚人服ではなく汚れひとつない新品のスーツだ。
これを買ったポイントはどこから手に入れたのか。
「ホールから温室に飛び込んだとき、運良く死体を見つけてね。
首輪のポイントも放置されていたようで、運がよかったよ」
視線の先――植物の陰に、女の遺体が転がっていた。
ソフィア・チェリー・ブロッサム。
その首輪からは既にポイントが回収されていた。
ディビットが小さく舌打ちする。
キングは積極的なポイント回収には動かないと踏んでいたが、そんな幸運までは想定できない。
「それで服と食料を買って、ここで休息を取っていたわけさ。
いやぁ、被験体には肝が冷えた。リカルド以来だよ。あそこまで命の危機を感じたのは」
その名を聞いた瞬間、ディビットの表情がわずかに変わる。
湿った空気が一瞬にして鋭く張り詰め、温室の植物がざわめいた。
リカルド・バレッジ。
彼の所属するバレッジ・ファミリーの首領。
かつてキングとの決闘で瀕死に追い込まれた男。
その名を軽々しく口にすること自体が、ディビットの逆鱗を撫でる行為だった。
「……ずいぶん軽口を叩くじゃねぇか、ジジイ」
「そう殺気立つなよ。若造」
キングは手をひらりと広げ、話題を滑らせるように笑った。
だが笑みはすぐに消え、声色が低く沈む。
「しかし……さっきの通信は面白かったね」
温室の空気が震える。
ホログラムの青空が淡く揺らぎ、空調の音さえ消えたかのような錯覚。
「通信機の向こうから聞こえたのは……ジャンヌ・ストラスブールの声だったね?」
唇の端がゆっくりと吊り上がる。
細められた瞳は、まるで暗闇で光る獣のそれ。
その口元に浮かぶ笑みは、刃そのものだった。
「そして――俺の所在を探るような報告していた。これは一体どういうことかな?」
ディビットは何も言わない。
無表情のまま、薄い沈黙で応じた。
己の言葉一つで自身だけでなく、ファミリーの運命が決まると理解しているのだ。
キングの瞳が細く光る。
静かに一歩、そしてもう一歩踏み出した。
空気がひしゃげる。
「つまり――ジャンヌと『同盟』を結んでいた、というわけだ。君たちは」
返す言葉はない。
けれど無言こそが、最も雄弁な肯定だった。
キングは長く息を吐き、肩を竦めた。
「やれやれ……いつの時代も『平和』とは脆いものだ」
その瞬間、温室全体が一変する。
湿った空気は凍り、音が死ぬ。
帝王の圧力が世界そのものを押し潰す。
「――じゃあ、聞こうか」
黒曜石の瞳が、ディビットを真っ直ぐに射抜く。
その声は、冬よりも冷たく、静寂を壊すほどの重みがあった。
「その背徳――どう落とし前をつけるつもりなんだ、ディビット・マルティーニ?」
■
工場区画の一角。
薄暗い照明が鈍く鉄骨を照らし、天井から落ちる細かな埃が空気にゆるりと漂っていた。
人の気配は薄く、時折カチリ、と機械を弄る音だけが静けさを破っている。
ローマンは作業台の脇に腰を下ろし、新たな右腕を静かに見つめていた。
重厚な鉄の義手。関節部に仕込まれた吸振構造が、拳を固めるたびに低く唸る。
「……悪くねぇな。反応も、まあ許容範囲だ」
指を一本ずつ曲げ伸ばし、握る、押し込む、掴む。
必要な動作は十分にこなせるが、細かな指先の操作まではまだ難しい。
それでも、打撃用としては申し分ない。鋼鉄の拳は、生身より確実に強いだろう。
だがローマンの戦闘スタイルは『破壊の衝動』による中遠距離戦が主だ。
鉄の義手の鉄拳による打撃はあくまで副次的なオプションにすぎない。
むしろ大きな意味を持つのは、欠損によって崩れていたボディバランスの補完だ。
重心が戻り、体幹が安定したことで、違和感なくいつもの動きに近づける。
機動戦を得意とする彼にとって、この回復は生存率そのものだった。
「どう? 義手の動きは」
作業台の向こうからメリリンの声が飛ぶ。
彼女は分解中の首輪に視線を落としたまま、耳だけはこちらを逃さない。
片手には超力で生成したピンセット、もう片手には細いドライバー。
細やかな指の動きが、機械光に照らされて白く光る。
「上等だ。なんたって、お前が作ったもんだしな」
「はいダメ。減点ね」
メリリンは呆れ顔で言い放つ。
ローマンが片眉を上げる。
「誰が作ったかで判断するのは信頼じゃなくて妄信よ。それ、技術者には一番嫌われるタイプの褒め方だから」
「そうかよ、そりゃ悪かったな」
ローマンは肩をすくめて見せる。
それでも、義手を一瞥してその出来には確かな信頼を感じていた。
「それで、そっちの調子はどうだ?」
彼は話題を切り替え、メリリンの首輪解析の進み具合を問う。
「そうね……正直、あまり芳しくはないわ」
メリリンは手を止め、小さくため息を吐いた。
ピンセットを机に置き、こめかみを軽く押さえる仕草をする。
「この首輪、外装が『システムA』って話はしたわよね?」
「ああ、聞いた」
メリリンはそのまま作業の手を止め、指先を弄びながら話を始めた。
行き詰った作業の気分転換がしたいのだろう、ローマンもその雑談に付き合う。
「知っているかもしれないけれど、『システムA』は超力の発動を抑える『封印型』と、発動した超力を無効化する『防壁型』の2種類があるの。
両方の機能を兼ね備えた『複合型』もあるけれどコストがかかるからあんまり普及はしてないわね」
『システムA』に関する蘊蓄を語り始める。
ローマンもざっくりとは知っているが、口を挟まず聞き役に徹した。
「私たち囚人に監獄でつけられている枷は『封印型』ね。そして、この首輪は『防壁型』。
だから首に巻き付いていても超力の発動を阻害しないし、超力戦で破損する可能性も低い」
「だから、超力で壊すのは難しいってことか」
「そ。私の超力をぶつけても無効化される。で、こいつもまた親機の機能を受信する、子機の理論で動いている」
その説明を受け、ローマンは顎に手をやり、少し考える。
「なら……親機ぶっ壊せば、こいつもただの輪っかになるんじゃねぇのか?」
ローマンの推測に、メリリンは首を縦に振る。
「そうね。親機さえ破壊できれば、あとは私の超力でどうとでもなる。
けど、そもそもの問題として、親機の場所が分からない。ブラックペンタゴンのどこかにあれば、何とかなるかもしれないけれど……」
「ま。それはねぇだろうな。『システムA』の外壁で閉じ込めといて、中に本体を置いてちゃ話にならねぇ。置くのなら外だ」
「うん……それが妥当な推測よね」
メリリンも同意する。
だが、推理できるのはそこまで。
外の調査ができない以上、結論には踏み込めない。
小さな沈黙が生まれる。
機械の軋む音が、その隙間をゆっくりと満たしていく。
「なぁ、メリリン」
「ん?」
不意にローマンが口を開いた。
その声音は、いつもの軽口を装っていながら、どこか遠くを見ているような、静かな響きを帯びていた。
「……お前、本気で戦うつもりなのか?」
「言ったでしょ。あんたたちだけに命張らせて、自分だけ後ろにいるなんて性に合わないって」
メリリンは目を逸らさず、まっすぐ言い切る。
握っていたドライバーの先端が微かに震えたが、それでも覚悟は揺らがなかった。
ローマンは少しのあいだ彼女を見つめ――静かに吐息をつく。
「被験体:Oがどれほどの化け物か……正直、俺でも分かっちゃいねぇ。
たぶん、俺の一人の手に余る相手だ――お前をフォローできるかどうか、自信ねぇ」
メリリンは驚いたように目を見張る。
ローマンがそんな風に弱音を吐くのを、初めて聞いた気がした。
「……なにそれ。珍しく弱気?」
「そうかもな」
その声には妙な素直さがあった。
サリヤから向けられた『お前では到達者には勝てない』という冷酷な現実。
眠っていたメリリンは知らないが、ローマンの胸中には響いていた。
「……らしくない」
メリリンは小さくため息をつき、呟く。
「なに…………?」
「らしくないって言ってんのよ。あんたはいつもみたいに、威張ってりゃいいの。
オレ様に任せろって、無根拠でも自信満々でさ。そうじゃないと、こっちまで不安になるでしょ」
彼女の声音には怒りも苛立ちもなかった。
ただ、ひとつの信頼の形として、ローマンに突きつける言葉だった。
ローマンはしばし驚いたように黙りこくり、やがて、ふっと肩を揺らして笑った。
「……はっ、そりゃそうだ。お前の言うとおりだ。
オレに任せとけ、メリリン。お前の命くらい――何度でも拾ってやるさ」
その言葉を、メリリンは正面から受け止めた。
ゆっくりと、満足そうに頷く。
「……はい、それでよし」
そう言って再び工具を持ち直し、首輪の解析へ戻る。
その横顔は柔らかく、どこか微かに笑っているようですらあった。
ローマンはその表情に目を細め、ぽつりと呟く。
「やっぱり……いい女だよ、お前は」
メリリンは反応を返さなかった。
聞こえないふりで手元の作業に集中しているが、耳の先端がほんの僅かに赤い。
工場の奥で照明がひときわ強く灯った。
その灯りがまるで彼らの決意を試すかのように暗がりを照らした。
■
かすかな塵の匂いに、爆破の生臭さが混じる。
ブラックペンタゴン北西、かつてジャンヌとエネリットたちの交渉が行われた集荷エリアの一角。
崩れ落ちた扉、その周囲を囲む瓦礫の山。その隙間に、脱獄王トビ・トンプソンはしゃがみ込み、爆破跡を念入りに観察していた。
「……なるほどな」
爆破跡は荒々しく、瓦礫は細かく散っていたが、ある一点を起点に圧力が抜けていた。
抜け道として十分な空間は確保されており、自分であれば容易に通過できる。
だが、それだけだ。
立ち上がり首をひと振りし、散った埃を払う。
事前に想定した通り、他の連中を連れて抜けるのは到底不可能なようだ。
ひとまず、ここから一人で外に出て、『システムA』の本体を破壊するという案もある。
本体さえ破壊してしまえば、ただの丈夫な外壁となる。破壊できる奴もいるだろう。
集団脱獄の手段としては悪くない案だ。
だが、この案は実行するための問題が多い。
まず、本体の位置。
『システムA』の本体は南東の小屋だとトビは当たりを付けているが、その推理が当たっているとは限らない。
いざ、たどり着いてそこが何もないただの掘っ立て小屋だったら目も当てられない。
もう一つは時間的問題。
制限時間まで残り2時間強、距離的には移動可能かもしれないが、途中でどのようなアクシデントに会うかわからない。
外にいる人間に襲撃される可能性もある。四葉が死んで護衛役がいなくなった今では外を単独行動するのはリスクが高い。
後は単純に物理的な問題。
トビが施設を物理的に破壊できるとは思えない。
鉄パイプでも拾って振り回せとでも言うのだろうか?
