宦官

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宦官」を以下のとおり復元します。
&font(#6495ED){登録日}:2010/06/08(火) 10:51:14
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&font(#ff0000){「おめーら、それでもチ○コ付いてんのかァ!」}
 



宦官 [読み:かんがん]

古代中国やローマなどにおける官僚。ちなみに日本は家畜を含めても「去勢」

彼らは自身の男根、つまり&font(#994c00){チ○コ}を切り落とし、その代わりに後宮に入ることを許された。
金玉ごと切断されることが多い。
ちなみに日本は家畜を含めても「去勢」という概念がなかったためほぼ存在しない。
中国から輸入されてもおかしくはなかったが。

昔は刑罰を受けたり他国の捕虜となってチryを切られた者が宦官となっていたが、宦官が権力を握るようになると自ら進んでryを切る者も出てきた。

特に中国・唐代では、官僚になるには科挙に受かるか切るかしかなく、
前者の合格率は司法試験もびっくりの倍率なので、官僚になるために自ら切っちゃった者も少なくない。
&font(#0000ff){うち3割は傷口が化膿して死んじゃったらしいけどね(´・ω・`)}
ちなみに、清代末期になると西欧から外科手術法が取り入れられて、ずいぶん安全になったとか……。

また、科挙も勉強用に書物をしこたま読んだりする時間とカネ、官僚となった後も勉学中に築くコネが出世に必要な面があるので、
学はないけど媚びへつらいとかそういうのが得意という貧農出身者にとっては一発逆転を狙う唯一の方法という面があった。
五代十国の藩鎮国家の一つ、南漢では総人口100万の内宦官人口が2万もいたという。

 

宦官を登用する主な理由としては、

・後宮の女性に手を出せないので身の回りに置ける

・子孫を残せないので権力が集中しても一代限り、皇帝の座を一族に乗っ取られる心配が無い


この二点であろう。


一方で、皇帝に権力が集中する政権では、裏で宦官が実権を握る事例が少なくなく、国を乱す悪宦官というイメージがつくようになった。


よく誤解されるのだが、&font(#ff0000){チ○コを切っても性欲は無くならない。}宦官は&font(#f09199){おとなのおもちゃ}を使って性欲をぶちまけてたらしいよ!
決して&font(#0000ff){永続的賢者モード}になるわけじゃないから絶対チ○コ切るなよ! お兄さんとの約束だぞ♪


また歴史の中では女王に仕える者はまとめて宦官と呼ぶ文化もあり、実際にはチ○コがついたままの僕も宦官と呼ばれていたケースもあるらしい。
 

【有名な宦官】

・&ruby(ロウアイ){嫪毐}
偽宦官。秦王政・後の始皇帝に仕えた。
呂不韋に&font(#ff0000){チ○コのでかさ}を見込まれて食客となり、呂不韋の代わりに大后((この大后、元は呂不韋の愛人だった上、政の父である夫は早世したため呂不韋が相手をしていたらしい。))の性奴隷になって出世。
得意技は勃起したアレに車輪を通して回す芸。デカすぎィ!

おい、チ○コ切れよ。
最期は大后に子を生ませてその子に秦を乗っ取らせようとして反乱を起こすが、政に敗れて車裂きの刑。ヒエッ…

・趙高
秦の始皇帝に仕えた宦官にして悪宦官の代名詞。
国がヤバいのに始皇帝と行幸しまくったり、宰相の李斯と結んで、自分に都合がいい胡亥を皇帝に擁立したり、
都合が悪いと二人とも切ったり(チ○コじゃないよ!)とやりたい放題。
ちなみに馬鹿の語源でもあるらしい((趙高が宮中に鹿を連れて来て馬と言い張り、鹿でしょ。と突っ込んだモノ言う官吏を処罰した指鹿為馬という史記記載の故事よりという説。なお読み方などの理由から今ではあまり支持はされていないが、一番有名な説となっている。))。

最期は胡亥を殺して子嬰を擁立しようと企み胡亥を殺すが、子嬰に先手を打たれて殺された。


・司馬遷
史記を書いたえらい人。
漢の武帝に仕えたが、匈奴征伐に遠征して降伏した友人・李陵をかばい、

せんちゃん「いや李陵は頑張ったからwww援助が足んなかっただけだしwww」
↓
ぶてー「はあ? 何お前、朕(チン)が悪いって言うわけ? おい誰かこいつを切れ」
↓
せんちゃん「え、何を!? ナニを!?」
↓
ぶてー「首だバカヤロオオオオ」
↓
せんちゃん「冗談じゃねえスwwwwww」
↓
ぶてー「金を出せば減罪してやらなくもないんだからね!」
↓
せんちゃん「ウチビンボウナノ(´・ω・`)」
↓
ぶてー「じゃあチンポとサヨナラだな」
※司馬の遷ちゃんが書いた史記には史書としては珍しい貨殖伝(金儲けが巧い人物伝)が載っている。
これは貧乏故に減刑を購えなかった遷の「金さえあれば……」という無念さの表れとも云われている。
 
