腐敗に君臨する二つのやり方 5
「何手か、出遅れましたな、親父殿」
ソウソンは、どっかりと椅子に座り、腕組みをして言う。ただその口調はごく穏やかだ。瞳は伏せ、もの思いに耽るふうですらある。
「そうじゃのお」
ヨスタルヌス男爵もまた、どっかと椅子に腰掛け、腕組みをして、天井を見上げている。こちらは棋盤を眺めながら、良い手を打たれた、というように。
ルキウスといえば、席を与えられたものの、彼らのように座るわけにもゆかず。彼らの言葉の続きを待っていた。ルキウスには、もう答えが出ていたから。
ラトガレンでは何かが起きている。いや、何も変わっていないのかもしれない。
おそらくソルディウスに関わる組織によって。
奴一人を殺しただけでは、とうてい根切りとはならなかった。始末せねばならない。組織は、ブルーノ班の仇なのだから。
ルキウスたちが川港町へ戻った時、ちょうど開門されて、男爵とソウソンの手下が出立するところだった。彼らは、北の空に浮かび上がった炎の灯りを認めて、増勢をすぐに送り込むことにしたのだ。それを率いるのは、片目の男、名をヤーランというソウソンの腹心だった。ヤーランは町へ戻りゆくルキウスらを認めると、手下らは他に任せ、ルキウスらを目立たぬところへ自ら招いて、事の説明に当たらせたのだ。船二隻については、そうであろうとうなずき、いずれにも火をかけたと言った時は疑わしげに片目を眇めた。
「良い。我らで始末をつける。口を割らせるための捕虜もだ」
言われて、思い出す始末だった。あの船で捕らえた男は、そのまま忘れていた。溺れ死んでいるだろうか。
ともあれ、ヤーランは己の手下を追って直ちに馬を馳せ、ルキウスらは町へと戻ったのだ。
続く襲撃に備えて、門を閉じ、機卒を起こし、川港側にも守りを配した。 男爵とソウソンは、ルキウスの報告に、さほど驚きはしなかった。そして先のように言ったのだ。何手か、出遅れましたな、と。
「ともあれルキウス君、ブルーノ班はようやってくれた」
不意に男爵は言う。天井を見上げたままで。これは感状を出さねばならぬな、と。確かに、とソウソンも応じる。
「褒美に値しますな。帝國風だけでなく、我らからも」
ルキウスは苦笑する。
「今、それをいただくと、癒着、と言われてしまいますよ」
「ほほう、なるほど」
にこにこと笑みを見せながらソウソンはうなずいて見せる。
「帝國、たしかに複雑な成り立ちをしておるようですな」
「ご褒美と言っていただけるなら、一つ、お願いがあります」
「・・・・・・」
途端にソウソンは口をつぐむ。目を伏せ、しかし男爵を伺う風だ。男爵は、聞こえなかったとでも言う風に天井を見上げているままだ。
「ラトガレンに行かせてください」
「行けなければ、儂らに黙ってでも行かれたじゃろうなあ」
「はい」
「訳を聞かせてもらってもよろしいか」
「士幇は僕らの、いえ、僕にとっての仇だからです。ブルーノ班長や、仲間たちの」
「そうか」
ふむ、と腕組みをしたままの男爵は、天井へと息をつく。
「行かせる策はある」
「では、それを今、ゆるしてください。お願いします」
「だが」
言って男爵は、ルキウスを見た。その瞳で、強く。
「行かせれば、君だけでなく、君の仲間もまた危機にさらされるだろう。おそらく、幾人かは失われる。おそらく、君が」
そして続けるのだ。わしは、君が、惜しい、と。
「・・・・・・」
君が惜しい、まではルキウスも考えていた。男爵ならば、そしてあの手下の様子ならば、ルキウスたちブルーノ班がここにとどまることは、彼らの利益に資する。しかしその訳については、こう言ってくるとは思わなかった。それが、ただの口先だと読めたなら、ルキウスは構わず出奔、というより脱走していただろう。そのルキウスを見やりながら男爵は続ける。