それに、仮に無事辿り着くことが出来て首尾よく破壊出来たとしても、それを内部に伝える手段がない。
通信機を受け取っておけば連絡も出来たかも知れないが、こちらはあくまでサブプラン、作戦としては正門の突破が優先だ。
以上の点から実行は難しいだろう。
実行するにしても、何も見つからなかった時の最終手段。
選択するのは、ひとまず内部を一通り調べてからだ。
そう判断したトビは踵を返し、隣接する連絡通路へと足を向けた。
音もなく扉を開き、連絡通路にトビが出た、そのときだった。
同じタイミングで向かい側の対角線上にある扉が開かれ、ひとりの女が現れた。
薄紫色のウェーブがかった髪。
黒いドレスに白衣を纏った異彩――無機質な空間の中、明らかに異質な存在。
出会い頭に引く事も出来ず、視線が真っ直ぐにぶつかり合う。
互いに値踏みするように鋭い警戒の視線をぶつけあう。
「サリヤ・K・レストマンだな」
先に名を口にしたのはトビだった。
初対面であるはずのその名を、ためらいなく呼んだ。
サリヤは片眉をわずかに上げる。
「……あら。よく知っているわね」
「当たったか。この状況でオレの知らねぇ相手で該当するのは、もうお前くらいだからな」
このブラックペンタゴンにおいて、最も未知で危険な外部要素。
ブラックペンタゴンの中にいる人間の中でトビが心当たりがないのは彼女くらいのものだ。
トビは一瞬で警戒値を上げながらも、ふっと口元だけで笑った。
「妙な所で出会ったもんだな」
「まったくだわ」
決戦の地であるエントランスホールから最も遠い北端。
互いに相手がここにいる理由を探りながら、沈黙の時間が続く。
先に口を開いたのはサリヤだった。
「……あなたが『脱獄王』トビ、で間違いないかしら?」
「ああ。オレ様も有名になったもんだ。名乗る手間が省けるってのは楽でいいなぁ、おい」
「あれだけ脱獄を繰り返してれば、そりゃあね」
皮肉を込めたトビの言葉を軽く流す。
軽口を交わしつつ、双方とも一歩も気を抜かない。
通路に張り付いた空気は、刃のように緊張している。
「けど、どうしてここにとどまっているのかしら?
あなたが本当に噂通りの実力者なら、ここから逃げることくらい訳ないでしょう? それとも噂が大きくなり過ぎた口かしら?」
挑発じみた言葉に、感情を乱すでもなくトビは淡々と答える。
「オレ様一人なら逃げられるさ。だが他の連中も逃がすとなると、話は別だ」
「……他の連中も? あなたが?」
サリヤは目を細めた。
疑念というより、純粋に理解不能といった反応である。
「何のために?」
「何のって? 決まってんだろ。趣味だよ、趣味」
トビは肩をすくめ、悪びれもせず答えた。
サリヤが、きょとんとした顔をした。
明らかに予想外の返答だったらしい。
「趣味……そんなものに命を懸けられるの?」
「そもそもオレ様が脱獄してんのは、趣味だからだ。他人を逃がすのも、その延長線ってやつさ。
自分が楽しいからやる、そのために命を張るんだ、これ以上ない理由だろ?」
当然のように断言する。
「失敗したら他の人間が巻き込まれて死ぬとしても?」
「失敗したら残念だったで終わりだろ。そりゃあオレ様に張った奴らが悪い」
理想でも信念でもなく、ただの趣味。
そんなもののために自分どころか他人の命まで巻き込める異常性。
常識も倫理も関係ない。
ただやりたいからやる。その一点だけで世界を回せる化け物。
「……なるほど。噂通りの『脱獄狂』ってわけね」
「誉め言葉だと受け取っておくよ」
ひと呼吸だけ空気が緩んだ。しかし油断ではない。
むしろ互いへの警戒はさらに鋭くなっていた。
「他を逃がすことは、そちらは手を組んで動いているという事でいいのかしら?」
「さて、どうだろうな? 勝手にオレ様がやってることかもしれないぜ」
適当にはぐらかしているようで、この男に限っては普通にありうる話だから困る。
トビからすれば、エネリットが作戦に組み込まなかったサリヤの存在は警戒の対象だ。
思惑がはっきりとしていない以上、情報を無意味に漏らすのは躊躇われる。
対等な情報交換であれば、応じる用意はあるのだが……。
「そういやあんた、いろいろ詳しいって話だったか?」
「いろいろって……どういう意味かしら?」
何かを思い出したようにトビが問う。
何を聞かれるのか、サリヤが僅かに警戒しながら問い返す。
「『C理論』って言葉を、知ってるか――――?」
投げかけたその問いに、サリヤの表情が一変した。
ほんのわずか眉が跳ね上がり、視線に細かな揺れが走った。
「……どうしてその言葉を?」
「おっと、ここから先はロハじゃ話せねぇな」
つまり、対価としての情報。情報交換を求めている。
さし当たって『C理論』の説明だろう。
数秒の沈黙ののち――サリヤは目を伏せ、考えるように呟いた。
「そうね……あなたが、その言葉をどこで知ったのかは……興味はあるわね」
「交渉成立、でいいんだな?」
サリヤはその言葉を否定するでもなく無言で応じる。
それを肯定と捉え、話を始めた。
「オレはこのブラックペンタゴンの上階を調べた。
3階には『システムA~C』の概要資料、研究記録、それから実働サンプルまで揃ってた。
その資料の中に『C理論』のことも書いてあった」
トビの報告に、サリヤの瞳が鋭く細められる。
「なんでそんなものが? わざわざヴァイスマンが用意したとでも言うつもり?」
「知らねぇよ。ま、オレは用意したのはヴァイスマンじゃねぇと踏んでるが、どうだろうな」
看守官たちがそんなものを用意した意図までは不明だ。
少なくとも、トビが『C理論』というキーワードを持ち出した時点で、それが実在する証左にはなる。
「じゃあ、そっちの番だ。『C理論』ってのは何なんだ?」
トビの問いに、サリヤは一度呼吸を整えるように小さく息を吐いた。
「『C理論』とは、簡単に言えば『システムC』の途中式よ」
「途中式?」
サリヤはトビの反応を確かめるように一瞬だけ視線を流し、説明を始めた。
「ある日、研究者たちは『特殊事例(ノーブル)』という答えだけをポンと天から渡された。
その答えを証明する事こそが『システムC』の命題であり、『C理論』は現時点で人間に実証可能な理論をまとめ上げたその途中式である」
トビはその言葉を咀嚼するように腕を組んだ。
「……つまりイミフってことだな」
「逃げずに理解しようとしなさいよ。
数学上の未解決問題のようなものよ、答えが先にあるのは数学の世界ではそれほど珍しい話ではないわ」
まるで簡単ではない説明だった。
そもそも『システムC』がどういうものなのか、そこからよくわかっていない。
「上で見つけた資料にはその辺は書かれてなかったの?」
「大半は黒塗りだったもんでね」
それでこの情報交換を持ちかけたのは大したハッタリである。
話の前提が分かっていないのであれば説明のしようがない。
ここまで話してしまった以上は仕方がないと言った風にサリヤは説明を付け加える。
「『システムC』とは、超力を支配、管理するための機構の事よ」
「支配に、管理ね……ざっくりしすぎてよくわからねぇな」
サリヤはそうねぇと少しだけ考え、相手の知識レベルを考慮した例えを探す。
「例えば――『私という人間を記したノート』があるとするわね。
『システムC』はその中身を書き換えられるペンと消しゴムの様なものかしら。
超力の更新、進化、追加、削除すら可能となる」
聞いただけで、神の領域に踏み込んだ代物だ。
人工的な第二段階をいくらでも量産できる、夢の、いや悪夢の装置である。
禁忌として情報統制されるのも頷ける。
「つまりは、それが最終目標だってことだな?