・蔡倫
後漢和帝期から安帝期にかけて宮廷に仕えた宦官。当時絹などの屑を使って不織布を作る技術を応用することで
繊維くずや樹皮から実用に耐える初の紙・蔡候紙の製造技術を開発したことで有名。
この技法を洗練させ、材料も検討していくことで現在に通じる紙漉きという手法が生まれた。
他にも武器製造など様々な技術開発に従事した超優秀な技術屋であった。

・梁商
後漢の順帝に仕えた名宦官。順帝の即位に尽力、その後も国をよく支え続けた。皇帝の秘書官として考えればメッチャ優秀。

しかし順帝がその功を称え、&font(#ff0000){宦官に養子を許す}というとんでもない大ポカをやらかし、しかも養子に貰ってきた梁冀は悪代官という最悪の事態。
おかげで梁一族が後漢の実権を握り、権威は失墜。三国時代到来の原因を作ってしまう。
&font(#ff0000){よくやった順帝。}


・曹騰
梁商と共に順帝に仕えた名宦官。以後も影ながら後漢を支え続けた。
彼の養子の子供、つまり孫があの曹操。
&font(#ff0000){マジで順帝よくやった。}


・十常侍
後漢の霊帝に仕えた10人の宦官。
民から搾取→黄巾の乱。
少帝擁立→清流派の反乱→董卓やってくる。
など、三国時代の幕を開いたのはあるいは彼らなのかもしれない。

三国志大戦は、
1では武将として
3では軍師として
登場した。
 

・[[黄皓]]
蜀のバカ殿さ(ry……劉禅に仕えた宦官。
三国志演義では、まさに国を滅ぼしたイエスマンな悪宦官として描かれている。[[生姜>姜維]]を追放したり、巫女のお告げとか言って魏が攻めてるのに酒宴しまくったり。
&font(#ff0000){だいたいあってるけどね!}

コーエー三国志では何故かネコミミ帽子を被っている。

三国志大戦2でも登場。
愚かな転身と言う武力の一番高い味方を城に戻すという微妙な計略を使う。

これで生姜を戻したりできる。やったね。


・高力士
周の則天武后・唐の玄宗に仕えた宦官。
彼自身は慎み深く忠義心と理知に溢れた人材であり、高句麗出身の名将高仙芝ら有能な人材を多数推挙した。
仕事熱心で宮廷で寝起きするほどに熱中しており、玄宗曰く「高力士がいるからこそ安心して眠れるのだ」と言わしめるほどの大量の仕事を捌いていた。
しかし、彼が推挙した楊国忠・安禄山が世界帝国・唐の終わりの引き金を引いてしまう。
彼は楊国忠と安禄山の間に立って調停に尽力したりはしていたのだが…

最期は玄宗の死を知り、慟哭して死亡したという。


・鄭和
明の航海王子。別に王子じゃないんだけど、どっかのエンリケ航海王子にならってこう呼ばれる。
元々、元に仕えた雲南の貴族で、捕虜になってチ○コ切られて永楽帝に仕えたとかそんな感じ。イスラム教徒である。
南シナ海やインド洋を股にかけ、アフリカ大陸のモガディシュや聖地メッカ巡礼に至る大航海を敢行し、キリンなどアフリカの文物を持ち帰り、明の勢威を各地に広めるなど活躍した。


・魏忠賢
明の天啓帝に仕えた邪悪宦官。
財を蓄え、配下の都合の悪いことも賄賂で握りつぶすなど万暦帝が殺した明に死体蹴りを敢行した人間の屑。
党争を利してライバルも恩人も出世の邪魔になるならば容赦なく葬り、絶対的な権勢を得ると、
自身を尭天舜徳至聖至神と称し、聖人であると言わせ、九千歳((万歳は皇帝専用の為、流石に使えなかった、末期には九千九百歳まで増やしたという。))と唱和し讃えさせた。
彼と彼を留められない天啓帝の悪政の中、民の怨嗟は危険水域に高まり、満州でヌルハチの勢威はもはや明にも手を付けられないレベルになった。
最期は天啓帝の後に即位した崇禎帝により、逮捕される前に自殺した。明特有の代替わり粛清システムはここでも機能はしたのである。
崇禎帝は必死に明を支えようとしたが、既に満身創痍の明は立て直しが利かず、
崇禎帝も洪武帝並に猜疑心が強く後金の攻撃を防いでいた袁崇煥を殺してしまうなどミスも多く、最後の皇帝となってしまった。

