概要
 第三次ロフィルナ革命は、セクター・イドゥニアを戦場として展開した。
ロフィルナ王国史上、最も破壊的かつ複雑な内戦であり、同時に対外戦争でもあった。この戦いの発端は、ティラスト派政権の圧制に対して王都軍が蜂起したことにある。政権を掌握する
コックス大宰相は、体制の維持を優先し、王都軍の指揮を執る
アリウス公王は、支配構造の解体を目指した。地方軍閥も、それぞれの利権を守るために動き出し、全域を巻き込む長期戦へと移行した。戦闘はロフィルナ全土を焦土と化し、数百万の命を奪いながらも、最終的にはティラスト派政権の崩壊と国土の分裂という決定的な結末を迎えた。この革命は単なる内乱を超えて、イドゥニア星域全体の政治的・軍事的均衡を揺るがす大事件となった。ロフィルナの歴史に深く刻まれた、セトルラームによる旧暦時代の植民地支配への恨みが、国民の闘争心を煽り、今回の動乱を一層苛烈なものにした。アリウス公王は王党派を率いて自由と独立を求める戦いを指揮し、一時は国際勢力に立ち向かう希望の象徴として讃えられた。しかし、戦いの終盤に共立機構が
ゼノアビリティ・プラン(XaP)を総動員した強硬手段を講じたことで、連合部隊も壊滅的な打撃を受け、停戦へと追い込まれた。この作戦は機構が保有する異能力者の戦力を活用したもので、従来の軍事戦略を超越するものだった。戦後、王国は分裂し、新たな国家群が誕生する一方で、セトルラームの影響力は後退し、共立機構の指導体制にも亀裂が生じた。この革命は、ロフィルナ社会の再生への道を開いたと同時に、星域全体に未解決の課題を残す結果となった。
 
背景
セトルラームに対する遺恨
 この革命の根底には、数世紀にわたるロフィルナとセトルラームの対立、とりわけ旧暦時代に遡る植民地政策への根深い恨みが存在していた。ロフィルナは三大国の一つとして繁栄を極めていたが、ツォルマリア人による星間侵攻によってその栄光は潰えた。その後、激動の時代に独立し、
新秩序世界大戦を経て勝利を果たしたものの、セトルラーム連邦軍が進駐し、ロフィルナを事実上の従属国として扱う植民地政策を展開した。この時代、セトルラームはロフィルナの資源を収奪し、苛烈な治安維持策を強いた。ロフィルナ国民は重い労働と弾圧に耐え、抵抗する者を「過激派」として処刑する駐留軍の姿勢に激しい憎悪を抱いた。特にセトルラームが主導したギールラング戦線では、ロフィルナに過剰な派兵と経済的負担が課せられ、数多の若者が命を落とした。この記憶は、ロフィルナ人の間で許し難い所業として代々語り継がれ、
ティラスト派の闘争思想を育む土壌となった。共立公暦に至るまでの数世紀、ロフィルナは幾度かの内戦を経て体制を刷新してきたが、セトルラームへの不信は消えることなく、むしろ軍拡と孤立主義を助長した。同998年。セトルラーム国内で発生した
イドルナートの大火は、この対立を決定的なものにした。アリウス公王は王都コルナンジェで軍事クーデターを決意した一方、コックス大宰相はティラスト主義を掲げ、国際社会への対抗姿勢を強めていた。共立機構がロフィルナに準備指定レベル4を発令し、コックスが同機構からの脱退を宣言すると、国内の緊張は頂点に達した。セトルラームの
ヴァンス・フリートン大統領は、この混乱をロフィルナ併合の好機と捉え、軍事介入の準備を進めた。しかし、ロフィルナ国民の間では、そうした動きに怒りが爆発し、地方軍閥も独自の利害を追求し始めた。革命の舞台が整ったのは、こうした背景からである。
転移者星間戦争
 転移者星間戦争(共立公暦590年頃~591年)は、
ラヴァンジェ諸侯連合体政府と転移者革命軍
アリス・インテンション(AIn)の武力紛争であり、転移者(特異難民)の過酷な処遇への反発が発端だった。惑星シアップでの強制労働や劣悪な管理に対する抵抗が戦闘を招き、低強度紛争として続いた。
