【種別】
世界

【初出】
XX巻

【解説】
創造神祭礼の蛇”と[仮装舞踏会]、そして坂井悠二が『大命』として両界の狭間に創造した、“この世の写し世”。
どこまでもこの世と同じように存在し、命すら同じように存在しながら、尽きることの無い“存在の力”に溢れる、“祭礼の蛇”が“”のための楽園として創造しようとしていた新世界。

世界法則そのものはこの世と異なるが、創造時点では生きる命、物質、宇宙まで何もかもこの世と同じ。“祭礼の蛇”坂井悠二曰く並行世界、あるいはパラレルワールドのようなものである。
マージョリー・ドーからはコピーとも称されていたが、悠二としてはその言い方は不服で訂正を求めていた。

三千年前、“祭礼の蛇”が創造しようとした『大縛鎖』を雛形としていた。
『大縛鎖』の創造をそのまま繰り返すのではなく、『無何有鏡』というより大規模な創造に発展した理由は、主に次の3点が挙げられた。

  • “祭礼の蛇”が両界の狭間を彷徨ううちに、その空間の広大さに気づき、楽園創造の地としてふさわしいのは両界の狭間であると判断したこと。
  • この世に留まる限り“徒”は「異物」「招かれざる客」でしかないこと。(『大縛鎖』の創造がフレイムへイズに拒まれたのも、根本的には“徒”が「異物」であることに起因する)
  • 『大縛鎖』を創造しようとした当時は、人間は“徒”にとって単なる餌でしかなく、“徒”の求める楽園に人間の存在は必要とされていなかったが、三千年の間に人間の文明が発展し、それに伴って“徒”たちに人間に対する尊敬の念が生まれたために、“徒”の求める楽園に人間の存在も欠かせなくなったこと。

『無何有鏡』を創造し、同時にこの世から“徒”を移住させることで、“徒”にフレイムヘイズに抑制されることの無い自由を与えることが“祭礼の蛇”と[仮装舞踏会]の目的だった。
『無何有鏡』にこの世の“徒”を全て移住させることになるので、この世に“徒”は存在しなくなる。
また、両界の狭間に作られた『無何有鏡』は、“紅世”とこの世を分かつ障壁となって、“徒”がこの世に渡り来ることを不可能にする。

これによってこの世を「誰も喰われず、消えない世界」にし、大切な人達が“徒”に喰らわれる危険を排除し、シャナをフレイムヘイズとして戦って消え果てるしかないという宿命から解放することが悠ニの目的であった。
“祭礼の蛇”の両界の狭間での三千年の経験によれば、両界の狭間に『無何有鏡』を創造しても両界や狭間に影響は生じないとのことで、センターヒル(及び『大地の四神』)もその点には同意していた。双方共に、この世(人間側)においては良い事尽くめであるという事は一致していた。

“祭礼の蛇”坂井悠二が『無何有鏡』の創造を宣布したために、フレイムヘイズ兵団に所属する討ち手たちの多くが自らの存在意義を失って錯乱してしまい、兵団は瓦解。『星黎殿』を巡る戦いでの決定打ともなった。

しかし、センターヒルの言によれば、「世界の歪み」の原因が「“存在の力”の欠損」ではなく、「“存在の力”が不安定なエネルギー状態に変質したこと」であるために、無限の“存在の力”に溢れる『無何有鏡』であっても、もし“徒”が人を喰らえば(人間の持つ“存在の力”を不安定なエネルギー状態に変質させれば)、この世と同様に「世界の歪み」は発生するし、いずれは大災厄も訪れることとなる。

また、新世界『無何有鏡』が自分たちのために作られた楽園であることから何を殺して何を変換してもいいと、そして創造の際に、あるいは新世界での研究により、“徒”に歪みの真実が知れ渡った場合、“変換した力を戻せば何をしてもいい”と錯覚し、精神的抑制が全くなくなった“徒”による、この世以上の人間の殺戮や世界の歪みの発生が起きる危険性もあり、将来的な「世界(この世、“紅世”、狭間、新世界)」への懸念を見越したフレイムヘイズにとって「ただ見送れば全てが万々歳」というものではなかった。

