一
年初めに「帝都」で開催された軍事参議会定例会議は、内戦後半には既に検討が始まっていた新しいドクトリンについての概要の説明と質疑応答に終始した。そして今回の定例会議には、帝國軍最高司令官である副帝レイヒルフトが臨席せず、代理として総参謀長のシルディール元帥がもっぱら質問を行う事になった。また今回からは、帝國宰相であるグスタファス公爵と財務担当や外務担当といった何人かの執政官も臨席し、質疑に参加する事となった。
軍事参議会議長であるセルベニア・イル・ベリサリウス元帥は、今回の定例会議に先立ち、参加者から事前に質問書を提出させる事で会議の進行を滞りなく進められるように配慮していた。そのため、質問に対して応答する査閲総監であるアスラン・シリヤスクス・ガイユス元帥と各兵科総監達は、事前に詳細な答申書を作成することが出来、会議の内容が迷走する事無く、しかし非常に中身の濃いやりとりがなされたのであった。
数日間にわたり深夜までかかって行われた会議が終わり、どんよりと雲がたちこめているせいか星明りもない中、ところどころに魔道光による明かりが点された皇宮の外廊を、第Ⅰ軍団長である
アレクサンドロス・ポンペイウス・マグヌス将軍は、一人外套もまとわず散策していた。
今回の定例会議で査閲総監部側から提示された新ドクトリンは、内戦終了の結果多数の将兵が除隊したことによって、帝國軍錬度の低下が深刻な状態にある事を前提として考案されたものであった。極論を言うならば、これまで以上の火器装備率の向上と、それに伴う攻勢主義の採用である。
なにしろ査閲総監である小ガイユス元帥の
「とどのつまり司令部の仕事とは、敵を破砕できるだけの人員、武器弾薬、糧秣を用意し叩きつける事でしかない」
という発言は、そのほとんどが魔族領戦役以来の戦歴を持つ高級将官達にとっては、あまりにも大胆な運用方針の変換に他ならなかったのだ。
元々が
東方辺境候軍は非常に攻撃的な軍隊であり、まず敵地に踏み込んで緊要地形の奪取と、それに伴う敵の誘引、そして敵の攻撃体勢が未完のうちに先んじて攻撃に打って出る、という、非常に積極的な運用を前提として編成されてきた。それだけに、斥候や警戒部隊としての軽騎兵の活用、機動性が高く大威力の火砲や機装甲の整備、といった方針の元に軍備の整備が行われ、各級指揮官による積極的な独自の判断による部隊運用が推奨されてきたのである。
しかし、魔族領戦役以来三〇年近くにわたって続いた各種戦役によって、東方軍を母体とした帝國正規軍の錬度は、特に中下級士官らにおいて憂慮すべき程の低下を見せ、時には旅団長である准将が、自ら最前線で中隊長達に詳細な指示を出さねばならぬ状況が内戦末期には何度も発生したのであった。多くの連隊で、本来は中隊長を務めるべき騎士長が連隊長となり、小隊長を務めるべき上級騎士や平騎士達が中隊長を務め、下士官である古参従士が小隊長を務めざるをえなくなるという有様だったのだ。
そこに内戦終結に伴う将兵の大量除隊である。マグヌス将軍が帝國軍人となったのは、副帝レイヒルフトがまだ東方辺境候であり帝國宰相の地位についたばかりの頃であった。元々が猫の額ほどの土地と小さな屋敷とを維持するのに手一杯な貧乏貴族であったが故に、給与もよく栄達への道も開けている帝國軍への入隊は、非常に魅力的に見えたのである。そして当時の帝國軍は、魔族領戦役を生き残った東方軍の古参兵が中核となっていた高い錬度を誇る精兵によって構成され、他の諸侯軍とは一頭地抜いた精強さを誇っていたのであった。
だが、内戦が終わった今現在の帝國軍将兵は、文字通り素人の群れも同然であり、かつての精強さを影すらほども残してはいない。自ら率いる第Ⅰ軍団は、内戦終結と同時に大量除隊した古参兵の穴埋めに、才能のある若い将兵の抜擢と、彼らに対する実戦も同様の厳しい訓練と教育によって、なんとか自らの手足として使えるくらいまでには鍛え上げた。
戦時には、親衛軍から抽出編成される親衛軍団とともに副帝レイヒルフトの直轄軍として運用される事が指定されている軍団である。帝都と皇室の警護のみならず、帝国全土から集められた精兵を各種学校の教官助教が教育し、次の世代の将校下士官として育成する、という任務をも負っている親衛軍に錬度で劣らぬようにするには、生半可な努力では足りないのだ。
「よう、相変わらず難しい顔をしているじゃないか」
「貴公か」
「若白髪が、次は禿げるぞ? ポンペイウス・マグヌス」