グランドウィンド停戦協定によって終結し、
転移者自治領が設立されたものの、ロフィルナ軍の戦争犯罪は国際社会に数世紀続く遺恨を生んだ。ロフィルナ軍は、
heldo総司令部の命令を無視し、AInや非武装難民に対して非道なジェノサイドを繰り返した。ティラスト派指揮官
ディース・ヴィ・ティラストによる主導のもと、シアップの居住区が無差別砲撃で破壊されたのである。具体的には捕虜や民間人を吊るす、焼却、切り刻むなどの残虐行為を実行された。難民が肉の壁として戦闘に利用され、人道危機が悪化した。これらの行為は、戦場での無秩序な殺戮にとどまらず、シアップの医療施設や食料庫を意図的に破壊し、生存者の生活基盤を奪った。この出来事は
文明共立機構、
オクシレイン大衆自由国、
ソルキア諸星域首長国連合をはじめとする多くの勢力から人道に対する罪として非難された。しかし、国際社会の処罰は不十分で、戦争犯罪者の訴追は、ほぼ進まなかった。この不処罰がロフィルナ国内でティラスト派を英雄視する風潮を強化し、ティラストを抑圧への抵抗者と祭り上げる動きを助長した。こうした情勢は、ロフィルナ社会により暴力的な闘争思想を根付かせ、国民の間に深い憎悪と不信を残した。これらの遺恨は、後の星域の不安定化や王国の分裂を招く遠因となった。
 
経緯
革命の火蓋、王都に切られる
 共立公暦1001年、共立機構とセトルラームが主導する連合軍は、
ロフィルナ王国に対し大規模な軍事侵攻を開始した。この戦争は、アリウス公王が王都コルナンジェで軍事クーデターを起こしたことに起因する。クーデターはコックス大宰相率いるティラスト派政権の統治に対する反発を背景としており、ティラスト派が施行した厳格な徴税と軍事動員令が国民の間に不満を蓄積させていた。アリウスらは王都軍を組織し、
サンリクト公国、
ユリーベル公国、
ルガスト州軍政府、
ラグニア州軍政府の支持を獲得した。これらの勢力は、それぞれ歩兵部隊や装甲車両、補給物資を提供し、アリウスは短期間でロフィルナ西部と南部の支配を確立した。サンリクト公国は沿岸部から駆逐艦を派遣し、ユリーベル公国は連合軍の動向を妨害するなどして、初期の作戦を支援した。クーデター初日、王都軍は王宮周辺のティラスト派駐屯地を急襲し、守備隊を制圧した。西部では山岳地帯の要塞を占拠し、南部では港湾都市への進軍を阻止した。一方、コックス政権軍は王都での長期戦を避け、革命記念都市グロノヴェイルへ戦略的撤退を実施した。中部を挟んでの逆側の
ヴァルヘラ州軍政府(東軍)と連携し、東西戦線からの反攻準備を進めた。ヴァルヘラ州は、鉱山から抽出したレアメタルを活用し、コックス軍に弾薬と装甲車を供給。グロノヴェイルに臨時兵器工場を設置した。この時期、戦闘は散発的かつ局地的に展開され、王都コルナンジェ周辺では市街戦が発生した。連合軍は南部戦線の港湾都市を制圧し、ロフィルナの海上補給路を遮断する作戦を成功させた。
heldo艦隊が投入され、港湾施設の倉庫群を砲撃で破壊した。しかし、コックス軍は内陸部の山間部に設けた拠点から小規模部隊を運用し、連合軍の補給線を攻撃した。戦闘地域では民間人の死傷者が増加し、西部から北部への難民移動が記録された。インフラの破壊が進み、通信網の一部が機能停止に陥り、地方政府の統治能力が低下した。連合軍は制圧地域に臨時行政機関を設置し、治安維持を試みたが、抵抗勢力による夜間襲撃が頻発し、統治の効果は限定的だった。
戦線の膠着と連合軍の動揺
 共立公暦1002年、戦局は一進一退の状態に陥った。連合軍は、北部戦線への攻勢を強化した。国際社会は大規模戦力を投入し、後に工作機械を展開した。しかし、
