光GENJI

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&font(#6495ED){登録日}:2011/07/22(金) 11:59:50 &font(#6495ED){更新日}:&update(format=Y/m/d D H:i:s) &new3(time=24,show=NEW!,color=red) &font(#6495ED){所要時間}:約 5 分で読めます ---- &link_anchor(メニュー){▽}タグ一覧 &tags() ---- 光GENJI(ひかるゲンジ)とは、内海光司・大沢樹から成る「光」(ひかる)と、諸星和己・佐藤寛之・山本淳一・赤坂晃・佐藤敦啓から成る「GENJI」(ゲンジ)を組み合わせて結成された、[[ジャニーズ事務所]]のアイドルグループである。 特筆すべきはそのパフォーマンス。&bold(){ローラースケートで滑りながら歌う}という、今までの歌手には無かったものだった。   *【メンバー】 光(年長者組、元イーグルス&footnote(80年代前半に活動していたジャニーズJrの4人組ユニット。ロス五輪マスコットが主役のアニメ主題歌など二枚のレコードが発売された。光GENJIブレイク後CDとして発売。)) ◎&font(#0000ff){内海 光司}(うちうみ こうじ) 1968年1月11日生。A型。 東京都出身。通称「&font(#0000ff){キノッピー}」(通称はイーグルス時代からのものらしい。) リーダー。メンバー最年長。 少年隊の錦織と同じく、トークの軽妙さと踊りの上手さはメンバー随一。現在は佐藤アツヒロとのユニットで活動中。 ◎&font(#800080){大沢 樹生}(おおさわ みきお) 1969年4月20日生。A型。 東京都出身。通称「&font(#800080){ミッキー}」。 サブリーダー。「目で殺す」と言われる程の強い眼力を持ったプロレス好きの二枚目。94年に脱退。再結成反対派。女優妻との子供が自分の子供じゃなかった事件が世間に衝撃を与えた。   GENJI(年少者組) ○&font(#f09199){諸星 和己}(もろほし かずみ) 1970年8月12日生。A型。 静岡県出身。通称「&font(#f09199){カーくん}」。 メンバーの中で知名度が一番高い絶対的エース。活動初期はバンダナと羽飾りがトレードマークだった。現在はアメリカに在住しているが、来日すると大概バラエティ番組に出ている。 豪快な伝説を幾多も持つ、愛すべきバカ。再結成賛成派。 ○&font(#008cff){佐藤 寛之}(さとう ひろゆき) 1970年11月2日生。AB型。 千葉県出身。通称「&font(#008cff){ヒロくん}」。 一番地味なメンバー。94年に脱退。再結成賛成派。現在は山本とユニットを結成している。 ○&font(#ff0000){山本 淳一}(やまもと じゅんいち) 1972年2月28日生。B型。 東京都出身。通称「&font(#ff0000){バンジー}」。 顔が[[チンパンジー]]に似ている。再結成賛成派。一時的に芸能界を引退していたが、現在は復帰。佐藤寛之とユニットを結成している。 ○&font(#008000){赤坂 晃}(あかさか あきら) 1973年5月8日生。B型。 東京都出身。通称「&font(#008000){あきらくん}」。 最年少組その1。&bold(){メンバー唯一の逮捕者}。2007年に[[薬物>覚せい剤]]関係で逮捕され、事務所も即日解雇された。2009年にも逮捕され、色々あって現在は宮古島に店を構えている。 なお、兄の赤坂順一は元大野剣友会のアクション俳優で、『[[ウルトラマン80]]』初期のスーツアクター等を担当していた((『君は[[ウルトラマン80]]を愛しているか』の車邦秀氏インタビューで判明。))。 ○&font(#ffdc00){佐藤 敦啓(佐藤 アツヒロ)}(さとう あつひろ) 1973年8月30日生。A型。 京都府出身。通称「&font(#ffdc00){あっくん}」。 最年少組その2。同い年の赤坂と仲が良かった。現在は内海とのユニットで活動中。   *【来歴】 1987年に前身である「&font(#ffb74c){ライト・イン・シャドウ}」が結成された。元々4名で、&font(#f09199){諸星}と&font(#008cff){寛之}と&font(#ffdc00){敦啓}の他に、田代秀高というメンバーがいた。 途中で&font(#ff0000){山本}の加入と同時にグループ名を「&font(#ffb74c){GENJI}」に改名し、その後田代が脱退して&font(#008000){赤坂}が加入した。 この時点でも歌番組のレギュラーになって番組のオープニング曲を歌う等、それなりに活躍していた。 暫くして元イーグルスのメンバーだった&font(#0000ff){内海}と&font(#800080){大沢}が「&font(#afdfe4){光}」として加入したことにより、グループ名が「&font(#afdfe4){光}&font(#ffb74c){GENJI}」となり、今の形となった。   