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ミホノブルボン(競走馬) - (2020/09/22 (火) 23:12:26) の1つ前との変更点
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&font(#6495ED){登録日}:2012/06/22(金) 02:18:56
&font(#6495ED){更新日}:&update(format=Y/m/d D H:i:s) &new3(time=24,show=NEW!,color=red)
&font(#6495ED){所要時間}:約 5 分で読めます
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&link_anchor(メニュー){▽}タグ一覧
&tags()
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#center(){&font(#808080){鍛えて最強馬をつくる}}
&bold(){&u(){&italic(){Mihono Bourbon}}}
&italic(){1989.04.25 - 2017.02.22}
父 マグニテュード
母 カツミエコー
母父 シャレー
馬主 (有)ミホノインターナショナル
調教師 戸山為夫→鶴留明雄→松元茂樹
主戦騎手 小島貞博
通算成績 8戦7勝
「サイボーグ」「坂路の申し子」等のニックネームで知られた日本の競走馬。
92年の皐月賞とダービーを圧倒的な逃げ切りで制し、[[シンボリルドルフ>シンボリルドルフ(競走馬)]]以来の無敗での三冠制覇に挑戦した。
&bold(){《誕生》}
ミホノブルボン(以下ブルボン)は北海道門別の原口牧場に生まれた。
原口牧場は家族だけで経営するごく小規模な生産者で、目立たない仔馬だったブルボンは父・母父が両方とも代替種牡馬、母も地方の1勝馬で、かつ初仔ということもあり、わずか700万円で取り引きされ栗東トレーニングセンター・戸山為夫厩舎に入厩することになる。
ちなみに血統を補足しておくと、父マグニテュードは競走成績こそ6戦未勝利で、種牡馬としてもイナリワンなどの父ミルジョージの代替種牡馬的なポジションではあったが、86年の桜花賞馬エルプスを出している上に、その父ミルリーフは史上初めて「英ダービー」「キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス」「凱旋門賞」を同一年に制した掛け値なしの名馬であり、母アルテッスロワイヤルも英愛オークス・英1000ギニーを勝っているという超良血。曾祖母カミヤマトは半姉(異父姉)に2017年現在でも唯一の3歳(旧4歳)牝馬での有馬記念勝ち馬で、末裔には同期の名スプリンター・サクラバクシンオーや1歳下のダービー馬ウイニングチケットがいる一大牝系の祖スターロッチがいる。血統だけを見れば決してズタボロというわけではないのである。
&bold(){《シンデレラと魔法使い》}
戸山調教師は進取的な思想で知られ、当時導入されたばかりの坂路コース(脚部に少ない負担で多くの運動量をこなせる)をいち早く調教に取り入れたパイオニアであった。
戸山師はブルボンが生まれながらに備えた傑出したスピードを見抜いたが、ただその長所を伸ばして育てるのではなく一つの持論を実行に移す。
「全てのサラブレッドは本質的にスプリンターであり、短距離レースと長距離レースの違いは陸上で例えれば100mとマラソンではなく100mと300m程度の違いに過ぎない。ブルボンのスピードに調教でスタミナを補強すればカール・ルイスのような万能ランナーになりうる……」
それは単に強い馬を作るというのではなく、究極理想のサラブレッド像への挑戦であった。
&bold(){《デビュー》}
一日四本の過酷な坂路調教で鍛え込まれたブルボンは戸山師の愛弟子・小島貞博騎手を背に中京芝1000mでデビュー。古馬でも31秒台で上等と言われた栗東トレセンの坂路500mをデビュー前にして29.9秒で走破していたことなどから2番人気6.3倍に対し1.4倍という圧倒的支持を受けたこのレースは、スタートで1000m戦では致命的な出遅れを喫してしまうが、直線一気で当時の2歳レコード58.1秒で見事勝利、持ち前のスピードを証明した。
次走の1600mの条件戦を先行策で6馬身差で大勝すると、次の朝日杯3歳ステークス(G1)では抑える競馬を試みたのが裏目に出てハナ差まで追い込まれたがこれもキッチリ勝って連勝。3戦3勝で世代の主役に躍り出た。
&bold(){《常識は、敵だ》}