ステラム・シュラスト州軍政府(北軍)が第三勢力として台頭すると、そのゲリラ戦術によって連合軍の進軍が妨害される流れとなった。北軍は山岳地帯に構築した防御拠点から奇襲攻撃を繰り返し、連合軍の補給車両を鹵獲した。アリウス率いる王党派は、
コルザフラム西部の山脈に防御陣地を設置し、重火器と対空砲を配備した。王都軍は地元民兵を動員しつつ、陣地の補強と偵察任務を強化した。コックス軍は西部戦線でヴァルヘラ州の鉱物資源を活用し、装甲車両と無人ドローンの生産を増強した。また、グロノヴェイルから南東部のルギナス渓谷へ反攻を開始し、同地域を奪還した。以降の渓谷には防御用のトーチカが建設され、コックス軍は補給基地を設置した。一方の連合軍には
ネルヴェサ―民主同盟(サーネ)が参加し、南部戦線に追加の戦力を投入した。しかし、時が経つにつれて戦線は再び膠着状態に突入した。連合軍内部で厭戦感情が表面化すると、
heldoの中小国は順次撤退を開始した。セトルラームは単独での増派を余儀なくされ、フリートン大統領の指示の下、北部戦線の都市に絨毯爆撃を加えた。この一連の戦いでは、焼夷弾が使用され、民間人を含む多くの死傷者が発生した。その結果、国内外の反発を招き、孤立を深める流れとなった。アリウス率いる王党派は志願兵の増加を記録し、西部戦線での動員力が向上した。
ユミル・イドゥアム連合帝国の参戦・第三勢力の台頭
 共立公暦1004年、戦況は新たな段階に入った。
ユミル・イドゥアム連合帝国がセトルラームの要請に応じ参戦を表明した。東部戦線に機械化部隊と重装甲艦を投入し、コックス軍の重要拠点であるヴァルヘラ州軍要塞を攻撃した。帝国軍はプラズマ砲を装備し、要塞の外郭防御を破壊した。セトルラームとの連携により、東部戦線の補給線分断が試みられ、コックス軍の後方支援が弱体化した。攻撃には戦車部隊と無人偵察機が動員され、要塞の生産施設が損壊した。コックス軍は予備部隊を投入し、防衛線を再構築したが、補給不足が顕著となった。アリウスはこれに対抗し、サンリクト公国の高速艦隊を動員した。海上からの攻撃を実施し、連合軍の輸送船を撃沈したが、共立機構の
平和維持軍(FT2部隊)が対艦ミサイルと無人機を展開した。サンリクト艦隊の進攻は阻止され、西部沿岸での戦闘が長期化した。連合軍は沿岸部に防衛用の砲台を設置し、王党派の海上作戦を封じ込めた。北部ではステラム・シュラスト(北軍)が勢力圏を拡大した。連合軍とコックス軍双方に対し中立を維持しつつ、鹵獲した装備を活用して軍事力の強化に繋げた。加えて交易ルートを確保し、独自の自治体制を確立した。北軍は鹵獲装備を分解し、自軍向けに改良した火砲を生産した。FT2執行本隊は混乱に乗じて介入を強め、ロフィルナ中央部の主要都市を制圧した。平和維持を目的に駐留軍を増派し、夜間外出禁止令と食料配給制度を整えた。駐留部隊は陸上戦力を中心に配備され、都市の治安維持を担った。戦闘はロフィルナ全土に拡大した。農村部で略奪行為が頻発し、穀物倉庫や農機具が破壊された。この頃から医療資源の補給が滞り、難民キャンプの過密化・更なる衛生状態の悪化を招いた。
疲弊極まる分裂戦線
 共立公暦1005年以降、ロフィルナ各地の戦線は更に複雑化した。連合軍は南部戦線でラグニア州首都を包囲し、補給路を遮断した。長期の包囲戦の末、ラグニア州軍政府は降伏を表明し、アリウスの連合部隊(王党派)は同盟者を失った。連合軍は降伏地域に駐屯地を設け、補給基地を構築した。北部ではステラム・シュラストが独立を保っていた。密林や洞窟に拠点を設け、ゲリラ戦術で連合軍とコックス軍を牽制した。北軍は鹵獲した連合軍の装備を改良し、小規模な遊撃隊を編成した。機動力を活かした攻撃で双方の補給線を分断しつつ、鹵獲物資を自軍の補給に充てた。コックス軍は東部でヴァルヘラ州の支援を受けたが、内部対立が発生した。ヴァルヘラ州軍政府の高官がティラスト派の方針に反発し、中立を宣言した。これにより、東部戦線の戦力が分断され、コックス軍は予備部隊の動員を余儀なくされた。ヴァルヘラ州は独自の資源管理体制を構築し、西部戦線への弾薬供給を削減した。アリウスは王都で