創造には、「両界の狭間に繋がる穴を開ける」「『無何有鏡』を創造する」の二段階が必要だったが、歪みが蓄積した御崎市調律逆転印章を用いることで、一段階の作業ですむようになった。
ただし、この方法を用いる場合、御崎市は調律の逆転印章によって互いの結び付きを失って「ない」も同然の状態であり、「ない」ものの複製は作りようが無いために、新世界に御崎市だけは再現されないこととなった。

シャナはこの新世界の創造を認めつつも、しかし新世界での“徒”の無制限な放埓を許さないとして、マージョリーとサーレが『永遠の恋人ヨーハンより託された虎の巻で改変した『大命詩篇』により「人を喰らえない」という理を『大命詩篇』の繭に打ち込むと共に、そのことを宣言。併せて、バックアップである『吟詠炉』にマージョリーが本命の作戦として改変を加えることで、どう転んでも人間を喰らえずの理が変わらないようにした。
これ自体は、本来は時間と量のリミッターを外された『零時迷子』により、この世の歪みの総量の力を得た“祭礼の蛇”により容易く覆される物だったが、“徒”たちが改変された理を「そのままでいい」と望み、“祭礼の蛇”も「皆がどこか悲しそうだった」という理由で修正を行わず、シャナとマージョリーが改変を加えた理そのままの形で創造してしまった。
そのためフレイムヘイズと“徒”の双方の願いを叶える形となって、『無何有鏡』は人を喰らえない楽園ならぬ新世界として創造された。

旧世界から移住した“徒”を古参、新たに“紅世”から『無何有鏡』に渡り来た“徒”を新参と呼んでいる(何度も両界を行き来しているものを除く)。
新世界の事情に疎い新参の“徒”は、新世界に大規模な混乱をまき散らし、かつてフレイムヘイズを同胞殺しの道具と嫌悪していた古参の“徒”達すら、同胞を殺してでも新参の行動を阻止せねばならないほどであった。
この時期には、秩序派と呼ばれる“王”たちの集団が外界宿と合流。また、[マカベアの兄弟]や[]や[狂気の城]や『色盗人』などの組織も乱立し、新世界創造から情勢が安定するまでの数ヶ月の期間を特に混沌期と呼んでいる。
こうした事態を受け、[仮装舞踏会]は早期に構成員たちを再集結することになったようだ。

【由来・元ネタ】
現代では桃源郷としてイメージされる地名「ザナドゥ(Xanadu)」。由来は、元帝国の都「上都(Shangdu)」。
「無何有(むかう)」とは、「何か有るか、何もない」という意味。作為がなく自然なこと、場所を表す。「無何有郷(むかうきょう)」は荘子が語った理想郷で、形あるもののない世界であるという。
「郷」を「鏡」に置き換えているのは、“この世の写し世”としての属性を強調するためと思われる。

【コメント】
☆新世界『無何有鏡』創造が実現したら、その後にフレイムヘイズと契約を解除するだろう“紅世の王”達も帰れなくなりそうだ。
☆↑創造後にこの世から移動、“紅世”から狭間渡りの際に、先に到着するという状況から、新世界『無何有鏡』を経由して“紅世”に帰れるかと当初は思われていた。
☆「郷」の字を変えてるのは、“戯睡郷”と字面がかぶるのを避けたかったからかもな。
☆↑何かの自在法にあるならまだしも、それは真名だからな。まだ写しの意味を強調するって考えた方が納得いくな。
☆同じ組織内でも、“千変”と“千征令”みたいに同じ字が使われてるし、字のかぶりは気にしてないんじゃないかと思う。
☆XXI巻で“祭礼の蛇”坂井悠二は、新世界『無何有鏡』は『大縛鎖』とは比べ物にならない規模だと吉田一美田中栄太に告げていた。
☆まさか新世界『無何有鏡』が人間を喰らえないという条件付きで創造が成功するとは思わなかったな。
☆敵勢力が、多少の改変を受け入れたとはいえ、最終目標を達成しての終幕。“徒”とフレイムヘイズの間で勝敗を付けるなら、“徒”に軍配を上げざるを得ない。
アニメ第3期で創造された。
最終更新:2020年10月14日 00:33