そして同年「STAR LIGHT」&footnote(事務所の先輩だった川崎麻世がゲスト出演したミュージカルとのタイアップ曲だった)でレコードデビュー。 かなりの売上を稼ぎ、芸能誌のみならず一般紙でも取り上げられる程の社会現象を巻き起こした。 デビュー当初中学生だった&font(#008000){赤坂}と&font(#ffdc00){敦啓}は、労働基準法により夜8時〜朝5時までのテレビ出演が出来なかったが、その社会現象から「なぜ出られないのか」という問い合わせや苦情が殺到。 そのため、労働省(現:厚生労働省)から未成年芸能人を「表現者」とすることで深夜出演を事実上解禁する「芸能タレント通達」が出されるまでになった((とはいえ、芸能事務所ではこの通達に準じる形で出演時間の自主規制がなされている。))。 この通達は通称「光GENJI通達」と呼ばれ、&font(#ff0000){国の法律を変えた唯一のアイドルグループ}でもある。 翌1988年、『ガラスの十代』・『パラダイス銀河』・『Diamondハリケーン』といった大ヒット曲を連発し、上記3曲で、&bold(){その年のオリコン年間シングルチャートの1〜3位を独占}。 因みに、『STAR LIGHT』〜『パラダイス銀河』の3曲と1990年の『荒野のメガロポリス』は[[CHAGE and ASKA]]が作詞・作曲を担当しており、特に作曲を務めたASKA(飛鳥涼)のメロディーセンスは高く評価された。 そして同年、&font(#ff7800){日本レコード大賞}を受賞した。 当時は現在のようないわゆるAKB商法が無く、パフォーマンスや楽曲の純粋な人気と売上が評価されての受賞である為、その勢いが如何に凄まじいものであったか想像するのは容易いだろう。 その後1990年頃にブームは一段落するが、 「ミュージックステーション」に積極的に出演していた事もあり、&font(#ff0000){並のアイドルでは歯が立たない程の}人気を維持していた。 後のモー娘。やAKBグループでさえも比較にならない程の凄まじい人気だったのだ。 1992年にはバルセロナオリンピック、1994年にはリレハンメルオリンピックの応援ソングをリリースした。 またこの頃には、&font(#008cff){寛之}、&font(#ff0000){山本}、&font(#008000){赤坂}、&font(#ffdc00){敦啓}の4名で内部ユニットの「&font(#ffdc00){S}&font(#008000){A}&font(#ff0000){Y}'&font(#008cff){S}」を立ち上げて数曲をリリースしたり、今ではお馴染みとなった『[[忍たま乱太郎]]』のオープニング曲『勇気100%』もリリースしていた。 しかし、1994年に&font(#800080){大沢}と&font(#008cff){寛之}が脱退。7人揃ってのラストライブ後、グループ名を「光GENJI SUPER5」と改め、活動を続けたものの、結局、グループ名変更から1年と持たず、翌年にはグループそのものが解散してしまった。 「Mステ」に最後に出演した際のパフォーマンス終了後には、ローラースケートを脱ぎ、かの山口百恵よろしくステージの床に置くという形で締めくくった。 解散の理由として「&bold(){あまりに人気になりすぎたこと}」が主に挙げられている。 具体的には -過密スケジュールに伴いトークや演技などの実力を磨く暇がなくなってしまった -常に全員で行動するためメンバーそれぞれにストレスが溜まって不仲になりかけていた -芝居やバラエティなどソロ活動の仕事などをすることが出来ず、以降アイドルとしての方向性を定められなかった -アイドルは20代に入った段階で卒業し、それぞれの道を開拓するものという考えがあった というもの。 この辺りの事情は解散後のメンバーインタビューで&font(#f09199){諸星}や&font(#ff0000){山本}がテレビや雑誌のインタビューで何度も語っており、メンバー間のモチベーションの低下が積み重なって解散が繋がったとされる。 また、元号が平成に変わった前後からテレビ出演を拒否するアーティストの台頭ならびにバンドブームが巻きおこり、芸能界全般でアイドルの不作期(=アイドル冬の時代)に突入してしまう。 この時期、彼らの人気の証明や後押しに一役買った「トップテンシリーズ」「ザ・ベストテン」「夜のヒットスタジオ」といった歌番組が軒並み終了。 歌と踊りをアピールできる番組が無くなったことで、&bold(){歌と踊りしか持ち合わせていなかった}グループの活動拠点が減ったことも原因の大きなウェイトを締めている。 加えて同時期に元・フォーリーブスの北公次がジャニー喜多川および[[ジャニーズ事務所]]の性加害の告発本を出版し、ジャニーズというくくり自体への信頼が揺らきファンが離れかけていたことも追い打ちとなった。 