レミソルト級スイートクルーザーを旗艦とする艦隊を再編し、南部奪還を試みた。サンリクト公国は主力艦艇を南部沿岸に差し向け、一部港湾都市の奪還を目指した。しかし、セトルラームの集中空爆により艦艇の多数が損壊し、作戦は失敗に終わった。空爆は
T-4を用いて実施され、サンリクト艦隊の壊滅へと繋がった。平和維持軍は中部戦線に増派し、難民保護を目的に駐留拠点を拡大した。仮設基地の増強とともに、武装解除区域を指定したが、ラグニア軍残党によるテロ攻撃が頻発した。自爆攻撃や待ち伏せが記録され、国際部隊の車両や通信施設が損壊した。和平交渉は各勢力の利害対立により進展せず、泥沼化の様相を呈していた。戦争の長期化により、イドゥニア経済は低迷の一途を辿った。
巨艦降臨、希望崩壊
 1007年春頃、戦争は決定的な局面に突入した。
セトルラーム空軍は
第4世代ゾラテス級を南部戦線に投入し、その圧倒的な戦闘能力で制空権を完全に掌握した。この時期、連合軍は南部戦線の補給拠点を強化し、ゾラテス級の展開に合わせて地上部隊の再編成を実施していた。西部戦線、特にグロノヴェイルへの総攻撃が開始されると、平和維持軍はコックス軍の防衛線を次々と粉砕した。市街地は連日の爆撃で瓦礫の海と化し、ティラスト派の象徴である革命聖堂が黒煙を上げながら崩れ落ちた。コックス軍は対空砲や移動式迎撃システムで応戦したが、限定的な抵抗に留まった。アリウス公王は王党派の全戦力を結集し、新たな連合部隊を編成した。同時期、東部戦線でイドゥアム帝国の撤退が始まった。帝国軍は、これまでセトルラームと連携し、ヴァルヘラ州軍部隊を追い詰めていた。しかし、戦争の長期化と国内での厭戦感情の高まりから、
トローネ皇帝は段階的な軍の引き揚げを決行した。この動きにより、東部戦線の勢力バランスが崩れ、セトルラームの補給線に一時的な支障が生じた。一方のコックス軍は完全なる孤立に直面し、食料や弾薬の不足が深刻化した。
 コックスは東部戦線を立て直すべく新たな動員を試みたが、一部の指揮官から失策の責を問われ、更なる消耗を強いられた。この混乱はコックス軍全体に波及し、通信網が寸断される中、多くの市民兵が降伏、または敵対勢力(連合軍・王党派・民主革命軍)に寝返るなどして反撃へと転じた。グロノヴェイルは、敵と味方、
異形の怪物が入り乱れる地獄の戦場と化した。一方、北部戦線ではステラム・シュラスト州軍政府が連合軍との休戦を締結。戦線からの離脱を果たした。この動きは戦後の国家建設を見据えた戦略に基づくもので、連合軍との全面対決を避けつつ、自治権拡大を目指す交渉を優先した結果だった。休戦協定ではステラム・シュラストが北部資源地帯の管理権を確保する条件が含まれ、連合軍は同地域への進軍を一時停止した。これにより、ステラム・シュラストは軍備増強を継続し、独立勢力としての地位を強化した。北部が戦闘から切り離されると、連合軍主力の大部分が東西戦線の各地域に向けられた。生存者の多くが避難民と化し、都市部では食料庫が焼き払われた。戦場の空には灰色の雲が垂れ込め、焼け焦げた大地には無数の遺体が散乱し、かつての繁栄は跡形もなくなっていた。
異能の嵐、終戦へ
 共立公暦1008年、戦争の終結が訪れた。共立機構の
メレザ・レクネール常任最高議長は、戦況の泥沼化と人道危機の深刻化を重く見て、
PLコマンド・ヒュプノクラシアを発令した。この作戦は共立機構最強戦力と謳われる特異存在(