で、その『C理論』ってやつでは何が出来るんだ?」
「私の知識も最新のものではないんだけど……私の知る『C理論』は超力は魂に宿る事を前提として、魂の改竄によって超力改変を行うという理論よ」
「そりゃまた、オカルトじみてるな」
トビが肩を竦め、鼻を鳴らした。
だが、サリヤは真面目な顔で首を振る。
「魂の存在は、すでに観測され、理論と測定法も確立された。
今やこれは、れっきとした科学的アプローチよ」
物理的に測定され、数式に落とし込まれた魂の構造。
それがこの世界で進行している科学の、最新の到達点。
高度に発展した科学は魔法と区別がつかないと言うが、完全にその領域に踏み込んでいる。
「最も今は魂、精神を越えて理論は肉体への応用段階にまで至っているようだけど、あと少しで完成と言った所かしら」
トビは眉をひそめ、考え込む。
やがて、ぽつりと呟く。
「……あと少しで完成ってことは、やはり『システムC』ってのは未完成なのか?」
「ええ。完全に完成はしていないはずだけど……どうして?」
トビは思い出すように視線を横に逸らした。
「3階に実働サンプルがあったと言う話はしたな?
だけどな、AとBの実働サンプルは確認できたんだが、Cのサンプルだけ部屋の扉が閉ざされていたんだよ」
「それはおかしいわね……さすがに実験サンプルの一つも出せないってほどじゃ……」
途中で言葉を切り、サリヤが沈黙する。
数秒の後、彼女の表情がわずかに変わる。
思考がある結論に至ったことを示すように目を見開き、すぐに顔色を変えて黙り込んだ。
そして、ぽつりと独り言のように問う。
「その扉は開かなかったんじゃなくて、開く必要がなかったのだとしたら?」
「……どういう意味だ?」
ただならぬ気配を察したトビが、眉を寄せる。
サリヤの思考がある重大な結論にたどり着いたことは分かる。
だが、それが何を示しているのかはまだ見えない。
「あなたは知っているかわからないけれど、このブラックペンタゴンの外壁は『システムA』で構成されている。
そして、中庭には『システムB』が配備されていたのよ」
「だから、『システムC』が配備されていても不思議ではないと?」
AとBがあるのだからCもあるはずだ。
ヤミナも似たような事を言っていたのを思い出す。
「だが、それがないから実物サンプルの扉は開かなかったんじゃないのか?」
「言ったでしょ、開かなかったのではなく開く必要がなかった。
サンプルは開くまでもなくそこに在ったのだとしたら」
「それはどういう……」
まだピンと来ないトビに対し、サリヤが淡々と続きを語る。
「小型化の進んだ『システムA』と違って、試作中の『システムC』は小型化が進んでいない。
この意味が分かる? 『システムC』を機動させるにはドーム級の設備が必要となるの」
ようやくサリヤの言わんとすることを理解し、トビは、わずかに目を見開いた。
その言葉で、すべてが繋がった。
この島において、それだけの大きさの施設など、そんなもの一つしかない。
「まさか、このブラックペンタゴンそのものが……?」
空気が、冷たくなる。
通路に張り詰めた沈黙が降りる。
つまり、このブラックペンタゴンこそが『システムC』であるとサリヤは推測しているのだ。
「じゃあ何か? オレたちは『システムC』の腹の中にいるって事か?」
「推測が正しければ。ね」
トビの表情が険しさを増す。
「だが、それなら何でオレたちの超力は消されねぇ? いつでも書き換えられるんだろ」
『システムC』が超力の書き換えを自由に行う機構であるとするならば、その中にいる囚人たちはいつ『システムC』の対象となってもおかしくないという事である
だが、今のところその様な兆候はない。
その疑問にサリヤは首を横に振り、静かに言う。
「それは、超力同士の衝突データでも取りたいんでしょう。
その目的にそぐわなかい『削除』はしないはずよ」
サリヤの言葉に、トビが「ああ」と短く返す。
「つまり、被験体との戦闘データを取るために泳がされてるわけだ」
アビスは超力同士の戦闘データを欲しがっている。
それは、これまでの刑務作業で十分に推察できる目的だった。
被験体との大規模戦闘は格好のサンプルだろう。
自らそのお膳立てを台無しにするような真似はしないはずだ。
「なら、その仮説がマジだったとしても『システムC』による介入の心配はないってことか?」
「ええ、私たちにはね……」
サリヤはそこで、わずかに声を落とした。
「けど、被験体は違う。彼らは運営側の管轄下にある存在。
運営が意図して強化してくる可能性は大いにありうる」
懸念すべきはこちらに適用される事ではなく、被験体に適用される事である。
運営側から送り込まれた被験体だ、運営側からの介入がされるのは考えて然るべきである。
そうなると全ての前提がひっくり返る。
「超力の『追加』や『強化』ってのはそんな簡単にできるものなのか?」
「簡単とは言わない。人間の器は決まっている。無理に詰め込めば器の方が壊れるだけよ」
人工的な超力の追加など確実に無理が出る
到達者(プレシード)に至れるのが素質のある人間だけなのは進化した超力を受け入れる器があるからだ。
「だが、わざわざ送り込んだ被験体:Oってのにそれがねぇとは思えねぇがな」
「そうね。けど、被験体:Oってのがとんでもない器を持つ人類最強の男でした、なんてオチじゃない限り、2個も3個もホイホイ追加できるようなものではないわ」
トビは息を吐き、肩をすくめる。
「ま。どっちにせよ、全部ただの仮説か」
「そうね。これは最悪の仮説」
ブラックペンタゴンが『システムC』であるという事も確証のない推測に過ぎない。
だが、その最悪を想定せねばならない。
「でも、仮にそうだとしても、あのヴァイスマンがいきなり実戦で使うような真似をするか?」
「そうね。本当にそうなら――どこかに試験運用が行われている痕跡があるはずよ」
例えば、ブラックペンタゴンの中で不可解な超力の進化や追加があった人がいないか。
サリヤが目を伏せ、ふと何かを思い返す。
その問いに浮かぶのは、一人の少年の姿。
先ほどまあいいと捨て置いた話が、事の核心に迫っていた。
まさかとするには余りにも条件が整っている。
その可能性は、心の底にとどめておく必要があるだろう。
ふと、通路の向こうから機械の冷却音が響いた。
時間は有限であり、刻限は静かに迫っていた。
「……戦いの時間が近いわね。そろそろ私は戻るわ」
サリヤが踵を返した瞬間、トビの声が飛ぶ。
「おい」
振り返った刹那、小さな金属片が飛んできた。
反射的にキャッチすると――それは二つの首輪だった。
「あんたに預けとく。連れに渡しとけ」
メリリンと行動を共にしていることはお見通しのようだ。
サリヤは無言で頷く。
二人は互いに背を向け、歩み去る。
交わることのなかった歩調が、別の方向へと散っていく。
その先に、何が待つかも知らぬまま。
それぞれが、自分の持ち場へと向かっていった。
【D-4/ブラックペンタゴン北西・北東ブロック連絡通路/一日目・午後】
【トビ・トンプソン】
[状態]:皮膚が融解(小)
[道具]:ナイフ、デジタルウォッチ、デイパック
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.ヴァイスマンの思惑ごと脱獄する。
1.ブラックペンタゴンからの脱獄方法を検討、調査する。
2.首輪解除の手立てを探す。構造や仕組みを調べる為に、他の参加者の首輪を回収したい。
※エンダが秘匿受刑者であることを察しています。
※デイパックの中に北西ブロック3階中央の部屋等から持ち出したものが入っているかもしれません。
■
――――天より絶望が堕ちる。
荒野を這う風が、砂を巻き上げていく。
誰にも気づかれない完全な潜伏から、一瞬の虚を鋭く穿つ完璧な奇襲。
その不意打ちは、ジャンヌ・ストラスブールでさえ反応できなかった。
「ジャンヌさん!!」
叫びとともに、一つの影が跳ねるように飛び込む。りんかだ。
彼女は世界の希望たるジャンヌだけを最優先で警戒していた。
周囲の危険よりもジャンヌの身を守ることに全神経を向けていた彼女だからこそ、この不意打ちに反応できた。
視界の端に映った黒い質量。
