冒険王
TVアニメマガジン


概要

1949年3月に秋田書店から創刊された月刊少年漫画誌。
講談社の『ぼくら』、光文社の『少年』、少年画報社の『少年画報』と並んで、昭和の月刊少年誌を代表する存在であった。
当初の誌名は『少年少女冐險王』で、その名の通り、冒険ものの漫画をメインにしながら、漫画に加えて小説も連載された。
1960年代後期から70年代にかけて、週刊少年漫画誌の台頭で競合誌の休刊が重なり、やがて秋田書店も、もう一つの月刊少年誌『別冊少年チャンピオン*1』を創刊し、同誌に月刊少年漫画誌のポジションを譲ることとなる。
60年代にも『アラーの使者』や『魔神バンダー*2』、未制作に終わったピー・プロのパイロットフィルム『豹マン』などの特撮作品を掲載していたことがあったが、本格的に特撮作品の展開に力を入れるのは、71年の『宇宙猿人ゴリ*3』の掲載権を獲得したことがきっかけであった。
やがて同年末に講談社が創刊した『テレビマガジン』の影響を受け、変身ブームが起こり始めた72年からは特撮・アニメ作品のコミカライズの掲載を本格化させることとなる。
とはいえ、もとが漫画主体の雑誌だったこともあり、漫画の割合を強めることで、テレマガはもとより、競合の『テレビランド』、『てれびくん』との差別化を図っていた。
掲載された特撮・アニメ作品の大半は、講談社系の児童誌で掲載されていた作品が多かった反面、円谷プロ作品は小学館がほとんどの掲載権を有していたためか、一切掲載されなかった。
特撮人気が低迷した70年代後半に入り、創刊30周年を迎えつつあったことから、コミカライズ作品の割合を減らし、かつての漫画主体の原点回帰を図ったが、77年に小学館が創刊した『コロコロコミック』に部数面で大きく水を開けられることとなる。
80年前後にはオリジナル作品の割合を減らし、テレマガ、テレラン、てれびくん各誌と同様のテレビ関連主体の構成となったが、部数の低下に歯止めはかからず、83年4月発売の5月号をもって『TVアニメマガジン』へと誌名を変更した。
しかし、あまりにも競合誌のテレマガに酷似した誌名に加え、誌面サイズの変更が裏目に出て、部数の回復にはつながらず、約1年後の84年6月号で休刊を余儀なくされ、通算35年間の歴史に幕を下ろす結果となった。
それ以降、秋田書店は実質、児童向けアニメ・特撮作品の参加から撤退することとなった。
最終更新:2025年09月20日 13:29

*1 現:月刊少年チャンピオン。

*2 テレビ放送に先がけての連載開始であった。

*3 のちに『宇宙猿人ゴリ対スペクトルマン』→『スペクトルマン』に改題