XaP)を総動員する最終手段であり、通常の軍事力を超えた圧倒的な力を戦場に投入するものだった。その発令と同時に、精鋭の異能力者が戦線に一斉に展開した。セトルラーム軍は、彼らの攻撃に恐れをなし、停戦を余儀なくされた。XaPの猛攻はアリウス率いる王都軍にも容赦なく波及した。アリウスは旗艦の甲板で異能力者の力を目の当たりにし、満身創痍の深手を負った。戦力の喪失と国民の極端な疲弊を前に、アリウスは全滅を回避する唯一の道として停戦を決断した。王都コルナンジェの広場では、生き残った市民がラジオ越しにアリウスの声明を聞き、涙ながらに祈りを捧げた。戦場に響いていた砲声と異能の轟音は沈黙し、風が瓦礫の間を吹き抜ける音だけが残った。停戦後、コックスはグロノヴェイルの地下壕で王党派の部隊によって拘束された。彼は抵抗を試みたが、疲弊した護衛もろとも、鎖に繋がれた姿で市中に引き回された。焼け跡を進む中、群衆はコックスに罵声を浴びせ、石や瓦礫を投げつけた。彼の顔は血と泥にまみれ、かつての威厳は完全に失われていた。この混乱に平和維持軍が介入し、コックスを群衆から救出した。拘束された彼は即座に後方基地へ移送され、国際的な軍事裁判にかけられる流れとなった。
 ロフィルナ王国が大量破壊兵器の使用に踏み切れなかった理由は複数存在した。第一に、コックス政権は戦争末期、グロノヴェイル周辺の軍事施設が連合軍の爆撃とステラム・シュラストのゲリラ攻撃で壊滅状態にあり、大量破壊兵器の製造・配備能力をほぼ喪失していた。第二に、政権内部では大量破壊兵器の使用がロフィルナ国土のさらなる荒廃を招き、国民の支持を完全に失うとの懸念が広がっていた。コックス自身は、旧暦時代に使用された化学兵器の悲劇を国民に想起させることを避け、ティラスト主義の軟化を試みたとされる。さらに共立機構がXaPを投入した時点で、通常兵器を超える異能の力が戦場を支配し、大量破壊兵器の効果が相対的に薄れると判断された。これらの要因が重なり、コックス政権は最後まで、その一線を越える決断を下さなかった。戦後、共立機構主導の臨時軍政が開始され、ロフィルナ社会は新たな統治体制へと移行した。平和維持軍は焼け跡に仮設基地を設け、生存者を救出しながら食料と医薬品を配給した。しかし、瓦礫の下にはまだ多くの遺体が埋もれていた。都市の復旧作業が始まる中、難民達は家族の安否を尋ね合い、子供達は親の名を呼びながら泣き続けた。グロノヴェイルの街角ではティラスト派の旗が風に揺れ、焼けた壁に刻まれたスローガンが戦争の残響を物語っていた。この長期間の戦争は数百万の命を奪い、ロフィルナ社会を根底から変える歴史的転換点となった。生き残った者達は失われた故郷を思いながら、薄暗い未来を見つめていた。
影響
 第三次ロフィルナ革命の終結は、
ロフィルナ王国に劇的な変革をもたらした。コックス大宰相率いるティラスト派政権が崩壊した後、ロフィルナは統一国家としての機能を喪失し、分裂へと突き進んだ。共立公暦1008年の停戦後、サンリクト公国とユリーベル公国が相次いで独立を宣言し、それぞれ独自の議会と軍事組織を設立。サンリクト公国は海軍を基盤とした通商国家を志向し、ユリーベル公国は内陸部の農地を統治資源として活用した。ルガスト州軍政府とラグニア州軍政府も独自の統治体制を確立し、州都を中心に行政機関を再編した。ルガストは鉱業を基盤に経済的自立を図り、ラグニアは旧軍施設を再利用して防衛力を強化。これにより、ロフィルナ連邦共同体は正式に解散を宣言され、かつての地域大国は複数の小国家に分断された。この分裂は、旧暦時代にセトルラームの植民地政策によって植え付けられた『外部勢力への不信』が、戦後においても国民の間に根強く残った結果でもあった。ロフィルナ人は、再び他国に支配されることを拒み、各地域が独立を優先したが、その代償として国家としての経済的・軍事的まとまりを失った。