迷うことなく、りんかはジャンヌの肩を思い切り突き飛ばしていた。
直後――。
天地を叩き割るような轟音。
爆風が荒野を薙ぎ、巨大な鎖鉄球が大地を砕いた。
砂が爆煙のように舞い上がり、空と地面の境界を曖昧に塗り潰していく。
「りんかっ!!」
悲鳴のような紗奈の叫びが荒野に響く。
紗奈は迷わず、爆煙の中心へと必死の形相で駆け込んだ。
だが、その救援すらも予測されていたかのように、追撃が振るわれる。
負傷兵に駆け寄った衛生兵を狙う狙撃手のように。
もう一つの鉄球が砂塵を切り裂き、紗奈へと放たれた。
それを弾いたのは、燃え立つ炎の翼。
炎の奔流が迸り、鉄球の軌道を強引に逸らす。
りんかの助けで辛くも直撃を免れたジャンヌが、即座に身を翻して炎の翼で鉄球を叩き返したのだ。
鉄球は紗奈を逸れ、横の地面へと激突して砂を炸裂させた。
「……ッ」
重い。
完全に跳ね返すつもりだったが、軌道を逸らすのがやっとだった。
想像以上の超重量。直撃すれば人間など容易く叩きつぶしてしまうだろう。
ジャンヌに庇われた紗奈は脇目も振らずりんかへと駆け寄る。
りんかは、小高い丘の斜面を転がされ、数メートルほど吹き飛ばされていた。
直撃こそ逃れたものの、掠めた鉄球が右肩を砕き、その衝撃で肋骨を痛めたのか呼吸が浅い。
「りんか! りんかっ、大丈夫!?」
「……うん、大丈夫……心配しないで」
強がる言葉とは裏腹に、その声はか細く揺れる。
足元もふらつき、右肩を押さえて苦しげに顔を歪めている。
だが、その目だけは、敵から決して逸れていなかった。
――敵の姿が、砂塵の中から現れる。
巨体。鉄球を四肢に携えた異形の男。
まるで鉄の暴風をまとっているかのような存在。
りんかは、その姿に見覚えがあった。
「……バルタザール・デリージュ」
その名を静かに呟く。
刑務作業が始まった直後、彼女たちが最初に相対した敵。
互いに名乗りはなかったが、状況と照合すれば該当する名は一つしかいない。
だが――目の前のバルタザールは、以前とは明らかに様相が異なっていた。
頭部を覆っていた鉄仮面は砕け落ち、露わとなった右側の頭部には、金属片のような装置が埋め込まれている。
その異形の装置は、明らかに脳への外科的な改造の痕跡を残していた。
生体と機械の融合。まるで人間を武器として再構成したかのような『何か』。
彼が無言のまま鎖を引き、鉄球をずるりと地面に引きずる。
ただそれだけで、空気が圧を増したかのように、場が冷えた。
その気配に、紗奈の背筋が凍りつく。
「紗奈さん! りんかさんを連れて退避を! ここは私が食い止めます!」
ジャンヌが凜と声を張り上げる。
りんかと紗奈の前に立ち塞がると、背中に炎の翼を展開する
燃え立つその翼は、二人を庇う壁のように大きく広がった。
「りんか! ジャンヌが時間を稼ぐって! 今は退こう!」
紗奈は迷うことなくジャンヌの指示に従う。
撤退すべく、紗奈はりんかを支えようと手を伸ばした。
だが――。
「……ダメだよ。それはできない」
りんかは静かに首を振った。
そして、微笑んだ。血を流しながらも、どこかやわらかく。
「ジャンヌさんは世界の希望……だから、守らなきゃ。私が……ッ!」
その目には、何の迷いもなかった。
逃げる気など、一片もない。
命を削ってでも、守るという意志だけ純度を持って燃えていた。
白銀の粒子がりんかの周囲に集まりはじめる。
その光は、痛みすら押し流すような、聖域の輝き。
眩い輝きが彼女を包み、その身体が変化していく。
「――――――変身!」
舞い上がる光とともに、白銀と黒の装甲が彼女の身体を包み込む。
握った手甲から火花を散らし、少女の正義がここに顕現する。
それは戦場に降り立った聖騎士、『シャイニング・ホープ・スタイル』。
りんかが前へ進む。
傷ついた足取りに一切の迷いはない。
その背には、死を恐れぬ壮絶な覚悟が宿っていた。
「……っ」
そのりんかの在り方に、紗奈の胸が締めつけられる。
思い出すのは、キングに突きつけられた言葉。
誰かのために命を投げ捨てたがる自殺願望。
だが、それは違う。
りんかは自分の命を軽んじているわけではない。
ただ、自分よりも他者を優先してしまう強さを持っているだけ。
紗奈もその強さに助けられた、だからそれが弱さだとは思わない。
だからこそ――紗奈には、それが怖い。
怖くて、たまらない。
「……だったら、私も戦う」
震える声で、それでも紗奈は告げた。
りんかの命を失いたくない。紗奈にとってはそれがすべて。
どうでもいい希望(だれか)を守るために、自分の希望を捨てないで欲しい。
りんかの決意が、紗奈のなかで何かを決定的に変えた。
「あなたが一人で背負うなんて許さない。りんかの命は、私が守る……!」
紗奈にとってはりんかの命が何よりも大切だった。
彼女にとっての希望とは、りんかそのものだった。
それをりんがが希望のために投げ出すというのなら、それでいい。
りんかが希望を守護るなら、紗奈はりんかを守護る。
「変身──────!」
眩い光が紗奈の身体を包む。
白銀の鎧、咲きほこる花弁のように絹のように靡く光のリボン。
少女が愛によって進化した姿――『シャイニング・コネクト・スタイル』。
その瞬間、紗奈の瞳が敵を射抜くように強く輝いた。
りんかの未来のために──────お前は邪魔だ。
りんかが逃げないというのなら、その脅威を排除する。
その視線はまさに彼女の持つ覚悟の刃だった。
その輝きの中でも、バルタザールは微動だにしなかった。
表情も、声も発さず、ただ無言のまま四肢の鎖鉄球を振り上げる。
鉄が唸り、空が震え、殺気が音より速く空気を走る。
それは言葉ではなく、純粋な力という意思表示だった。
『拡張型第一世代(ハイ・オールド)』
拡張手術によりリミッターを取っ払った脳というエンジンは際限なく出力を上げる。
いまの彼は冷静な思考を保てている。
だが、ひとたび戦闘が始まれば、思考は暴走し、彼の意志は消える。
鉄仮面による封印が砕けた今、その全てを制御できるかどうか――それが彼の課題だった。
だが、あの時から変わったのはバルタザールだけではない。
かつて逃げるしかなかった二人の少女もまた、今は戦う力を手にしている。
覚悟は、もうとっくに決まっている。
この場に残ると決めた瞬間から、彼女たちは覚悟を背負う者に変わっていた。
風が止んだ。
砂の向こうで、鉄球と炎と手甲とリボンが交錯する。
ブラックペンタゴンの外。
もう一つの決戦が、いま始まろうとしていた。
【D-5/草原/一日目・午後】
【ジャンヌ・ストラスブール】
[状態]:疲労(小)、全身にダメージ(中)、超力成長中
[道具]:流れ星のアクセサリー
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.正義を貫く。
0.ブラックペンタゴン正門前の調査を行い報告する。
1.ブラックペンタゴン内部の人間と結託し、ルーサー・キングを討つ。
2.日月やりんかを次代のホープとして守りたい。
3.刑務の是非、受刑者達の意志と向き合いたい。
※ジャンヌが対立していた『欧州一帯に根を張る巨大犯罪組織』の総元締めがルーサー・キングです。
※ジャンヌの刑罰は『終身刑』ですが、アビスでは『無期懲役』と同等の扱いです。
※流れ星のアクセサリーには他人の超力を吸収して保存する機能があるようです。
吸収条件や吸収した後の用途は不明です。
※流れ星のアクセサリーに保存されていた『フレゼア・フランベルジェ』の超力を取り込みました。
フレゼアの超力が上乗せされ、ジャンヌの超力が強化されています。
完全に肉体に馴染んだ時、更なる進化を遂げる可能性があります。
【葉月 りんか】
[状態]:疲労(小)、ダメージ(大)、紗奈に対する信頼と不安
[道具]:治療キット
[恩赦P]:20pt (ジルドレイの首輪から取得、治療キット -50pt 通信機 -20pt 食料 -10pt)
[方針]
基本.――――姉のように、救って、護って、死にたい。その為に、償い続ける。
0.自分を救い、命を奪われたハヤトとセレナの分まで戦い抜く覚悟。
1.紗奈のような子や、救いを必要とする者を探したい。
2.紗奈やジャンヌと協力してルーサーを討つ。
3.紗奈が道を踏み外さないように目を外さない
