概要
戦力
帝国が据えた作戦目標は、ヴァルヘラ州軍要塞を突き崩し、東部から西部へ延びる鉱物資源の搬入路を断つところに置かれた。焦土の楔作戦の計画では、鉱山地帯の制圧が要塞の攻略に先んじる段取りで定められ、搬出の設備を潰す工程も同じ段に組み込まれている。皇帝
トローネ・ヴィ・ユミル・イドラムは同盟国セトルラームの要請に応じており、イドゥニア星域の均衡を保つ狙いから東部への派兵を決めた。主力に据えられたのは第3機械化軍団であり、山の斜面を歩いて越える多脚の
重装甲艦が各梯団へ配された。艦体に載せた
プラズマ砲は稜線の裏の陣地まで射程に収め、山襞に据えられた砲座も打撃の対象に入る。第7重砲兵師団は長距離の砲を高地の平場へ引き上げ、要塞の中枢へ弾着を集める任にあたり、観測の班が前線の稜線に張りついた。坑内と斜面での戦いには第12精鋭歩兵軍が充てられ、爆薬を携えた班が編成の単位となり、夜間の接近を前提とする装具も各班へ配られる。高空を巡る無人偵察機が守備隊の配置を写し取ったため、砲兵の照準は前線へ運ばれた図から定められた。後方の集積地は州境の丘陵に置かれ、帝都から届く弾薬は海路と陸路を継いで前線へ運ばれる。
迎え撃つ側の主体は
ヴァルヘラ州軍政府であり、
コックス大宰相の要請を受けて鉱物を西部へ送り出す任を抱えたまま、東部の防衛線を敷いた。要塞は山塊の鞍部に築かれており、外郭の稜堡は麓の街道と索道の終点を見下ろす位置を占める。守りの火力には対戦車砲が回され、坑道の出口には重機関銃を据えた掩体が斜面ごとに組まれた。予備の兵力は麓の駐屯地に置かれ、鉱山の警備に就く部隊も同じ指揮系統に繋がれている。要塞の電力は谷の水力に依存し、坑道から引いた導水路が発電の設備まで水を送る。州都から徴発された人夫は掩体の構築に回され、資材の運搬には鉱山の軌道が使われた。城内の備蓄は籠城の期間を見込んで積み増され、糧食は部隊ごとの人数から配られる。
ティラスト派の統制を嫌う高官が州の内部に現れており、動員の割り当てを巡る軋轢は開戦の前から沈殿していた。峠道を見張る守備隊は交代の周期を長く取り、詰所の人員は鉱山の警備から抜き出された。政権軍の本隊が西部戦線に釘付けとなったため、東部へ差し向けられる増援は無人機の梯団のみとなる。
経過
一連の交戦は、鉱山地帯の峠道から要塞の中枢へ焦点を移しながら、三年をまたいで続いた。
進攻
共立公暦1004年3月、帝国陸軍は州境の丘陵を越え、東部の鉱山地帯へ兵を進め入れた。偵察機が索道の支柱と貯鉱場の位置を写し取ると、第7重砲兵師団の砲は精錬所の一帯へ弾着を集める。連日にわたる砲撃の末に貯鉱場の脇の弾薬庫が誘爆し、黒い煙が谷筋を塞いだまま夜まで残った。夜半に入ると第12精鋭歩兵軍が軌道敷を伝って前進し、谷口の守備隊の詰所を制圧している。鉱石を麓へ下ろす索道は搬器ごと焼かれ、選鉱場の動力室も同じ夜のうちに破られた。押さえた区域では谷にかかる橋が落とされたため、州軍が持ち場を組み直す経路は失われる。多脚の重装甲艦が斜面を登って外郭に取りつき、斉射を浴びた稜堡の一角は崩れ落ちた。破口から踏み込んだ戦車部隊は内側の生産施設を壊しており、弾薬の組み立ては年内の再開を見送られる。占領した鉱山の一帯には臨時の補給基地が置かれ、工兵が谷へ仮設の桟道を架けたことから、重い荷を積んだ車列は昼のうちに斜面の道を登った。州軍は駐屯地から予備を引き上げ、山襞に潜んだ小隊が輸送の隊列を襲う戦い方へ移った。
要塞
1005年の春、帝国陸軍は要塞の周囲へ前線を押し上げ、高地の争奪に踏み切った。同じ時期、州軍政府の高官はティラスト派の方針への反発から中立を宣言しており、要塞へ届く弾薬と兵員は目に見えて細っていく。第3機械化軍団の梯団は北側の斜面を巻いて登り、稜線に並ぶ砲台の陣地を一つずつ潰した。重装甲艦の脚部は雪の残る岩場でも接地を保ち、山頂の砲座が斉射のたびに炎に包まれる。守備隊を失った高地には帝国の観測所が置かれ、麓の補給基地も谷の奥へ前進した。夏に入ると第7重砲兵師団の長距離砲が中枢を捉え、主棟の鉄骨が歪んで通信の設備が沈黙する。補給の経路は谷筋に沿って延びており、護衛の車両を割く必要が梯団ごとに生じている。秋の長雨が斜面を泥に変えたことから、重量のある車両は日に進める距離を縮めた。1006年、帝国軍は中枢への最終攻撃を試み、東塔の崩落によって守備の一角が瓦礫に埋もれた。山間から降りた州軍の遊撃隊は後方の梯団を待ち伏せており、奪われた戦車が帝国兵の正面に現れる事態も生じた。