「貴公こそ少しは身体を鍛えなおせ。書類仕事ばかりで身体が弛んでいるのだろうが。サウル・カダフ」
ポンペイウス・マグヌス将軍に声をかけた中年男は、減らず口を叩いてからけらけらと笑って、彼の肩に腕を回してきた。
「ま、あまり難しく考えない方がいい事もあるってことさ。どうだ、一杯付き合わない?」
「色気の無い店なら、考えんでもない」
「うんもう、相変わらずお堅いねえ。いくら嫁さんに頭が上がらないからって、少しは羽目を外しても罰はあたらんだろ。ま、いいさ。注文通りの店がある。いい店でね。俺の故郷の酒も扱っているのさ」
人族ならば楕円形の耳がついている部分に、ふさふさとした三角形の獣耳が生えている参謀次長のサウル・カダフ将軍が、少しだけ遠い目をしてそう応えた。
「獣人族の酒か。興味はある」
わずかに表情を和らげて、ポンペイウス・マグヌスは、この獣人族出身の誘いに乗ることにした。
その店は、帝都の川向こうの商業地区にあり、そして波止場に近い裏通りにある店であった。当然の事ながら、客層は決してよくはない。くたびれた外套を羽織っていっても正規軍軍人であるというだけで目だってしまう、そんな店であった。だが、この店にサウル・カダフはちょくちょく顔を出しているらしく、店の主人に一声声をかけると、すぐに奥の机へと通された。ついでに、陶器製のカップに、白濁した酒がなみなみと満たされて出てくる。つまみは、香辛料を効かせた羊肉の煮込み。
「大した馴染みっぷりだな」
席についた瞬間にこれである。外海に面しているわけではない帝國にとって、香辛料はかなり高価な調味料であり、そうそうお目にかかれるものでもない。それが注文も無しにはるか海を越えた先の獣人族の料理が出てくるあたり、サウル・カダフとこの店の付き合いがどれほどのものか、よく判るというものである。
「まあね。もっともここは、そういう店なんだがね」
確かに、客の少なくない数が、獣人族である。どうやら、帝都で商売をしている獣人族の溜まり場となっているのがこの店らしい。
納得したように鼻を鳴らしたポンペイウス・マグヌスを見て、サウル・カダフはカップを手にすると、目の前まで持ち上げた。
「軍団に」
「軍団に」
白濁したその酒は、獣乳のように重みのある旨味と同時に、かなり強い酒でもあった。
「ナツメヤシから作った酒でね、元は透明なんだが、水で割らないとちときつい」
「なるほど。確かにこれはそうそうあおれる酒ではないな」
「故郷ではね、「獅子の乳」と呼ばれているのよ」
「確かに。それだけの風格はある」
羊肉の煮込みをナイフの先でつつきながら、二人は、ちびちびと「獅子の乳」をあおった。旨味の濃く強い酒に、癖の強い羊肉がよくあう。
「そろそろいいだろう」
「若者はせっかちだねえ。折角の美味い酒と料理なんだぜ。せめて食い終わるまで待てや」
「生憎と俺は騎兵でね。気が早いのは職業病みたいなものだ」
わずかに口の端をゆがめて笑ったポンペイウス・マグヌスに、サウル・カダフはにへらっと笑ってカップの残りの酒を飲み干した。
「お前さん、南方軍へ出される話があったろ」
「ああ」
「あれね、無くなったから。行き先が変わった」
木の椀にたっぷりと盛られた羊肉の煮込みをつつきながら、サウル・カダフは、なんでもない、という表情のまま話を続ける。
それに対して、ポンペイウス・マグヌスも肉食獣にも似た笑みを張り付かせたまま、黙って白濁した酒を舐めている。
「トイトブルグの高等弁務官。兼務で全権大使もくっついてくる」
「そちらを先に片付けるのか」
「驚かないのな」
特に感慨もなさげに受け流したポンペイウス・マグヌスに、サウル・カダフは少しだけ驚いた表情をしてみせた。
「今、帝國軍で俺よりも優れた現役の将帥といえば、陛下は別格として、マクシムス公か、
ディエゴ親父か、大ガイユスだろう。その三人が三人とも動けない以上、俺がペネロポセス海かトイトブルグか、どちらかに送り込まれるのは必然だろうが」
「大した自信だ。だが、的を外しちゃいない。つまるところそのどっちにも後ろには、西方の森族と「神殿」がいて、糸を引いている。で、陛下は、南方通商の安定を維持するために、ペネロポセス海ではなく、トイトブルグを釣り餌にする事にした、というわけさ」
ふんふん、と、軽く話を聞き流していたポンペイウス・マグヌスは、表情を消してその琥珀色の瞳を目前の獣人の上に据えた。元々が上背があり、胸板も厚く二の腕も太い、鋼の様な肉体を持つ色黒の彼の重たい視線の圧力は、並人では受け止めかねる程の力を持っている。