4.この刑務の真相も見極めたい。
※羽間美火と面識がありました。
※超力が進化し、新たな能力を得ました。
現状確認出来る力は『身体能力強化』、『回復能力』、『毒への完全耐性』です。その他にも力を得たかもしれません。
※超力の効力により新たに『精神強化』が追加されました。
【交尾 紗奈】
[状態]:気疲れ(大)、強い決意、りんかへの依存、ヒーローへの迷い
[道具]:紗奈の手錠&鍵、ハヤトの手錠、通信機、ルクレツィア・ファルネーゼの首輪(未使用)
[方針]
基本.りんかを守る。りんかを支える。りんかを信じたい。
0.りんかに無理をさせたくない、そのためにバルタザールを倒す。
1.ブラックペンタゴン内部の人間と結託し、何としてもルーサーを殺害する。
2.りんかの恩赦のためにポイントを集める。
3.ジャンヌのためにりんかが犠牲にならないか警戒。
※手錠×2とその鍵を密かに持ち込んでいます。
※葉月りんかの超力、 『希望は永遠に不滅(エターナル・ホープ)』の効果で肉体面、精神面に大幅な強化を受けています。
※葉月りんかの過去を知りました。
※新たな超力『繋いで結ぶ希望の光(シャイニング・コネクト・スタイル)』を会得しました。
現在、紗奈の判明してる技は光のリボンを用いた拘束です。
紗奈へ向ける加害性が強いほど拘束力が増し、拘束された箇所は超力が封じられるデバフを受けます。
紗奈との距離が離れるほど拘束力は下がります。
変身時の肉体年齢は17歳で身長は167cmです。
【バルタザール・デリージュ】
[状態]:記憶復活(断片的な喪失あり)、鉄仮面に破損(右頭部)、左腕喪失、頭部にダメージ(中)、腹部にダメージ(中)、
[道具]:なし
[恩赦P]:100pt
[方針]
基本.恩赦ポイントを手にして自由を得て、逆臣どもに報いを
1.ジャンヌたちを狩る。
2.エネリットを探す
※記憶を取り戻しましたが、断片的な喪失があります
■
温室の空気が――明らかに変質していた。
湿度でも熱でも冷気でもない。
ただそこに『存在する』だけで、人の心拍を乱し、思考の呼吸を奪う圧。
理屈では説明できない支配力が、空間全体をゆっくりと呑み込んでいた。
裏社会の皇帝――ルーサー・キング。
その静かな威圧が、温室という閉鎖空間そのものを呑み込んでいた。
「――その裏切り、どう落とし前をつけるつもりなんだ、ディビット・マルティーニ?」
低く、静かな咎問。
しかしその一言は、千の刃よりも鋭く、重い。
ディビットは即答しなかった。
いや――できなかった。
想定外の形で、最悪の真実が露見した。
ファミリーを代表する自分の軽率な一手が、同盟違反という最悪の烙印を生んだ。
裏社会において、この烙印は死より重い。
この落とし前を負うのは、自分だけではない――『バレッジ・ファミリー』そのものだ。
それが裏社会の摂理である。
ディビットは合理の男である。
私怨すら飲み込み、必要とあらば命を投げ出す覚悟がある。
被験体を突破するために私心を捨てるべきだ――そう言ったのは他ならぬ彼自身。
今は何よりも目的を優先すべき状況であり、ディビットは目的達成のためならば全てを懸けれる男だ。
だが――その『目的』にも優先順位がある。
彼にとって、最も優先される『目的』は――バレッジ・ファミリーの存続。
被験体を倒すよりも、ブラックペンタゴンの脱出よりも、自分自身の命よりも。
組織の立場と信用を守ることこそ、ディビット・マルティーニの絶対だった。
このままキングを見逃せば、キングは確実に穴熊を決め込むだろう。
そして刑務作業が終わった瞬間、バレッジ・ファミリーには同盟違反の落とし前が突きつけられ、壊滅は免れない。
その未来を――許すわけにはいかない。
ディビットの眼が定まる。
彼は答えを選ぶ。
いや、そんなものは最初から決まっていた。
「……もちろん、あんたを消して、なかった事にする」
その声に、温室の空気が震えた。
それは明確な宣戦布告であり――開戦の合図だった。
対するキングも、静かに頷いた。
口元を覆った手の隙間から、静かに笑む。
温度のない笑みが、獣が牙を見せる、それに近い。
これは、彼にとっても絶好の機会だった。
欧州統一の最後の壁――イタリアの『バレッジ・ファミリー』。
その中核を担う男を、正当な理由で排除できる舞台が整った。
マフィアの同盟など、所詮は薄氷、上辺だけのもの。
牙を隠し合い、利害が一致している間だけ結ぶ仮初めの絆。
虎視眈々と相手の背を狙い、機会があれば刺す――それが常だ。
からこそ、相手が反意を持っていた事は問題ではない。
そんなものは当たり前の大前提だ。
問題は、敵意があるかどうかより、露見したかどうかがすべて。
そして今、機は熟した。
バレッジ・ファミリー幹部の同盟違反と言う、大義名分は整った。
『キングス・デイ』が最大の利益を得る瞬間が訪れたのだ。
キングの黒曜石のような瞳が細く光る。
一歩も動かぬまま、先に手を出させたことこそが勝利だと告げていた。
互いの思惑と打算が交錯し、残された選択肢は一つ。
――――殺し合うしかない。
「おいおいマジかよ……正気かよ、あんたら……? 今はそれどころじゃねぇだろ!」
膨れ上がる殺気に、ジェイが声を張る。
今はまだ、作戦の途中だ。
キングとの戦いに構っている場合ではない。
「俺はここで始末をつける。お前らは先に行け」
だが、ディビットの意志は変わらない。
たとえ一人でも、引くつもりはない。
張り詰めた空気の中で、ディビットの背後に立つ二人もまた、判断を迫られていた。
「お付き合いしますよ。エンダさんたちには恨まれそうですが……もともと、そういう約束でしたから」
冷や汗をにじませながらもエネリットは、迷わなかった。
ディビットが戦うと決めれば、自分も戦う。
それが刑務作業の最初から結んだ彼らの同盟だった。
問題は――ジェイだ。
彼には何の義理もない。
ここから逃げるなら今しかない。
誰もそれを咎めないだろう。
「……ふざけんなっての」
吐き捨てるように言って、ジェイは奥歯を噛みしめる。
ここから一人離れるという事はつまり――単独で被験体に挑む、ということを意味していた。
入り口に飛び込む瞬間が最大の死地だというのなら、それを丸ごと背負うことになる。
「選べって言うなら……地獄のどっちに転げるかってだけじゃねぇか。
だったら、勝率の高い方に賭けた方が、まだマシってもんだ」
それは覚悟とヤケクソが入り混じった、本音の決断だった。
生存率の高い方を選ぶ、単純な損得勘定である。
三人の視線が一人の男へと収束する。
温室の緑が、まるで地獄の祭壇の装飾のように揺れる。
ルーサー・キング。
地獄そのものが人の形を取って立っていた。
その巨悪に、三人は逃げることなく並び立つ。
「舐められたものだな――――」
低く、冷えた呟き。
キングの声色に、初めて怒気の色が浮かぶ。
被験体はなるほど大した怪物だった。それはキングが誰よりも実感している。
だが、被験体に挑むよりも、三対一でキングに挑む方が勝率が高いと踏んだ。
これはこのルーサー・キングを安く見たという事である。それは許し難い侮りだ。
キングが一歩踏み出す。
その一歩で、温室全体の重心が傾いたかのような錯覚。
空間が彼を中心に傾き始める。
「――――加減はなしだ。小僧ども」
闇が膨張する。
黒曜のような装甲が彼の全身を包み込み、
その肉体は魔と獣の境界へと進化していく。
現れたのは、黒豹のようにしなやかで、そして鉄塊のように重厚なる異形の魔人。
超力を極めた者のみが辿り着く進化の姿。
その名を――――『Public Enemy』
ディビットが奥歯を噛み締める。
この姿を――彼は知っている。
バレッジ・ファミリーのボスであるリカルド・バレッジとの決闘の際用いられた異形の姿。
その決闘でリカルドは敗北し、未だ意識不明の重体に陥っている。
「……上等だよ、クソジジイ」
その仇も、ここで取れる。
決着の瞬間は、もう目前に迫っていた。
【E-4/ブラックペンタゴン南西エリア・温室/一日目・午後】
【エネリット・サンス・ハルトナ】
[状態]:全身にダメージ(微小)
[道具]:デジタルウォッチ、通信機
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.復讐を成し遂げる