セトルラーム共立連邦への影響も甚大だった。ヴァンス・フリートン大統領は革命の失敗と連合部隊の壊滅により政治的敗北を喫し、辞職を強いられた。彼の失脚は、セトルラーム国内で反フリートン派の勢力を急伸させ、新政権下で「998年
イドルナートの大火」に関する賠償請求を取り下げる決定がなされた。この融和策は、ロフィルナへの報復を求める国民の怒りを誘ったが、アリウス公王の停戦勅令への敬意から、穏健派が主流を占める流れとなった。セトルラームの国際的影響力は一時後退し、ユミル・イドゥアム連合帝国やオクシレイン大衆自由国が牽制する中で、さらなる制裁を免れるのが精一杯だった。旧暦時代の植民地支配への歴史的対立は、戦後もロフィルナ国民の間で反セトルラーム感情として継続した。この感情は、サンリクト公国やユリーベル公国が独立後にセトルラームとの通商協定を拒否する要因となり、両国間の和解交渉は進展しなかった。セトルラーム側は経済制裁を検討したが、共立機構の介入により実施に至らなかった。
 文明共立機構にとっても、この革命は大きな試練となった。
メレザ・レクネールの「PLコマンド・ヒュプノクラシア」発令は戦闘を終結させたが、過剰な武力行使として加盟国から批判を浴び、彼女は辞職を余儀なくされた。ユピトル連合をはじめとする中小国が「レクネール下ろし」を主導し、共立機構の指導体制に亀裂が生じた。この混乱は、平和維持軍の長期駐留を正当化する一方で、機構内部の統治能力への疑問を増幅させた。ロフィルナ国内では、アリウス公王の指導力が戦後評価され、復興への希望を繋いだものの、治安は依然として不安定だった。地方軍閥の独立志向が収まらず、ティラスト派の残党がゲリラ活動を続けたため、平和維持軍の駐留は長期化。戦後処理として設置された国際軍事裁判所では、コックスを含む戦争犯罪容疑者の審議が始まったが、司法取引を巡る暗闘が続いた。イドゥニア星域全体への波及効果も見逃せない。反セトルラーム感情が爆発し、ラマーシャ公国主導の新たな同君連合の機運が生まれた一方で、星域内の小国家群は独自の勢力圏を築き始めた。ロフィルナの分裂は、周辺国に「大国による支配への抵抗」という意識を植え付け、
テラソルカトル王政連合や
サンパレナ共和国が独自の軍事強化に乗り出すきっかけとなった。また、旧暦時代の恨みが引き起こしたティラスト派の過激思想は、戦後も地下組織として存続し、星域全体にテロの脅威を拡散させた。アリウスはこうした状況を憂い、スイートクルーザーを駆って復興と安定を目指した活動を続けたが、真の和平への道は遠く、星域全体が新たな紛争の火種を抱えることとなった。
 
アリウスとフリートンの関係性
 第三次ロフィルナ革命は、
アリウス公王と
ヴァンス・フリートンの関係性によって、その展開と結末が大きく形作られた。この二人の指導者は、
ロフィルナ連邦共同体の枠組み内で始まった微妙な同盟関係から、革命の激化に伴う敵対、そして戦後の深い遺恨へと至る複雑な軌跡を辿った。
セトルラーム共立連邦の覇権主義とロフィルナの独立志向の衝突を体現する彼らの関係は、革命の悲劇とイドゥニア星域の不安定さを象徴する。革命前、アリウスは連邦共同体の元首として、セトルラームの大統領フリートンと
ルドラトリス安全保障盟約や
ジェルビア星間条約同盟(共立同盟)を通じて表面的な協力を維持していた。しかし、セトルラームの旧暦時代における植民地支配への根深い恨みと、
ロフィルナ王国の軍事恫喝を巡る対応の違いが、両者の間に不信の溝を刻んだ。アリウスは
ラマーシャ公国や
フィンスパーニア王国など反セトルラーム感情を抱く加盟国を宥め、連邦の均衡を保とうとしたが、彼女自身の裏工作疑惑—特に
ユピトル連合との接触の噂—はフリートンの警戒を招いた。フリートンは