メンバー同士の関係以上に、彼らを取り巻く環境や時代の変化が解散へと繋がったと言ってよいだろう。 この光GENJIの興亡は後のジャニーズのアイドルマネジメントにも多大な影響を与えており、 「歌も演技もバラエティトークも一通り可能で、なおかつソロでも実力を発揮できるアイドル」の方向性の確立は、後のSMAPで最大級の成功を収めることとなる。 *【再結成について】 解散から30年近く経つが、かつてのファンからの人気は根強く再結成してほしいという声も少なくない。 しかし、メンバーの中に&font(#008000){逮捕者}や&font(#800080){再結成に難色を示している者}がいる事もあって実現への道のりは険しいが、山本は&font(#ff0000){「全員が同じ熱量で、フラットな状態であれば、再結成は叶うと思います」}、諸星らは「&font(#f09199){もし出来るとしたら全員が揃ってないとね}(発言大意)」と完全な形での再結成を望むコメントを公に発言している。 あくまでオフでの出来事ではあるが、結成30周年直前の時期(おそらく2016年頃か)に元メンバー7人全員が集まって再結成について本格的に話し合ったことがあり、 その時点では全員の思いがまとまらず断念した……と山本がインタビューで答えているため、やはり前述の全員納得できる形に納まらなければ再結成は無理という見方で間違いない。 2025年には解散30年を記念して、WOWOWで&font(#ffdc00){敦啓}がメンバー6人を訪ねるドキュメンタリー「7 S.T.A.R.S.~7つの答え~」の放送が決定しており、これも根強い人気の高さが裏にあるといえよう。 なお、これまでジャニーズ系グループで再結成したのは3組しかおらず、 しかもその内『フォーリーブス』と『THE GOOD-BYE』は「全員が事務所から離脱した後、長いインターバルを置いてから復活」、2022年再結成の『男闘呼組』も岡本健一がジャニーズ事務所との関係を専属からエージェント契約に移行した後の復活だったため、事務所残留組がいる現状ではさらに難しいだろう。 *【余談】 1995年に光GENJIが解散した後、SMAPが2016年一杯で解散するまで&font(#ff0000){21年間正式に解散宣言したジャニーズ系グループは存在しなかった。} それ以降のグループについてはなし崩し的に活動休止した『忍者』、解散の経緯が事務所やメンバーへのバッシング等日本中に大騒動を巻き起こし、冠番組の最終回がそのままラストステージになり前年の曲が「ラストシングル」になってしまった『SMAP』、今井翼の病気療養→退所と滝沢秀明の裏方転向によって活動休止状態のまま解散した『タッキー&翼』、光GENJIよりも先に活動休止・消滅した『男闘呼組』と、いずれも公式な形式での解散を果たせていない。 また光GENJIの次に&font(#ff0000){「ラストシングル」のリリース及び「ラストライブ」の開催を正式に発表できた}ジャニーズグループは&bold(){26年後}(2021年)の[[V6>V6(アイドルグループ)]]まで待つことになる。 『パラダイス銀河』には全編アニメで出来ている特別仕様のPVがあり、伝説の&font(#ff0000){腹筋崩壊ビデオ}として語り継がれている。 当時新商品だった、大塚食品の電子レンジで調理できるタイプの[[フライドポテト]]「マイクロマジック」のCMに出演。今でも同商品が売られていることを考えると、知名度アップにかなり貢献したと言えるだろう。 「ボクのポテトは&font(#ff0000){チンチンチン♪}」「レンジでチンする、&font(#ff0000){チンチンポテト!!}」 &s(){事務所の末路を考えると壮大すぎるフラグを建てていた} &s(){そして姉妹品に「チンチンシェイク」があり、そっちのCMにはデビュー直後の島崎和歌子が出ていた。大塚食品はアイドルをどう考えているんですかね……}   #center(){追記修正、即勝利!} #include(テンプレ2) #right(){この項目が面白かったなら……\ポチッと/ #vote3(time=600,11) } #include(テンプレ3) #openclose(show=▷ コメント欄){ #areaedit() - カラオケでもパラダイス銀河アニメ版がコンサート映像と混ざって見れるな -- 名無しさん (2013-11-28 10:27:26) - 未だに100%勇気と言えば光GENJIだな、歌いやすいしカッコいい -- 名無しさん (2013-11-29 21:00:25) - 大沢さん不幸すぎワロエナイ -- 名無しさん (2014-01-07 14:42:48) - ローラスケート無しのダンスも上手かった -- 名無しさん (2014-04-04 00:24:47) - 骨折しても、笑顔で歌うってところがスゴい。後にAKBもやるけど、こっちは生中継だからな。 -- 名無しさん (2014-04-04 04:55:01) - ガラスの十代よく歌ったな -- 名無しさん (2014-05-29 20:51:09) - 同じ項目あるが、削除申請してないかんじかな? -- 名無しさん (2014-09-02 19:44:38) #comment #areaedit(end) }