1.ディビットに協力してキングを討つ
2.ディビットの信頼を強める
3.…命を懸ける理由、か。
※『夜上 神一郎』の超力『神の目』が【献上】により使用可能です。
現在の信頼度は20%であるため20%の再現率となります。
※現在の超力対象は以下の通りです。
【徴収】などが対象に発覚した場合、信頼度の変動がある可能性があります。
①マーガレット・ステイン(刑務官)
信頼度:80%(超力再現率40%)
効果上限:徴収(相手の同意なしの超力借り受け。再現度は信頼度の半分)
超力:『鉄の女』
②ディビット・マルティーニ
信頼度:60%(超力再現率同値)
効果上限:献上(双方の同意による超力の一時譲渡。再現度は信頼や忠誠心に比例)
超力:『4倍賭け』
③~⑤ジョニー・ハイドアウト、メリリン・"メカーニカ"・ミリアン、只野仁成
信頼度:全て10%前後
効果上限:献上(双方の同意による超力の一時譲渡。再現度は信頼や忠誠心に比例)
超力:『鉄の騎士(アイアン・デューク)』、『補え、私の愛する人工物質(モルデオ・アルティフィシアル)』、『人類の到達点(ヒトナル)』
⑥サリヤ・"キルショット"・レストマン
信頼度:5%未満
効果上限:献上(双方の同意による超力の一時譲渡。再現度は信頼や忠誠心に比例)
超力:『楽園の切符』(我喰いによって倍率低下)
⑦夜上 神一郎
信頼度:20%前後
効果上限:献上(双方の同意による超力の一時譲渡。再現度は信頼や忠誠心に比例)
超力:『神の目』
【ディビット・マルティーニ】
[状態]:全身にダメージ(微小)
[道具]:デジタルウォッチ、ドミニカ・マリノフスキの首輪(未使用)、メアリー・エバンスの首輪(未使用)、携帯食料
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.ルーサー・キングを殺す、その為の準備を進める。
0.ルーサー・キングを殺す
1.ブラックペンタゴンからの脱出を果たす
2.ネイ・ローマンと提携を結ぶ
3.エネリットの取引は受けるが、警戒は忘れない。とはいえ少しは信頼が増した。
4.タバコは……どうするか。
【ジェイ・ハリック】
[状態]:全身にダメージ(微小)
[道具]:デジタルウォッチ
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.生き延びる。チャンスがあれば恩赦Pを稼ぎたい。
0.ブラックペンタゴン脱出に協力する
1.各所の同盟者の用事が終わるのを待つ
2.バルタザール・デリージュに対する警戒。
【ルーサー・キング】
[状態]:第二段階『Public Enemy』、疲労(大)、精神疲労(中)、肉体の各所に打撲(大)、腹部にダメージ(大)。左脇腹に裂傷と火傷、右足首に刺し傷(いずれも応急処置済み)
[道具]:漆黒のスーツ(ボロボロ)、私物の葉巻×1(あと一本)、タバコ(1箱)、応急処置キット(幾らか残量あり)
[恩赦P]:87pt(ソフィアの首輪+100pt、好きな衣服-10pt、食料-10pt)
[方針]
基本.勝つのは、俺だ。
0.ディビット・マルティーニたちを始末する。
1.生き残る。手段は選ばない。
2.使える者は利用する。邪魔者もこの機に始末したい。
3.ドン・エルグランドを殺ったのは誰だ?
4.ルーサー・キングを軽んじた以上、りんか達もいずれ潰す。手段手法は問わない。
5.ジャンヌ・ストラスブールも、第二段階に到達しつつあるのか?
※彼の組織『キングス・デイ』はジャンヌが対立していた『欧州の巨大犯罪組織』の母体です。
多数の下部組織を擁することで欧州各地に根を張っています。
※ルメス=ヘインヴェラート、ネイ・ローマン、ジャンヌ・ストラスブール、エンダ・Y・カクレヤマは出来れば排除したいと考えています。
※他の受刑者にも相手次第で何かしらの取引を持ちかけるかもしれません。
※沙姫の事を下部組織から聞いていました
※超力の第二段階を既に体得しています。
全身に漆黒の鋼鉄を纏い、3m前後の体躯を持つ“黒鉄の魔人”と化す超力『Public Enemy』が使用可能です。
※アビス内でラバルダ・ドゥーハンと面会し、彼女からシエンシアについて聞き出していました。
■
エントランスホール東口――。
ジョニー、只野、エンダ、安理。
四人は扉の手前で沈黙を保っていた。
すでに突入体勢は整え、それぞれの役割も確認済み。
あとは時間を待つだけだった。
ただの一枚の扉――されど、その先は世界が分断されている。
扉の向こうに潜むのは怪物、被験体:O。
まだ何も始まっていないはずなのに、空気にはじっとりとした重圧が沈殿していた。
誰も口を開かない。
扉越しに声が漏れるわけがないと理解していても、無駄な言葉を挟む気にはなれなかった。
聞こえるのは、息づかいすら抑え込んだような沈黙だけ。
それが鼓膜を圧迫し、心臓の鼓動をわざと大きくしてくる。
「作戦開始まで……あと、10分か」
沈黙を破ったのは只野だった。
手首のデジタルウォッチが淡く点灯し、液晶が数字を告げる。
それだけの光と小さな声でさえ、場の空気が一瞬だけ揺れた。
四人は互いに視線を交わすことなく、胸中で作戦内容を反芻する。
突入の段取りはすでに決まっている。
後は――決められた役目を果たすだけだ。
エンダはふと横目で安理を見る。
彼は目を伏せ、眉間に深い皺を寄せて唇を噛みしめていた。
肩がわずかに震えている。
無理もない、とエンダは内心で思う。
これから始まるのは、突然の戦闘ではない。
あらかじめ覚悟を強いられた『決戦』だ。
修羅場慣れしたジョニーや只野ですら、気配が張り詰めている。
安理のような普通の少年が平静を保てるはずがない。
声をかけようとしたが、エンダはやめた。
安理は逃げようとしていない。
怖気づき、足をすくませてもいない。
――わずかな震えとともに、それでも前に立とうとしている。
その意志を揺らすような慰めや励ましは、むしろ逆効果だろう。
「……あとは向こうがちゃんと動いてくれるか、だな」
低く呟いたのはジョニーだ。
こちら側は準備万端。
しかし挟撃作戦が成立するかどうかは、西側のエネリットたちが予定通り動けるかにかかっている。
「何かしらの利用はしてくるだろうが……動かないってことはないだろ」
只野が応じる。
利害による束の間の共闘。
互いに利用し合うのは、はじめから承知の上だ。
片方が動かなければ、もう片方も共倒れ――ゆえに裏切る動機は、どこにもない。
「ま、そうだな」
ジョニーは短く返し、わずかに構えを取り直す。
他の三人も同じく、微細な動きで姿勢を調整した。
カウントは、無情なほど静かに進む。
残り――3分を切った。
言葉ではない開戦の予感が、胸の奥で膨れ上がる。
呼吸と鼓動がじりじりと同期し、体の芯が熱を帯びていく。
――そのときだった。
ドン――――――――ッ。
鈍い、しかし圧倒的な衝撃音が建物全体を揺るがした。
天井の鉄骨が軋み、壁面が震え、空気が波紋のように揺れる。
地鳴りにも似た風圧が、エントランスホールの奥から迫ってきた。
誰も何も言わない。
だが、その音が何を意味するかは全員が理解した。
――開始の合図が、予定より早く鳴らされた。
「……いきなり、トラブルかよ!」
只野が悪態をつく。
まだ作戦開始時刻には、いくらか余裕があったはずだ。
だというのに状況は――確実に、想定よりも早く、動き出してしまった。
【E-5/ブラックペンタゴン南東ブロック・エントランスホール扉前/一日目・午後】
【ジョニー・ハイドアウト】
[状態]:健康、破損(小)、ヤマオリ、永遠
[道具]:デイパック
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.受けた依頼は必ず果たす
1.東口から突入する(?)エンダとは出来る限り距離を取る
2.怪盗(チェシャキャット)の依頼を果たす。
3.夜上神一郎への強い不信感と敵意。
※ネイ・ローマンと情報交換しました。
※ルメス・ヘインヴェラートが掴んだ情報を全て伝えられています
※ヤマオリの遺物を取り込みました、永遠が付与されています