「常の君なら、ここまで危ういことはせんかったじゃろう。君がここまでやるのは、君の言うとおり、士幇こそが君の仇だからだ。仇をを取らせてやりたい。わしもソウソン殿も同じ思いじゃ。だが、君を行かせることが、仇をとらせることにはならぬ。どのようになろうとも、君は、もう儂らの元へは帰れぬじゃろう。それが、惜しい」
すべてが出たとこ任せなのは、言われるまでもなく、己でわかっていた。それでも、誰かと、ソルディウスのような奴と、刺し違えられればそれで本望だ、とも。見透かされたから、止まれるか。そうはできない。
「そんなに怖い顔をせんでもよい。もはや君の、君たちの仇は、我らの敵じゃ」
「そのとおり。我が郎党で役に立つなら、如何様にも使ってもらいたい。だが、君は帝國の軍に仕えている。そうだろう」
ソウソンはそう言い、また続ける。
「軍は、副帝陛下よりのご命令によって召されていると聞いている。そこを君の思い一つで離れるのは、自由とは呼ばぬのだろう?」
言葉はやさしく、深く傷ついた郎党へも、ソウソンはそのように慰めるのだろう。そして言う通りでもあった。脱走したからといって、敵前でなければ死罪にまではならない。しかし、脱走してなお軍に留まることはできなくなる。消せない重い罪が書き込まれる。別に構いはしない。彼らの言う通り、死んでも構わないと、こころのどこかで思っていたから。
「復讐は、理にかなってこそぞ、ルキウス殿」
「ソウソン殿の言うとおりじゃ。我慢は不要。刻は我らの味方」
「では、どうすれば良いのですか」
「責め苦を使って士幇に口を割らせる」
思ったより数を捕らえられたからな、とソウソンは平板な声で言う。どんなことであっても、我らが知らねばならぬことだ。それを吟味する役は、ルキウス殿、君しかおらぬのではないか、と。続いて男爵が言った。
「それらを我らのみで握っていても益は無い。上にバラす」
「軍なら、我らの手勢以上のものを動かせよう」
「その上で、軍の裏をかく」
「当然」
「例の近衛騎士、なんと言ったか」
「さて、しかしあの役者のようなつらつきの奴ですな」
「うまく巻き込めば、あちらの方で否が応でも始末をつけてくれるじゃろうて」
悪いことを考えているときの口調で男爵は言い、応じてソウソンも笑みを見せる。後腐れをなんとか押し付けねば、と。
「我らの狙いは、士幇の首。我等の手でこそ掻き取ってくれねば」
「すみません」
応じるルキウスに、男爵とソウソンは、うむ、とうなずき返す。
「ほんとうに悪党ですね、あなた達」
「何を言っておるか。君にもそうなってもらおうと思ってるんじゃからな」
「当然。君はまだ若い。ただの小狡い悪党で終わってもらっては我らがつまらぬ」
君のことは知っていた、とソウソンは言う。
「ルキウス殿、君が我らにつなぎをつけてくる前から」
「そうだろうと思っていました」
「ゴーラでは言う、獅子の心ぞ虎は知る。壮士は壮士を知るのだ。故に思う。君がそうしてまで義を通したいと思うひとのことを」
「・・・・・・それは」
奇襲、不意打ちと言ってよかった。言葉も無かった。ただ胸の内に、班の皆のことが蘇ってくる。
「僕は・・・・・・」
「良いのだ、ルキウス殿。言葉の根には、想いがある。その移ろいやすさを我らは信じぬ。故に我らは言葉を重んじる。親父殿も、この俺もだ。故に信じてほしい。我らの言葉を」
ソウソンは言った。
君は、彼のように失われるには惜しい。
最終更新:2022年04月24日 13:14