ブルボンの父マグニテュードは先述したようにすでに快速の桜花賞馬エルプスを出すなど成功していたが、産駒は1600mが限界と考えられており、ブルボン自身も胴が詰まった筋肉質の典型的スプリンター体型だった。
しかし戸山師は「2000mまでは誰にも負けない」との自信を持っていた。
前哨戦スプリングステークスでは「ノーザンテーストの大物」と呼ばれたノーザンコンダクトに1番人気を奪われたが、ミホノブルボンは悠々と7馬身差で圧勝。
「納得の行かないレースをするなら短距離路線に転換する」とも考えていた戸山師はこれで腹を決め、ブルボンを皐月賞戦線へと送り出す。
……結果は2と1/2馬身差の勝利。
スピードの絶対値の違いで先頭に立ちただ自分のペースで走り、一度も前を譲らずゴールへ辿り着く。
「逃げ」ではなく勝利への進撃というべき走りはまさに最強馬のそれだった。
そして鞍上の小島貞博騎手はデビュー22年目、40歳で嬉しいクラシック初制覇であり、インタビューでは涙を見せた。
さらには未知の距離となる[[日本ダービー>1992年第59回東京優駿(日本ダービー)]](2400m)をも4馬身差で制し、前年の[[トウカイテイオー>トウカイテイオー(競走馬)]]に次ぐ無敗の二冠達成。
「限界」という言葉など、もはやブルボンに無縁なものと見えた。
&bold(){《夢の終わり》}
夏を北海道でのリフレッシュにあて、トライアル京都新聞杯を快勝したブルボンに菊花賞へ向けて死角はないかに思われたが、戸山師は
「3000mであろうと力で押し切れ。ブルボンはそれだけ鍛えてきたのだから」と指示する一方
「本当は使いたくない、菊花賞に出すのは人間の欲目だよ…」とも漏らしている。
そして迎えた[[菊花賞>1992年第53回菊花賞]]。
スタートすると、ブルボンが勝った前走京都新聞杯で出遅れたために早い段階で「何が何でもハナを切る」と宣言していた同型の逃げ馬キョウエイボーガンの松永幹夫騎手が玉砕的な大逃げを打つ展開。これに対し小島騎手は前を譲り戸山師が指示した1ハロン(200m)12秒ペースではなく13秒代の「普通の」ペースを選択した。
しかし先頭を奪われて行きたがるブルボンは無理に抑えられたことで消耗。
直線突き放しきれず[[ライスシャワー>ライスシャワー(競走馬)]]の強襲に遭い、内から伸びてきたマチカネタンホイザこそ差し返したもののついに屈し、無敗三冠は1馬身半の差の前に散った。
長距離種牡馬リアルシャダイを父に持ち、小柄で胴の長いステイヤー体型のライスシャワーは戸山師が戦前最も恐れていた相手だったのだ。
「血統が名馬をつくるのではない」
確かな血の力の前に、ブルボンと戸山師の挑戦は終わりを告げた。
&bold(){《それぞれのそれから》}
三冠を逃したとはいえ前年の二冠馬トウカイテイオーや海外の強豪との対決も含めさらなる活躍が期待されたブルボンだったが、筋肉痛ともいわれる詳細不明の故障で年末の諸戦を回避。さらに放牧先で骨折してしまう。
患っていたガンの再発で闘病生活に入った戸山師は93年5月29日、その年のダービー前日にブルボンの状態を案じながら肝不全で他界。
戸山厩舎の調教助手だった森秀行調教師が新たに開業して主な管理馬を引き継いだが、森師は「走るか分からない馬を引き取るわけにはいかない」としてブルボンを引き取らなかった。
「俺の悪いところを真似することはない。いいところだけ取って俺を越えなあかんよ」
森師は戸山師の遺言を自分なりに実行した。
戸山師が息子のように愛した小島騎手を全ての馬から降ろし、河内洋や武豊らフリーのトップジョッキーに乗せ換えた。
馬は馬主のもので調教師は馬主を喜ばせるのが仕事。大馬主と喧嘩してわずかな理解者から安馬を預かって鍛えるより
効率的に賞金を稼いで馬主に利益をもたらし高馬を預けてもらうのが勝ちに繋がる……
競馬に徹底したビジネス感覚を持ち込んだ森師にとって、ブルボン・小島的なものは捨てるべき非合理に他ならなかったのだ。
追われるようにフリーになった小島騎手は騎乗機会の減少に苦しみながらもタヤスツヨシで95年のダービーを勝ち、01年に引退。調教師に転じ中山大障害優勝馬テイエムドラゴンを出したりしたが、12年1月、厩舎の一室で経済状態を苦にしたとみられる自殺という形で生涯を終えた。
一方鶴留明雄厩舎を経て松元茂樹厩舎に移籍したブルボンは再起を目指したが、初黒星となった菊花賞以来のターフへの帰還はついに叶わず、1994年に引退。生まれ故郷で2012年まで種牡馬として繋養された。
種牡馬引退後もブルボンは穏やかな余生を送っていたが、さすがに老衰には勝てず、2017年2月22日、28歳でこの世を去った。