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メンバーの中で知名度が一番高い絶対的エース。活動初期はバンダナと羽飾りがトレードマークだった。現在はアメリカに在住しているが、来日すると大概バラエティ番組に出ている。 豪快な伝説を幾多も持つ、愛すべきバカ。再結成賛成派。 ○&font(#008cff){佐藤 寛之}(さとう ひろゆき) 1970年11月2日生。AB型。 千葉県出身。通称「&font(#008cff){ヒロくん}」。 一番地味だが毒舌。94年に脱退。再結成賛成派。現在は山本とユニットを結成している。 ○&font(#ff0000){山本 淳一}(やまもと じゅんいち) 1972年2月28日生。B型。 東京都出身。通称「&font(#ff0000){バンジー}」。 顔が[[チンパンジー]]に似ている。再結成賛成派。一時的に芸能界を引退していたが、現在は復帰。佐藤寛之とユニットを結成している。 ○&font(#008000){赤坂 晃}(あかさか あきら) 1973年5月8日生。B型。 東京都出身。通称「&font(#008000){あきらくん}」。 最年少組その1。&bold(){メンバー唯一の逮捕者}。2007年に[[薬物>覚せい剤]]関係で逮捕され、事務所も即日解雇された。2009年にも逮捕され、色々あって現在は宮古島に店を構えている。 なお、兄の赤坂順一は元大野剣友会のアクション俳優で、『[[ウルトラマン80]]』初期のスーツアクター等を担当していた((『君は[[ウルトラマン80]]を愛しているか』の車邦秀氏インタビューで判明。))。 ○&font(#ffdc00){佐藤 敦啓(佐藤 アツヒロ)}(さとう あつひろ) 1973年8月30日生。A型。 京都府出身。通称「&font(#ffdc00){あっくん}」。 最年少組その2。同い年の赤坂と仲が良かった。現在は内海とのユニットで活動中。   *【来歴】 1987年に前身である「&font(#ffb74c){ライト・イン・シャドウ}」が結成された。元々4名で、&font(#f09199){諸星}と&font(#008cff){寛之}と&font(#ffdc00){敦啓}の他に、田代秀高というメンバーがいた。 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当時は現在のようないわゆるAKB商法が無く、パフォーマンスや楽曲の純粋な人気と売上が評価されての受賞である為、その勢いが如何に凄まじいものであったか想像するのは容易いだろう。 その後1990年頃にブームは一段落するが、 「ミュージックステーション」に積極的に出演していた事もあり、&font(#ff0000){並のアイドルでは歯が立たない程の}人気を維持していた。 後のモー娘。やAKBグループでさえも比較にならない程の凄まじい人気だったのだ。 1992年にはバルセロナオリンピック、1994年にはリレハンメルオリンピックの応援ソングをリリースした。 またこの頃には、&font(#008cff){寛之}、&font(#ff0000){山本}、&font(#008000){赤坂}、&font(#ffdc00){敦啓}の4名で内部ユニットの「&font(#ffdc00){S}&font(#008000){A}&font(#ff0000){Y}'&font(#008cff){S}」を立ち上げて数曲をリリースしたり、今ではお馴染みとなった『[[忍たま乱太郎]]』のオープニング曲『勇気100%』もリリースしていた。 しかし、1994年に&font(#800080){大沢}と&font(#008cff){寛之}が脱退。7人揃ってのラストライブ後、グループ名を「光GENJI SUPER5」と改め、活動を続けたものの、結局、グループ名変更から1年と持たず、翌年にはグループそのものが解散してしまった。 「Mステ」に最後に出演した際のパフォーマンス終了後には、ローラースケートを脱ぎ、かの山口百恵よろしくステージの床に置くという形で締めくくった。 解散の理由として「&bold(){あまりに人気になりすぎたこと}」が主に挙げられている。 具体的には -過密スケジュールに伴いトークや演技などの実力を磨く暇がなくなってしまった -常に全員で行動するためメンバーそれぞれにストレスが溜まって不仲になりかけていた -芝居やバラエティなどソロ活動の仕事などをすることが出来ず、以降アイドルとしての方向性を定められなかった -アイドルは20代に入った段階で卒業し、それぞれの道を開拓するものという考えがあった というもの。 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