アルブロシアのスケッチその4の後日談の始まりであると同時に、聖インガヌス主人公の歌劇を上演するまでの諸々の騒動の始まりのスケッチである。そして相変わらずテンションクライマックスのウェーラさんと、妙にやる気満々なアリア姫の組み合わせである。この二人が組んだら、止められる人間は多分「学院」内にはいないのではなかろうか。
フェイトは、めったにないことであるが非常に困惑していた。
先日のクラウディアとアルブロシアの間に起きた騒動の結果、メルクリウシアを含めた三人が反省房入りし、ダリア達は山程反省文を書かされることとなり、フェイトを構う人間が一時的にいなくなったのだ。同級生のノイナは、ドロテアという二期生の少女につきまとわれているせいもあって、授業の時以外は顔を合わせることもまばらになっている。普段はやたらと話しかけてくる他の同級生らも、騒動の後は彼女を遠巻きにしてひそひそと話をして近づいてこようとはしない。
魔導を行使すれば時系列に沿って何が起きたか観測することも可能であるが、その許可をクラウディアに求めにゆくこともできない。
この突然の状況の変化について誰に説明をしてもらえばよいのかしばらく考えた結果、一期生学年代表であるセレニアの名前にゆきついた。
「……という訳よ。判って?」
「経過は理解しました。ですが、クラウディアさんが何故そこまでアルブロシアさんを殺すことにこだわったのかが判りません」
アルブロシアがクラウディアの父親を侮辱した。それを許しがたく思い復仇をなさんとした。ここまでは理解できる。人族、それも貴族とされる者達が異常なまでに体面にこだわるのは、ナタリアからも教えられている。だが自分の面子を潰されたのではなく、親族のことでそこまでむきなってしまう心の動きがフェイトには理解できない。自分が母親のことを侮辱されたとして、相手を殺そうとするだろうかと考えると、不愉快に思いはするだろうがそれ以上の行動にでるかどうかは判らない。
「そうね、貴女達には判らないかもしれないわね」
自習室では、セレニアは大抵は取り巻きに囲まれていることが多い。だが今ここにいるのは、フェイトの他には無名だけである。
「アルブロシアは、クラウディアの御父上の事を、アルトリウス殿下からリランディア陛下に鞍替えした裏切り者呼ばわりしたわ。この辺りの機微は、内戦直前の先帝コンスタンス陛下の治世の末期のことを知らないと判らないわね」
常に背筋を伸ばし毅然とした姿でいるセレニアが、背を丸めて肘をついてあごを手に乗せている姿を見るのは、二人とも初めてのことであった。あからさまに気乗りしない様子で溜息をついた彼女は、それでも淡々と話を続けた。
「先帝陛下の治世の末期は、副帝陛下がまだ帝國宰相であった頃で、政策を巡ってアルトリウス殿下と対立していたの。皇帝権力の集中と強化をめざす帝国宰相と、皇室と諸侯との融和をはかる陛下の甥の対立ですもの。当時は宰相派と皇子派とにわかれて諸侯が陰謀をめぐらし帝都は随分と血生臭いことになっていたと聞くわ」
「内戦」勃発直前の帝都の状況は、内務省治安総局による強権的な警察活動によってようやく治安を維持している状況であったという。両者の緊張は、先々帝ユスティニアヌスの娘であるリランディアを妻とし、皇帝の磐石の支持を受け、
東方辺境軍と内務省を握るレイヒルフトと、そのリランディアの兄であり、次の皇帝と目されて諸侯の支持を集め、近衛軍総司令官であったアルトリウスの両者を、コンスタンス帝が間をとりもつことでバランスが保たれていた。
そのアルトリウス皇子の最大の支持者が、ユスティニアヌス帝時代より協調関係にあった
西方辺境候カシウス・セルウィトス・セルトリウスであった。