現在の競馬界では調整のほとんどを外部の育成施設で行うのが当たり前になり、馬作りに調教師の個性が反映される余地は失われたと言っても過言ではない。
距離適性の分化も進み、この先第二第三のシンボリルドルフやディープインパクトは現れても第二のミホノブルボンが現れることはないだろう。
だからこそ、彼らの戦いの記憶は尊くかけがえのないものとして語り継がれるのである。
>&italic(){&bold(){92年、皐月賞。}}
>&bold(){&italic(){そのモンスターの名はミホノブルボン。}}
>&bold(){&italic(){常識は、敵だ。}}
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>&italic(){――2011年皐月賞CMより}
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父 マグニテュード
母 カツミエコー
母父 シャレー
馬主 (有)ミホノインターナショナル
調教師 戸山為夫→鶴留明雄→松元茂樹
主戦騎手 小島貞博
通算成績 8戦7勝
「サイボーグ」「坂路の申し子」等のニックネームで知られた日本の競走馬。
92年の皐月賞とダービーを圧倒的な逃げ切りで制し、[[シンボリルドルフ>シンボリルドルフ(競走馬)]]以来の無敗での三冠制覇に挑戦した。
&bold(){《誕生》}
ミホノブルボン(以下ブルボン)は北海道門別の原口牧場に生まれた。
原口牧場は家族だけで経営するごく小規模な生産者で、目立たない仔馬だったブルボンは父・母父が両方とも代替種牡馬、母も地方の1勝馬で、かつ初仔ということもあり、わずか700万円で取り引きされ栗東トレーニングセンター・戸山為夫厩舎に入厩することになる。
ちなみに血統を補足しておくと、父マグニテュードは競走成績こそ6戦未勝利で、種牡馬としてもイナリワンなどの父ミルジョージの代替種牡馬的なポジションではあったが、86年の桜花賞馬エルプスを出している上に、その父ミルリーフは史上初めて「英ダービー」「キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス」「凱旋門賞」を同一年に制した掛け値なしの名馬であり、母アルテッスロワイヤルも英愛オークス・英1000ギニーを勝っているという超良血。曾祖母カミヤマトは半姉(異父姉)に2017年現在でも唯一の3歳(旧4歳)牝馬での有馬記念勝ち馬で、末裔には同期の名スプリンター・サクラバクシンオーや1歳下のダービー馬ウイニングチケットがいる一大牝系の祖スターロッチがいる。血統だけを見れば決してズタボロというわけではないのである。
&bold(){《シンデレラと魔法使い》}
戸山調教師は進取的な思想で知られ、当時導入されたばかりの坂路コース(脚部に少ない負担で多くの運動量をこなせる)をいち早く調教に取り入れたパイオニアであった。
戸山師はブルボンが生まれながらに備えた傑出したスピードを見抜いたが、ただその長所を伸ばして育てるのではなく一つの持論を実行に移す。
「全てのサラブレッドは本質的にスプリンターであり、短距離レースと長距離レースの違いは陸上で例えれば100mとマラソンではなく100mと300m程度の違いに過ぎない。ブルボンのスピードに調教でスタミナを補強すればカール・ルイスのような万能ランナーになりうる……」
それは単に強い馬を作るというのではなく、究極理想のサラブレッド像への挑戦であった。
&bold(){《デビュー》}
一日四本の過酷な坂路調教で鍛え込まれたブルボンは戸山師の愛弟子・小島貞博騎手を背に中京芝1000mでデビュー。古馬でも31秒台で上等と言われた栗東トレセンの坂路500mをデビュー前にして29.9秒で走破していたことなどから2番人気6.3倍に対し1.4倍という圧倒的支持を受けたこのレースは、スタートで1000m戦では致命的な出遅れを喫してしまうが、直線一気で当時の2歳レコード58.1秒で見事勝利、持ち前のスピードを証明した。
次走の1600mの条件戦を先行策で6馬身差で大勝すると、次の朝日杯3歳ステークス(G1)では抑える競馬を試みたのが裏目に出てハナ差まで追い込まれたがこれもキッチリ勝って連勝。3戦3勝で世代の主役に躍り出た。
&bold(){《常識は、敵だ》}
ブルボンの父マグニテュードは先述したようにすでに快速の桜花賞馬エルプスを出すなど成功していたが、産駒は1600mが限界と考えられており、ブルボン自身も胴が詰まった筋肉質の典型的スプリンター体型だった。
しかし戸山師は「2000mまでは誰にも負けない」との自信を持っていた。
前哨戦スプリングステークスでは「ノーザンテーストの大物」と呼ばれたノーザンコンダクトに1番人気を奪われたが、ミホノブルボンは悠々と7馬身差で圧勝。