撤収
1006年に入ると、東部での損耗と積み上がる戦費が帝都の政策に見直しを迫った。宰相
パヴェル・クロキルシは軍事支出の抑制を議会に諮り、臣民の間ではロフィルナからの引き揚げを求める声が広がった。
平和維持軍が中部への増派を進めており、東部の戦線を保つ意味そのものが帝都で問われた。同じ年の秋、皇帝は
ヴァンス・フリートン大統領との緊急会談に臨み、戦況の見通しを突き合わせている。継続の参戦を求めた連邦の代表に、皇帝は「我が国の国益は東部の安定化にあり、全土制圧ではない」と応じた。両者は同盟の枠組みを保ったまま、部隊の縮小から離脱までの日程で合意に達する。1007年の春、後退は第12精鋭歩兵軍から始まり、第3機械化軍団が車両と資材の回収にあたる間、要塞の周囲では散発の交戦が続いた。第7重砲兵師団が掩護の射撃を続けたため、追撃をかけた州軍の部隊は谷の入口で足を止める。集積された物資は焼却に付され、回収から漏れた戦車と偵察機は山中の道端に残された。同じ年の後半、州南部の港から最後の輸送船が離れ、帝国軍は東部戦線から姿を消した。
影響
交戦の帰結は東部の資源の流れに及び、帝国の内政とセトルラームとの同盟にも形を残した。
東部
焦土の戦術によって鉱山地帯の設備は失われ、精錬から搬出に至る工程は年をまたいで止まった。西部の臨時兵器工場へ届く鉱物は途絶えており、政権軍の装甲車両の補充は行き詰まる。焼かれた農村を離れた住民は約35万人に達し、北部と西部の街道に避難の列が伸びた。糧食の生産が絶えた区域では飢餓が広がり、収容の拠点に着いた住民の間では病が猛威を振るう。帝国の引き揚げの後、州軍政府の指揮系統は分断され、残った部隊は独自の資源管理に傾いて、西部戦線へ送る弾薬の量を年の後半まで細らせた。州の東側では小規模な軍閥が縄張りを争っており、平和維持軍の介入まで無秩序が続く。回収から漏れた車両は
ステラム・シュラスト州軍政府の遊撃隊が山越しに運び出し、東部の軍閥も同じ経路で装備を蓄えた。闇市場に流れた部品は仲介者の手を経て
民主革命ロフィルナ軍へ渡り、中部の戦線では修理の資材に充てられている。
同盟
東部での補給線の維持を見込んでいたセトルラームは、帝国の離脱によって戦略の組み直しを迫られ、南部への戦力の集中を早める判断に踏み切った。連邦の議会では民間人の被害を理由とする批判が高まり、同盟国の離脱も同じ場で追及の材料に据えられる。責任を問う声は連邦の内側に広がっており、フリートン大統領の政治的な立場は年を追って揺らいだ。帝国の側は同盟の枠組みを保ち、先端技術を共有する取り決めが両国の実務を繋いでいる。東部戦線に空いた穴は連邦の陸戦部隊が引き受け、要塞の周囲に残る州軍への圧力は以前の水準を割り込んだ。連邦の南部での攻勢は同じ年のうちに速度を取り戻し、東部の戦線は帝国の去った形のまま据え置かれる。連邦の世論では東部の報道が続き、負担の配分を問う議論は同盟の各国にも及んだ。両国の軍は演習の計画を共同で組み直し、東部で得た山岳戦の資料も同じ席で交換された。
帝国
帝都の議会では、東部で失われた兵員と積み上がった戦費が予算の審議に持ち込まれた。宰相の主導で軍事支出の抑制が図られると、地方の貴族からは軍縮を求める声が上がった。皇帝は軍需産業へ投資を回しており、雇用の増加を示して反対の勢いを削いだ。撤収の判断は国益の確保として国民に説明され、帝都の統制は皇帝の手元に保たれた。山岳での戦闘と補給線の管理は陸軍の教範に書き加えられ、新兵の課程にも同じ項目が組み込まれる。多脚の艦体が斜面で示した接地の性能は設計の部門へ伝えられ、新たな陸上戦列艦の開発が皇帝の指導のもとで始まり、試験の場は北方の山地に設けられた。東部の山岳で消耗した機材の補修は帝都の工廠に割り当てられ、部品の在庫は年内に組み直された。遠征の期間を予め定める手続きの必要は、審議のたびに議会の側から唱えられている。東部の戦線から戻った将兵の一部は以後の遊撃部隊に配され、残る兵員は
レシェドルティの駐屯地で再編を受けた。
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最終更新:2026年08月23日 00:41