西方辺境諸侯であるフラウィウス一門とナティシダウス一門の統制に皇室の権威を欲したカシウス卿と、若年でありながら近衛軍総司令官に就任し、その統制に「帝國」最強の騎兵を有するとされるセルウィトス一門の支持を欲したアルトリウス皇子の同盟関係は、コンスタンス帝暗殺まで続いた。
だが皇太子を定める直前にコンスタンス帝が暗殺されたことによって、アルトリウス皇子と宰相レイヒルフトの間の力関係は一気に傾いた。
コンスタンス帝が皇太子として立てようとしたのは自身の姪で宰相レイヒルフトの妻であるリランディア皇女であり、その内意を示したとたんに反レイヒルフト派の陰謀によって暗殺されてしまったのであるが、死の直前にケイロニウス一門譜代衆筆頭であるデキムス・ケイロニウス・ガリウス公と当時の内宰に預けられた彼の遺書には、はっきりと次の後継者にリランディア皇女の名前が記されていたのであった。この事実が明らかになるとカシウス卿は、秘密裏にアルトリウス皇子と宰相レイヒルフトの間の会談を実現させ両者の和解を成立させたのである。
その結果、コンスタンス帝の喪が明けると同時にアルトリウス皇子の支持を受けてリランディア皇女が登極し、皇帝となったのであった。当時大半の諸侯はアルトリウス皇子が皇位を求めて軍を起こすとみなしており、ユリウス・アントニウス南方辺境候にいたっては、コンスタンス帝の死の直前に自身の孫娘と皇兄となったアルトリウスの間で婚約を成立させており、彼の皇位を求めて決起している。
だがユリウス・アントニウス候は逆賊として討たれ、皇兄アルトリウスは「内戦」終了前にアルトリア・ケイロニウス・ケルトリアとして「帝國」東南の隣国アル・カルナイ王の元に嫁ぎ、国を離れることとなった。
反レイヒルフト派の諸侯は、ユリウス・アントニウス南方辺境候と同時にセルウィトス・セルトリウス西方辺境候がアルトリウス皇子の皇位を求めて決起していれば、宰相レイヒルフトを排除し、アルトリウス帝の下で「帝國」は空前の繁栄を謳歌できたと今ですら事あるごとに嘆いているくらいである。表立って口にされることはないとはいえ、カシウス卿の変節をこころよく思っていない諸侯は山程いるのは仕方がないことであった。
「そういう理由で、セルウィトス一門の者達はカシウス卿への誹謗中傷に対してとても過敏に反応するわ。それをセルウィトス・セルトリウスの一姫に面と向かって口にすれば、文字通り横っ面を張って唾を吐きかけたのも同然の侮辱とみなされるでしょうね。正直、機神「アルブム・モノケロス・アドルファス」を駆って、皇帝軍最大の敵と今上陛下に銀貨十万枚もの賞金をかけられる程に活躍したアムリウス先生でなくては、クラウディアを止めることはできなかったと思うわ」
頬杖をついたまま語り終えたセレニアを前に、フェイトと無名はしばらく黙って考え込んでいた。
「つまりさ、アムリウスの右腕を落とさせたことで、あいつは父親を侮辱された以上の面目をほどこした、っていうことなんだな?」
「ええ。そういう理解でよくってよ。今にして思えば、クラウディアはアルブロシアを誅した後、自決するつもりだったのかもしれないわね。セルウィトス一門宗主への侮辱をアルブロシアの命で晴らし、ケイロニウス一門の方伯を害した罪を自分の命でそそぐ。これで差し引き零というところかしら。そして、ここまで騒動が大きくなれば、エレナをいじめていた子らもただでは済まなかったでしょうね。今の宰相と
北方辺境候はアドルファス一門だし、カシウス卿直系の最後の嫡子を失ったセルウィトス一門の復仇の対象となったでしょうし。そうなれば、ケイロニウス一門だって黙ってはいなくてよ。本当にアムリウス先生がいなければ、どれだけの血が流れていたことか」
ふうっと、大きな溜息をついたセレニアは、じっとフェイトのことを見つめた。