「納得の行かないレースをするなら短距離路線に転換する」とも考えていた戸山師はこれで腹を決め、ブルボンを皐月賞戦線へと送り出す。
……結果は2と1/2馬身差の勝利。
スピードの絶対値の違いで先頭に立ちただ自分のペースで走り、一度も前を譲らずゴールへ辿り着く。
「逃げ」ではなく勝利への進撃というべき走りはまさに最強馬のそれだった。
そして鞍上の小島貞博騎手はデビュー22年目、40歳で嬉しいクラシック初制覇であり、インタビューでは涙を見せた。
さらには未知の距離となる[[日本ダービー>1992年第59回東京優駿(日本ダービー)]](2400m)をも4馬身差で制し、前年の[[トウカイテイオー>トウカイテイオー(競走馬)]]に次ぐ無敗の二冠達成。
「限界」という言葉など、もはやブルボンに無縁なものと見えた。
&bold(){《夢の終わり》}
夏を北海道でのリフレッシュにあて、トライアル京都新聞杯を快勝したブルボンに菊花賞へ向けて死角はないかに思われたが、戸山師は
「3000mであろうと力で押し切れ。ブルボンはそれだけ鍛えてきたのだから」と指示する一方
「本当は使いたくない、菊花賞に出すのは人間の欲目だよ…」とも漏らしている。
そして迎えた[[菊花賞>1992年第53回菊花賞]]。
スタートすると、ブルボンが勝った前走京都新聞杯で出遅れたために早い段階で「何が何でもハナを切る」と宣言していた同型の逃げ馬キョウエイボーガンの松永幹夫騎手が玉砕的な大逃げを打つ展開。これに対し小島騎手は前を譲り戸山師が指示した1ハロン(200m)12秒ペースではなく13秒代の「普通の」ペースを選択した。
しかし先頭を奪われて行きたがるブルボンは無理に抑えられたことで消耗。
直線突き放しきれず[[ライスシャワー>ライスシャワー(競走馬)]]の強襲に遭い、内から伸びてきたマチカネタンホイザこそ差し返したもののついに屈し、無敗三冠は1馬身半の差の前に散った。
長距離種牡馬リアルシャダイを父に持ち、小柄で胴の長いステイヤー体型のライスシャワーは戸山師が戦前最も恐れていた相手だったのだ。
「血統が名馬をつくるのではない」
確かな血の力の前に、ブルボンと戸山師の挑戦は終わりを告げた。
&bold(){《それぞれのそれから》}
三冠を逃したとはいえ前年の二冠馬トウカイテイオーや海外の強豪との対決も含めさらなる活躍が期待されたブルボンだったが、筋肉痛ともいわれる詳細不明の故障で年末の諸戦を回避。さらに放牧先で骨折してしまう。
患っていたガンの再発で闘病生活に入った戸山師は93年5月29日、その年のダービー前日にブルボンの状態を案じながら肝不全で他界。
戸山厩舎の調教助手だった森秀行調教師が新たに開業して主な管理馬を引き継いだが、森師は「走るか分からない馬を引き取るわけにはいかない」としてブルボンを引き取らなかった。
「俺の悪いところを真似することはない。いいところだけ取って俺を越えなあかんよ」
森師は戸山師の遺言を自分なりに実行した。
戸山師が息子のように愛した小島騎手を全ての馬から降ろし、河内洋や武豊らフリーのトップジョッキーに乗せ換えた。
馬は馬主のもので調教師は馬主を喜ばせるのが仕事。大馬主と喧嘩してわずかな理解者から安馬を預かって鍛えるより
効率的に賞金を稼いで馬主に利益をもたらし高馬を預けてもらうのが勝ちに繋がる……
競馬に徹底したビジネス感覚を持ち込んだ森師にとって、ブルボン・小島的なものは捨てるべき非合理に他ならなかったのだ。
追われるようにフリーになった小島騎手は騎乗機会の減少に苦しみながらもタヤスツヨシで95年のダービーを勝ち、01年に引退。調教師に転じ中山大障害優勝馬テイエムドラゴンを出したりしたが、12年1月、厩舎の一室で経済状態を苦にしたとみられる自殺という形で生涯を終えた。
一方鶴留明雄厩舎を経て松元茂樹厩舎に移籍したブルボンは再起を目指したが、初黒星となった菊花賞以来のターフへの帰還はついに叶わず、1994年に引退。生まれ故郷で2012年まで種牡馬として繋養された。
種牡馬引退後もブルボンは穏やかな余生を送っていたが、さすがに老衰には勝てず、2017年2月22日、28歳でこの世を去った。
現在の競馬界では調整のほとんどを外部の育成施設で行うのが当たり前になり、馬作りに調教師の個性が反映される余地は失われたと言っても過言ではない。
距離適性の分化も進み、この先第二第三のシンボリルドルフやディープインパクトは現れても第二のミホノブルボンが現れることはないだろう。
だからこそ、彼らの戦いの記憶は尊くかけがえのないものとして語り継がれるのである。
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