※右腕には脇差、剣ナタ、サバイバルナイフ、スレッジハンマーが取り込まれています
※左腕の銃器の弾数はグレネード(1発)、ハンドガン(12発)、アサルトライフル(28発)、スナイパーライフル(3発)
【只野 仁成】
[状態]:疲労(小)、ダメージ(微小)、服の全面が溶けている、強い覚悟
[道具]:デジタルウォッチ、図書室の本数冊、紗奈のシステムAの手錠
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.生き残り、家族の安否を確かめたい。
1.協力してブラックペンタゴンの脱出を目指す。今のところはまだ、殺し合いに乗るつもりはない。
2.エンダに協力して脱出手段を探す。
3.ルーサー・キングとギャル・ギュネス・ギョローレンには警戒する。
※エンダが自分と似た境遇にいることを知りました。
※ヤミナの超力の影響を受け、彼女を侮っています。
※ルクレツィアの超力譲渡によって骨折がおおむね治癒しています。
【エンダ・Y・カクレヤマ】
[状態]:ダメージ(微小)
[道具]:デジタルウォッチ、探偵風衣装、ドンのデジタルウォッチ、図書室の本数冊
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.脱出し、『エンダの願い』を果たす。
1.囚人共は勝手に殺し合っていればいいが、ブラックペンタゴン脱出までは協力する
2.仁成と共に首輪やケンザキ係官を無力化するための準備を整える。
3.ヤミナ・ハイドは、まあいいか。
4.今の世界も『ヤマオリ』も本当にどうしようもないな……。
※エンダの超力は対象への〝恨み〟によって強化されます。
※エンダの肉体は既に死亡しており、カクレヤマの土地神の魂が宿っています。この状態でもう一度死亡した場合、カクレヤマの魂も消滅します。
※黒靄による超力干渉でエルビスの腐敗毒をある程度遮断できます。
ただし〝恨み〟による強化が発揮しない限り、完全な無効化は出来ないようです。
【北鈴 安理】
[状態]:上半身インナー姿、右腕に打撲、疲労(中)、気疲れ(中)、脳への負担(中)、手足に呪いの浸食(小)
[道具]:デジタルウォッチ
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本:自分の罪滅ぼしになる行動がしたい。自分なりに、調査を進め弱い人を助ける探偵として動きたい。
1.自分の意思で、この刑務作業の真実を知りたい。
2.バルタザールがまだ破壊の限りを尽くすようなら、被害をできるだけ抑えたい。
3.本当に恩赦が必要な人間がいるなら、最後に殺されてポイントを渡してもいい。けれど、今はもう少し考えたい。
※イグナシオの過去、大金卸とのあらましについて断片的に知りました。少なくとも回想で書かれた全てを聞いているわけではありません。
まだ聞いていない部分について、今後間違った妄想や考察をする可能性もあります。
※超力が変化し、常時発動型の竜人となりました。
氷龍と比べ冷気の攻撃性能が著しく落ちる代わりに、安定した身体能力の向上を獲得しました。
※他人の記憶を追体験する力を得ました。
追体験出来るのは自身と直接会話をした事がある人物に限られます。
記憶の中では五感全てが再現されるため脳への負担が大きく、無茶な使用は精神の崩壊に繋がります。
また、記憶の持ち主が死亡する場面まで追体験を続けた場合、安理自身も廃人となります。
■
作戦時刻が近づき、工場区画には静謐が満ちていた。
義手の調整を終えたローマン。
できうる限りの首輪の解析作業に没頭するメリリン。
その前に、ひとりの影が戻ってくる。
「お待たせ、戻ったわ」
サリヤだった。
足音は静かだが、その気配は強い。
彼女は迷いなくメリリンの前へ歩み寄り立ち止まる。
「はい、お土産」
そう言って、白衣のポケットから二つの首輪を取り出し、無造作に手渡す。
「……えっ? なに、これ……? ありがと? ……どこで?」
困惑するメリリンへ、サリヤは軽く首を傾ける。
「貰ったの。脱獄王から」
「…………は??」
問いの意味すら掴めずに目を瞬かせるメリリン。
サリヤはそんな反応をさらりと流し、ローマンとメリリンを見回した。
「時間もないし、続きは中庭で話すわ。移動しましょう」
三人はそのまま中庭へ向かう。
中庭に出ると、乾いた空気の冷たさが肌を刺した。
「さて、情報が二点。いいニュースと悪いニュース。どっちから聞く?」
「ベタだな」
ローマンが苦笑を浮かべる。
「じゃあお約束に従って、いい方から先にしてくれ」
「了解。まず、金庫番たちの動きだけど、
分隊が東側に回り込んでるのを確認した。仲間割れじゃないなら、おそらくは挟撃狙いね」
「なるほど。上手くやってるみたいじゃねぇか。なら俺らは第三の矢として、そこに乗っかるって訳か」
ローマンが頷きながら鉄の義手を軽く鳴らす。
南の正面からディビットたち。東からジョニーたち。
そこに北側から自分たちが突入すれば、被験体Oに対する三方向からの同時襲撃が成立する。
「状況としては悪くねぇな。乱戦にはなるだろうが、数で押し切れる見込みも出てきたな」
「それがいいニュース? なら悪いニュースは……?」
おずおずと、メリリンが訊ねる。
「これは報告というより、脱獄王から得た情報から導き出されたひとつの仮説なんだけど」
サリヤは前置きしつつ、静かに言葉を継ぐ。
二人の視線が彼女に集中する中、淡々と宣言が下された。
「このブラックペンタゴンそのものが『システムC』である――そういう可能性が出てきたわ」
一瞬、中庭を風が通り抜けたかのように空気が冷える。
ローマンが目を細め、メリリンが小さく息を呑む音が響いた。
「それが事実だとするなら……何が起きる?」
ローマンが余計な推測を挟まず、専門家の判断を求める。
「私たちの超力が削除されることはまずないわ。
衝突データを取るのが目的なら、囚人側に介入する必要はないもの」
サリヤはそこで、一拍置いて続けた。
「問題は――被験体のほう。下手をすると戦闘中に強化される可能性がある」
ぴたりと沈黙が落ちた。
「……敵を喰って強化って話だったが、それ以上にヤバい、ってことか」
ローマンが確認するように言うと、サリヤは静かに頷いた。
「そう。もし本当にそうなったら、その場合は……他のチームを囮に逃走する案が、最悪の保険になるでしょうね」
そうなれば、倒すという選択肢はなくなる。
どうにかしてブラックペンタゴンの外に逃げ延び、刑務作業の終了まで逃げ回るしかない。
「……命がけの脱出ゲームから、命がけの鬼ごっこに変わるってことね」
現実味を帯びたメリリンの言葉に、場は再び静かになる。
その緊張を破るように、ローマンがふっと息を吐いた。
「ま、結局のところ……蓋を開けてみるまでは分かんねぇってわけか」
目を細め、ローマンは一枚隔てた壁の向こうをにらみつけるように見つめる。
あくまで最悪を想定した可能性の話だ。この蓋を開けるまでどうなるかは分からない。
「なぁ、サリヤ」
そのまま、壁から視線を外さずにローマンがサリヤに問いかける
「超力の進化には――絶望を踏み越えることが必要だと言っていたな」
「ええ。その通りよ」
サリヤの答えに、ローマンが義手をわずかに鳴らす。
鋼鉄の音が、微かに空気を震わせた。
「だが、本当にそれだけか? 進化の踏み台が絶望だけってわけじゃないだろ」
「……どういう意味かしら?」
サリヤの目がわずかに鋭くなる。
その目を正面から受け止め、ローマンは答えた。
「────愛だよ、愛。
守りてぇ奴がいて、背負いてぇもんがあって……そういう想いが、力を変える。
そういう進化も、あるんじゃねぇのか?」
サリヤの目がわずかに見開かれた。
それは驚愕ではなく、触れられたくない拒絶したいモノに触れられた時の反応だった。
「まさか……ストリートの王様から、そんなお花畑な言葉を聞くとは思わなかったわ」
サリヤは顔をそらし、吐き捨てるように言った。
その声には、抑えきれない失望と怒りが滲んでいた。
「愛や希望だなんて、そんな綺麗ごとで人類が進化できるのなら、苦労しないわ」
この世界に溢れる悲劇の温床たるストリートチルドレン。