「貴族の命や面子というものは、その当人だけのものではないの。必ずその一族、家門、一門に関わってくるわ。だからこそこの「学院」は修道会の付属校としてなっていて、そして教皇聖下直属の修道会が経営しているの。世俗と一時にせよ縁を切らせることで、貴族としての諸々のしがらみから解放して勉学に専念できるようにしているのよ。その事を忘れて世俗のしがらみを持ち込んでエレナをいじめていた子らは、文字通り命知らずもよいところであり、今回手痛いしっぺ返しを受けることになるでしょうね」
「つまり、世俗と縁を切っているはずの場所に、世俗のしがらみを持ち込んだ事が罪なのですか?」
「本当に貴女は理解が早いわね。ええ、その通りよ。セルウィトス一門宗主への侮辱が原因である以上、アルブロシアを後見している貴族とカシウス卿の間で和解の手打ちをする事になるでしょうし、その仲介は当然クラウディアのパトローネスである副帝陛下がなされるでしょうね。そして、事の発端がアドルファス一門のエレナへのいじめの上、アムリウス先生が関わってしまったのだから、彼女をいじめていた子らの親御さんと、エレナの親御さんだけの話では済まなくて、アドルファス一門宗主であるオロフス卿か、北方辺境候のカリナス卿も関わってきてなんらかの決着をつける事になるでしょうね。本当に、こんな面倒を引き起こさないために、修道会付属の学校となっているのに」
愚痴っぽくぼやくセレニアの姿に、どう反応したらよいのか判らず、フェイトと無名は互いに顔を見合わせた。
「なあ、セレニア」
「何? 無名」
「俺達にできること、なんかあるか?」
「歌です! 歌を歌いましょう!!」
まるで通夜の会場のような重く湿っぽい雰囲気になってきた三人に向かって、能天気といってもよい声が投げ込まれ、三人はぽかんとした表情となって声のした方に同時に顔を向けた。
そこには、自信満々かつ朗らかに満面の笑みを浮かべたウェーラが両手を腰に当てて、胸を張って立っていた。
「ウェーラ、貴女、何を素っ頓狂な事を言っているの? 何が起きているのか、本当に判っていて?」
「当然です! だからこそ、わたし達は団結と友情を示さないといけないんですよね? だから、歌を歌うんです、皆で!!」
「ねえ、私は、クラウディアの様に足りない言葉を補って理解できる頭をもっていないの。具体的に説明してもらえるかしら」
「では、僭越ながら私からご説明を」
両手を机の上で組んで呆れ顔であごを乗せたセレニアの前に、今度はアリアが進み出た。何故か彼女はしてやったりという顔をしていて、そして右手に分厚い紙の束を抱えている。
「セレニア様が仰ったように、もつれた世俗のしがらみの糸をほどくため、多くの貴顕の方々がこの「学院」を訪れられるでしょう。ですが、建前上は世俗と縁を切った者らの間で起きた事ゆえに、集まる皆様の訪問理由は別の何かが唱えられるはず。ならば、その皆様を歓迎するために何らかの催しを我々が開いたとしてもおかしくはありません」
「ですから、その催しでわたし達が団結と友情を示すことができれば、きっと穏便にことは済むと思うんです。そこで歌なんです! だってそれが一番判り易いでしょう?」
「皆が一致団結して事にあたり、失われかけた団結と友情を取り戻したと具体的に示すには、皆様が一緒に事を成し遂げる何かが必要なのです。そして、それに最も相応しいのが歌劇ではないかと愚考いたしました」
ウェーラとアリアは、もう絶好調といわんばかりの表情と声色でそう言い切った。
そんな二人の姿に、セレニアは、そのまま何も言わずに顔を両腕にうずめてしまった。
「というわけで、歌ですよ、セレニアさん!」
「歌劇の題材は聖インガヌスの北方冒険から拝借いたしました。脚本はこの通り用意できています!」
フェイトは、セレニアがうめくような声で、勘弁して頂戴、と呟いたのを聞き逃さなかった。
最終更新:2012年06月21日 00:25