・王承恩
明最後の皇帝であった崇禎帝に仕えた宦官。
既に李自成の反乱軍が北京に迫り、多くの宦官が寝返りと逃亡している中、ただ一人最後まで皇帝の側で仕えた。
皇帝の王子・王女の逃亡先を全て仕切り、皇帝と心中した。

朝鮮半島や海を越えた江戸幕府にもこの話は伝わっていたようであり、忠臣としてその生き様を現代まで評価されている。
ぶっちゃけ、世間一般的に考えられる宦官の悪評とは完全に無縁な忠臣である。
いつまでも皇帝に仕えられるようにと、墓もすぐ側に作られたとか。


・ナルセス
東ローマ帝国のユスティニアヌス1世に仕えた宦官。本職は官僚だが軍隊も指揮する。
宦官なら独立して自分の王国建てたりしないだろうと、イタリア遠征軍を率いて出陣、
イタリアを領有する東ゴート王国軍を粉砕した後、返す刀で火事場泥棒狙いのフランク王国軍を撃退。
20年近くかかったイタリア戦争を勝利で終わらせた名将。ちなみにイタリア征服時御年75歳。



・清の下級宦官
ぶっちゃけ何をしたわけでもないが世界史の教科書、資料集に引っ張りだこ。
一般に宦官のイメージと言えばこの人。



ちなみにヨーロッパでは声が野太くならないようにするためショタに処理を施す合唱団もあったりする。
 



追記・修正はチ○コを切ってからお願いします。

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- ちなみにヨーロッパのはカストラートといいます。かのベートーベンも危うく去勢されてカストラートになる所だったとか。  -- 名無しさん  (2013-08-31 17:10:35)
- 曹操の爺さん めっちゃ評価されてるな  -- 松永さん  (2013-09-14 01:31:31)
- 因みにブツの切り方は、1.まず縄で根元を縛ります 2.血が止まり、神経が死に、痛みが少なくなります 3.体を固定し、石斧(石剣)で勢いよく切り落とす。 という方法が一般的らしい。  -- 名無しさん  (2014-01-30 17:42:20)
- やめてくれ。聞くだけで痛い。  -- 名無しさん  (2014-01-30 18:37:54)
- ↑2 マイボールがキュッてなった  -- 名無しさん  (2014-01-30 20:12:25)
- ちなみに傷口には消毒と止血の為に石灰なんかをまぶしたらしい。聞くと痛いけど切り方とかが確立するまでは半分も生き残れなかったからね…  -- 名無しさん  (2014-01-31 10:49:05)
- 張承業という人も唐朝に忠節を尽くした名宦官だったとインターネットで見たけど、忠誠心のある宦官よりもろくでもない宦官のほうが目立つせいで宦官全体のイメージが悪すぎる。  -- 名無しさん  (2014-01-31 13:23:40)
- ↑唐朝といえば玄宗皇帝に仕えた高力士も有名だな。力士自身は優秀な人物だったけどその後に彼の権力基盤を継いだ宦官がそろいもそろってろくでなしだったので結局国が腐っちまった。  -- 名無しさん  (2014-03-22 18:24:42)
- 蒼穹の昴という本で虚勢について詳しく書かれてたな…  -- 名無しさん  (2014-03-22 18:56:17)
- 刃物で切るのではなくワイヤーや糸をきつく巻きつけて壊死させて落とすと聞いたことがある。  -- 名無しさん  (2014-03-22 19:06:58)
- 1.チンコだけ 2.キンタマのみ 3.チンコとキンタマ両方  -- 名無しさん  (2014-03-22 20:44:58)
- ↑確か3を↑×2の方法で去勢すると書いてあったような。  -- 名無しさん  (2014-03-22 22:14:46)
- 権力握ったのはごくごく一部だったから歴史に名を残しているのであって99%は奴僕として一生を送った。  -- 名無しさん  (2014-03-23 23:44:05)
- ヒストリエにも去勢された奴隷が出てきてたな。エウメネスも危なかった  -- 名無しさん  (2014-05-12 05:13:49)
- 宦官は去勢で尿道が短くなったせいで失禁しやすくなって常に悪臭を放ってたとか  -- 名無しさん  (2014-11-23 12:23:18)
- もうそんな時代じゃないがやっぱり日本に生まれてよかったよ俺ぁ…  -- 名無しさん  (2014-11-23 12:49:22)
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