ネイティブとしての力がありながら、あらゆるものに利用され、食い物にされる社会的弱者。
その絶望と理不尽を誰よりも知りながら、こんな下らない妄言を吐くだなんて。
その表情には露骨な失望がにじみ出ていた。
だが、ローマンは押し返すように、ゆっくりと訊ねる。
「無理かどうか、試したのか?」
「それは……」
サリヤの動きが止まる。
その問いが意味するものに、気づいた瞬間――彼女の顔が苦虫を噛み潰したように歪んだ。
あのマッドサイエンティストの基本方針に『愛』などない。
プレシードを専攻しながらそんな可能性を考えもしなかった。
だって、そんな可能性は認められない。
もし『愛』で進化できるのならば、なぜ、彼女には『それ』が与えられなかったのか。
その可能性を認めることは彼女の人生の否定だ。
そんなもので進化できるのならば、何のためにサリヤは実の親から愛ではなく苦しみと痛みばかりを与えられてきたのか。
もしそれを認めてしまえば、自分が奪われてきたもの──与えられなかったもの──すべてに意味がなくなる。
だからこそ、サリヤはその可能性を全力で否定せずにはいられなかった。
「……悪かったな。別にお前のこれまでを否定しようって話じゃねぇさ」
肩をすくめたローマンはそれ以上、義手の指をゆっくり壁へと掲げる。
まるで、サリヤの指鉄砲のように、指先を壁へ向けて突き出す。
「ただ、そういう可能性もあるかもって話だ…………!」
その言葉と同時に、ローマンの超力が、解き放たれた。
破砕力が指先に集中し、極限まで圧縮された一撃が、一直線に壁を穿つ。
轟音がブラックペンタゴン全体を震わせた。
鉄骨がきしみ、コンクリートが裂け、圧力の奔流が吹き荒れる。
崩れ落ちた壁の向こうに、冷たい通路の闇が覗いた。
周囲を巻き込みかねない拡散性こそがローマンの超力の欠点だった。
だからこそ、集団戦において、出力を抑えたり方向を制御したりする工夫が必要だった。
だが今、彼が放った一撃は、
力を殺すことなく指向性を持ち、範囲を抑えた精密な破壊を成し遂げていた。
進化と呼ぶには小さなことかもしれない。
だが、それもまた進歩の一つだった。
壁が崩れ、檻が破られる。
怪物のいる中枢へと通じる道が、ついに開かれた。
そして、ここで一つの誤算が生じていた。
エネリットたちは作戦開始時刻を厳密に設定していた。
だが――ローマンたちの取り決めはタイムリミット2時間前という曖昧な基準である。
その差が、僅かに――しかし致命的に――フライングの狼煙となって、
ブラックペンタゴンの静寂を破ったのだった。
【E-5/ブラックペンタゴン中央・中庭/一日目・午後】
【メリリン・"メカーニカ"・ミリアン】
[状態]:全身にダメージ(小)、薄黄色のボイラースーツ、帽子とゴーグル
[道具]:デジタルウォッチ、フルプレートアーマー、銀鈴の首輪(使用済み)、ジェーンの首輪(未使用)、宮本麻衣の首輪(使用済)、ドンの首輪(使用済み)、工場エリアで集めた機材
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.生き延びる。サリヤとの決着をつける。
1.被験体:Oを攻略する。
2.ブラックペンタゴンを脱出する。
3.可能であれば被験体の首輪を解析する。
※ドミニカと知っている刑務者について情報を交換しました。
※ジェーンの首輪を手作業で解析中です。
首輪にはシステムAが仕込まれていると見られ、メリリンの超力だけでは解体できないようです。
【ネイ・ローマン】
[状態]:全身にダメージ(大) 、疲労(中)、右腕肘から先欠損
[道具]:デイパック(幾つかの食糧と酒)、鋼鉄の義手(メリリン作成)
[恩赦P]:99pt
[方針]
基本.やりたいようにやる。
1.被験体:Oを攻略する。
2.ブラックペンタゴンを脱出する。
3.ルーサー・キングを殺す。ディビットの申し出を受けるのも悪くない。
4.オレに落とし前をつけさせるんじゃなかったのか。何くたばってんだよ、ハヤト=ミナセ。
※ルメス=ヘインヴェラート、ジョニー・ハイドアウトと情報交換しました。
※サリヤ・"キルショット"・レストマンから超力の第二段階(プレシード)について知らされました。
【サリヤ・"キルショット"・レストマン】
[状態]:健康、我喰い
[道具]:グロック19(装弾数22/22)、デイパック(手榴弾×2、催涙弾×2、食料一食分)、黒いドレス、丈の長い白衣(防弾コート)、流れ星のアクセサリー(R)
[恩赦P]:90pt
[方針]
基本.アビスに保管されているシステムを破壊する。
1.被験体:Oを攻略する。
2.ブラックペンタゴンを脱出する。
3.目的の為にメリリンの超力を利用する。
※超力の第二段階を体得しています(詳細不明)。
※現在のシリンダー状況
Chamber1:サリヤ・K・レストマン(女性、元人格、空気銃能力、以下弾丸を統制)
Chamber2:ジェーン・マッドハッター(女性、殺傷能力、人格凍結)
Chamber3:ソフィア・チェリー・ブロッサム(女性、無効化能力、人格凍結)
Chamber4:ルクレツィア・ファルネーゼ(女性、再生及び幻惑能力、人格凍結)
Chamber5:欠番
Chamber6:エルビス・エルブランデス(男性、毒花能力、人格凍結)
※流れ星のアクセサリー(R)の吸収状況(現在確認されている限り)
1.大金卸樹魂『炎の愛嬌、氷の度胸(ホトコル)』
■
ぐらり、と物置部屋全体がわずかに揺れた。
地震と呼ぶにはあまりに一瞬。
だが棚がきしみ、床に積もっていた埃がふわりと舞い上がるには十分だった。
「――――はっ!! ここはどこ!? 私はヤミナ……?」
揺れと同時に、ヤミナが跳ね起きる。
寝起きの焦点の合わない瞳で、部屋の隅から隅までを落ち着きなく見回した。
「あれ……? なんか私、狭い部屋で、たくさんの人に囲まれてたような……夢……? 夢かぁ…………」
「夢ではありませんよ」
「うぉおっ!? び、びっくりしたぁ!」
背後からぬっと落ちてきた静かな声に、ヤミナは椅子ごと跳ねる勢いで身を揺らした。
声の主――夜上神父は、薄暗い照明の下、木箱を椅子代わりにして静かに腰掛けていた。
その姿はまるで祈りの途中で微動だにしない修道士のようで、気配すら薄い。
神父は合掌でもするかのような落ち着きで言葉を継ぐ。
「聞いていた予定よりも些か早いようですが。どうやら、始まったようですね」
「な、なにが……? いったい何が始まるんですぅ…………?」
震える声で問うヤミナ。
物置部屋の空気は、さきほどまでの埃っぽく静かな空間ではなくなっていた。
外から伝わる揺れが、ただの偶然ではないことを告げている。
夜上は片目を細め、どこか遠くを見るように息を吐く。
その声音は、どこか祈りにも似ていた静謐さが込められていた。
「――――――開戦です」
【D-4/ブラックペンタゴン北西エリア・物置/一日目・午後】
【夜上 神一郎】
[状態]:右足欠損(応急処置済み)、超力使用不可
[道具]:デジタルウォッチ
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本:救われるべき者に救いを。救われざるべき者に死を。
1.祈りと共に結果を待つ。
2.なるべく多くの人と対話し審判を下す。
3.できれば恩赦を受けて、もう一度娑婆で審判を下したい。
4.あの巡礼者に試練は与えられ、あれは神の試練となりました。乗り越えられるかは試練を受けたもの次第ですね。誰であろうと。
5.“鉄の騎士”は、いずれ裁く。
6.バルタザールの動向に興味。いずれ対話し審判を下したい。
※刑務官からの懺悔を聞く機会もあり色々と便宜を図ってもらっているようです。
ポケットガンの他にも何か持ち込めているかもしれません。
【ヤミナ・ハイド】
[状態]:各所に腐食(小)
[道具]:警備員制服(SSOGの徽章付き)、デジタルウォッチ、H&K SFP9(12/20)、デイパック(食料1食分、エンダの囚人服、資料・書籍類)
[恩赦P]:32pt
[方針]
基本.強い者に従って、おこぼれをもらう
0.媚びるべきに媚びる
1.被験体:Oを誰かなんとかしてぇぇえぇえええ!!!
最終更新:2025年12月20日 21:57