イドルナートの大火をロフィルナの挑発とみなし、同国の封じ込めを優先。連邦総会での議論中、アリウスがロフィルナへの制裁を穏健に留めようとしたのに対し、フリートンは軍事介入の準備を進め、両者の対立が顕在化した。アリウスはフリートンの覇権主義を連邦分裂の要因と内心で非難し、フリートンはアリウスの指導力を「計算高く予測不能」と疑った。この時期、
コルザフラム王都直轄州でのアリウスの演説がロフィルナ国民の支持を集めた一方、フリートンのセトルラーム議会での強硬演説は連邦内の緊張を高め、革命の火種を準備した。
 1001年、アリウスが
コルナージェ軍事クーデターを起こし、
レルナルト・ヴィ・コックスのティラスト派政権に反旗を翻すと、両者は明確な敵対関係に突入した。アリウスは
サンリクト公国や
ユリーベル公国の支援を受け、
レミソルト級スイートクルーザーを旗艦にロフィルナの自由と独立を掲げ、王都軍を率いた。フリートンはセトルラームの連合軍を指揮し、ロフィルナに侵攻、アリウスの王党派をティラスト派と同等の脅威とみなした。
セトルラーム宇宙軍による南部戦線の空域封鎖や北部都市への焼夷クラスター爆撃は、民間人死傷者を急増させ、アリウスの民衆支持を一層高めた。1002年の
第二次コルナンジェ攻防戦では、アリウスの山岳防御陣地が連合軍の進攻を阻み、フリートンの補給線を分断。逆に1008年の
第六次コルナンジェ攻防戦では、ゾラテス級の第4世代戦闘機がアリウスの艦隊を壊滅寸前に追い込み、両者の戦場での激突が頂点に達した。アリウスはフリートンを「植民地支配の元凶」と憎みつつ、彼の国内厭戦感情や連合軍の内部分裂を見抜き、長期戦で時間を稼いだ。フリートンはアリウスの抵抗を「理想主義の反逆」と軽視しつつ、彼女の民衆動員力に脅威を感じ、焦土戦術で速戦即決を狙った。
 しかし、ティラスト派の無秩序な軍事行動は、連邦全体の安定を脅かし、両者に共通の危機をもたらした。1004年、ティラスト派がルギナス渓谷で独自の攻勢を展開し、連合軍と王党派の双方に損害を与えた際、アリウスとフリートンは直接的な協力は避けつつ、ティラスト派の孤立を黙認する形で間接的に利害を共有した。戦局後半、
文明共立機構の
XaP(1008年)が投入され、特異存在の圧倒的戦力がゾラテス級艦隊とアリウスの王党派を同時に壊滅させると、両者は戦闘継続の余地を失った。アリウスの停戦決断(7月28日)は、フリートンの連合軍が機能不全に陥った状況を補完し、結果的に戦乱の収束を早めた。この間、アリウスはフリートンとの直接交渉を拒否したが、
メレザ・レクネールを通じた停戦協議で暗黙の合意が形成された。フリートンはアリウスの決断を「敗北主義」と内心で軽蔑しつつ、自身の政治的失敗を認めざるを得なかった。戦後、フリートンは革命の失敗と連合軍の壊滅で辞職を余儀なくされ、セトルラームの新政権はアリウスの停戦に敬意を示し、
イドルナートの大火の賠償請求を取り下げた。しかし、旧暦時代における植民地支配の遺恨は解消せず、アリウスはセトルラームへの不信を保持した。ロフィルナの分裂(
ユリーベル公国、その他の独立)と連邦共同体の崩壊は、両者の対立が星域全体に与えた傷跡を象徴した。アリウスは復興指導者として評価されたが、フリートンへの個人的憎悪は、
コルナンジェ停戦協定後の演説で「過去の覇権が私達の未来を奪った」と暗に示された。フリートンは
隠遁先でアリウスを「連邦を裏切った反逆者」と非難したが、自身の失脚により影響力を失った。この関係は、セトルラームの覇権とロフィルナの抵抗の歴史を凝縮し、革命の悲劇とその後の不安定な星域情勢を物語るものであった。
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最終更新:2025年10月15日 00:50