ようやくニクシアの766教育隊入り。助教の下士官は「ROME」のあの人から。
雪解けでぬかるんでいるはずの営庭は、きちんとならされ踏み固められていて、そして乾いていた。「土」の系統の魔道を使うことができるニクシアは、直立不動の姿勢のまま、軍隊というのはすごいところなのだな、と、そう密かに感心していた。
初春の風はまだまだ冷たくて、ネッカチーフをしっかりと巻きとめていなかったならば、きっととても寒い思いをしたに違いなかった。左隣の双子の姉妹、多分古人なのだろう二人は、風が吹くたびに声をもらして身体を震わせている。実家で近衛騎士の制服を仕立てた時に、近衛軍団で中隊先任従士長を努めていたというのが自慢の爺やが、あれこれ兵隊としての心得を聞かせてくれていた事がもう役に立ってくれていた。
営庭にはニクシア達だけが並んでいて、身長順にニクシアの左隣に一人、右隣に四人立っていた。左隣の子は、焦げ茶色の髪をして左右の瞳の色が違う少年の様な古人の子。右隣の子供らは、金髪や栗毛や赤毛の少女みたいな古人の子ら。一人だけ魔族の子がいるけれども、東方遠征に参加したという親戚から聞いたような邪悪で恐ろしい感じはしなかった。皆の中で一番背が高くて、眼鏡をかけていて、そして何が楽しいのかにやにやと笑っている。
ニクシアが他の子に視線を移そうとした時、営舎からさらに四人の少女らが出てきた。背の高い黒髪に眼鏡の少女を先頭に、古人の少女らが三人。年頃は同じくらいに見えるのに、まとっている雰囲気が全く違っている。軍服に慣れているというのか、軍隊に慣れているというのか、この近衛騎士団に所属する部隊の駐屯地にいても違和感がない。あえているならば、兵隊らしいとでもいうのだろうか。彼女らは、駆け足でニクシア達の右隣に並び、両足を広げ両腕を後手に回す姿勢をとった。
そして十人の少女らが一列に並んだところで、営舎から何人かの大人の軍人達が現れ、魔族の高級士官を先頭にゆっくりとした足取りで近づいてくる。
「全体、気をぉつけっ! 敬礼、頭ぁー――――中ッ!!」
「はい、休んでいいです」
「直れ! 休め!」
「この度、近衛軍独立近衛第九〇一重機甲兵大隊第二中隊教導隊第七六六教育隊隊長に任命されました帝國子爵メトポロニア騎士隊長です。皆さん初めまして」
皆一斉に右端の眼鏡の女の子の号令に合わせて直立不動の姿勢を固め、頭をメトポロニア騎士隊長に向け、戻し、そして両足を肩幅までひらいて両手を腰に回した。右側の四人の子らは、見事に揃った流れるような動きで号令に合わせて姿勢を変えたのに対して、ニクシア達六人はてんでばらばらであった。
ニクシア達の前に立った魔族の高級士官は、そう自己紹介をした。側頭部に小ぶりのカウホーンが生えていて、茶髪を二つの三つ編みにまとめていて、鼈甲縁の眼鏡をかけている。その歩き方と豊かな胸の盛り上がりから、上級魔族の双性者であることが判る。彼女の声は若々しく溌剌としていて、そしてその表情はにこにこと微笑んでいた。
「私は見ての通り魔族で、昔はエドキナ大公殿下の下で邪神鎧に搭乗していました。私の任務は、中距離から近接距離までの魔導を併用した機神の戦技の教育を行うことです。私の教育方針は、できるまでやらせる、です。皆さんもそのつもりでがんばって下さい。以上です」
ニクシアは、メトポロニア騎士隊長の軍人とは思えないほどに柔らかい口調にほっとした。軍隊での教育とは、無理冠詞に鉄拳と書く、とちまたではよく言われる代物である。でもこの教官にならば、殴られることはないのだろうと、そう思ったのだ。
「それでは皆さん、自己紹介をお願いします。まずは左端の貴女から」
メトポロニア騎士隊長の視線が、ニクシアの右隣の子に向けられる。それに合わせて彼は声を張り上げた。
「僕は、モリフォリア・シュネルマヌス・レスローティアです。よろしくお願いいたします」
「聞こえませんでした。もう一度」
「……モリフォリア・シュネルマヌス・レスローティアです! よろしくお願いいたします!」
「聞こえませんね。もう一度」
「モリフォリア・シュネルマヌス・レスローティアですッ!! よろしくお願いいたしますッ!!」
え? ニクシアは、モリフォリアの大声にびくっとして、そしてメトポロニア騎士隊長のことをまじまじと見つめてしまった。モリフォリアの声は良く通る綺麗なボーイズソプラノで、魔族の教官のところまで声が届いていないはずがない。ひたすら繰り返して名乗らせる彼女が何を考えているのかが判らない。
「モリフォリアさん」
「はいッ!!」
「貴方の身上書には、モリフォリウス・シュネルマヌス・レスロートゥスと記載されていますね?」
「……はい」
「では、言い直して下さい」
「はい。ボクは、モリフォリウス・シュネルマヌス・レスロートゥスです」
「聞こえませんでした」
何度も何度も叫ばさせられて、モリフォリアことモリフォリウスは、すっかり喉がかれてしまっていた。一通り怒鳴らさせた後、メトポロニア騎士隊長の視線がニクシアに向けられる。その翡翠色の瞳が表情とは逆に全く笑っていないことに、少女は胃が縮みあがるような気持ちになった。
「次の貴女。自己紹介をお願いします」
「はいっ、私はっ、ニクシア・レスロートゥス・プブリコラといいますっ、よろしくお願いいたしますっ」
ニクシアは、精一杯大きな声を出して名乗った。
だが、魔族の教育隊長は、変わらぬ楽しそうな声で言い放った。
「聞こえませんでした。もう一度」
何度も何度も自分の名前を叫ばさせられて喉もかれ、頭の中がぐるぐるになってしまったニクシアは、今度はメトポロニア騎士隊長の後ろに控えていた中年の下士官達に名前を呼ばれて前に出ることとなった。
「マリエル学生殿、ニクシア学生殿、初めまして。自分は第七六六教育隊助教に任命されましたヴォレヌス従士長であります。これより教育隊長の補佐を努め、御二人に「助言」を申し上げることになります。以後自分の「助言」は、近衛騎士団長陛下よりの言葉と同様のものと心得られた上で従っていただくことになります。以上、よろしくご理解いただきたく願います」
癖の有る金髪を短く刈り込んだ、皺深くて頬骨が目立つヴォレヌス従士長は、古兵の貫禄を存分ににじませた表情と口調で、そう丁寧に自己紹介した。そして、その言葉の意味を一息遅れて理解したニクシアは、思わず下唇を噛んで、えぐっ、と声を漏らしてしまった。
この助教の言うには、彼がどれだけ理不尽な事を二人にやらせるとしても、それは近衛騎士団長、つまり副帝レイヒルフトの命令と同じものとして従え、というのだ。近衛騎士見習いであるニクシアは、階級だけならば目の前の従士長より上ではある。しかしこの第七六六教育隊においては、彼女らは最底辺の兵隊未満の存在でしかなく、ヴォレヌス従士長が「助言」する通りにしごかれることになる。
みっしりとした密度のある筋肉をした古参従士長の迫力に、ニクシアは、内心で怯え、どうなるのだろうとひたすらそればかりを考えていた。
最終更新:2012年04月05日 21:50