だが、亜麻色の豊かな口髭と顎鬚をした狼の耳を持つこの男も、喰えないという事では人後に落ちることは無い人物である。わずかに口の端をゆがめて楽しそうに微笑むと、飄々と向けられる視線を受け止めてみせた。
「何故、トイトブルグでやる。本気でやるのならば、手を伸ばすべきは西方森族諸国だろう。中原に大乱は起こさせず、しかし、彼らの力は削ぐ。そんな器用な真似が、そうそう上手くいくものか」
「お前さんでも無理かい?」
「やれと言われればやるさ」
表情の無かった面に、肉食獣を思わせる笑みが浮かぶ。
「そういうこった。下手に任せると、どこまで飛び火するか判らん。かといって、元帥や一門宗主級の人間を送り込むわけにもいかん。それこそ、中原諸国を刺激して西方大乱の引き金になりかねないからな」
「信頼されたものだ」
「いないんだよ、人が」
「貴公がいけばいい。クラウディウス・ネロ閣下とシルディール元帥の懐刀として「賢狼」と呼ばれた貴公ならば、上手くまとめられるだろう?」
「うん、というわけで俺が介入部隊の指揮を執る羽目になったわけよ」
たはー、といわんばかりの情けなさそうな笑いを浮かべて、サウル・カダフは、頭の後ろをぽりぽりとかいた。
「ま、とりあえず女性関係で遊びすぎたのがバレて左遷、という事にして新設旅団の旅団長に飛ばされる事になったから」
「貴公の女関係なぞ、今更だろう。それでは誰も納得しまい」
「ま、そこは芋づる式にずるずるぅっと、という事で」
いやー モテる男はつらいねー そうへらへらやに下がっているエロ狼に、あきれ返った表情になったポンペイウス・マグヌスは、カップの底に残った酒を一気にあおった。魔族領戦役時代には砲兵連隊長として活躍し、ユリウス・アントニウス南方辺境候との戦いではクラウディウス・ネロ将軍の参謀長を勤め、アドルフ・グスタファス
北方辺境候との戦いでは第XII軍団長として、大ガイユス元帥指揮下でグスタファス辺境候の本隊相手に消耗戦を繰り広げ、戦後参謀次長にまでなった男にはとても見えない。
「で、トイトブルグで騒乱が起きました。丁度手ごろな規模の部隊がいましたので投入しました。そういう筋書きか」
「ま、もちっと色々尾ひれ羽ひれつけるけどね。実際のところ新設部隊は、新規ドクトリンの実証実験部隊で、その試験運用も兼ねての実戦投入だから」
「旅団長は貴公として、連隊長は誰を入れる?」
「騎兵が、シルフィス・シルディール。歩兵が、アドニス殿下とモーレク。砲兵が、クラウディウス・ワッロ」
ほう。声をもらしたポンペイウス・マグヌスには、挙がった名前全てに心当たりがあった。撃破機装甲数百機を超す黒騎士と、歩兵を騎兵の如き速さで機動させると噂される戦場叩き上げの皇族古兵と、魔族領戦争時代に東方軍から「牛角鬼」と呼ばれ恐れられた魔族の戦士、そして、次のクラウディウス一門宗主との下馬評の技術系魔導士官。
「機甲兵連隊は?」
「騎兵と歩兵に大隊で配属する予定。最初から戦闘群編成でいくつもりさ」
「あくまで実戦前提か。段列や輜重兵が苦労しそうだ」
くつくつと二人して笑い合う。
「とにかく、被服から機装甲まで、新規の装備でいくから。まずは連隊規模で実証試験をやって、それから、だね」
「……そういえば、近衛騎士団で久しぶりに新規の教導隊が編成されたな。あれも投入する気か?」
「うん」
とたんに、ポンペイウス・マグヌスの表情が険しくなる。
「子供らだぞ、生徒は。教官二人は最高の腕利きだが、だからといって志願年限にも達していない子供を戦場に放り込むのか」
「一人は実戦経験済みだよ。それに、諸侯軍からの出向を帝國軍で統一指揮を執るという体裁をとる。だから近衛騎士団扱いにするわけ」
「魔導を使いこなせる黒騎士なら、いくらでも居ようが」
声色まで険しくなったポンペイウス・マグヌスに向かって、サウル・カダフは、すっと目を細めた。表情こそ笑っているものの、その目は笑ってはいない。
「仰る通りの子供部隊だがね。だが、古人で編成された初の魔導戦闘専門部隊だ。余りにも色々と差しさわりがあって、予算措置まで皇室を経由しているくらいに、ヤバい。なにしろ総参謀長直卒で、次長である俺でも触れられないんで、詳しくは判らん部隊だ。あげく、教会からも人員が出向してきている」
帝國はね、もう次の次の戦争まで視野に入れているんだよ。
そう独り言ちたサウル・カダフは、少しだけ寂しそうな表情をしていた。
最終更新:2012年07月29日 08:48